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収穫祭




 その日、リハーサルを終えたヒルデガルド・コーバッツは、手早くシャワーを浴びて身支度を整えていた。

 一体どういうことか、宮廷から迎えの使者が現れたのだ。

(殿下の関係かな? でも、最近まで国にいたのに)

 そもそも、あの王子なら使者を出すより直接ここを訪れる。

(……罠かもね)

 短い思案の末、彼女は短剣や毒針、ワイヤー等を始めとする“通常”の装備に加え、得意の三角錐剣を仕込み、一般の淑女のようなドレスを纏った。

「お待たせしました。参りましょう」

 優雅に髪を背に流し微笑む彼女は、どこからどう見ても完璧な貴族令嬢だった。

 案内されたのは、王族の私的な住まいとされる城の最奥部だ。よもや後宮に連行されるのか、と危惧しつつも、自分にそこまでの価値はない、と否定する。

 そして――――

「よく来たな、ヒルデガルド・コーバッツ」

 秋風のように涼しげな声は、少し掠れている。だが、目の前にいるのが誰か、ヒルデガルドはよく知っていた。

 息子とは全く似ていない。あの優しい少年を最大限に傷つけ、振り回すのは、いつだってこの男だ。

「お久しゅうございます。ーー国王陛下」

 ヒルデガルドは貴族の養女で、それも成金の娘だ。貴族社会では、下手な労働階級の者よりも蔑まれることがある。

 そんな娘が、王の許しより先に顔を挙げ、声を発した。しかも、その後は睨むように王の顔を凝視している。

 およそ無礼な行為であり、公の場ならその場で身柄を取り押さえられても文句は言えない。

 国王に付き従っている従者は決して多くないが、その全員がヒルデガルドをきつく睨んだ。

「よい、許す」

「しかし……」

「黙れ、目障りだ。下がれ」

 本当にこの男は、あの少年の父親なのか。

 幼馴染として彼に友情を抱くヒルデガルドは、どうしても国王を睨まずにはいられなかったのだ。

 側近二人を残し、それ以外の王の従者は部屋の外へ追い出される。扉が閉まるのを待って、ヒルデガルドは口を開いた。

「何の御用でしょうか、陛下?」

 敬意を微塵も感じさせない声音に、側近の眉が逆立つ。玩具みたいで面白いな、とヒルデガルドは嘲るように口角を上げた。

「随分と反抗的だな、ヒルダよ」

「お心当たりでも?」

「愚息を気にかけてくれて感謝しよう」

 なら一発くらい殴らせろ。本音を閉じ込め、ヒルデガルドは短く返す。

「いえ。わたくしなど、何のお役にも」

「そうであろうな。今のお前は成り上がり貴族の養女。……だが」

「?」

 嫌な予感がした。

「お前は自分の力で、夢を叶え歌っている。誰しもが持ちえるものではない、内なる輝きは真のものだ。そして今や、かの伝説の“戦場の歌姫”レオナ・ヴェランチェと並び称される、“平和の歌姫”の異名を世界に響かせている」

「はあ」

 何の話だ。国王の企みが読めず、ヒルデガルドは軽く混乱する。

「その力で、わがトロナイル王室を盛り立ててもらいたい」

 ヒルデガルドは絶句する。

 遠回しな言い方だが、理解できないほど愚かではなかったのだ。

 しかし、黙り込む彼女を誤解したか、国王はゆったりと、再び口を開く。

「――――ヒルデガルド・コーバッツ。我が息子ジャスティス・ラゾーディアの側室となれ」




+ + + +




 独立国チュニアールを訪れて既に数ヶ月。周りの気遣いもあり、人見知りのリアもこの環境に慣れと愛着を覚え始めた秋の盛り。

 近頃ランティスが国外へと頻繁に出かけており、あれは何なんだろうかと首を傾げる彼女に、背後から声が掛けられる。

「リア、おはよう」

 耳に馴染んだ少年の声に、呼ばれた少女は振り返り、微笑した。

「おはよう、ジャス」

 うん、と軽く応じ、同じ席に腰を下ろす。

「朝から随分と機嫌いいな」

「そう?」

 向かい合って食後の紅茶を口にする二人の姿は、今やすっかり食堂の風景に溶け込んでいた。ひとつの季節が過ぎただけだというのに、もう何年もここで暮らしているような錯覚を抱く。

(もう秋なのね)

 しみじみ思うリアの髪を、涼しい風が揺らした。

「今日は非番なの?」

「いや、午前中は本業の書類整理。午後から城下の巡回だよ」

 リアは引っかかった。本業?

「本業って、ジャス、他に何か仕事してたっけ?」

 心の底から不思議そうな顔で尋ねるリアに、ジャスの表情が引き攣った。

「ここの連中は確かに皆“そう”だけどさ」

「?」

「あんたまで俺が何処の誰だか忘れたのか」

 は? と言い掛け、リアはすぐ気付き赤面する。

 忘れるわけがないでしょう――――とは、咄嗟に言えなかった。確かに、いつの間にか失念していたのは事実である。出逢った当初は疑いに近い目を向けていたというのに。

 中央大陸が誇る先進国、トロナイル王家の嫡男。一国の未来を担う若君だ。

 そんな“立派な王子様”に平気で下町の身回りを命じるのは、この独立国の女帝ルフィスのみ、という訳でもない。かく言うリアも、時折ジャスに雑用を押し付けてしまうことが、ここ最近では増えていたのだ。

