君がくれたもの
「はい、お疲れ」
「……ありがと」
差し出された包みを、リアは丁重に受け取った。温かい焼きたてのパンの中に、冷気を放つアイスクリームがたっぷり詰まっている。色からしておそらく味はバニラだろう。ほのかに蜂蜜の香りがした。
「これ、なぁに?」
「焼きアイスだよ。ルフィスさんの好物」
「お土産にするの?」
「まさか。持って帰るまでにドロドロになる。だから、帰って自慢する」
「そ、そう」
貴族との話は、主にジャスが相手をした。リアは殆ど置物状態だったが、それでも今後の為にと場の様子を観察していたのだが、ふと気付いたことがある。
(これ、ジャスが国王になった時の為の勉強でもあるんだ)
ついつい忘れてしまいがちだが、彼はリアの伯父皇帝が治める祖国と隣り合った先進国、トロナイルの正統な王位継承権を持つ唯一の王子で、世界にとっても無視できない重要人物のひとりなのだ。
本来なら、こうして気安く話せるような相手ではない。いかにリアがかつて皇子だった三大公爵家筆頭名門ストレイの娘であっても、直系の彼とは隔たりがあった筈だ。
(不思議な縁よね)
出逢う筈のない人だった。
そして、彼が見つけてくれなければ今頃、自分は皇太子と婚儀を迎え死んでいた。
――――母が遺してくれた、この命の価値さえ知らずに。
(ありがとう、って言わないと)
自分でも信じられない話だが、リアはまだ彼に礼を述べていなかった。
見つけてくれたこと、連れ出してくれたこと、仲間達に引き合わせてくれたこと、そして何より母のこと。
(さっきの今でとは思うけど、次に二人きりで話せるのはいつになるか)
イヤリングのことも、いつも気遣ってくれることも。
(ちゃんと言わないと)
そう決意も新たに横を向く。すると何故か目が合った。
「!? な、なんでこっち見てるの!?」
「いや、食べてないから。溶けるぞ?」
「え? あっ!!」
あたふたパンに噛り付く少女の姿に、ジャスは安堵を覚えた。
(だいぶ調子が戻ったかな)
朝の一件は自分の醜い嫉妬が元凶であると自覚している。だからこそ猛省していたのだが、彼女の元気な様子は何よりの慰めだった。
「美味い?」
「ぅん」
頬張りながらの答えに、思わず笑みが零れる。恋は盲目云々はよく聞くが、もうそれでも構わない気がした。一生懸命に口を動かす様が小さなリスのようで愛らしい。
「これ食ったら山のほう行くか?」
「でも」
一度にパンとアイスを飲み込んで乱れた呼吸を整えながら、リアは難色を示した。
「クリフさんは?」
彼はジャスの護衛であり、それが王命である以上、互いに常に傍にいるべき存在のはずだ。そして何より、置いてけぼりにして行楽など出来ない。綺麗なものは大勢で見たほうがより楽しめると思う。
リアのそんな考えを見抜いたジャスは、改めて自分が【圏外】であることを思い知らされたが、まあいいと言い聞かせた。分かっていたことなのだから。
「クリフなら、そこにいるけど」
「え?」
言われて見ると、確かにいた。
二人が腰掛けるベンチの斜め後ろに聳える木の上に。
「クリフさん!? 危ないですよっ」
「大丈夫です、レリアル様。お気になさらず」
「しますってば!!」
クリフがリアに用いた敬称に、ジャスはまた一つ違和感を覚えた。
何故、リアにだけ「様」を付ける?
これはジャスがずっと以前から感じていた疑問だ。
例外は一国の女王であるルフィスや、その妹で後継者たるソフィアのみで、不老ゆえに外見にそぐわず遥か高齢である【蒼天歌劇団】の面々に対しても、ジャスが兄と慕うランティスや友人であるリオンやイリヤ達にも、彼は大抵「殿」で通している。
主である自分以外には決して「様」などという敬称を用いてこなかったクリフが、なぜリアに対してああも恭しく接するのか。
(何か企んでんじゃないだろうな?)
