誰もが運命の炎の夜を駆け抜ける
伝えたい想いがあった。届けたい言葉があった。
なのに【あの日】から、見失ってしまった黄金と真紅の月。
・・・・やっと、ようやく見つけた。
今はただ、そばにいたい。
それだけだった。
炎の中を、オッドアイの少女が黄金の髪の少年を支えながら進んでいた。
「もうっ、紅夜重たいよ。なんでそんな大きくなっちゃったの? 前は小さくて可愛かったのに!!」
「小さいとか言うな」
「だって、わたしの方が身長高かったよ?」
「今は俺のが高いだろ! そんな昔の話を蒸し返すな」
二歳も年下の少女、しかも意中の相手に見下ろされていた過去など懐かしみたくもない。忌まわしい記憶を掘り返されて、紅夜はついムキになって言った。
すると、紅夜の腕を肩に掛けて懸命に支えていた蒼姫も珍しく強気に反論する。
「だから今こうやって重くて困ってるんでしょ! ああもうっ、紅夜。今からでも遅くないから早く縮んで!!」
一年半にも及ぶ嘘とその理由をペルセフォネから知らされた蒼姫は、さすがに頭に血がのぼったらしく、おっとりとは程遠い剣幕だった。
そんな彼女にたじろぎながらも、こういう感情的なのも新鮮で可愛い。心の中で惚気ながら、紅夜は呆れた顔を装った。
「何を真顔で莫迦言ってんだよ! お前、割と本気で縮めるとか思ってるだろ」
「紅夜なら出来るよ」
しれっという蒼姫に、紅夜も同じく返す。打てば響くように、とはよくいったものだ。
「そんな無茶振りに等しい信頼はいらん」
紅蓮の戦場に似つかわしくない呑気な応酬をする二人に、炎の向こう側から声が掛けられた。
「そこに誰かいるのか?」
よく知る女の声だった。紅夜はどきりとする。蒼姫に至っては青ざめた。まさか。
「マリーナさん!? まだ脱出してなかったんですか!?」
叫んだのは蒼姫だった。「迎え」に来た蒼姫から、紅夜は既に大まかな状況は把握していた。
組織の壊滅に乗じこのマリーナという女は、暗殺者として育てられた子供たちを解放しようとしている。既に自身の愛弟子たるランティス・ラゴート、サーシェス・ユリット、リオン・ラーヴァを逃がしてきたという。
その三人はセルガの覚えも目出度い有能株だ。逃がせば当然、マリーナの命はない。
「貴女は早く逃げて下さい!」
顔見知りであった紅夜は、自分のことを棚にあげて言った。誰か事情を知る者に鉢合えば、マリーナはそこで血祭りとなる。
「紅夜くんか? よかった、合流できたんだな」
「そんなことより、マリーナさん!」
これから組織を抜けると決めた紅夜と蒼姫だが、まだ怪しい行動はとっていない。見咎められても、負傷者の救助と言い訳もできる。けれどマリーナは違うのだ。
「分かっている。残る子供は君たち二人の他には、ラミアとザノイックだけだ」
聞き知る二つの名前を言われて、紅夜と蒼姫は同じことを考える。
それは無理だ。
ラミアやザノイックは、自ら望んでセルガに膝をついたのだ。
「だがまずは、君達を安全に送り届けねば」
炎の壁が割れた。マリーナが使用する古代魔法【メロディア】。音を通じて人の目には捉えることができない精霊を使役する術。
「さぁ、急いで――――」
ズブリ、と。
「!?」
嫌な音がした。見れば、マリーナの胸から刃が生えている。
「どこに行く気だ? マリーナ・ウィキル」
蒼姫が珍しく苛立ったように、歯を食い縛るのがわかった。紅夜も舌打ちしたくなる。よりにもよってこいつが出てくるのか。
「セルガ・・・・ッ」
マリーナはふら付きながらも、膝を折ることはしなかった。華麗な動作で距離をとる。刃は刺さったままだ。
(早くしないとやばい)
自分は全身が痛むが、それだけだ。煙を吸いすぎて意識は朦朧としているが、それでも本格的に危険な段階ではない。
