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鳥籠姫と黒い翼の魔法使い  作者: 飛翔生姜
第三章 色づく想いは紅葉のように
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王女の帰還





 これは夢だと、意識の隅でリアは思う。

 秋の紅葉。きっと、先日の記憶。

 サズのいない世界の美しさを、また一つ知ってしまった。

 夢の景色は現実と違う淡い色彩だったが、趣があって素敵だと思う。

 そう、今は秋なのだ。

 やがて遠くないうちに、寒い冬の日が訪れることだろう。

 サザード・ダズル・ナリガレロ。

 リアの大切な友人にして、無二の婚約者。

 眩しい金髪に、紫の瞳。時として茜色に染まる双眸は、彼をより身近に感じさせてくれた。

(ごめんなさい)

 あたしのせいで、死んでしまったひと。

 その事実が、自分の中で少しずつ、過去になりつつある。

 罪の意識は変わらないのに、あの笑みが、輪郭が、声が、全てがまるで蝋燭の火のように頼りなく揺れている。

 今にも、消えてしまいそうに。

 彼の死を認めたくなかった。

 それなのに、許容しつつある自分を否定するのが難しくなっている。

 進んでしまったからだと、わかっている。

 共に行こう。その誘いを受けた瞬間に、リアの裏切りは始まっていた。かつてないほど明確に。

(ごめんね)

 生きたい。そう思う。

 このチュニアールで。

 仲間達に囲まれて。

 “彼”と一緒に。

『で、鈴蘭はそいつと見たから好きになったのか?』

 あれは不意打ちだった。

 直前に押し花をしたことがあるのが意外だと言われ、思考が過去に傾いていたのだ。

 まだサズが生きていた頃、二人で屋敷の庭の薔薇を摘んでいた時のことだ。庭師から要望した薔薇を受け取ったリアは、一年草を前に首を捻る幼馴染を見つけた。


『どうしたの?』

『うーん。これ、明日までに押し花にできない? できれば栞』

『え!? ど、どうなの』

 押し花などしたことがないリアは咄嗟に庭師へ助けを求めた。庭師は苦笑混じりに無理だろうと告げる。

『駄目だって』

『やっぱりか。急だもんなぁ』

『その花がどうしたの?』

『明日の誕生花がこれなんだよ。仕方ないから、そのまま渡す』

『お誕生日なの? だったら、花束の方がいいんじゃないかしら』

『いや、相手は男で貴族じゃないんだ。本当の意味の友達だよ』

『友達がいたの?』

『ひどくないか、それ?』

 顔を引きつらせるサズだったが、思いなおしたように咳払いした。リアは失言(本音)に赤面する。

『ご、ごめん』

『いいよ。俺が人間嫌いなのは、リアが一番よく知ってるもんな。でも、あいつ本当にいい奴なんだぜ?』

『そうね。サズと友達でいてくれるなんて、きっと素晴らしい心の広さを持った偉人だわ』

『まだ言いマスカ!?』

 今度は敢えての意地悪に、サズが笑顔で突っ込んだ。

『いつか必ず紹介する。あいつさ、俺と同じで親が早くに死んでるんだ。それで、誕生日もわからないらしい』

『え? でも』

『うん。明日が誕生日って決めたの。俺が』

『いつ?』

『今朝』

『そ、そっか。ええと、とにかく明日ね。7月4日?』

『あ、リアも覚えててくれる?』

『うん、絶対。サズの大事な友達だもんね。あたしもいつか仲良くしてもらいたい』

『おお。あ、髪がちょっと派手だから吃驚するかもな』

『どんな髪なの?』

『その時までのお楽しみ』



 結局リアがその「友達」と顔を合わせることはなかった。

 サズの死を知っているのかも分からない。そんなことをぼんやり思い出したとき、“彼”は不意打ちのように例の質問をぶつけてきた。

 リーシャにさえ、サズのことは話していないというのに。最も近くにいる“彼”は、サズの影に気付いていたのだろう。

(最低に卑怯な裏切り者だわ)

