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秋の魔法戦大会

冗談のように長いです。

本編にそこまで関係ないので飛ばして頂いても無問題かと。


























 暦が変わり、朝晩の暑さが安らぎ始めた初秋。

 涼しげな風が窓の外を流れている秋晴れの日、個性的なピアスと癖のある茶髪が目印である翡翠の瞳の少年リオン・ラーヴァは、何故か背中に冷や汗を感じていた。

 直立不動で佇む彼の前には、酒樽に直接ジョッキを突っ込んでいる女王がいる。上機嫌そのものの笑顔で語られた内容に、リオンは耳を疑った。

「運動会?」

「違うわよ。なに平和な方に聞き間違えようとしてるの」

 嫌だからに決まってるでしょ、と喉まで出かけた反論を理性で飲み込み、リオンはゆっくり口を開く。

「あんな怪我人続出の大会を、また催すつもり?」

「大丈夫よ。今年は前回の教訓を活かして紅白の2チームに分けるもの」

 悪戯好きな本性を隠そうともしない女王の言動は、放埓だと眉を顰めるべきなのか、それとも愛嬌だと肯定的に見るのが無難なのだろうか。

「今年は結界の破損で魔物が寄って来たりしたから、人魚祭りが中止になったじゃない? もう安心って布告は下したけど、みんな楽しい行事がなくなって残念だったと思うの」

 騒ぎ足りないのはアンタだろうと、リオンの脳内で本音が無制限に繰り返された。相手が女王でなければ、いっそ言ってしまいたい。

「すぐに国を挙げての収穫祭があるよね?」

「城下の人達と交流を持つのは大事なことよ」

「いや、それ収穫祭でも充分できるんじゃ」

「なにか言った?」

 自分の主張が理屈として通らないとなると、途端に不機嫌面を向けてくる。なんて女王だ。

「わかった。皆には僕から言っておく」

 ごめん。リオンは心の中で詫びた。ごめん、特にジャス。

(止められなかった)

 彼方へと視線を投げ、目を開けたまま気絶する友人の姿が、目に浮かぶ。

「よろしく頼むわね、リオン」

「はーい……」


 そして――――――【秋の魔法戦大会】組み分けが発表された。


紅組

 ジャスティス・ラゾーディア(男/恋愛音痴王子)

 ランティス・ラゴート(男)

 リシエル・エタージャ(女)

 ディディアン・ポルシェア(女)

 セブン・ボナク(男/馬鹿)

 クリスフォード・ベルグ・ボナパルト(男/俺様)

 アランジェ・ジルハーツ(男)

 ヒュージ・ジルハーツ(男/童顔ちょび髭)

 ユーナ・ログセスカ(女)

 ミュイ(鬼女)



白組

 レリアル・ウルフラーナ(女)

 リオン・ラーヴァ(男/もじゃもじゃ)

 サーシェス・ユリット(女)

 ラディール・オゾロック(男)

 シンルー・アーゼ(女)

 ジン・ジルハーツ(萎びた爺)

 フィーノ・ジルハーツ(老婆)

 イクス・テェルロ(男)

 イリヤス・ジルハーツ(男/恋愛下手王子)

 イーヴァ・ブリュレイク(男/ナルシスト)





「何これ」

 今朝から食堂前に設置された掲示板を見て、卒倒しそうな顔で呟いたのは、黒髪紅眼のジャスだ。その表情は極めて青い。

「だ、大丈夫?」

 尋常ではない様子の彼を心配そうに見上げるリアは、ちらりと横目で自分の名を見つけ仰天してしまう。

(あたしも入ってる。ほんとうに何の組分けなのかしら)

 大雑把に紅白に分かれているだけで、肝心の内容が全く分からない。知っている名前が殆どだが、この20名は何を基準に選ばれたのだろう。全てにおいて謎の布告だった。

「お、どれどれ」

 気になるが、疑問の解消よりも顔色の悪いジャスを部屋まで送るほうが先決か。考え込んでいたリアのすぐ後ろで、馴染みの声が聞こえた。

「ルーさん」

「おはよ、リア。ジャスは……あーあ」

 百年前からそこにあった石像の如く微動だにしない少年に苦笑を零したのは、混じりけのない銀髪と夕日を宿したような双眸が、寒気を覚えるほどに美しい雪女のシンルーだ。

「おはようございます。あの、これ何の為の組分けなんでしょう」

「あ、そっか。リアは知らないのね」

 シンルーは掲示板を見ながら言った。

「秋の恒例行事よ。ルフィスさんの趣味で選ばれた20人が、魔法を使った競技をするの。国民に人気の行事なんだけど」

 遠い目をしているジャスを気遣い、小声で耳元に囁いた。

「ジャスはあの外見でしょ? 国民に立体映像で中継されるんだけど、それ見た女の子達が熱を上げちゃったの。去年はそれで凄いことになって、あれで益々女嫌いに拍車が掛かったのよ」

 実に納得のいく話だった。

 リアが言葉に迷っていると、掲示板の存在に気付いた者がぞろぞろと集まってきた。入団半年のリアは千人を越える団員の顔は殆ど覚えておらず、ただただ会話の濁流に飲まれてしまう。

「げぇっ、マジで今年もやんのかよ!」「あの女王は鬼か?」「見てる分には面白いけど」「今年は2組に分けてきたか」「アレじゃね? 去年は個人戦で重傷者が多すぎたから、流石に反省したとか」「どうせなら今年から廃止にすりゃいいのに」「おお、ミュイの姐御も出るのか」「イクスの旦那とぶつけるんだろ。あの二人、加減できない同士だから」「おい、イーヴァとユーナも別々だぞ」「法廷の前に闘技場で戦うわけだな」「終わりなき冷戦、遂に終結か」「どうでもいいけど、所々なんかヘンな詳細あんのは何だ?」「リオンの『もじゃもじゃ』は天パのことじゃねーの」「なるほど。ってことは、これ書いたのルフィスさんか」「リオンが天パからかわれても我慢する相手ってルフィスさんぐらいだしな」

 等々、いつまでも終わりそうに無い背後の会話に、リアは当惑した。気の毒なほど青くなっているジャスをこの場から連れ出してやりたいが、後ろにこれだけの人だかりがあっては難しい。救いを求めてすぐ横のシンルーを見ると、彼女はふむ、と掲示板を睨んで何やら思案している様子だ。

 どうしよう。

「えっと、ルーさん?」

 邪魔はしたくないが、正直このままというのは居心地が悪い。何かしらのイベントで役割を与えられるのは理解できたが、そもそもどんな競技なのだろう。

「リアとは同じチームだから、仲良くしましょ」

「? ええ」

 普段から良くしてもらっているのに何を突然、と首を傾げるリアは、閉鎖的な育ちゆえにこういった世事に極めて疎い。ましてや、集団で何かに取り組んだことさえないのだ。

「そこでボーッとしてるどっかの王子様は紅組だから、しばらく敵ね」

「え?」

「ルー姉」

 あてつけのように言われた『どっかの王子様』は、恨めしそうに口を開く。どうやら我に返ったらしい。

「大丈夫?」

「うん……ごめん、吃驚しただけだから」

 ぽん、と頭に彼の手が載せられ、リアはようやく安堵した。もう片方の手に触れ、移動を促す。

「ジャス、どうする? 食堂いく?」

 自然な流れで手を繋いだことにお互い気づかず、彼らは背後を振り向いた。

「うん……って、うわぁ」

 遅れて背後の人だかりに気付き、ジャスが顔を引きつらせた。対岸の火事だと言わんばかりの野次馬ぶりに、薄情な奴らだと舌打ちする。

「お、ジャスじゃねーか。頑張れよ今年も」

「うるせえよ」

「ワシはお前に賭けるぞー」

「おい。じーさん、今年は個人じゃねーんだって」

「シンルーも期待してっぞー」

「はいはい。分かったから退いて退いて」

 シンルーがばっさりと会話を打ち切り、人だかりの中に突っ込んでいく。遠慮の欠片もない動きで男達を押し通っていく姿は、いっそ頼もしくさえ感じてしまうほどだった。

 その後に続きながら、ジャスはリアに視線を投げてきた。

「リア」

「うん?」

「多分、昼にでも呼び出しがあると思うけど」

 ちらりと掲示板を再び眺め、彼は白組に連なる名前を睨んだ。

「何かあったら、ルー姉に聞け。っていうか、ルー姉の後ろに引っ付いてろ。いいな?」

「え、でも」

「俺は組が違うから、いつもみたいにあれこれ教えられるか分からない。今回はリーシャもランティスもいないし、ルー姉なら気兼ねもしなくて済むだろ?」

 言われて、リアは慌てて掲示板を振り返った。今までは自分の名前もあるな、くらいにしか思っていなかったが、よくよく見れば特に親しい3人とは組が違う。リアは愕然とした。

「どうしよう」

「いや、だからルー姉いるじゃん」

「そ、そうだけどっ」

 思わず服の背を掴んだ。ジャスが驚いたように振り向く。

「急に引っ張るなよ」

 喉を圧迫してしまったらしく、本当にぎょっとしていた。さすがに申し訳なく思うが、リアもリアで狼狽しているのだ。

 ジャスが傍にいないというのは、ここ半年で殆どない事だった。無意識のうちに彼を頼るのが癖になっているのは自覚していたから、治すいい機会かもしれない。けれど、あまりに突然すぎて動揺が大きい。

 まるで先程の自分ように青くなるリアを見て、ジャスも流石に足を止めた。向き直り、今度は子どもに対するような優しい口ぶりで言う。

「大丈夫だって。同じ城内にいるんだし、会えないわけじゃないよ。さっきは色々言ったけど、何かあれば声かけて」

 最後には頭まで撫でられる。完璧に子ども扱いされているが、嫌な気分ではない。幾分か安堵して、リアは頬を弛めた。

「うん。頑張ってみるね」

 何が何だか未だによく分からないけれど、流石にそれは口にしなかった。

 食堂に入ると、リアは再び唖然とした。

『祝・魔法戦大会~期間限定の紅白メニュー始めました~』

 何故か横断幕が2階のテラス席に設けられていたのだ。昨夜まではなかったはずなのに、一体いつから用意していたのだろう。

「お祭りなの?」

「マギーが悪ノリしてんだよ。自分は関係ないからって」

 あのハゲ野郎、とジャスは吐き捨てた。微塵も存在していない毛を毟りたくなるという不穏な呟きを聞き、リアもひやりとする。

 本当に、ろくな思い出がないらしい。そうでなければ、彼がここまで苛立ちを露にすることもない筈だ。

(ていうか、なんかガラ悪くなってるような?)