 曲がりなりにも大国の王子に向かって、かなりの無礼を働いたものである。貴族としての良識は頭に入っているので、この時ばかりは普段と別の羞恥で、リアも俯くばかりだった。

「ご、ごめんなさい」

「怒ってるわけじゃないよ。まあ、呆れて笑いもでないけど」

「うぐっ」

 声に詰まるリアを見て、面白い顔だと、彼が笑う。

 この空気が、たまらなく好きだ。

 心のうちに広がる切なさに、泣き出したくなるような衝動を覚えながら、少女は想う。

 ――――ずっと、こうして過ごしていきたい。

「ねえ、トロナイルでは収穫祭ってどんなことするの?」

 並んで歩き始めながら、リアは純粋な知識欲のもと尋ねる。すると、彼の答えは意外なものだった。

「収穫祭ねえ。多分トロナイルでは、その言葉は通じないと思う」

「え?」

「秋の精霊節だよ。春夏秋冬それぞれに、精霊達や神々への祈りを捧げる儀式があるんだ」

「じゃあ、聖夜祭は?」

「創世の日って呼ばれてて、物凄く静かに過ごすよ。子どもの頃は暇で仕方がなかったな」

 ヒルデガルドと二人で真冬の夜の森を駆け回り、狼の群れや冬眠に失敗したクマと遭遇したのも、今ではいい思い出だ(と、いうことにする)。

 一方、【最後の将軍】が凱旋を果たした【清炎祭】を始め、お祭り騒ぎが多い帝国出身のリアは、隣国の意外な風習に唖然とした。

「知らなかったわ。同じ大陸で、こうまで違うのね」

「だな。そう考えると、チュニアールは帝国寄りの文化なのか」

「どういうこと?」

 ジャスの呟きに不明瞭な響きを嗅ぎ付け、リアは彼を見据える。

「いや、だって。この国、今は“独立国チュニアール”だけど、元はシェラフル民族の土地だっていうし」

 頂点に戴く女王ルフィスの名乗りし姓は、太古に滅んだ楽園“エメリヤ”。

「そういえば、そうね。エメリヤは元々、中央大陸にあったって伝承が……」

「だろ? なのに、今日に至るまで、その詳しい場所は特定されていない」

「現状、地盤沈下説が最有力なのよね?」

「そうそう。でも、それじゃこの城の説明がつかないんだ。海に消えたはずの大地が、なぜ遠く離れた東の洋上に蘇ったのか。こんな孤島に、わざわざ城をいくつも作るほど、酔狂な国があったとは思えないし」

 リアは、何故か悪寒を感じた。

 見てはいけない。聞いてはいけない。知ってはいけない。

 この陽気で平和な“楽園”の正体は、何?




 少年は迷っていた。

 認めたくない現実に、どう向き合っていくか。

 否、躊躇っていたのだ。

 もう、答えは出ているのだから。

「セブン、邪魔」

「お、おう」

 物陰からジャスとリアの様子を窺っている親友の姿に目を細めながら、ラディール・オゾロックは大仰に溜息を零した。

「分かり切ってるだろうけど。今の君、相当キモいよ」

「うるせぇってんだ! 集中してるんだから、話しかけんな」

「見方によっては出刃亀でしかないけどね」

「でば……!?」

 セブンは詰まり、ややあって頷く。確かに。

(ジャスさえいなけりゃ、まだ)

 密かに舌打ちするセブン・ボナクは、彼の天敵たる(と、勝手に対抗意識を燃やしている)相手ジャスティス・ラゾーディアの傍を歩く少女レリアル・ウルフラーナに、これまでの非礼を詫びたいと考えているのだった。

 他人の悪意というものに、それこそ哀れなほど慣れ切っているリア本人はさほど気にしていないのだが、元来の性格として陰湿さを嫌うセブンは、自分の振る舞いを許せなかった。

 謝らなければ。

 その思いを強くしたのは、先日の魔法大会の一件だ。

 敵であるはずのディディを守った姿は、自分達と「同じ」だった。

 貴族らしい小賢しさも恩着せがましさも、何もない。

 ただ目の前の者を傷つけまいとする彼女は、どこまでも人間らしく、セブンの目に映ったのだ。

(けどなあ)

 彼女のことは、たぶん最初から、嫌いにはなりきれなかった。

 だが、ジャスは違う。奴は明確な敵なのだ。

 ディディの愛情を一身に受けるジャスは、セブンにとって目の上のたんこぶだった(ちなみに、リーシャは女性ゆえ嫉妬の対象外)。

 その彼のいるところでは、リアに謝罪したくない。

 一人にならなくとも、せめてジャスと離れてくれないだろうか。

「なあ、ラド」

「何さ」

「俺のダチだろ? あの人とジャスを分断すんの、手伝え」

 なぜ命令形。ラドは呆れたように溜息をつく。

「発想が女々しい上に、そもそもそんな事に人を巻き込もうだなんて、今の君は相当キモくて相当うざいね」

「そういうお前は相当つめてーんだよ」

「ごめんね、相当に冷静なんだよ」

 眼鏡の奥でラドが、どこまでも救えないものを見るような眼差しをしていることに、最後まで気付かないセブンなのだった。

 一方、ジャスは不意に身震いした。

「ジャス? どうしたの」

「いや、なんかこう、悪寒がして」

「風邪? 朝夕の冷え込みもあるし、昼との温度差もあるものね」

「やだなー」

 ほんの数十メートル後ろで光線のごとき眼差しを向けている少年の存在に気付いているのかいないのか、ジャスは軽く首を捻った。

「大丈夫?」

「たぶんね。リアこそ、風邪には気をつけろよ」

「ありがと。でも、寒さには強いほうなの」

「ああ、帝都は秋に初雪が降る寒さだっけ」

「単なる異常気象よ。科学の発展ばかりに目を向けて、それ以外の大切なもの全て蔑ろにしているんだから、本当に愚かな皇室だわ」

「リア、目が怖い」

 それはある意味、国民性の一面だ。いくら大嫌いとはいえ、環境汚染と自然破壊の全てを皇室の責任とするのはいかがなものか。そもそも、彼女はそのファディロディア皇室の娘であるというのに。

