君のためにできることがあるのなら
この城に何か奇妙な気配が紛れ込んでいる。それはジャスも気づいていた。
しかし、城の結界上空にリーシャの魔力を感じた時は、流石に驚いた。
(体調は大丈夫なのか?)
彼女がなぜここにいるのかは知らないが、ランティスも近くにいるのは間違いないだろう。どうやって連絡をとったものか。
(ヒルダにばかり頼るのは心苦しいけど)
自分は城から離れられず、しかも絶えず周囲の耳目に晒されている。クリフも側近として忙しい傍ら、例のリーシャを延命する手段を調べてくれているし、ヒースは信用云々の前に絶望的な方向音痴で宛てにならない。
その点、ヒルダなら精霊を使役できる。内密の連絡役には適任だ。
(・・・・・・暫く頭が上がらないな)
手持ちの札が三枚とは、大国の王子として多いのか少ないのか。
考えていると落ち込みそうだったので、ジャスは思考を放棄してヒルダを探すことにした。
そうして合流したのは、彼女から小柄な茶髪の女官が離れていった時だった。
(なんだかなぁ)
精霊たちが落ち着かない。ジャスの式典を前に暴れられては堪らないと、ヒルダは頻繁に歌を捧げて彼らを鎮めていた。
そんなとき現れたのが、あの茶髪の女官だ。
あのときも精霊達を宥めるために歌っていたのだが、彼女が現れた途端、精霊たちがまた騒ぎ出したのだ。
『ステラ! ロゼのともだち!』
まるでジャスと初めて出会った夜のようで、ヒルダは眉を寄せた。右耳のイヤリングといい、先程の少女は妙にジャスを連想させる存在だった。
「そういや殿下、僕に何の用事だい?」
「え? ああ・・・・」
多忙極める王子殿下がわざわざ庭園にくるくらいなら、自分が出向く。そうでなくても人が多い宮殿で、こんな場面を良からぬ輩に目撃されたら、それはそれは厄介な状況になるだろう。
国王にも言った通り、ヒルダはジャスの妾になるつもりは毛頭ないのだ。
しかしあの件がジャスの耳に入れば父子の関係は今度こそ決裂する。そうならないよう、ヒルダは国王の話などまるでなかったかのように振る舞うしかない。よって、こんな所で逢い引きしていたなどという噂が国王の耳に入るのは避けたいのだ。
「どうしたのさ」
「悪いんだけど、少し人探しを手伝って貰えないか」
真っ先に浮かんだのは、あの女官だ。
「女の子?」
「いや、男。背丈は俺と同じくらいで、髪がワインレッド、目は緑」
まるで覚えはないが、なかなか目立つ容貌らしい。特徴を頭に入れたヒルダは軽く頷く。
「名前・・・・は、聞かないほうがいいのかい?」
ジャスが個人的に話をする相手は珍しい。といって、普段から王宮にいるような相手ならヒルダでもわかる。つまり、この式典の為に他国から訪れている賓客の中の誰かということ。
ジャスの留学先について、詮索はご法度だ。その辺りはヒルダも心得ているので、いつも意識的に避けてきた話題だった。
「いや、構わない。・・・・名前はランティス。留学先で、子供の頃から本当の兄のように面倒を見てもらった相手だ」
「へえー」
興味深く頷くヒルダだったが、ややしてから内心「うん?」と首を捻る。
(留学前は可愛い王子様だったよね・・・・)
それこそ童話に出てくる心優しい王子そのものだった彼が、留学してから年々ひねくれて口が悪くなっていった過程を思い出し、すこし複雑な気分になる。別に人柄が変わったわけではないし、だからこそヒルダも彼の盾でありたいという幼少期の誓いを貫いているのだが、やはり可愛かった王子に影響を与えた相手となると、上手く言えない気持ちになるのだ。いや、軟弱な男になるよりはいいのだけれど。
大怪我をした自分にはにかみながら手製の花束を差し出してくれた、あの天使のような少年はもうどこにもいない。
「・・・・ちょっと妬けるかも」
「は?」
「何もないよ、鈍感殿下!」
「わけがわからん」
自分よりも、もっとずっと近くで彼と同じ日々を過ごした留学先の友人達に、ヒルダは小さな嫉妬を覚える。
できることなら、いつだって支えてやりたかった。
(これがどうして恋じゃないんだろう)
命を捧げても構わないと思うのに、ジャスへの気持ちはあくまで友情や、その延長にある忠誠だ。ヒルダは初恋以降、異性を魅力的に感じたことがないのだ。
(ま、いいか)
恋を知らないわけではない。
しかし、なくても満たされた今がある。
歌と男爵夫妻と目の前の王子が、ヒルダの世界の全てだ。
だから恋はいらない。
このときのヒルダは、本気でそう信じていた。
同じ頃。
髪型を凝った形のハーフアップに変え、華奢な金細工とダイヤの飾りで留める。剥ぎ取られた女官服の代わりに袖を通したのは、淡い紫のドレスだった。
華美ではないが上品な装いだ。鏡に映る自分に、これなら客に紛れられそうだと思ってしまう。
「うん! 似合ってるよ、琥珀ちゃん」
「恐れ入ります」
ノアリスに拘束されたリアは、彼女の私室で着せかえ人形と化していた。
「ほんとはね、白がいいなって思ってたんだけど、あんまり似合って目立つのもよくないかなって」
自分が何を纏ったところで冴えない容姿が劇的に目映い美貌へ変じるわけではないと卑屈に思いながら、リアはそんな自分を内心で叱る。母様がくれた顔なのに、と。
いやしかし、この完璧な麗しい王女を前に落ち込まぬ女がいるのだろうか。
