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長い長い旅の始まり




 決して願った出会いではなかった。寧ろ交わる筈のない縁だったのに、運命の女神はなんと残酷なのだろう。

 よく笑う娘だった。喜怒哀楽が明確で猪突猛進。イノシシ娘とからかえば、真っ赤になって怒っては眩暈を起こして倒れていた。

 そう、彼女は気性の割に、あまり体が丈夫ではなかった。

 たまたま御忍びで探索していた城下町で出会った自分を、彼女は随分と気に入ってくれた。

 旅の剣士様、お話を聞かせて。

 きらきらした目で乞われるのは、思いの外気分がいい。

 帰るべき場所があるのに、いつの間にか彼女を守り、共に生きる騎士になりたいと自分が望んでいることに気づき、愕然としたのを覚えている。身分が高い彼女とは結ばれなくても、あの柔らかな花の為の剣になれるなら、全てを捨ててもいいと。誰に憐れまれても、自分にとっては何より素晴らしい人生に思えたから。

 しかし、その願いは叶わなかった。

 たった一夜で、彼女の国が滅んだからだ。

 壮麗な宮殿が宙に浮き、大地が砕け海に飲み込まれる。

 あんなに美しい国だったのに。

 彼女と出会った国だったのに。

 生きて死にたい国だったのに。








 夢を見ているのだと思いたかった。なのに、現実は変わらず残酷で、発狂したくなるほど連綿と続いていく。

「お、目が覚めたか」

 聞き覚えのない男の声だった。パチパチと火の爆ぜる音が聞こえる。遠くから響くのは獣の鳴き声だろうか。冷たい空気に鳥肌が立つ。

「・・・おい、泣いてるのか?」

 目が溶けそうなほど熱い。どうして視界がぼやけるのか不思議だったが、どうやら自分は泣いているらしかった。

「ここ、は?」

 掠れた声を絞り出す。ああ、どうして自分は生きているのだろう。この事実が疎ましくてならなかった。

「帝国西部の大森林だよ。お前さん、大丈夫か?」

 男の声に案じる響きが混じる。目覚めるなり声も無く泣き始めたと思えば、今の自分がどこにいるかも把握していない。怪しい人間を拾ってしまったと後悔しているのかもしれなかった。

 しかし、そんな予想は、すぐ頭の奥に消える。帝国?

「ていこく・・・?」

「お、おう。知ってるだろうよ、大陸の覇者、天下のファディロディア大帝国だ」

 偉ぶり誇るというよりは、揶揄や皮肉を多分に含んだ声音だった。しかし、やはりそれはどうでもいい。男の言葉で、とうとう理解してしまう。

「ライカビア帝国、じゃなくて?」

「はあ!?」

 素っ頓狂な声が返ってきて、落胆と同時に恐怖する。

 やめてくれ、言わないでくれ一一。

「ライカビア帝国って・・・お前さん。そりゃあ紀元前に滅んだ国じゃないか」

 ほんとに大丈夫か?

 いよいよ心配そうな男の言葉に絶望する。

 ライカビア帝国一一“彼女”の国の仇敵だった。実り豊かな大地を奪おうと侵略し、かつては“彼女”の齢の近い叔母である女王を捕らえ、辱しめたこともある。しかし強かな女王はただでは転ばず、予てから密かに通じていた反皇帝派閥と水面下で交渉を重ね、脱獄後に自身の救出のため皇都に潜り込んでいた部下を率い、皇帝の首を跳ねて凱旋した。

 しかし一一今はそれさえ、どうでもいい。

 紀元前だと、男は断言した。遠い過去の話だと。

「じゃあ、エメリヤ王国は?」

「・・・おいおい」

 男は、いよいよ呻いた。どこか気の毒そうに告げる。

「そりゃ大昔に一夜で滅んだっつう幻の楽園の話か? まあ中央大陸じゃ有名なお伽噺だがよ」

 違う。そう叫びたかった。

 お伽噺なんかじゃない。彼らは確かに存在したのだと。強くたくましく、この世界を生きていた。

(ルフィシャーズ女王陛下、ヴィータ将軍、ボルツ導師)

 得体の知れない自分を、温かく迎え入れてくれた人々。

 何より。

(ソフィア・・・!!)

