遠くに君を想えばこそ
わたしは何も知らなかったのかもしれない。
ただ、好きだからそばにいた。
それだけだった。
だけど。
君は、それだけじゃなかったんだね。
・・・・ごめんね。
「今日から俺はお前を“蒼姫”って呼ぶ」
「え?」
突然の宣言にキョトンとなるノアリスだったが先日、彼に出自を知られたことを思い出した。本名を名乗ること自体セルガに禁じられていることも。
「その心は?」
「目が蒼いからだ」
片方は赤眼なのだが。いやしかし、こちらにそういう名を与えてくれるということは。
「ね」
「ん?」
ドキドキと、柄にもなく緊張しながら口を開く。
「・・・・紅夜?」
最後の最後まで自分から名乗ろうとしないのであろう少年は、ふんと鼻をならして答えた。
「なんだ」
「! 紅夜っ」
この半年間で初めて返事をしてくれた。喜びのあまり抱きつく蒼姫に、紅夜は狼狽える。
「ばか、放せ!」
「えぇー? ちょっとは仲良くしようよー」
「だからって抱きつくな」
勘弁してくれ。一気に心拍数の跳ね上がった胸を抑えながら蒼姫を引き離す。少女は膨れたが、それでも機嫌は良いらしく終始ニコニコと笑っていた。
それからは、嘘のように穏やかな日々が続いた。
時々蒼姫が任務のためにでかけることはあったが、いつだって無傷で帰ってきた。彼女の能力は文字どおり、身を以て知っている。
しかしある日、蒼姫が任務先で倒れたと聞いた。現地に向かおうとする紅夜を、ペルセフォネが止める。
「お前は正規の構成員じゃないだろう」
「だから? 王家への人質価値を理由に優遇されている蒼姫を、快く思わない奴もいるの俺も知ってるんだ。弱った状態で身内に消されるなんて、珍しい話じゃないだろ」
いつかの赤毛の娘がその筆頭だろう。捕虜であるはずの自分が平和に過ごせたのも、彼女の傍にいたからだと理解している。そもそも組織が滅びた今、紅夜を養う意味も【ラジェーテ】側にはないのだ。そんな自分が現場に出向けば空気が悪くなるだろうが、彼女をひとりにはできない
「頑固だな」
やれやれと荷物を纏めるペルセフォネに、紅夜は視線を投げた。
「あんたも行くのか?」
初めて出会ってからずっと、この二人の関係が掴みきれない。自分とルアードのようなものだろうかと考えるが、それだけではないようなきがする。
「私は専属医だからね」
学者か医師か暗殺者か。どれか一つに絞れよまどろっこしい。胡乱な目で見ていると、ペルセフォネは肩を竦めた。
「私は学者の家系出身で、数年前まで王宮で典医の役職を賜っていたんだよ」
「は?」
「けれど、王宮の毒殺事件で冤罪を被せられてね」
まさかここで王女殿下に会うとは思いもよらなかった。そう懐かしげに苦笑する横顔に束の間、翳りが見える。
「この世は、本当に狂っているよ。あんなに優しい娘に、なぜ花を愛でることさえ赦さないのかと」
「元は蒼姫の実家に忠誠を誓ってたのか」
ペルセフォネがこんな掃き溜めに居座り続けるのは、かつての主君たる一族の姫君と、捨てきれぬ祖国の為ということだ。
(じゃあ、やっぱり)
紅夜は正直、蒼姫にはこんなことしてほしくない。剣を携え血を纏うより、シャベル片手に植物でも育てる方が、よほど彼女に合う気がする。
