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鳥籠姫と黒い翼の魔法使い  作者: 飛翔生姜
第七章 聖女か魔女か 運命の女
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愛言葉





 腕の中で少女が泣きながら気絶した瞬間、強い嫉妬と怒りがジャスを支配した。気が狂うかもしれない。そう自らを危ぶんだ時、ジャスの心を打ったのも、やはり彼女だった。

 たった一言、名を呼ばれた。

 それだけでジャスの中の獰猛な感情は凪いだ。今は彼女を保護し、休ませてやらねばならない。

 ーー無理強いの恐怖も恥辱も、この身で既に味わっている。今は心を穏やかに保てるよう尽くさねば、彼女は自分と同じように壊れてしまう。

 まずはノアリスを伴い、ランティス達と合流した。リアの体には上着をかけて服の状態が分からないようにしたが、ただ事ではないというのは明白で、だからこそ沈黙は痛いほど重かった。特にランティスは顔面蒼白というにふさわしい動揺ぶりで、初対面のセトに肩をするられるまで愕然としていた。

 そのまま少人数で抜け道を通り、自分の宮殿ーー陽翼(ひよく)宮にもどった。帰還してから再び自分の世話をしてくれている乳母レイチェルにリアの介抱を命じ、一度ノアリスも残して今度は置き去りにしていたヒースとヒルダに、紅夜を連れてくるよう使いを出した頃には、既に日付が変わっていた。

 紅夜には監視つきで別室に待機してもらっている。姉の意図が不確かな今、彼らを二人きりにはできない。ランティスとセトは、一度それぞれの使節団に帰らせた。朝に出直すと言っていた彼らを見送り、ノアリスを賓客室へ案内したところで、一度リアの様子を見に行った。

 彼女はまた泣いていた。

 よほど恐ろしかったのだろう。そう思うと腹が立ち、次いで自嘲が漏れた。自分だって、彼女に同じような振る舞いをしたくせに、と。

 もともと寝起きの悪い娘ではあったが、目を開けてからしばらく、彼女は妙なことを口走っていた。助けられなかっただの、指がどうだの。聞くにつれて悪夢だというのは分かったが、意識の覚醒と共に涙は止まっていった。

 内心、不安がもたげる。リア本人に自覚はなくとも、強い魔力を有する彼女が見る夢には、何らかの意味があるかもしれない。

 しかし今は少しでも穏やかになってほしくて、ジャスはいつも以上に優しく、精一杯の余裕を繕って接した。普段の意地も減らず口も取り払い、素直な言葉で全て伝えた。

 後のことはヒルダに任せると決めて部屋を出たジャスは、静かに後ろを振り返る。

 リアとヒルダがいる部屋は、陽翼宮の一角にある。リアの休んでいた寝室の扉を閉め、贅を凝らした意匠の調度品が華やかな私室、女性らしい柔らかな色彩の応接室、本来なら使用人が侍る控えの間を順に通り、ようやく廊へ出られるというもの。

 ジャスは今、本来なら王子の妃に宛がわれるべき部屋を、リアに与えていた。

(まあ、他意はないんだけど)

 寧ろ虚しいくらいだと自嘲が漏れる。

 リアが自分に何を伝えようとしていたのか、期待する気持ちはあった。

 だが、聞いてはいけない気がした。

 相手がどこの誰かは知らないが、リアの体に抵抗の痕跡が無かったのだ。手首を強く掴まれたり、殴られた様子もない。結界内でリアほど強い魔力を持つ者から自由を奪う魔法も術式(わな)も考えにくい。そうなると、可能性は一つだけだ。

 あのリアが甘んじで受け入れようとする相手。名前どころか話も聞いたことがない、聞きたくなかった男の存在を、否応なしに思い出す。

(生きてたのか)

 てっきり死別したのだとばかり、思っていたのに。

 だから、リアを遮った。一度でも言葉(かたち)になってしまったら、それはまた彼女に新たな苦しみを与えてしまう。

 正直、自分を選んでほしいという期待はあった。いや、今も願っている。そのくせ、突き放さねばリアから全ての自由を奪うと理解もしていた。

(どうしたいんだ)

 いつまでも自由に生きていてほしいのか、縛り付けてでもそばにいてほしいのか。きっとどちらも自分の本心で、だからこそジャスは煮え切らない自分が許せなかった。

 早く心を決めなければ。そう焦る。

 クリフはリアの身分を利用してジャスの立場を磐石にしようと考えている。ヒースは事情を知らない。伝えても、おそらく私見をジャスには明かさないだろう。内心で何を思おうとも、だ。

 ヒルダはーーー。

(考えるまでもないか)

