そして二人は
王宮に帰るなんて、最初から選択肢になかった。
紅夜の傍にいられたら満足だった。たとえ彼が別の少女を想っていても。そこまで考え、蒼姫はハッとした。
(ラミアちゃんは)
生き延びたのだろうか。嫌な考えが頭を掠める。あの炎の中、まさか。
蒼姫は飛び起きた。寝巻きを着替え、宛がわれた部屋を出る。すると目の前で別のドアが開いた。
紅夜が自分の正面の部屋で休んでいたことをすっかり失念していた蒼姫は狼狽する。先刻の言い争いとまではいかなくとも気まずい空気を思い出し、言葉に詰まった。
「まだ起きてたのか」
やはり視線を逸らしながら、紅夜が口火を切った。蒼姫も俯きながら答える。
「うん。紅夜、疲れてないの?」
組織を落ち延びてから初めて静かで平和な夜だ。年寄り二人は死んだように眠っている。
「俺は慣れてるから。博士らよか若いしな」
冗談めかして微苦笑する。それがこちらの心を和らげる為のものだと知っている蒼姫は、ようやく笑った。そして、想う。
意地悪に見えて本当は優しい人だから、こんなにも惹かれるのだ。
「散歩にでも行くのか?」
蒼姫はギクリとした。ラミアの無事を確認しに出て行こうとしたと言えば怒られる。
「う、うん」
「馬鹿。まだ安全かどうか定かじゃないんだ」
「屋内にいても同じじゃない?」
食い下がる蒼姫に、紅夜は溜息をついた。
「なら俺も行く。少しだけだぞ」
夜の森をのんびり歩きながら、蒼姫は脱出時のことを思い出した。彼はあの時、ラミアのことを一切口にしなかった。己の庇護する対象は蒼姫とペルセフォネのみ。そんな様子だった。
「ねえ」
蒼姫は隣を歩く少年を見上げた。本当に背が伸びたと思う。以前は同じ位置だった目線が、今は頭半分ほど上にあるのだ。
「ん?」
綺麗な黄金の瞳に自分が映る。出会いの夜を思い出させる鮮やかな真紅の瞳も好きだけれど、この淡い月の色も好きだ。心が落ち着く。
「ラミアちゃんのどんな所が好きなの?」
「は?」
瞬間、彼は今まで見たどんな顔よりも驚いた顔をした。戸惑いを突き抜けてポカンとしている。間抜け面の代表例だ。
「ラミアって、赤毛の?」
「うん」
こっくり頷くと、彼は頭が痛そうにこめかみを押さえた。
「俺が奴を好きだと?」
「うん。セルガさんが」
ペルセフォネに事情は聞いた。紅夜は自分を庇って一年半も苦しんだと。ショックだったが、それ以上に何を勝手な・・・・と怒りが沸いて襲撃されていた本部に押しかけたのだ。
暗殺業は、辛い。彼の様に優しい人なら尚更だ。だからきっと、傍にいたラミアの存在は大きい筈だが――。
「蒼姫」
「え?」
不意に手を握られ、蒼姫は狼狽した。何だろう。
「なあに?」
「それは真っ赤な嘘だから、絶対に信じんな。いや寧ろ頼むから、お前がそんなこと言わないでくれ。そもそも、あんな煩い馬鹿女は願い下げだ」
切々とした訴えに、今度は蒼姫が瞬く番だった。呆然と呟く。
「うそ・・・・?」
ではこの一年半に及ぶ苦悩は何だったのか。
「嘘でしょ」
「ああ、嘘だ」
「どっちが?」
「? だから嘘だって」
「だからどっちが!?」
「・・・・」
なんだか話の解釈が食い違ってる気がしてきた紅夜は、ひとまず話題をかえることにした。
「いや、それはもういい。ちょっと落ち着け」
妙なことに拘りだした少女を怪訝に見る。蒼姫は項垂れた。
「じゃあラミアちゃんとは、その・・・・何でもないの?」
寧ろあってたまるか。顔が引きつるのを感じながら紅夜は答えた。
「ない」