眼帯を身につけてなお優艶なその美貌は本物だ。
ドレスも装飾の少ないものを纏い、アクセサリーもつけず、髪はリアより簡単なシニヨンに纏めているだけだというのに、この美しさは何事だろう。顔立ちは見慣れたジャスと良く似ているのに、雰囲気はまるで異なる不思議な女性だった。
「ありがとうございます、王女殿下」
「いいよ、ちょっと退屈してたくらいだし、遊んでくれて嬉しいよ」
「勿体無いお言葉です」
行方不明となってから十年以上が経過して帰還した王女に、表向きはともかく、現実として突きつけられたのは疑惑の眼差しと政治的な関心だ。そういったものを疎んじたノアリスは、長らく自分の宮殿でのんびり過ごしていたらしい。たまたま見かけたリアを気に入ったのは、いわく「わたしの好きな人と似てるから」とのこと。相手はどうやら帝国出身らしいと、彼女がのろけ混じりに話す内容で理解した。
「これでスパイもやり易いでしょ」
「いや、あの・・・・」
「あなたは悪いひとにみえないから、応援するよ」
スパイではないが不審者には違いない自分に屈託のない笑みを向ける王女に戸惑いながら、リアは曖昧に笑う。
「あの、王女殿下・・・・」
「なあに?」
可愛らしく首を傾げる仕草は、まるで年下の少女のように可憐だ。美人は何をしても絵になるのだなと感心する。
「王子殿下とはもう、お会いになったのですか?」
「うん、お茶会したよ。あ、ヒルダちゃんも一緒だったけど」
またあの少女の名前が出てきた。内心リアは穏やかではいられない。一体あの娘はジャスの何なのだろう。随分と親しげな様子だった。
「あの・・・・王子殿下と、ヒルデガルド様はどのようなご関係なのでしょうか」
「え? えーっと、幼馴染みって言ってたよ。王子さまの昔の先生の娘さんで、留学前はロジオン君も混ざってよく遊んでたって」
今度は知らない名前だった。きょとんとするリアに、ノアリスは付け加える。
「ロジオン君はね、おばあさまの実家の次男なんだ。領地から滅多にでないけど、王子さまの式典に頑張って御祝い言いにきたみたいだね」
「お体がお悪いのですか?」
思わず手で口を覆うリアだったが、ノアリスは珍しく困ったふうに笑った。
「なんていうかね・・・・本の虫なんだ。この城でもずっと書庫に入り浸ってるみたいだし」
要するに引きこもりがちなんだと言われ、リアは頭の中でトロナイル王室の情報を整理する。
国王はジャスの父だが病を患っていると噂されており、この度ジャスを呼び出したと思えば、彼の誕生日に合わせて延期されていた立太式を開くと急に宣言した。
王妃は目の前のノアリスとジャスを生んだ実母だが、精神が不安定であり、宮殿の奥でひっそりと暮らしているらしい。帰還したノアリスにも、式典を控えるジャスにも何の関心もないような振る舞いであり、一度も面会に応じていないというのは、既に水面下で噂になっていた。
元より優しいジャスを冷遇し傷つけた相手としてあまり好いてはいないが、ここまで無関心では反発よりも寧ろ不安を感じてしまう。
今でこそ父親とは拗れてしまったが、それでも成長の過程で愛情深く育てられたリアは、ここにきて嫌悪の対象だった王妃が少し心配になってきていた。
「琥珀ちゃん? どうしたの?」
「あ、いえ」
そして目の前にいるノアリス王女。
行方不明になって十年以上たってから帰還した、ジャスの唯一の姉姫だ。眼帯をして隠している片目には、恐らく弟と同じく、トロナイルで忌避される真紅の瞳を持っていのだろう。
雰囲気はどこかセレナと似ていて、あれよあれよと彼女の宮殿に連れ込まれたリアは、ここでドレス姿に着せ替えられた。
「ここは他と比べて女官さんも衛兵さんも少ないから、自由に出入りできるようわたしが口利きしておくよ。だから頑張ってね」
リアが良からぬ輩だったらどうするのだろう。そう思うくらい協力的だ。こちらは名前さえ明かしていないというのに、この信用ぶりは心配になる。
「女官服で動くときはわたしの名前をだせばいいからね」
去り際にそう優しく微笑んでくれた彼女に、名前すら隠している自分が堪らなく後ろめたいと思うリアだった。
しかし。
リアが出ていった直後、室内に人影が現れた。
気配もなく、背後からノアリス王女に近づいていく。
血飛沫が上がった。
「うーん、失格だなぁ。その程度の腕じゃあ食べていけないよ? まあ、もうその腕も片っ方だけになっちゃったんだけど」
先程までの柔和な笑みが幻だったような無表情で、ノアリス王女は振り替える。
「あはは、もしかして本当に気づいてないと思ったの?」
天井裏なんて、殺してくださいと言っているようなものではないか。
「駄目だよ。ジャス君の邪魔するなんて」
腕を切り落とされた男は、自分の身に何が起きたか理解できないように呆然としている。
「な、な・・・・」
「ごめんね、あなたよりわたしのほうが強いんだ」
血色の剣。柔らかな声。氷のように美しくも冷たい無表情。
「お前は・・・・何なんだ?」
「あはは」
くるくると玩具のように剣を弄ぶ姿はまるで死神のよう。
かつて扇で舞うように剣を振るい、花のように暗器を降らせた殺戮の姫は、眼帯を外して微笑んだ。
悪魔のようだと、男は思う。
「可愛い弟のためなら何でもやってあげたい、どこにでもいる普通のお姉ちゃんだよ」
その言葉を最後に、男は意識を失った。




