秘密の名前と僕らに降る花 前編
あのキャラとあのキャラの出会い編です。
一番古い記憶は母の憎々しげな表情。
貴族の男に取り入って妾としての生活を手に入れたはいいが、子供を産むつもりはなかったらしい。
「アレクサンドラ。あなたはちっともお父様に似ていないわね」
それはその通りだった。母や姉と同じく東洋人の特徴を濃く著している妾の娘に対し、周囲が「あれでは誰が父親なのか分からない」と噂しているのは知っていた。
「サーシェス、アレクサンドラと少しお散歩してあげて頂戴」
ただの妾のくせに、まるで正妻として迎え入れられた貴婦人のように高慢な母を、物心付いたときには既に、殺したいほど憎んでいた。
母が自分と姉を誘拐に見せかけて売り払ったと理解するのに、アレクサンドラはそう時間を必要としなかった。疎まれているのは生まれたときからわかっていたのだから、何を驚く事もない。
買い取り先は暗殺組織【ラジェーテ】で、姉妹は稀少魔法の使い手として優遇された。もっとも、身内同士で結託されてはならないと、すぐに引き離されて育った為、妹は姉の存在を忘れてしまった。
「サーシャぁ・・・・」
「うわ、今日も泣いてる」
べそべそ不細工に泣く少年に顔をしかめながら、サーシャと呼ばれたアレクサンドラは渋々ハンカチを差し出した。完璧に男女が逆転している。
アレクサンドラという、いかにも姫君という名前は貴族の父から与えられたもの。あまりいい思いはなかったこの名前に、目の前の少年が『サーシャ』と愛称をつけてくれたのだ。
そしてこのリオンという癖の強い茶髪の少年はひどく泣き虫で、会うたびお守りをするのがアレクサンドラの日課になっていた。
「ほら、もー泣き止みなって。鬱陶しいからさ」
「うわあああぁぁあん」
「うるさいってば!」
ビシッと額を弾きながら、アレクサンドラは頭を抱えたくなる。面倒な少年だ。
「今日は何なのさ。折檻でもされたの?」
その割には爪は剥かれてないし指も曲がってない。どこかしら怪我しているようにも見えなかった。
「ち、違うの」
「じゃあ何さ」
突っ慳貪に言うと、リオンは少し頭が冷えたのか、おずおずと続ける。
「僕の先生が別の人になるって・・・・」
「へえ、いいじゃん。今のは折檻好きの変態だろ? 他のメンバーは?」
すると、リオンの顔が真っ青になった。
「真っ赤な髪の死神がいる・・・・」
「は? ・・・・ああ、例の裏切り者の息子か」
それは組織でも有名な少年で、名前は知らないが存在は認識している。
「それじゃ、舐められないよう気合い入れていきなよ」
「殺されないかな・・・・?」
「さあ。殺されたら鎮魂歌くらいは捧げてあげるから安心しなよ」
全く笑えないことを真顔で言うアレクサンドラに、リオンはしかし泣かなかった。意外な反応だと思って目を丸くしていると、
「どうせ死ぬなら、サーシャの子守唄を聞きながら死にたいな」
無垢な笑顔で言われ、流石のアレクサンドラも少し戸惑った。
「リオン? どうしたの」
「・・・・あのね、新しい先生は違う支部にいるから」
つまり、もうこうやって二人だけで過ごすことはできないということ。
(それであんなに泣いてたのか)
泣き虫であるリオンだが、普段はここまで酷くない。
寂しく、そして不安なのだろう。アレクサンドラは珍しく優しい声で言った。
