氷の記憶
冬の夜空は、星が綺麗に見えるから好きだった。星座を探し、それに纏わる神話の内容を語り合ったりもした。
(懐かしいな)
しかしそれは、三年前までのことだ。一番大切な人と出会った冬は、たくさんの思い出に彩られている。だからこそ、冷たい冬が大嫌いになった。
(あの日も、月はなかった)
羽目殺し窓の向こう、音も無く静かに降り積もる白い雪。
(どうして、ひとりで逝ったの)
涙は流れず、代わりにリアは小さなため息を零す。
「うそつき」
共に生きると言ったくせに。本当の絶望が現れたら、殺してくれると大口を叩いて。
“あいつ”がいたから自分は笑っていられた。隣にいるのが当然だと思っていたから、その温もりが失われるまで、彼の大きさに気がつかなかった。
どうしてもっと早く、素直になれなかったのだろう。
何度も「好きだ」と笑ってくれた。あの優しい少年。
出会わなければ、きっと自分は死んでいた。幼くして自ら命を絶っていただろう。
実の母を死に追いやった、忌み子として。
『まだ若いのに、可哀想だわ』
『ギルバート様も大変よね。最愛の奥様が命がけで産んだというのに、跡継ぎにはなれない女児だなんて』
『全くだわ。それをあの子、母君のお見舞いもしないのよ。誰のせいでアルナ様が倒れたか分かっていないのかしら』
『子供なんだから仕様がないわよ』
屋敷の片隅で繰り広げられる、侍女たちの低俗な噂話。幼い公爵令嬢には理解できないとでも思っているのか、彼女たちはリア――レリアル・ウルフラーナ・ストレイの居室近くで自らの主を蔑む内容の会話をしている。
見舞いに行けば、母に怒鳴られた。お前の顔など見たくない。そうはっきりと言われた時は泣くに泣けなかった。
『どうして貴女は……っ』
女なんかに生まれたの。どうして。
『そんな力を持ってるの!?』
リアの魔力は強大すぎた。それは身ごもった母体の生命を蝕むほどに。
『ごめんなさい』
『謝らないで頂戴!』
『ごめんなさい、ゆるしてください……お母様っ』
『黙れと言ってるでしょう!!』
涙に濡れた頬に、平手が飛んできた。
『この疫病神っ』
『奥様、それ以上はお体に障ります!!』
騒ぎに気づいた使用人たちが、母アルナを取り押さえるべく室内に入って来る。
『この子を私の視界に入れないで!』
『奥様っ』
この時リアは理解した。自分は呼吸することさえ許されない罪な命なのだと。
『生まれてきて、本当にごめんなさい』
それから程なく、母は逝った。リアが五歳になる頃だった。
父はそのすぐ後に再婚し、すぐ継母は懐妊した。生まれてきたのは、公爵家念願の男の子。
リアの居場所は、もうどこにも無かった。
いや、最初からそんなものは存在しなかったのかもしれない。
産みの母にまで疎まれる生命に、価値なんてないのだから。
これが、リアの持つ一番古い記憶。
忘れることも叶わない、母が遺した嫌悪の眼差し、否定の言葉。
(ごめんなさい)
帝国皇帝の弟であるストレイ公爵家当主の一人娘。
理知的な鳶色の双眸に、柔らかな光沢を持つ長い栗色の髪。
優れた容姿に誰もが認める家柄。万人が羨む全てを生まれながらに持つ神の愛娘は、冬の孤独に震えていた。
『なにやってるんだ?』
そんな少女の前に一人の少年が現れたのは、彼女の母アルナの死から二年後のこと。
『寂しいのか?』
『知らない』
夜の闇に怯え戸惑う二人の出会いが、遠い未来で悲劇を呼ぶことなど、今の彼らには知る由もなかった。