それは小さな始まりの合図たち
届かないなら諦めればいい。叶わないなら切り捨てろ。
……そう出来たら、どれだけ楽なのだろう。
「ミナ」
「あん?」
首都で大人気を博している老舗パン屋『リコリス』。
その看板娘は、イリヤが長年思い続ける相手だった。
正直、お世辞にも好かれているとは言えない関係なのだが。
「客に向かって何いきなりメンチ切ってんのさ」
「失礼いたしました。オキャクサマ」
憎たらしい秒読みも、もはや日常の一部だ。これがなければ一日が始まらないような気さえしてくる。
「まあいいや。ランチセット三つ。持って帰るから」
「? 珍しいな、テラス空いてんで? 座らんの?」
「持って帰るって言ったじゃんか。何きいてたの」
「だっていつも鬱陶しいくらいテラスに居座るやん」
言葉の刃がイリヤの胸を刺す。本当に迷惑な客だと遠回しに言われた気分だ。
「今日はちょっと移動が多いから、持ち運べる方がいいんだよ」
ミナは【星空の宴】構成員では無い為、当然ながらイリヤの職務内容・日程など頭にない。そもそも興味がない。
「遠出すんのん?」
「いや、北の離宮二つを往復するんだ。他と比べれば近いけど、やっぱり距離があるし」
「おつかれ。ちょお待ってな」
ミナが店の奥に引っ込むと同時、イリヤは奇妙な安堵を覚えた。
(よかった)
近頃、不安に感じる。
身近にいるジャスとリアの空気に触発されているわけではないが、自分でもよく分からない焦燥感が芽生えつつあるのだ。
(いつも通りだ)
あの二人を見ていると、本当によく分からない気分になるのだ。仲睦まじいようで、どこか以前より他人行儀。それでも親密な空気は増している、あの友人達。
どうも夏以降、彼らは互いをより強く意識しているらしい。本人達に自覚はないのだろうが、周囲からみれば一目瞭然の微笑ましい事この上ないカップルだ。
(でも、なんだろう)
お互い、奇妙に距離を置こうとしている。そんな印象を受けた。
今日も二人で仲良く紅葉見物のデートをしているとルフィスが言い触らしていたが、実際どうなのだろう。
(友達以上恋人未満って、よく聞く言葉だけど、あいつらの場合そういうのじゃなくて)
イリヤは小さく溜息を零した。それでなくとも、ジャスのことで悩んでいるというのに。何なんだあいつ、と八つ当たり気味に思う。
トロナイル国王が体調を崩したまま姿をみせない、と“外”の情報網に引っかかったのだ。ジャスにとっては実の父にあたる。一応は伝えたのだが、その時の反応がまた微妙だった。
(大丈夫かな、あいつ)
彼が両親からどんな扱いを受けたか、全てではないにしろ知っている。だからこそ、彼が心配だった。
報告を聞いたジャスは静かに目を伏せ、そして次の瞬間、不思議な笑みを見せた。
『わかった。ありがとう』
『いいのか?』
『何が?』
『もし、即位が早まったりしたら、どうするんだ』
『すると思うよ。まあ、廃嫡されない場合だけど』
変わった、と思う。以前より精悍さが増したのは、きっと内面の変化が大きいのだろう。
離れていく。
最初から分かっていたことだ。リアはともかく、ジャスはいつか国に帰ることを条件に引き取られた。
(でも)
止まっていた時が急激な加速を伴って動き始め、その流れにおいていかれた自分は過去で立ち往生しているのではないか。そんな錯覚さえ抱いてしまう。
幼い頃から何も変わらぬ戯れあいでしか、想う少女と接することができないのだ。あながち外れてもいない。
(変わる、か)
難しいと再び内心で嘆く彼を、店の奥から出てきたミナが笑って呼んだ。
「なんやイリヤ。えらい不細工な顔やな」
「君ほどじゃないから安心しなよ」
「あん? ああ、違う違う。はい、これ三つな。太ったあかんで?」
箱を三つ受け取ったイリヤは顔を引きつらせる。「違う違う」と言いながら、嫌味をぶつけてくるその神経。