 サズとの記憶を手放したくない一方で、誰にも知られたくない。自分だけの美しい思い出の中で永遠に生きて欲しい。

 そう、過去と同義の、思い出の中で。

 なんと醜い矛盾だろう。

(ごめんなさい)

 もう、あなただけを愛せないかもしれない。

 そう想った瞬間、涙が溢れた。

 本当に泣きたいのは自分ではなくサズの筈なのに。

 だって寂しかった。

 彼を失ってからの3年間を、独りで過ごした。

 裏切りだと分かっていても、誰かに縋りたかった。

 世界と繋がりたかった。

(ごめんなさい)

 許さなくていい。いつか必ず報いを受ける。それでも。

(あたし、“生きたい”の。今、すごく)

 おぼろげな夢の世界。蘇ったサズの綺麗な笑顔が、金髪紫眼が、ゆらゆらと揺れて、黒髪紅眼の少年が浮かべる、無邪気な笑顔へと変わっていく。

(もう少しだけ、そばにいたい)

 薄れる意識は、現実への帰還を示していた。

 その中で、少女が再び同じ言葉を呟く。

“本当に、ごめんなさい”と。




 目覚めると、窓の外に広がるのは秋雨の朝だった。瞼が異常に重く、熱を持っている。

 夢を見たのは覚えているが、内容を清々しく忘れてしまっていた。それでも、あまり楽しくはなかったのだろう。涙の跡が頬に張り付いている。

(頭が痛い)

 というか、重たい。目も腫れていて、きっといつも以上にひどい顔をしているのだろう。今日は引き篭もってしまおうか。

 時計を見ると、いつもは食堂にいる時刻だった。

(どうしよう)

 リアの暮らす部屋は、一般的な家族4人ぐらいなら無理なく住める広さだ。他の団員の部屋も同じような広さだが、城を寮として機能させる為やや強引かつ大雑把なリフォームをしたのか、ひどく狭い部屋も、無駄に広い部屋もあるようだ。

 思えば、ジャスの部屋にはロフトがあった。おそらく“無駄に広い”部類に入るのだろう。彼はそこに従者であるクリフの寝台を設置したが、使っているのをみた事はないらしい。不満顔で教えてくれた。

 そして、そんな一人で暮らすには充分すぎる住居スペースにはキッチン等も完備されていて、どの部屋でも自炊可能となっている。

 しかし、リアは料理をした事が殆どなかった。チュニアールまでの旅で、ランティスから簡単なスープや煮込み料理などを習ったが、まだまだ及第点ではない。

(久しぶりに、練習してみようかな)

 ちょうど折り良く、昨夜ミナが差し入れてくれたパンもある。

 よし、とリアは気持ちを切り替え、寝台からゆっくりと離れた。






 リアが自室で初心者向けの至極簡単な料理本を広げ、キッチンで格闘している頃。

 ジャスは小さな、しかし歓迎できない事態に見舞われていた。

「あんたに帰国命令って、俺は行かなくていいのか?」

「はい。そのようです」

 短く答えるクリフの表情は僅かな困惑と、それ以上の緊張で強張っていた。

「お傍を離れる事をお許し下さい。海兵から信頼できる護衛を選出しておきましたので、夕刻にはこちらに到着する筈です」

 相変わらず堅苦しい真面目さを発揮するクリフに、ジャスは「ああ」と、返事にさえならない相槌を打つだけで精一杯だった。

 父王の体調が優れない、というのは聞いていたが、まさか。

 このタイミングで王子ジャスティスの腹心を招聘するということは、王位継承の儀式が近いのか。

 それ以外に、心当たりはない。

 いくらなんでも早すぎる。心の準備がまだ出来ていないのに。

 そう喚きたい衝動を必死に堪え、ジャスはゆっくりと深呼吸した。

(駄目だ。そんなのは)