 リアの中のジャスは、『たまに意地悪だけど、基本的には優しい人』だ。ジャスのリアに対する言動は、普通の娘ならば期待してもおかしくないものだというのに、他人からの好意に不慣れな彼女は彼の厚意が特別な感情によるものだとは思いもしないのだ。その発想がない辺り、ある意味リアもジャスと同じく『恋愛音痴』の称号が似合うかもしれなかった。

(まあ、男の子だし、こういう面もあって不思議じゃないのかな)

 リアにも一応、継母が生んだ腹違いの弟がいる。同じ屋敷内にいても、言葉を交わすのは週に一度あるかどうかという、なんとも冷え切った姉弟関係だった。リアの身近な男といえばその弟と父親、あとは皇太子とサズぐらいなものだった。皇帝である伯父とは滅多に拝謁できなかったし、他の叔父叔母とも疎遠に育てられたのだ。

 今なら、その理由も知れる。

 母親にさえ拒絶された哀れな娘だと、直接リアを侮辱しようとする輩がいないかも分からない。だから父はリアを隠すにひっそりと育てたのだ。

 しかも、両親は恋愛結婚だったが、後にリアの継母となるチゼータと、先帝の第二皇子であった父は既に婚約していた。周囲の反対を跳ね除けての結婚と、その末に生まれた娘。しかも最終的にアルナリアは病に倒れ、心が壊れたと噂されるなか死んでいった。

(なんか、傍から見ればとんでもなく不幸な家族ね)

 若さゆえの情熱も蓋を開ければ、生まれた娘も含め誰も幸福ではなかった――――そう冷笑されてもおかしくない。

 けれど、本当は違う。

 父は気さくで、大概にして寛大だった。

 そして母も、決して口に出されることはなかったけれど、他の誰よりもリアを愛してくれていた。

 それを知っているから、もう思い出に支配されることはない。

 そんな自分を導いてくれた少年を見上げると、相変わらずむっすりしている。なんだかおかしくなって、リアはこっそり笑みを零した。



 マギー・ラトナは厨房の裏で簡易休憩を取っていた時、突然背後から頭をがっしりと掴まれた。

 それどころか、どんどん圧力が強くなっていく。

 心当たりはいくつかあるが、誰より腹を立てるのは異国の王子だろうと理解しながら横断幕を設置したので、とりあえず猫なで声で命乞いをすることにした。

「やあ、麗しの王子殿下」

「へえ? 見えんの? 何あんた目玉どこ付いてんの? 前にあんのソレ飾り? ねえ、抉っていい?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 謝るうちにも、頭を掴む握力は強まっていく。馬鹿力と心中で悪態をつきつつ、マギーは必死に言葉を探した。

「落ち着いて話をしようよ、ジャスティス君」

「黙れ、このハゲ達磨」

 絶対零度の罵倒は、寧ろ笑みを含んでいる。氷の微笑を浮かべた下で黒髪の少年が何を考えているのか、マギーは手に取るように分かった。

「嫌よ? 流石にこのまま壁に叩き付けられたら鼻が折れ……」

「いーんじゃねーの? どうせ無駄にデカイんだし、いっぺん景気良くへし折った方が男前になれるかも」

「いやいやいやいや! ごめんって! ほんの出来心だったのさっ!」

 というか、そろそろ頭蓋の方が心配になってきた。何らかの魔法を使っているのか、強い力から逃げなれない。

「ジャスちゃんってば!」

「本気でうざいよ、あんた」

 低い囁きに、血の気が引いた。本気で鼻がズル剥けになるかもしれない。

(やっぱ新入りの嬢ちゃんの影響かね)

 あんな大々的に告知されては、ジャスとしても隠しようがない。まして彼女は当事者にまでされている。そこで催しの詳細を誰かに尋ねたら、皆昨年のことを尾ひれ付きで語るだろう。最悪の結果を想定するなら、リアはジャスの女性関係に良からぬ疑いを抱いたかもしれない。マギーの遠回しな嫌がらせの意図を正確に見抜いた上で、この少年は憤っているのだ。流石に今回はやりすぎたかと反省するも、ジャスの怒りは収まらないらしく、ぎりぎりと締め上げてくる。些細な事も見逃せないとは、余程あの新入りの娘に惚れているようだ。


「あれ、ジャスやん」

 絶対絶命の危機を救ったのは王子の慈悲でなく、通りすがりのパン屋の娘だった。

「何しとるん?」

 黒いバンダナをカチューシャにして纏めた髪は、明るいオレンジ色のショートカット。夏の空を思わせる鮮やかな瞳の持ち主は、イリヤの幼馴染でもある少女だ。

「ミナ」

 流石に見られては拙いのか、ジャスがぱっと手を開く。瞬間的に吐き気と眩暈を覚え、思わずマギーは膝から崩れた。

「えっ、マギーさん!? どないしたん!?」

 遠目から見ただけでは、ジャスに隠れてマギーの存在に気付かなかったらしい。倒れたことでようやく視界に認め、慌てて駆け寄ってくる。

「ジャス、マギーさんどうしたん!?」

「煙草の吸いすぎだろ。自業自得だ」

 しれっとジャスは言い放った。ミナはリアと比較的親しいので、彼女の耳に入れたくないらしい。

「え? マギーさん煙草しとったっけ?」

 首を傾げるミナにマギーは真相を話そうとしたが、その瞬間、足首を締め上げられたような感覚を覚えた。

(ひっ)

 ミナの目に入らないところで、【影】の魔法を発動させていたのだ。文字通り影を操る魔法で、こんな風に相手の影を実体化させて動きを封じたり、紐のようにして締めることもできる。

 言ったらコロスと目が語っていた。もちろん命を奪われることはないだろうが、賢い彼は組織の規律の穴を掻い潜り、精神的に甚振ってくる筈だ。

 色んな意味で戦慄くマギーの傍らに、ミナ同様腰を屈めたジャスは、しゃあしゃあと言う。

「この歳になって急に煙草が吸いたいとか言い出すから、料理人だし良い事ないからやめとけって、今ちょっと揉めてたとこ」

「えー!?」

 リアほどでないにしろ、騙されやすいミナはすっかり信じた。そのまま目を三角にして説教を始めようとする。

「ちょっと、マギーさん!」

(ええええぇええぇ)

 悪者扱いされてマギーは項垂れるが、先に悪意を向けてきたのはアンタだろと冷たい眼差しを受け、甘んじてミナに説教されるのであった。

 しばらく夜道には気をつけよう、と肝に銘じて。




(ジャス、どうしたのかしら)

 朝食を終えてから、急に「やることがあるから」と言ってどこかに行ってしまったことに違和感はあったが、結局そのまま午前の仕事についたリアである。まさか彼が料理長を『ボコる』つもりとは知らず見送った彼女は、ある意味とても呑気だった。

「あ、リアじゃん。おはよー」

「イリヤ」

 遅刻常習犯の彼が定時に出勤とは珍しい。城下で家族と暮らす彼は、午前の仕事には殆ど遅れてやってくる。

「おはよう」

「物珍しそうな顔だね。そんなに意外?」

「ええ。あ、もしかしてミナの配達に合わせたの?」

 鈍感なリアにさえ片恋がばれていることに、イリヤはしばし沈黙した。

「あれ、違った?」

「……黙秘権をクダサイ」

「あはは」

 告白してしまえばいいのに、と思った。リアの目から見て、中々にお似合いのカップルなのだ。

「そういえばイリヤ、食堂には行った?」

「いや? でもあの組分けなら城下にも張り出されてたよ」

「え」

 知らぬ間とはいえ、そこに名を連ねてしまっているリアはぎょっとする。国民に人気とは聞いていたが、まさかそこまで注目度が高いとは思わなかったのだ。

「同じ白組だし、頑張ろっか」

「うん。でも、具体的に何するの?」

 地方からの嘆願書に速読で目を通し、区分けする。もう少し役割を整えればいいのに、と呆れるリアにイリヤはのんびりと答えた。

「魔法を使う競技なんだけど、メインイベントは個人の魔法戦だよ。前座は毎年違うんだ」

「去年はどうだったの?」

 何気なく訊ねたら、イリヤはどこか遠くを見るような眼差しになった。

「飛行魔法を継続したまま、ルフィスさん特製の魔力弾を避けきること」

 ちなみに優勝はランティスだったらしいが、高所からの落下で重傷者が続出したそうだ。雨のように降り注ぐ弾丸は打ち落としても構わないが、一つ一つを破壊していては消耗するだけだ。当たればとんでもない威力で、墜落を余儀なくされるのだそうだ。個人のハンデを補う為というよりは身の安全の為に、防具が支給されるらしい。

 そこまで聞いて、さすがにリアも血の気が引いた。何から何までジャスに同意見だ。なぜ開催するのか分からない。

「ていうか、さ。ジャスは?」

「青くなって、それから何故か食堂の裏に」

「?」

 食堂の横断幕を見ていないイリヤは、当然ながらマギーの悪意も知らない。リアと同じく首を傾げるが、やがて鏡をみているかのような互いの動作に、二人はほぼ当時に噴き出した。




 昼になり、再び食堂を訪れたリアは首を傾げた。あの横断幕が消えていたのだ。

「どうした?」

「あ……ううん」

 不思議そうなイリヤだったが、彼は今朝の食堂の状態を知らないのだから、口下手な自分があれこれ言ってもうまく説明できないだろう。リアは早々に思考を切り上げた。

 が、きょろきょろと周囲を見回したリアを見て、イリヤは別方向の発想をしたらしい。

「ジャスでも捜してるの?」

「えっ」

 そんなつもりはなかったけれど、言われた途端、気になり始めてしまう。ちらちらと横目で辺りを窺いつつ、上擦った声で答えた。

「別に」

「いや、無理があるから」

 それで誤魔化せると思ったのかと呆れ顔を向けられ、リアは唸った。そんなに表にでているのだろうか。

「……イリヤほど判りやすくないわ」

「リアさ、なんかジャスの影響で性格ちょっと悪くなってない?」

「そんなことないわよ。ただ、勿体無いとは思うけど」

 遠回しな指摘を否定しない辺り潔いと言えるだろうが、発揮するべき場面を間違えている。どうしてミナにアプローチを掛けるときに限って、あんな子ども染みた振る舞いをするのか理解できない。それが男心というものなのだろうか。

 嘆かわしいと言わんばかりのリアを見て、イリヤが思わぬ反撃に出た。

「自分達が順風満帆だからって、お節介は良くないよ」

「はあ!?」

 ぎょっと目を剥き振り返ると、さすがジャスの友人らしく意地悪な笑みが浮かんでいる。

「どういう意味よ」

「はいはい。照れ隠しはいいから。列、ちゃんと並んでないと抜かされるよ」

「う~」

 最後の言葉に従い、渋々と列に向かうリアだが、心中では言いたいことが嵐のように沸き起こっていた。

(そういうのじゃ、ないんだってば)

 自分はサズを忘れることなどできないし、ジャスもまだ、女性をそういう風に思えないのではないだろうか。レティアの件で彼が心に負った傷は深く、早々に克服できるものではない筈だ。加害者であるレティア本人から当時の様子を生々しく語られたリアは、未だに彼女への怒りを捨てきれない。結果としてジャスは初恋の相手を奪われ、周囲の者からはずっと腫れ物のように扱われてきたのだ。

 許せない――――そう心中で呟くリアは、ふと思い出す。

『……多分、違うと思う。どっちかって言うと、友達だけど姉弟に近い感じだった』

 彼はそう言った。セレナに対する恋愛感情は無かったと。

(でも、ジャスって鈍感だし)

 相当に鈍い彼のことだ。自分の感情を理解していなかっただけかもしれない。まして幼い子ども時代であったなら尚の事。

 そこまで考え、リアは我に返った。

 今のはおかしい。夏の熱がまだ残っているのだろうか。

 これではまるで嫉妬ではないかと、ぶんぶん頭を振った時だった。

「何してんだ、あんた」

 哀れみさえ内包された呆れ声に、慌てて振り向く。すると、イリヤの横にジャスがいた。後ろにはリオンとアランジェもいる。どうやら午前の業務を終えて、いつの間にか列に加わっていたらしい。

「べ、別に!」

 慌てて首を振るリアを尻目に、イリヤが妙に気を遣ってジャスと前後を交代した。悪いな、とイリヤに軽く頷いたジャスは、不思議そうにリアを覗き込む。

「いくら腹へってるからって暴れるな」

「違うわよ!」

 本当のことを話すわけにもいかないが、だからといってこれはない。あんまりだ。さっぱり女扱いされていない。いくらなんでも、年頃の娘に対して何という言い草だろうか。信じられない。

