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鳥籠姫と黒い翼の魔法使い  作者: 飛翔生姜
第二章 楽園の扉を開く鍵
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言えなかったこと





『ねぇ』



 遠くて近い。

 不思議と懐かしいような、それでも絶対に知らない声。

 優しく語り掛けてくる。

 この少女と、会ったことはない。

 それでも分かる。彼女の名前を、自分は既に知っているのだ。

 だから、呼んだ。

「セレナさん、ですよね?」

 姿は見えない。乳白色の世界。柔らかな光の空。

 その彼方で、その向こうで、そのどこかで、微笑んだ気がした。

『うん。初めましてだね。レリアルちゃん』



+ + + +



「リアが目覚めないのも気になるけど、一度上に戻ろう。港の警備兵に伝えないと」

「ここにいればジャスは安全だよ?」

「レティは黙ってて」

 どこまでも自分(ジャス)を優先してくれる人魚姫に辟易しつつ、ジャスはクリフからリアと抱き取った。

 ここに来るまで、クリフは無理をしすぎている。加えて、水晶の特殊な魔力に当てられて、平然を装ってはいるが、実際はかなり疲弊している筈だ。

「お前は一度ルフィスさん達に報告しに戻ってくれ。俺がここに来てることは、もう気付いてると思うから。……もう大丈夫だって、伝えてほしい」

 きっと、すごく心配している。

 意地悪で優しい、悪戯好きな大人達の顔が思い浮かび、ジャスは控えめな笑みで告げる。

「それに、お前は俺の護衛で“星空の宴”の構成員とは立場が違う。海兵達はお前の顔と身分を知ってるだろ? いきなり王宮の騎士が出てきたら、指揮系統が混乱する」

「畏まりました」

 ものすごく不服そうに、クリフが頷いた。不承不承を絵に描いたような反応に、傍らのレティアまで呆れたように笑みを零す。

「ジャス、リアちゃん連れてくの? よければ目が覚めるまで預かるけど」

「いい。何しでかすか分からないから」

 咄嗟の本音を、ジャスは誤魔化そうとは思わなかった。釘はいくら刺しておいても足りないことはない。特に、レティアの場合は。

「わかったよぅ。ああ、でも」

「?」

「アルナちゃんのこと、どう説明しようか」

「それは……やっぱり、レティから言ったほうが」

「でも私もう嫌われてるし、ジャスの方がよくない?」

 小首を傾げて言うレティアに、ジャスは早口で答えた。

「リアの母親と面識もない俺が聞きかじった話を我が物顔で言うのは間違ってると思う」

「でもでもでもでもでもでも」

 珍しくレティアが及び腰だ。もしかしたら今後リアは、ジャスと並ぶレティアの弱点になるかもしれない。

「よし。じゃあアルナちゃんがリアちゃんを拒絶した理由は、もう一人に任せようか!」

 もう一人? ジャスはきょとんとした。

 この空間にいるのは、当事者のリアを除けばジャスとレティア、そしてクリフのみだ。

「クリフのことか? 言っちゃなんだが、一番不向きな気がするんだけど」

「違うよ。もう一人」

「え、誰」

「ふんだ。秘密だもん」

「はぁ?」

 どこか拗ねたようなレティアにジャスは途方に暮れたが、もう時間もないので追求は諦めた。

 そんな少年を見て、レティアは溜息を吐く。

(自業自得だよね)

 しょうがないから、見逃してやる。

 ジャスとリアを守る為なら。

 というか、あんな所に隠れられたら、もう手出しが出来ない。

(あーあ)

 結局セレナにも負けてしまった。

 それでもやっぱり悔しいから、詳しいことは言ってやらない。

 後は任せたと心の中で呟きながら、レティアは純粋すぎていつしか歪んだ、自身の恋に別れを告げた。






 クリフと分かれたジャスはそのまま港に向かった。トロナイル海兵の為の屯所が設けられているのだ。

「あれっ、殿下?」

「どうしたんです、水浴びですか?」

「おーい。誰かタオル持ってきてくれー! 殿下がびしょ濡れだ」

「俺らの王子が野良犬みたいになっ――――痛ぇっ!」

 最後に余計な口を挟んだ海兵に拳を落としつつ、ジャスはありがたくタオルを受け取った。自分より先にリアを包む。

(体温は下がってないけど)

 早く起きてくれ、と不安に駆られながら、ジャスは視線を感じて顔を上げた。

「何だ」

「いえ、そちらのお嬢さんは?」

「新入り。以上」

「将来の妃殿下とかではなく?」

 ジャスはうんざりした。元から海賊上がりも多い部隊だが、ここまで王族に遠慮なく尋ねてくる図太さには感服せざるをえない。

「いいから。それより、警戒網はどうなってる?」

 結界の外には正規軍、港には海賊上がりの海兵隊。場合によってはとクリフを置いてきたが、いらぬ世話だったろうか。

「あー、なんか外の連中から通信ありましたわ。でも、イクスの旦那がさっきお見えになって」

「イクスが?」

 師の一人である大男の名に、思わず目を剥いた。

「今はどうしてるんだ?」

「少し風に当たってくるとか」

 わかった、と軽くうなずき、ジャスは足をある場所に向けた。

 目指す場所はそんなに遠くない。すぐたどり着いた。

 砦の露台に、見慣れた巨漢の姿がある。相変わらず子どもの身の丈を越えるほどの大剣を帯びている。見る者によっては海賊か何かにも思える勇猛さが彼にはあった。

「イクス!」

「おお、ジャスか! 無事で何より」

「うるさいな。それより、今どうなってるんだ?」

 出逢った頃と変わらチビ扱いしてくるイクスが、こちらの髪を掻き回そうとするので、その手を叩き落としてやる。

「反抗期か。寂しいのう」

「年中ばーちゃんに反抗してるおっさんが何言ってるんだ」

 さっさと話せクソ爺。目を細めて脅すと、イクスは詰まらなさそうに空を示した。目で追うと、上空を旋回している黒い影がある。普通の鳥ではありえない大きさと存在感、圧倒的な魔力。とりわけその黒い翼は、ジャスの魔法とよく似ている。

