恩師の報せと静かな予兆
この頃、妙な夢を見る。不思議な懐かしさに満ちた夢幻の世界。
そんな風に感じる理由は、ずっと以前からわかっていた。
(まだ駄目。もう少し、“あの人”の――――みんなの、傍にいたいの)
拳を握った。
体調に変化はない。けれど、終わりが始まっていることは、自分の中に眠る龍の本能が訴えている。
(ランティスさんと一緒に生きていたい)
強く強く、そう思った。
「ちょっとランティス――――ッ!!」
リアがジャスに連行され席に着いてから数十分。
流石に食事も終えて、そろそろ解散するか、という空気になった時だった。
「リオン? どうした」
「真っ青だけど……」
「意外だな。慌てたりする可愛げが残ってたのか」
訝しげなランティス、不安げなリア、皮肉にも聞こえる感嘆をもらすジャス。
三者三様の反応に見守られながら、リオンはランティスの肩を掴んだ。
「居た!」
「何が」
「見つかったんだよ!」
「うん。いや、だから何が?」
「どうして気付かなかったのさ!?」
「どうして相手の声が聞こえないんだ、お前は」
非常に珍しく狼狽しているらしいリオンに、あくまで冷静になれと言い聞かせるランティスだったが、次に食堂へ駆け込んできたもう一人の幼馴染に気付き、軽く手を振った。
「サーシェス、ちょっと来てく――――」
「大変ですランティス大変ですどうしましょう」
「何かあったのか?」
悪戯好きで寝起きの悪いリオンだけなら、まあ盛大に寝ぼけているだけだと思えた。けれど、常に落ち着き払っている筈のサーシェスにまで、このように浮き足たっている姿を見せられては、気を引き締めざるを得なかった。
「あのですねランティス落ち着いて聞かざるべきなのです」
「本気で落ち着いてくれサーシェス。お前までそれじゃ流石に困る」
リオンの馬鹿はどうとでも無視できるが、幼少から頼りにしてきた姉にして妹のようでもある彼女が、冷静さを欠いてしまっている。それでは事情を説明されても正確に理解できる自信がない。
既に周囲からは奇異の眼差しが向けられており、ジャスやリア、セブンやラドまで目を丸くしている始末である。ヒースだけは馴染みといえる付き合いもないので、純粋に何かあったのかな、と首を傾げていた。
「で、何があったんだ?」
「見つかったんだよ!」
「それはさっき聞いた」
カッを目を開いて力説するリオンをばっさり切り捨て、ランティスはサーシェスと視線を合わせた。
「とりあえず、場所を移そうか」
十年に一度ともいえる確率でパニックを起こしていたサーシェスは、その言葉にも、やはり落ち着き無く何度も頷いた。
【ラジェーテ】出身の幼馴染三人が食堂を出て行って数分後。
「今のは何だったの?」
「さあ……でも、“見つかった”ってことは、探し物関連じゃないのか」
「え!? じゃあっ」
彼ら三人が十年に亘り捜し続けた恩師の行方が掴めた、ということだろうか――――?