 もう逃げたくない。

 俯く主人に、クリフは珍しく躊躇う素振りを見せる。

「殿下」

「あ?」

「失礼いたしました。ジャスティス様」

 チュニアール内で王族としての敬称を用いることは許さない。ジャスがずっと昔からクリフに命じていることだ。

「いい。細かいことに拘って悪かった。で?」

「はい。まだ、お父上の身に何があったと決まったわけではありません。ですから、どうか」

 気を落とすな、と慰めたいらしいが、口下手を自覚しているクリフは上手い言い方を思いつかなかったようだ。これはこれで微笑ましい。

「わかった。ありがとう」

 不安も未練も、拭いきれるようなものではない。それでも、従者の精一杯の言葉が、胸に温かく沁みた。




『ああ、この王子は“星の遺言”を背負っておいでだ』

 ジャスの母妃レメリーは、お世辞にも強いとは言いがたい女性だった。ジャスの姉に当たる王女ノアリスを出産して、娘の異形を嘆き恐れたのだ。そして弟のジャスも全く同じ【魔女の児】の証とされる血の色彩を瞳に宿していたことに絶望し、心の均衡を崩していった。

 そこに加えて、自分の運命は滅亡を示唆するものだった。

 本当は分かっていた。

 母は悪くない。

 あの人を本当の意味で壊してしまったのは自分だと理解していた。だからこそ、己にはどうしようもない理不尽な運命を恨んだ。そして両親を憎もうとした。

 そうしないと、自分まで壊れてしまいそうで怖かった。

(あー、もう)

 クリフが戻るまで、あれこれ考えるのはやめよう。そう思うのに、頭は朧げな両親の記憶を蘇らせる。

 拒絶されていた。

 それでも、最初から愛そうとしなかった訳ではないのを知っている。そうでなければ、あんな風に泣いたりしない。そう思う。

(母親、か)

 意図したわけではなかった。だというのに。

(なんでリアの部屋に来てるんだろう)

 確かに母から愛されていた少女。なぜ彼女と自分はこうも正反対なのだろうか。似ているようで全く違う。

 それが人間というものか、と寝ぼけたようなことをぼんやり考えながら、ノッカーに手を伸ばす。

「リア?」

 ドアを叩いても反応がなかった為、ジャスは特に何も考えず扉を開けた。礼儀作法に煩いようで、彼女は意外と無用心だ。無断で訪れるときでも大抵、ドアの鍵はかかっていない方が多い。

 物音は聞こえるし、まあ怒られることもないだろう。ジャスとしてはそれくらいの気持ちだった。知り合ったばかりの頃は些細なことで口喧嘩が絶えなかったが、最近は互いに気を許し切っている。相手が知らないうちに部屋にいても、驚くだけで咎めはしない程度には。

 そして、よく知る少女の部屋に入った瞬間、ジャスが抱いた感想は――――。

 火災現場。

 もしくは、戦場跡地。

 何せ煙が凄い。灰色のそれらはキッチンの方から流れている。

「おい、リア?」

 これほどの煙では、火災警報器が反応して面倒な騒ぎになる危険があった。何をすればこんな爆心地みたいなことになるのだろう。半ば頭を抱えたい気持ちで、台所へ向かった。

「え? うわ、ジャスおはよう」

「寝ぼけてるのか? もう昼だぞ」

 どこかトロンとした目で挨拶してくる少女の額を指で軽く弾き、ジャスは一先ず換気扇のスイッチを押した。

「何やってるんだ?」

「ちょっと料理の練習してただけよ」

「そのまえに火災訓練だろ。鍋より消火器の使い方を勉強してこい。あと換気もな」

 珍しく寝坊したらしいリアを呆れて見やりながら、ジャスは溜息をついた。

「意外と、集中したら周りが見えなくなるタイプなんだな」

「久しぶりだから仕方ない、って思ってくれると嬉しいわ。前は野外だったんだもの。換気なんて概念ないわ」

「開き直るなよ。大体なんで料理なんだ? マギーの味に飽きたか」

「違うわよ」

 眩しい禿頭が目立つ陽気な厨房頭のマギーは、宮廷料理を嫌というほど知るリアからしても、素晴らしい料理人だ。本人の性格も賑やかで、最初は敬遠していたが、今では軽口を叩ける仲だ。そうさせる魅力が、マギーにはある。