けれど、マリーナは。
(肋骨すり抜けて臓器もやられてる可能性がある)
自分達の絶対的な味方であるペルセフォネと早く合流しなければ、マリーナは瞬く間に命を落とす。
紅夜は口の中で素早く詠唱した。万全ではないにしろ、動く。
しかし、気がつけば紅夜はひっくり返っていた。セルガではなく、蒼姫によって。
「紅夜じゃセルガさんの相手は分が悪いよ」
その言葉に、セルガは嫌味に笑った。
「お前ならその役が務まると?」
「うん」
蒼姫はにっこりと微笑み、そして。
赤眼を覆う黒の眼帯を外した。
血に呪われたような瞳の奥の、更にその奥深く。
封じられていた彼女の本当の【力】が、妖しい光を放つ。
【魔女の邪眼】。その発動。
瞬間、強い衝撃がセルガを襲った。目には見えず、傍目には何も起きたようには思えない。
けれど。
セルガは膝から崩れ落ちた。目、鼻、口、耳。あらゆる箇所から血が吹き出る。体は痙攣を繰り返し、関節を無視するように左腕が大きく曲がった。
見ていた紅夜はぞっとした。
「何を?」
「“魔女の力”だよ」
「?」
首を傾げる紅夜に、少女は赤眼を覆って答えた。
「これがトロナイルで赤眼が排斥される理由。強すぎるんだよ」
だから恐れて、滅ぼすことを、かつての民が叫んだのだ。
蒼姫達が退散した後も、セルガは辛うじて意識を保っていた。そこに、若い女性の声が掛けられる。
「あーらら。飼い犬に咬まれちゃったのね」
「お前・・・・」
栗色の巻き毛に海色の瞳。数十年前に別れた時と変わらない、鮮烈な美しさを誇る妙齢の女を、セルガは知っていた。
「楽園の亡霊、俺を殺すか?」
「亡霊はやめろって言ったのに」
肩を竦める【星空の宴】首領ルフィス。彼女は遥か太古に滅んだ楽園エメリヤ王国を築いたシェラフル民族の生き残りだ。
・・・・やっと、ようやく逢えた。
「放っといても死にそうよ。ま、その前に」
ルフィスは膝を折り、昔なじみの宿敵を見下ろした。
「トロナイルの王女はどこ?」
セルガはムッとした。この女、数十年ぶりに再会した男より、あくまでも仕事を優先するのか。昔と全く変わってない。
「・・・・相変わらず、か」
初めて会った時、ルフィスは自分より年上だった。けれど、気づけば自分が年上になっている。親子ほど、歳が離れて。
彼女の時間は止まったままだ。永遠に。
だから離れた。同じように生きることのできないヒトの身である己を呪いながら。たとえ男として愛されなくても、愛する自信はあったのに。いつか彼女と【奴】を二人遺して死ぬ未来が耐えられなかった。喉から手が出るほどに求めた女は、【人間】ではなかったのだ。
思えば、古代魔法を派手に使いまくったのも、閉ざされた国にいるルフィスの気を引きたいが為だった。その瞳をほんの一瞬でもいいから、独占してみたかった。
幼い暗殺者二人を意地悪く引き離したのは、その姿があまりにも【彼ら】に似ていたからだ。互いを一途に想い、支えあう様が憎らしかった。自分がかつて望み、そして得られなかった絆。年甲斐もなく本気で妬んだ。セルガは周囲が思うよりも子供だったのだ。
「で、どこなの」
でこピンされた。懐かしい。自分が何かしら馬鹿をすると、彼女は呆れながらこんな風に額を弾いたものだった。
「お前と入れ違いで逃げた」
「やだ、面倒な展開だわ」
どうやらセルガを疑う気はないらしく、言葉を聞いてルフィスは黙り込んだ。参ったわね。そんな顔だ。
「なぜ王女を捜す?」
「国王から生存の確認を頼まれたのよ」
「へぇ」
どうでもよさげな相槌に、今度はルフィスがムッとした。
「訊いといてソレ?」
「はん。で、殺るか?」
「・・・・もちろん。私が殺してあげるわ」
セルガは目を瞠った。
「お前・・・・もしかして」