目を輝かせ、そして潤ませるリアに、ジャスが優しい微笑で頷いた。
「多分そういうこと。ランティスも察しがついたから場所を変えたんだ。時間が惜しいだろうし、今頃は会いに行く準備でもしながら、詳しい話してるんじゃないか?」
「マジかよ」
「良かったじゃん」
「よくは存じませんが、おめでたいことなのですね」
セブンとラドも表情を明るくし、空気を読んだらしいヒースまで、何かを祝うような笑顔を浮かべている。
「じゃあ、あたしはリーシャに会ってくる」
「え? ラン兄が知らせるまで待ってた方が良くない?」
やや慌てた風に止めるラドに、リアは笑って首を振った。
「違うわよ。ランティス、前に言ってたの。お師匠様が見つかったら、その時はリーシャのことも紹介したいって。もし本当にお師匠様が見つかったんなら、リーシャを連れてしばらく帰ってこないかもしれないでしょ?」
旅支度を手伝う間は、リーシャを友人として独り占めさせてもらおう。悪戯っぽく笑い、リアは親友の居室へ向かい足を速めた。
リーシャの部屋はリアの部屋からそう遠くない。動機はどうであれ早朝から部屋に押しかけるのだから、何か手土産をと思い、リアは自室に戻り【リコリス】のクロワッサンを調達した。ここ暫くジャスを避けて城下の警邏に回っていて、ミナとも懇意にしていたのだ。
もうすぐ新作のタルトが売り出されるとのことで、ぜひ来てくれと言われたことを思い出し、リアはほんのり嬉しくなる。
半年と少し前まで、同性の友人など存在しなかった。皇女であるマリアンヌ・ルーゼランカとは従姉妹として親しくしていたが、あくまで「殿下」と呼ばれる地位の相手だ。気軽に部屋を尋ねたりなど論外だった。
もちろん、自分を姉を呼び慕ってくれた皇女が嫌いなわけではない。寧ろ好ましく思っているほどだ。けれど、そんな彼女とよく似た面立ちの兄太子が自分からサズを奪ったのだという認識から、己の器の小ささを自己嫌悪しつつ、距離を置いていたのも本当だった。
(そういえば、お元気かしら)
思えば、彼女も恩人と呼ぶべき相手である。
なにせ偶然とはいえ、ジャスのいる空中庭園を勧めたのは、他でもないマリアンヌ皇女なのだ。
あの時の気遣いが今に繋がるのだと思うと、なんとも不思議な感慨深さを味わった。たった半年で、世界のすべてが激変したのだ。
(そうだ。もしお母様のお墓参りができたなら、マリア様にもこっそり……無理かしら。ジャスに相談したら、何とかしてくれるかも)
認めたくないが、こういう知恵では彼に勝てない。箱庭で縮こまっていた自分と彼とでは、見聞きしてきたものが違うのだろう。経験の差だ。
(あと父様。いけない、忘れるところだった)
家出は詫びてもサズの一件では相容れないであろう父。けれど、それは仕様のないことだと、最近になって思えてきた。
父は自分で選んだ職務を全うしている。皇弟公爵として、国に仕える者として。
そして、本当に癪だが――――父親として。
もしもあの日、皇太子を殺していたなら、言うまでも無くリアの命はない。弁明の隙もなく、その場で首を刎ねられて当然の行為だ。
あの時の自分は、本気で思っていた。
「それでいい」と。
けれど、父からしてみればどうだろう。
夏頃レティアが言っていた。父は今も、亡き妻を愛しているはずだと。
その忘れ形見までが、自分を置いて死に急ぐ様を見せられ、父はどんな思いだったのだろう。呆れるほど父や皇女の気持ちを考えていなかった自分に気付き、溜息が漏れる。
きっと守ってくれていた。父も皇女も、こんな自分を愛してくれていたのだ。
(会いに行かなきゃ)
決意新たに歩いてゆけば、目当ての部屋にはすぐたどり着いた。
「リーシャ。起きてる? ていうか、いる?」
遠慮がちにノックする。こうして自ら扉を叩くのも、半年前までは殆ど無かったことだ。
「リーシャ?」
けれど肝心の、部屋の主から返事がない。まだ眠っているのだろうか。いつもは老人のように早起きだというのに。
リアはなんだか嫌な予感がした。そういえば、城にいるジャスを避けるあまり、最近は彼女とも顔を合わせていなかった。
もしや自分の知らないところで体調を崩していたのか。リーシャは慎み深い淑女であり、自分自身のことを周囲に伝えるのがあまり得意ではない。
逆をいえば、本心を隠すのにひどく長けているとも言える。皆に心配させまいと、あえて口を噤んでいる可能性があった。
「リーシャ、入るよ?」
控えめに声を張り、扉を開ける。
そして拍子抜けした。
