悪魔の瞳
殺し屋の死体は処分し、気絶したロッドを隠し部屋に監禁したところで、ノアリスはため息をついた。
(重かったなあ)
いかに白兵戦に特化した鍛え方をしていても、所詮は女だ。むしろ、意識のない男二人を一人で運んだことを誉めてほしいと考えて、苦笑する。
(誰に誉めてほしいんだか)
脳裏に浮かぶのは、愛しい金色の恋人だ。もう、長らく顔も見ていない。しかし自業自得だと理解していた。
もう何もかも捨てたつもりだったのに、欲がでた。大きくなった弟に、生きて姉として会いたいという望みは、思った以上に強かったのだ。
しかし、王宮という場所に恋人を巻き込みたくなくて、一人でここまで来てしまった。きっと怒っているだろうし、悲しんでいる。そのことを思うと胸が切なく痛んだ。早くあの腕の中に帰って、優しい怒りを受け止めなければ。
時ならずうっとりと目を閉じていたノアリスだったが、通路をすり抜ける風の音で我に返る。
ああ、またか。
(地下からだ)
幼い頃、まだ浚われる前から、ノアリスはこの城の地下が嫌いだった。いや、それ以前にトロナイル王家が憎いのだ。自分自身の感情ではないと頭で理解しつつも、遺伝子に刻まれた魔女の恨みが、ノアリスを強く揺さぶる。
だから、城から離れた。可愛い弟を守るためには、庇護者たる父を見殺しにすることもできない。あの日セルガに冗談としか思えない条件を出したのも、半分は城を離れなければ自分が恨みに飲まれることを危惧してのことだった。もう半分は、普通の命乞いに意味がないと思ったから。
(運命だと思ったよ)
赤い月の夜だった。頭の奥から響く声。
ステラ様、ステラ様。
そう泣き叫んでいる誰かの声を鬱陶しく思いながらも、体は勝手に動いていた。
そして交わった視線の色に、惹き付けられて。
殺すべきだった侵入者を、初めて生かした。それが出会い。
(早く会いたいな)
甘美な初恋の思い手に浸っていた時だった。
ステラ様!!
「・・・っ」
かつてない強さで、その声がノアリスの体を巡った。
「なんなの、もう」
立っていることさえままならず、思わず膝をつく。視界が霞んで、瞼の裏に奇妙な光景が現れた。
(地下から離れていないせい? こんなの、あの時以来 )
父に連れられ、初めて王宮の地下に足を踏み入れた日以来の衝撃に、ノアリスは放心する。
(何を見せたいの)
諦めて受け入れよう。この城で【声】の影響力は強すぎる。ノアリスにとって、弟がまだ例の地下に行ったことがないのが、唯一の救いだった。
結界に阻まれ、いつもほど強い魔法は使えない。しかし、王族を守るための城で、その王族が自衛ひとつままならないのは笑えない冗談だ。そしてノアリスも、そんな間抜けではない。
(見てあげるよ)
眼帯の下の赤眼に意識を集中すれば、まるで適合したように、遠くの場景が鮮明な像となって脳に流れ込んでくる。
そして、ぎょっとした。
先ほど出会った少女が、謎の男に押し倒されている場面だったのだ。
(琥珀ちゃん!)
あれは【ステラ様】ではない。そんなことはわかっている。しかし無関係でもないと、既にノアリスは察していた。
初めて会ったのに、あんなにも懐かしく離れがたい気持ちになったのは、何も恋人と同じ帝国人だからではない。名を明かせぬと馬鹿正直に謝罪してきた彼女は、間違いなく【ステラ様】・・・いや、隣国ファディロディア帝国の伝説【最後の将軍】の血族だと、ノアリスは踏んでいる。
同じ血を引く自分の恋人と魔力の質が同じだったし、何より地上にいながら【声】は歓喜を伝えてきた。恋人と初めて会った時以上の強さで、彼女は直系の子孫なのだろうかと推測していたのだ。
その彼女が、何の抵抗もせず泣きながら男に組み敷かれている。その男は金髪で、おそらくは帝国人だろう。いや、今そんなことはどうでもいい。
早く助けに行かねば。そう思い場所を探れば、なんと自分の宮殿ではないか。二重の意味で許せず、ノアリスはロッドの監禁部屋をしっかり施錠し外側から封印の術をかけて、隠し通路から飛び出す。距離は遠くない。
(間に合って!)
+ + + +
リアは走った。まるで泥濘の上にいるように、地面を踏む感覚が覚束ない。それでも走った。
セレナが叫び、同時に目映い光を放ったのを背後に感じながら、決して振り向かずに。
(今はまだ、だめ!)
止まるな。そう自分を叱咤する。
セレナのいう通りだった。贖罪のために身を捧げても、それで全てが穏便に片付くわけではないのだ。リアの意思など気にせず肌を重ねようとした今のサズは、もう幼い自分が無邪気に慕った、優しいだけの少年ではない。
(いや、そんな特別に慈悲深い性格ではなかったけど、昔から!)
優しかったのは、リアに対してだけだったような気がする。他は路傍の石程度にしか、思っていなかった。だから、そんな彼に友人ができたと聞いたときは本当に驚いたのだ。そして、その相手はおそらく。
(ランティスもランティスよ!)