(それだけの思いをしたんだろうな)

 これ以上の深入りはしない。したくない。苦しくなるのは他ならない自分自身であると、ジャスは理解しているつもりだった。

 しかし、気を抜いた途端、愛情から彼女を求める自分は、その存在をより近く感じたいが為、更なる興味を抱いてしまう。

 もっと知りたいと思ってしまう心を、制御できる自信がない。

 どころか、近づきたい。触れたくて仕方がない。

 それがたとえ、自分ではない男を想って受けた傷であっても。

(駄目だよなあ)

 これ以上は、いけない。理性が役目を果たさなくなる。

 18年目にして、やっと自由を掴んだ小鳥のような少女。

 その翼をへし折って、手元においてしまいたいという、まったく矛盾した強い欲が、ジャスの中で蠢いている。

 自由な人生を謳歌して、どこかで普通の男と幸せになってくれれば。そう、思うのに。

 時々、自分ではない自分が、彼女を抱き締めたいと暴れ出す。

 王族や伝承、呪いや差別。それらを抜きにしても、自分という存在はリアを不幸にするだろう。

 このまま傍にいれば、いつか彼女を傷つけてでも自分のものにしてしまう予感がある。想いはそれほどまでに膨らんでいた。




「収穫祭かー」

 夏の人魚祭りが中止となり、今回は口直しの意味もある。先日の某大会もその一環であった。

「うわ、まだおったんかいな」

「ちょっと。客に向かって何なのさ。最近ちょっとひどすぎない?」

「気のせいとちゃいます?」

 最早どこで誰が誰と会話しているのか説明するまでもないこのやりとりは、ベーカリーカフェ【リコリス】のテラス席にて、この店の看板娘ミーナ・リコリスことミナと、その幼馴染にして店の常連イリヤス・ジルハーツことイリヤのものである。

「紅茶追加な。よし」

「押し付けて料金まで取ろうって? 嫌な看板娘だなあ。まあ貰うけど」

「鼻に注がんだけ良心的や思てほしいもんやな」

「はいはい」

 いつもの応酬を終え、ミナは周囲を見渡した。夕暮れ時のためか、店にいる客は目の前のイリヤだけだった。

 たまにはいいか。そう思い、ミナはイリヤの正面に腰掛ける。

「お邪魔」

「堂々とサボっていいの?」

「人通りも疎らやし。祭りの準備が本格的に始まったら、のんびりもでけへんやろ」

「そりゃね」

 繁盛しているミナの実家は、王城御用達としても名高い。収穫祭に訪れた観光客でごった返す混雑はもう毎年のことだ。

「あ、せや」

「ん?」

 紙ナプキンで飛行機を折りながら、ミナは思い出したように口を開く。

「ジャスもう帰ってきたん?」

「ああ、何日か前に。大量の魚を土産に」

「ほほう。うちには何もないとは。ええ度胸やな、あの王子。何様や」

「いや、だから。一応あれでも王子なんでしょ。未来の王様」

 王子に向かって何様とは。そう呆れるイリヤも「一応」と言うあたり、この二人は五十歩百歩の似た者同士と言える。

「今回も公務?」

「いや、なんか私的な用事だからって。珍しいよね」

「せやな。前までやったら絶対公務なしには帰国せんかった」

 心当たりといえば、あの亜麻色の髪を持つ少女なのだけれど。ジャスの突然の帰国とどう結びつくのか自分の頭の中でも不明瞭で、ミナは溜息をつく。

(人の心配しとる場合やないとは思うんやけど)