「クルスか?」

「領空の警備は奴に一任されてるからな」

「流石クルスだ。どっかの引き篭もり剣闘士とは違って勤勉で尊敬できるな」

「何を言う。俺とてな――――」

(空の守りは“月の陰鳥”がいるなら安心だ)

 隣でグダグダ抗議しているらしいイクスの言葉は綺麗に聞き流し、ジャスは思惟に耽った。

(すぐばーちゃんが結界を張り直すだろうけど、時間が掛かるよな)

 一度壊れた結界を修復するには、直接の原因であるリアと件の水晶をどうにかせねばならない。とりあえず魔力の塊と、それに強い影響を与えるらしいリア本人を引き離すことにしたが、だからといってすぐに元通りにとは行かないだろう。

(長く隔離封印されていた魔力が、主の元に還ろうとしてるのか)

 そうなれば、リアは蓄積された魔力に潰される。何せあれだけ膨大な量だ。並みの魔導師が一生かかっても溜めきれない程の。

(面倒だな、神話のお姫様も)

 ジャスは【魔女の児】として高い資質を持っているが、あのような爆弾機能はもちろんない。あれ寧ろ救国の英雄っていうより単なる貧乏くじ引いた子羊じゃないのか。彼女に好意を寄せる身としては、非常に厄介な代物だ。

「ところで、ジャス」

「ん?」

「その娘は何だ。嫁か?」

「どいつもこいつも……普通こんな時まで言うか!?」

 組織の幹部相手に苛立ちを隠さないジャスは、この手のやり取りにかなり辟易している。今日で何回目だろうか。

 確かに今まで女に興味を示さなかった自分が若い娘を抱えていれば奇異に映るだろうが、この非常時に緊張感がなさすぎる。しかも大抵が自分と縁の深い相手で、イクスを始めとする多くの者が、まるで打ち合わせでもしたのかというほど異口同音ぶりだ。これで愛想よく丁寧に否定しろというも無理がある。

「違うのか? なら俺によこせ。綺麗な髪だ。気に入ったから俺がもらおう」

「今すぐここから飛び降りて藻屑になれ」

 誰がくれてやるかと睨むジャスの珍しい態度に、イクスが目を剥いた。

「独占欲が強いのは先祖譲りか」

「は?」

 感慨深げに一人でうんうんと頷く師匠を気味悪く感じながら、ジャスは腕の中のリアに視線を落とした。一応タオルで包んでいるが、いかんせん濡れたままなのだ。いくら夏とはいえ体に悪い。

 それに、とジャスは唸った。

 夏であるが為、少女を手放したくないのだ。

 平たく言えばリアは白い薄手のブラウスを身につけていて、大量の水分を含んだそれは今ほぼ半透明の状態だ。男所帯である砦でそんな無防備な姿は曝したくない。

(これが独占欲ってことか?)

 だとしたら、確かに否定できない。自分以外の誰の目にも触れさせたくないからだ。少なくとも今は。

 どうしたものかと首を傾げた瞬間、救いの女神が舞い降りた。


「あらあら? ジャスちゃんじゃない。どうしたの、こんな所で」

 くすんだ金髪、雀斑の散った童顔、緑の瞳。年のころは四十代ほど。傍らにいるのは銀髪赤眼の雪女シンルー・アーゼ。

 自分を「ちゃん」などと呼んだ女性は、にっこり微笑んだ。

「ふふ。そちらのお嬢さんが噂の恋人なのかしら?」

 何故ここに。そう思いながら、ジャスはしっかり釘を刺す。

「貴女まで何言ってるんですか、レイラさん」

 しかし、レイラ・ジアルはにこにこと笑うばかりで反応を示さず、代わりに別のことを口にした。

「今度ね、子ども達と(ここ)を見学させてもらう予定だったの。先に私が慣れておこうと思って、ルーの口添えで入れてもらったのよ」

「ていうか、なんでジャスがリアを姫抱きしてんの?」

 レイラの背後から顔を出したシンルーの揶揄を含んだ声に、ジャスは澄まし顔で答える。

「背負うと動きにくい。だからって俵みたいに担いだりしたら、後で何言われるか知れたもんじゃない」

「そうねぇ。女の子は大切に扱わないと」

 おっとりしながら妙に説得力のあるレイラは、この国の孤児院の責任者だ。救いの(レイラ)に感謝しつつ、ジャスはリアの身柄をレイラに預けることにした。




「感慨深いわねぇ」

 個室にリアとレイラを置いて露台へと戻る道すがら、シンルーが冷やかすように言った。

「あのジャスが女の子をねぇ」

「話題古くない?」

 別に気持ちの自覚云々は告げていない訳だから、彼女が言っているのは自分がリアと行動を共にしていたということだろう。

 だが、そんなことはもうずっと以前から皆にあれこれ言われているので今更だ。

「なんで濡れてんの?」

「……海に落ちて」

「ふーん?」

 ああ、これは絶対に何か勘付いてる。ジャスは内心で大いに呻いた。事態が収束した暁には、弄り倒されるに違いない。

 と、げんなりする彼の頭上を、大きな影が覆った。

「あ」

 久々に見る“彼女”の本性に、ジャスは口笛を吹いた。相変わらず優美で神々しい天の守護神。

 一方、その姿を見たことがないシンルーは、驚いたように目を瞠る。

「龍!?」

「リーシャだよ」

 危険はないと伝えるが、次の瞬間に大声がした。

「ジャス!」

 龍の背に見慣れた赤毛の義兄の姿を認め、その心配そうな表情にジャスは張り詰めていた心が僅かに緩むのを感じた。






「話には聞いてたけど、すごいわね。こんなに雄々しく優美なものが、この世に存在なんて」

 呆然と呟くシンルーは、恐る恐るその背に乗った。ジャスは二度目なので物怖じすることはなく、イクスも楽しそうにしている。萎縮しているのは、リーシャと同じく人外である雪女のシンルーだけだ。

(今さらだけど俺たちの周りって)

