彼らの日常
いつ来ても「いる」男だ。
リアは半ば呆れ、そして感心した。
(それだけミナのことが好きってことよね)
もう少し素直に好意を表せたなら文句なしだったが、「彼」もなかなかに意地っ張りな性分らしい。なんだか親近感を覚えてしまいそうだ。
「イリヤ、おはよう」
「おはよう。いい朝だね」
声をかけられたイリヤス・ジルハーツはにこやかに応じる。
「朝食デート? いいねえ。秋だってのにお熱いことで」
「・・・なんか、棘あるな」
「その前に訂正しなさいよ。デ、デートとかじゃないんだから」
単語ひとつでも気恥ずかしく、リアはつっかえながら言った。すると、そんな少女を見てジャスはにこやかに一言。
「真っ赤だな」
呑気にも笑ってのたまった。
(な・・・なんか、あたしばっか意識してる)
それもそのはずだが、あまりに反応がおかしければ勘付かれるかもしれない。それは断固阻止せねば。
(ジャスはどう思ってるのかしら・・・)
ちらり、と横目で窺えば、彼は相席したイリヤと談笑していた。
その様子を眺めながら、ぼんやり思う。
(笑ってると、本当に普通の男の子みたいで、ちょっと可愛いかも)
人間離れした美貌から滲み出る滴るような色香は、夜露に濡れた紅薔薇がごとき妖艶さだ。しかし、こうして昼間に友人達と過ごしていると、その姿は本当に「少年」なのだった。
人懐っこい表情は無邪気な子どものようで、ついつい眦が下がりそうになってしまう。
(・・・・って!)
馬鹿か。
相手はジャスだ。いつもは忘れがちだが、これでも大国の王子で、気軽に言葉を交わせるような身分では決してない。
いや、問題はそれ以前だ。
自分が抱える感情は、許されない罪だというのに。
それを伝えたい、打ち明けたいなど、恥知らずにも程がある。
(でも・・・・・)
感謝の念くらいなら、サズも許してくれるだろうか。
よし、と密かに決意を固め、ジャスとイリヤに軽く挨拶して席を立つ。ミナに頼みごとがあったのだ。
「ミナ」
呼ばれて振り返ると、最近よく店の手伝いをしてくれていた友人の姿があった。
「リア? どうしたん」
今日は客としてきてくれたと思っていたのにと首を傾げるミナに、少女がおずおずと歩み寄る。
こそこそと店の作業場に顔を出したリアは、周囲には誰もいないというのに、やはり小声で告げた。
「あ、あのね。ミナが忙しいのは重々承知してるし迷惑だとも思うんだけど、本当に凄く暇な時にでもいいから、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いいかな・・・・?」
控えめというか謙虚というか。低姿勢を通り越して、寧ろ消極的なようにさえ見える「お願い」の仕方だが、他者に助力を求めるのが苦手なリアの性分は、短い付き合いでも承知している。
「ええけど、何なん? そのお願いって」
寧ろ、そんな彼女にそこまで言わせる「お願い」の内容に興味をそそられた。多分そこまで大きなことではないのだろう。そういう事に限って、自分で何とかしようとしてしまう、そんな少女なのだ。
「えっとね、誰にも言わないでほしいんだけど」
ぼそぼそと続けたリアは、よほど気恥ずかしいのか手をもじもじと弄んでいる。じっとしていられないらしい。
(可愛いなぁ・・・)
こんな素直さが、自分にもあればいいのに、とミナは羨ましくなった。せめてリアの半分でもいいから、女らしくなってみたい。
周囲からはモデル顔負けと評判の長身も、あまり異性には受けがよくない。寧ろ小柄なリアの方が好まれるだろう。
更に言うなら、胸の育ち具合だ。
自分は見事に断崖絶壁だが、逆にリアは小柄な体躯にそぐわぬ豊かさだと、最近になって分かってきた。背が伸びなかった分の栄養は全て胸部に流れたのではないかと勘繰ってしまうほどだ。
それでも男達が彼女に声をかけないのは、その傍らにジャスがいるからだ。あれほど人間離れした美貌を誇る(本人は母親譲りの女顔だと嘆いている)男と張り合っても、惨めな思いを味わうことになるのは一目瞭然で、いわば当然の流れと言えた。
リアへの羨望を抱くミナだが、その他大勢に好かれたいわけではない。それでも、もう少し彼女のような可憐さが欲しい、と無いもの強請りになってしまう理由は、まあ、認めたくは無いが幼馴染であるイリヤにある。
こういう女の子の方が、好みだったりするのだろうか。
彼は自称フェニミストで、昔からどんな女性にも優しく、甘い笑顔で応じていた。けれど、心なしかリアには自分からちょっかいをかけている気がする。
イリヤがリアに惚れている、とは思っていない。リアの隣にはジャスがいる。それは、あの二人を知る誰もが承知している事実だ。