 たった一人の少女さえ救えなかった事実に、セティード・オーウェン・ラルスは、とうとう声を上げて泣いた。

 男は何も言わなかった。名も知らぬ初対面の相手に泣き叫ぶ姿を晒したことは、自分にとって恥ずべき出来事の筈なのだが、声も枯れ果てそうな頃に見上げた黎明の空は妙に心地よくて、ようやく冷静さを取り戻しても、さほど大したことではないように思えた。

「佳い朝焼けだな」

 冬の冷たい空気が気持ち良い。

 そう、今は冬だった。

「・・・うん」

 ここにきて、ようやく身を起こした。今更だが、随分と面倒見の良い男に拾われたものだと、自分の強運に半ば呆れる。

 真冬の夜の森で、自己紹介もせず泣くばかりの自分を、文句も言わず火に当たらせてくれた。

「まだ、礼も言ってなかった」

「ん?」

「助けてくれてありがとう。おれはセト。セティード・オーウェン・ラルス。あなたの名前を聞いてもいいだろうか」

 深々と頭を下げて感謝の意を示す。焚き火を挟んで向かい合う男は、目を丸くしていた。

 その反応を見ながら、無礼にならない程度に観察させてもらう。

 年齢は四十過ぎだろうか。いや、それよりは若いようにも見える。成人男性というのにはまず間違いないのだが、屈託無く変わる表情や声音に反して、妙に堂々とした貫禄がある男だった。

「お、おう。俺はジャック・ロマノフだ」

「分かりました。それで、ロマノフ殿」

「いやいやいや、普通に呼んでくれや。なんだ殿って。むずかゆいったらありゃしねぇな」

「ですが、目上の方にそう砕けた態度は」

 控えめに反論すると、ジャックが硬直した。何もおかしなことは言っていないはずだと密かに戸惑っていると、やけに切実な一瞥が返る。

「セトよ。ひとつ聞きてえ」

「はい」

「お前さん、齢いくつだ?」

「? 二十歳ですが」

 何故そんなことを疑問に思いながら、しかし素直に答える。すると、ジャックはなんとも重いため息をついた。

「そうか、確かに微妙に()()ってやつか」

「ロマノフ殿?」

「だからやめろっての。それから、俺いくつに見える?」

 セトは内心あせった。女に年齢を聞くのが男として自滅行為だとは勿論知っているが、同性間については考えたこともない。しかし相手は一晩世話になった相手だ。失言は許されない。

 正直、最初は四十代かと思ったが、ころころ変わる表情を隠す様子もない邪気の無さは、もう少し若いのではないかという考えを持つには十分だった。ややしてセトは小声で答える。

「三十八・・・でしょうか」

「ど阿呆!!」

 急に怒鳴られて目を剥く。するとジャックは苦々しげに口を開いた。

「に・じゅ・う・に・さ・い・だ!」

 一拍の沈黙を置いて、セトは立ち上がった。

「うそだ!」

 こんなに老けた男が、たったの二歳上だなんて信じられない。気のいい男だと思っていたのに、途端セトのなかで胡散臭い変人という印象が芽を出した。

「なにがだ!」

「無理がある! 髭似合いすぎだろ!」

「昔っから老け顔なんだよ! つーかお前、口調すっかり戻ってんじゃねぇか!」

「驚かすからだ! よくも、そんな見え見えの嘘を!」

「だから嘘じゃねえって! ・・・ああ、いや。それはいい。もう諦めてる」

 ふっと不自然に目を反らすジャックに、セトつい呟く。

「諦めてるならあんな反応はしないんじゃ・・・」

「お前ってやつは! どこのボンボンかと思ったら、存外口が悪いな」

 呆れるようにため息をつくと、ジャックは気を取り直したように言った。

「さっき、何か聞きかけてたな?」

「あ・・・ああ。おれを見つけてくれた状態を教えてほしいんだけど」

 ソフィアという少女が夢ではないと、救いがあった。

 それは、自分が今ここにいるということ。

「見つけた状態ねぇ。知り合いの家に行くから、土産がてらクマを狩ってたんだが、そしたら空から人影が降ってきた。・・それこそ信じられねぇだろうが、お前さんだ、セト」 

「いや、信じる。ありがとう」

 普通なら有り得ない状態だ。だからこそ確信できる。自分が出会った少女は夢ではない。

「・・・俺の年齢は?」

「それは信じたくない」

「なんでだよ!」

 内心しつこいなとセトは呆れたが、確かに話す度に思う。嫌味や皮肉に正直な反応を示すのは、外見にそぐわぬ青臭さが感じられた。

「あーもう。そりゃいいんだよ。お前さん、天から落ちた善き神というわけでもあるめぇ。気配が人間のそれだ。どっから来た?」

 がしがし頭を掻きながら問うジャックだが、その目には案じる色が濃い。胡散臭い男だが、恐らくお人好しに分類される性格なのだろう。自分が怪しい人間だったら、彼は確実に馬鹿をみる。