 リアは祖国で女神の再来扱いされているし、リーシャは龍神となる定めを持つ。シンルーは雪女で、ミナ人間と人魚の混血だ。

 濃い面子の女たちだと、自分の身分を棚に上げて考えるジャスに、ランティスが声をかける。

「ルフィスさんからの指示。結界を張る間は前線で踏ん張れって」

 事もなくいうランティスだったが、弟の傍に見知った少女の姿がないと気付き顔が強ばる。

「ジャス。リアは無事なのか?」

「砦に預けてきた。詳しい事は後で話す」

 ちらりと周囲を見渡すと、遠くない位置に天馬――ディディアンの姿が見える。その背にいるのが、厄介な事にセブンとラドだ。聞きとがめられれば、結界を破壊した遠因と騒ぎ立てられ、リアの立場が悪くなるかもしれない。セブンは相変わらず、ジャスとリアを嫌っているのだ。

(ま、セブン如きにリアをどうこう出来るとは思えないけど)

 なんとなくだが、セブンはいざリアを蹴落とす好機が目の前にやって来た時、おそらく躊躇って実行できない。言えた義理ではないが、彼には何をするにもどことなく、覚悟が足りないのだ。

「位置的はランティスと俺……あと、イクスが前衛になるのか?」

「そうね。私が行ってもいいんだけど、他の皆みたい飛べないから後方で構えてるわ」

 にこやかに微笑むシンルーだが、新入りのリーシャ以外は肝が冷えた。

(ルー姉は怖いからなぁ。ああ、今年の秋も例の大会あったらどうしよう)

(同じチームなら心強いんだろうけど)

 シンルーの魔法は広域の一斉攻撃ばかりで、その破壊力は凄まじいものがある。うっかり射程距離に入ろうものなら敵味方も関係なく氷漬けに遭う事うけあいだ。

「じゃあリーシャ。ルーのこと任せたぞ」

 ランティスが【銀翼】、ジャスが【黒翼】を発動させ、イクスは口笛で仕事中のクルスを横柄に呼びつける。リーシャの背に残るはシンルーのみだ。

 そして、リーシャ大事のディディアンも彼女らに随行することは必至であり、結果として天馬の姿をしたディディアンの背にあるラドとセブンも後衛となる。

「準備が終わったら呼ぶわねー」

 声が掛かり次第すぐ逃げよう。義兄弟とその師は全く同じことを思った。






 レイラ・ジアルは少女の濡れた体を丁寧に乾かし、髪を梳いていた。亜麻色の髪はしっとりと光沢を放ち、きめ細やかな肌は徐々に赤みを取り戻している。

「懐かしいわねぇ」

 十年以上前、シンルーを拾った時を思い出す。

「あの子と同じくらい可愛いわ」

 小さな体を丸めて、まるで子猫だ。そこまで考え、ふと顔を顰める。

(独り言、増えたね。嫌だわ)

 少女レリアルは未だ瞼を震わすこともなく、昏々と眠り続けている。単に気絶しているだけかと思ったが、どうやら違うらしい。

 “リア”の中に、“誰か”がいる。

 決して魔法や魔術には優れていないが、勘の良さはそれなりのものだと自負している。

 そして、その“誰か”の行動がこの国の――――。

(いえ、早計は良くないわ)

 あまりに考えが飛躍している。これは妄想というものだ。

(でも、なんだか胸騒ぎがするのよ)

 レイラは胸を押さえた。鼓動が激しい。まるで夫を奪われ、義弟と決裂した“あの時”のような。

 呻きとも喘ぎとも聞こえる息を吐き、レイラは呟いた。

「レギア」

 まるで遠くない未来、再び出逢うような奇妙な予感が、彼女の胸に広がった。







 強大な魔力が渦巻く嵐の中、セレナは一人いた。

 ここで自分が消滅したら、ジャスを守ることができない。だから、絶対にやり遂げなくてはならないのだ。

(それに)

 こうして“レリアル”の内部に潜り込んで、真っ先に思ったことがある。

(友達に、なりたかったな)

 優しい人なのだろう、とは分かっていた。ジャスの心を癒し、彼が選んだ唯一の少女なのだから。

(だから、頑張らないとね)

 セレナは知っていた。

 ジャスが選ぶのは自分でもレティアでもない、異国の娘――リアであることを。

 未来を垣間見る力――生まれた頃から備わっていた、自分の特殊な力で。

 そうして訪れた運命の“あの日”、視た。

 自分が生きても死んでも、ジャスが選ぶのはまだ出会ってもいない少女だと。

 ならば、せめて。少しでも寄り添えるように。共に在りたい。

(ごめんね)

 誰よりも穢れているのは自分だと思う。“殺される”ことで被害者となり誰に責められることもなく、ジャスに憎悪を向けられる心配もなかった。彼の心の枷となり、十年もの間、彼はセレナを想ってくれた。

 狡猾だと自嘲する。その癖、それでも幸せだと感じているのだから手に負えない。

「頑張るからね」

 声に出し、目を閉じる。リアの莫大な魔力を拝借すれば、遥か遠くの海上で魔物と交戦しているジャス達の姿が視えた。

 リアの魔力と融合し、彼女の代わりにその力を制御する。

 そうすれば結界も無事に補修できるし、ジャスの負担も減るはずだ。

 何より。セレナは重い溜息をついた。

 大切なジャスと、友達になりたかった少女の未来が懸かっている。このトラブルは前哨戦にもならないのだ。

(せめて秋までに、完璧にリアちゃんを守れるようにならないと)