「大体、今朝はどうしたのよ。急に行っちゃって」

「野暮用」

 料理長の鼻を文字通りへし折ろうと目論んでいた彼は、そんなことは微塵も窺わせずに澄まして答える。

「野暮用?」

 じとりと睨み上げるが、ジャスは涼しい表情を崩さない。教える気はなく、しかも下手に探れば弄るぞという脅し顔だ。

(意地悪)

 むすっとしながらリアはそっぽを向いた。きっとセレナ相手ならこんな態度はしなかったに違いない。そう考えたら余計に面白くなくて、唇を尖らせる。

「あーあ、リア拗ねたぞ」

 後ろからイリヤが冷やかしたが、ジャスと一緒に食堂に来ていたリオンとアランジェに肘で突かれ口を閉じた。

「怒った?」

「別に!」

「怒ってんじゃん」

 うるさい、とリアは癇癪を起こしそうになって振り向いた。痛烈な攻撃ならぬ口撃を浴びせてやろうと、引き結んでいた唇を開く。

「あのね!」

「はい」

 ポイッ、と口の中に何かを投げ込まれた。小さなマーマレードだ。レモン風味が口に広がり、それまでの苛立ちも忘れて租借する。

 美味しい。

 餌付けという単語が脳裏を掠めたが、リアは無視してゆっくり嚥下した。

「な、なんでお菓子もってるの?」

「午前中は城下の警邏だったから、お土産」

 どうぞ、と包みを渡される。おやつに食えということらしい。

 上手く誘導されている気がしたが、リアは包みを受け取った。女扱いされてないどころか、立派な子ども扱いだ。それでも不思議と嫌な気分にはなれず、ありがと、と小さく言う。お菓子に罪はないのだ。

「頂きます」

「うん」

 トドメといわんばかりに頭まで撫でてくる。

 この優しい手が、リアは好きだ。触れると落ち着く。

「……おい、ちょっと。後ろに独り者がいるの忘れてない?」

 顔を引きつらせながらイリヤが再び口を挟んだ。今度はリオンも同調したように頷き、アランジェは苦い笑みで同意を示した。

「見せ付けないでほしいねえ」

「秋とはいえ、まだまだ日中は暑いんだよ?」

 各々の冷やかしを受けたリアだったが、さきほどのように腹は立たなかった。ジャスの手が頭に載ったままの状態が、自分でも驚くほど心地よい。

 たぶん、こんな風に子ども扱いされたことが殆どないからだ。父はリアを大切に育ててくれたが、現皇帝の弟皇子として多忙だった。母親に疎まれた娘との距離感にも迷っていたのだろう。気さくさが目立つようになったのは、サズと出会ってからだった。

 別にジャスを父親や兄のように思っているわけではないのだが、こうした仕草にリアは弱い。直前までの機嫌の悪さも忘れ、大人しくされるがままになる。

 これはもう【子どもと保護者】どころか【犬と飼い主】に近いものがあると、ジャスの背後でイリヤはリオン、アランジェは密かに呟き合っていたが、ジャスが軽く睨むと口を噤んだ。しかしその目には悪戯っぽい色がありありと浮かび、ジャスはなんとも居心地が悪い思いで昼食を摂ったのだった。





 昼を過ぎた頃に、例の20名が呼び出しを受けた。一足先にルフィスの執務室を訪れたジャスは、相変わらず整理されていない部屋の惨状に眉を顰める。

(やっぱ女じゃねーわ、この人)

 げんなりするジャスの視界に、今朝方と同じ内容を書いた書類が飛び込んでくる。参加者への注意書きらしく、薄い冊子になっていた。



紅組の大将――ミュイ


 ランティス・ラゴート

 ジャスティス・ラゾーディア

 リシエル・エタージャ

 ディディアン・ポルシェア

 セブン・ボナク

 クリスフォード・ベルグ・ボナパルト

 アランジェ・ジルハーツ

 ヒュージ・ジルハーツ

 ユーナ・ログセスカ



白組の大将――イクス・テェルロ


 レリアル・ウルフラーナ

 リオン・ラーヴァ

 サーシェス・ユリット

 ラディール・オゾロック

 シンルー・アーゼ

 ジン・ジルハーツ

 フィーノ・ジルハーツ

 イリヤス・ジルハーツ

 イーヴァ・ブリュレイク




「なあ、この組み分けって変更できないの?」

「いやよ」

「ちっ」

 にべもなく言われ、ジャスは思わず舌打ちした。

「なんでリアだけ俺らと離すんだよ。可哀相だろ。俺が白に回るから、せめてリーシャと同じ組にしてやってくれよ」

「やけに早く来たと思ったら、言いたいことはそれ?」

 呼び出して5分も経たぬ間に訪れた王子に、ルフィスはやれやれと肩を竦める。

「でも意外だわ。自分と同じ組にしろ、とは言わないのね?」

「そこまで自己中心的になれないよ」

「ふふふ」

 糞婆と内心で毒づき、ジャスはソファーに身を沈めて足を組んだ。表では女王として敬うが、この汚い執務室には自分とルフィス、その恋人のウォルだけだ。育て親相手に畏まる必要もないだろう。

「そういえば、こないだトロナイルに帰ってたみたいだけど、クラウディアはお元気?」

 ジャスはトロナイル国王の要請で、チュニアールに庇護されている身だ。出国の際はルフィスの許可が必要なので、隠し立てができるわけもない。

「それはもう」

 帰りしなに執拗なほど「好きな子」の事で質問攻めにされたジャスは、思い出すたび疲れた気分になる。もう二十代の末なのだから、そろそろ落ち着いてはどうだろうか。

「で? イヤリングの片方が見当たらないのはどうしてかしら」

「残念。何のことだかわかりません」

 屁理屈だが、今はセレナの形見として、服の下でペンダントにしている。リアにはまだ渡せていないが、自分が目に見える形で所持していては、リアが受け取らないかもしれない。それはセレナに申し訳なかった。

「可愛くないわねぇ」

「褒め言葉だよ」

「まー!」

 可愛くない、と繰り返したルフィスの手から、本が投擲された。首を捻って避けるジャスは、そのままテーブルの上のグラスに手を伸ばした。

「もらっていい?」

 ルフィスの呑みかけの酒だ。間接どうこうと拘る年齢でも間柄でも性格でもない。ルフィスが膨れ面で頷いたのを確認し、中身を煽った。ルフィスの珍料理を食べて育った為に味覚音痴を患っているジャスが好きでもない酒を欲したのは、ただ単に食事を急いで平らげてきた為に喉が渇いていたからだ。特に感慨もなく嚥下する。

 正直、酒はあまり好きではない。

 味覚はどこかの女王のせいでおかしくなったが、酒は生まれつき強いらしい。どれだけ飲んでも潰れたことがなかった。一度シンルーと張り合った結果、他の全員が潰れてジャスとシンルーの二人だけが朝まで残り、最終的に周りの介抱をする羽目になった。

 味も香りも酔いも楽しめないとなれば、さすがに面白くない。いつも適当なところで切り上げるのは、結局つまらないからだ。

(まあ、味覚はルフィスさんのせいだけじゃないけど)

 引き取られたばかりの頃、ルフィスは気を遣ってジャスに手料理を振舞ってくれたが、おかげでランティスを道連れにジャスはすっかり味音痴になった。何でも食べられるのは良いことだろうし、あの日々があるからどんな珍妙な食品を見ても動じなくなった。

 けれど、本格的に味覚が機能しなくなったのは、レティアの事件があってからだ。気付いたのは事件から数週間が経ってからで、医者に言うのも億劫なまま、今日まで来てしまっている。

(困ることはないし)

 毒への耐性をつける為、ジャスは毒を自ら飲むこともある。普通は悶絶するほどの苦味があるものでも、何も感じずに嚥下できるのは幸福なのだ。そう思うことにする。

 これ以上、レティアを悪く思いたくない。

(リアに言ったら、また炎上しそうだしな)

 レティアに関して許せない事があるならば、やはりセレナのことと、あの日の出来事をリアに語って聞かせたことだ。年頃の娘にとっては、とても気持ちのよい内容ではない。レティアは本当に分かっていなかったのか。

「ジャス」

「ん?」

 黙りこんだジャスを、遠くの机から頬杖をついたままのルフィスがじっと見ていた。

「あんたは男に生まれて嬉しかった?」

「は?」

 何いってんだと首を傾げると、ルフィスはつまらなそうに鼻を鳴らした。一体どんな反応を期待されていたのか。ジャスは頭痛を覚えた。

「わかりませんよ。性別なんて生まれる前に選択できるもんじゃないでしょう」

 けれど、と。

 馬鹿を承知で、少し考えてみる。

 女に生まれたなら、母の気持ちも分かっただろうか。必死の思いで産んだ子供が忌まわしい異形であった時の絶望を、理解できたのだろうかと。ひょっとしたら、レティアにあんな真似をさせることなく、セレナとも仲の良い親友のままでいられたかもしれない。

 そこまで思い巡らせたところで、ジャスは一つ引っ掛かった。

 困る。

「……嬉しいに一票」

「あら、なんで?」

「わかってて聞くの止めて」

 リアとは友人だが、実際にはそれ以上の気持ちを抱いている。もし女に生を受けては、目下の望みもない片想いが更に叶わないものとなる。ジャスはうんざりした。

「言葉遊びに来たんじゃない」

「はいはい。リアが大好きなのよね。はいはいはい」

「もう大好きでもストーカーでも何でもいいから、本人の前では勘弁して。お願いします」

 照れ隠しから繰り出される一撃の重さを知るジャスは、色んな意味の保身から言った。ルフィスが愉快げな笑みで頷くのを視界に納めつつ、信用ならないと感じて辟易する。

「なんでもいいですけど、あいつが怪我するようなことはさせないでくださいね」

 言うだけ無駄だろうと思いつつ、結局は釘を刺してしまうジャスだった。





「今年の前座は集団戦にしようと思いまーす」

 20名がようやく集まった頃、ルフィスが上機嫌に切り出した。

「はあっ!?」

 叫んだのはジャスだけでなく、ランティスやリオン、イリヤも青褪めて声を上げた。

「無理! 体力そんな持たないって!」

「基本は一時間で、延長は30分までよ。質問は?」

「大有りだっつの!」

 ぎゃーぎゃーと喚く男達を尻目に、リアとリーシャは渡された注意書きに必死で目を通していた。新参者だからといって、足を引っ張るのは御免だった。

「今年は平均年齢が若いわね」

 メンバーを改めて見渡したシンルーの言葉に、リアも同感だった。例年がどのような面子だったのかは知らないが、殆どが十代から二十代だ。リアとリーシャは【蒼天歌劇団】所属のイクスやミュイ、イーヴァやユーナの実年齢を知らないので、イリヤの祖父母と父くらいが最高齢に見えたのだ。

 そして。

(?)