 彼女だけは自分を責めない。どんな選択をしても受け入れてくれるだろうし、どれだけ迷っても決断を急かしたりしない。叱ったり呆れたりしても、最後は絶対に(みかた)でいてくれる。そう信頼できる相手がいる自分を、幸せに思った。

(先伸ばしするわけじゃないけど、意識を切り換えないと)

 警備の兵たちが礼をとる前を通り、目的の部屋にたどり着く。門兵が一礼し扉を開けた。







 その女は、室内で静かに佇んでいた。優艶そのものの美貌。しかし毒より恐ろしいものをうちに秘めている姉に、ジャスは一礼の後に声をかける。

「お待たせしました」

「あ、ううん。琥珀ちゃん起きたの?」

「ええ。ヒルダに任せて来ました」

「そっかあ」

 朗らかに頷くノアリスを、ジャスは静かに見つめる。

 花のようにか弱いから、手折られてしまったのだとばかり思っていた姉。その姉が剣を持つ姿を見て、少なからず衝撃を受けた。

「それでは、紅夜どのをお呼びしますが」

 正直もう明け方が近い時刻だったが、どのみち横になっても眠れそうにない。ノアリスも紅夜も同じだったらしく、ジャスは二人を面会させることにした。

「あー、いよいよだぁ。怒られるかなぁ」

 女官が紅夜を呼びに下がると、やけにそわそわと落ち着かない様子で、ノアリスが立ち上がった。そのくせ頬は恋する乙女そのもののように染まっており、夫に会いたいと顔に書いてある。彼女のために王宮にまで乗り込んできた紅夜といい、なんとも熱烈な夫婦だ。

「“蒼姫(そうき)”というのは変わった響きですね」

 何となく、これは姉の名前なのだろうと察していた。自分にはない高貴な蒼の瞳。愛しい女を姫と呼んだ紅夜もまた、帝国では相当古い一族の者だった。

 ある意味、似合いの組み合わせでもある。頭のなかで二人を寄り添わせてみたら、なかなかどうして画になる眺めだった。

「東大陸・・・八洲(やしま)の言葉ですよね」

 太古は八つの島から成る島国だったというが、神話の時代に国境を守っていた龍神が死んだことから海が干上がり、陸続きになったと聞いている。それぞれに八つの王家を戴き、天より舞い降りた神が建国の祖であると。

「うん。いつか行ってみたいんだけど。天空の城って呼ばれてる、青と白の(こう)()城っていうのを見てみたいの!」

「ああ、あの有名な。確か飛鳥(あすか)国の王宮でしたか」

「そう! 別名、風の王国」

 ノアリスはきらきらと顔を輝かせている。その様は年上ながら愛らしく、ジャスは苦笑した。

「ノアリス殿下。あなたは、目的を果たしたら再び宮廷を去るおつもりなのですね」

 だから自身を囮にしたのだ。役割を全うした暁には、世間には死亡したと公表するつもりでいる。

 言い当てられたノアリスは、一瞬泣き笑いのような表情を見せた。ジャスも息が詰まる。

 その顔を知っているような気がしたのだ。記憶にはない。だけど、本当に幼い頃、同じ眼差しの誰かが自分のそばにいたような。

「無責任だって思う?」

「いえ」

 ただ、羨ましいと思った。どうすれば、そんな風に真っ直ぐに生きられるのだろう。ノアリスは夢見がちなわけではない。目の前の現実を受け止め、苦境を覆して前へ進む強い意思の持ち主だ。そうでなければ、蝶よ花よと守られてきた王女が、殺し屋集団のなかで生き残れるはずもない。

「憧れます」

 紛れもない本心だった。愛しい相手に想いを憚らず伝えられる。憧れずにはいられない。

 どうしてこんなにも違うのか、つい苦笑する。ノアリスがなにかを言いかけたのがわかったが、それより早く扉が鳴った。

「ご歓談中失礼いたします、両殿下。ご指示に従い、お連れしました」

「ご苦労」

「ありがと」

 弟姉は各々頷く。ジャスの近くにはヒースとクリフが控えていた。女より大事に守られてる自分について考えると、少しやるせない気持ちになったのですぐやめた。

 女官に案内されて室内に足を踏み入れた紅夜の姿をみて、横のノアリスが僅かに吐息をこぼした。実質の夫婦だったというのに、彼女は今も紅夜に見とれているようだった。

 しかし、感心する気持ちも理解できる。

 非公式とはいえ、王族に目通りすることになった紅夜は、質の良い貴族の装束を身にまとっていた。女官が随分と良い仕事をしたらしい。華美な飾りの少ない濃紺の上衣と黒の下衣は、彼の眩しい金髪を引き立てていた。全体的に上品で落ち着いた装いは、男のジャスでも感嘆する。高貴な衣服も様になっていて、精巧な芸術品のようだった。