蒼姫はそこでようやく安堵の笑みを浮かべた。
よかった。自分はまだ、彼の傍にいられる。
その表情を見て、紅夜が少し瞳を揺らした。
「・・・・お前は?」
「うん?」
紅夜が小さく続けた。
「その・・・・好きな男とか、いないのか」
蒼姫はまた驚いた。紅夜が色恋に興味を向けるなんて。
僅かに戸惑い、躊躇いながらも正直に答える。
「いるよ」
「!」
蒼姫の手を握る紅夜の力が瞬間的に強くなった。まるで、手放すまいとするように。
しかし、少年の心を知らぬ少女はただ抗議した。
「ちょっと紅夜、痛いよ」
「・・・・悪い」
慌てたように離される手を、蒼姫が握り返した。
言うなら、今しかない。
そう思い、そして想った。
「意外だった?」
両手で包まれた右手を気にしながら、紅夜は頷く。
「気づかなかった」
「うん。でも、それでいいの」
「?」
これから伝える。自分の意思と言葉で。
「紅夜」
蒼姫は出逢ってからの彼を思い出した。
笑いかけると、同じように小さく笑ってくれた。名前を呼べば振り返り、話しかけると耳を傾けてくれた。
繋いだ手を、振り払わないでいてくれた。
「あのね」
その全てが嬉しかった。どれほど救われたか。
出口の見えない絶望の闇から、掬い上げてくれたのだ。
出逢えたことが、幸せだった。
「大好きだよ」
少年の目が驚愕に見開かれる。蒼姫は続けた。
「紅夜」
「うん」
息を大きく吸い、ゆっくりと吐く。不思議と気持ちは落ち着いていた。凪いだ海のように静かで、けれど深く大きく。
「わたしは、ずっと前から紅夜の事が大好きです」
時は流れて10年後。
アルポロメ公国の辺境にあるこの地はグレルという名前で、双子山が有名だ。
黄昏色に染まるその町を、黄金の瞳が静かに見下ろす。小さな町だが、穏やかな気候で住みやすい土地だ。
「お、いたいた。カルダ」
「なんですか?」
カルダと呼ばれた青年は振り向かず答えた。先輩らしい中年の男が眩しい金髪に目を細める。
「今日の仕事は終わりだ。お疲れさん」
「・・・・そうですか。お先に失礼します。お疲れ様でした」
現在この町の自警団の主な仕事は魔物退治だ。以前は山賊に荒らされていたが、カルダたちが越してきてから山賊達は姿を消した。彼らは四人家族で、夫婦の間に息子が一人、そしてその恋人の娘が一人。
「パルシアがお待ちかねだぞー」
「あいつ、また降りてきてるんですか」
「おう。てかよぉ、そろそろ町に降りて来いよ。先生が町にいてくれた方が俺らも安心だし」
先生とは青年の父親のことだ。こんな偏狭の田舎では貴重な医者で、町民から慕われている。
「そうですね。考えてはいるんですけど」
カルダは曖昧に笑った。あれから数年経つけれど、やはり人里で生活するのは躊躇われる。
「また相談しておきます。そろそろ風邪も増えるでしょうし」
先輩は鼻を鳴らした。この若者があっさり聞き入れる訳がないのは承知している。
そして彼らが共に、自警団の詰所から一歩出たとき。
「カルダ!」
「パルシア」
黒髪の娘がカルダに飛びついた。お熱いねぇとぼやきながら先輩は帰って行く。
周囲に人の気配がないのを確認してから、亡き弟の名前『カルダ』と呼ばれた彼は、呆れたように口を開いた。
「・・・・蒼姫」
「えへへー」
「外出するなら誰かと一緒にしてくれ。頼むから」
蒼姫はにっこり笑った。自分の恋人を抱きしめる。
「いいじゃない。今日は特別」
「? なんかあるのか」
「えっ・・・・」
これには蒼姫が頭を抱える。この人はどんだけ自分に興味がないのか。