 いい加減、周りが煩いのだ。具体的に、お得意様の客や近所のお母様たちが。

 一体いつイリヤを婿に迎え入れるのか、と。

 考えてもみてほしい。会えば二言目には嫌味を抜かす奴とまかり間違って結婚したら、日々ストレスが溜まる一方ではないか。

 イリヤの外面にすっかり騙されている哀れな女性達にも恨まれてしまうしで、ミナにとっては悩みの種だ。

「ちっ」

「いきなり何さ?」

 思わず舌打ちするミナに、イリヤ(二人きりで座っている状態に実は大喜びしている)は顔を顰める。

「怖いから睨まないでくれます?」

「なあ」

「だから、何さ?」

「あんた貴族やん。そろそろ婚約とか考えよ」

「いきなり何その話題?」

 流石に目が点なるイリヤに、ミナは小首を傾げる。

「うちの周りで最近はよ婿とれ煩くてな。あんた貴族の長男やし、そろそろ嫁さん候補くらいおるんちゃうか思って」

「えーと」

 天然とはいえ言外に圏外を叩きつけられたイリヤは、正直かなり動揺する。

「もしそうなら、あんまここに出入りせんほうがええんちゃうかな」

「何気に常連客を一人潰そうとしてるよ、この看板娘」

 ようやく彼女の言わんとしていることを察し、イリヤの顔にも若干の余裕と、気落ちした心を隠そうとする見栄からの苦笑いが浮かぶ。

「ひどいな。いつになったら振り向いてもらえるんだろう」

「うざいな。いつんなったらその悪ふざけ飽きるんやろう」

 ああ言えばこう言う。こう言えばそう言う。

 結局この日もいつもと同じ、下らない言い合いをして二人は分かれた。

 あと半年も経たない間に、あんな事件が起こると知っていたなら、もっと今を大切にできたのに。

 過ぎた日々を振り返り、涙を流したのは、ほんの数ヵ月後。

 暗く寒い冬の日が、すぐそこまで迫っていた。




+ + + +



「へ? いいの?」

 収穫祭も間近となった日の夕方、ジャスは食堂で同席したイリヤから、収穫祭の最終日の仕事がなくなったことを伝えられた。

「警備に回ろうか?」

「こんなときまで仕事しようとしないで、リアと回ってきなよ。結局、夏の人魚祭りは中止になったんだしさ」

 その遠因であると自覚のあるジャスは目を泳がせ、沈黙を貫いた。イリヤは特に何も思っていないらしく続ける。

「いつまでも傍で平穏に過ごせるわけじゃないんだしさ。きっと誰でも」

 やけにしんみりとした口調で語る親友に、ジャスは視線をやった。

「何かあったのか」

「いや。何もなさすぎて泣きそうだよ」

「別にミナとの進展の有無を聞きたかったわけじゃないんだけどな」

「ああ、そう」

「うん、そう」

 男同士の虚しい遣り取りを味わいながら、二人はもくもくと食事を再開した。

 そして食事も終わりかけた頃、イリヤが思い出したように口を開く。

「そうだ、ジャス」

「ん?」

「ミナが最近トロナイルの歌手の話ふってくるんだけど、なんか知らない?」

 適当な相槌を打って、誠意が足りないとでも怒られたのだろう。近頃のハードスケジュールもあり、随分と疲れた顔でイリヤは訊ねた。

「んー」

 が、当のジャスも一年の大半を祖国から遠く離れた、ここチュニアールで過ごしている状態だ。政治云々ならともかく、民間の娯楽にまで意識を向けられるほど余裕がない。

「名前は? 次の帰省の時にでも調べとこうか」

「あ、いや。そこまではいいよ。結構ミナって気分屋だし」

「なら、名前だけ。こんな異国まで名の知れてる歌手なんて、大した歌い手なんだろうし、機会があれば聴いてみたい」

「そう? ええっと、確か名前は」

 イリヤは思い出すように、軽く首を捻る。

「ヒルダ――――そう、ヒルデガルド・コーバッツだ。中世のレオナ・ヴェランチェの再来だとか言われてる」

「っ!!」

 ジャスは見事に噴き出し、咽た。ほんの数ヶ月前に顔を合わせた幼馴染の悪友の名前に、思いがけず動揺する。

「おい、大丈夫か?」

「うん。悪い」

 本当に有名人なんだな、と、彼女がまさか自分の側室として推薦されているなどとは夢にも思わないジャスはヒルダが歌手であることをしみじみと感じた。

「知り合いなのか?」

「ああ、うん。一応あれでも貴族だから。彼女の父親には教師を務めてもらったこともある」

「へーえ。仲いいの?」

 この時、イリヤの表情が僅かに変化したのを、ジャスは喉の違和感に負けて気付けなかった。

「そこそこ。幼馴染だし、気の合う悪友って感じかな」

「ほー? で、美人なの?」

「美人……いや、どっちかっていうと、可愛いタイプ」

 性格は果てしなくぶっ飛んでいるが、さすがにそこまで言う必要はないだろう。

「見た目は東洋系なんだ。サーシェスと似てる」

「ふんふん。胸は?」

「そんな話ミナにしたら殴られるぞ」

「言わないよ。これは男同士の会話だからね。で?」

「で? って、ないけど」

「全くないの?」

「んー。絶壁とはいわないけど、こう……控えめ?」

「なるほどなるほど。――――だ、そうだよ。リア」

「!?」

 ギョッと振り返ったジャスの背後には、硬直したリアが立っていた。

「り、リア」

 思わずといった風に、呻くような声で少女の名を呼ぶジャスを、我慢できなくなったイリヤが身を捩って笑った。

「……ごめん、途中で気付くと思って……くっ……ぷはっ! はははははっ!」

「あんた笑いすぎだろ! っていうか、リア。いつから!?」

 赤いのか青いのかよく分からない顔で、リアが答える。

「貴族だから、とか、父親がジャスの先生だった、って辺りから」

「よりにもよってそこかよ!」

 話の経緯が分からなければ、ただの下品な会話だ。いや、最初から聞いても結局は下品な内容だけれども。

 間違いなく誘導された。八割がた本気の恨みと怒りを込めてイリヤを睨むも、彼はまだ笑っていた。

 今度ミナの前で同じ事をやってやると固く誓いながら、ジャスはリアに目線を合わせる。

「えっと、リア? リアさん?」

「っ!!」

 途端、彼女は細い体を仰け反らせて反応した。鳶色の瞳には、うっすらと涙の膜が張っている。

「ご、ごめん。立ち聞きするつもりじゃ」

「いや、こっちこそ、気分の悪くなる話――――」

「あたし!」

 ジャスが言い終わるより早く、リアは口火を切った。

「用事! 思い出した! だから! 帰る!」

「え、ちょっ」

 今にも泣きそうな顔で告げるや、リアは踵を返して走り去ってしまったのだった。

 その後。

 結局、リアとジャスは互いに話し合う機会を見つけられぬまま、収穫祭を迎えた。周囲は彼らが一緒に過ごすものだと信じて疑わず、二人は非常に気まずい空気で最終日の城下を共に歩いていたのだった。

