願ったことは
ジャスのとんでもない発言の嵐で、比較的気持ちが落ち着いたリアは、ヒルダの用意してくれたハーブティーを飲み、自分の身に起きたことを一つずつ話した。
ジャスとすれ違いで二度と会えない可能性があり、それだけは嫌だと王宮へきたこと。ヒルダに見咎められた後ノアリスと遭遇し、琥珀という名と行動の自由、変装のためのドレスを与えられたこと。
そしてーー。
「四年前に死んだはずの許嫁が実は生きてて、正直な気持ちを打ち明けたら逆に関係を迫られた、と」
重ったい男に捕まったね、という囁きは無視して、リアは頷く。
「はい」
「あ、また敬語」
「えっ・・・うん」
言い直すと、ヒルダはにっこり笑った。癖のある黒髪といい、自由奔放そうな雰囲気といい、なんだか全体的に猫を思わせる娘だった。
「あたしが逃げ出したせいで、ノアリス殿下まで巻き込んでしまったわ」
「いや、どのみち王女さまの宮殿内だったんだから、いずれ問題になったと思うよ」
「でも」
「慰めるだけじゃなくってさ。聞いて? 僕も殿下も驚いたんだけど、あの宮殿、いくらなんでも人が少ないってレベルじゃないよ。意図的に警備がザルになってるんだ」
リアは目を見開いた。
「どういうこと?」
「殿下いわく、あの宮殿は全体が罠。ノアリス王女を狙う輩を誘き寄せるためのね。寧ろ、巻き込まれたのは君のほうだよ」
ただ運命の悪戯か、侵入者側に旧知の人間がいたというだけ。
そうあっさり言ってハーブティーをすするヒルダを、リアは凝視する。じわじわと込み上げてくるのは、焦りか恐怖か。
「・・・ノアリス様を狙う勢力って」
「ありゃ、知らないのかい? ほら、あの王女さまは子どもの頃“ラジェーテ”に誘拐されて、そのまま最近まで生死不明だったんだよ。殿下や王様はだんまり決め込んでるけど、“黎明の騎士団”って知ってる?」
賊が騎士を名乗るなんて、王家への嫌味のつもりかな、とヒルダは続ける。
「“ラジェーテ”の後身が“黎明の騎士団”。どうにもあの王女さま、ただ誘拐されただけじゃなくて、十年前の組織壊滅時に逃走してたみたいでね。連中は裏切り者だー、って、彼女を殺したくて仕方がないのさ」
武装集団について話すのに、貴族の娘、いや、人間として、あまりにも淡々と語るヒルダが、少し異質に見える。まるでヒルダ自身、その組織に対して何か含むところがあるかのような。
「裏切り者だなんて」
まるでノアリス自身が彼らの仲間だったかのような物言いだった。思わず顔をしかめる。誘拐された王女が、どれだけ恐ろしい思いをしたことか。
そこまで考えた瞬間に蘇るのは、双剣を翻しサズと互角に渡り合う王女の姿だった。あれは達人とか玄人とか、そういう次元とは違う。どこまでも事務的に、無感情に、しかし確実に相手に迫る白刃は、守られていたはずのリアでさえ恐れを抱いた。
「・・・・」
「あは、思い当たる節があるんだね。まあ、殿下の不利益になりかねないから、内緒だよ」
言葉が出ず、なんとか頷くだけで精一杯だった。世間では憐れな姫君として認識されているノアリスが、実際は殺しを生業としていた過去を持つ。それは、思った以上の衝撃だった。
「ジャスは・・・あ、いえ。ごめんなさい。王子殿下はご存知なの?」
「いや、知らないと思うよ。だからこそ今回は驚いてたね」
そりゃあんな青薔薇みたいな美人だし、男なら実の弟でも夢とか見るもんなんじゃないのかな。
茶菓子を齧りながら言うヒルダに、リアは内心同意する。女の自分だって、正直に言えば理想が裏切られたような心地なのだから。
「王子殿下には言えないわね」
「うん、自分で気づいてくれるのを待つよ。あとさ、別に僕の前だからって殿下のこと敬称で呼ばなくていいよ?」
ね、と安心させるように笑うヒルダは、顔の作りこそサーシェスと似ているのに、口調はリオンを思わせる。こんなことになって、使節団の皆にもどれほど迷惑をかけてしまったか。
(・・・・ん?)
