接触
薔薇の化身のような、匂いたつ美貌の女だった。しかし、問題はその外見ではない。一瞬で距離を詰めてきた身体能力の高さは、この四年間ずっと死を身近に感じていたサズでさえ、冷や汗を禁じ得なかった。
(次から次へと)
動作そのものは優雅に舞う妖精のようだ。しかし、繰り出される斬撃は速度が尋常ではない上に、正確に急所を狙ってくる。おかげで軌道はよみやすいが、その弾く一合さえ、並みの男より余程重かった。
「あんた、なんだ? 殿下って、うそだろ」
近衛の隊長と言われた方がまだ信じられる気がする。一度距離を空け、睨み合った。
「嘘じゃないよ。それで、わたしの宮殿に無断で入り込んだ挙げ句、大切なお客さんに乱暴した、あなたはだあれ?」
舌ったらずの口調だが、表情は皆無で視線も氷より冷たく感じられる。本気で掛かれば勝機はあるだろうが、こちらも無傷ではいられまい。
(どうする)
この女は、人の首を落とすことに何の躊躇も感じない類いの人間だ。現にさっきは、真っ先にサズの目を潰そうとしていた。かろうじて防いだ結果、リアを逃がしてしまったことが悔やまれる。
「そいつの夫になる男だ」
視界の隅で、リアが身を強ばらせたのがわかった。その様子に、少し悲しくなる。
・・・驚愕や嫉妬、怒りがないとは言えなかった。自分は1日だって彼女を忘れたことはなかったし、再び抱き締めるためならと汚れ仕事をこなしてでも生き延びた。
その結果にようやく会えたと思ったら、心変わりだなんて、薄情だと責めたい気持ちは否定できない。
だけど、予想外というわけでもなかった。ラミアから、その可能性は既に示唆されていたからだ。常識的に考えれば、当時十四歳のリアが、独り四年も待ち続けるというのは難しい。ごく普通の遠距離恋愛だったとしても、幼い娘の心を潰すには、充分すぎる時間だった。
それでも、心のどこかで信じていたかったのだ。彼女は自分だけのものだと。
だから、心変わりを告げられ瞬間、目の前が真っ暗になった。お前の誓いはその程度のものだったのかと。何より、再会の喜びもそこそこに告白され、自分の登場がリアにとって今や邪魔なものでしかないのだと言われた心地だった。
どうしようもなく、傷ついた。
「返してくれ。そいつは俺の妻になる女だ」
初めてリアを憎いと思った。だがしかし、この手に大人しく抱かれるなら、許してやろうという慈悲はある。彼女の心は壊れてしまうかもしれないが、そんなものはどうでもいい。元々自分たちは欠落したもの同士が傷を舐め合って寄り添っていたようなものなのだから、寧ろ精神を病んでしまうくらいに追い込めば、都合よく調教出来るとさえ考えていた。
それなのに、あのセレナとかいうらしい人魚の幽霊といい、目の前の化け物じみた王女といい、どうして邪魔ばかり入るのか。
案の定、化け物王女は剣を下ろしてはくれなかった。
「琥珀ちゃんは怖がってるじゃない。女の子を泣かせるなんて、男としての器が知れるよ」
さらりとした痛烈な批判に、流石に苛立ちが強くなる。何故ここまで言われねばならないのだろう。
「先に不貞を犯したのは彼女だ。それを許そうと言っているのに、聞き入れない頑固者だ」
「・・・この子はあなたにとって、玩具か何かなの?」
王女の冷たい無表情に微かな嫌悪が混じり、サズを睨んだ。
「? 婚約者だ」
質問の意図が分からず答えると、王女はますます表情を険しくした。
「なるほど、これは確かに。走って逃げ出しちゃうのも頷ける駄目男だ」
散々に扱き下ろされ、殺意が沸く。念願が叶う一歩手前の障壁であるこの女を、どのようにして葬ってやろうか。そこまで考え、ふと気づく。
「・・・ああ、思い出した」
トロナイル王家の娘ノアリス。サズにとって命の恩人であるラミアが、必ず血祭りにあげると息巻いていたのは、確かに目の前の憎たらしい女だ。こうまで人の神経を逆撫でするのに長けていれば、あらゆるところで恨まれていても不思議はないだろう。
「ラミアには悪いが、これは確かに殺したくなる女だな」
口を歪めてそう言った時。
「サズ、駄目よ」
先程まで王女の後ろで縮こまっていたはずのリアが、声をあげた。サズが脱がせかけたドレスを整えるも忘れたように、まっすぐこちらを見ている。
その眼差しに、不快感を覚えた。
(・・・本当に変わったんだな)
四年前の彼女は、こんなに強い目はしなかった。いつだって弱々しく、そしてすがるような眼差しで、サズを盲目なまでに慕ってくれていた。
それが、今はどうだろう。
体はここからでもわかるくらい震えているのに、強い意思を宿して輝く琥珀色の瞳は、もうサズの知る娘のものではない。
(どこの誰が変えやがった)
籠のなかで必死に歌う小さな雛鳥。いつだって、サズしか見ていなかったのに。飼い慣らしたのもサズだったのに。どうしてサズという鳥籠から、勝手に羽ばたいてしまったのだろう。
答えは簡単だ。籠の扉の鍵を、誰かが開けた。
(そいつか?)