「分かってて言ってるよね? 他はサーシェスとリオンの分だよ」
「え!?」
ミナが目を瞠った。その気持ちがよく分かるイリヤは苦笑した。
「あの二人、一緒に仕事とかできるん!?」
「だから仲介に俺が突っ込まれたんだよ。休日返上でね」
あの【星空の宴】でも有名な組み合わせと仕事をするのは、ある種の罰ゲームでさえあった。
そして一時間後。
イリヤス・ジルハーツは心の底から帰りたくなった。ミナと戯言をぶつけ合って癒されたい。
しかし女王の名指しで彼らの仲介役を押し付けられたのであれば、名門ジルハーツ家直系長男として、やり遂げなければならない。
そうやって自身を奮い立たせねばならないほど、馬車内の空気は歪んで感じられたのだ。少なくとも、彼にとっては。
「ねえサーシャ」
「私の名前は“サーシェス”です」
「でも君が言ったんだよ? 初めて会った時“サーシャ”って」
「人違いです」
「そんな事ないよ。サーシャ、よく思い出してみて」
「私の名前は“サーシェス”です」
……帰りたい。イリヤはげんなりした。
馬車の中には、彼のほかに二人の仲間が乗り合わせていた。
男の方は、癖のある茶髪に耳元を飾る派手なピアスが特徴のリオン・ラーヴァ。
女の方は、中央大陸ではまず見ない東洋系の風貌が神秘的な印象を与える、黒髪黒瞳のサーシェス・ユリットだ。先祖が極東の島国出身ということで、その血を濃く継いでいるらしかった。
しかし、イリヤにとって問題なのは、彼らの容姿などでは無論ない。
リオンとサーシェス。二人の「名前攻防戦」は【星空の宴】でも馴染みの光景だったが、その中央にひとり放り投げられる身にもなってほしい。
(ランティスの奴)
胃が縮む思いを味わいながら、イリヤは本来二人のお目付け役であった青年を恨んだ。リオンとサーシェス、そしてランティスは、同じ組織から逃げ延びた知己であり、仲間内でも互いに特別な存在なのだ。
「ところで、ランティスは?」
純粋な疑問2割、話題の転換で場の空気を変えよう、いや変えたいという切実な思い8割で、イリヤは尋ねた。
すると、二人は突然口を開いた同僚に目をやり、ふと各々考え込むような顔になる。イリヤは不思議に思った。
(聞かれたくないことだったのか?)
けれど、実際ランティスの動向が気になるのは本当だった。どうも最近、リーシャを置いてどこかへ出掛けているらしい。あまりにも精力的なので、そろそろ皆も勘付いている頃だろう。
「収穫祭後から殆ど姿をみないから、どうしたんだろって思っただけなんだけど、どうかしたのか」
浮気?
そういう下世話な噂が流れ始めていることを、この二人は知っているのだろうか。
収穫祭でどこかの女と知り合い、リーシャから心変わりしつつある、という阿呆な話だ。誰も真に受けてはいないが、あまりに様子がおかしければ真実味を煽ってしまうだろう。そうなる前に忠告すべきかもしれない。
「どう、っていうかねぇ。ね、サーシャ?」
「違います、“サーシェス”です。しつこいですよ……と、すみませんイリヤスさん」
「イリヤでいいのに。それで?」
幼馴染の二人以外にはいっそ他人行儀なほどの不器用な同僚に微苦笑しつつ、イリヤは先を促した。
「はい。ランティスは今、おそらく中央大陸でしょう」
「中央……任務で?」
イリヤは顔を顰めた。確かにチュニアールからそう遠くはないが、その代わり近くも無い筈だ。任務なら召還魔法で往復も楽だが、それなら新人のリーシャも伴うべきではないだろうか。ジャスがリアの指導に当たっているように、ランティスはリーシャの担当だ。
しかし、イリヤの予想は外れていた。
「いえ、私用です」
「え?」
私用でわざわざ中央大陸へ? 初夏の帰還の際は【星空の宴】ほぼ全員がグルになって彼らの旅程を大幅に遅らせたが、公共機関を利用すればあれほど時間は必要ない。それを知っているからこそ彼は動いているのだろうが、やはり相当な労力を要する。何をそんなに頑張っているのだろうか。