「よかった」
リーシャは、これでもかというほどぐっすりと眠っていた。元々、神殿に囚われていた後遺症として異常なほど睡眠時間が長くなっているのだから、何もおかしいことはない。
どうやら杞憂だったらしいと胸を撫で下ろし、リアは友人の寝顔をそっと盗み見た。
(本当に、童話のお姫様って感じよね)
綺麗な淡い金髪に、ほっそりとした手足。同色の睫毛は真珠の肌に儚げな影を落としている。
同性のリアからしても、見惚れるほどの姫君だった。寧ろ彼女の方が、よほど公爵家の令嬢に見えるのではないだろうか。
(天使みたいな女の子……ありきたりだけど、リーシャ以上にその言葉が似合う女性なんて、きっといないわね)
羨ましいやら情けないやらで、リアは軽く溜息をつく。なにせ地味な容姿なもので。自分でも呆れるくらい、どこにでもいそうな娘なのだ。これで皇帝の姪だとか、知らない人が聞いたら寝言も大概にしろだとか言われかねない。
けれど、今更だ。気を取り直し、眠れる龍の姫に呼びかける。
「リーシャ、朝だよ」
柔らかな声で目覚めを促す。これがジャスなら枕を引っこ抜いているところだ。
「リーシャ?」
しかし、不意に違和感を覚えた。
胸が、鼓動を打っていない。
彼女は呼吸をしていなかった。
「リーシャ!?」
+ + + +
夢の中を泳いでいた。
虹色の空、眼下に広がる異世界の卵たち。
心地よくて幸せだった。
この空間こそが自分の在るべき居場所だと、本能で悟っていたから。
けれど、同時に強い反発を覚える。
どれほど優しい世界でも、そこに大切な人がいないと知ってしまったから――――。
+ + + +
リアが悲鳴に近い声で、名を呼んだ瞬間だった。
「はい」
非常にあっさりと、リーシャが瞼を上げた。
「へっ?」
真っ青だったリアは、みるみるうちに涙目になる。
「か、からかったの!?」
「ふふふ、リアを弄りたくなるジャスの気持ちが分かりますねぇ」
「共感しなくて良いわよ、そんなの!」
じとっと親友を睨み、リアは洟をすすった。本当にびっくりしたのだ。今おもえば酷く幼稚な悪戯で、寧ろ死人にしては顔色が生気に満ちていたことに気付くべきだったかもしれない。けれど、免疫のないリアは心臓に大きな負担を感じた。
「大体ジャスだって、こんなことしないわよ」
しかも彼の場合、無意識である事の方が多いので性質が悪い。
「ごめんなさい。でも、ここ最近ずっと構ってもらってませんから、御返しです」
仕返し!? リアは思わぬ反撃に狼狽した。大抵リーシャの近くにはディディやランティスがいるわけで、特別に寂しがっている様子はなかった気がする。
そんなリアの内心などお見通しなのか、リーシャは困ったように首を傾げた。
「リアっていう存在は、あなただけですよ」
ディディはディディで、ランティスはランティス。リアはリア。判り切っている当然の事実だったが、未だに人から必要だと言われることに慣れていないリアは、軽い衝撃を受けた。優しさが心地よく心に響く。
【最後の将軍】以外の自分を必要だと、好きだと言ってくれる場所。
「私の周りに誰かいても、遠慮なんて絶対にしないで下さい。寂しいからリアに会いたいのではありません。リアが好きだから、たくさん一緒にいて、思い出を共有したいのです」
不思議な色合いの碧眼に見つめられ、言葉に詰まった。
「リーシャ……」
「はい?」
にっこりと笑顔を作るリーシャに、リアは先ほどとは違う意味で目が潤む。人外の友から贈られた言葉は、思わず涙を流しそうになるほど嬉しかったのだ。
素直に感謝を述べ、しかしやり込められた感が消えなかったリアは、小さな反撃に出る。
「でも、さっきの、男の人だったら完璧な口説き文句よ」
「そうですか? ではジャスに“こう言ったらリアを陥落させられますよ”と助言しなくては」
「しなくていいっ! そもそも、そんな関係じゃないし、二番煎じじゃない」
「では、みんなで協議して、リアへの口説き文句を考えます」
「なんでそうなるの!?」
「ふふ、実はそういう計画が前々からありまして」
「!?」
遂に絶句するリアは、結局どこで誰といても、こうやってからかわれる運命なのかもしれなかった。
そして、少女は最後まで気付かない。
先程のリーシャは、本当に息をしておらず、心臓が完全に止まっていた。
いつだって自分は、大切なものを失う直前の予兆を目にしていながら、どうして気付くことができないのだろう。
そう少女が己を呪い涙する日は、すぐそこまで迫っていた。