 ふと視線を感じたリアは、ぱっと振り向いた。

 セブンだ――――。

(そういえば、嫌われてるんだっけ)

 伊達眼鏡がトレードマークのラドは親しく声を掛けてくれるが、褐色の肌を持つこの少年は、すれ違う度に睨んでくる。過去によほど嫌な思い出があるのだろう。

(貴族か)

 所詮リアの印象などその程度なのだろう。リア自身は無力な小娘だが、その評価は早々に覆らない。

(頑張ろう)

 少しでも、貴族の娘でない「リア」としてぶつかる。

 それを思えば、セブンと敵チームなのは悪いことではない気がしてきた。



 割り当ては各チーム、前座の集団戦に五人、見せ場の個人戦に五人ずつ。ジャスはそろりと集団戦に回りたいと立候補したが、観客の反応を考えれば見栄えも良く人気の高い王子は個人戦に温存すべきだと満場一致で却下された。

「見世物かよ」

「その顔に生まれた幸運を恨め」

「面のことは言うな」

 ただでさえ母親似だと気にしているのだ。父に似るより幾分かマシだが、ほんの数年前まで少女と間違われることも多々あったジャスは複雑だった。

「えーっと。じゃあ、紅組はこうなるかな」


集団戦メンバー

 リシエル・エタージャ

 ディディアン・ポルシェア

 セブン・ボナク

 クリスフォード・ベルグ・ボナパルト

 ヒュージ・ジルハーツ

個人戦メンバー

 ミュイ

 ジャスティス・ラゾーディア

 ランティス・ラゴート

 アランジェ・ジルハーツ

 ユーナ・ログセスカ


「待て! 何故この余が前座扱いなのだッ」

「盛り下がるからに決まっておろう、馬鹿めが」

 吼えるクリスフォードをミュイが鼻で笑い、さっさとルフィスに報告する。

「ルフィス、紅組はこれで良い」

「待たぬか雌犬!」

 相手にされていないクリスフォードが食い下がるのを冷めた目で眺めるジャスだったが、ふと白組の方に視線を投げた。

 すると、目が合った。言うまでもない、リアだ。

 何故こちらを見ていたのだと、ジャスは呆れて溜息を吐いた。話し合いに集中しろと言いたいが、不安な気持ちも分かるので、苦笑で励ますしかない。大会が終わるまでの辛抱だ。






 一方。

(おなか痛くなってきた)

 リアは胃を抑えて青くなっていた。ジャスに頼れない。その事実が思いのほか精神的に堪えている。すっかり甘え癖がついてしまっていた。

「リア、大丈夫か?」

 見かねたイリヤが顔を覗きこんでくる。ウン、と棒読みで答え、リアは会話に耳を澄ませた。

「じゃ、白組はこの面子で決定ね!」

 シンルーの声に釣られて決定表を見たとき、リアは思わず安堵の息を吐いた。

(良かった)


集団戦メンバー

 レリアル・ウルフラーナ

 シンルー・アーゼ

 ジン・ジルハーツ

 フィーノ・ジルハーツ

 サーシェス・ユリット


個人戦メンバー

 イクス・テェルロ

 リオン・ラーヴァ

 ラディール・オゾロック

 イリヤス・ジルハーツ

 イーヴァ・ブリュレイク



(ルーさんと一緒だ!)

 フィーノとジンはイリヤの祖父母だが、顔を合わせたのは今日が初めてだ。それでも友人の身内というだけで、気持ちの強張りが溶けていく。

 そして双方の割り当てが発表されたとき、ジャスもジャスで安心した。

(よかった)

 リアとは出場する試合が違う。直接ぶつかる可能性はないのだ。

(始まる前に負けてただろうからな)

 相手にシンルーが回っていることから、正直この前半戦は勝てないかもしれない。人外であるリーシャとディディはそれぞれ竜や天馬に変化でき、ヒュージも強い。問題はセブンとクリスフォードだ。

(無駄に自尊心が高い奴らだ)

 女性陣の方が頼りがいがあるとは、流石に男としてどうなのだろう。何気なく横のランティスを見ると小さく苦笑していて、どうやら同じ考えをしていたらしい。思わず噴き出したジャスを、噂のセブンとクリスフォードが怪訝そうに見る。今度はランティスまでが笑い出し、ますますセブン達は不思議そうな顔をした。


対戦表(紅白)


1回戦

 ユーナ・ログセスカ 対 イーヴァ・ブリュレイク

2回戦

 アランジェ・ジルハーツ 対 イリヤス・ジルハーツ

3回戦

 ランティス・ラゴート 対 リオン・ラーヴァ

4回戦

 ジャスティス・ラゾーディア 対 ラディール・オゾロック

最終戦

 ミュイ 対 イクス・テェルロ



「無理だよ」

 白組のラドが、頭を抱えて呻いた。

「なんでよりによって僕がジャス兄の相手なのさ」

「いや、今回は誰と当たってもハードだぞ」

「リア姉ちょっと代わってくれない?」

「え?」

「だーめ」

 ジャスがリアに手荒な真似はできないと承知の上で腹黒く提案するラドだが、女王の意向ですげなく却下される。

 1回戦は離婚秒読み夫婦の法廷バトル、2回戦は名門ジルハーツ家の養子と実子、3回戦は元暗殺者同士の高度な展開が期待されるだろう。

(4回戦って明らかに――――)

 ふいにラドが紅組のジャスに視線を向けると、彼も辟易している様子だった。無理もない。

(僕を噛ませ馬にするつもり満々だよね、ルフィスさん)

 ジャスの人気に火を点けるのは結構だが、思い切り捨て駒にされた気分を味わうラドだった。




 民衆に晒されるだけあって、参加が命じられた者達は職務を免除され、大会までの一週間を鍛錬に費やすのが慣例だ。イリヤの祖父母であるジンとフィーノは現役を引退しているが、長年チュニアールに尽くした夫妻は有名で、若者からも人気の存在だった。

 そして――――。

「いい加減やる気になれって、ジャス」

「観念して追い立てられるがよいわ」

 ランティスとミュイにやいやい言われ、ジャスは大仰に溜息を吐く。心情としては、完璧に白組リアの味方だった。

「へそ曲げてばっかじゃ、ラドに足元掬われるぞ」

「リアの前で負けとうはないであろ?」

「……」

 筒抜けですか、ああそうですか。

 ジャスはやさぐれた気持ちで顔を上げた。自分の気持ちはもう完璧に周知の事実となってしまっているらしい。リア本人に気付かれていないのが唯一の救いだ。

「ラドと当たるんだ。油断するつもりは微塵もねーよ」

 あの腹黒い伊達眼鏡の少年は、ゴーレムを操る力に優れている。家系がもともと魔法使いの血筋らしく、才能は充分にあった。

 ただ、それを隠していたい事情もなんとなく分かるので、ジャスとしては複雑だ。

 本気を出さないと分かっている相手とぶつかることほど億劫なものはない。勝ったら勝ったで面倒な事態になるのも目に見えているしで、全くもって憂鬱だった。

「ほら、二人とも。あんまジャスのこと弄るなよ」

「アラン」

 やんわりと嗜めるのは、イリヤの同い年の義弟アランジェだ。数年前にジルハーツ家の養子となっており、それ以前の記憶はないのだそうだ。左手が義手で、いつも手袋をつけている。

「頑張ろう、ジャス」

「へーへー」

 渋々立ち上がるジャスの頭をランティスとミュイがわしゃわしゃと掻き乱し、アランジェは呑気な笑みを浮かべる。

「家族って感じだ」

「いや、この歳でガキ扱いは嬉しくないから」

 ランティスやミュイの中で、どうやらジャスはずっと出逢ったばかりの泣き虫小僧らしい。今では身長も殆ど同じだというのに、相変わらず子守りのような振る舞いを見せる。

「なんだなんだ。アラン、お前も甘えた足りんか?」

 どすどすとガニ股で近づいてきた義父ヒュージ・ジルハーツに、アランはまさかと首を振る。

「流石に頭なでて欲しいとは思わないよ」

「俺も思ってないからな!?」

 ジャスが条件反射のように怒鳴ると、ミュイやランティス、ヒュージ、挙句アランジェまでがニヤニヤ笑った。

「えー」

「えー?」

「うそつきー」

「ぷー」

 ひどすぎる。

 完璧な玩具扱いに、ジャスは癇癪を起こしそうになった。リアの短気が移ったかもしれない。

「あのなあ!」

「いつまでも拗ねとるからじゃ、糞餓鬼め」

 うひひ、とミュイが意地悪く笑う。

「もうヤダ」

 頭を抱えて再び座り込みたくなるジャスの肩を、誰かが優しく、労わるように叩いた。

「大丈夫ですよ、ジャス」

「リーシャ……」

 ディディを伴ったリーシャが、柔らかい笑みを浮かべている。

 マトモな奴がいた、と僅かに浮上するジャスだったが、

「リアはお兄ちゃんっ子なジャスも嫌いじゃないと思いますよ」

「あんたも言うのかよ!?」

 リーシャの笑顔はいつだって眩しいが、今は全く癒されない。

 すっかり弄られ役が定着しているジャスだった。







(ジャス、今頃どうしてるかな)

 弄られて喚いていてる現実を知る由もないリアは、ぼんやりと少年に思いを馳せる。ついつい目で探してしまうのだが、この一週間は別々に過ごすことになるだろう。遠目に姿を認めても、紅組で徒党を組んでしまっている。あそこに入りたいと思うのは、白組の一員としてマナー違反だろう。我慢だ。

「リア、どう?」

 シンルーが差し入れのパンを手渡してきた。ありがたく受け取りながら、改めて自分の状態を見直す。

「調子はいいみたいです」

 今リアは固有飛行魔法【天空の覇者】を発動させていた。茶の髪は白金に輝き、瞳は炎の色を煌めかせている。背中から放たれる青い光の翼が印象的で、纏う衣服は魔力を固めて生成される黒の戦装束だ。

「服まで変わるのね」

「はい。なんだか、前より動かしやすいです」

 以前は突進しか出来なかった魔法も、今は自由に操れた。夏の一件が関与しているのかもしれない。

 リア本人は自覚していないが、精神面の成長も大きかった。五歳のまま停止していた心の時間が、ゆっくりと動き出している。

 母は自分を愛してくれていた。その事実が、彼女に確かな力を与えていたのだ。

 その母の精神体が自分の魔力と融合していることは、リアは生涯知らずに過ごすだろう。

 それは、あまりに頑固な母アルナリアが自身に許した、娘に対する唯一の愛情表現だった。







 一週間は瞬く間に過ぎ去った。

 大会当日の早朝、首都郊外にある闘技場へ足を踏み入れたリアは、客席に目を向け卒倒しそうになった。

(まだ朝なのに)

 客席は殆ど埋まっていた。街で暮らすラドやセブンの仲間達、シンルーの育ての親であるレイラと、彼女が切り盛りする孤児院の子ども達、今回の大会で参加(という名の被害)を免れた【星空の宴】の構成員等々、大勢が集まるのは以前から聞いていたが、それ以上に民間の観客が多い。不慣れなリアはすっかり圧倒されてしまった。

「す、すごい人数ですね」

「数少ない娯楽だし」

 呑気に笑うシンルーの言葉に、リアは首を傾げた。

 チュニアールにテレビがないのは知っている。しかしラジオや新聞はあるし、何より自然と調和した素晴らしい文化がある。首都の景観も壮麗の一言に尽き、リアは咄嗟に納得できなかった。

 けれど、それは自分が新参者だからだろうと、遅まきに理解する。シンルーはもう十年この国で暮らしているというし、そろそろ見飽きた風景なのかもしれない。

「あ、ほら。あの子達」

「え?」

 ルフィスの腹心らしく、シンルーのニヤリとした表情はかの女王を彷彿させる。彼女は突然なんだと訝しむリアに、「あっち見て」と指で方向を示した。

「あそこら一帯は、みんなジャス目当てよ」

「えっ」

 歳若い女性の団体がいるとは気付いていたが、まさかジャスの信奉者だとは思いもしなかった。

「お、多いですね?」

 数十人に及ぶ集団に、リアは信じられない思いでシンルーを見上げた。

「そう? 今年は少ないくらいだけど」

「うそ」

 人間離れした美貌の中身が大概ガキであることを知るリアは絶句してしまう。世の中は間違っているのだと痛感した瞬間だった。

「今年はリアと一緒にいたからでしょうね」

「あたしですか?」

「そう。恋人できたら熱が冷めちゃうって、よくありそうじゃない? 若い女の子じゃ」

 別に恋人ではない。咄嗟に否定の言葉が喉元まで上がったが、シンルーが言いたいのは、周囲がそう誤解しているということだ。

「ルーさんも若いですよ」

 虚しい気持ちを味わいながら、リアは敢えて的外れなことを言う。

 ジャスとリアが連れ添って歩いていても、本気で恋人同士の関係だと信じる者がどれだけいるだろう。まるで釣り合っていないではないか。

 夏の公園で彼が妙にベタベタしてきた時は、周囲の女性から厳しい視線が投げられた。相応しくないという侮蔑や嫉妬、嫌悪。どうしてあんな小娘が、と純粋に不思議そうな目を向けてくる者までいたのだ。