ちょっかい、と言っても、それは大概ジャスとの関係をからかう類のものだ。そうして真っ赤になって俯く彼女に、笑顔で「かわいいね」と囁く。テーブルの下でジャスに足の甲を踏まれ、更には邪魔者抹殺と言わんばかりの鋭い睨みを浴びせあられていたけれど。
かわいい――――恥じらい俯く、女らしいその所作を、わざわざミナの目の前で褒める。
言ってしまえば、陰湿な当てこすりなのだ。
こんな風にはなれないのか、と。
彼の意のままに動いてやるつもりなど毛頭ない。それでも、考えてしまうのだ。
「ミナ?」
いつの間にか、難しい顔をしていたらしい。リアが不安そうに見上げてくる。
「あ、うん。大丈夫、誰にも言わへんから、言うてみ?」
「あのね・・・・」
耳打ちされたミナは一瞬だけ目を瞠り、すぐ「やっぱり」と苦笑した。
(可愛いなぁ)
誕生日が近いジャスに、何か手作りの菓子を贈りたい、というのだ。
もしここにイリヤがいれば、
「キスでもしてあげれば? 今世紀稀に見る間抜け面を拝めるよ」
と、抜かしたことだろう。勿論ミナは口に出さなかった。
(でも、そっか。誕生日・・・)
ジャスの誕生日は12月3日。たっぷり一ヶ月は余裕がある。リア本人から料理音痴は告白されていたので、早速ミナは何が最良か思考を巡らせた。
(喜ぶやろな、ジャスも)
彼は自分の誕生日を祝うことはしない。照れているわけでもなく、ただ興味を失っていたのだ。
本来なら誰よりも祝福してくれる筈の、実の両親に拒絶された幼い日に、全て。
けれど、リアから手製の菓子を贈られたら、それは喜ぶことだろう。イリヤの意地悪が伝染したわけではないが、軽く挙動不審になる姿を想像してしまった。思わずにやけてしまう。
「うん、協力させて。お菓子の候補は考えとくわ。次の休み、そっち行ってもええ?」
「ありがとう! うん、お願いします」
リアが表情を輝かせて感謝を述べ、二人の少女はほのぼのと笑みを交わした。
一方、リアの姿が見えなくなった途端、イリヤはニヤリと口角を上げて不敵な笑みを浮かべた。
「ほんと、仲いいねぇ」
「・・・あのな、あいつの前で言い過ぎないでくれるか? 下手に意識されたら困るんだよ」
「付き合っちゃえばいいのに。王太子っていっても休業中なわけだし、それくらい羽目外してもいいんじゃないの?」
「そっちこそ、そろそろ本気の構え見せてもいーんじゃないの。苛めてばっかじゃ、そのうちミナも別の婿殿つれてくるぞ」
軽い嫌味の応酬は、気心の知れた間柄では言葉遊びに他ならない。それでもジャスは、イリヤの真意に気付いた。
リアと共に、ずっとこの国で暮らしていけばいいだろう、と。
(ありがたいんだけど、さ)
人生の中で、これほど親身になってくれる友に出会える者がどれほどいるだろう。それを思うと、自分は本当に恵まれていると思えてきて、ついつい笑みが零れた。
(うん)
目を閉じ、その未来を夢想してみる。
彼女と、ずっと一緒に――――。
そうなればいい。否、そうなりたかった。
けれど。
(もっと早く会いたかったよ)
思えば、セレナはジャスの想い人がリアであると予知していたが、逆に彼女が誰を選ぶかは明言せずに逝った。
ただ見えなかっただけかもしれない。
だが、もしかしたら気を遣ったのかも知れないな、と今なら思う。
どれだけ想いを捧げたところで報われることはないのだと、あのセレナが自分に言える筈もない。
「そういえば、ジャス」
「ん?」
呼ばれ顔を上げると、いつになく真面目なイリヤの顔がある。ジャスは思わず、余計なことを口走ってしまった。
「・・・いつもそうやってれば、ミナからの好感度も上がると思うんだけどなあ」
せっかく凛々しい印象を与えるのに、こういう時に限って、なぜ相手が自分なのだろう。彼は捻くれた性格と間の悪さで損をしすぎている。主に恋愛方面で。
「もったいないよな・・・」
おせっかいにも半ば本気で嘆くジャスに、イリヤは羞恥を含んだ苛立ちで、つい遮るように口を開く。
「それはそうとして!」
「あ、否定はしないんだな。自覚はあるわけだ。なるほど」
「ジャス。お前はリアがいないと、機嫌だけじゃなくて性格まで悪くなるわけ?」
「日頃のお礼ってことで一つ。で、本題は?」
散々に脱線させた張本人が何を飄々と。イリヤは珍しく青筋が浮く思いだったが、自制せよと言い聞かせた。
ジャスの言葉を意識しているわけではないが、そろそろ大人になろうと思う。いつかミナに気持ちを伝える為に。
「トロナイルの領土が荒らされてるって聞いたんだけど、クリフがいなくなったのと、何か関係あるのか?」