「中央大陸のどこ……って、これ聞いても大丈夫?」
「はい。別に口止めはされてませんから」
サーシェスはちらりとリオンを見、彼が肩を竦めて同意を示したのち、もう一度イリヤに視線を戻した。
「アルポロメです」
「それ、確かリーシャの生国だよな? なんで連れて行ってやらないんだ」
彼女の故郷が既に焼け野原となったのは知っている。しかし母国には変わりないのだから、同行させてやれば喜んだのではないだろうか。
すわ浮気か、いよいよ胡散臭くなったと顔を雲らせるイリヤに、サーシェスは慌てて言い添える。
「違います。ただ、人探しをしているのです」
「人?」
「はい。私達3人の、育て親です」
「“ラジェーテ”時代の?」
「ええ。ずっと捜していたのですが、最近になってアルポロメとトロナイルの国境近くで目撃情報があって」
珍しく興奮しているサーシェスに、イリヤは邪推した自分が恥ずかしくなった。
「良かったじゃないか。その人の名前は? 今更だけど、俺も手が空いたら手伝うよ」
「ありがとうございます」
「マリーナ・ウィキルっていうんだ、その人」
嬉しそうなサーシェスの横、リオンが恩師の名を告げた。
+ + + +
その頃、大勢にとんでもない悪評を下されている青年は、中央大陸の南、アルポロメ公国を訪れていた。
「やっと着いた」
派手なワインレッドの赤毛を掻き揚げ、ランティスはようやく息を吐く。
十年――――いや、もうじき十一年になるだろうか。
恩師マリーナ・ウィキルと生き別れた炎の日から。
ずっと気になっていた。逃げる過程で一時的とはいえサーシェスやリオンとも逸れ、途方に暮れていた所をルフィスに拾われ、ジャスと義兄弟として過ごすようになってからも。
『人殺しの鬼なんか、誰が愛したりするもんか』
『お前さえ産まなきゃ、お前の母親も死なずにすんだかもしんねぇのになぁ』
『やはりクーディスの息子か。血は争えんな』
そうやって蔑まれる中で、本当に優しくしてくれた師。
育て親があの人でなければ、きっと今、自分はここにいない。
(生きててくれたんだ)
どこか刹那的な考えを持った人だった。だから不安だった。
自分達という枷が無くなって、あの人が自ら命を絶ってしまったのではないか、と。
『私がお前を、“死神”にしてしまったんだ』
父を手にかけた女。しかし、ランティスがそれを理由に彼女を恨むことは無かった。何せ殆ど記憶にない。望まれて生まれたのかどうかさえ分からないのだ。
師がとりわけ、ランティスの父を殺めたことを気に病んでいたのは知っていた。派手な赤毛は母方から、姿形は父親そのものの自分を見て、時折ひどく悲しそうな顔をしていたから。
(マリーナさん)
大丈夫だと、言ってあげたかった。あなたが生かしてくれて、今あなたに紹介したいと思える人もいて。楽しい仲間達がたくさんいて。
あなたが拓いてくれた幸せだと、伝えたい。
決意を新たに、ランティスはその町へと足を踏み入れた。
集めた情報の中の、最後の町。
国境にほど近いここは、以前リーシャが囚われていた帝国とトロナイルの国境にあった神殿とも遠くない距離に位置している。もしマリーナがここにいたら、半年前に立ち寄らなかった自分を責めるかもしれない。それくらい近所だった。
町の興信所を訪れ「マリーナ・ウィキルという40代頃の女性を捜している」と尋ねるが、やはり該当する住民はいなかった。しかし落胆はない。彼女もランティス同様に組織から逃亡した身である以上、莫迦正直に本名で暮らしはしないだろう。やはり今まで通り、地道に聞き込みを重ねるしかなさそうだ。
(そろそろ休暇も切れるし、追加申請するにしても、一度チュニアールに帰らないとな。リーシャの顔も見たいし)