「確か、リトレイズの首都にいました」

「・・・は!?」

 正直に答えると、またしてもジャックが目を丸くした。その反応をみて、まあそうだよなと苦笑いする。

「・・・長い夢だと思ったんだけど、目が醒めて遠く離れた異国の地にいるというのは、おれにとって嬉しい誤算だ」

「はあ?」

 本当に夢なら、きっとリトレイズの首都で目を覚ましたはずだ。それが、かつてのライカビア帝国があった場所に落とされている。

 自分は確かに時を超えて彼女(ソフィア)に出逢い、恋をした。

 不思議なものだと思う。あの国で自分は半年以上を過ごしたはずなのに、現実世界ではほんの一夜しか経過していないようだ。

「いやいや、お前さんに何か面妖な事情があるのは分かっちゃいたが、リトレイズだって? 大陸の反対側じゃねぇか」

「うん・・・帰国には骨が折れそうだ」

 ここがファディロディア帝国の西部だとするなら、このまま帝国を横断してトロナイル王国を抜けなければならないが、なにせこの二つの国は各々が広大な国土を誇っている。移動にかかる時間を考えると眩暈がした。

(叔父上たち、心配してるだろうな)

 ジャックに拾われた経緯は理解したが、首都で意識を失ってあの時代に飛ばされた自分は、当時の状況を知らない。一夜にして大陸の反対側に移動したなど考えもしないだろうから、叔父も今はまだ呑気に構えていてくれるはずだ。しかし、あと数日で捜索が始まるのは容易に想像できる。それに無事に帰国したとして、まさか叔父に本当のことを打ち明けるわけにもいかない。何かと問題が多いと苦笑した。

「んだなぁ。・・・まあ、とりあえず今日は俺と来いよ。旅支度が必要だろ」

 セトが身に付けているのは衣類と剣のみだ。全身を確認し、そこでようやく、セトは自分の服のポケットに金があることに気づく。

(・・・つくづく変なひとだ)

 我ながら荒んだ考えだが、剣も金も盗まなかったジャックが、とんでもない馬鹿に思えてくる。恩義を感じる一方で、これは間違いなく損をする男だと呆れてしまった。

「そこまで世話になるのは、気が引ける」

「あほ抜かせ。土地勘もない奴こんな森の奥で見捨てるなんざ、出来るわけねぇだろうが」

 舌打ち混じりに言うと、ジャックはゆっくり立ち上がった。その所作がますます年寄り臭いのだが、もう口には出さず、大きな背中を追って歩き始めた。

「ところで、狩ってたという割にはクマどころか何の獲物も見当たらないけど、もしかしておれが邪魔したんじゃないか?」

 獣道を躊躇い無く進むジャックの後ろ姿は頼もしく、幾分か安堵してセトは声をかける。先程は強がって見せたが、異国の地に独りでは、流石に絶望していたかもしれない。

 そんなセトの眼差しに気づいているのかいないのか、ジャックが振り向かずに答える。

「あん? あー・・・いや、取り逃がしたんだよ。我ながら、まだまだ未熟者だよ。なんせ若いからな!」

 狩りに失敗したのは自己責任だと断言する彼が、こちらを気づかってくれているのは明白だった。その心遣いに感謝する一方で、最後の一言には正直しつこいなぁと呆れつつ、ならばとセトは提案した。

「次クマに出くわしたら、その時は手伝うよ。こう見えて剣の腕は立つんだ」

「お、そいつは嬉しいねぇ。俺は魔術師なんだが、正直いうと狩りには向いてねぇからよ」

 セトは首を傾げた。

「じゃあ、なんで狩りなんて。というか、この真冬になんでクマが徘徊してるんだ?」

 今更だと自分でも思う。落ち着いたつもりだったが、存外まだ混乱しているのかもしれなかった。

「冬眠に失敗する動物もいるとは聞くけど、そういう類いか?」

 セトが思案顔で訊ねると、ジャックは肩を竦めたようだった。後ろからではわかりにくい上に、肯定とも否定とも取れる態度で困惑するが、すぐにジャックは答えてくれた。

「正解だよ。おかげで畑や家畜の被害が洒落にならんと、近所の村の連中が困っとるんだ。・・・この帝国は機械の国だ。だが、進んだ技術の代償に、自然環境が狂い始めてる。精霊や神々は力を失い、挙げ句に人への恨み怒りから魔なるものへ変じていっちまうんだからよ」

