二人の距離
「ノアリス王女殿下が帰還した!?」
ヒースに一通りの案内を終え、居室に落ち着いた頃、ジャスはヒースから姉の生存を知らさせていた。
「え……本当に、ご本人なのか? 不敬を承知で言えば、偽者が成りすましてる可能性の方が高い気がする」
ジャスの「姉」はトロナイル王室の正統な血を引く娘であり、その名を騙れば栄耀栄華は思いのままだ。何より突然の情報にしては衝撃があまりに大きく、上手く事態を受け付けられなかった。
信じられない、と眼差しで語る王子に、ヒースはほくほくと嬉しそうに答える。
「確かに、お会いになるまでは信じていただけないかもしれませんね。何せ、もう十年以上も昔なのですから。ですが、一度でもお顔を合わせられたら、きっとお疑いも晴れましょう」
「何故?」
「両殿下の面立ちが、大変よく似ておいでなのです。血縁でなければありえぬほど、瓜二つなご尊顔でございました」
「そうか・・・・」
ヒースは、ジャスの呪われた真紅の双眸を見ても、恐れている様子はない。演技という可能性も捨てきれないが、そもそも乳兄弟で、幼少期ながら面識があるのだ。加えて、ヒースの実家でもあるクライン一族は、さほど信仰心に篤い家柄とはいえない現実主義の集まりだったと記憶している。伝承に対する畏怖もないのかもしれない。実際にはヒースの場合、王家への盲目的な敬愛の成せる業だったが、この時点でジャスにとって彼は【王宮からの使者】という、いかにも他人行儀な認識だった。
「そうでしょうとも。お二人は、この世で代わりのないご姉弟であらせられるのですから。お小さい頃の姉君様は、とても殿下を可愛がっておられたと聞いております」
覚えてねーし。ジャスは品のいい笑顔で頷きながら、内心で辟易した。いや、それなりに驚いているのだが、もう彼の中で姉ノアリスは、会う事のない夢の世界の住人となっていたのだ。死人が蘇ったと聞かされた気分で、なんともいえない心境だった。
「それで、両陛下は如何お過ごしだ?」
「国王陛下は、先にも申し上げました通り、半年ほど前から臥せりがちになっておいでです。妃殿下は、その……」
急に歯切れの悪くなるヒースに、大よその察しが付いたジャスは軽く手を振った。
「いや、いい。大体は分かった。相変わらず、お元気なんだな」
病に倒れたなら、そう簡潔に報告しただろう。それがないという事は、肉体的な意味での健康に異常はないのだ。精神面が昔と変わっていないらしい事も、ヒースの反応で理解できた。
寧ろ悪化しているかもしれない、と他人事のように考える。帰還したというノアリス王女は虹彩異色、つまりは蒼と紅のオッドアイを持って生まれた娘として、行方知れずとなってからも密かに恐れられる存在だ。呪われた血の瞳を継承した魔の王女。
言ってみれば、ジャスとノアリスの生母レメリーにとって、息子と娘の二人は己の汚点に近い、あってはならない過ちの証なのだろう。その片方でも帰還したとなれば、あのヒステリック・パニックに拍車が掛かること請け合いだ。想像しただけでうんざりする。
(気の毒だな)
ようやく帰って来れた王宮で、実の母に手酷く拒絶されるであろう姉を思い、さすがに同情した。
もし本物だったとして、大国の姫君が今まで一体どんな暮らしをしてきたのだろう。仮に家畜のように扱われていたのならと考え、更に気が沈んだ。やっと血の繋がった家族の元に帰れても、そこにあるのは拒絶の背中。
しかしジャスも、今更ノアリスを姉として慕えるかと言われれば、考えるまでもなく答えは「否」だ。チュニアールで長く過ごした彼の感覚では、「実の家族」は「不仲な親戚」に近い。事実、彼はウォルとルフィスを養父母、ランティスとシンルーをそれぞれ兄姉のように慕っているし、ディディのことは妹のように可愛がってきた。
(どうして今になって戻ったんだ)
正直、生活に苦しむことはないだろうが、ノアリス王女にとって今回の帰還が幸福なことだとは思えなかった。もちろん本人がどう考えているかは分からないし、一方的に決め付けるのはいささか短慮に過ぎるだろう。けれど。
(会ったところで、“姉上”なんて呼べるのかな)
まったく自信がない。本当に、認識としては「疎遠な親戚の娘が留学先から帰ってきた」と聞いた程度のものなのだ。少しも現実味がない。自分が特別に薄情な人間なのだろうか。
首を捻ったジャスは思う。やはり、王宮云々は面倒くさい。
リアの顔を見て癒されたい。心の底から思った。