今はっきり分かった。ペルセフォネは自分と同じことを考えている。彼女を殺戮から遠く離れた、平和で優しい世界に導く方法を。
自称非戦闘員であるペルセフォネの護衛として随行した紅夜は、自分に突き刺さる敵意と嫌悪と視線に肩を竦めた。こちとら子供ながらに武装組織で育った暗殺者なのだ。無言の圧力に屈してやれるほど可愛い性格はしていない。
全く動じない紅夜に、ペルセフォネが呆れたように声をかける。
「見た目だけでも神妙にできんのか」
「は? 大人しくしてるだろ」
「その態度が生意気だ」
しょうもない応酬を繰り返す二人だったが、紅夜がまず気づいた。
「博士」
「ん?」
「この先、すごく匂う」
ここ半年は縁が薄くなっていたけれど。
「血の匂いだ」
ペルセフォネが舌打ちした。何故か、不安げにこちらを見る。
「・・・・まずいな」
「?」
首を傾げ説明を求める紅夜を横目に、ペルセフォネは歩を速めた。
「何?」
「蒼姫かもしれん」
「は?」
ペルセフォネは、無知な少年に哀れみの目を向けた。
「お前は彼女の中の“悪魔”を知らない」
「いや、身を以って知ってるけど」
なにせ腹を抉られたのだ。
しかし、ペルセフォネは鼻を鳴らした。
「あんなものは氷山の一角に過ぎん」
自分の周りに張り付く、子犬のように無邪気な少女。
そう思っていた。そう信じてた。
彼女はいつでも、優しく笑ってくれたから。
「・・・・蒼姫?」
目の前にあるのは、自分が家族を喪ったときのように、紅の雫で海ができていた。
その中央に立つ、見知った黒髪の少女。
「こーや?」
ころりと首を傾げる。オッドアイの焦点は合っていない。薄い唇は弧を描きながら、顔色は真っ青だった。
「どおしたの?」
「お、ま・・・・」
こみ上げる吐き気を飲み下し、紅夜は蒼姫に駆け寄った。彼女は血まみれで、怪我の有無が心配だった。
「大丈夫か?」
「うん? あぁ、へーきだよ。わたしの、じゃないから」
全て返り血。
絶句して立ち尽くす紅夜に、蒼姫は儚げに笑んだ。今にも泣きそうな表情で。
「ごめんね」
誰に何を詫びているのか分からなかった。自分達に心配させた事か、それとも、殺した相手に対してか。
蒼姫の体が崩れた。
紅夜は咄嗟に受け止められず、少女は血の海に臥す。
薬の臭いがした。
不調を押して任務を達成するために、薬物を摂取したのだと、瞬間的に理解して。
・・・・それが、自分も含めた、あの屋敷での3人の暮らしを守るための手段だったのだ。
紅夜が知る、誰よりも優しい娘。
どうして彼女は、こんな深い血の海で溺れているのだろうか。
「助けたいか?」
不意にかけられる声。紅夜は振り向いた。
「・・・・セルガ」
「そいつを救いたいか?」
紅夜の体を、強い感情が貫いた。
こんな血の海で、狂ったように泣き笑いながら、独り謝罪を繰り返し続ける哀れな少女。
もし、叶うのであれば。
「何が望みだ?」
紅夜の顔を見て、セルガは愉快げに口元を歪める。
「簡単だ。お前がこいつの身代わりになれ、“黄金の鷹”」
ふと、声が聞こえた。
『わかった、いいよ。俺は一生あんたの下で働いてやる。こいつとは・・・・二度と会わない』
何の話?
