8月18日
ランティスの両親が登場します。
ガストロイヤ連邦。
トロナイルの更に東に位置する、約35の民族が犇く山岳地帯だ。
トロナイルの後ろ盾を得て独立したが、いまだ発展途上であり、連邦にとっては加盟していたアラベル王国の滅亡も記憶に新しい。
「おはようございます、僕の美しいアイリ」
しかし、アイリス・デ・パルータにとっては国同士の揉め事よりも、目の前の男の方がよほど面倒で鬱陶しい存在だ。ストロベリーブロンドの髪を払い、吐き捨てる。
「わたくしは貴方のものではありません」
「ですが僕が貴女のものなのです。ならば、その逆もまた然り、ですよ」
「お黙りなさい」
とりつく島もなく、ピシャリと言う。しかし、目の前の男はますます頬を紅潮させた。しかも息が荒くなっている。
「ああ、その冷たい眼差しがたまりません」
「・・・・貴方のそういう所が嫌なのです」
アイリスは自分の腕の中ですやすやと眠る赤子を見つめる。
「この子が父親に似た変態になったらどうしようかと」
会話こそ冷たいが、目の前にいる男はアイリスの夫であり、先月とうとう一児の父となった。
金髪緑眼の変態紳士、クーディス・ラゴート。愛称をクードというが、アイリスは一度たりとも呼んだことがない。
「何を言いますか。ランは貴女に似て聡明で美しい天使のように育ちますよ」
きっぱり言いきる夫と同じ瞳をもつ、最愛の息子の名前はランティス・ラゴート。
アイリスは赤毛の家系だったがピンクがかった金髪であり、息子のワインレッドの髪を見たときは少し驚いた。先に生まれた異母妹の娘ラミアナと同じ色だったからだ。
(それだけ強い魔力を持っているということ)
目の前の男と駆け落ちした自分が家に戻ることはできないが、もしも実家にいたなら、末は一族の中枢を担うことになったかもしれない。
「どうしました、アイリ?」
こめかみに無断で口づけながら問う夫を押しのけようとするが、腕の中のランティスを起こしてしまうかもしれないと思い、アイリスはぐっと堪えた。
そんな妻の様子に、クーディスは新緑の目を細める。
「何をニヤニヤしているのです」
「・・・・幸せだと思いまして」
不意打ちのように無邪気な笑みを浮かべるクーディスに、アイリスは言葉に詰まった。
幸せ。
もう一度、腕の中の息子を見つめる。
この世界は常に不安定な変化を続け、さらに自分たちは、暗殺者と貴族令嬢という身分も道徳も無視して駆け落ちした。きっと息子にも苦労させることがあるだろう。
なのに、その重みを心地よく感じてしまう、これが幸せというものだろうか。
素直に頷くことのできないアイリスに、クーディスはまた笑う。
「貴女は意地を張る姿も魅力的です」
片田舎の代わり映えのない、しかし尊く輝くような日々は、僅か数年で終わりを告げる。
「へぇ、母方の髪色に親父と同じ目か。基本は父親似だな」
赤い血の海で、同じく赤い髪を持つ幼い子供が立ち尽くしていた。
その足元には、ストロベリーブロンドの髪をした女性が倒れている。
人形のように動かなくなったアイリスを、幼い彼は母親とよく似た「何か」だと思った。
茫然とする子供は、振り上げられた刃に気づかない。
しかし。
「お前さえ産まなきゃ、お前の母親も死なずにすんだのになぁ」
その言葉だけは、幼い心にしっかりと突き刺さった。
意味はよくわからない。
だが、自分のせいで母親に悪いことが起きたのは感じとった。
「・・・・っ!」
感情が爆発した。
かつて母アイリスが危惧した通りに、ランティスは強い魔力を暴走させたのだ。
そして、どれくらい時間が経っただろう。
「こんにちは、ランティス」
女の声だった。
「私の名前はマリーナ・ウィキル。君のお父さんの友だちだ」
「・・・・お父さん、どこ?」
変わり果てた母を抱き締め周囲に敵意を向けるランティスに、マリーナはゆっくりと歩み寄る。
「しばらくは会えないよ。とても、遠い所に行ってしまったんだ」
だからね、と。
「私が君の世話をする」
「いやだ。だって、お母さんが」
「ランティス」
遮る声に、ランティスは震えた。
「本当は、わかっているんだろう?」
腕の中の母によく似た「何か」は、母親本人であること。
「いやだ」
もう動かないこと。二度と会えないこと。
「いやだよぉ・・・!」
じわじわと現実が心を蝕んでいく。
「忘れなさい、時がくるまで」
トン、と額に軽い衝撃を感じた直後に、ランティスは意識を失った。
(すまない)
マリーナ・ウィキルはランティスを抱き止め、歯を食いしばる。
クーディス・ラゴートを殺した手で、その息子を抱き上げると、より一層泣きたくなった。
(どうして裏切ったりしたんだ、クードの馬鹿)
