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秘密の名前と僕らに降る花 後編








 コーバッツ男爵領に入ったアレクサンドラは、そこから更に慎重に行動した。

 見つからないように、そっと遠くから。

 祈りながら村や畑を抜けていく。

 そう広くはない領地で、1日もかからずに男爵の屋敷にたどり着いた。

(あ)

 見つけた。

 この時間帯は日当たりのいいサロンで、男爵と王子は本来の勉強とは関係のない、広く浅い雑学の本を読んでは互いに教え合うという、まるで実の親子のような時間を過ごしている。

 よく知っている。わかってもいた。

 窓という隔たりがなくても、彼らは別世界にいる。

(さてと)

 風精霊を呼び出して、願いを託す。

「せっかくの花、駄目にしちゃってごめんね」

 あの日唯一持ち帰った紫の花。

 ヘリオトロープという名らしい小さな花を、アレクサンドラは気に入った。

 いつか死んだら、あの花を一輪もっていきたい。

(でも、そんなご褒美はまだお預け)

 ここで自殺なんてしたらまず男爵に迷惑だし、この珍しい東洋の容姿を報告されたら、彼は遺体を自ら検分に来るだろう。

 そしてとても悲しむだろう。

 だからまだ、ここでは死ねない。

 本音を言えば、短くとも優しい時間を過ごしたこの屋敷で、静かに眠ってしまいたかったのだけれど。

(元気そうでよかった)

 これでいい。本来は交わるはずのなかった人生が、運命の悪戯で偶然に重なりあっただけ。あとはすれ違い、遠く離れていくしかないのだ。

(いこう)

 そっと腰を浮かせた時だった。

 廊下をしずしずと歩く侍女らしき女に目がとまる。

(・・・・あれは誰だ?)

 コーバッツ家は使用人を含めても人数が少なく、おおよその顔ぶれは把握している。

 それなのに、今の女はまるで見覚えがない。

「・・・・っ」

 嫌な予感がする。

 そしてそれは、半日後に的中した。






 月のない夜だった。

 確立は二分の一ではあったものの、どちらがより【その危険】が高いかは、比べるべくもないことだ。

 成り上がりの男爵はいつでも始末できる。あの女の正体がアレクサンドラの思う通りであるなら、わざわざ潜入までした理由は明白だろう。

(殿下を殺しにきたのか?)

 思えばアレクサンドラは、あの王子が優しい少年であること以外は何も知らない。何度も気になりはしたものの、結局どうして男爵家に預けられているのかも聞かなかった。

(・・・・深入りにも程がある)

 ここであの女から王子を守りおおせても、きっと次の刺客が送られるだろう。その度に彼の盾になることはできない。これは完全な自己満足だった。

(ああ・・・・)

 目を細める。

 案の定というべきか、件の女が王子の部屋に近づいてくる。静かに足音も立てない独特の足運び。訓練を積んだ証拠だった。

(さあ、これが最後の恩返しだ)

 王子がここで死ねば男爵家はとり潰される。優しさを分けてくれた二人に報いる、最初で最後の機会だった。

 もしも首尾よく事を済ませられたら、その次はあの山小屋の老夫婦に会いに行こう。もう一度ちゃんと礼をしたい。

(そうしたら)

 脳裏に癖の強い茶髪と緑の瞳が浮かぶが、すぐに消える。

 ・・・・リオンと交わした約束には、最早なんの意味もない。自分たちは開放されたのだ。何より炎に飛び込んだあの瞬間、アレクサンドラはもう覚悟を決めてしまったのだ。二度と会えないかもしれないと。

 一度強く決意してしまったせいか、リオンはあんなに守りたかった存在なのに、かつてのような熱を感じなくなってしまっていた。

(この女を片付けてからだ)

 そうして服に仕込んでいた三角錐剣を手に、静寂の中へ踊り出た。












 ジャスティス王子は、まだ眠れずにいた。原因は昼間、枕元に置かれていた紫色の花だ。

 ヘリオトロープ。

 リオンと名乗っていたあの少女が、唯一持ち去った花。

(来てたなら、会ってくれても良かったのに)

 彼女が自分たちに隠し事をしていたように、王子と男爵にも秘密があった。

(今度こそ、本当の名前を教えて)