彼は基本的に無欲だという印象があるが、実際はどうなのか。
お役目大事の忠実な騎士。だからこそ、懸念がある。
(まさかな)
考えても分からない。元々無表情な武官だ。そう易々と胸の内を覗かせはしないだろう。
「ジャス?」
「ん」
覗きこんでくるリアに、ジャスはにっこり笑ってみせる。
「どうした?」
「それはあたしが聞きたかったんだけど。えっと、クリフさんとも合流できたし」
「ああ」
もじもじと言葉を必死に選んでいるらしい少女に、うん、と頷く。
「じゃ、そろそろ紅葉見物にするか」
「! うんっ」
この少女は、自分の希望を口にするのが極端に下手だった。最近はマシになったようだが、まだ遠慮がちな印象を受ける。おそらく育った環境もあるのだろうが、これでは我侭を言ったこともないのではないだろうか。
(こいつは多分、一人で生きちゃいけないタイプなんだろうな)
生きられないのではなく、生きてはならない。
何故かそんな風に思った。
孤高の姫将軍の称号を、最も不向きな少女に背負わせた帝国の意向に、決して小さくはない怒りを感じながら。
行楽シーズンという事もあり、山の麓はそこそこ賑わっていた。観光客を対象にした出店が立ち並び、ちょっとした祭りのようにも見える。
そこでリアは先日の収穫祭を思い出し、また妙な焦りを感じた。
(へ、ヘンに意識しちゃ駄目よね)
あの時のことは、きっと偶然だ。そして気のせいだ。
そうに違いない――――言い聞かせるようにしながらズンズン大股で歩いていると、急に手を捕まれた。
「!?」
「いや、俺だから」
誰だと思ってそんなビビってるんだ、と心外げなジャスは、軽く息を吐いた。
「だ、だって後ろから声もかけずに」
「呼んだけど。誰かさんがホイホイ先に行くから焦ったの何の」
「子供じゃないんだから、これくらい」
リアは掴まれた手を振り払うこともできずに言葉を手繰っていたが、ふとそれも途切れてしまう。
(あの時)
夏にリアがレティアに付いて海底遺跡へ単独で赴いた時、ようやくの思いで迎えに来たジャスから、罰ゲームと称する抱擁を受けた。
それは短い時間だったが、ひどく温かったのを覚えている。
何より抱きしめてくる腕の、微かな震えを。
セレナの一件を知らなかったとはいえ、本当に心配をかけてしまったと猛省しているリアは、彼の行動が夏の事件から尾を引いての事だと理解して、遂に何も言えなくなった。
「ごめんなさい」
「いや、俺も」
過保護だったと言いかけ、ジャスは思い留まった。単に認めるのが恥ずかしいというのもあったが、彼女に妙な警戒を抱かれたくなくて語尾を濁す。
結果、互いに掴んだ手と掴まれた手をどうすればいいのか分からず、何とも奇妙な沈黙が生まれた。
(どうしよう)
図らずとも全く同じ言葉を心中で呻くように呟く二人だったが、やがて視線が動いた。
山吹色の銀杏が、ちょうど葉を落としたのだ。
ジャスの紅玉の眼差しが複雑な感情に揺れ、リアの琥珀の双眸がそれをじっと見つめた。
紅い瞳が伏せられ、瞼の裏に山吹色の髪と、林檎ような瞳を持った少女が現れる。
誰を思い出したか、言うまでもない。互いに口を開かずとも分かった。
セレナ・シュニック。
ジャスが幼少期に親しくしていた人魚の娘だったが、不幸にもレティアの嫉妬に晒され泡となり消え果てた少女。
しかし魂はまだこの世に留まり、かつて予知した未来を、少しでもジャスにとって良いものにしようと奔走してくれた。
だが、もう会うこともない。
当然といえば当然だが、ジャスの中ではそう簡単に整理できる問題でもないのだろう。
生死の別れも突然で、涙する暇さえ与えられなかった。そして、ある筈のなかった再会の時も、瞬く間に過ぎて。
(今更だって、分かってる)
それでも、ジャスは思ってしまう。きっとこれから先、何十年も。
意識が逸れて手の拘束も緩んだ事に気づいたリアは、逆に今度は少年の手を握り返した。
繋ぐように。独りではないことを忘れないでほしい、と。
ジャスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに小さく破顔して言った。
「ありがとな」
セレナがくれた世界は、優しいばかりではないけれど、仲間やこの少女がいてくれる。
ありがとう。胸の中でもう一度、今度はセレナに向かい囁いた。