(どうしよう)

 リアはリアで、ジャスはジャスで。揃って互いの顔色を窺いながら、ぎこちない雰囲気を醸し出す二人の姿は、全く状況を理解していない者からすれば初々しいカップルそのものだったが、当人達の心情は暴風雨に怯える子猫だった。

 とにかく、会話が続かない。

 ジャスは男同士の下世話な会話を意中の少女に聞かれた気まずさを感じているが、実の所リアは内容そのものはさほど重要視していない。

 ジャスも年頃の健全な男なのだから、親しい友人とそんな話題に花を咲かせても何ら不思議はない。

 だというのに。

(なんで意識してるんだろ)

 ジャスが自分の知らない少女のことを、いかにも男性特有の目線で語っているのに、ひどく動揺してしまった。そんな自分にまた動揺した。

 自分の容姿は、彼の目に一体どんな風に映っているのだろう。

 そこが気になって仕方が無くて、そんな自分がひどく惨めで恥ずかしくて、許せないのに気になる気持ちは消えなくて。

 答えを聞くのが、とてもとても、怖くて。

「いらっしゃーい! あ、リアとジャス!」

 二人して黙々と進んでいると、つい馴染みの道を通り、無意識に【リコリス】へ足を運んでしまったらしい。収穫祭に合わせて新調した衣装に身を包んだミナが、店頭で二人に手を振った。

「今日は二人とも休みなんやろ? 楽しんどる?」

「ああ、うん」

「そこそこ」

 揃って歯切れの悪い友人にミナは小首を傾げたが、すぐ思いなおして笑みを浮かべた。

「二つ向こうの通りに花の専門コーナーがあったで。雑貨も多いし、そっち行ったら?」

 今ここおっても人に酔うだけやし、と明るく言うや、ミナは軽く手を振り店の中へ姿を消していった。

「……行く?」

「う、うん。行きたい」

 おずおずと頷くリアの表情が少し和らいだのは、きっと気のせいではない。ミナに感謝しながら、ジャスは少女と共に再び歩き始めた。

 今更だが、独立国チュニアールは中央大陸の東に位置する小さな一島国に過ぎない。

 大地は潤い豊かだが、国土そのものは近隣のどの国よりも小さい。

 そんな小さな国のさらに小さな首都に、二人の知人は密集している訳で。

 よって、どこへ行っても顔見知りは必ずといって良いほど現れた。

 派手なワインレッドの髪と、春の柔らかな日差しを思わせる淡い金髪が並んで歩いているのを発見し、ジャスとリアは揃って「あ」と声を漏らす。

「ランティス」

「リーシャ!」

 弾んだ声で呼んでから、リアはすぐ後悔を覚える。しまった。デートの邪魔をしてしまったか。

 しかし予想に反し、振り返ったリーシャはリアの姿を認めるなり、満面の笑みを浮かべた。

「リア!」

 リーシャがリアに駆け寄り、少女達は手を取り合って笑みを交わす。

 その時、ジャスはランティスが思わず苦笑いしているのに気付いた。リーシャが、自分といる時より嬉しそうな笑みを見せているのが複雑なのだろう。義兄の気持ちは痛いほど分かるので、目が合うとジャスは軽く肩を竦めて笑った。