 未来を見る力で、セレナはこれからの二人に何が起こるか、大よその察しが付いている。だからこそ、自分が踏ん張らなくてはならないのだ。


「待って」


 柔らかな声だった。この激しい渦の中で、鈴のようなそれは、白い光にも似た力を帯びている。

「え?」

 見覚えのない女性だった。蜜色の髪に蘇芳の瞳。楚々とした佳人で、一瞬どこかの女神かと思ってしまう。

 けれど、と。

 ここはリアの中だ。人間でもなく、今や肉体さえ持たないセレナならともかく、どうして余人が入り込めるのだろう。

 リアを守る為なら、この手弱女にしか見えない貴婦人とも対峙することも覚悟せねばならない。

 しかし、剣呑なセレナに対し、女性はふわりと微笑んだ。まるで娘を慈しむ母のような表情で。

 その空気に、ようやく気付く。

 見覚えは、ない。だが、リアの魂に刻まれたその存在。

 あの気難しいレティアの親友になれた稀有な人間。

 リアの中にいても、なんら違和感などないはずだ。リアは彼女から生まれたのだから。

「まだ駄目よ。貴女は、消えてはいけない」

「……う、して」

「ここは私に任せて。貴女には残って、後に備えてほしいの」

「どうして、今なんですか……どうして!」

 感情が爆発した。

 リアと、目の前の女性の魔力が合わさって出来た水晶。その中に融合したセレナは、その双方の感情を受け止めることができる。

 だから哀しかった。

 娘はこれほど母を求めているのに。

 あんなにも母は娘を愛していたのに。

「アルナさん!」

 深すぎる愛情が、哀しいほど擦れ違う。

「どうにかして、リアちゃんの意識をここに呼びます。だから……」

 たった一言でいい。素直になってほしい。

 自分には資格がないと思っているらしいアルナに、セレナは心から言う。

「もう、ご自分を赦して差し上げてください」

 だからどうか、孤独だった少女に、真実の言葉を贈ってほしい。貴女にしかできないのだから。

「リアちゃんに“愛してる”って、言ってあげてください!」

 娘とは面識もない筈の少女が流す涙を、アルナは優しく拭う。

「貴女も“彼”も、優しいのね」

「誤魔化さないで!」

 死して十年以上の歳月が経過して尚、娘を見守り続けてきた。何もできない歯がゆさも、あったはずなのに。

 愛がなければ、そして真実“母親”でなければ、決して真似できない。

「リアちゃんの傍には、ジャスもいます。彼女はもう、貴女だけが世界の全てではないと知っています。躓いても、待ってくれる人が、命在る人たちが沢山、傍にいるんです」

 リアは貴女に立ち止まらず、歩いていける。

 だから、どうか。

 セレナの懇願に、アルナは微笑んだ。決意を滲ませ、首と横に振る。

「あの子はね、実は結構、私に似てるのよ。性格もね。意地っ張りは母親譲りなのよ。だから、貴女にお願いするわ。気が向いたらで構わないから」

 少しも良くない。そう言おうとしたセレナの眼前で、リアと良く似た女性は、母の顔で笑った。

「良ければ、お友達になってあげてね」

 それが、アルナを見た最後だった。






 真紅の矢が雨のように降り注ぎ、異形の獣を串刺しにする。少年は黒翼を翻して敵の懐に潜り込んだ。

「埒があかない」

 億劫だと呟く傍らに真紅の剣を創造し、脳天から真っ二つに切り落とす。教え子の快進撃を、イクスは満足げ見つめた。

「うむ。鍛錬を怠っていないようで何より」

「ジャスは誠実を通り越していっそ莫迦としか思えなかったロゼの(すえ)ぞ。当然じゃ」

 イクスの足元、彼を乗せて空を切る魔物“月の陰鳥”クルスは、褒めているのか分からない相槌を打つ。それでも心なしか誇らしげであるので、きっと貶しているつもりはないのだろう。

「ふん。懐かしいか?」

「落とすぞ」

 意地の悪い昔なじみに、クルスは低く脅しつける。

 懐かしい、なんてものではない。

 いっそ忘れられたら楽なのに、気弱な笑みが脳裏に張り付いて消えやしない。どれだけの時が過ぎようとも。

 黙りこんだ相棒に、ようやくイクスは口が過ぎたことを悔いた。この一途な男に対して、あまりにも無神経だったのだ。

 それでも素直に謝罪するのは互いに柄ではないので、仕切り直しの軽口を叩く。

「ジャスであれほど似てるなら、あいつの生き別れの姉姫とやらはどんなもんだろうなぁ」

 一方、ランティスと合流したジャスが視線を感じて振り向くと、イクスとクルスが戦闘の最中に話し込んでいた。何だろう。

(また喧嘩か?)

 まあどうせイクスがクルスに何か余計なことしたんだろうと見当をつけつつ、翼から羽を毟り取って通信を開く。

「ルー姉、どう?」

『ああジャス。ちょうど今ね、呼ぼ――』

「総員退避――ッ!!」

 カッ目を見開いてランティスが叫んだ。ジャスは言われるまでもなく砦にとんぼ返りする。

(ルー姉の魔法は本気で怖いもんなぁ)

 見れば、ランティスのたった一言で、前線に出ていた面子が軍隊にも勝る連携の取れた動きで撤退を始めている。全員の心情を如実に表すなら、きっとこうだ。

 鬼がくる。

 シンルー本人の耳に入ればまさに氷漬けの刑に遭うだろうが、偽らざる本音なので仕様がない。

 それに。

(リア、起きたかな)

 シンルーの魔法が発動すれば、チュニアールに群がってきた低脳な魔物共は残らず殲滅できるだろう。しかし、問題はその後だ。

 リアを水晶から引き離すことで双方の共鳴による結界への干渉は防いだつもりだが、あの魔力の塊を放置しておくのは危険すぎる。今回の魔物を呼び寄せたは、あの特異な魔力ではないかという懸念もあるから尚更。

 一番いいのはリアに制御させることだが、彼女にその手の技能を期待するのは牛に空を飛べといっているようなものだ、と少なくともジャスは思っている。本人に言えば殴られるだろうが。

(とにかく)

 今は一刻も早く側に戻りたい。翼で空を駆け、ジャスはまっすぐにリアの元を目指した。

 そんなジャスを出迎えたのは、リアではなくレイラだった。

「あらあら。お帰りなさい王子様」

 確かに王子だが、この場合はひどく揶揄されている感が拭えない。

「珍しいですね、レイラさんが俺をそんな風に呼ぶなんて」

「ふふふ。それからお姫様だけど、まだ眠ってるわ。あ、キスとかしてみる?」

「やっぱりそういう意味ですか」

 今さら気恥ずかしくなるジャスに、レイラは微笑む。

「若いっていいわねぇ」

「勘弁して下さい」

 もうヤダ、とやさぐれるジャスに、背後から声が掛けられる。

「ジャス!」

「イーヴァ」

 リアが初めてチュニアールを訪れた際にいきなり抱き締めた、あのイーヴァだったを意外な人物に目を剥くが、あながち不思議ではない、と遅れて納得する。彼はレティアの兄なのだから。