夕暮れ時になれば、その庭は完璧に宴の会場となっていた。
食堂も臨時休業したらしく、マギーが肉の塊を丁寧に炙っている。その香ばしさに空腹を感じるリアだったが、それでも何かを食べようとは思わなかった。
ランティスはいない。少し前、リアが親しくない男性グループに連れられて行った。彼は気を遣って残ろうとしてくれたが、あまり世話をかけてはいけないと、リアの方から遠慮したのだ。
(部屋に戻ろうかしら)
宴を満喫する皆の姿を、ひどく遠い、まるで別世界のように感じながら、リアは溜息をついた。
興がのらない。というより、何故だろう。本来なら体験することさえ許されなかった団欒や仲間との交流は新鮮で、とても尊いものなのに。ずっと憧れていた温かい場所。自分は今、求め続けた世界にいるはずなのに。
どうして、妙に色あせて感じるのだろう。
「リア」
ぐん、と意識が目まぐるしく覚醒した、そんな感じだった。
実際の動きはひどく緩慢といってもいいほどのものだったが、それでも、すぐにその姿を見つけることが出来た。
「ジャス」
安堵に似たものが胸に広がり、心を包んでくる。そして、一気に世界の色彩が戻ってくる。
(綺麗)
視線の先にある、真紅の眼差し。鮮烈で深く、いつまで眺めていても飽きないであろう美しさ。
「何やってるんだ? まさか、今までずっとここに座り込んでたんじゃないよな」
呆れた表情で尋ねられ、そういえばそうだった、と身じろぎし、ぎょっとした。長時間おなじ姿勢で座っていた為か、体が痺れていたのだ。
リアは瞬間的にすまし顔をつくろった。露見すれば、どんな言葉でからかわれるか知れたものではない。背筋を必死に伸ばし、頬を引き攣らせながら微笑んだ。
「ジャスこそ、今まで何してたの? さっきの護衛の方は?」
「すぐそこにいるよ」
示された方角に目をやれば、会話が聞こえない程度の位置に、直立不動で佇んでいる騎士の姿があった。目が合えば、丁寧に一礼してくる。それが見事な宮廷式であるのに気付き、リアは会釈で応えた。
「大変ね」
「全くだ。ボロ出さないよう気をつけないと」
「……じゃあ、当分は話かけない方がいいのかな」
「え?」
怪訝そうなジャスに、リアはハッと口をつぐんだ。声音にはこれでもかというほど、寂しげな響きがあったのだ。本人さえ気付く、声に滲んだ本心に、ジャスがどう思うか。
ジャスがいなくて寂しかった。一緒に芋を食べられなくて拗ねていたのだ。
(ああぁあぁああ・・・っ)
リアは内心で悶絶した。
これはもう、思いっきりジャスに甘えている。もはや依存と言ってもいいかもしれない。羞恥と自己嫌悪に俯くリアは、ジャスの表情を確認しようともしなかった。というか、できなかった。
「ご、ごめん。忘れてたけど、ジャスって王子様なんだよね。分かってるんだけど」
「……ふーん? 忘れるくらい俺には威厳がないわけだ。へーえ」
「ちっ、違うけどっ」
思わず顔を上げると、ニヤニヤ意地悪く笑うジャスと目が合った。
(え……)
「そんなに俺がいなくて寂しかったか」
「!!」
ばれてた。誤魔化そうと必死に策を練っていたリアは、上気する頬を隠すこともできず愕然とする。
「あんた面白いな」
真っ赤な顔で口をパクパクさせている少女の前にしゃがみ込み、ジャスはその頭を、少し乱暴に撫でた。実は彼自身も相当に照れていたのだが、余裕皆無のリアが気付く筈もない。真っ赤な仏頂面を眺めつつ、ジャスは心の底から思う。
可愛い。
(ああ、もう)
半ば涙目になって自分を睨んでくる少女が、たまらなく愛しかった。もし周囲に誰もいなければ、このまま抱きしめていたかもしれない。それくらい可愛いと思う。
王宮への帰還がいよいよ現実味を帯びてきた今、リアと離れる心の準備をしなければならないのに、これでは、本当に諦められなくなりそうだ。
「もう、何!? 髪がぐしゃぐしゃになったじゃない!」
「あんたが悪いんだろ」
「どこがよ!?」
「可愛すぎるから」
「だっ……、……は?」
反論しかけ、言葉の意味を遅まきに理解したリアは硬直した。そしてゆっくりと、自分の中で何かが沸騰するような感覚を覚える。
「なっ……、ば……っ!?」
「うん。そういうところも、やっぱり可愛い」
「!? ……! ……っ!?」
いよいよ混乱を極めるリアは、激しい眩暈に襲われていた。かつてない類のパニックに囚われながら、もしやジャスの方が体調不良なのではないかと考える。主に頭とか頭とか頭とか。もしくは目と口と、やっぱり頭。