「偶然……でもないか。この人込みの中で知り合いに会うのも、もう珍しくないなあ」

「そうなのか?」

「ほんの何分か前にはマギーに会ったし」

「あいつ城から出るのか?」

「どうせレイラさん目当てだろ」

 相手にされないのにと男二人は内心思いながら、口には出さず会話を続ける。

「他は?」

「他っていうか」

 ランティスが、気まずそうに後方へ視線を投げる。

「あれが気がかりかな」

「……ディディ?」

 物陰から、コソコソこちらを窺っている淡い金髪の少女の姿が見え隠れしている。あの珍しい金の髪は、アイモダ出身者によく見られる色だ。

「ずっと尾行されてるんだ」

「リーシャに張り付きたいんだろ」

「だからってあんな睨まなくたっていいだろう」

 げっそりと困った顔で言うランティスに、さすがに同情的な気持ちを覚えたジャスは、首を捻る。

「じゃあ、俺が何か言ってこようか」

 自惚れかもしれないが、ディディはジャスの言葉ならまだ素直に聞き入れるのではないかと思う。しかしランティスは首を振った。

「いや、いいよ。愚痴って悪い。せっかくの祭りだから、そういうのはナシで行こう」

「……わかった」

 結局、数週間後にジャスはディディとこの件について口論することになるのだが、それはまた別の話になる。

 ランティス達と別れた後も、ジャストリアは幾度となく知人に出くわし、その度にささやかな世間話を交わし、また分かれる。

 そうしているうちに、当初の気まずい雰囲気は消え去り、いつもの調子に戻っていった。

「疲れたか?」

「ううん。平気」

「人混み、少しは慣れた?」

「うん。これはこれで楽しい」

 リアが舞踏会などの社交場を嫌うのは、全身に絡みつく、値踏みするような周囲の視線を厭ってのことだ。

 こういう祭りの喧騒とはまるで違う。寧ろ、雑多な活気に、少しばかり気分が高揚しているくらいだ。

「花火までまだ時間あるな。そろそろ何か食う?」

「あ、そうだね……花火?」

「知らなかったのか?」

 小首を傾げるリアに、ジャスも鏡合わせのごとく、向かい合ったまま小首をかしげて見せた。

 子ども扱いしないで。そうむくれながら、リアは首を振った。

「知ってるわよ。あの、煙と爆発音が凄いものでしょう」

「へ? あ、そうか」

 ジャスが目を丸くした後、納得がいったという表情になる。

「帝国だもんな。夜は都自体が眩しいから、花火も景気づけ程度なのか」

「?」

 一人頷くジャスだが、リアにとっての花火とはただ喧しいだけの煙でしかない。なぜ「“花”火」なのかも正直分からなかった。

「なんなの」

「いや、それなら楽しんでもらえそうだなって」

「あたし、花火はあんまり好きじゃないんだけど……」

「まあまあ。日付が変わる頃には変わってるかもしれないし」

「?」

 疑問符だらけのリアをつれて、ジャスは再び歩き始めた。







「今年もこの日が来たわねえ」

 しみじみと執務室から夜空を見上げるのは、この独立国における至高の存在、ルフィシャーズ・ディープゼ・ラフィエメリアだ。

「まだ、ここにいてくれるわよね?」

 室内にはもうひとつ、人影があった。 

 女王の恋人にして側近の一人、ウォルだ。

「あんまり早く、置いていかないでね」

 相手の顔も見ず、ルフィスは呟く。

 終わりが近い。分かってる。

 あんまり早く? 冗談じゃない。

 もう充分だ。理解している。一体彼に、これ以上の何を望むのか。

「せめて、あと――――」

 収穫祭。これは古傷だ。

 まだ自分が何も知らない、純真無垢な姫君でいられた頃。

 淡く甘美な初恋の思い出に彩られた過去の記憶は、今や刃物となって彼女の心を傷つけ、重い楔となって縛り付ける。

「あら?」

 不意に、夜空を横切る影に、声を上げる。

 鳥? そんな筈は無い。あれは――――。

「お祭りデート、ね。全く、若者は年寄りに見せ付けてくれるんだから」







 風が気持ちいい。ここに来るのは、初めてこの国を訪れた、あの日以来だ。

「もう秋なのね」

 亜麻色の髪を風に遊ばせながら、リアはくるりと背後を振り返る。

「ジャス?」

「いや、少し早かったかなって」

「そうかしら」

 揃って眼下を見下ろす二人は、夏の初めにリアとリーシャの歓迎会が催された展望台「星の塔」の最上階にいた。

 あの時、夜空には高貴な白い月と、宝石を散りばめた様な星々が輝いていた。

 それを思い出しながらも、リアの視線は天より、城下の活気溢れる灯りに注がれる。

「なんだか、あったかく感じる」

「灯りが?」

「うん。不思議ね。こんなのチュニアールに来るまで見たこともなかったのに、すごく懐かしく感じるの」

 自分でもおかしいと思うのだけれど、と苦笑するリアに、ジャスは存外真面目に返す。

「いや、わかるよ。俺もそうだったし」

 神経質な子どもだったジャスは、当初、周囲の人間達には大いに戸惑ったが、この城下の輝きは妙に心を落ち着かせてくれたのを覚えていた。

 しばらく二人は、静かに城下を眺めていたが、やがてリアが呟くように口を開いた。

「ねえ」

「うん?」

「前から聞こうと思ってたんだけど」

「? なに、どうした」

 改まった様子のリアに小首をかしげながらジャスは顔をそちらに向ける。

 リアは顔を街に視線を注いだままだった。

「どうしてあたしを、ここに連れてきてくれたの?」

「え……」

 それは今更すぎる質問で、ジャスも流石に戸惑った。

「半年が経った今頃それ聞くわけ? あんた、よくその歳まで誘拐されなかったな」

 呆然としながらつい憎まれ口を叩くジャスを、リアは横目で睨む。

「誘拐されたわ。冬の終わり、隣国の王子様に」

「うっわ、反論できねえ」

「ふんだ」

 そっぽを向くリアに、ジャスはやばいな、と思う。

(真面目に答えないと明日も不機嫌になりそうだ)

 だが、しかし。

(正直に言うと嫌われるよな)

 軽く目を閉じ、出逢った頃に思いを馳せる。

 ああ、そうだ。

 自分と似た影を帯びる少女を、幼い日の自分に重ね合わせたのだ。同じ痛みを知る彼女を連れ出して、どうなるのかをこの目で見たかった。

 天龍の背で手を差し伸べたあの瞬間ですら、ジャスはリア自身のことなどまるで配慮していなかった。

 同情や哀れみは確かにあった。けれど、第一に知りたかった。

 自分に本当に価値はないのか。

 同じ痛みを抱く彼女に出会い、諦めようとしていた欲求が密かに蘇った。

 大切な人を自分のせいで喪った。後悔ばかりが、灰のように降り積もって。 

 歳を重ねるごとに暗く落ちていくジャスの世界に、小さな鳥が舞い降りた。

『何の為なら生きれるのか、答えを探してるのかもしれない。生まれてきた意味を』

 自分と同じ色の後悔を纏う少女が、まっすぐにジャスの目を射抜いた。

 ああ、きっとあの時だ、と思う。

 きっとあの瞬間から、自分は彼女に惹かれ始めた。

 もう充分すぎるほど泣いて苦しんで、拒絶されて隔離されて。都合よく使い捨てられるに過ぎないお飾りの地位に縛られて。

 なのに、どうしてまだ生きようとするのか。

 眩しい光に手を伸ばすように、乞うた。

『俺達と一緒に行かないか?』





「ちょっと、ジャス?」

 沈黙でやり過ごそうとするのは許さない、と言わんばかりの形相で、リアがジャスを覗き込んだ。身長差ゆえとは理解していても、好意を寄せる相手に上目遣いで見られるのは心臓に悪い。たとえ相手の表情がしかめっ面そのものであってもだ。

