そして交わる物語
その夜、打ち合わせを終えた青年は庭に下りて月を見上げていた。
黄金色の月――――。
『髪も目も、お月様みたい。うーん。赤い目も綺麗だし、捨てがたいなあ』
『へえ、好みの話?』
『え? ううん、まさか! わたしに好みなんてないよ』
『いや、それはそれで恋人として反応に困る』
『好きになったから好きなの。紅夜が、紅夜だけがわたしの好みってこと・・・なの、かなあ?』
むむむ、と真顔で考え込み、首を傾げる姿があまりにも可愛くて、少年だった自分は悶え死ぬ、と本気で赤面した。
彼女はいつだってそばにいた。
『そうだよ。お馬鹿な紅夜を迎えに来たの!』
死を受け入れ、炎に焼かれようと目を閉じたあの瞬間から、ずっと。
「蒼姫」
もう一体どれだけの間、あの黒髪に触れていないだろう。鮮やかなオッドアイに見つめたいのに、肝心の本人が、そばにいない。
かつてない状態に、青年は思わず末期だな、と我ながら苦笑する。
厄介な実家にまで押しかけるなんて――――。
「あっ!?」
後ろから頓狂な声が上がり、呆れ混じりに振り返る。
「なに」
「あ、すみませ・・・・」
目を見開いている娘の亜麻色の髪を、夜風が悪戯に弄び、柔らかな曲線を描く。
大抵の男なら目を奪われるのではないだろうか。少なくとも、自身の金髪を派手すぎるという理由であまり好ましく思っていない青年はそう感じた。大切に手入れしているのが男でもわかる、美しい髪だ。
「えっと」
「・・・カルダ。そっちはリアって呼ばれてたな」
「あ、はい。カルダさん、でしたね」
死んだ弟の名を偽名として使っている青年は、律儀に復唱する少女を見て、やや複雑な気分になった。
「小さいな」
「はい?」
ほぼ初対面の人間にコンプレックスを突かれたが、リアは思わずキョトンとしてしまう。相手に全く邪気がなく、本当に淡々と事実を述べただけだというのが空気で理解できてしまったからかもしれない。
一方、青年はつい口に出してしまったことを遅まきに自覚したらしく、しまった、という顔になった。
「悪い。言うつもりじゃなかったんだけど」
「あ、いえ。事実なので」
本当にすまなそうに言うカルダに、リアは慌てて首を振った。こういう反応は新鮮だ。最近ではからかわれてばかりだったので。
「ちょうど良かったです。あたし、カルダさんを探してて」
「俺を? なんで」
「髪の色が・・・・黄金色で。帝国のご出身ですか?」
所々目を泳がせて尋ねるリアに、カルダは合点がいってつい苦笑した。
「元は帝国の由緒正しい侯爵家の跡取り息子だったよ。家族が皆殺しになって、自分ひとり生き延びた」
「え・・・」
「そこから軍の暗部に売られて、あっという間に日陰者に落ち着いた。あんたのご先祖の恩恵で特殊な力と体はあったから、無事に今ピンピンしてるけど」
リアは一瞬、停止した。
「へっ、え・・・・え、ええぇっ!?」
「気付いてなかったのか」
目を丸くする少女を――――家族が健在で世が世なら、自分は彼女を主として仕えていたはずだった。
「俺、あんたの先祖の家来の末裔。あんた、レリアル・ウルフラーナ・ストレイだろ? 新しい女神って、昔よく父親に聞かされた」
「女神!?」
思わず眩暈を覚えたらしい。リアはふらついた。
女神という呼び名には、カルダも似合わない称号だと感じている。つい生ぬるい笑みを浮かべた。
(こんな小さな体で、帝国の武力の象徴だとかでずっと祭り上げられてたのか)
悪意なく、気の毒だと思う。
平凡な少女だ。恋しい男を想い、慕う気持ちを伝えようと海を越えて追いかける、一途で純粋そうな、普通の恋する乙女だ。
「上手く行くといいな」
「え?」
頭を抱え悶絶していたリアは、この日はじめて、カルダの素の笑顔を見た。
「王子様に告白するんだろ」
「!!」
その言葉で、少女の頬が薔薇色に染まる。
恋を知った18歳の少女が、そこにいた。
「両思いになれたら、その時こそよろしく頼まないとな」
「? え、えっと・・・・」
「なんでもない」
生まれる前に体内で母もろとも殺された妹。
もし無事に生まれていたら、こんな風に言葉を交わしたりする未来があったのだろうか?
