変化は日々ゆるやかに
ヒースが臨時護衛としてジャスに付き従うようになって一週間が経過した。
「あ、ヒースさん。おはよー」
「おはようございます」
「ヒー坊よぉ、そろそろ敬語はいらねぇぞぅ?」
「いいえ。皆様方は敬愛すべき我らが王子殿下の大切なご友人であらせられます」
堅いことを言いながら、クリフと違い柔和な雰囲気を持った【ジャスの護衛】は、あっという間に集団へと馴染んでいた。冗談も通じるし、愛想もいい。ジャスの許可が下りれば酒盛りにも参加しており、最近では彼の臨時を惜しむ声まで聞こえる始末である。
「いっそクリフと二人でジャスの護衛役すりゃいいのによぉ」
「てかさ、護衛って要るのか?」
「一応は王子だからなぁ」
「まあ一応ね」
「でも、ここチュニアールだぜ。何から守るんだよ」
「どっちかってーと、アレだよな。教育係?」
「んなもん学校あるだろ」
「ほら、王子だし。一応」
「ああー、なるほどなぁ。一応かぁ」
「一応は偉い人だからな」
「あんなでも一応な」
「王子ねぇ」
「一応だってば。一応。実質ただのガキだろ」
そんな無遠慮な遣り取りに、流石のジャスも顔が引き攣った。
「一応って何回言うんだよ」
「ジャス、堪えろ。大人になれ」
「ほーら。僕のニンジンあげるから」
朝の食堂。ジャスの右にはヒース、左にランティス、そして正面にはラドが腰掛けている状況だ。
「いらん。自分で食え」
ラドが押し付けてきた付け合せを、逆にそのままラドの口にねじ込んでやる。王宮では考えられないマナー違反だが、やはりヒースは何も言わない。寧ろ微笑んでいる。同時に、小さな声が聞こえてきた。
「ああ、あのお小さかった殿下が、楽しげにご友人と戯れておいでとは」
「……」
ジャスの中でヒース=莫迦という方程式が成立するのに、そう時間はかからなかった。
一方、食堂の入り口で、褐色肌の少年セブン・ボナクは、こそこそと中をうかがう怪しげな影と遭遇していた。
「リアさん? 何やってんだよ」
「!?」
振り返ったのは、やはり思ったとおりの人だった。初夏に加わったばかりの新参者。最初は気に食わない相手だったが、この秋に色々とあったせいか、そういった感情は薄れつつある貴族の娘だ。
「ジャスならあそこに……ああ、ラドもだ。リアさん、あのさ」
以前なら考えられなかった台詞だが、この時セブンは「一緒に行く?」と言おうとしていた。
けれど。
「リアさん?」
ジャスの名前が出た途端、リアが複雑そうな顔をした。
「ジャスと喧嘩でもしたのかよ」
「えっ」
男としては背の低いセブンも、少女として小柄なリアよりは目線が少しだけ高い。こちらを見てくる瞳は不安げで、つい首を傾げた。
「したんだろ?」
「な、なんでそう思うの」
「いつもはもっとベッタリして、いちゃついてるから」
「いちゃ……っ!?」
(自覚ナシでアレかよ)
セブンとて、気付いたのは収穫祭の頃だった。どう見ても相愛そのものという雰囲気で語らう二人の姿に、自分と片恋相手の少女を重ねたりもした。
(わかんねぇ二人だよなぁ)
あれで恋人ではないのだという。全く信じられない。
「どうする? 俺ラドんとこ行くけど。仲直りついでに一緒に行くか?」
「ええっと」
煮え切らない。喧嘩したわけでないなら何なんだろう。ジャスが勢い余って襲ったとか?
(って、それはないよな)
ジャスのことは個人的な理由で好きではないが、それでも少しの信頼や理解はあるつもりだ。何より、リアと話している感覚で、それは違うと勘で判断がついた。
ちなみに、セブンがジャスを嫌う理由は単純で、恋心を抱く相手であるディディが、ジャスを随分と慕っているのが気に入らないという、いかにも分かりやすい嫉妬だった。どうにも周囲には違う解釈をされているようだが、からかわれる可能性が異常に高いので、セブンは敢えて誤解をそのままにしている。
「……仲直りは、早いほうがいいよ」
結局セブンが言えたのは、そんな気休め程度の言葉だった。それでもリアがこくりと頷いたので、セブンはなんとなく安心した。
「リア」
セブンと分かれて尚も往生際悪く壁に張り付いていたリアだったが、流石に周囲から不審がられ、最終的に【保護者】であるジャスに通報される事態となった。
「朝から何やってるんだ」
「えーと……」
「リア」
別段、喧嘩したわけでもないのだから、気まずいと感じている自分に問題があるのだろう。もやもやとした気持ちの原因は、先日の「妹」発言に端を発しているのだということも、認めたくはないが理解はしている。
友人なのに妹扱いが不満、という訳ではないことぐらい、リアにもわかっていたのだ。
もっと別の感情が、自分の中にあることを知っている。
けれど“それ”は、あってはならない想いだ。だから厳重に蓋をした。だから、彼の言葉にこんな不快感と失望を覚え、落胆するのはおかしいのだ。
「何か怒ってるのか?」
どうした? と首を傾げたジャスは、俯くリアに視線を合わせようと身を屈めた。そして、相変わらずの膨れっ面に苦笑する。
「かわいいな」
「別にそんな言葉は求めてないわよ!」