イリヤとしては、それなりに覚悟を決めての問いだった。
予想していたよりもずっと早く、目の前の友人が遠い祖国へと帰還するのではないか、と。
しかしジャスは、そんなイリヤの内心を知ってか知らずか、いかにも気楽に答える。
「ないよ」
「・・・本当に?」
「なんで嘘だと思うんだよ」
軽く紅茶を口に含み、喉を潤したジャスが、どこか他人事のように言う。
「あの“黎明の騎士団”とかいう怪しい組織のことなら、俺もずっと前から報告を受けてる。当然、陛下もご存知のはずだ。今はただ、泳がせてる段階なんだろ。というか、帝国との国境問題やらアラベルの流民の対処も、ようやく目途が立ったくらいだ。正直、あんな弱小組織を相手にしてやれるほど、暇じゃないんだよ」
潰そうと思えばいつでもできる。それでも父が実行に移さないのは、時を待っているのかもしれない。
王女である実の娘を攫った【ラジェーテ】が後身【黎明の騎士団】。王女本人の身柄が保護された今、彼らを叩きのめすのに躊躇う理由はないのだ。
かつて、一度は滅んだ組織。
それが今また再び不穏分子となっているのは、十年前に父が選んだ対処の甘さだ。
失敗は許されない。今度こそ、徹底的に討ち滅ぼす。父はそのつもりでいるのだ。
(・・・その油断を誘うための仮病、ってところかな)
更に深読みするなら、父はその指揮を自分に執らせるかもしれない。未来の国王たるに相応しい手腕を臣下に示すのには、またとない絶好の機会なのだから。
(それでマリアンヌ皇女との婚姻を発表して、帝国とも縁戚になる、と)
切れ者と(悪)名高い姫君を上手く味方にできるかは自分次第だが、もしも叶えば、帝国との外交は今までと比べものにならないほど円滑に進むことが予想できる。
まったく、よく出来た人生の筋書きだ。そこにジャスの意志など微塵も介在しない。まるで人形劇のようだった。
だが、王族とはそういうものなのだ。父も祖父も、きっとこうして王になっていた筈だ。
寧ろ、自分は稀代の幸せ者なのだと、最近よく思うようになった。
当初は親に捨てられたこと嘆いていたのに、今ではこのチュニアールこそが祖国のように感じてしまう。
家族同然に慕える仲間や、遠慮なく親身になってくれる友人。時に馴れ馴れしさが途轍もなく鬱陶しい、けれど終生、忘れることのない巡り会わせだ。
(リアのことも)
恋愛なんて一生できない、縁もないだろうと、ずっと思っていたのに。
その時、ぱたぱたと足音が近づいてきた。
「ただいま。・・・ジャス?」
店の奥から戻ってきたリアが、反応の薄いジャスに怪訝な目を向ける。
「どうしたの?」
首をか傾げるリアに、横からイリヤが楽しそうに声をかける。
「いや、へーきへーき。ジャスにリアのどこが一番好きかを聞いてただけだから」
「はあ!?」
ひらひらと手を振ったのはイリヤだ。意地悪く笑い、リアを唆そうとする。思わずジャスまでが声をあげ、周囲の客から何事かと視線を集めてしまう事態となった。
「ちょっと、ジャス?」
「いや、言ってないから。あんた何でも信じすぎだろ」
「別に信じてないわよ。ただ、何かヘンな話でっち上げてんじゃないでしょうね」
ひどい言われようだった。
「俺がいつそんな――――、ああ、もうっ!」
周りの客からはまるで痴話喧嘩を見るような視線を向けられ、諸悪の根源たるイリヤは二人を特等席で眺められてご満悦の様子だ。
「リア、帰るぞ」
「え」
この流れで何故と目を瞠る少女の右手をがっちり拘束し、会計はイリヤに押し付ける。せめてもの返礼だ。
『ごゆっくりー?』
『お前はいつか埋めてやる。絶対な』
散らした火花で意志の疎通は充分だった。俺が何したんだと内心で激しく愚痴りながら、ジャスは足早にその場を後にする。
歩く速度の違いに戸惑い、慌てて手を握り返してくる温もりは、あえて無視することにした。
(結婚すればいいのに)
聞けばリアは皇帝の姪であり、父は皇子のなかでも身分ある血筋の生まれだ。充分トロナイル王太子の妻たるには相応しい条件をそろえているように思える。流れる血は、皇室一家と限りなく近いはずだ。
「イリヤ」
「やあ、ミナ」
仏頂面で現れた想い人に微笑み、イリヤは首を傾げた。
「どうしたの?」
「・・・・あんま、リア苛めたらあかんで」
「やきもち?」
言った瞬間、水差しが脳天に振り下ろされた。
「ちょ、痛いんだけどっ」
「うるさい」
ゴンゴンと連続で叩かれ、流石にイリヤも余裕を失う。
「ごめん、もうしないから・・・・ねえ、ちょっと!」
「ふん」
「わ・・・っ、痛い痛い痛い!」
擦れ違い続けた彼らの距離が近づくのは、まだ少し先のこと。