「今日は紅夜の誕生日だよ」
「ンなもん覚えてられっか」
「覚えて。その分じゃわたしのも覚えてないね?」
紅夜はムッとした。失敬な。
「お前のことだけは覚えてる。三月十四日だろ。一ヶ月後だ」
さらりと爆弾発言する紅夜に、蒼姫は頬を染めた。「だけ」って。本当に天然で言っているのだから恐ろしい。
「わ、分かったよ。ありがとう」
紅夜はフンと鼻を鳴らした。「当然」。顔に書いてある。しかも心なしか誇らしげである。
あれから、随分経った。
ラジェーテからの離脱。そしてあの夜の森から。
『大好きだよ』
告げて、僅かに後悔した。もう、元の関係には戻れないかもしれない。
『・・・・紅夜』
返事がないのが怖くて、思わず手を自分から離した。
離した瞬間に抱きしめられた。
『蒼姫』
『え?』
心臓が煩い。自分から抱きつくのは何度かあったが、されるのは初めてだった。
戸惑いながら、天空の月に似た黄金を見上げる。彼は優しく笑んだ。
『俺のこと好きなのか』
『うん』
『一番に? 男として?』
『う、うん』
やけに念を押してくるなと思いながら頷く。
すると彼は破顔した。嬉しそうに。
『そっか・・・・ありがとう』
蒼姫を抱く腕に一層の力を込め、告げた。
『じゃあ、両想いだな』
『!』
蒼姫は目を瞠り、意味することに気づいて涙ぐんだ。
『ほんとうに・・・・?』
『うん。絶対に、本当』
誰よりも何よりも。一番、大切に想っている。
耳元で囁かれ、蒼姫は生まれて初めて嬉し泣きをした。
汚い自分を目の当たりにしながら、彼は好きだと言ってくれた。
二人は後に思う。
この世界が理不尽で残酷だからこそ、自分達は出逢い、愛することを知ったのだと。
「蒼姫?」
怪訝な声が、彼女を現実に呼び戻した。
「ごめん。なあに?」
「いや。トロナイルの王子の話、聞いたんだけど」
「えっ?」
蒼姫は俄然くいついた。
生き別れた、自分の弟。
「どんな話?」
「国王が倒れてそろそろ王位継承かって噂。まあこんな田舎まで流布すんのにまず驚きだけど」
「王様が?」
「らしい。けど噂だからな」
耳半分にしとけ。そう苦笑交じりに頭を撫でられ、蒼姫は小さく笑った。
「うん」
彼の傍で生きると決めた。もう、王女には戻れない。
自分の意志で選んだ人生だ。悔いはない。
だのに。
「気が向いたらトロナイルまで出掛けよう。春か夏頃にでも」
彼は、いつも気遣ってくれる。自分にはもうない家族。
帰るべき場所があるなら、大切にすべきだと。
「嫌だ。もしバレて紅夜と引き離されたら、わたし生きていけない」
「へー」
「本気だよ?」
ムッと切り返すと、紅夜は笑った。あんまりにも笑うものだから、蒼姫はますます面白くない。
「紅夜はわたしがいなくなっても平気なんだ?」
つい嫌味ったらしく言うと、紅夜が唐突に指を絡めてくる。
「お前、俺が手放すとでも思ってんのか?」
囁かれる声は甘く低く、握ってくる手も大きく、目の前にいるのは、もう幼い少年ではない。
「・・・・お、思わないけど」
毎日のように恋に落ちる。そんな胸の高鳴りが心地よい。
平凡で質素だけれど、何よりも尊く幸せな日々。
「分かったなら良し」
「むー」
おかしい。いつの間にか主導権はすっかり紅夜に移行している。それが不快ではなく、寧ろ仄かな悦びに感じる自分は、まさしく彼に骨抜きだ。
「ん?」
「べつにっ」
蒼姫は視線を感じて首を傾げる最愛の恋人に素早く口づけ、その手を繋いだまま家路を駆け出した。