「って、ウォルに言われたのよ。あんたはそう望むだろうって」
「・・・・そーかよ」
こちらの想いに気づいていたのかと驚くのも束の間、案の定【奴】の入れ知恵だった。思わず歯噛みする。あの糞野郎。
「ねぇちょっと? 嘘ヤダ。炎の熱と煙でもう手遅れ?」
寧ろその方がいい。なぜ数十年越しに再び失恋の痛手を味わわなければならないのか。
「うるせぇ。殺れ」
ルフィスは、溜息をつきながら、水晶の杖を構えた。
「わかってるわ。・・・・いつかまた、地獄で逢いましょうね」
嘘つけ。セルガは思った。このホラ吹き女が。死ねない体で何を抜かすか。
けれど、それが彼女なりの弔意であると分かってもいた。そして、理解できる自分にげんなりする。
「ねえ、セルガ。今更こんなこと言ったって意味ないんだろうけど、あんたは私にとって大切な、可愛い息子だったのよ」
紡がれる見送りの言葉。
確かに共に在ったかつての友にして子、旅立つ者への贈る言葉。
セルガは、誰よりも愛する女に首を跳ねられ最期を迎えた。
蒼姫は不意に、背後を振り返った。
【ラジェーテ】が、燃えている。自分が育った闇の象徴。
その終焉。修羅の崩壊。
「蒼姫?」
合流した博士に一時的な治癒魔法を施され、すっかり全快した紅夜が少女を呼んだ。後でまた痛むのだろうが、今はとりあえず逃げることが最優先だ。
「どうした?」
「終わるんだなって」
自分達が生きてきた世界が、燃え尽きる。たとえ忌むべき過去だとしても、決して忘れることは赦されない罪の記憶。
全てが紅く染まった、冬の月夜。
「追っ手が来るぞ!!」
周囲で悲鳴が上がった。
自分達以外にも、組織を抜けようと画策していた輩がこんなにいたのは驚きだった。その中には先に離脱したらしいサーシェス・ユリットの妹である、サーシャ・ユリットの姿も見受けられる。本当に子供が多い。十六歳の紅夜は年長の方だといえるだろう。
「蒼姫、行くぞ」
「うん。博士!」
蒼姫の声に、ペルセフォネが立ち上がる。背にはマリーナを負ぶっていた。生憎と紅夜は背丈がまだ足りていないので、インドア派の自称非戦闘員であるペルセフォネ自ら患者を抱えての逃亡となる。
「博士、遅い」
「ふん。私が運動できると思うのかね」
「威張るなよ。この運動不足の塊が!」
「見つかっちゃうから静かにして!」
一番危険なメンバーは、一番喧しく騒ぎながら逃亡した。
そして。
焼け跡から発見された首だけの男は、安らかな顔で眠っていた。
宛てもなく走り続けた。情けなくへばるペルセフォネの尻を蹴飛ばしながら。彼女の手を掴んだまま。
どれだけ時間が経っただろうか。ようやく立ち止まると、朝が近いと気づいた。東の空が白い光を帯びている。
「紅夜」
「ん?」
振り向くと、少女が疲れたように笑った。
「ちょっと休も? “邪眼”で調べた。周囲に敵はいない」
【邪眼】?ああ、セルガをやったアレか。ぼんやり思う。
「そっか、ありがと」
軽く頭を撫でると蒼姫は目を瞠った。驚いたような反応に微苦笑しつつ、再度ありがとうと伝える。少女は照れたように笑った。
紅夜も笑って返した。蒼姫だけに向けられる、至極穏やかで優しい表情。座り込んで様子を見ていたペルセフォネは「差別だ」と呟いた。
数日後マリーナを含めた四人は、人気のない山奥に足を踏み入れた。自殺の名所らしく、なんとも陰湿だ。もちろんそんなものを怖がってやる可愛らしい性格の者などこの中にはいないのだが。
「向こうの方に山賊の根城があるっぽい」
「よし。乗っ取れ」
真顔で言うのはペルセフォネだ。自分は動く気ありませんという意思が透けて見える。
「この怪我でかよ。出来なくはないけど、面倒だ」