 お上は下々の暮らしなんでどうでもいいんだろうが。

 そのいい様に、セトは苦笑いした。やはりというか、このジャックという男は帝国への嫌悪が強いようだった。

「ジャックは、帝国人じゃないんだな?」

「おう。各地を旅する流浪の一族の生まれでな、だから色んな土地を見てきたんだが・・・この国は駄目だな。恐ろしいとも言える。善き神々からも力を奪っている」

 千年帝国が聞いて呆れるぜと吐き捨てる。

「えっと・・・もしかしてジャックは、精霊や神々というものが、目に見えているのか?」

 セトは思いきって聞いた。

「誤解しないでほしい。おれは魔術にも魔法にも才を持たないうえ、体内の魔力も平均以下なんだ。だから、そういう神秘の存在を、身近に感じられなくて。決して疑ってるんじゃない。ただ・・・」

 言葉を濁すと、ジャックは目を瞬かせた。

「そういや、お前さんエメリヤがどうこう言ってたな? 確か、神々に愛された聖女が築いた楽園、だったか」

「ああ」

「お前さんの話は家についてから聞くとして。・・・見えてるよ。子供の頃ほど明確じゃねぇがな。随分ぼやけたもんだ」

 それは老眼というやつではないかと思ったが、自称二十代の件が再開されるのが容易に想像できたため、セトは余計な言葉を飲み込んだ。

「そっか・・・じゃあ、女神は見たことある?」

「いや、そこまで高位の神々はこの地上に降り立たれないだろう。俺は神々よりも精霊と相性がいいらしい。すまんが、女神については教えられることはないな」

「とんでもない。ありがとう」

 ざくざく歩き続けて、昼が過ぎた頃には既に森を抜けていた。

「結構、体力あるな」

「いや。ジャックの方こそ、魔導師なのに異常な筋肉質だろう」

 自らの魔法魔術を尊ぶ彼らは、総じて肉体が脆弱なものだとばかり思っていたが、寧ろこのジャックの場合は、どこの屈強な軍人だと言いたくなるほど鍛えられた体つきをしている。

「まあ、あちこち流れ続けてりゃ、色々あるわな」

「・・・もしかして、クマ狩りって素手で挑んでた?」

「おう。あの森は小さき神々が未だ数多くおわす特別な場所だ。魔力を行使して騒がせるのは本意じゃないからな、仕方ないから素手で」

 どうりで武器の一つも見当たらないと思ったら、とんだ野生児だ。それとも彼からすればクマも魚も大差はないのだろうか。

「・・・ジャックってすごいな?」

「はは。よせやい」

 嫌味にも気づかない彼は、間違いなく単純馬鹿と称される類いの男だった。

「ところで、今から行くのは、例の知り合いの家?」

「おお。・・・あ、そうだ」

「?」

 急に立ち止まって振り返えると、ジャックは妙に切実な顔で言った。

「惚れるなよ?」

「・・・初めてあなたに親近感が湧いた」

 頷きながら、つい笑ってしまった。渋い外見とは裏腹な必死さ。ひょっとしたら、本当に自分と歳が近いのかもしれない。

「大丈夫だよ。俺も心に決めた(ひと)がいるから」

 驚くほど滑らかに、その言葉が出てきた。

 そうだ、心に決めたのだ。彼女に生涯を捧げると。

(とりあえず今は、現状打破で)

 うん。自分に対して頷いていると、向かい合うジャックが安堵したように笑った。

「そりゃ助かるよ。あと、驚かんでくれな」

「え?」

「いや、会えばわかる」

 再び歩き始めるジャックの背中を見て、このクマ男にそこまで言わせるとは一体どんな女性なのかと、ひそかに楽しみを覚えた。






 森から離れて渓谷に入った。かつてアラベル王国だった辺りだとジャックに教えられたセトは、興味深く周囲を見渡す。

「えっと・・・確か中世に活躍した“戦場の歌姫”レオナ・ヴェランチェの出身国だったよな?」

「そうそう。何十年も前に帝国に併呑されて、今は旧アラベル自治区だが」

「旧?」

「お上が名前を取り上げちまってるんだよ。帝国が決めた新たな名前はあるが、この辺りの人間は誰も認めちゃいねぇ」

「確か流民がいるって聞いたけど」

「ああ。もともと神々を崇め精霊と共に暮らす信心深い民族だったからな、機械や科学による発展を推し進める帝国とは、端から反りが合わん。南下してアルポロメ公国を経由し、トロナイルへ逃れた者は多い」

 異国の事情に明るくないセトは、意外と博識なジャックに尊敬の念を抱いた。口調が粗野で胡散臭い風体だが、知識は豊富で仁に厚く面倒見もよい。魔導師でありながら屈強な肉体まで持っている。本人には言えないが、恐らくジャックは異性よりも同性に好かれる類いの男だった。

「希少魔法“メロディア”発祥の地なんだよな?」

「ああ。音を尊ぶ彼らは万物に神を見た。識字率は低かったそうだが、だからこそ形に残らぬ一子相伝の魔法が生まれたんだろう。昔は希少でもなんでもなかった。帝国は浅はかにも領土目当てに、無形文化を戦争という最悪の形で奪ったんだ」