「ちゃんと答えて」

「えー……?」

 疑問は理解できるが正直、今更というのが否めない。そもそも、どう答えれば彼女は満足するのだろう。悩み考えるうち、ジャスは段々面倒になってきた。もともとの性格だ。

「じゃあ、一目惚れ」

「はい嘘。ルーさん達みたいな美人に囲まれて育って、あたしに目がいくのはおかしいもの。大体“じゃあ”って何よ」

「自分を卑下するのは、やめるんじゃなかったのか」

 半分冗談とはいえ、即答されたのは気に食わない。彼女のこういうところは、謙虚と言えば聞こえがいいが、ジャスとしては面白くない。リアを魅力的に感じるからこそ好意を抱く少年としては尚更だ。

「だって……でも、そうでしょ?」

「卑屈。なんで? 金髪碧眼じゃないのが、そんなに駄目?」

 自分や周囲の者の美醜について余り関心のないジャスにはおよそ理解できない悩みだが、リアは自分の髪と瞳を、地味で冴えないと恥じている。

(綺麗なのに)

 風に柔らかく靡く亜麻色の髪は、つい手を伸ばしたくなるほど大切に手入れされていて、光を帯びたときの美しさといえば、そこらの金髪など相手ではない。意思の強さを垣間見せる凛とした瞳は澄んだ琥珀のように、深く落ち着いた色をしている。

 一体どこに不満があるのだろう。コンプレックスとは個人差があるものだと勿論理解しているが、こればかりは正直、納得がいかないと感じるジャスだった。

「でも、ジャスだって」

「え?」

 内心で文句を垂れていたジャスは、横で唇を尖らせているリアに気付き向き直った。

「今度は何だ」

「べつに!」

「はあー?」

 訳がわからんとばかりに眉を寄せるジャスだったが、重ねて問うことはしなかった。経験上、理解しているのだ。深追いすれば確実に喧嘩になってしまうだろう、と。

 しばらくの間、気まずいとまではいかないものの、どこかぎこちない雰囲気が二人を包む。

「なによ」

「なにが」

 せっかくの収穫祭、それもこんなに夜景が美しい場所にいる。リアも喧嘩などしたくない。

 けれど。

 リアが自分の容姿を受け入れ、誇れるまでには、まだまだ時間が必要なのだ。

 生まれつき美しいジャスに、この悩みは理解してもらえないのだろうか。

 そんな風に、思う。

 思って、気付く。

 どうして自分を、あの鳥籠から連れ出し、この楽園へと導いてくれたのか。

 その答えがほしかった。

 しかし、もっと知りたい真実があった。

 あるいは、聞きたい、そして伝えたいと胸のうちに宿る言葉か。

「ジャスは――――」

 半年間、そばにいた。

 自分の醜く情けない部分を、彼には随分と曝け出してしまった。

 そして彼の弱いところ、哀しい瞳、切ない表情、明るい笑顔、包むような優しさに触れた。

「あたしのこと、どう想ってる?」

 ずるい問いかけだと思う。

 「好き」か「嫌い」かの二択にすれば、ジャスもまだ答えやすかっただろうに。

 狡猾な女だな、と自分ではない自分が、心の中で冷たく言った。

 ジャスはきょとんとし、次に耳を疑うというような表情を浮かべる。リアを見つめる瞳は徐々に動揺を示してあらぬ方向に泳ぎ始めた。

「え、っと――――」

 そして唐突に、秋の夜空に艶やかな光の大花が咲き誇った。





 ランティスと共にその花火を見上げていたリーシャは、不意に眩暈を感じて座り込んだ。傍らのランティスが慌てて抱きとめる。

「大丈夫?」

「ええ。ちょっと、人に酔ったみたいです」

「なら……」

 ランティスは城に目を向け、リーシャに提案する。

「少し懐かしい場所に行こうか?」

「え?」

 疑問に首を傾げながら、リーシャは自身の変化について思考をめぐらせる。

 終わりが始まりつつあるのだと、彼女の中に眠る龍の本能が告げていた。




 

「今年も大繁盛だねえ」

「わざわざこの忙しい時に来んな!」

 にこやかに手を振るイリヤに、ミナはきっぱりと言った。だがこの程度でめげるイリヤではなく、さっさっとカウンターの中に入る。

「おばさーん。こんばんわ」

「あ、イリヤ君。楽しんどる?」

 挙句ミナの母を会話まで始めた。うざい。

「母さん? 今いそがしいんやから……」

「はいはい。イリヤ君、もう少しで落ち着くから、うちの子と遊んできてくれる? せっかく収穫祭やのに店の切り盛りだけで終わるって言うんは、母親として、ちょっとなぁ」

「いいですよ。寧ろ喜んで」

「さっすが婿殿! 話が分かるわぁ!」

「いえいえ、それほどでも。何かお手伝いすることありますか?」

「うおおおおおおおいっ!!」

 母と幼馴染に挟まれ、ミナは雄叫びを上げた。





 祭りの空気に酔っていた。

 リアがそう自覚したのは、五度目の花火が咲き、散った頃だった。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 無言。