 自分の命は母が死ぬ物狂いで守ってくれたもので、そこには外見も含まれる。だから、もうリアは自分を卑下しないよう心がけている。

 けれど、ジャスの美貌は心臓に悪い。あれと比べるのがそもそも間違っているような気がするが、せめてもう少し美人に生まれたかったと、ついつい思ってしまうのはこんな時だ。

「でも、ランティスやイリヤだって女性には好かれそうですよね」

「そうねえ。あの壁組トリオ、外見だけは良いから」

「壁ですか?」

 確かに、小柄なリアからすればジャスやランティス、イリヤの三人は壁だ。ずらりと三人仲良く並ばれた日には、きっと狭苦しく思うだろう。

 一番背が高いのはランティス、その次にイリヤ、ジャスだったが、正直あそこまでデカいと身長差も何もない。

「ランティスは近寄りがたいし、イリヤはねえ」

「え?」

 イリヤの実体が恋愛に奥手な純情少年であるのは、ある程度の付き合いを持ってしまえば容易に理解できてしまう。街でもてはやされている現場を何度か目にしているが、彼は基本的にミナの近くにいた。

 そういう意味で、密かにリアは彼を可愛いと思っている。男性に対して失礼かもしれないが、こういうのを「ギャップ萌え」というのだろうと、我ながら言い得て妙だと感じていた。

 寧ろ気になったのは、シンルーのランティスに対する評価だ。

「近寄りがたい……ですか?」

 ランティスは出逢った瞬間から気さくな好青年で、正直ジャスより余程リアの好みに近かったほどだ。人当たりが良く手先は器用、貴族社会でも好かれ易いといえるだろう。顔立ちも甘く整っていて、身長は言うまでもない。帝国人の血が入っているらしいと、どこかで聞いた気がした。

「そうそう。あいつ、今はマシだけど、愛想笑いの達人だから」

 まるで仮面のようだったと語るシンルーは、昔を思い出しているのだろう。目の焦点が合っていないように見えた。

(仮面?)

 そういえば、サズもそうだったと思い出す。だからこそランティスと出会った時、どこか彼と同じ匂いを感じたのだ。

「でも、リーシャがいてくれるからね」

「はい」

 リーシャと語らっている時のランティスを見るジャスの目が嬉しそうだったのを思い出し、リアも素直に頷いた。






 逃げたい。

 心の底から、そう思った。

「はあ……」

 ジャスが憂鬱そうに溜息を零すと、背後でアランジェは呑気に首を傾げた。

「意外に目立つの好きじゃないんだね」

「当たり前だよ」

 人前に立つことが前提に育てられた身で何を寝言ぬかすかと呆れられそうだが、ジャスは目立つのが好きではない。せめてチュニアールにいる間は、一般人の暮らしに徹したかった。

 すると、その切実な願いを聞いたアランジェは、いっそ残酷なほど朗らかに笑って言う。

「無理じゃないか? どうしたって目立つだろう、その顔じゃ」

「ほっとけ!」

 揃いも揃って何なんだ――――吐き捨てると同時、ジャスは重い腰を上げた。

「行くんだ?」

「逃げた後が怖いからな」

「はは、同感」

 午後からの個人戦に参加するジャスとアランジェは時間に余裕があったが、流石に控え室に閉じこもっているのは印象が悪いだろう。それに、午前の集団戦に出場するリアが心配なジャスは、色んな意味で胃に痛みを感じながら、ゆっくりと会場を目指す。

 その時、会場全体に設置されたスピーカーの一つから、女王ルフィスの声が聞こえてきた。




『はいっ、今年もやって参りました! 我らチュニアールが誇る【星空の宴】によります秋の風物詩、魔法戦大会の開幕です!』

 お前が強引に進めたんだろ腐れ女王、と誰かの呻くような呟きが聞こえたが、リアは敢えて気付かないふりをした。

(今は集中しないとね)

 いよいよだ、と身震いする少女を、背後からシンルーが苦笑まじりに抱きしめる。

「緊張しちゃって可愛いわねー」

「る、ルーさん」

 どっしりと構えたシンルーの落ち着き具合を羨ましく思いつつ、リアは呼吸を整えた。

 大丈夫だ。上手くやれる。

 とにかく足を引っ張ることだけはしたくないと、少女は強く拳を握った。

「頑張りますね」

「ええ。こちらこそよろしく」

 微笑みあう二人のもとへ、東洋系の顔立ちをした黒髪の娘が駆け寄ってきた。

「レリアルさん、シンルーさん」

「はい」

「おはよう、サーシェス」

 黒髪黒目の娘はにこりともせずに「おはようございます」とお辞儀し、最後の作戦会議だから集合するようにという旨を告げてきた。

 無愛想に見えるが、これがサーシェス・ユリットの平常だ。

「フィーノさんとジンさんがお待ちです」

「はいはい」

 サーシェスの後をついていくと、ほどなく大部屋に辿り着いた。中には同じ試合に出場するジンとフィーノが待ち構えていて、リアは萎縮してしまう。

 イリヤの祖父母というジンとフィーノだが、個人的に言葉を交わしたのはこの1週間でも数えるほどだ。リアの父方の祖父は先の皇帝で滅多にお目にかかれず、母方の祖父が殆ど領地から出ない上に、リアが帝都から出られなかった為に、思い出というものはあまりない。祖父母というものが純粋にどういうものか分からず、リアはついつい身構えてしまった。

「おはようございます」

 内心びくびくしながら頭を下げる。ずっと年上の相手なのだから、礼は払って然るべきだろう。新参者の自覚もあり、リアは砕けた態度が取れなかった。

 すると、イリヤの祖母フィーノが柔らかな笑みを浮かべて、リアの手を取った。

「おはよう、可愛らしいお嬢さん」

「あ、えっと」

 イリヤの軽口は祖母譲りなのか。あまりに自然な流れで手を握られ、リアは困惑してしまう。

(手、あったかいな……)

 これが祖母というものなのか。ドキドキしながら「よろしくお願いします」と挨拶すると、フィーノの後ろにいるジンが鼻を鳴らした。

「いつまでそうしとる。早くこちらへ来んか!」

「は、はい」

「あなた」

 怯えた様子のリアに同情を示したフィーノは、長年の夫に咎めの眼差しを向ける。

「若い娘さんを怖がらせるものではありませんよ」

「やかましい。オドオドしよって、目障りだ」

「ご、ごめんなさい」

 相手に貫禄がある分、そして悪意を感じられないだけ、リアはますます小さくなる。

 すると、


 ごつ・・・っ


 ジンが飛んだ。

「!?」

 突然のことに目を向いたのはリアだけで、背後のサーシェスやシンルーは特に反応を見せなかった。

 いつものことだ――――フィーノがジンを殴り飛ばすなど、長くチュニアールに暮らす者なら一度は目にした光景だった。

 が、免疫のないリアは狼狽するばかりだ。

「え……え、え!?」

 大丈夫ですか、と足を踏み出すも、フィーノに優しく捕らえられる。

「ほほほ、いいのよお嬢さん。ごめんなさいね、夫が失礼で」

 その旦那さんが試合前に白眼をむいてますよとリアは戦慄したが、流石に口には出さなかった。

 そんな小さなハプニングを経て、午前の集団戦が幕を開けた。

 試合のルールは簡単で、大将を倒された時点で負けとなる。これも例年の教訓を活かせと各員が女王に猛抗議した成果であり、かなり参加者に優しくなっているとのことだ。

 そこまで言われると、逆に去年までの惨状が気にならなくもないが、誰も思い出したくないようだったので、リアは疑問を持て余しながら闘技場に足を踏み入れた。

 向かいには、紅組の5人が佇んでいる。

 相手方である紅組の大将はクリスフォード、リアたち白組の大将はフィーノということで決定した。

(よし)

 がんばろう、と自分に言い聞かせ、リアは列に並んだ。

 目の前には敵意を剥き出しにしたセブンがいたが、ジンやフィーノをチラチラを窺う様が悪戯小僧のようで、ついつい笑ってしまうリアだった。





 その様子をモニター越しに見ていたジャスとアランジェは、揃って微妙な顔になる。

「紅組はお飾りの大将できたか」

「クリスさんが言い出したのかもよ」

「で、白組はジルハーツ家の肝っ玉母さん、と」

 大将同士でぶつかったら結果は見えているな、とドライな判断を下す彼らは、正直クリスフォードの働きにまるで期待などしていない。周囲が彼を大将に据えたのは、どうせ「下手に動かれては邪魔」だからだろう。上手く口車に乗せられた馬鹿な男に生ぬるい哀れみを抱きながら、二人は参加者用の観覧席を目指した。

「ただ、気になるのはセブンだね」

「んー……あの様子じゃ、作戦とか無視してリアを潰しにいきそうだな」

 溜息を零すジャスに、アランジェは不思議なものを見るような眼差しを向けた。

「心配はしないのかい?」

「怪我しないでほしいけど、セブンじゃリアに勝てないのは目に見えてるから。色んな意味で」

 さっさと認めればいいものを、セブンは未だにリアを貴族の娘として嫌悪している。ディディと親しく話せる彼女を妬んでもいるのだろうが、どのみち下らないとジャスは切り捨てた。

(過保護も度を超すと重荷にしかならないし)

 この一週間、彼女は敵方にセブンがいると知っても、何も言ってこなかった。チームが違うから遠慮したというのもあるだろうが、不安ならば必ず相談してくる。それくらいの自負は持っていた。

 つまり、大丈夫だということだ。彼女は自力でセブンとの関係を修復しようとしている。リア本人に非は何ひとつとしてないのだが、いい加減彼女も焦れているのだろう。

 そうなれば、あの馬鹿もリアという娘の人格を認めざるを得ない。セブンの無駄に頑固な性格が呼んだ悲劇だった。

 とにかく怪我はしないでくれと、ジャスは心の中で呟いた。






 この会場の最も高い位置に立っている女王に、多くの視線が集まった。

 そうして誰もが自国の主を仰いだ瞬間、ルフィスは国旗を掲げ、大きく振り下ろす。

 ――――それが、開戦の合図だった。

「リアさん、ごめんなさいっ」

「避けるから大丈夫よ」

 開始直後に真上から襲ってきた天馬――――もう一つの姿に化けたディディを避けながら、リアは相手チームである紅組の弱点を捜す。

 クリスフォードは動かない、お飾りの大将だ。

 曲がりなりにも【星空の宴】幹部【蒼天歌劇団】の一員である男を、シンルー達はそう評した。本人の戦闘能力も特別に優れているわけではなく、一級品なのは性格の悪さだけだなどと、冗談のようなことを作戦会議の場で、真顔で言ったのだ。

 正直ひどいと思わなくもないリアだったが、そのクリスフォードとは顔を合わせた事さえない。高慢ちきで、殴りたくなるほど胸糞悪い男だという、偏見の塊でしかない前情報だけが頭に入っている相手だ。

 つまり、全く知らない。さすがにあの罵詈雑言を真に受けて色眼鏡で見るのは無礼だろう。

(とにかく今は、集中しないと)

 飛行魔法【天空の覇者】を纏い、リアは高く飛んだ。

 背中で青い光が爆ぜるような勢いで広がり、大きく空を掴む。

 午前の部に出る白組の中で、飛行魔法を扱えるのはリアだけだ。

 役目は陽動。

 シンルーとジンは前衛、サーシェスは大将のフィーノを護衛しながら全体のサポートを担当する。フィーノは守られるのが不本意そうだったが、隊の長という立場から渋々と承諾した。

 ともかくヒラヒラ飛び回れ、という大雑把な指示を生真面目に遂行しようとした矢先、ディディが飛び掛ってきたのだ。

(もしかして、あたしが白組の弱点だと思われてる?)