『だから、こいつの自由と身の安全を約束しろ』
「待って」
掠れた声で呼びかけると、綺麗な金の髪が揺れた。
『ごめんな』
朦朧とする意識にその声は、寂しげな色でわたしの心に響く。
『さよならだ』
そして、わたしが紅い月の夜に出逢った黄金の彼は、この日から姿を消してしまったのだ。
「“黄金の鷹”ぁ!?」
【ラジェーテ】での初任務ということで、紅夜にはお目付け役が与えれられた。思わず頬が引きつる。何故なら相手はいつか蒼姫に手を上げていた、あの赤毛の娘だったのだ。名前は何だったか。
「セルガ様、本当にこんな怪しい奴を引き入れるのですか」
そして、礼儀知らずでもあるらしかった。
いくらなんでも、相手が真正面にいる状態でそのようなことを上司に詰問するなど失礼だ。後からこっそり聞けよと呆れつつ、別に誰かと親しくしようとも思わない紅夜は早々に割り切った。
「セルガ、何この頭悪そうな女」
「はぁ?」
「ラミアナ・スプラン。“茨姫”だ」
娘の抗議を遮ったセルガの答えに、ふうんと鼻を鳴らす。
「あれだろ? 毒食って育った“血色の薔薇”」
「そうだ。ラミアと呼んでやれ」
「気が向いたら」
肩を竦める紅夜に、ラミアは憤然と口を開いた。
「あんた、“新人”なら態度に気をつけなさい。セルガ様を呼び捨てにするなんて論外だわ!」
強気の言葉に、紅夜の反応は一つ。
「ハッ」
鼻先で、せせら笑った。
今や紅夜にとって一番大切なものは蒼姫であり、その次にペルセフォネ。それ以外に興味はないし、自分はどう思われても構わない。
復讐心は、すっかり萎えてしまっていた。蒼姫の傍らでペルセフォネの説教を聞き流す半年で、棘は綺麗さっぱり抜かれてしまったのだ。
我ながら無様だった。何もかもが中途半端で、ひどく惨めに歪んだ精神。
けれど、壊れかけの心は救われた。あの二人の莫迦みたいな優しい温かさに触れて。本当にそっと、少しずつだったけれど、でも確実に癒されていた。そこにある笑顔が嬉しかったのだ。
きっともう会うことはない。彼女は組織が所有する田舎の土地にペルセフォネと共に「療養」という名目で平穏を手に入れたはずだ。
(これでいいんだ)
自分では何も返せない。守る手段はそれしかなかった。偽善者の自己満足と言われても紅夜は彼ら二人に、とりわけあの孤独な少女には、彼女から与えられた優しい日々を返してやりたかったのだ。この程度で恩返しできたとは思わないけれど、今はこれで精一杯だ。
寂しさを感じないかと問われれば、答えは否。けれど、自分で決めた。あの儚げな蒼い花は殺戮の場に似合わない。以前から感じていたことだった。王女に生まれた彼女より、戦の民として教育されてきた自分にこそ、他者を踏みにじる殺人鬼は相応しい。
「ちょっと金髪」
「なんだ赤毛莫迦」
「はぁん!?」
ラミアは喧しい娘だった。蒼姫の平和呆けしそうな穏やかさが懐かしくなる。鬱陶しく思いながら口を開いた。
「で?」
「あんたの出番よ。アタシは高みの見物だもの」
「あそ」
茂みから視線を投げると、小さな集落があった。農村? 首を傾げる紅夜に、ラミアは呆れたように溜息をついた。
「話聞いてた?」
「聞き逃した」
「あんた莫迦でしょ」
もういい。そう言って立ち上がるとラミアが素早く詠唱する。広範囲に影響する睡眠魔法だ。
「これで一般人の動きは封じられるわ」
紅夜は瞬いた。
「一般人は巻き込まないのか?」
「何その反応」
信じられない紅夜にラミアは眉を寄せたが、【ラジェーテ】がそんな良心的な集団なら、ルアードは人の道から逸れたりしなかった筈だ。
「“星空の宴”は知ってる?」
「あの神出鬼没の?」
「そう、あのふざけた連中。最近ウチと一触即発って感じでね」
「なるほど」
【星空の宴】は危険な古代魔法・技術の使用を制限しようとしている。確かシェラフル民族の末裔が筆頭になっていると聞いた。世界中の闇市で流通している古代魔法等は、大概が故国エメリヤが滅亡した混乱に乗じて外に流出してしまったものだから、と。
そしてこの【ラジェーテ】は、その古代魔法をこれでもかというほどよく使っている。どれもが高威力と危険を伴うが、これらなくして【ラジェーテ】の繁栄はありえなかっただろう。
目をつけられないよう慎重にやれ、ということらしい。【ラジェーテ】は既にマークされている。そこで大っぴらに一般人を惨殺しようものなら格好の弱みになるだろう。
(あいつは、こんなとこにいたんだな)
半年間、自分がどれだけ彼女に甘えていたかを思い知り、紅夜は一人恥じ入るように俯いた。