「レティアなら、例の遺跡で待機してる。俺はもうリアを休ませたいから、今日は行かないつもりだ」

「え?」

「?」

 目を点にしたイーヴァというのは、ひどく間抜けで新鮮だ。

「えっと、何?」

「いや、大丈夫だったのか?」

 心配してくれたのか、と感動する間もなかった。

 ぽかんとしていふジャスにイーヴァは何かを感じたのか、やがてフンと鼻を鳴らして踵を返した。

 去っていく後姿を見送るジャスに、じわじわと心地よい衝撃が広がる。

(嫌われてた訳じゃなかったのか)

 妹のレティアが直球型に対し、兄のイーヴァは捻くれている。

 それでも垣間見えた思いやりが嬉しくて、ジャスは小さく笑みを浮かべた。

 ――――少女が目覚めたのは、その日の夜のことだった。




 月が見え隠れする曇天の夜だった。昼間の騒動は嘘だったかのような静寂が、宵の城を包み込む。

 結界は無事に張り直され、リアの容態も落ち着いていた。

 疲れた、とジャスはバルコニーに座り込む。

 本当に長い、怒涛の一日だった。

 朝から意中の少女が行方不明になったり、因縁の相手と行動を共にしていたり。追った先でトラウマを刻まれた現場に足を踏み入れたり。そこまで考え、ジャスは思考を放棄した。

(レティアにも、もう一度ちゃんと会わないと)

 向き合おう。彼女もジャスにとっては大切な、かけがえのないひとなのだから。

(できれば、リアも一緒に……いや、うーん。でもなぁ)

 あの水晶のことにしても、やはり話し合いは必要だ。

(まあ、起きてくれなきゃ始まらないけど)

 ジャスがいるのは、リアの部屋のバルコニーだ。クリフはいない。気を利かせたつもりなのか、単なる疲労によるものかは定かではないが。

 婚前の淑女の部屋に、よりにもよって夜。リアを『淑女』の枠に入れていいのかと微妙な葛藤があるのだが、これも口に出せば怒りの材料になるだろう。また彼女を怒らせる口実を作ってしまった。

(でもなぁ)

 こうしてバルコニーに出てきたし、許してくれないだろうか。まあ結局ベッドまで運んだのも俺だし、やっぱり怒るだろうか。ちなみに、黙秘するという選択肢は、彼の頭には端からない。

「あーあ」

 嘆息して、夏の夜空を見上げる。雲さえなければ、夏の星が拝めたかもしれないのに。いや、今日は月が大きいので霞んでしまうだろうか。

「リア」

 知らず、声が零れた。無意識ゆえの切ない響きは、自分のものとは思えない、未知の音ようだった。

 早く起きてくれ――――そう縋るように思った瞬間。


「ジャス」


 どこか幼い少女の声。ジャスはぎょっとした。

「リア?」

 目が覚めたのか、という喜びより、奇妙な感じがした。

(今の声って)

 まさか、と思う。

 そんな筈はない、と否定した所で――――。

「ジャス!!」

 ありえないことが起きた。

 リアが、満面の笑みで抱きついてきたのだ。涙さえ浮かべている。

 何この状況。

 ジャスは、恐る恐る口を開いた。

「リア」

「うん?」

「――――じゃ、ないな」

 “リア”の目が見開かれる。ジャスは確信と共に、その名を呼んだ。

「セレナ?」

 柔らかな夜風が二人を包み、しばしの沈黙が訪れる。

 先に口を開いたのは、少女――――セレナの方だった。

「すごいね。大正解だよ。うーん、私との友情か、リアちゃんへの完全な片想いの賜物かな。後者だったら可哀相だし両方にしよっか」

「ほっといてくれ」

 驚くより傷ついた。今「完全な片想い」と言った。覚悟はしていたが、指摘されると結構きつい。

「で? どういう絡操でそうなったんだ。リアの体に影響は?」

 そっけない態度の裏、ジャスは目頭の熱を抑えるのに必死だった。本当は泣いて謝りたい。それでも、セレナがあの頃と同じように振舞ってくれるなら、自分もそれに応えなくては。

