マリアとラミア
ファディロディア大帝国
「お兄様のせいよ! あんな強引に婚礼を進めるから、遂にリアお姉さまは国を捨ててしまわれた!」
皇太子の私的な宮では、皇女の金切り声が響いていた。
しかしもう半年以上前から続いている光景であり、兵士も女官もただただ辟易している。
もちろん、その罵声を一身に受ける皇太子自身も。
「ああ、お姉さま! こんなトンマな男に好かれたが為に、なんてお可哀相なの! 私がもっとしっかりしていれば! そう、お兄様に自害の暗示でもかけておけば、こんなことにはっ」
リア本人でさえ、この場にいたら制止より頬を引き攣らせるであろう嘆きぶりを見せるマリアンヌ皇女に、皇太子エドワードはもう言い返す気力もない。
「マリアはいつまでもお姉さまの幸せを祈っております! いずこかで、きっとご無事でおられることも信じております! そしてどなたか素晴らしい殿方と出会い、この老廃物にも劣る性根の腐った愚兄を鼻で嘲笑って下さいませ!!」
それでも皇女かと言いたくなるほど、マリアンヌは口が悪い。リアと従姉妹なのだとしみじみ思うエドワードだった。
その後いつもどおり自分の宮へと帰されたマリアだったが、やはり腹の虫が納まらない。愛しい従姉姫を苦しませた挙句に奪った実の兄が、疎ましくてならなかった。
マリアは、サズが好きだったのだ。
そして、優しいリアが一番に大好きだった。
自分の愛してやまない二人が、相思相愛の恋仲として結ばれると聞いた時、マリアは歓喜した。サズがいつか妻をとるのはわかりきっていたことだったから、それがリアだと聞いて夢のようだとさえ思った。
二人はマリアにとって、幸福の象徴だったのだ。
それを――――。
「こんにちわ、皇女殿下」
「!?」
驚いて扉を見ると、ワインレッドの髪をした人影が立っていた。マリアンヌは絶句する。
何故、自分の宮に見知らぬ人物が潜り込んでいるのだろう。
咄嗟に狼藉者、と叫びかけるが、不意に蘇るものがあった。
(あれは確か、伯爵とお姉さまが婚約したばかりの頃……)
たった一度だけ、同じ色の髪をした誰かを、自分は目撃した。
他でもない、伯爵の傍で――――。
呆然と人影を見つめる皇女に、赤毛の誰かは薄く笑った。
「随分と肝の据わった皇女殿下ね」
しかし、陶酔にも似た一瞬の追想は、その影が放った声で打ち破られた。
相手は紛れも無い女性だと、艶かしい声で判別ができたのだ。
一方、記憶に残る伯爵の友人は少年だった。本当に偶然だったが、その姿を遠目に見たことがある。
(違うのね)
伯爵の関係者が、半年前に行方知らずとなった彼の婚約者のことで、懇意にしていた自分を訪れたのではないか。
一瞬にして妄想にも似た推測をした皇女は、サズの死をまだ完全には信じ切れていない。
あの日――――。
あまりに突然な訃報を聞かされ、兄をタコ殴りにしてでも事情を把握せんと息巻いて駆けつけた謁見の間には、既にリアがいた。
彼女も婚約者の事を聞いて、大嫌いだった皇太子に面会を求めてきたのだと即座に理解し、ならば自分は援護に回るのみだと思った瞬間。
『殺してやる……っ!!』
低く、地獄から這い出た幽鬼より尚も恐ろしげな声には、幼い皇女が聞いたことのない、憎悪の響きしかなかった。
マリアンヌは一瞬、そこにいるのが本当にリアなのか分からなくなった。
優しい従姉だった。心の傷さえ慈しみに変え、控えめな笑顔が何より尊く感じられる、木漏れ日のようなひと。
誰よりも大切な女性が壊れる瞬間に、自分は立ち会ったのだ。
(あなたがいないからですよ、伯爵)
時ならぬ寂寥感を理性で押さえ込み、現実に向き直ったマリアンヌは相手を睨むでもなく、さりとて油断だけはしないよう観察する。
女だ。まだ若い。おそらく、自分と十も離れていないだろう。
「お招きした覚えはないのですけれど、ようこそ、とでも申しましょうか?」
3年半が経っていた。壊れた従姉を守れるよう、必死に処世術を磨き、父の寵愛を勝ち取って離宮も手に入れた。
皇女という身分に縛られているマリアンヌだったが、決してリアを、あんな兄の嫁にしてやるつもりはなかった。そうやって、可能な限り力を付けた。
そして気付けば、こんな勝負度胸まで持ち合わせるようになっている。人生なにが役に立つか分からないものだ。
「これはこれは。その腹黒そうな笑顔は好みよ、殿下」
「光栄ですわ」
人影は、フードから零れ落ちる鮮やかなワインレッドの髪を指先でくるくると弄びながら、どうやら笑っているようだ。
「けれど、あまり感心しませんわね。家主には家主の礼儀があるように、お客様にも払うべき礼儀があるでしょう?」
「手厳しいこと」
女は薄く笑い、意外にもあっさりと外套を脱いだ挙句、慇懃に頭をさげた。
「ご無礼を致しました」
見事な動作で一礼する様は流麗そのもので、皇女であるマリアさえ感心するほど洗練されている。
しかし、声音は間違いなく面白がっている響きがあり、下げた頭の下でくっくっと笑っているのがみてとれた。
それに、とマリアンヌは思う。
「許しましょう。ところで、“それ”はどういったお戯れかしら?」
“それ”――――女のとった礼は、宮廷などで用いられる女性の一般的な挨拶ではなく、まぎれもない男性のものだった。
もちろん、女近衛など、守られる立場にあるマリアンヌにとって珍しい存在ではない。けれど、目の前にいる赤毛の女が正規の兵でないことなど、無断で皇女の居室に忍び込んだことからも明らかだ。
にも関わらず、皮肉なまでに完璧な仕草で一礼されては、警備の穴を指摘して、こちらを嘲笑っているようにしか思えない。
「あら、お嫌い? 騎士の挨拶は」
「いいえ、とても好き。でもね、誠意なき剣に興味はないの。まして、あなたのそれは誇りある騎士への侮辱です」
やはり微笑んだままいうマリアンヌに、赤毛の女は顔を上げた。そして、忌々しそうに呟く。
「王族の娘って、皆こんなに生意気なのかしら」
「聞こえてますよ。そして、わたくしたちは“皇族”です」
「はいはい」
面倒くさそうに頷く今の姿が素なのだろう。先ほどまでより、ずっと自然な印象だ。
「ところで、美しい侵入者さん。そろそろ本題に入っても?」
皮肉めいた言葉だが、赤毛の女は確かに美しかった。
しかし、そんな賛辞は聞き飽きているのか、女は表情をそのままに答える。
「ええ、どうぞ」
「――――わたくしを、殺しにきたのですか?」