 ひたすら無言。

 真っ青になる少女と、徐々に顔を赤らめる少年と。

 花火の光は一瞬で、動揺の極みにある彼らは、互いの表情に気付かず、時間ばかりが過ぎていく。

(何を言ったの、あたし)

(何を言ったんだ、リア)

 花火の音さえなければ、高鳴る鼓動が相手に聞こえてしまいそうだ。

「あ、の」

「ええっと」

 二人してこの空気をどうすべきかと、意図もない声を上げた時だった。

「あれ? ジャス?」

「リアも。すみません。お邪魔でしたね」

 救世主は唐突に現れた。

 夜空から。

「ランティス!」

「リーシャっ」

 少年少女の見上げる顔がひどく安堵に満ちていて、ランティスとリーシャは思わず首を傾げた。

 銀の翼の魔法を解き、ランティスがリーシャを抱えたまま着地した時、更に救世主達が現れる。

 今度は、ちゃんと扉から。

 しかも大勢で。

「あ、ランティス? ってあら、四人でデート中だった?」

「リーシャ様! あまり夜風に当たられてはお風邪を召されます」

「ほらセブン、リアさんいるよ。言いたいことあるんでしょ?」

「う、うっせえ! 余計なこと言うんじゃねぇ」

 シンルーが扉を開け後ろからディディ、ラド、セブンが顔を出す。

「えー何ナニ? あんまりにも見向きされないからって、遂にディディからリアに鞍替え? そっちのが無謀な気がするんだけどなあ」

「イリヤ、そういう意地悪ばかり言うからミナに相手されないんだと思う」

「そうです。言うたってアラン君」

「ミナにはいつも本気なのになあ」

 続いてイリヤとその義兄弟アラン、仕事を終えたミナが頬を膨らませて現れた。

「そこが信用ならん言うとるの!」

「えー」

「えー」

「リオンも混ざらへんの! そのアホが調子のるやろ!」

 イリヤの影に隠れて、癖の強い茶髪と、派手なピアスが目立つリオンが唇を尖らせた。

「報われない片想い同盟の相方同士だから、僕とイリヤ」

「え、一緒にしないでくれない?」

「うっわ、一瞬で裏切られた」

「片想い? リオンが?」

 首を傾げるアランジェに、リオンが悩ましげな表情を作る。

「え、アラン知らなかった? そうだよ。苦節十年、幼馴染のサーシャを一途に思い続けてるのさ」

「てっきり遊びかと思ってた」

 ばっさり切り捨てられ、リオンの顔がひきつった。

「アランって養子だけど性格は確実にジルハーツ家だよね」

「それよりも訂正が。私の名前は“サーシャ”ではなく“サーシェス”です」

 リオンにがっちり手首を掴まれ拘束されているサーシェスが、いつもの無表情で抗議の声を上げた。

「賑やかねえ」

「あ、ソフィア様もいらしたのですか」

「うん。たまには若者と語らいたくて。後からマロナ達も来るって」

「わっちらもおるぞー」

「ジャスと嫁は元気か!?」

「ミュイ、酒臭い息で叫ぶな。そしてイクス、ジャスとあの女子はまだ夫婦となるには早いぞ」

 次いでルフィスの妹姫ソフィア、既に酔っているミュイとイクス。更に彼らの保護者のように人型に化けたクルスがやってきた。

 そして。

「今夜は飲むわよー!」

 丁寧に巻かれた栗色の髪を悠然と靡かせて、この国の女王陛下がお出ましになった。

「今夜も、だろ」

 もうこうなると事態の収拾は難しい。朝まで酒盛りになりそうだ。

 突破口を求めていたはずなのに、現金なもので、さっきまでのふたりきりの時間が妙に惜しく感じてしまうジャスだった。

 けれど。

 何気なく視線を周囲に向けると、こちらを見つめるリアと目が合い、思わず逸らしてしまう。彼女も同様の行動をしたのが、気配でわかった。

 恥ずかしくて顔が見れないとは、こういう事をいうのだろう。

 ああ、でも。

 ジャスは僅かに後悔する。

 花火が上がるまでの間、彼は不覚にも迷ったのだ。

 想いを告げてしまいたいという誘惑に駆られて。

 それはいけないとわかっているのに、彼女に打ち明けたいという、自分が思う以上に強い欲求が、理性を飲み込みかけた。

 その瞬間にあの花火だ。

 あれがなければ、自分は彼女に手を伸ばしていたかもしれない。

 一年後には離れて別の人生を歩んでいるのが分かっている相手にだ。

(危なかった)

 彼女がどういう意図であのような質問をしたのかも正直気になるが、おそらく此方が思うようなものではないのだろう。先の質問をジャスがはぐらかしたから、その延長のようなもの。きっとそうだ。




 臆病な少年はそう決め付けてこの日の記憶を額縁に封じ、ただ仲間と過ごす最後の平和な秋の記憶とした。

 嵐の前の静けさだったのだと、そう気付いたのは僅か数ヵ月後。

『さよならだ、リア』

 冷酷で無慈悲な雪の降る季節が、すぐそこまで迫っていた。







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