「大丈夫。リアちゃんに許可もらったもん。“ジャスの友達なら、きっと優しい人だと思うので”って。良かったね、仲間として信頼されてるよ!」

「笑顔で言うな」

「ジャスと話したかったの」

 急に真剣な面持ちになる少女だが、ジャスにとっては複雑だ。

 外見はリア。しかし中にいるのはセレナ。はっきり言って調子が狂う。

「うん。俺も、ずっと会いたかった」

 それでも叶わないと知っていたから、誰にも言えなかった。死んだ人に会いたい。誰もが願う不可能な夢。周囲を困らせたくなくて、ジャスはずっと我慢してきた。

「正直、あんまり楽しくないと思う。でも、これからの二人に必要だと思うから、言うね」

 セレナの脳裏に浮かぶ、いくつもの出来事。

 自分の死、リアの母アルナリアの真の遺志。そして彼女と、ジャス自身の運命。

 どれも断片でしかない。憶測もある。それでも、伝えないよりマシだった。

「ジャス。私はね、生きることを自分の意志で諦めたの」

「は?」

 頓狂な声を無視し、セレナは続ける。

「いきなりで困ると思うけど、私はほんの少しだけ、未来を予知する力がある。それであの日、知ったの」

「何を」

「ジャスが選ぶ、大切な人」

「?」

 ジャスが首を傾げた。何のこっちゃという顔だ。

「あの時も、そんなこと言ってたな。どういう意味だ?」

「未来を視たの。ジャスと一緒にいる女の子がいた」

 それがリアだったと語る少女を、ジャスは不思議そうに見つめた。

「それ、おかしくないか?」

 ジャスがリアに興味を持ったのは、大切なものを欠いたまま薄暗い闇を彷徨うように生きる様が、自分と重なったからだ。

 つまり、セレナさえ生きていれば、リアにあれほどの関心を抱いたりはしなかった。セレナの生命と共に、ジャスの心は壊れたのだから。

「セレナが嘘をついてるとは思わない。けど、俺がリアを連れてきたのは……」

「うん。すごく酷いよね、ジャス。女の子をモルモット程度にしか考えてなかったんだから。ひょっとしたらそれ以下?」

「なんで知ってんだよ!?」

 思わずギョッと聞き返すジャスに、セレナは生暖かい気持ちになる。下手でもいいから白を切るとかできないのか。

「私は最期の瞬間、魂を分離させたの。大部分はあの神殿に霧散させて、徐々に水晶と同化させた。残りはジャスに渡したイヤリング」

 ジャスは唐突に納得した。今日レティアは、リアを指して「セレナ」と呼んだ。しかし実際は、ジャスのイヤリングを見ていたのだ。

「これが、ねぇ」

 両耳に下げたイヤリングの右を弄ぶジャスに、セレナは軽く提案する。

「そうだ、ジャス」

「うん?」

「それ、そっちのイヤリング、リアちゃんにあげてくれない?」

「そりゃいいけど、なんで?」

「お礼だよ。リアちゃんのおかげで、こうしてジャスとまた逢えたんだから」

「わかった」

 贈り主自ら言い出したのだから異存はない、と頷くジャスは、ふと気付く。

(待て。セレナはこれからどうなるんだ?)

 自然と強張るジャスの表情を見て、セレナは微笑んだ。

「うん。こうしていられるのは、ほんの少しだけ。多分ジャスと逢えるのも、これが本当に最後」

「!」

 少年の顔が大きく歪んだ。トラブル続きの一日でも、決して見せなかった顔をしている。まるで、全てを失ったあの日に戻ったような。

(でも、それでいいの)

 ジャスの心が、時が止まるなら、正直セレナはそれでも構わなかった。彼の中に自分は永劫存在し続けられる。なんと素晴らしいだろう。

 それでも、リアの冷たい心に触れて理解した。ああ、だから自分では【駄目】なのだと。

 理解したら泣きたくなった。けれど資格がない。それ以上の悲しみを、彼に与え続けた罰だ。

(だから、どうかせめて)

 時を戻そう。彼の時間を動かそう。遠い空に羽ばたく黒翼の背を押そう。

 告げる言葉は「ありがとう」と、そして「さようなら」だ。

「ごめんね」

「セレナ?」

「長い間ジャスを苦しませて、本当にごめんね」

 愛する者を呪縛することを幸福に感じていた。それこそが正しく唯一の愛だと疑わなかった。

 絆でも何でもない。ただの歪な鎖だ。

 だからこそ彼が選んだのは、孤独な鳥籠の少女。自分とよく似て非なる想いを抱えた娘。

 相手を孤独にする愛と、孤独の中で貫く愛。

 ジャスは、後者に惹かれたのだ。

 彼は既に勘付いているはずだ。リアの心に、自分ではない男の存在を。

 それでも選んだ。命在る少女を愛し、同じ世界で共に生きる道を。

「セレナ、俺は」

「時間がない。だから簡単に言うね」

 言い募るジャスを遮った。これ以上彼の優しさに触れると、必死の努力で堪えている涙が決壊してしまう。最後の瞬間くらい、笑顔で飾りたかった。それくらいの意地は、持ってもいいだろう。

「姫様はアルナさんから委託を受け、あの水晶の番人となった。そうして、他の先祖達のように死ぬこともなく、リアちゃんは二代目“最後の将軍”として認められた」

 母の愛ゆえの、文字通り命懸けの行動は、皮肉にも娘の人生を限りなく理不尽なものとしてしまった。有事の際は国力として死ぬことさえ義務となる。時に軍人より酷な扱いを受けることもあるだろう。

「そこで問題になってくるのは、初代“最後の将軍”ステラ・フィール・ラフィマギルさんの遺言」

「え?」

 首を傾げるうち思い至ったジャスが頓狂な声を上げる。セレナは頷いた。

「そう。“蒼天歌劇団”が受け取った。それで、遺言の内容は、“もし自分と同じ存在が現れたら、本人が望んだらでいいから、どうか一人の人間として生きることを助けてほしい”だった。あの人たちは、この時代を待っていたんだよ」

「?」

「彼女は偉大な女帝。加えて、あんな異能まで持っていて、誰も彼女の人格を認めなかったんだよ。だから、せめて自分の子孫には同じ想いをさせたくなくて、言葉を残した」

「つまり俺が“レリアル・ウルフラーナ”個人に興味を持たなくても、ルフィスさん達は“二代目”の存在を知った時点で動き出すつもりだったって事か?」

「そう。私が視たのは、その未来だったの」

 生きていても選ばれる事はない。ならば、死して彼の中に残ろうと思ったのだ。 

「でも、やっぱりヘンだ」

「え?」

 今の説明で何か補足事項が? と首を傾げるセレナは次の瞬間、雷鳴の如き衝撃を受けた。

「俺がリアを好きになるのが、まぁ個人的に面白くはないけど、確定事項だったとする。でも、それでなんであんたがそんな選択をするに至るんだ?」

「……」

 ここまで鈍いといっそ天晴れだ。天然記念物と称してもいいだろう。セレナは愕然とする。

 別れの日、ジャスは今よりもっと幼かった。純真無垢ゆえ理解できないのは無理ないことだと思っていたが、どうも生来の体質らしい。

「お、女心は複雑なの」

「はぁ?」

 もう黙ってくれと半ば本気で頭を抱えたくなるセレナに、更なる追撃が下る。

「恋人に女友達がいたって、リアは気にするような奴じゃない。いや、別に付き合ってるような関係でもないけど。まさか俺があんたを蔑ろにすると思って、拗ねてあんなことしたんじゃないよな?」