「単なる気まぐれ。せっかく立派な台所もあるのに、住み始めてから殆ど活用できてないんだもの。たまには自炊もいいかなって」

 ぶぅ、と膨れるリアの横顔を見て、ジャスは自分が邪険にされているのだと思った。料理を趣味に持つ女は珍しくないし、特殊な育ちを強いられた彼女が、そういった感性に目覚めていくのは良いことだ。それを邪魔してしまったのなら素直に謝罪すべきだと殊勝に思うジャスだったが、視界に黒く焦げた未確認物質を見つけて沈黙した。

(失敗してたのか)

 しかも、一度や二度ではないだろう。食堂にいないと思ってはいたが、もしや朝から続けていたのか。だとしたら凄まじいタフネスだ。いろんな意味で。

「でも、駄目ね。本当に何もできないのよ、あたし」

 ジャスの視線に気付き、リアが肩を竦めた。

「前はランティスが横で指示してくれたものね。一人じゃ、こんな木炭もどき」

 どこか自嘲的なリアに、ジャスは違和感を覚えた。確かに普段から自信なさげな彼女だが、今日はいつもより不安的な様子が窺える。

「リア。何かあったのか?」

「何もないわ。多分」

「? どうした」

 いよいよ心配になって、ジャスは少女の顔を覗きこんだ。柔らかい亜麻色の髪は普段の子ども染みた髪型ではなく、ゆるく一つに纏められていて、落ち着いた印象を抱かせる。

 ただし、その奥の瞳はどこか翳りがあった。

「リア?」

「ねえ、ジャス」

 不意に口を開いた少女は、どこか縋るような眼差しをしていた。

「あたし、ここにいてもいいのかな」

「……もしかして、誰かに何か言われたか?」

 これでもリアは皇族の血筋でもある生粋の姫君だ。そして、そういった上流階級の人間に恨み妬みを持つ者は、このチュニアールにも少なくない。セブンなどがいい例だったが、彼は秋の某大会以降、リアに対して攻撃的な態度をとらなくなっている。