 彼女はリオンと名乗ったが、怪我が原因の高熱に魘されていた時、意識が朦朧としていた彼女は言ったのだ。

『リオン・・・・待ってて。絶対に、たすけてあげるから・・・・』

 彼女を待っているリオンという人がいるのだと分かっていたから、あの日、少女が窓から出ていく気配を感じながら、ドアの向こうで静かに泣いた。

 本当は見送りたかったけれど、寂しさに負けてしまったのだ。

 彼女が事情を抱えているらしいのは男爵から聞いていたが、男爵は内容までは話してくれなかった。知る必要もないのだろう。もう会うこともないのだから。

(リオンって人と会えたのかな)

 どうかそうであってほしい。そう祈って瞼を落としたジャスティス王子の耳に、何か重いものが床に倒れたような音が聞こえた。








 背後から剣を突き刺したアレクサンドラに、女は最後の足掻きとばかりに毒ナイフで斬りかかってきた。毒には多少の耐性があったが、全身の癒えていない傷が開き始めたのは不味かった。動きの鈍くなったアレクサンドラに、腹と口から血を流しながらも、女は馬乗りになって首をしめてきた。いくら訓練を積んでいても所詮は子供の体だ。首を折るのは容易いことだろう。

「っ・・・・」

 遠退く意識のなかで思う。

 どのみちこの女もここで死ぬのだ。ならば最後の恩返しは叶った。

 悦びと、最期まで他人の血を浴びている自分を蔑む気持ちから、泣きたくなる。けれどせめてもの意地で、口元を歪めて声をだす。

「・・・・ざま、みろ」

 ぎりぎりと嫌な音が体の中枢から響いてくる感覚。

 世界が暗転した。


























 それは見覚えのある天井だった。

 男爵の館で自分に与えられていた部屋だと思いだし、慌てて身を起こすが、すぐに激痛が走って、再び身を横たえることになった。

(ここに来るといつも大怪我だな)

 苦笑いしながら実感する。この痛みは本物だ。

 自分はまだ、生きている。

「・・・・リオン!」

 ドアの開けるなり、王子は大声でこちらを呼んできた。よかった、王子も無事だった。

「殿下、ごめんなさい」

「え?」

 パタパタとベッドにかけより、すぐ横でアレクサンドラの顔を凝視する王子に、素直に告げた。

「花を、枯らしてしまったんです」

「・・・・見たよ。だから、新しい花をくれたの?」

 自分に花など似合わないのに、つい嬉しくて一輪を持ち去ってしまった。それはまるで、この屋敷で知った温もりの欠片のように。

「はい。・・・・ごめんなさい」

 素直に謝罪するアレクサンドラに、王子は泣き笑いのような表情で口を開く。

「いいよ。その代わり、お願いを聞いて欲しいんだ」

 この王子から何かを求められるのは初めてで、アレクサンドラは目を瞬いた。

「なんですか?」

「君の名前を教えて」

 アレクサンドラは絶句した。

「・・・・気づいて、た?」

 敬語が崩れる。王子はこっくりと頷いた。

「なんで・・・・いつから!」

 優しい二人に嘘をついていた。ただでさえそれが後ろめたかったのに、とっくにばれていたなんて。動揺から段々と羞恥に近い感情が沸いてくる。

「最初から」

「なっ」

 それでは完全にピエロだ。アレクサンドラは頬が熱くなる一方で、肩の荷が降りていくような、なんとも言えない気持ちを抱く。

「ぼくを騙してたね?」

「じゃあ、お揃いだね」

 にこっと王子が邪気なく言うが、台詞は完全に嫌味だ。悪意のない暴言ほど怖いものはない。アレクサンドラは末恐ろしい、と感じた。

「教えて、名前」

「・・・・そんなもん知ってどうすんのさ?」

 ムスッといっそ無礼な態度でたずねれば、逆に王子は嬉しそうに笑った。そして、なんだかもじもじしながら続ける。

「えっと、ね。お・・・お友達になりたい」

「・・・・は?」

 目が丸くなる。その一方で、理性が働いた。

「無理だよ」

「どうして?」

 妙に勢いよく食いついてくる。それはまず身分から問題なのだと説教してやりたかったが、そこに男爵がノックをして入ってきた。

「ああ、起きたね。我らが眠り姫」

「・・・・男爵」

 その顔を見れば、途端に胸が痛くなる。王子と違い、男爵は大人なのだ。アレクサンドラの素性も、既に予想がついているだろう。少なくとも、あの女を刺したのは誰かということは承知している筈だ。