そう思うとカルダは少しおかしくなった。
「そのうち、ほんとに兄妹になるかもしれないし」
「え、何の話ですか!?」
目を白黒させる少女の頭をくしゃりと撫でて、カルダはくつくつ笑いながら「秘密」と答え、夜の庭を後にした。
「あ、みーつけた」
その声に振り返ったジャスが目にしたのは、天井裏の隠し扉から出てシャンデリアにぶら下がり、ドレス姿で手を振る、年若い女性だった。
黒髪に青い瞳。片方には眼帯をかけている。しかし、それが気にならない程に華やかで、優艶な美貌の持ち主だ。
敵意の類いは全く感じない。ジャスが思わず硬直したのは、別に理由があった。
彼女が自分の母レメリーと酷似しており、更に言えば毎朝、鏡でみる自分とも瓜二つな顔立ちをしていたからだ。
「えっ、と・・・・」
そんなまさか。
咄嗟の事で反応に困るジャスの前に女性は難なく降り立ち、微笑んだ。
「初めまして、王子さま。早速だけど、わたしと一緒にお茶しない?」
トロナイルの王子は、まさか実家たる宮廷で下町のナンパのように声をかけられると夢にも思わず、更に困惑した。
女性の正体には薄々気づいたジャスだったが、奇妙な緊張感からつい助けを求めるようにヒルダを呼び出した。
「殿下、あのひと・・・」
「やっぱそうか。直接お会いしたのが初めてってのもあるけど、流石に心の準備がなぁ」
「ヘタレだねえ」
「腹立つな、その笑顔」
場所は以前にもヒルダと茶会を催した庭園で、余計な耳目は存在しない。ジャスはヒルダの頭を小突いた。
「痛い! 痛いよ殿下! あんまりだ、こんないたいけな美少女になんて仕打ちをっ」
「あんた厚かましいな」
美少女、というほど華やか容姿ではあるまいに。可愛いという枠には充分入るが、美しいとまではまだ及ばない。幼さが強く残っているし、何より口を開けば彼女の可愛いらしさは破壊される。残念な性格を自分で暴露するようなものなのだから。
そう失礼な考えを巡らせたところで、ようやくジャスは意識を先程の女性に向けた。
「行ってくるわ」
「はいはい。後武運を、殿下?」
「軽いなー・・・」
東屋でのんびりお茶を啜っていた女性は、近づくジャスに気付き微笑んだ。
「お話おわった?」
「はい。失礼しました」
ジャスはやばい、と冷や汗をかいた。尋常でないくらい、緊張している自分がいる。
「あの・・・遅くなりましたが、ご挨拶を申し上げたく存じます。よろしいでしょうか」
恐る恐る声をかける自分に女性はやや驚いたように目を丸くし、慌ててカップを置いた。
「そんなの! って、ごめんね。わたしってば、先に自己紹介するの忘れちゃってたね! 知らない人とお茶なんて飲めないもんね! ごめんね、王子さま」
「え? あ、いえ。そんな・・・・」
慌てて手を振るジャスの視界に、肩を震わせて笑いを堪えているヒルダの姿が映り、後で覚えてろと苛立った。
「というより、君は王子さまで、正式な王位継承者になるのが決まったなら、寧ろ挨拶はわたしからじゃないと! だよね?」
「ですが、まだ立太式を控えた一王族の身分です。その・・・先に生まれた貴女は、尊く思うべき相手で、私もそのように望みます」
ひどくぎこちない言葉だと、自分でも思う。
しかしジャスは、どんなに緊張しても、逃げようとは考えられなかった。
幼い頃、あれほど憧れた特別なひと。
「私はジャスティス・ラゾーディア・ヴァロリコルゲントです。畏れながら、貴女はノアリス・パルーシャ王女殿下であらせられますか?」
初めて交わす姉弟の会話にしては、あまりにも堅い言葉使いだ。
緊張から構えるような敬語で接するジャスに対し、女性はふんわりと優しく笑った。
「うん、そだよ。わたし、ノアリス王女。君の立太式のこときいて、お祝いにきたの。おめでとう、王子さま。大きくなったねえ」
偽りのない親愛がこもった言葉に、ジャスは微笑もうとして、結局は失敗した。
死んだと聞かされていた姉の生存は随分と前に知っていた。けれど、生き別れていた姉との再会は、あまりにも唐突で。
「はい。・・・・ありがとうございます、王女殿下」
姉上。
そう呼ぶことができない自分の幼稚な性根を、ジャスは恨めしく思った。