「違うよ! ていうか、もう黙って!」

 真っ赤になって喚くセレナに、ジャスも負けじと返す。

「なんでだ。大事な話だろ」

「そんなだからリアちゃんに見向きもされないんだよ! この脈ナシ100%王子っ」

「黙るのはあんただ!」

「嫌だよ! ジャスが黙ってくれるまで苛めちゃうんだから」

「自覚あるならやめろ! 年下イジめてカッコ悪いぞ」

「あ!? 女の子に向かって年齢を武器に使うなんて最低の所業だね! リアちゃんに言いつけちゃうんだから」

「そんな事まで出来んのかよ!?」

「できないよ」

「騙された!?」

「うん。本当は出来るんだけどね」

「もっと嘘吐きじゃねぇかよ!!」

 まるで幼い日に戻ったかのように言い争う二人。口論のうち懐かしさが込み上げ、やがて馬鹿馬鹿しくなって笑い始めた。

「あー、もう。何の話だったっけ」

「ジャスが脱線させるからだよー」

「また俺!?」

「……ほら、もう時間がなくなってきた」

 不意にセレナが寂寥を含んだ声で告げる。

 今度こそ来る、本当の別れ。

「手短に言うよ。ジャス、リアちゃんと一緒にいたいなら、覚悟した方がいい」

「何を」

「逃げないことを」

 口を開こうとするジャスを制し、セレナは巫女の宣託のように続ける。

「これから、よくないことが起きる。私の力で、そう視えた。リアちゃんもジャスも巻き込まれる。二人とも、知りたくなかった真実にぶつかって、壊れてしまうかもしれない。だけど、そうなってほしくないから、助けられると思ったから、私は、こうなる事を望んだ」

 あの頃は、ジャスを助けられたらそれで良かった。リアはあくまで「私がジャスに与える幸福の一部」でしかなかったが、今は。

 二人を守りたい。そう思う。

「ジャスは自分の“運命の星”を知ってる?」

「……知ってるよ。不吉だって母親がヒステリックに嘆いてたから。確か“星の遺言”だったと思う」

「やっぱり」

 セレナは爪を噛みかけ、すぐやめた。これはリアの体だ。

 この場合【星】とは【王】の意味を持つ。確かに、王子として生まれた彼には祝福されない運命だ。

 そしてアルナリアの記憶を手繰ったところ、リアは【片翼の天使】の運命を持っているらしい。

【星の遺言】と【片翼の天使】。どちらも神秘的といえば聞こえはいいが、未来の端を垣間見たセレナは呻いた。

「上手くすれば、私が視た未来を変えられるかもしれない。でも、失敗したら、負けてしまったら」

“それ”が、彼らにとって幸福となるか不幸かは、正直わからない。

 だけど――――。


『なんでこんなことするの……?』

『リアのことが好きだからだよ』

『あたしはもう、あなたの傍にはいられない』


 あんな事には、なってほしくはないから。

「ジャスは強く在って。泣くのは、全てが終わってからにして」

「……俺が泣くようなことが起きるのか?」

「これ以上は言えないよ。何がどう影響するか分からないし」

「そうか」

 セレナの頑固さは身を以って知っている。こんな風に宣言するのなら、その決意は鋼よりも強固なものだろう。ジャスは嘆息した。

 そんな想い人を見て、セレナは胸を押さえた。

(ごめんなさい)

 どうしても言えなかった。彼は優しすぎるから。誰かを愛しすぎるから。

 あなたが家族のように大切に思っている仲間が、命を落とす。

 そんな未来を、どう伝えればいいのだろう。 




 雲が晴れ、月が夜天を照らす頃。

 セレナはにっこりと微笑んだ。

「さて。そろそろリアちゃんに体を返すよ」

「……」

「泣きそうな顔しないの」

 ぺチッと頬を優しく叩く。小さな子供にするように。

「姫様も仰ってたけど、アルナさんの事情は私からリアちゃんに伝えておく。だから安心して」

「ん」

 ジャスは目を伏せた。泣くな、と必死に言い聞かせる。

「よろしく、頼む」

「うん。任せて」

 頷きあう二人を、物言わぬ月だけが見守っていた。

「元気でね、ジャス」

「うん」

 情けない顔だと、ジャスは自分でも思う。

 俯く彼にセレナは胸が痛んだ。自分が犯した罪は、今も少年の心を蝕んでいる。

(そうだ)

 自分への冥土の土産と、そしてジャスの表情を覆す方法があった。

(リアちゃん、ごめんね)

 内心で軽く詫び、そして――――唇を、ジャスの頬へと押し当てた。



 + + + +



 氷の世界に生まれ、空は闇に閉ざされた日々だった。

 求め続けた。

 そうして、ようやく得たはずの優しい温もりも、自分のせいで消えてしまった。

 兵器のくせに、人並みの幸せなんていう高望みをするから、一番大切な【彼】は命を落としてしまったのだ。

(あたしは)

 諦めなければならなかった。憎い皇太子と父を道ずれに命を絶つ。それこそが悲願だったのに。

 いつのまにか、大切なものが増えていた。

 出会って、共に旅をして。ランティスやリーシャとも引き合わせてくれて、この楽園へと導いてくれた。

(駄目だよ)

 これはいけない感情だ。認めてはいけない。

 これ以上、裏切るわけにはいかない。

 でも、何が正しいのかも分からない。

(ジャス)

 あなたならどうする?

 虚空に尋ねれば、脳裏にきょとんとした少年の顔が浮かぶ。

『やりたいようにすりゃいいじゃん』

(そうよね。こういう奴よね)

 この唐変木に一体なにを期待していたのか自分。落ち着け。


「リアちゃん!!」


 半ばやさぐれるリアに、明るい声がかけられた。

「セレナさん。ジャスとは話せましたか?」

「セレナでいいよ。うん、いっぱい話せた。ふふふふ」

「?」

 自分の体でセレナが何をやらかしたか知らないリアは首を傾げたが、やがて思考を放棄した。わからないものは仕様がない。

「もう、いいんですか?」

「大満足だよ。ありがとうね」

「いえ」

「本当に。もっと早く逢いたかったな」

 柔らかく微笑むリアに頷くセレナの体は、ほぼ透けている。

 彼女も逝くのか。初対面に等しい相手に寂しさを覚えるリアに、セレナはゆっくりと手を伸ばす。

「リアちゃん。手を」

「?」

「伝えたいことがある。だから、ちょっとだけ、手を」

 握手を求められているのだろうか?

 不思議に思いながら断る理由は皆無なので、リアは差し出された手を握った。

 半透明の手は意外にも、柔らかくて温かい。そう感じた瞬間だった。

「え?」

 怒涛のように流れてくる感情に、リアの意識は飲み込まれていく。

「目が覚めたら、ジャスによろしくね!」

 セレナの両の手に包まれ、感じる。

(なに、これ!?)