愛人を囲う男など珍しくもないし、クードは組織の中でもかなりの地位を持っていた。組織に所属していたほうが、妻子は安全だったのではないか。
(どうして、よりによって私に託すんだ)
彼が殺される瞬間に囁いたのは、怨み言でも命乞いでもなかった。
最愛の妻と子を、どうか。
かつて恋を交わした男の遺言に、マリーナは従うしかなかった。
(お前は何度も何度も、どれだけ私を苦しめるんだ)
甘く苦い恋、などではなかった。
仕事で寝た男の子供を身籠ったことから破局を向かえ、挙げ句の果てに騙し討ちのような強制堕胎。
恨んでいた。
子供ができない身体だと諦めていたから、どんな男が父親でも構わなかった。
産んであげたかった。
それを奪い、更には自分を捨てておいて、挙げ句の果てに別の女と駆け落ちをした。
ひどい男だ。
(なのに)
もう恨むことさえ許されなくなった。
(逢いに逝くよ、いつか必ず)
自分の命を腕の中のランティスに捧げることを誓い、マリーナ・ウィキルは立ち上がる。
去り際、変わり果てた恋敵の姿を見る。
美しかった彼女は暴力の限りを尽くされ、かつての面影は窺えない。ストロベリーブロンドの髪さえ血に染まりつつある。
かつて嫉妬した女。
ずっと憎んでいたかった。
いつか、殺してやりたいとさえ願っていたのに。
我が身の不幸に酔うのは、あまりにも楽だったから。それはまるで快楽のように。
(あんまりだ)
この世は地獄だ。どこまでも、どこまでも救いがないのだから。
事切れる間際、最愛の妻を想った。
いつだって人形のような無表情を崩さない彼女に、恋をした。
(アイリ)
拙いながらに気持ちを返してくれたアイリスとの間に授かった息子。
(ランティスと、一緒に)
どうか生きていてほしい。
こんな自分の家族になってくれた。短い間だったけれど、泣きたくなるほどの幸福をくれた。
(頼むよ、マリーナ)
最後の力を振り絞り、囁いた瞬間だった。
すべての感覚が遠くなる。
音も熱も風も何も。
(これが・・・・)
意識が暗転した。
「あなたが遅刻するのは初めてですね」
どこまで青く澄んだ夏の空だった。
目の前に、ストロベリーブロンドの髪を靡かせる娘がいる。
「キミは?」
その問いを口にした途端、ひどい違和感を覚える。何故だろう。
彼女のことは知らないはずなのに、その事実がたまらなく悲しい。
娘はにこりともせず答える。
「私はアイリ。そして」
彼女が足元に目を向けた。視線で追ったクードは息を飲む。
眼下に広がるのは、壮麗な白亜の宮殿。遠く海に囲まれた島。
「これは・・・・」
「精霊たちの贈り物ね」
宮殿の中庭に若者の集団がぞろぞろと現れる。その中の一人に、自然と釘付けになった。
ワインレッドの髪と新緑の瞳を持つ青年。
傍らで微笑む淡い金髪と不思議な碧眼の娘が、彼の名を呼んだ。
ランティスさん、と。
「っ・・・・!」
どうして忘れていたのだろう。
何より大切な宝物だったのに。
「大きくなった」
顔の作りは父親の自分とよく似ていたが、髪や瞳は母アイリの血筋を濃く顕している。
金髪の娘に、ランティスが笑った。
その姿が眩しくて泣きたくなる。
「ランも、大切な相手を見つけたみたいね」
生前よりも少し砕けた口調で、しかし淡々と語る美しい娘。
最初で最後、最愛の妻だった女性。
「アイリ・・・・じゃあ、キミは」
「ええ。あなたと同じ頃に死んでしまったわ」
つまりマリーナは間に合わなかったのだ。その事実は更にマリーナを苦しめたであろう。他にどうすることもできなかったとはいえ、自分はどこまでも彼女を傷つける星巡りなのかもしれない。
「キミはどうしてここにいるんだ?」
死後というなら自分は地獄に堕ちる筈だ。神も救いも信じたことはないくせに、いつか報いを受けて地獄へ堕ちることを疑ったことはなかった。
しかし、そんなクードの言葉に、アイリは小首を傾げただけで答えない。
「アイリ?」
「いいえ。初めて会った時みたいな喋り方をするものだから」
一瞬きょとんとしたクードは、すぐ静かに笑った。
「・・・・確かに」
最初は彼女を人形のようにつまらない女だと思っていた。美しいだけの置物。
なのに、いつの間にか一一一一そんな彼女に恋をしていた。
「・・・・ランティスも、大切な相手を見つけたんだな」
「ええ」
赤毛の息子が、淡い金髪の娘と笑い合っている。その様は、まるで一幅の絵のように美しく見えた。
ランティスを初めて抱き上げた、あの夏の日を思い出す。
「もう、いくつになったのかな」
「まだ貴方の年齢は越してない筈よ」
だが、いつかは追い抜かされるだろう。そしてそれは自分達夫婦にとって願ってもないことだった。
「そうか、今日は」