(知られたくなかったのに)

 そう歯を食い縛るアレクサンドラの横で男爵が王子に言った。

「殿下、申し訳ありませんが、少し二人にしていただけますか? 大切な話があるです」

 思わず身を硬くするアレクサンドラをちらりと見ながら、王子がちょっと待ってと言う。

「まだ名前きいてないもん」

「おや、それは失礼を」

 なんでこの二人は自分なんかの名前にそんなに拘るのだろう。少し呆れたが、もう隠す必要もない気がした。

「アレクサンドラ。・・・・本名のほうが偽名っぽいけど、これが僕の本名」

 ぶっきらぼうに告げれば、王子は顔を輝かせた。

「覚えやすいね!」

 貴族名鑑を捲ればいくらでもいそうな名前だ。にこにこ笑って言う王子に何と答えるべきか分からず、アレクサンドラは曖昧に頷く。

「それじゃあ先生。お話おわったら教えてね」

 王子は男爵に声をかけると、パタパタと忙しない足運びで部屋を出ていく。

「またね、アレクサンドラ!」

 眩しい笑顔に毒気を抜かれながら、アレクサンドラは男爵に向き直った。

「・・・・ぼくはあなたを殺そうとしました」

「ああ、やっぱりそうだったか」

 まるで夕飯の献立を聞いたような反応の薄さに、アレクサンドラは困惑する。

「あの・・・・?」

「アレクサンドラ」

 男爵のこんな真剣な顔は初めて見た。

 しかし、

「私の娘にならないかい?」

 続いた言葉に声を失った。

「は?」

「いや、だから娘になってくれないかと」

 前から言いたかったのに君いなくなっちゃったから参った参った。

 呑気に語る男爵にアレクサンドラはようやく我に返った。

「ばか言わないで! 僕みたいな汚いの、あなたみたいな優しいひとのそばにいれるわけないよ!」

 男爵が本気だからこそ、アレクサンドラも本気で言った。

 自分は汚く罪深い身だ。絶対に迷惑をかける。

 そうでなければ一一一一。

「ならば、アレクサンドラとしての人生はここまでだ」

「・・・・どうしてそこまで言うの?」

 男爵は結婚して何年にもなるのに子供ができない。だから、養女を取りたいのは分かる。しかし、なぜ自分なのか。

「変なことを言うね」

 男爵は自身を棚上げして首を傾げた。

「君と出会えた。それも二度も。ならばこれは立派なご縁だろう?」

 力強く断言され、アレクサンドラは泣きたくなる。

 なんてのんきな人だろう。ずるい。

 これでは、今後詐欺にでも遭いそうで、心配になってしまう。

 余計に離れがたくなるではないか。

「・・・・こんな血生臭い縁、やめときなよ」

「いいじゃないか。新鮮なものは良い」

「食べ物じゃないんだけど・・・・」

 そうぶつくさ文句を言いながら、アレクサンドラは自分の心が急速に傾くのを感じた。

 このひとのそばにいたい。

「・・・アレクサンドラとしての人生はここまでって、具体的にどうするの?」

「そうだねぇ。まあ、差し当たり名前は変えなくてはならないね。希望はあるかい?」

 正直アレクサンドラは、今の名前をそもそも気に入っていないのだ。とくに拘りはない。 

 そう言いかけたところで、唐突にあの王子を思い出した。

「話は変わるけど、殿下はなんでここに住んでるの?」

 男爵に音楽を師事しているのは知っているが、相手が王子なら普通は男爵が城に出向くべきだ。

「聞きたいかい?」

「うん」

 素直に頷けば、男爵はゆっくり口を開き、あの王子の境遇を教えてくれた。

 両親である国王夫妻に疎まれ、各地を転々とたらい回しにされていること。

 トロナイルで忌避される赤い瞳を持っていること。

 王子の瞳は茶色だったと驚くアレクサンドラに、男爵は強力な魔法で細工を施されているのだと教えてくれた。

「男爵は殿下の味方なんだね」

「ああ。・・・・といって、微力極まる身で恥ずかしいがね」

 そんなことはないと、アレクサンドラは思った。男爵との日々は、王子にとって大切なものになる筈だ。

「男爵、あのね」

「うん?」

「名前のことなんだけど・・・・」

 男爵も王子も、自分にとっては大切な恩人だ。そして男爵が王子の味方なら、やはり自分もあの少年を守りたい。