何か言わねば、思った瞬間だった。
「あんたみたいな妹いたら、楽しいだろうな」
のんびりと続いた言葉に、リアは何故か落胆のような感覚に囚われた。
リアと別れたランティスだったが、どうしても落ち込み気味の彼女が気になって、十分ほどで元の場所へ戻ろうとした。
けれどその足は、少女の佇む少し手前で止まる事になる。
(ジャス……戻ってたのか)
何やら言い争っているらしい二人に、やれやれまたか、と呆れかけたランティスだったが、その遣り取りを微笑ましく思っているのもまた事実だった。
ジャスが不敵な笑みで何かを告げ、リアが目を瞠る。そう思った瞬間には頬を真っ赤に染めて、なんとも情けないような愛らしいような、複雑な形相を浮かべている。
「何の話してんのかな?」
不意に真横で男の声がして、ランティスはぎょっと振り向いた。そこで、休日は決まり事のように某パン屋で過ごす同僚を見つける。
「い、イリヤか……驚かすなよ」
口を尖らせる赤毛の青年にイリヤは軽く眉を上げ、意外そうに言葉を返した。
「気付いてなかったの? 珍しいね」
「自分でも、日和ったとは思ってる」
これだけの至近距離にいて気付ずに元暗殺者とは、とんだお笑い種だと、自分でも思う。
一番の古い記憶は、血に汚れたストロベリーブロンドの髪。母親だったのだろうが、それ以外には何も思い出してやれない。自分は最悪の不孝息子だ。
いつもその情景が瞼に焼き付いていて、どんなに深く眠っていも、誰かが近くに来ればそれが悪夢となって蘇り、強制的に意識を覚醒させていた。まるで危険信号のように、警鐘として脳裏に響く、誰かの悲鳴。
その断末魔のような声が、ここ最近は全く聞こえなくなっていた。ずっと昔から頼ってさえいた悪夢が止んだのは、半年ほど前。リーシャに会ってからだ。
過去を克服できつつあるということなのか、正直よく分からない。少なくとも、今のような悪意なき接近には全く反応できなくなってしまっている。
「ま、神経質が治ったと思ってればいいんじゃない?」
「……ああ」
そうだな、と二人は視線をジャスとリアに戻した。
ジャスがリアの頭を撫で回していて、何かを言った。途端、リアが小さく傷ついたような表情を見せる。
「あ」
「今の、嘘笑いだったね」
付き合いの長い彼らは、ジャスの眼差しに苦しげな色が差したのを見逃さなかった。
リアが言われたくない「何か」を言ったのだろう。けれど、その言葉はジャスの本意とは異なる内容だったのだ。
「全く……」
「え?」
怪訝に首を傾げるイリヤだったが、ランティスは彼に構う余裕がなかった。
「上手く行かないよなぁ」
視線の先では、ジャスがリアに手を振って、その場を去っていく所だった。
「殿下? どうなさいました」
「何が?」
「お顔が大変赤くなっておいでですが」
「……っ!」
ジャスは先ほどの、リアの拗ねたような表情を思い出し、とうとう蹲ってしまった。何あいつ。
(可愛すぎるだろ)
寂しいを絵に描いたような眼差しで見上げられ、正直、悪い気分はしなかった。声をかけて振り向いた時の嬉しそう笑顔も、彼女を想う身としては、とても心地いいものだった。
「青春ですか。素晴らしいですね、殿下」
爽やかな笑顔で言ってくる臨時の護衛に指摘されている通り、ジャスはリアと離れて数分も経たないうちに、ポーカーフェイスを保てなくなった。普段は大抵のことは隠し通す自信があるのに、リアが絡むと全く機能しない。
「聞いてたのか?」
「まさか。しかしながら、殿下の眼差しがとてもお優しいものでしたので。ああ、若さというのは実に良いものですね」
「……あなたも、充分に若い」
「恐縮です」
やりづらい、とジャスは思った。クリフと違い、冗談に興じるだけの柔軟さは持ち合わせているらしいが、口に出されて指摘されるのがこんなに羞恥心を擽るものだとは思わなかった。クリフが鉄壁の無表情で存外ひどいことを考えていたりするのを知っているが、この従者は爽やかな歯を煌めかせた祝福の笑みで、ずけずけ物を言ってくる。これはこれで、やりづらい。
(あー)
もうヤダ、と立ち上がりかけ、すぐにまた蘇るのは、少女の真っ赤な顔だった。
文句なしに可愛かった。
……だからこそ、自分への予防線として「妹」などという言葉を使ったのだ。
これ以上の想いを、抱いてはいけない。心に焼き付けて、そして離れなければならないのだから。