 主力だと睨まれるのも年頃の娘としては複雑だが、侮られるのは面白くない。

 他人に見下されるのは慣れているので腹は立たないが、さすがに落ち込む。

(よ、よし!)

 負けるものかと心の中で拳を握り、リアは詠唱すべく口を開いた――――。

「おーおー、やってるやってる」

 リアが違う魔法を展開させると、その光に観客の眼が吸い寄せられる。ルフィスは喉を鳴らして笑った。

(無意識だけど、華のある子よね)

 もっと自信を持てば、それだけ輝ける少女だ。金髪を尊ぶ帝国の高貴な身分に生まれながら、平凡な茶の髪と瞳を恥じてしまっているリアを、ルフィスは惜しく思っている。

(でも、なーんか変わったような?)

 ふふふ、と笑い、参加者が集う客席を見る。

 黒髪の王子はこちらの視線に気付くと、ひどく冷ややかな一瞥をくれた。

『腹黒女王』

 唇の動きと表情で、そう吐き捨てたのがよく分かった。

(血筋よねえ)

 けらけらと笑い、ルフィスは再び眼下に視線を戻す。

 そこでは【煉獄の楔】を出現させたリアが、天馬となったディディを蹴散らしているところだった。





 天馬と戦女神の再来。なんとも絵になる光景に誰もが喝采を送る中、その当人であるリアに余裕はない。

 リア――――【最後の将軍】固有魔法は、どれも膨大な魔力を要する為に威力も高い。特に攻撃魔法は、相手を仕留めることが前提となって生み出された術だ。

 この大会は、選手が気絶して、それから十秒後に失格となる。しかし加減を間違えれば、一生の大怪我を負わせてしまうかもしれない。最悪の場合、命まで奪ってしまうだろう。

 リアの体に宿っているのは、そういうものだ。

 世界にその名を轟かせるファディロディア帝国が、恐れ崇める女神の力。

「っ!」

「甘いですよ? リアさん」

 羽ばたいて上空へ逃げるディディに、思わず舌打ちしてしまう。

 使う魔力量の制御と、魔法の威力を抑えること。

 それらを念頭に置いて競技へ臨むリアは、不慣れな初心者という点を差し引いても不利だった。

 けれど、言い訳だけはしたくない。

 凄まじい速度で上昇していく天馬を見て、何かがチカッと閃いた。

「だったら――――」

 出来るだろうか、という一瞬の不安を強引に振り払い、リアは詠唱の手間を捨て、念じたままに叫んだ。


「――――― “守護せよ” !!」


 会場の誰もが不審そうに首を傾げる中、ジャスだけが「あ」と声を漏らす。

 しかし、それは周囲に居合わせた、どの人物の耳にも届かなかった。

 ――――大きな衝突音が会場に響き、空を駆けていた天馬が人間の姿に戻って落下を始めたからだ。

 ルフィスなどを除く誰もが呆然と、あるいは信じられないと目を剥き絶句する中、ジャスは頬が引き攣る思いだった。

(子ども騙しか……って、ディディも子どもだっけ)

 遥か上空へと逃げる相手に対し、「守護せよ」と叫んだリア。まさか、と否定した次の瞬間には予想通りになっていた。

(あいつの魔力は底なしだな)

 守護せよ――――ドームも何もない、太陽に照らされたこの闘技場の【空】を。

 ディディは空を飛ぶことでリアに勝っていると油断していたのだろう。だからこそ、あれほどの速さを見せ付けてしまった。

 それが仇となった。

 そこまで考え、ジャスは違うか、と内心でひとりごちる。

 鍋じゃあるまいし、普通【空に蓋をする】など誰も考えない。魔力を無駄に消費するのが目に見えていて、相手の動きを封じる為の行動としてはおよそ褒められた手段ではない。

(まあ、でも)

 ディディは肉眼では捉えられない、圧縮された膨大な魔力の壁に激突して、人の姿に戻ることを余儀なくされた。おそらく意識を失っている。あれで十秒以内に眼を覚まさなければ、ディディは失格だ。

 飛行速度を誇る天馬だからこそ、今回は負けた。

(頑張れてるみたいだな)

 自分が気絶させた少女を上空まで飛んで抱きとめるリアを見て、ジャスはそっと安堵の息を吐く。

(ここからセブンが面倒だろうけど・・・)

 競技とはいえ意中の娘を攻撃したリアに、セブンがどんな感情を抱いているかは容易に想像がつく。先に仕掛けたのがディディであることも、都合よく脳内で事実改竄されているだろう。

(上手くやるよな)

 同じ紅組であるディディを心配していないわけではなかったが、その分の失点はジャス達が午後の試合で稼げばいい。

 おつかれ――――そう呟いたとき10秒のカウントが終わり、ディディの失格が確定した。

 開始5分以内の、あまりに早い急展開だった。

『はーい、ただいま紅組ディディアン・ポルシェアの失格が決定となりましたあ!』

 元気な鬼畜女王の声がスピーカーから響く中、なんとかディディを抱えて地面に降りたリアは、どうしようと青くなった。

(気絶? でも、頭の方からぶつかったし)

 そもそも相手を倒した場合はどうすればいいのだろう。思わずシンルーを捜して、集中を欠いてしまった時だった。

 影が差した。

 まずい、と本能で悟るものの、腕にはディディを抱えたままだ。【彼】は動けないと理解した上で仕掛けてきている。

 セブンだ――――。

 手には木刀を持っていて、既に振りかざしていた。

 怒りの篭った眼差しを受け、リアは僅かに怯む――――が。

「――――“守護せよ”!」

 咄嗟に叫び、先程よりずっと素早く魔力を収束させる。守る対象が自分とディディだけだから、頭の中で容易にイメージできた。

 なんとか一撃目は回避することに成功したリアだが、状況は変わらない。ディディをどこかに運びたい、だが自分の筋力では不可能だし、何よりセブンに狙われている。下手に動けばディディの体に障るかもしれないという恐れもあった。

 一番いいのはセブンにディディを託すことだが、彼はリアをひどく毛嫌いしている。まともに話を聞いてくれるかどうかも怪しいものだ。

 どうしよう、と頭を抱えたくなるが、その隙にセブンはまた木刀を振りかざしてくる。魔法を使ってこないのがせめての救いだ。

 リアは再び守護せよ、と唱えた。今度はしっかりと自身を覆う、まさしくドーム状の青い輝きが、ディディとリアを包み込む。

 セブンが派手に舌打ちした。苛立ちの滲む目元に、リアは僅かな違和感を覚えたが、それが何かを理解する前に事態が動き始めた。

「馬鹿の首もらったあぁあああっ!!」

 セブンが皆から馬鹿と呼ばれているのは知っていたが、こんな公衆の面前でそれはない。

「る、ルーさん」

 助けに来てくれたのは嬉しいが、複雑だ。

 振り返ったリアは味方の到来を喜びつつ、窘めようと思った。

 思って、固まった。

 宙に無数の氷柱が浮いている――――人外の雪女たるシンルーが操る魔法だ。

 矛先はセブンと、何故かリアにまで向けられていた。

「リア、しっかり守るのよーっ!」

「ええ!?」

 威嚇ではなく、本気で味方ごと攻撃しようとしているシンルーに、リアは悲鳴を上げた。

 みんなが彼女を恐れる理由が、今ならよく理解できる。

 躊躇がないのだ。何にしても。

 真っ青になったリアは、それでもディディを抱き締めて結界の強化に全力を注ぐ。目を瞑って、ひたすら集中を保った。

 すぐに何かが風を切る音がして、氷柱が振り下ろされたのを悟るが、それでもリアは堪えた。セブンを見捨てるのは偲びないが、今は敵チームである以上に他者を庇えるだけの余裕もない。ディディだけで精一杯だ。


「させませんよ」


 聞きなれた声に、リアは目を剥いた。

「リーシャっ!?」

 見上げて、愕然とする。免疫のない観客達が黄色い悲鳴を上げていた。

 龍の姿に戻ったリーシャが、上空に君臨していた。そのまま炎を吐いてシンルーの氷柱を溶かし、出来なければ尾で叩き壊した。

(何この怪獣映画)

 リアはあまりに現実離れした光景に眩暈を覚えた。これが自分の生きる世界の出来事なのだから笑えない。見ればセブンも呆然と座り込んで、にらみ合う竜と雪女に目を奪われていた。

 傍観者となった当事者ぼんじんをよそに、戦いは更に熾烈さを増していく。

 リーシャの背からひらりと飛び降りた男がいた。誰だろう、と目を凝らすと、どうやら紅組のヒュージ・ジルハーツらしい。イリヤの実父だ。

(あれ? じゃあ)

 お飾りの大将だというクリスフォードは今、ひとりということにならないか。

 罠だろうか。

 首を捻るリアの目の前で、ヒュージがシンルーに刀を向けた。しかしシンルーも動じることなく応じ、氷の細剣を生み出して難なく距離を取った。

(クリスフォードさんは?)

 目を凝らすと、本当に所定の位置から動いていない敵の大将が見えた。囮に使われているのかと邪推したくなる配置だ。

(ていうより、あんま宛てにされてないような)

 いたら邪魔だから大人しくしてろとでも言いたげな扱いに、リアは思わず唸ったのだった。






 サーシェス・ユリットは沈黙していた。護衛対象であるフィーノ・ジルハーツの身に何があっても対処できる距離を意識しつつ、会場全体を見渡す。

 上空を覆う竜―――リシエル・エタージャ。

 刃を交え睨み合うヒュージ・ジルハーツとシンルー・アーゼ。

 その傍らで身動きが取れないセブン・ボナクと、結界を張ったまま硬直しているレリアル・ウルフラーナ。

 そして――――敵である紅組大将のクリスフォード・ボナパルトの元へ疾走する、ジン・ジルハーツ。老体とは思えぬ身のこなしには素直に感服するサーシェスだったが、そろそろリーシャが動くだろうと踏んでいた。



 サーシェスの読みどおり、リーシャは炎の息吹きを吐き出さんと腹に力を込めた。

 だが。

(!?)

 眩暈のような感覚が、彼女を襲う。

 誰かの攻撃を受けたのかという疑問に思うリーシャだったが、唐突に理解する。

(時間がなくなってきてるのね)

 自分がこうして、ヒトとしての人生を謳歌できるだけの時間が。

(でも)

 だからこそ、この下らなくも尊い今を、全力で。

 そうして、シンルーを狙い炎を放った。

「げっ」

 雪女であるシンルーは、炎に滅法弱い。美しい顔を引きつらせてヒュージから間合いを取って逃げようとする彼女だったが、名高い剣豪は甘くない。及び腰となった好機に攻めてくる。

「ルーさん!」

 呆気にとられるばかりだったリアが、ここにきて我に返った。

(間に合え!)