「語り部の国と呼ばれたのはその為か」

「だろうな。まったく・・・今もアラベル王国が健在であったなら、あの森もあそこまで弱りはしなかったろうに」

 悔しそうな声だった。何か言おうと口を開きかけたが、その時ジャックが立ち止まった。

「見えたぞ」

 指差されたものを見て、セトは息を呑んだ。

 構造は古く小さいが、植物に侵食されている様がどこか神秘的な印象を受ける。

「城・・・?」

「アラベル王家の墓だよ。最後の王もここに眠っている」

「城が墓なのか?」

「いや、庭が墓になってる。住めるのは墓守の一族だけだ。彼らは数年おきの交代制で、役目を次の世代へ伝えていく」

 それがつまり、ジャックの意中の女というわけなのだろう。いよいよだと期待する反面、これから世話になる相手なのだからと緊張もした。

 しかし城に入った二人を出迎えたのは一一。

 なんと噂のクマだった。




 離れた所で男の「げえっ」という叫び声がして、女はつと顔をあげる。せっせと内職に励んでいたのたが、どうやら来客(・・)のようだ。いつも通りに魔法を使い、広間の方へ進む。

 しかし、そこにいたのは見知った男だった。

「ジャックさん! ・・・と?」





 女の声が聞こえた気がして、セトは辺りを窺った。しかし誰もいない。妙だな、と思いながらクマから剣を引き抜いた。

「お前さん・・・それ、腕が立つなんて次元じゃなかろうよ」

「そう?」

 慣れた手つきで剣を振って血を払う。後で布でも借りて拭いてやりたいなと思いながら、剣を鞘に納めたセトは微笑んだ。

「少しは役に立てたかな」

「充分だっつの。すげぇな、俺の出る幕が全く無かった」

「ああ・・・うん。さすがに素手は危ないと思うから」

 魔導師でありながらクマ相手に徒手空拳で挑むなど正気の沙汰ではない。それで怪我でもしたら、笑い話にもならなかった。

「なんにせよ助かったぜ。このクマ、一晩でこんな所まで移動しやがって・・・いや、別の個体か?」

「冬眠に失敗したのが他にもいるなら安心できないな。それに、彼らの飢えが慢性的なものになれば、魔に転じる恐れもあるんじゃ?」

「そうさなぁ。確かに、この地では否定出来んが」

 ジャックと二人で唸った時だった。


「ジャックさん、こちらの方は・・・?」


 今度は随分近くから声がした。

 しかし、周囲には何の人影も見当たらない。気配も感じられないからこそ、セトは剣の柄に手を伸ばし、いつでも抜ける状態でジャックを見た。

「知ってる声か?」

「おう。言ったろ、驚くなって」

「? ああ」

 つまり声の主は例の女墓守なのか。しかし、一体どこから?

 警戒から未だに剣の柄を離せないセトの前に、その者は音もなく現れた。

 ごく普通の麦わら帽子。太陽と土の臭い。日差しで色褪せ傷んだリボンと花飾りが、申し訳程度に性別を主張している。

「こっここここここんにちは!」

「・・・ジャック?」

 セトは麦わら帽子をじっと見つめながら、傍らの男に声をかける。

「帽子が喋ってるんだけど。しかも宙に浮いてるし」

 思わず半目になるが、背後のジャックはつまらなそうに言う。

「なんでぇ。もっと驚いたり、他に反応はねーのかよ」

「いや、面妖なものにはちょっと、もう色々とご縁がありましてと言うか」

 時空を超えて出逢った古代の姫君と恋に落ちた自分も、大概にして奇異な存在だと理解しつつ、セトは苦笑いする。

「この帽子の声の女性が、ジャックの知り合いなのか?」

「おう。キーアってんだ。恥ずかしがり屋で滅多に姿を見せんが、素顔は大層な美女なんだぞ」

「へぇ」

 そうなのか。呑気に呟き振り向くと、宙に浮いた帽子がプルプル震えていた。

(身悶えしてる・・・?)