「いいじゃん。お互い頑張って生き残れば、また会えるんだから。きっとすぐだよ」
いつかここの大人達を殺して、広い世界へ共に。
しかし、その小さな約束が果たされる日は来なかった。
ある任務をしくじったことが、アレクサンドラの運命を大きく変えた。
標的はトロナイルの成金男爵家の現当主。子供の姿で油断させ同情を得たのち、懐に入り込み一家を断絶させる。いつもの手口だった。
ただ違うのは、その標的の横に黒髪の少年がいるということ。息子だろうか? いや、まだ子供はいないはずだ。
(誰なんだろ、やたら綺麗な顔だけど)
男装の美少女と言っても納得の麗しさだった。咲き誇る千の薔薇さえ恥じらうだろう。
(・・・・面倒な)
あの少年が不意にリオンと重なる。年の近い子供や赤ん坊でも淡々と殺してきたというのに、心に泥が流れ込んでくるようだ。
(あれはリオンじゃない)
全く似ていない赤の他人だ。躊躇う理由はない。男爵もろとも殺してしまえばいい。
そう決意も新たに息を吸い、歌で精霊を呼び集める。
残酷なほど気まぐれな精霊を使役する稀少魔法【メロディア】。アレクサンドラが持ち得る武器のひとつだ。
・・・・そういえば昔、同じように精霊達に歌を捧げていた誰がいたような気がする。あれは誰だったのか。
小さな追想を途切れさせたのは、他でもない精霊たちだった。
ホシノ ユイゴン
「えっ・・・・!?」
アレハダメ
オソロシイ
マジョ
ミテル
チガウ
カワイソウ
カワイイ ロゼ
ウラギラレテ
ホラ
アカイ セカイヲノロウ
ステラレタ
オロカナオウ
マモラナキャ
ヤクソク
男爵領に唐突な竜巻が巻き起こった。
精霊の暴走。こんなことは初めてで、アレクサンドラは絶句する。
しかし呆けてばかりもいられない。アレクサンドラの頭上に影が差した。
「!」
見上げれば、大木が自分の真上に倒れてくる瞬間だった。
潰される。
その事実に無意識の絶叫をあげ、アレクサンドラは意識を手放した。
石鹸の匂いがする。果物のような甘酸っぱい香り。
「・・・・?」
「ああ、気がついたかい」
アレクサンドラは質のいいベッドで横たわっており、そのすぐ近くのテーブルで何か本を読んでいたらしい男は、呑気に笑って声をかけてきた。
ようやく目が慣れて相手の顔をはっきり視認した瞬間、アレクサンドラの目は丸くなる。
「・・・・コーバッツ男爵?」
「ああ、そうだよ。東洋の姫君」
年端もいかない、ましてやこんな薄汚い子供相手に、気障な物言いをする男だ。これが美男子ならまだ絵になるかもしれないが、生憎コーバッツ男爵はどこにでもいそうな平凡そのものの容姿をした男だった。年齢は三十後半か四十過ぎというところ。
「体はどうだい? 痛いところはないかな」
「・・・・ありません」
慎重に周囲を監察しながら答える。今あの黒髪の少年はいないようだった。
(どうしようかな)
ここで男爵を殺したとしても、すぐ近くに護衛が控えていたなら、直後に自分も始末されるだろう。
そもそも、精霊たちは自分のいうことにしたがってくれるだろうか。先程の暴走を思い出して身震いする。あんなことは初めてだった。
(ロゼって・・・・誰だろう)
精霊たちが人間の名前を呼んでいるのを聞くのも初めてだった。男爵の名前ではないし、黒髪の少年のことだろうか?