 抱えていたディディを内心で詫びながらその場に残し、リアは飛行魔法【天空の覇者】を発動させた。

 亜麻色の髪は眩い黄金に輝き、琥珀を宿す双眸が紅蓮に燃える。

 その身をフットワーク重視の黒い戦装束が包み込んだ時には、既にヒュージとシンルーの間に滑り込んでいた。

 目を剥く2人の反応を気に留める余裕もなく、シンルーを抱き締めたリアは、青い翼を羽ばたかせる。

「ありがと、リア」

「まだです!」

 リーシャは儚げな美人の癖に苛烈で容赦がない。遠慮皆無の追撃を、最愛の親友にぶちかましてきた。

 闘技場を、青い天使が縦横無尽に駆け抜ける。





 リアの活躍に、敵チームであるジャスが口元を綻ばせた瞬間を、ランティスは見逃さなかった。

「嬉しそうだな」

 冷やかしに、しかしジャスは動揺もせず、どころかしみじみと答える。

「そりゃな。初期の悲惨な出来を知ってるんだから。身をもってさ」

 母親との和解で、自分の能力と向かい合うことに対する畏れを克服しつつあるのだろう。

 加えて、セレナが海底の魔力水晶とリア本人を、暴走しないように繋いでくれている。以前よりも力を振るいやすいのはその為だ。

「頑張ってるよ」

 眩しそうに微笑む弟の素の惚気に、ランティスは閉口する。真顔で言われてはどう返していいかわからない。

 それほどジャスは、慈愛に満ちた表情をしていた。



 そうこうしている間に、ジンがクリスフォードの元へ辿り着いていた。クリスが忌々しげに魔力で老人を押しのけようとするが、生憎ジンにそんな可愛げがあるはずもなく。

 更に――――。

 朗々とした歌声が、遥か後方から。

「ぬっ!?」

 サーシェス・ユリットが持つ異能【メロディア】が発動していた。

 音楽を供物として捧げることを対価に、あらゆるものから恩恵を得、時に使役する魔法だ。

 今その力は、クリスフォードを捕縛するために使われている。

 僅かな隙が生まれた、その瞬間――――。

 ジンの木刀の先端が、クリスフォードの鳩尾に吸い込まれていった。

 一拍をおいて。

 溢れんばかりの怒号と歓声が、闘技場を埋め尽くした。









 ふわふわしている。

 ここはどこだろう、と首を傾げるリアの目の前に、忌々しい皇太子が現れた。

「レリアル!」

 嬉しそうに呼ばれ、心底うざいと思った。くたばれ、と呟く。

「気安く呼ばないで頂けますか」

「何を言う。君と僕の仲ではないか」

「一体どんな仲です」

「まずは従兄妹だろう。それに太子と臣下。いや、何より最愛の婚約者だ!」

 それは確かにその通りだが、話題が古い。どれだけ昔のことだと思っているのか。

「あたしはあんたなんかと結婚なんて死んでも御免よ。石を抱いて海に沈んでやったほうがまだマシだわ」

 唾でもするように吐き捨てた。以前は飲み込んでいた本音が、すらすらと自然に零れてくる。

「あたしは、あたしの大切なものを否定するような馬鹿は願い下げ」

 この皇太子だけは絶対にありえない。上から一方的に押し付けてくる。

 冗談じゃない。

「あんたなんか全く好みじゃないの」

 因縁を抜きにしても、この高飛車男は恋愛対象に入れない。この世の誰よりも圏外だ。


「じゃあ、リアの好みってどんななんだ? やっぱり俺?」


「えっ?」

 うきうきと楽しそうな声に振り向けば、予想通りに表情を輝かせたサズがいた。アメジストの瞳が、きらきらと眩しい。

「え、と、好みは、えっと」

 子どもの頃から慕っていた相手がサズなので、まあ間違いではないが、その傾向となる切欠の青年に素直に白状するのは気が引けた。

 無難に、

「えっと……そう、優しいひと!」

 そう答えると、サズと皇太子が瞬いた。

「俺って優しいか?」

「こいつは優しくないだろう」

 ……。

 そういえばサズは中々の人間嫌いで、リアを筆頭にした半径内の相手以外には冷たく接していた。

 矛盾というわけでもないが、気まずいとリアは感じてしまう。

 どうしてだろうと不思議に思うが、上手く理解できない。

 そんなときだった。


「それ、今の好きな人が優しいからだよね?」

「え」


 “今の”?

 問い返す間も無かった。

 どこか懐かしい山吹色の世界が広がり、その真ん中に林檎の樹が聳え立つ。

 禁断の恋の果実。人類に知恵を与えた奇跡の赤い宝石。

 愛情から禁忌、時には死の象徴とも呼ばれている。

 花言葉は【最も美しき人に】【最も優しき女性に】。

 そして―――――目が覚めた。

(ゆ、夢か)

 そもそも、皇太子とサズが仲良く並んでお喋りなんかする筈がない。もう実現のしようもないが、もしあれが本当になったら最後、翌日には世界が崩壊するに違いない。天変地異の前触れだ。

(セレナさん、だよね)

 思い出した。

 山吹色の髪と林檎の瞳を持った人魚の少女。

 夢でも、もう一度逢えて良かった。

 そう思ったところで、覚醒する。

(“今の好きな人”?)

 頭が真っ白になった瞬間、

「あ、起きてたか」

「!!」

 リアの脳内で描かれていた通りの人物が顔を出した。

「って、おい!?」

 動揺のあまりベッドから転げ落ちそうになるリアを、ジャスが慌てて引き止めてくれる。

「まだ寝てるのか?」

 いつもの少し意地悪な笑顔も、今はただ心臓に悪い。目を逸らすことで精一杯だ。

「……そうみたい」

「お疲れ。大活躍だったな」

 そう言って微笑む彼を、リアは盗み見る。

【最も美しき人に】――彼の事を指しているようだとさえ思った。これで性別が女なら、まさしく林檎の花精だろう。【最も優しき女性に】が適応されるのだから。

(あれ、でも……)

 リアが知っている限りで、確かもう一つあった気がする。何だったか。

「ねえ、ジャス」

「ん?」

「林檎の花言葉、知ってる?」

 普通は男性に聞かないだろうが、ジャスは幼少期、花好きのセレナからその手の知識を植えつけられているのだ。彼女亡き後は、まるで偲ぶように花図鑑を眺めていたと聞く。

「えっと、確か――――」

 案の定というべきか、彼は口を開いた。

 リアが既に思い出している2つを告げた後、そのまま呑気な調子で続ける。

「――――“選ばれた恋”、だったと思う」

 ……選ばなかった恋と、選べなかった恋。

 じゃあ、“今”は――――?

 セレナの最後の言葉が、耳の奥で響いていた。



「……ていうか」

 ジャスが差し入れてくれた林檎ジュース(ちょっと動揺したが誤魔化した)を一口含み、リアは首を傾げた。

「ここ、どこ?」

 試合が終了した、というのは覚えているが、そこから先の記憶がない。自分は何故こんな見知らぬ部屋で寝ていたのだろう。

「即席簡易医務室。あんた、倒れたんだよ。終了した瞬間、糸が切れたみたいに」

 心配させてしまったのだろう。沈んだ響きに、リアは小さく謝った。

「ごめんね」

「謝ってほしいわけじゃ……まあ、体に異常はないみたいで何よりだよ」

 ここ一週間の疲労と緊張が爆発したのだろう。そう言って労わるように、ジャスがリアの髪を撫でた。

 あまりに自然な動作で、2人揃って違和感もなかったが。

「ジャース! リアの具合どー?」

「そろそろ最終試合だぞ」

「あ」

 上からシンルー、ランティス、イリヤ。一番いやな連中が一塊となって現れた。

「あらあら、まあまあ」

「タイミング間違えた。出直そう」

「よし、じゃあまたあとで」

 同じ順で彼らは口早に言う。

「ちがう!」

 3人がにやりと笑い、そそっと部屋を出ようとするのを、2人は慌てて制止する。言い触らしてやろうと顔に書いてある彼らを、見逃してやるわけにはいかない。

「いや、だってイイ雰囲気みたいだし?」

「邪魔しちゃ悪いかと」

「ねー」

 打ち合わせでもしたのかと頭を抱えたくなる連携口撃に、リアが真っ赤になり、ジャスは渋い顔をした。

「からかわないでくださいっ」

「あー、もう。リアもそんな顔しない。えっと、イクスとミュイの試合が始まるのか?」




 ジャスの試合を密かに楽しみにしていたリアは、彼の出番が既に終了していた事実に少なからずショックを受けた。反面、疲れているだろうに真っ先に自分の病室に来てくれたのかと思うと、なかなか面映くて複雑だ。

「イクスさんとミュイさんって、仲が悪いのよね?」

「いや、良くないだけ。それほど悪かないよ」

 どう違うんだそれ、と突っ込みたい気持ちを抑え、リアは軽く頷いた。

「もう始まっちゃう?」

「ぎりぎり間に合うよ。急ごう」

 倒れたリアを気遣ってか、ジャスの声にはいつも以上の思いやりが感じられる。いよいよ顔が見れなくなったリアは、振り切るように走り出した。

 スタンドを覗くと、参加者の殆どが顔をそろえていた。午前の試合で屈辱を強いられた(と、本人は感じている)クリスフォードだけは見当たらないが、誰もが当然のような顔なので、リアはそれ以上考えないことにする。

「リアさん!」

 ぱっ、と真っ先に駆け寄ってきたのはディディだ。心配顔で覗き込んでくる。

「お加減はいかがですか?」

「大丈夫。たっぷり寝たから」

 そのせいでジャスの試合を見損ねたのだけれど。また落ち込みそうになるリアの手を、ディディが握った。

「聞きました。私が気絶してる間、守ってくださってんですよね」

「え? ああ」

 特に何をしたとも思ってなかったリアは、咄嗟に何のことか理解できない。ようやく思考が追いついても、生返事しか出来なかった。

「ありがとうございます」

「別に大したことじゃないわよ」

 慌てて首を振ると、目の前のディディがにっこり笑った。

「やっぱり、お優しいんですね。さすがリーシャ様のご親友です」

「えっと」

 リアは無言でジャスに助けを求めたが、彼も肩を竦めて白旗を揚げていた。

 結局。

 最終試合が開始されるまでの間、二人はディディから延々と【リーシャ様の素晴らしさ】について熱弁を振るわれる羽目になったのだった。



 “あの頃”は――――こうして毎日のように剣を振るって生きていた。

 全てが終わると、微笑みを携え労ってくれる恋人もいた。

 それを思い出すと、自分は本当に、なんと遠くにきたものかと、深い感慨を覚える。

 一人しみじみと頷くイクス・テェルロに、向かい合うかつての恋人でもある対戦相手の女は、鮮やかに笑った。

「さて、始めようかの」



 静かに睨み合う2人をスタンドからじっと見つめながら、リアは視線を逸らさずジャスに尋ねた。

「イクスさんってジャスの剣のお師匠様なのよね?」

「ああ。一本取るのは今でも難しいよ」

 だったら相当な腕だ。そこでリアは首を傾げる。

「ミュイさんの武器は?」

「持たないよ。あの人は火炎系魔法の使い手だ」

「不利じゃないの?」

 振り仰ぐと、ジャスが困った風に笑う。

「対極だから、なんとも言い難いんだ。ミュイは魔法を取り上げたら何も残らないけど、イクスもイクスで魔法に弱い」

 ちなみに二人とも現代文字が読めない。彼らの玩具にされて過ごした幼少期のお陰で、ジャスは古代の暗号まで解読できてしまう。

「イクスの剣にも魔法は施してあるけど、あれ安物だし。純粋な剣技と少しの魔力を上手く合わせてるんだ。んで、ミュイは魔法に強い。知識だけならチュニアールの誰よりもあるよ」

「へ、へえ」

 少しどきどきしてミュイを注視する。傍らでジャスが笑った。

「まだミュイとは話したことなかったっけ?」

「う、うん。幹部の人だし、皆もちょっと敬遠してるみたいで」

 幹部の中で他の構成員と気軽に話せるのはイクスやユーナくらいだ。それ以外は性格に問題を抱える者が多数である。主にナルシスト王子イーヴァや皇帝気取りのクリスフォード、放火魔の本性を獰猛な笑みに垣間見せるミュイ、本を愛する引き篭もり司祭のマロナとその脇侍を務める白虎。巫女としての役割を担うティフォールは人間嫌いだし、クルスイークに至っては見た目からして立派な魔族である。