+ + + +



 ジャスは青褪めていた。

 傍らには気絶しているリアがいる。セレナが口付けた瞬間に消えたのだろう。

 別れを惜しむ間も満足に与えてくれなかった友人への反発より、今のやりとりがリアの記憶に残っていないか心配だ。下手すれば骨をへし折られるかもしれない。

 嬉しくなかったといえば嘘になるが、彼女の性格を考慮すれば胃が縮む思いだ。

(殺されるかも)

 頬へのキスは挨拶の定番だが、社交的とは言いがたい育ち方をしたリアにそんな言い訳は通じないだろう。

 どうか何も覚えていませんように。それだけを念じ続ける少年の真横で、少女が身じろぎした。

 もう少し寝ててくれたほうが精神的に楽だが、確認の為にも話すべきだと理解している。

 ジャスは少し躊躇い、その肩を揺すった。

「起きろ、リア」

「……ジャス?」

 今度こそ、リアの声だった。幼い響きに凛々しさを混ぜた、少女の声。

「大丈夫か?」

 そう労うように問うた瞬間、少女の頭が顎に突っ込んできた。

「いっ!?」

 幸い舌は噛まずに済んだが、打撃は相当なものだった。

(やっぱり覚えて、る……?)

 硬直するジャスだったが、やがて違うと気付いた。

 彼女は縋りつくように、胸に顔を埋めてくる。短い逡巡の末、抱きしめる。

 腕の中から嗚咽が漏れてくるのは、もう間もなくのことだった。



 リアはジャスの胸に顔を埋め、啜り泣く。

 愛されたから孤独だった。

 でも知らなかった。

 だからいつも泣いていた。

「セレナさんと手を繋いだら……か、母様の」

「うん」

 彼女も知ったのだ。察しのついたジャスは少女の髪を撫でた。慰めにも励ましにも感じられる仕草に、リアは涙が止まらない。

「知らなかったの」

「誰も、だろ。あんたの親父さんだって知らなかったんじゃないか?」

「それは、わかんないけど……でもっ」

 自分はなんと親不孝な娘だろう。

 セレナから流れ込んできた怒涛のような感情の波。圧倒されるしかなかったそれは、母が娘を想う果てない愛情だった。

 これほどまでに愛されていた。それなのに。

「あたし母様のお墓参り、行ったこともなかったのよ! き、嫌われてたから、絶対に母様も、ご不快だろうって。周りも否定しなくて、でも」

 行けばよかった。たとえ母の想いに気付けなくても、言えばよかったのだ。

 愛しています。ただ一言だけでも。

「せっかく命を頂いたのに、そうしてくれた方に、何も返せなかった……!」

「誰だってそうだろ」

 年頃の娘とは思えない泣き面を、ジャスは醜いとは感じない。寧ろ綺麗で、愛しいと思った。

「誰だって、失くしてから気付くことの方が多いんだ。苦しめていたかも知れない事も、守られていた事、愛されていた事も」

「じゃすも……」

「うん。他にも色々?」

 呂律が崩壊したらしい少女に冗談めかした笑みを向け、ゆったりと続ける。

「俺はリアと似てる。排斥される一族の特徴を全部もって生まれたから、両親や臣下に冷遇されてきた。それでも、このチュニアールに来れたから、そう悪いもんでもなかったし」

 それに、と何でもないように彼は言う。

「今回のことで、ちょっと希望が持てたよ。少なくとも俺の容姿を見る前の妊娠中は、きっと愛されてたんだろうって思えるようになった」

「ほんとに?」

 ジャスには何かを与えられてばかりのリアにとって、今の言葉は救いだった。もしかしたらそれも理解した上で言ってくれているのかもしれない。

「本当。……あんな風に、命がけで子供を愛し続ける親もいるんだって、ちょっと嬉しかった」

「……うん」

 あなたが嬉しいのならあたしも嬉しい。抱きしめてくれる腕の中、ぼんやりとそう思った。

「ほかにも、いろいろって?」

「いや、セレナのことだよ。……あれからずっと傍にいてくれてたなんて、思ってもなかった」

「そう、だね」

 リアは再び少年の胸に顔を埋め、あくまで平静を装って尋ねる。

「初恋だったの?」

「?」

「その、セレナさんのこと」

「ああ、そういう話か」

 嫌な女だと、自分でも思う。こんなにも優しい二人の絆を邪推するなんて最低だ。

 でも、気になる。認めたくはないけれど、ものすごく。

 そんな複雑な女心に悩むリアの変化には何故か気付かない鈍感王子は、いかにも呑気に首を傾げた。

「多分、違うと思う。どっちかって言うと、友達だけど姉弟に近い感じだった」

「そう、……そっか」

「?」

 何故か安堵の表情を浮かべる少女に疑問を抱くも、色々あって混乱してるんだろうと自己完結してしまう少年は、限りなく恋愛に不向きな性質をしているのかもしれなかった。

「落ち着いたか?」

「う、うん。ありがと」

 今更ながら胡坐の上、そして腕の中という己の在る場所にリアは赤面した。はしたない。

(でも)

 心地いい。何故か安心する。

 ずっと包まれていたい、そんな風に思ったところで、ようやく我に返った。

「莫迦!」

「は?」

 つい声に出してしまい、ジャスの呆れたような視線が向けられた。

「い、いや、独り言なんだけど! ジャスのことじゃなくてっ」

「あ……そう?」

 内心ホッとするジャスは、先ほどのセレナの置き土産が少女の記憶に残っていない事に感謝した。寿命を繋いだ気分である。

「じゃ、そろそろ寝ろ。明日は念の為に医者な。案内するから」

「いいよ、そんなの」

「あ?」

 真紅の一睨みを浴び、リアはついビクッとした。なんだかんだで、やっぱり迫力がある。

「わ、分かった。お願いします」

 腰を低くして感謝するリアだったが、ここが深夜の自室だと数分後には爆発するのだった。



 物言わぬ月が、秘され続けた母の愛を思い出させて、また少し泣いた。














レイラ・ジアル

(42歳/女/雀斑顔の肝っ玉母さん/3月22日)

誕生花はホワイトレースフラワー  花言葉【可憐な心】

・シンルーの育て親。未亡人。

・くすんだ金髪を緩く結い上げている。チュニアール国内における全孤児院の最高責任者。

・義理の弟に夫と子供を殺されている。


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