「大丈夫かい?」
青ざめてうつむくアレクサンドラに、男爵は膝を折って目線を合わせてきた。
「え?」
大丈夫か、なんて。
そんなこと聞かれたのはいつぶりだろう。リオンと会わなくなってから、こんな人間らしい会話を交わしたことなどない。
しばし唖然とし、アレクサンドラは掠れた声で答える。
「・・・・だいじょうぶ」
「そうかい。よかった」
目を細めて笑う男爵に、アレクサンドラは妙な気恥ずかしさを覚える。相手が自分に差し向けられた暗殺者とも知らず、ただの子供にむけるような顔をしている。
「先生、その子おきたの?」
鈴を転がすような、幼い少年の声。アレクサンドラがぎょっと振り向くと、
「おやおや。いけませんよ、殿下。女性の部屋にノックもせず」
「あっ・・・・ごめんなさい」
男爵に笑顔で叱られた少年は、ぺこりと頭を下げてきた。しかし、当のアレクサンドラは目の前の現実を受け入れられず、絶句するしかない。
「えっと・・・・殿下・・・・って?」
男爵と少年が同時にきょとんとする。アレクサンドラとしてはどちらに訊ねたつもりもなく、寧ろ現実を否定したいがために漏れた言葉だったのだが、男爵と少年は思い出したように答える。
「えっと、僕はジャスティス・ラゾーディアっていうんだよ」
「そして、この国の第一王子にして、次期国王であらせられる御方だよ」
とんでもない悪夢をみている気分で、アレクサンドラは目眩を覚える。
「え・・・・え!?」
育ちのよさが窺える容姿に、男爵とも親しげな様子から、高貴な生まれだろうとは思っていたが、まさかの王子殿下だという。
「きみはだあれ?」
可愛らしく小首を傾げて、おずおずと王子が尋ねてくる。そのくせ、アレクサンドラが横になっているベッドからは、妙に距離を開けていた。
それはまるで、異性や他人どうこうというより、いつ拒絶されても素早く立ち去れるというような。
人懐っこいように見えて臆病な性分が垣間見える。その王子の姿に、似ても似つかぬ少年を思い出してしまった。
「・・・・リオン」
「リオン? リオンっていうの?」
思わず口に出した名前をアレクサンドラのものと認識したらしい王子が無邪気に繰り返しながら尋ねてくる。意図したことではなかったが、偽名としてはいいかもしれない。あえて訂正はせず愛想笑いを浮かべると、王子は満面の笑みを浮かべた。
「覚えたよ、リオン! リオンだね」
花さえ霞む美貌の王子の笑顔は、天使のように眩しかった。
領地内で突如発生した竜巻が収まったと思えば、素性の知れぬ子供が倒れていたから邸に連れ帰り介抱したという男爵の説明を、頭から信じるアレクサンドラではない。見張られているのか、それとも珍しい東洋人だから騙して奴隷商にでも売り渡す気か。
そんな警戒心を察しているのかいないのか、男爵と王子は毎日アレクサンドラを見舞っては花や菓子、本や小さな雑貨を差し入れてくる。
のほほん。
そんな効果音が聞こえてきそうな笑顔で、やはりのほほんとした日々が続いた。
「こんにちわ、リオン」
ひょこっと扉を開けて顔を出した王子に、もうアレクサンドラは驚かない。軽く頭を下げると、王子はそれが入室の許可と解釈してニコニコ近寄ってくるのだ。その様は仔犬を思わせて、なんだがむずかゆくなる。
「どうぞ、殿下」
「お邪魔します、リオン」
可愛らしい少年だと、そう年の違わぬアレクサンドラですら感じてしまう。ここに本物のリオンがいたら、きっと仲のよい友人になれていたのに。自分なのが残念だ。
「これ、あげる!」
差し出されたのは小さな花束だ。当然ながらこれまでの生活では花を贈られることなど皆無であり、悪い気はせずついつい赤くなってしまう。
「・・・・どうも」
「うれしい? リオン、うれしい?」
キラキラとした目で聞かれ、アレクサンドラは思わずそっぽをむく。
「べつに!」
「えっ」
がーん、という音が聞こえてきそうな落胆の響きに慌てて振り返ると、王子は半泣きになっていた。
「うれしいです! ごめんなさい、恥ずかしかっただけだから。泣かないでよ、殿下」
よしよしと頭を撫でて礼を言えば、途端に天使のような笑顔になる。
「また来るからね!」
ぱたぱたと軽快な足音で去る王子に、アレクサンドラは息を吐いた。
なぜあの王子は、あそこまで人に嫌われるのを恐れているのだろう。性格や育ちの問題かとも思ったが、どうやら一般人の男爵からみても、王子の態度は極端らしい。そもそも、一国の王子を成り上がりの男爵家に預けているのもおかしな話だ。
(まあ、もう関係ない話だけど)
傷が癒えた今のアレクサンドラに、もうこの屋敷に滞在している理由はない。そのうえ、速く戻らねば殺処分と対象になってしまう。
『また来るからね!』
あの言葉が胸を掠め、迷った末アレクサンドラは花束の中から紫の花を一本抜き取り、窓から身を踊らせた。