 入団して数十年が経つ世代は彼らとも遠慮なく話すが、若い世代はそうもいかない。数ヶ月前に入団したばかりのリアに至っては尚更だ。

「また改めて紹介するよ。ついでに、魔法のことについて聞いてみればいい。これが終わったらすぐ収穫祭だな……その頃でいいか?」

「う、うん。お願いします」

「はい、了解しましたよー」

 軽く頭に手を乗せられたリアは、さっきの今で反応に困る。どうしたものか。

 そう思案した途端、試合の火蓋が切って落とされる。

 炎の壁がイクスの剣で割れたのだった。

 会場に、歓声が湧き上がる。


 赤い光の蝶が、ミュイの周囲を漂っていた。艶やかな光景だが、彼女を守る防御魔法だ。

「イクスよ」

「ん?」

 振るわれた剣を蝶で受け止める。ミュイ自身は一歩も動いていない現状に、イクスは顔を顰めた。

「なんだ」

「あれを見ろ」

 ふふ、と嬉しそうな声音に、イクスは示された方向へ視線を向けた。

 そこには、ジャスとリアがいた。二人仲良く並んで観戦しており、自分達が敵チームであるという概念は既になくなっているらしい。

 微笑ましい光景に心和む。イクスとミュイにとっては、ジャスもリアも、友人の形見のような存在だ。

 寄り添うような少年少女の佇まいに、いつかの声が蘇る。


『あたしが男だったら良かったのに』

 それなら親友をあんな男から今すぐ奪ってやる。そう吐き捨てた金髪紅眼の戦女神は、ステラ・フィール・ラフィマギル。

『殿下は、お優しい方ですわ』

 黒髪紅瞳の娘は、困った風に笑う。極上の紅玉を嵌め込んだような眼が鮮烈な印象を与えるが、それ以外は普通の粋を出ない。寧ろ相殺する穏やかな雰囲気と色彩の艶かしさが、どうも異質に感じさせた。

『優しさだけじゃ、この乱世はどうにもなんないわよ』

 口を尖らせるステラに、黒髪の娘ロゼッタ・リコルゲントは嗜めるように言葉を返す。

『ええ。ですから私や、貴女のような者がいるのでしょう?』

 何を言っても無駄だった。

 皇族の血筋に生まれたステラは、きっとろくな死に方はできないだろうと諦めていた。

 だからこそ、親友の幸福を願っていた。

『ちょっと、ミュイ、イクス。あんた達からも何か言ってやって』

 やり込められると、ステラは決まって助けを求めてきた。

『わっちらの答えは変わりんせん。お前達が2人でわっちらの元へ来るのじゃ』

『俺達は国を作る。どうかその柱となり、ともに生きてはくれないか』

 そうすれば、下らない戦乱で命を散らすこともない。

 いつまでも楽しく酒を飲みたい。

 ……そんな、ささやかな願いさえ贅沢な時代に、多くの友を置き去りにした。


 イクスとミュイの試合は、その日の夕暮れ時まで続いた。

 観客の熱は冷めやらず、盛り上がりが最高潮に達したとき、勝負がついたのだ。

 勝利を収めたのは、イクス・テェルロ。

 僅差で敗れたミュイは盛大に舌打ちしていたが、敗北そのものは素直に認めている様子である。

 一週間に及ぶ騒動は、こうして幕を閉じた。

 ……ように思われた。





 想いは動く。

 誰が見ていても、見ていなくても。

 些細な出来事、小さな繋がり。

 その全てが積み重なり、作用し合う。

 言葉ひとつで、世界は変わる。


「収穫祭?」

「うん。またすぐに」

【星空の宴】構成員による打ち上げで、今回大会に参加した者は前準備や後片付けを免除される。そうして空いた時間を、ジャスは久々にリアと二人きりで過ごしていた。

「次はどんなことをするの?」

「普通のお祭りだよ。今回と比べると、ちょっと静かなくらい」

 城を一部開放して国民を招いたりと、色々な催し物はあるが、今回と比べれば実に平和的かつ一般的だろう。

「じゃあ、次は一緒に回れるの?」

「うん。今回は別々だったけど……」

 言いかけて、ジャスは不意に言葉を切った。

(こいつは、ほんとにもう!)

 期待の篭った眼差しで、『次は一緒に』などと、年頃の娘が口にすべきではない。相手の男は勘繰ってしまうだろう。彼女の無垢さを知るこの自分でさえ、一瞬、不覚にも期待してしまったのだから。

「ジャス?」

「いや、なんでもない」

 誰でもいいから俺の頭かち割ってくれないかなと、ついつい遠くを見やるジャスだった。




「げっ」

「やあ、ミナ」

 パン工房【リコリス】を訪れたイリヤは、試合後の疲れを微塵も感じさせない爽やかな笑みを浮かべる。対するミナは表情を引き攣らせた。

(今日は俺の顔みなくて済むとでも思ってたな、これは)

 自分でも、ここまで嫌われると天晴れだ。もう底辺である以上、ここから更に下へ落ちることもない。そう言い聞かせてもう何年になるだろう。

「ん、こんな時間から配達?」

 ミナが手元にバスケットを提げているのを見て、首を傾げる。閉店時間間近に珍しい。

 そう思ってまじまじとミナを注視していると、彼女は決まり悪げに方向転換した。そのまま動こうとしない。

「ミナ?」

 いつもなら素通りして配達に出るのに、どうしたのだろう。さすがに怪訝に思い、イリヤは彼女に近づいた。

「どうし――――」

 不意に、視線が逸れた。意識しなかったが、まだ蓋の開いたバスケットから、馴染んだパンの香りが漂ってきたのだ。

 バスケットの中には焼きたてのパンが数種類、詰められている。イリヤは心底驚き、まさかという思いでミナに視線を戻した。

「……ミナ」

「何」

 仏頂面でこちらを見ようともしない彼女は、おそらくイリヤの言わんとしていることを既に察している。その証拠に、拗ねたような横顔の頬は真っ赤だった。

「もしかして、これ、俺への差し入れだった?」

 返答はなかった。だが、彼女の顔は更に赤く染まり、肩の線が緊張を表すように硬直する。

「ええっと」

 予想外の展開に、イリヤも言葉に迷った。重く長い、それでいて悪くない沈黙が、二人を生暖かく包み込む。

「……おつかれ」

 やがて、ぶすっとしながら、ミナが口火を切った。バスケットを差し出す手つきも、普段の殴るような所作とは程遠く、労わりを感じさせるものだった。

 あくまでも自分を見ようとしない、真っ赤な顔の幼馴染に、イリヤも、彼にしては非常に珍しい、照れたような笑顔を零す。

「ありがとう、ミナ」





 言葉一つで動き出す。

 それが、たとえ小さな断片でも。

「イア、吉報よ」

「え?」

 紫眼を丸くする青年に、赤毛の女は珍しく、息を切らして駆け寄った。

 彼女のそんな姿に、紫眼の青年イアと、ともにいたロッドも首を傾げる。

「ラミア。何があったんだ?」

「あんたの意中の女よ。夏の初めに、リトレイズのホリブで目撃されてた」

「はあ!?」

 わざわざ調べてくれていたのかという驚きの感謝、戸惑い。そして、それを塗りつぶす事実への衝撃に、イアは頓狂な奇声をあげる。

 一方、当事者でもないためか、比較的ロッドは落ち着いていた。

「大陸の果てじゃないか。しかも、ホリブだって?」

 大陸東部リトレイズ国は、海運業で発展を続けてきた貿易国家だ。その手腕で発展途上の代名詞とまで言われるガストロイヤ連邦から独立し、今や近隣の海賊達さえ制しつつある。

 そしてイアにとって何より重要なのが、リトレイズ国は、少女の消息が絶たれた帝国とは正反対に位置する東の臨海国であること。

 ホリブは、リトレイズが誇る世界屈指の港町なのだ。

「おい! まさか商人に売り飛ばされたとか、そういう話じゃないだろうな!?」

 最悪の事態を想定し青褪めるイアに、ラミアは呆れたような溜息をつく。

「落ち着きなさい。最後までお聞き。いい? 彼女は――――」

 ラミアの視線が一瞬、ちらりとロッドに向けられる。察したイアはロッドに向き直った。

「ロッド、悪いけど」

 ロッドの方も年長者として、心得たように頷く。

「わかった。できることがあれば、また声をかけてくれ」

「ありがとう。ごめんな」

 ロッドは鷹揚な足取りで室内から去り、遠ざかる気配を確認したラミアは、小さく肩を竦める。

「悪いわね。でも、あんまり広めたい話じゃなくて」

「ロッドほど信用できる奴、この組織には2人といないがな」

「まあね」

 軽く流したラミアは、単刀直入に言う。

「彼女――――、レリアル・ウルフラーナには、同伴者がいたみたいね」

「そいつが誘拐犯か」

 すっかり思考がそちらに傾いているらしく、吐き捨てるように呟くイアに、ラミアは「いいから」と続ける。

「落ち着けって言ってんでしょ。まあ、証言によると、とてもそんな風には見えなかったみたいよ」

「?」

「一緒にいたのは、おそらく神殿を襲撃した赤毛の男。もう、わかるわね?」

「ランティスか!」

 ラミアがロッドを遠ざけるのも頷ける。ランティス・ラゴートは恩義を忘れ、亡き父と同様に組織を裏切った反逆者として、ひどく憎まれている。そんな男と、彼女は従姉弟関係にあたるのだ。確かに、なるべくなら他人の耳に入るのを避けたい話である。

「じゃあ、ランティスが助けてくれたんだな?」

「多分ね。でも」

 ここにきて、ラミアの表情に翳りが生まれた。躊躇いと動揺は、イアに対するものだった。

「なんだよ?」

「……他にも、金髪の女と、黒髪の男が目撃されてるんだけど」

「? ああ、神殿の時の面子で動いてるんだな」

 すっかり安心しきっているイアに、ラミアは迷った。

 別に、伝える必要はない情報だ。目撃した者の、勝手な感想でしかない。

 遊覧船の乗組員の話だ。


『黒髪の、やたら小奇麗な坊主でな。茶髪のお嬢ちゃんと仲良さそうでよ、これから新婚旅行かい? ってからかったら、揃って船酔いしたみたいな顔しやがんだよ!』


 似たような話は、よくあった。

 彼らと同じ宿に泊まっていた男も、黒髪の男とレリアル・ウルフラーナの関係を初々しい恋人のように語るのだ。

(流石に、いえないわよね)

 それに、と思う。

 黒髪の男は大層な美形だったとかで、路上の絵描き数人が拝み倒して彼を被写体にしていたのだが(少女は地味な容貌の為あまり記憶に残らなかったらしい)、ラミアはその絵を見て絶句したのだ。

 ――――“似ている”、と。

 全てを失った、炎の夜。

 あの日から、この憎い面差しを一度でも忘れたことがあっただろうか?

(男装でもしていたの?)

 そこまで考え、思い出す。そうだ。

“あの女”は確か――――。

 黒い魔の手が、純粋な渇望が、時を超えた怨嗟が。

 少年少女の暮らす楽園へと、ゆっくり、確実に伸びてゆく――――。














アランジェ・ジルハーツ

(自称19歳/男/イリヤとミナの仲介役)

通称【アラン】

・ジルハーツ家の養子。

・いつも周囲のフォローに奔走している苦労人。

・拾われるより以前のことを話そうとせず、【アランジェ】というのも本名ではない様子。

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