「ええ。だから言ったでしょ」
精霊たちの贈り物。
息子の横で微笑む金髪の娘の周囲に、ヒトでない今だからこそ見える淡い光の粒。
息子の恋人は、人ならざるものに随分と愛された存在のようだった。
「・・・・ありがとう」
この光景を見せてくれたこと。
そして、息子のそばにいてくれること。
「ありがとう・・・・!」
クードは溢れる涙を拭うことも忘れ、何度も何度も繰り返した。
チュニアール首都プロレッティーガ城の中庭に、赤毛と金髪の男女の姿がある。
頬を雨が掠れたような気がして、ランティスは顔を上げた。
「?」
しかし空は眩しいくらい青く澄んでいる。夏の夕立というにはまだ日が高い。思わず首を傾げてしまう。
「ランティスさん?」
すぐ横で小鳥と戯れていたリーシャが訊ねてくる。なんでもない、とランティスは笑った。
「ランティス! リーシャも、ここにいたのか」
声と共に黒い翼が翻る。よく知る黒髪の少年に、ランティスとリーシャは微笑んだ。
「こんにちわ、ジャス」
「何かあったのか?」
真夏に木陰で寄り添う、仲睦まじい二人の空気にまったく躊躇わず、ジャスは答えた。
「いや、来週くらいからちょっと用事でトロナイルに戻るから、その間リアのことよろしく、と思って」
「用事?」
聞き咎めるランティスに、ジャスは曖昧に笑う。
「あくまで個人的な用事だから、心配しないで」
「ふーん・・・・」
ジャスが祖国トロナイルに戻ることをあまりよく思っていないランティスは、自然と声が低くなる。しかし、もうすぐ国を出ることになっているのは自分も同じだった。
「ランティスは秋にまた出かけるんだろ?」
「うん。今度こそ見つかるといいんだけど」
ずっと探しているひとがいる。自分たちの育ての親。
マリーナ・ウィキル。
『お前は私を恨んでいい。いや、いっそ殺してくれ』
父を殺したという師を、しかしランティスは憎むことができない。
両親がくれた命を、未来の出会いへ繋げてくれたのは、間違いなくマリーナだ。
(もし会えたら、その時は)
父の昔話でも教えてほしい。
そう思ったとき、また頬を何かが濡らした。
「?」
しかし、手で擦っても、特に何かが付いているというわけでもない。
(なんだ・・・・?)
思わず再び空を仰いだ瞬間、誰かの声が響く。
ありがとう。
「・・・・?」
木々の囀りか、風の音か。
見上げた先に広がるのは、どこまでも青い夏の空。
「ランティス?」
ジャスが不思議そうな顔でこちらをみている。なんでもないと微笑んで、ランティスは立ち上がった。
空耳だったとは思う。しかし、ありがとうの言葉は嫌いではない。
「今日もいい天気だなって」
誰も知らない22回目の誕生日、血の海で全てを失ったかつての少年は、最愛の女性と弟に、楽しげにそう言った。
ちょっとオチが難しかったです。
いちばん色々ぶっ壊れてる夫婦。
大抵の人に双方の正気を疑われます。
狂って狂って一周回って狂気が正気。
倫理も道徳も価値のない世界の住人です。
間違いなく大悪党で極悪人ですが
息子のことは本当に愛していました。
ランティスは無意識に母の
死に顔をシャットダウンしてますが
潜在意識には残っているので、
惚れた相手のリーシャが金髪なのは
母親の面影を本能的に感じているという設定。
このカップルも掘り下げねば。
クーディス・ラゴート
【ラジェーテ】でも指折りの暗殺者だったが妻アイリと駆け落ちして裏切り者となる。帝国出身の金髪似非紳士。にっこりと穏やかな笑顔だが内心は独占欲が強く、人を体を破壊しその過程を楽しむ猟奇的な一面を持つ殺人鬼。オンオフの差が激しく、一家惨殺を終えたと思った瞬間、血だまりの中で人形のように無表情で佇むアイリと出会う。彼女を気まぐれで生かしたのが運命の分岐点となった。
アイリス・デ・パルータ
ストロベリーブロンドの髪を持つ美女。未亡人。クーディスに夫を目の前で殺されたが、なにがどうなったのか後に駆け落ちして夫婦となる。実家は大昔の魔物の呪いで代々赤毛の家系。ラミアナの母の腹違いの姉。
基本的に無表情で無感動。夫を殺されその仇に抱かれても何も感じない排他的な世捨て人。
ランティス・ラゴート
赤毛と新緑の瞳も持つ上記夫妻の一人息子。
問題過多な両親より育ての親の影響を強く受けたのか常識的な性格をしているが、内罰的すぎるきらいがあり、リーシャと出会うまではどこか周囲に壁を作っていた。
誕生日は7月4日としているが、もとは誕生日の分からないランティスに友人が与えた日付であり、本来の誕生日は8月18日。
・サーシェスやリオンと共に、壊滅した武装組織【ラジェーテ】の年少部隊にいた過去をもち、生き別れた師匠を捜し続けていた。