使節団の--そう、チュニアールの、大切な仲間たち。名前は【星空の宴】。自分は出会う前から彼らの存在だけは知っていた。
だって有名だったから。それは何故?
「そうだ」
「へ?」
ヒルダがきょとんとした顔をしているが、そんなことに関心を割く余裕がなかった。
そう、【星空の宴】は中央大陸では有名だ。だって、あの【ラジェーテ】を討ったのだから。
「・・・・ああ、もう。あたしの馬鹿!」
一体どれほど腑抜けになっていたのだろう。少し考えれば分かるはずだった。
【ラジェーテ】の後身【黎明の騎士団】に所属するサズ。そして、その【ラジェーテ】を滅ぼした【星空の宴】に身をおく自分。
こんなに分かりやすい敵対関係は、滅多にない。
もはや男女の情ではなくとも、リアにとってサズは大切な存在だ。今すぐには無理でも、いつか和解したい。そう思うのに、状況は切迫していた。
サズがノアリスの――いや、このトロナイル王国の宮殿にいた理由は既に明白だ。彼は今【黎明の騎士団】として行動している。トロナイル王室の殺害を目論んでいる組織の一員として、生きているのだ。
トロナイル王国は独立国チュニアールを影ながら支援してくれている友好国だ。国の為なら、きっと女王は躊躇わない。容赦なく叩き潰すだろう。
何より、トロナイル王室には、リアが誰より強く慕うジャスも含まれている。何としてでも、食い止めねばならなかった。
ルフィスに直談判して可能性は低い。柔軟に見えて意志の強さは鋼鉄よりも硬い女王だ。情けを乞うても、通じるかどうか。
ならばジャスに事情を話すか。いや、この期に及んでと自分が嫌になるが、なるべくならサズのことを彼に事細かに話したくはない。芋づる式に、自分が誰に襲われたか説明せねばならなくなる。あんなに恐ろしくて、悔しくて、恥ずかしくて悲しいことを、どうして恋する相手に伝えられようか。
悶々と頭を抱えるリアに珍獣を見る眼差しを向けながら、ヒルダは声をかける。
「大丈夫? まだ寝ぼけてる?」
「寝てません! 大体っ」
なんの話だと言いかけて、違和感を覚える。
そうだ、自分は確かに夢を見ていた。今はそんなことどうでもいいと理性が言うのに、何故か本能は追想を止めてくれない。
夢の中の自分は、目の前で最愛の親友を失った。自分が男だったら誰より幸せにしてやるのにといえば、相手は決まって微笑んだ。私が殿方なら、きっと貴女を虜にします。囚われの姫様を、颯爽と拐ってみせますわ。そう悪戯っぽく笑ってくれた顔が、思い出せない。
だが、確か二人は約束を交わしていた。彼女の最期の願いだった。そして、それはとてもささやかで、当たり前のことだった。
助けに来てくれてありがとう。今度は私が貴女を助けるから。貴女がどこに囚われたって、どんな狭い籠の中にでも迎えにいくから。また一緒に空を飛びましょう。
だから、どうか。
私と、ずっと友達でいて下さいね。
その言葉を思い出した瞬間、涙が頬を伝う。しかし、自分の記憶や感情ではなかった。誰が泣いているのか、分からない。
「お姫さま?」
ヒルダが慌てて涙を拭ってくれる。大丈夫だと言いたいのに、涙が止まらなかった。
「ご、ごめんなさ・・・っ」
間に合わなかった。助けられなかった。貴女を失った。
私の可愛いーー大切な、ロゼ。
ああ、だから私は、あの日。
この国の王を、殺したんだ。