好きな人がいると言っていた。そいつが、リアを自分の元から離れた元凶と同一人物だというのなら。
「・・・駄目って、何が?」
「この方を誰か、わかった上で殺すと言っているの?」
苦々しい様子で聞かれても、サズの答えは是であった。
「ノアリス王女だろ。お前が呼んでたからな。相変わらず嘘も芝居も下手くそな正直者だよなぁ。そこが可愛いんだが」
かつてなら、頬を染めて恥じらうように俯いただろう。しかし、今は悲しげに瞳を揺らすだけだった。
「・・・やめてよ。王族殺しは大罪よ」
「そうだな。俺は外見からして帝国人だし、下手しなくても外交問題だ。戦争の火種には充分だろうな」
「サズ!」
リアが怒鳴った。そのままこちらに掴み掛かりそうな勢いだったが、彼女の手前にいたノアリスが片手で制してしまう。
「落ち着いて、琥珀ちゃん」
「ですが!」
「へーきへーき。寧ろ琥珀ちゃん、知り合いみたいだけど、手足ちょん切っちゃっても許してね?」
あは、と明るく笑う王女は、呑気そうに見えてその実、隙が全くない。
「王女さまを盾にするわけにはいきません。彼は身内でもあります。ですから私が」
「いやいや、この宮殿にいる時点でわたしのお客さんだよー?」
招いた覚えはないけどね。そう言うや、ノアリスは再び距離を詰めてきた。一体どんな歩法か。サズは咄嗟に受け流し、後退した。
(化け物が!)
そもそもサズがこの宮殿にいたのはリアを追ってのことだが、ここに潜伏しているはずのロッドに合流する目的もあったのだ。その彼は今どこにるのか。
この女を片付けても、リアは逃げない。しかし全力で抗ってくるだろう。ノアリスと殺し合いを演じたあとに、暴れるリアを制する余力があるとは思えなかった。
(ロッドか、せめてラミアと合流できれば)
今の状況ではリアを連れていけない。そう思う目の前をノアリスの剣先が掠める。つい舌打ちした。
考え事をしながら捌ける相手ではない。寧ろ、ここは一度退くべきだと頭では理解していた。
だが。
(目の前にいるのに!)
求め続けた少女。やっと手を伸ばせば抱き締められる距離にきたというのに、何故それが叶わないのか。
金属音は幾度も響いた。この騒ぎでは、いくら人の少ない宮殿でも、さすがに衛兵や哨戒の兵に見つかる。
(くそったれが!)
せめて一矢報いてやらねばと、ノアリスの剣を一本、叩き落としてやる。その麗しい顔を、二度と見れない面にしてやれば、幾分か溜飲は下がる気がした。
だが――――。
「許さない」
透明な声。そう表現するしかない不思議な声だった。
ノアリス王女の口から発せられた声だとわかるのに、サズはその言葉を無視できなかった。
「許さない。ステラ様、あなたに私と同じ苦痛は与えない」
ステラ。その名前はサズどころか、リアさえ無視できないものだった。
ステラ・フィール・ラフィマギル。
自分たちの先祖である姫将軍の名が、どうして他国の王族の口から、今このタイミングで出てくるのか。
ノアリス王女のオッドアイ――――片方の赤い目に、どこか懐かしい魔力を感じたのはその時だった。
「なんで・・・」
その動揺を、見逃してくれる相手ではなかった。辛うじて身を反らしたが、肩に強い衝撃と、一拍遅れて痛み、そして熱が生まれる。
まずい、と冷や汗をかいた。
ノアリスは躊躇わず剣を振るってくる。油断した自分を罵りたくなった。
恐ろしいことに、ノアリスは足元に落ちていた剣を器用に蹴りあげて、再び二つの剣で攻めてきた。
首筋を狙われている、しかし回避が間に合わない。
ありふれた双剣が、死神の大鎌に見えた瞬間、影が横をすり抜けてノアリスの剣を受け流した。
「この馬鹿!」
後方からは、聞きなれた女の声。リアでもノアリスでもない。サズはノアリスとその影から距離をとり、後方を振り返った。
「ラミア!」
現れたのはマーメイドドレス姿のラミア。そして自分を庇ってくれたのは、歩く視覚毒ニーフェルだった。二人の眼差しはノアリスに向かうが、それぞれが意図的に感情を抑えるよう、サズを見ていた。
「イア、あんたって奴は! どこまで馬鹿なの!」
「そうよぅ。イアちゃんったら、もう一人の体じゃないんだからぁ。心配したぢゃないのよおぅ」
・・・・本当にロッドはどこへ消えた。助勢の面子が、癒しどころか悪夢を与えてくる。
「手伝ってくれ! そこの茶髪の女をつれていく!」
「無理よ」
ノアリスとニーフェルがにらみ合う中、ラミアが即答する。
「なんでだよ!」
思わず怒鳴ると、口を塞がれた。どうせなら止血してくれと思うが、直後の囁きで頭が冷える。
「あの化け物女に近接で挑むなんて自殺行為よ。殺す方法はあるけど、私やニーフェルじゃ、この距離は一方的に狩られるだけ。今はニーフェルの実力が分からないから膠着状態なのよ」
「・・・わかったよ」
なにせ自分がこの怪我だ。従うしかない。
「どうやって逃げるんだ」
「普通に走るのよ。この女は追ってこないわ」
忌々しげに言ったラミアを見つめる。確かにノアリスの実力とあの性格なら、わざわざ追わずとも次にあったとき殺せばいい、そう呑気に考えていそうだった。なにより、今の状態で自分たちを深追いし、リアを一人にするとは思えない。彼女を守るために、ノアリスは現れたように見えた。
そこまで考え、引っ掛かる。
(守る?)
本当に、どうしてリアはトロナイルの王宮にいるのだろう。もしや、この国に亡命していたのか。
「ニーフェル、行くわよ!」
サズの思案をよそに、ラミアが声を張った。同時にニーフェルが幻影を放つ。しかし結界のせいか、精度は低く見えた。
「走るわよん」
ひょい、とニーフェルの逞しい腕に抱えられ、吐きたいような泣きたいような気持ちになりながら、サズは仲間と共に撤退した。
頭のなかは、リアのことで一杯だった。