初めて会った時、おかしいとは思ったのだ。社交界からも離れて育ったリアの顔を知っているようだったし、素性や愛称もこちらが言うより先に口にしていた。今になって思うと、あれは動揺してボロが出たのかもしれない。
最後にチュニアールで会ったとき、彼は「帰ったら話したいことがある」と言っていた。もしかしたら、あれがサズのことなのかもしれない。彼はサズの生存について知っていたのだろうか?
(とにかく、今は)
捕まる訳にはいかない。
今ここで逃げきれなければ、次こそ誰の邪魔も入らない場所に連れ込まれ、この身は奪われる。それは女にとって何より恐ろしいことだった。
いや、もっと恐ろしいのは、その後だ。
愚かにも自分は、他に想う相手がいると告げてしまった。
あのサズが、その恋敵というべき男を見逃すはずがない。彼にはもともと好戦的な面がある。もはや気にする体裁などない今、相手が誰でも平気で殺しにかかるかもしれない。
そこまで考え、リアは気づく。
(使節団には帰れない!)
なにせあの一団、男女比率の差が激しい。女は自分とユーナ、ティフォールのみだ。他は全員男。サズのことだ、紛らわしいから全員の首かっ飛ばそうとか言い出しかねない。なにせ求愛の言葉が「一緒に死のう」や「俺が殺してやるから」という極端な男なのだから。それに惚れていた自分も自分だが。
そもそも、いつ頃から自分を尾行してきていたのか。セブンやアラン、イリヤと阿室で話していた時だろうか。だったらあの三人は既に目をつけられている。もちろん彼らも鍛えているが、かつて若くして騎士団長を任されていたサズの実力を思うと血の気が引く。
リアは迷った。いっそここで捕まろうか。いや、それは駄目だ。セレナに言われた通りろくな結末にならない上、おそらく自分も耐えられない。きっと死にたくなる。
諦めないでと、セレナは言った。
(今は走れ、あたしの足)
ジャスに恋している。そして、仲間たちとの日々を愛している。そのどちらも大切で、リアは絶対に捨てられない。
サズに償うにしても、肉体関係なんて心がついていかない。ジャスにも仲間にも、合わせる顔がなくなってしまう。
ここで捕まる訳にはいかないと決意新たに足を進めるリアだったが、考え事をしていたのが悪かった。
「追い付いた」
え、と振り向けば、同じく息切れしているサズが、背後に迫っていた。こんな時だというのに、思わず舌打ちしたくなる。本当に、この小さな体は! 全力で走っているというのに、その一歩が短くて嫌になる!
「なんで逃げるんだ!」
本気で不思議そうな声が、おぞましい。彼にとってリアを手にいれるのは確定しているのだろうか。拒絶されるなど考えてもいないらしい。いや、もしかしなくても、リアの気持ちなど今はどうでもいいのかもしれない。その態度に背筋が冷えた。
「逃げるに、決まってんでしょお! 大体、セレナさんは、どうしたのよぉ!」
自分を奮いたたせるためにも、大声で叫んだ。思いの外息苦しい。限界が近いようだ。
「お前の、友達なら、光ってすぐ、消えた!」
同じく走りながら、律儀にも後方でサズが応えた。状況は深刻であるはずなのに、なぜ自分たちはこんな鬼ごっこのような真似をしているのだろうと、頭の隅で考える。
鬼ごっこ――――チュニアールに行くまで知らなかった。やる相手もいなかった。そんなことをぼんやり思いながら叫ぶ。
「消えたぁ!? あんた、あたしの、友達に! なにしたのよ!」
正直サズの返答は予想がついていたが、やはり聞き捨てることはできなかった。
(セレナさん)
わかっている。そもそも彼女は、十年前に亡くなっているのだから。寧ろ、あるはずのない出会いと再会が奇跡だった。
「なにもしてない! ていうか停まれ、早く行くぞ」
「知らない、嫌!」
咄嗟の売り言葉に買い言葉だったが、それがよくなかった。
「なんで嫌なんだ?」
遊ばれていたのだと気づいたのは、再び腕の中に閉じ込められてからだった。
「今は他に好きな奴がいてもいいよ。また俺をみてくれるようになるはずだって信じてるからな」
後ろから抱き締められ、こめかみに唇を押し付けられる。深い愛情を示してくれているのに、もうリアは受け入れることができないのだ。
「放して!」
「駄目だ。大体、どうしてお前がトロナイルの王宮にいるんだ?」
「そっちこそ、なんでこんなところにいるのよ!」
腕から抜け出そうともがきながら、叫ぶ。上空に待機しているリーシャを呼ぼうと思った瞬間だった。
サズの身が強ばり、何か重い硬いものが擦れたような高い音がしたと思ったら、ほぼ同時に金属同士のぶつかる音が鼓膜を叩く。サズからの拘束が緩み、全力で暴れていたリアは見事に頭から、床に転がった。
ごつん、と打ち付けたが衝撃のみで痛みはない。石頭に感謝しつつ身を起こす。
そして慌てて振り向いた光景に、唖然とした。
「えっ」
「あ、琥珀ちゃん。大丈夫?」
優艶そのものの、麗しい姫君。ジャスの姉でもあるひと。
「ノアリス殿下!?」
双剣を扇のように翻して優しく笑う王女に、リアはしばし放心した。