一方、男二人が今夜の寝床確保に奔走している間、蒼姫はマリーナの看病役を買って出た。こんな風に誰かを世話するのは、紅夜を拾ったあの時以来だ。
「あの子達は・・・・ちゃんと、逃げ延びただろうか・・・・」
マリーナは朦朧としながら、血の繋がりもない子供達を案じていた。とりわけ、先に逃した愛弟子三人を。
いつだったか、子供のできない体だと噂を耳にしたことがある。かつて妊娠したが組織の命で堕胎を余儀なくされたらしい。当時の彼女はまだ若すぎ、母体も危険だったのだ。マリーナ程の暗殺者と、才があるかも分からぬ胎児など、組織が秤にかける訳がない。
目が覚めた時、子供は自分の腹から消えていた。マリーナは絶望した。確かに望んだ妊娠ではなかったけれど、宿った命に罪はないのに。そうして泣き崩れる彼女を、慰めた男がいた。
「クーディス・ラゴートだ」
「えっ?」
蒼姫は思わず声を上げた。
クーディス・ラゴートは悪名高い組織の裏切り者だ。蒼姫が誘拐されて来る前には死んでいたので顔は知らないが、その名はある種の畏怖を込めて囁かれていた。
そして、確か最期は。
「私が殺した」
蒼姫の困惑に気づき苦笑する。
「だが、奴は最期の望みを私に託して逝った」
「望み・・・・?」
「奴には一人息子がいた。だから奴は最後、私に頼んだ」
もし可能なら、助けてやってくれ、と。
「その息子さんって、もしかして」
蒼姫の溢した声に、マリーナは微笑んだ。
「正解。ランティス・ラゴートだよ」
それはマリーナが、真っ先に逃した愛弟子の一人だった。
「私は、約束を果たせただろうか?」
切れ長の目に浮かぶ涙に気づき、蒼姫は思わずその手を握った。
「私は、嬉しいです」
「蒼姫?」
「私は、あなたがここにいてくれて、嬉しいです。もしも子供を産んで、自分で育てられなくても、あなたが引き受けてくださるなら安心です」
我ながら意味不明な事を口走っている自覚はあったが、何も言わずにはいられなかった。子供が好きで、優しくて楽しい大人の女性。実母とは見事に拗れていた蒼姫にとって、彼女は間違いなくもう一人の母親だった。
そんな人が泣いている。罪に疲れて泣いている。恐らくは、自分が殺した男を想って。そして、自身が慈しみながら育てた子供たちの無事を祈って。
「もう、組織はありません。強く振舞わなくてもいいんです。ここにいるわたしたちは、確かに人間です」
命令に従うのみの傀儡でいる時代は終わった。これからは己の罪と向き合う人間として生きていかねばならない。
「泣いてもいいんです。わたしたちは迷宮を這いずり回る人形ではなく、戸惑いながらでも今を生きる人間だから」
その言葉を、金髪の少年は離れた所から聴いていた。
今を生きる、人間。
(なれるのかな、俺も)
復讐鬼【黄金の鷹】。そんな風に呼ばれた自分でも、彼女の傍にいれば、いつか。
(でも)
蒼姫にはまだ、問題が残っている。
その日の夜。
「え?」
結局山賊から屋敷を拝借(強奪)した。大人組は早々に夢の世界へ旅立っている。丁度話もあったので、紅夜は少女と月見に興じていた。
「いや、だって帰る場所あるだろ?」
自分は天涯孤独の身で、大人組も同じようなものだろう。けれど蒼姫は違うのだ。
「トロナイルに帰りたくないか?」
王女という身分に生まれた蒼姫は、帰る場所が残っている。国が滅ばない限り。
祖国が恋しくない筈がない。だから、彼女が望むなら王宮に送り届けてやるつもりだった。
しかし、予想に反し蒼姫は拒否を示すように頭を振り、紅夜の袖を小さく握った。
「・・・・ねぇ、紅夜はわたしが嫌いなの?」
「は?」
寧ろ真逆だと目を丸くする紅夜に、蒼姫が言う。
「だって、また遠ざけようとしてる」
泣きそうな言葉。一度は自己満足で突き放した紅夜は何も言えなくなった。