「違うの。ええっと、なんていうかね」

 リアは暫し視線を彷徨わせたが、やがて意を決したように口を開いた。

「夢を見たの」

「……どんな?」

「おぼえてない」

「は?」

 肩透かしを食らった気分になるジャスに、リアは続ける。

「覚えてないの。なのに、目覚めた時、凄く申し訳ない気持ちだったの。なんて言えばいいのかな」

 リアの苦笑に、亜麻色の髪が合わせて揺れる。

「ごめんね。ただの夢なのに。へんな話してごめんなさい」

「殊勝すぎて逆に怖いぞ」

 冗談めかして笑い、ジャスは軽くリアを小突いた。

「夢だって分かっていても醒めない悪夢ほど、嫌な夢はないもんな」

 ジャスも以前、セレナを失って数ヶ月はまともに眠れなかった。どろりと、音もなく溶けてゆく友の最期を何度も夢見て魘された。

 実感の込められた同意の言葉は慰めの響きがあり、少女は弱い笑みを浮かべた。

「うん」

 やさしいひと。

 リアは何度も呟いた言葉を、心の中で繰り返した。

 優しい人だと、つくづく思う。

 十八の娘が夢云々で落ち込んでいても、大概は真面目に応対しない気がする。子どもでもあるまいし、と失笑を買うのが精々だ。

 なのに彼は莫迦にすることなく、どころか同意のニュアンスさえ示してくる。

 優しくて、不思議なひと。

 それが、今のリアが抱くジャスへの印象だった。

「そういえば、あんた食堂に居なかったって事は、ルー姉の話も聞いてないんじゃないか?」

「え?」

 勿論というか、心当たりはない。シンルーの寒気がするほど清楚な美貌を思い浮かべなから、リアは首を傾げた。

「何のこと?」

「長期休暇でチュニアールを一時的に離れるらしい」

「え!?」

 リアは愕然とした。そして言う。

「まだ大陸は暖かい所が多いわ」

 シンルーは雪女ゆえ暑さに弱い。このチュニアールが涼しい秋の季節でも、シンルーは袖なしの衣服を纏っているのだ。元々チュニアールの首都はやや標高が高く、他の平地よりは快適に暮らせるらしい。

「そうなんだよなぁー」

 間延びした声で同意するジャスは現在、リアが焦がした鍋の底を磨いている。慣れているのか、妙に手際が良い。リアはやるせない敗北感を味わった。

(そもそも、台所仕事に慣れてる王子様ってどうなのよ)

 世界広しといえど、そんな事をする王子も、そして王子にそんなことをさせている女も、恐らく他に存在しないだろう。自分達はやや特殊な立場と関係だと理解はあるが、ふと冷静になれば、これほど滑稽で貴重な眺めは早々ない気がする。と言って、目に焼き付けようとは思わないが。

「なんか、人探しブーム? ルー姉も会いたい人がいるって」

「でも、女性一人で危ないわ」

「ルー姉は女の前に戦士だから」

「なんでカッコよさそうな事言って誤魔化すの?」

「してません。あんた忘れたのか? あの人の魔法」

 呆れたような一瞥に、いつかの記憶が蘇る。

 女王の命で開催された【秋の魔法戦大会】で、多くの参加者を震撼させたシンルーの手腕を思い出したのだ。

「……そ、そうね」

 不埒なことを考えたほうが怪我をする。理解して頷くリアに、ジャスは爆弾発言を零した。

「あんたはいいのか?」

 心臓が跳ねた。

 会いたい人がいる――――その言葉を聞いた途端、脳裏を掠めた金髪紫眼の青年。

 存在を否定することは出来ない。きっと罪悪感は一生ついて回ることだろう。

「え……」

 しかし、まさかそんな心の隅まで見透かされているのだろうか。平静を装うも、問い返す声は震えていた。

 一方、ジャスはそんな反応に怪訝な顔をする。

「母親の墓参り。もう行ってもいいんじゃないか? 遅くなったし時間もかかったけど、せっかく和解できたんだ。ついでに父親の顔も見てきたらいい」

 その提案は、あまりにも予想外だった。呆気にとたれるリアに、ジャスは尚も言う。

「父親も心配してるだろうから、本当ならちゃんと面会すべきなんだろうけど。ああ、もし本当に会うつもりなら声かけてくれ。俺も一緒に行くから」

「は? な、なんで」

 上擦る声で尋ねると、それこそジャスは不思議そうな顔になる。

「だって、あんたを連れ出したの俺だし。実の娘が半年も行方不明って、今更だけどかなりの心労なんじゃないか?」

 母アルナリアの墓を見舞い、父ギルバードに家出を詫びる。

 考えたこともなかったが、それは確かに大切なことで、何より、とても大切な行いに感じられた。

 ずっとずっと、生きる意味が欲しかった。

 誰かに許されたくて必死だったのだ。

 だが今、リアには母に恥じない娘でありたいという使命にも似た矜持がある。

(父様に、会えるなら)

 まず家出を詫びたい。勝手に飛び出したこと。サズの一件から生じた不和が、そう易々と消えないだろうが、それでも、母アルナとの姿無き邂逅や、両親の友人であったというレティアとの出会い。そして、その全ての鍵となった少年の存在。