 彼らを守護する盾になりたかった。

 その思いを正直に打ち明ける。すると男爵は嬉しそうに、照れたよう笑った。

「そうか。ならば君の名前は一一一」

























 時は流れて現在のトロナイル城。

 王子の宮殿にある庭園で、その主と友人がささやかな茶会に興じている。

 目の前に差し出された物体を見て、ジャスがきょとんとした。

「なんだこれ?」

「花に砂糖まぶしたお菓子だよ」

 共通した思い出のある紫色の花に、ヒルデガルドはにんまりする。

「懐かしいねぇ。あの頃の殿下は泣き虫で寂しがりの甘えん坊で可愛かったなぁ」

「あんたは鬱陶しい性格になったよな」

「そりゃね。逞しくなきゃ、どんな世界も生き残れないよ?」

「ふーん」

 適当な相槌で砂糖漬けに手を伸ばすジャスを、ヒルデガルドはまじまじと見る。

「殿下は本当に綺麗だね。ここまで美形なのに振られるとかやばくない?」

「うるさい」

 急な立太式のため帰国したジャスは、どうやら意中の相手に袖にされて傷心中らしく、今のような空き時間には少し憂いを帯びた表情になる。といって、傷をほじくり返すのもヒルデガルドなのだが。

「しょうがない。失恋中の殿下に、この僕が特別に歌ってあげよう」

 深く吸い込んだ息を、今度は天に向けて放つ。




『ヒルデガルドというのはどうかな? 守護や、戦の囲い、城壁といった意味をもつ女性の名前だ』 





 あの日男爵がくれた名前。愛称はヒルダにしようと、報告した直後に目の前の王子が提案してくれた。

「失恋って人のことばっか言うけど、あんただってそうだろ」

 ぶつくさというジャスに、ヒルデガルドはムッとする。

「うるさいな。僕がもう二十年早く生まれてれば、もしかしたら愛人くらいにはなれてたかもしれないだろ」

 ・・・・そうは言うが、きっとどんな出会いをしても、自分はコーバッツ夫妻を大切に思う気がする。だから、今生は初恋の人の娘でいるしかない。

「父さんには母さんがいるんだ。しょーがないから他を当たるよ」

「今から探してこい。もう式典が終わるまで帰ってくるな」

「やだよ!」

 すると、歌を途中でやめたことに機嫌を損ねたらしい精霊たちが急かすように風を巻き上げた。

 突風のあとに舞い降りるのは、いつか贈り合った紫色の花。

「ここにも咲いてたんだね」

 ヘリオトロープを見つけて微笑むヒルデガルドに、実はその花だけは自分が庭師に指示して植えているのだと言えず、ジャスは黙って紅茶を啜る。

 目を泳がせる王子に、ヒルダは耳元で囁いた。

「君に出逢えて、本当によかったよ」













ヘリオトロープ・・・・花言葉は「忠誠心」



ジャスの誕生花であるラベンダーと

同じ色なのが密かなこだわりポイントです。



ジャスとヒルダの秘密の出会いと、

ヒルダの初恋はリオンでもジャスでもない、

まさかのコーバッツ男爵でした、という話。

ずっと誰かすがられてきたヒルダにとって

男爵は初めて出会った「頼れる異性」だったのです。

ジャスには成長の過程でばれました。



時間の流れとしては

1 男爵の暗殺失敗で大怪我、三人が出会う。

2 療養を経てヒルダは【ラジェーテ】に帰還。

3 「紅蒼比翼」の後半に発生した大火災に遭遇。

4 子供たちのために囮となる。

5 紆余曲折を経てジャスと男爵に再会する。

6 ヒルデガルドとして正式にコーバッツ夫妻の養女となるが、時同じくしてジャスは海辺の離宮へ移される。

7 男爵に懐いていたが自分がずっとそばにいられないのも理解していたため、ヒルダが養女になれば男爵も寂しくないと思う反面、また自分は必要ではなくなったのだと子供特有の劣等感に似た感情を抱く。

8 ジャスはチュニアールへ。





ちなみに、ジャスの姉ノアリスとその恋人ソルドの出会いかたに似せています。

正直ジャスとヒルダが引っ付いてもおかしくないと思いながら書きました。






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