 だが察しはついた。これは魔法の一種なのだろう。墓という場所を思えば、一歩間違えば幽霊扱いされることだろうが、そうやって不気味がられる方が墓を守れるのかもしれない。たとえキーアの意図がそこになくても。

 打ち震える帽子(キーア)と、それを観察するセトに笑顔を向けながら、ジャックは高らかに宣言した。

「さぁて、今日はクマ鍋だ!」

 途端、男二人の腹が豪快に鳴った。流石に朝から歩きづめで、昼はジャックの保存食で簡単に済ませた程度だったので、そろそろ空腹は限界だった。







 またしても一晩世話になるセトは、昨夜と異なり自分から何か役割をくれるよう申し出た。本当に、ジャックに見つけてもらえたのは幸運だとしみじみする。

 そのジャックから、「だったら解体したクマの調理を頼む」と言われ、肉は串に刺して焼き、脂の多い部位は根菜類と共にスープにした。残りの肉は保存食にできるよう麦藁帽子(キーア)が加工してくれている。ジャックは生皮をなめしてくると言ってどこかへ消えた。

 二人が調理場と繋がった食堂に顔を出したのは、ちょうど食事の支度が整った頃だった。

「おう、なんだセト。お前は万能か?」

「学校で習ったんだよ。出身はリトレイズの首都だけど、国がもともと山岳地帯のガストロイヤ連邦の一部だったから、山でのもしもの時に備える教育が残ってるんだ」

 正直セトも、まさか実際に役立つ日が来るとは思ってもみなかった。

「そうなのか。・・・んー! いい匂いだな。なぁ、キーア?」

「はい!」

 相変わらず目視可能なのは麦藁帽子だけなのだが、声は弾んでいた。一晩世話になる身として、最低限のことはできただろうか?

「えっと、キーアさん」

 目印の麦藁帽子に向かい合う。

「改めて。一晩ご厄介になります。セティード・オーウェン・ラルスです」

「えっ・・・ええと! 私はキーア! キーア・マフロイナです。アラベル王家の墓地を代々御守り奉る一族の者です」

 やたらと早口だったが、内容は丁寧な自己紹介だ。セトは微笑む。

「私のことはセトとお呼びください」

 キーアは姿が見えないので、年齢も推察できない。だが、声の調子からまだ若いのではないか、とは思う。

「は、はい。私も・・・えっと」

 またしても帽子がぶるぶる揺れる。すると小声だったが、「キーアでいいです」と聞こえた。

「おーい、そろそろ食おうぜ」

 ジャックの呑気な声を合図に食事が始まった。火が通ったクマの肉は硬いが、香草を燻したおかげか臭みは気にならない。味付けとして塩を振ってあったが、キーアがこそこそ出してきてくれた保存調味料を付けたら、もう塩では満足できなくなってしまう。スープにはクマの旨味がたっぷり出ており、野菜にまで味がよく染みていた。

 ちなみに、少し興味を抱いて観察していたキーアは、音もなく食していた。食器が動く様は普通なのだが、相変わらず姿が見えない。そして口に含まれたらしいものは、まるで手品のように消えるのだ。

 魔法ではなく、生まれついての透明人間なのではないかと、下らないことを思ってしまう。しかしジャックが彼女の素顔について、大層な美人だと豪語していた。つまり見たことがあるのだろう。

 姿が透明という点を除けば、気配りもあって礼儀正しく親切な淑女であるキーアと、年齢詐称疑惑を持ちながらも博識で懐深く頼もしいジャック。

 並べてみれば一一初対面の奇抜な印象も含めて、よく似合う縁組みとはいえないだろうか。

 ジャックはこの姿なき美女に惚れているというし、自分の恋路が前途多難どころか、ほぼ前途断絶状態な分、せめて世話になった二人の仲をどうにか取り持って、幸せになってほしい。

 クマの串焼きを頬張りながら、静かにそう思った。

 食事も終わりに差し掛かり、世間話に花を咲かせる頃には、既に月が昇る時刻だった。

「あー! 食った食った!」

 豪快に腕と背を伸ばすと、ジャックはそのまま立ち上がり、セトを同じ階の湯室へ案内した。片付けはするから先に入れという。実はジャックもこの城に住んでいるのではないかと思いながら、口にしたのは別の言葉だった。