 女官を下がらせると、意外なことに紅夜はその場で頭を下げた。てっきりノアリスに詰め寄るものだとばかり思っていたジャスは意外に感じる。しかし、更に予想外だったのは、ノアリスの反応だった。

「やめて」

 震える声だった。怒られるかな、なんて困ったように言っていた時とは違い、本当に傷ついている様子が窺える。昨日ランティスに拝礼を受けた時のことを思い出したジャスは、彼女の気持ちがよくわかった。

 紅夜はそのまま動かなかった。クリフとヒースも、ノアリスが王女とはいえ自分たちの主人ではないためか、動く気配がない。絶句している姉の代わりに、ジャスが口を開くことになる。

「面を上げられよ、紅夜どの」

 その声で、ようやく彼が顔を上げた。それどころか、にっこり微笑んでくれる。しかし視線はジャスに固定されており、まるで意地のようにノアリスには注がない。

「失礼いたします、王子殿下。この度は立太式、祝着至極に存じます」

 まるで古くからトロナイルに仕えた家臣のような笑顔だった。戸惑うジャスの隣で、ノアリスが立ち上がる。意外と短気なのか、そのままずんずんと紅夜に詰め寄った。

「紅夜!」

「何用でございましょうか、王女殿下」

 視線も合わさず言う紅夜に、ノアリスーー蒼姫は我慢できないというように抱きついた。

「ごめんなさいってば!」

 謝りながら何故か逆上気味である姉の後ろ姿に、ジャスは迷う。

 正直にいうと、席を外したい。他人の色恋に興味はないし、実の姉とその恋人の喧嘩など、別の意味で見るに耐えない。

 ああ、でも。

 立ち合うと決めたのだからと自分に言い聞かせるジャスの前で、二人のやりとりは続く。

「何のことをおっしゃっておいでか、わかりかねるのですが」

「ちょっと紅夜、意地悪言わないでよ!」

「尊い御身がそう易々と他者に抱きつくものではありませんよ」

「やーめーてー!」

 喚くと、ノアリスが強硬手段に出た。その場で紅夜の唇を塞いだのだ。

 平たくいえば、キスをした。

 いかに後ろ姿といえど、距離にしてほんの数歩程度。何をしているかは明確で、ジャスは目を疑い、最終的に反らした。護衛たちから同情と共感の視線を感じたので、気まずく思うのは自分だけではないはずだ。

 しかしノアリスの暴挙は止まらない。

「何をなさいますか」

「黙って」

 ちゅ、と音がして、また唇が重なる。紅夜も蒼姫も真顔なのに、行動は蜜月の恋人そのものだ。許容範囲を越えた現実に、とりあえずジャスは一昨日の朝食を思い出そうとした。現実逃避といわれたって、それぐらい仕方ないだろうと今なら言い返せる。

(なんの拷問だ)

 頭を抱えるジャスの前で、ノアリスがようやく紅夜を解放した。

「黙っていなくなったのは、ほんとにごめんね。でも、そんな当て擦りみたいなことしないでよ。いつもみたいに優しく意地悪されるのが、わたしは好きだよ」

 今度は惚気か!!

 こんな時刻に、なんと胸焼けする光景だろう。いっそ気絶したい。そして記憶から抹消できたら、どれだけ気が楽だろうか。

「首を突っ込むっていうなら、王子さまよりわたしを見てよ。紅夜の目も腕も声も、何もかもわたしのものでしょう?」

 誰か姉の口を塞いでくれ。

 そう思うジャスの視線の先で、紅夜がようやく表情を動かした。作り物めいた笑顔と違う、仄かな呆れを含んだ眼差しが、まっすぐ蒼姫に向けられる。

「馬鹿が」

「! 紅夜っ」

 嬉しそうに名を呼ぶと、蒼姫は紅夜に抱きついた。そのまま頬を寄せる。

「もっと言って。久しぶりの声、たくさん聞きたい」

「家出女。暴力女。馬鹿女」

 ジャスは絶句した。無礼だとか、そんな問題ではない。紅夜まで蒼姫と同類だった。

 間違いなく罵倒しているのに、声がとびきり甘く艶を帯びているのだ。これでは睦言と変わらない。

「わたしって、お馬鹿?」

 再び顔を見合わせて、蒼姫が問う。紅夜は笑った。どこまでも甘く、愛に満ちた眼差しで。

そうだよ(・・・・)。馬鹿な蒼姫を迎えに来たんだ」



 まるで二人だけの合言葉のように、そう告げた。


 











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