 不意にリアは、自分が幼い日に戻っていくような、不思議な感慨を覚えた。その反面、こんなにも遠くに来る切欠となった始まりの夜が、百年も昔のことのように思える。

「そう、ね。いつか、きっと。その時は一緒に行ってくれる? できればリーシャも。女の子の友達って、初めてだから紹介したいの。あ、あとランティスもね」

 ジャスが小さく微笑んで、そうだな、と同意を示した。しかしどこか複雑そうな眼差しに、リアは内心首を傾げる。

 自分ばかり気遣ってもらうのは申し訳ないと思い、どうしたの、と問おうとした時。

「へぇ、リアの中でオレはオマケなんだ。リーシャの付属品か。そっかそっか」

 憮然とした声に振り向くと、赤毛と金髪の男女が戸口に立っていた。

「ら、ランティス」

 オマケ扱いしたつもりはなかったが、確かに今の言い方ではそのように解釈されても仕様がない。リアは仰け反った。

「違うの。そんなつもりじゃなくてね? ほら、やっぱり出会った順番に名前を挙げると」

「リーシャの方が後の筈なんだけど」

「うっ」

 やけに拗ねたような態度をとる兄を、ジャスは内心で珍しく感じていたが、それより今の空気を保つことに専念すべきか、と思案していた。

「しょうがないって、ランティス。リアにとっては、リーシャが一番の友達なんだから」

「男女の友情は成立しない、と?」

 面白くない顔を“装った”ランティスに、ジャスは尚も意味の無い、ゆえに心の安らぎを与えてくれる言葉遊びを続ける。

「女の友情は時に鋼より硬いってルフィスさんが」

「オレは風船より軽いと聞いたぞ」

「あー、屁理屈ばっかり。いいだろ、出会った順序じゃ俺が一番なのに、いつのまにか降格されてるんだぞ」

 ランティスは、拗ねているようで、本気ではない。

 そしてリアも、自分もリーシャも、それを承知している。

 言葉を交えずとも理解し合えている今の状況を、この場に居合わせた誰もが楽しんでいたのだ。





同時刻 パン工房【リコリス】

 珍しくミーナ・リコリスがイリヤス・ジルハーツを呼び止めていた。

「なあ、ルーさんが遠出しはるってほんまなん?」

「耳が早いね」

 別段隠すことでもないので肯定すると、ミナは更に続けた。

「配達の時マギーさんから聞いた。なな、どこ行きはるん?」

「知らない。でも中央大陸本土だと思うよ。彼女はトロナイルの出身だと聞いたから、人探しなら原点に戻って始めるんじゃないかな」

 触発されたのかな、という呟きを胸に秘め、イリヤはオレンジの髪を持つ長身の少女を見上げた。背はイリヤの方が高いが、椅子に腰掛けた自分に対し、従業員である彼女は盆を片手に立ったままだ。自然と見上げる形になる。

「どうしてルーの行き先が気になるのさ? 興味本位?」

「阿呆」

 盆の角が後頭部に直撃してきた。

「ちょっ、痛いんだけど」

「港の人らが言うんやけど、本土って今えらい物騒らしいで」

「?」

 本気できょとんとするイリヤに、ミナは呆れた。

「知らんの?」

「何が?」

「……トロナイルの領土が、荒らされとる」







数日後

 トロナイル王宮  瀞霊宮


「ええっと、ラドール卿? ってひとが帰還するってお話はほんとなの?」

 おっとりとした、それでいて深みを感じさせる女性の声が、部屋に響いた。

 問いかけられた侍女は、怯えを隠せないように青ざめた顔で、しかしすぐに、その通りです、と蚊の鳴くような声で答えた。

 自分のような者の世話をしなければならない気の毒な女官に、女性は同情から苦い笑みを零し、それじゃあ、と続ける。

「わたしはようやく可愛い弟に会える、と思っていいのかな?」

 あくまで笑みを絶やさぬ女性に、女官は恭しく頭を下げて答えた。

「勿論でございます。ノアリス・パルーシャ・ラフィリコルゲント王女殿下」

「よかった。楽しみだな」

 弾む声で言った女性は、ジャスティス・ラゾーディア・ヴァロリコルゲントとよく似た面差しに、更に笑みを刻んだ。









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