「あー、はいはいはい。よしよーし」
完璧に妹、もしくは子犬扱いされている。リアはますます面白くない。それでも頭を撫でてくる手を不快には思えなくて、振り払うこともできない。
「朝はもう食べたのか?」
「……ううん。今から」
「じゃ、一緒に食べるか」
「いいわよ。ジャス、もう終わるでしょ」
「……そんなに、顔も見たくないのか?」
流石に痺れをきらしたのか、ジャスの声が呆れを含んだものに変わる。
「ちょっと傷ついたな」
「そうじゃない」
思ってもいない話の流れに狼狽しつつ、リアは慌てて否定した。顔が見たくないなんてとんでもない。寧ろ、彼の傍ほど安らげる場所など、リアの世界に存在しない。
「違うの。とにかく違うの」
「じゃあ、避けないって約束しろよ。ヒースが来てから一週間、少しも顔あわさなかったの、偶然じゃないよな」
いささか強い調子の指摘に、リアはぐうの音も出ない。事実だったからだ。
「……ごめんなさい」
「もういいよ。それで? 約束するか?」
「す、する」
「なら良し。改めてヒースも紹介したいしな。ラドの右……は今セブンが座ってるから、左側な」
「わかった」
妙なところで強引な男だ。そう呟きながら、リアは心の中で白旗を上げるのだった。
一週間、本当に堪えた。
ただでさえ残り時間が少ないのに、彼女が自分を避け始めたのだ。
勘弁してくれ、と心から思った。
(謝れないし)
心当たりがあるとすれば、唯一つ。あの「妹」発言だ。
けれど、指摘して彼女が図星に近い反応を返したら、それこそ困った事態ではないか。
ジャスは、リアと相愛の関係になりたいとは、全く願っていなかった。あと一年も経たないうちに離れるのだ。進展などしても辛いだけだろう。
いや、そもそも分かっていたはずだ。彼女の中に、自分ではない男がいることなど。
だから、これは自惚れも甚だしい勘違いなのだ。彼女はこちらを友人としか思っていない。きっとそうだ。
そうでなければ――――。
(やめろ。考えるな)
二十歳で王宮に帰る。そうなれば、すぐ話題となるのは結婚だろう。
両親がジャスを廃嫡するか未だに判断していないためか、大国の王子ながら、この年齢まで正式な婚約者が決まっていない。いや、どのみち拒否権はないのだから、既に宮廷では収まった問題なのだろうか。
(……ほんとに、考えるのやめよう)
色んな意味で嫌になって、ジャスはそれきり思索を放置した。
数日前、アルポロメ公国
「悪かったとは思ってるよ。忘れてたんだ」
決まり悪げな、青年の声だった。
「まあ、その時は君も余裕が無かったんだろうし、責めてはいないさ。けれど、日程は変更させてもらうよ」
「……」
「不服かい?」
押し黙っていた青年は、問いかけに首を振った。そうしたいと思う相手の心情は、考えるまでもない。
「いや、いい。ただ、俺は席を外した方がいいと思う」
「おや。何故だか聞いておこうか、少年」
「……今年で俺が何歳になったか忘れてるのか、おばさん」
遅々として進まない会話の流れに苛立ちを隠せない青年は、それこそ少年のように幼稚な嫌味を零してしまう。
といって、相手は上機嫌に笑うだけなのだが。
「そうとも。おばさんだよ、もう四十だからね。正確な年齢はわからないが。まあ、それぐらいの年は重ねたつもりだ」
「ああ、もう! 俺が悪かったよ! でも、相手だって俺を見たら、気分を悪くするだろ? しばらく町に降りてるから、また連絡してくれよ」
「なんで私の子どもに君が遠慮するんだい」
「するよ! 普通するだろ? 自分たちが捜してた間、母親が別のガキ共を子守りしてたなんて、気分のいい話じゃない」
「そうか?」
正論を吐く青年に、女性は呑気な態度で首を傾げた。
「私は、子守りというほど君たちに何かをした覚えがないのだが」
「確かに俺も正直そう思うけど、体面としてはそういうことになるだろ」
「とはいえ、君たちのことを隠し通すつもりはないぞ。面倒だから一緒にいなさい」
「ほんと人の話きかないよなアンタ! だからっ」
「――――“彼女”を、取り戻したいのだろう?」
不意の切り返しに、青年は口をつぐんだ。
「……無関係の奴らを巻き添えにしようってほど、腐ってない」
「いいじゃないか。君にとっても、一応は元同僚だ。昔の誼というやつだな」
にこやかな言葉に、青年は遂に諦めた。駄目だ。どうやっても、この女性は自分の言い分を曲げないだろう。
「ああ、それから」
女性が思い出したように声を上げ、青年はげんなりした。まだ何かあるのか。
「その髪」
「……」
「敵陣では目立つぞ。しかも見事な黄金だ。帝国貴族の血筋が丸出しになっている」
「わ、わかったよ」
かつては爵位まで賜っていた一族の嫡男である。歴史も古く由緒正しい名家出身の彼は、それこそ皇族でも滅多に生まれないような、冴え冴えとする金髪金眼の持ち主だ。
女神の末裔に仕える家系だった。亡き父の姿を思い出し、青年は小さく溜息を零す。
(目立つのは嫌いなんだけど)
嘆いたところで、髪を染めるわけにはいかない理由がある。
その「理由」を迎えに行くのだ。
「蒼姫」