「いや、でもおれは厄介になる身で」

「料理から片付けまで客にやらせるなんざ、それこそ墓の下のアラベルの王様が目ぇ尖らせるだろ」

「・・・じゃあキーアは?」

 家主一一というのは微妙だが、彼女より先に湯を使うのは気が引ける。しかし、ジャックはあっさり言った。

「女風呂はこの上の階だよ。だから遠慮することは何もねえ。ついでいうと、あいつもお前に少しは寛いでほしいってよ」

「・・・じゃあ、ありがたく」

「おうよ」

 いつかジャックとキーアがリトレイズに来たならば、その時はしっかり恩返しすると密かに誓う。

「あ、お二人とも!」

 ふよふよ不気味に浮き上がる麦藁帽子が近づいてきた。帽子より下の位置にも何か浮いている。運んできたのだろうか。

「間に合ってよかった。セトさん、これ、お着替えです。お部屋はこの階の客間をご用意しますので」

「えっ!? いや、おれは別にさっきの食堂でも」

 さすがに悪いと遠慮するが、ジャックに小突かれ、更にキーアまで強引に着替えを押し付けてくる。

「もてなされるのが客の仕事だ」

「なのです!」

 ぐいぐいと湯室に追いたてられ、やはりあの二人はお似合いなのではないかと思った。





 寒い冬の夜に入る風呂はセトを大層癒してくれた。全くもって有り難いと感謝しつつ、食堂で片付けを終えて一人酒を決め込んでいたジャックに、湯室が空いたことを伝える。

「ジャック、キーアは? 休む前にもう一度お礼を言いたいんだけど、まだ上がってない?」

「いや、さっき顔出したぞ。たぶん中庭だな」

「わかった」

 おやすみ、と軽く頷いて食堂を出る。中庭に行くなら、1階へ降りなければならない。他に住人がいないと分かっていても、夜遅い時刻であることと、ここが墓所であることを思えば、自然と足音は静かになる。

 そっと中庭に続く扉を開けた。明るい月が夜を照らす。

「・・・?」

 墓所というより、霊園だろうか。

 昨晩目覚めた森を思い出す神秘的な空間。外から見たときは古城のような景観に目を奪われたが、恐らくこの庭が大半の面積を占めている。

 歴代の王が眠る花園の中心に、一人の女が立っていた。

 振り返ったその姿に、心底驚く。

 月光を弾く白い肌、濃い影を落とす睫毛、しなやかな筋肉が窺える肢体。長く豊かな髪が寒風に煽られ、流麗な曲線を描いていた。

 一一清楚で優美な、百合の花。

 ぽかんと絶句するセトに、女も同じく顎を落とす。そして慌てて頭上に手を伸ばすが、途端「あっ、ない!?」と叫ぶ。

 その仕草をみて、セトは思わず笑ってしまった。

「風呂上がりだからだろ、キーア」

 呼び掛けながら、成る程と納得する。あのジャックが絶賛するのも頷ける美貌だった。派手さよりも神秘的な印象が強いこの美女は確かに、自然を愛するジャックの好みのど真ん中なのだろう。

「やっと会えたな?」

「ご・・・ごめんなさい。昔から、私の顔を見た人は凄く驚いたり、赤くなったり、急に怖くなったりして・・・だから、最近は墓守の仕事以外は、魔法で姿を隠してて」

 これほど整った造形美ならば、大抵の相手は絶句する。男なら一目惚れもするだろうし、良からぬ輩に目を付けられることも想像に難くない。

 その意味では、確かにキーアの魔法は自衛として成功していた。

「ごめん。休ませてもらう前にもう一度お礼をって思ったんだけど、仕事の邪魔になった?」

「いえ! ・・・お仕事といっても、毎晩こうやって見回りして、全体の景観を確認したり掃除をしたりするだけで、実際は庭師のようなものですから」

「大昔の王さまもここに?」

「いえ、古の王は旧都近くに墓陵があったと聞きます。それも、帝国に壊されてしまいましたが」

 キーアの苦笑いを見て、ジャックの帝国嫌いは彼女が関係しているのではないかと思った。

「というか、キーアいくつ?」

「十八です」

「・・・やっぱり」

 若いだろうとは思っていたが年下だった。それなのに彼女は、一人のでこんな古城の管理を任されている。食事の時に聞いたが、墓守自体の数が減り、数年おきの交替が、近年では滞り気味らしい。

 大切な役目だが、こんなうら若い美女が忘れられつつある王家の墓に青春を捧げてしまうのは、なんだか惜しい気がした。

 共和国生まれのセトは、貧富の差こそ体感できても、王侯貴族などの身分については、今ひとつ納得と理解が及ばない。

「大変な仕事だろう」

 心から言うと、キーアは笑った。

「そうですね。私が生まれた頃には既にアラベル王国は滅んでいましたし」

「・・・無意味だとは思わない?」

 我ながらひどい言葉だと思う。しかし、彼女はふるふると首を振った。

「いいえ。こうして、一つの歴史を後世に残す役目に就けることは、この身に余る名誉です」

 キーアの言葉は、セトの胸を貫いた。

「歴史を残す・・・?」

「ええ。傲った物言いかもしれませんが、私たち墓守がいなければ、この城は瞬く間に廃墟となるでしょう。その特性ゆえ他国の文献ばかりが残るアラベル王家の、確かな証しを守る。これほどの誉れはありません」

 凛々しく言い切る年下の娘に、セトは放心する。

(そうだ・・・)

 もう逢えない少女一一ソフィア。

 だって無理なのだ。彼女とは生きる時代からして違うのだから。

 だがしかし、もしも。

(おれはあの国がお伽噺なんかじゃない、実在したことを知ってるじゃないか!)