リーシャには悪い虫がつかないようディディが目を光らせているだろうが、今は純粋に逢いたいという気持ちが強い。あとで土産も選ばなければ。
(ジャス達も上手くやってるかな)
そして即座に思う。たぶん無理だ。
(リアはただでさえ“あいつ”の件があるし)
彼女の事情を、実は誰よりも自分が知っている。
そう言えば義弟はどう思うだろう。
(駄目だ。考えるのはやめよう)
そうして地道に聞き込みを続けるランティスが最後に立ち寄った酒場で、その話は出た。
「マリーナ? 聞かねぇな」
「えーとですね、年は今たぶん40代で、ちょっと変わった女性なんですが」
自警団らしいその男達は、揃って首を傾げる。
「変わった?」
「はい。日よけに天狗の面をつけたり、よく分からない“割烹着”? という東洋のエプロンを常に身につけていたり。もう十年も昔なのですが」
わが師ながら変人だ。色んな意味で疲れながら言うランティスに、男の一人が声を上げた。
「それ、ひょっとしてセリの姐御じゃねぇか!?」
「セリさん、ですか」
「おう。ちょうど十年くらい前に家族でこの町に来てな! 医者の旦那とガキ二人もいるぜ」
「家族?」
ランティスは落胆を覚えた。家族がいるなら、それはおそらく別人だろう。
その考えが表に出ていたらしく、男達はばつの悪そうな顔になった。
「あー、あれだ。もし違ってても、同じ趣味の知り合いとかかもだし、俺らが聞くだけ聞いといてやろうか?」
「そう、ですね。お願いします」
まさかチュニアールの話をするわけにはいかないので、【星空の宴】のベースキャンプとなっている屋敷の住所を渡した。事実、そこから召還術式を利用してチュニアールに帰るのだから、結果として嘘ではない。連絡員に伝えておけば、彼らの知らせも取り次いでくれる筈だ。
「なんだ。首都の奴か?」
「いえ。育ちはトロナイルと連邦の間です。首都には滞在しているだけで」
「ほー」
それから少しばかり言葉を交わした後、ランティスは酒場を立ち去った。
そして。
彼と入れ違いに、金髪の青年が店を訪れる。
「お? カルダじゃねぇか」
「一足遅かったなー」
カルダと呼ばれた青年は、目を点した。
「は? 何がです」
状況が読み込めない彼に、顔馴染みの男が説明する。
「さっきここに赤毛の兄ちゃんがきてよ、セリの姉御みたいな人探してるんだと。10年も行方不明だった育ての母親らしい」
「はあ。赤毛の男、ですか。女でなく?」
金髪の青年カルダは、よく分からないという風に首を傾げる。今度は別の男が答えた。
「おう。ついさっきまでここにいた派手な兄ちゃんでな、昔世話んなった先生を捜してるんだと。それがお前のお袋さんと似たような趣味の持ち主らしくてな?」
「人の母を怪しい性癖の持ち主みたいに言うのは止めてください、先輩」
自警団の同僚達から聞いた話を脳内で整理したカルダは、いくつかの可能性を見つけた。
(まさかな)
そうは思いつつ、もしそうなら捨て置くべきではないと判断し、続きを促した。
「それで、その男が捜しているのは、どういった女性なんですか? 帰って母に訊いておきます」
「おー、助かった。さすがにお前ん家まで山登りは辛いと思ってたんだよ。えっとな、名前は“マリーナ・ウィキル”だってよ」
「へえ」
カルダは平静を保った。
(まさか“黎明の騎士団”? いや、でも)
赤毛という言葉に、引っかかりを覚える。何だったか。
「それで、男の名前は?」
「んーとなぁ、確か」
ランティス・ラゴート。
それが、かつて属していた組織の悪名高き裏切り者の息子と同じ名前だったと、カルダが自力で思い出す事は遂になかった。
なぜなら、彼の意識はすぐ他の話題で逸らされたからだ。
「そういやカルダ、パルシア嬢ちゃんはどした?」
何よりも優先すべき、最愛の人の不在を突きつけられて。