 探そう。

 ソフィアを一一彼女が生きていた、エメリヤ王国の痕跡を。

 帝国の近隣だったはずだが、自分はあの落日を目撃している。

 城が浮き、大地は砕け、海に飲み込まれた。

(そもそも、遠い時代のおれが招かれた時点で、既に時空間が歪んでいた)

 魔法には詳しくない。協力者が必要だ。あとは、古代の歴史に詳しい存在がいれば完璧だ。

(まずはリトレイズに戻ってからだけど)

「セトさん? 冷えましたか?」

 考え込むセトは、キーアの声で我に返る。

 そして叫んだ。

「あっ、目の前にいた!」

 すぐ近くに古代の歴史に詳しい墓守(キーア)が目を丸くしているではないか。それに。

「なんだ、なんの騒ぎだ?」

 欠伸混じりに歩いてくる魔導師(ジャック)を振り返り、セトは息を呑んだ。

(ソフィア、これは君の導きか?)

 探してくれと言われているような運命の巡り合わせに、歓喜する。

 セトはその場で二人に告げた。

 最愛の少女の話。しかし彼女は既にこの世におらず、この世のどこで眠りについたかも定かではないこと。

 せめて彼女の生きた証しを見つけたい。

 どうか二人の知恵を借りたいのだと、頭を下げて。

 全てを打ち明けたセトの肩をジャックが叩き、キーアが微笑んで頷いたのは、そのすぐ後。

 一度セトはジャックを伴いリトレイズまで行き、叔父に自身の生存を伝えると同時、修行と銘打ってしばらく旅に出ることを宣言した。

 さすがに揉めたが、なんとか親族を黙らせて、半年後に再びあの古城に戻った際、セトは目を剥いた。

「え・・・キーア?」

「はい」

 動きやすい旅装に、まとめられた荷物。意味するところに唖然としてるのはセトだけで、ジャックはにこやかに挨拶している。

「キーア、もしかして」

「お手伝いしますよ。ちょうど墓守も交代でしたからね」

 なんてことない風に言う彼女に絶句する。

 そんなセトを、ジャックとキーアが引っ張った。

「ほら、行くぞ坊っちゃん」

「まずはエメリヤ王国があったとされる場所を順にめぐりますか? 諸説ありますから、数年はかかりますけど」

 ぐいぐいと、当事者の自分をおいていきそうな勢いの二人に思わず笑い、すぐに追いかけた。

「待ってくれよ、お人好し夫婦!」

 旅のなかで情報を集めるうち、帝国の若い伯爵が死亡し、その婚約者が皇太子の妃に指名されたという下世話な噂も耳にしたが、大して気にもせず三人は大陸を巡った。三年かけても見つからないならば、いっそ海を越えてやろうと言い出したのは、意外にもキーアだった。

 そうして再び訪れた祖国リトレイズが、世界に誇る一大港湾都市ホリブで、セトは不可思議な少年少女に出会う。


「俺はジャス。このチビはリア」


 やたら艶かしい美貌の少年と、いってはなんだがあまり目立たない少女。違う意味で注目を集めそうな二人だった。これから東大陸へ赴くという彼らに軽く挨拶をして別れた。

 だから、叔父の要請で首相の護衛として出向いたトロナイル王国で()を見た時は、さすがに絶句した。

『初めまして、ラルス卿』

 にこやかに言った美貌の王子に、声を上げなかったのは誉めてほしい。

 しかし、これはセトにとって幸運だ。トロナイルは魔法大国。紀元前の幻の楽園の痕跡を探すのに、これほど有益な国はないだろう。その国の次期国王と知り合えたのは、願ってもないことだった。

(さて、どうしたもんか)

 首相の手前、初対面を装ったが、セト個人としてはあの王子と確固たるコネクションを築きたい。同じく使節団に参加してくれているジャックとキーアに知恵を借りようかと思った時だ。

 王子から使者が送られてきた。

 歳が近く剣豪と名高い貴方と、個人的に話がしたいという申し出だった。

 セトは2つ返事で答え、首相の護衛を他の者に頼むと、その足で王子の宮殿へ戻る。

 ・・・ずっと探し続けていた少女。その有益な情報を持ちうる相手。

(待っててくれ。ソフィア、もう少しだ)

 上手く立ち回って必ず味方に付ける。静かに誓い、セトは再び王子の前に立った。








 結局その場ではセトの私的な話はできず、どころか例の地味な少女について不要な発言をしたせいで、寧ろこちらが引き込まれたような形で王宮を歩き回ることになるのだが、それはまた別の話。






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