女王の城
謁見の前に、ジャスから自室で用事があるとから少しの間だけ待っていてくれないかと言われ、リアは回廊の突き当たりにあるテラスで景色を眺めることにした。
自分に与えられた部屋の位置を確認し、回廊に出る。宮殿などには慣れているリアだったが、母国で馴染んだその場所には大抵ろくな思い出がないため、この城独特の空気は不思議と心地よかった。まるで生まれる前からここで暮らしていたかのような、そんな錯覚さえ覚えてしまう。
「リアさん」
呼ばれ、振り向く。そこには平凡を絵に描いたような眼鏡の少年がいた。
「えっと、ラド?」
「はい。……さっきは、すみませんでした。二人そろって態度が悪くて」
「大丈夫。慣れてるし」
リアは肩を竦めた。寧ろ、リア自身に向けられてもいない嫌悪など、痛くも痒くもない。嫉妬や憎悪を毎日のように浴びて育ったのだから。「貴族だから」なんて曖昧な理由で侮蔑されようが、彼女の心には何ひとつ響きはしないのだ。麻痺しきったそれは氷のように冷たく、誰にも触れることを許さない。ただ一人その権利を持つ青年は、既にもう亡い。
「セブンのことなんですけど」
「ああ、さっきの?」
褐色の肌が印象的だったもう一人の少年を思い出す。
「彼がどうかしたの? あ、別にほんと大丈夫だからね」
少しも堪えていないらしい貴族令嬢に、ラディはふと不思議な気持ちになった。
あの時の【飼い主】が彼女だったなら、自分もセブンも何か変わっていただろうか?
「ラド?」
「いえ。そういえば、どこに行くんですか?」
「すぐそこのテラス。ジャスが遠くには行くなって」
「失礼とは思うんですけど」
「うん?」
ラドは思い切って訊いてみた。彼女がこの城に来ると知らされた頃から、皆がひそかに噂していることを。
「ジャスとは、恋人か何かで?」
「違います」
即答。冷ややかに切り捨てられ、ラドは少し驚いた。しかも急に敬語。逆鱗に触れてしまったのだろうか。
「えーと、じゃあ他に恋人は?」
「……大切な人はいるわ」
何にも代えがたい特別なひと。
一方、ラドはその横顔に息を呑む。ジャスじゃないんですよね、とは聞けなかった。
(ジャスどんまーい)
少なくとも、周囲はそう解釈していた。ジャスが自分から異性に興味を持つなどついぞないことであり、酒場では「未来のトロナイル王妃かぁ?」などと揶揄されている。実際、そうなっても不思議ではない身分の娘でもある。
「おーい、リア……と、ラド?」
その時、テラスにジャスが顔を出した。旅装束を改め、組織から配給された制服を身につけている。女王に謁見するということで、渋々クローゼットから引っ張り出してきたようだ。
「なんか意外だな。あんたらが仲良くなるとか」
ラドは一抹の同情を持って長身の王子を見上げた。
(可哀想に)
ラディは一目見てすぐ分かった。おそらく付き合いの長いランティスも気付いただろう。下手すればリーシャさえ勘付いているかもしれない。なのに何故わからないのか本人。自覚しろよ。
「ジャス」
「ん」
「……やっぱいいや。ルフィスさんに会うんでしょ」
「そうそう。リア、悪い。待たせたな」
「気にしてないわ」
軽く答える少女の表情はやや硬い。特殊な国の女王に謁見するのだと緊張しているようだが、男二人からすればそんなもの意味がない。どうせ彼らの女王は酒樽抱えて飲んだくれているに違いないのだ。実際ジャスとしても今回の謁見は、酔っ払いに昼間から飲酒するなと注意しに行く程度のものである。
「あんま、緊張すんなよ? 肩透かし食らうから、多分」
「緊張するだけ無駄ですからね?」
「え? ええ」
二人して力説され、リアはやや押され気味に頷いたのだった。
案内された部屋で、リアは絶句した。何これ。
(散らかりすぎにも程があるでしょ)
何気なしに視線を泳がせると、長椅子の上に何故か女物の下着が放置されていた。しかも上下で柄や色が違うし。ていうか、ここ執務室じゃなかったっけ?
「な? 緊張しただけ無駄だったろ」
「……」
礼儀としてウンとは言わないが、イイエそんなことないワとも言えなかった。だってほんとに汚い。男も出入りする部屋にあんなもの放置しておくなんて。
「どんな方なの?」
だいぶぐったりした様子で見上げてくるリアに、ジャスは心のままに答えた。
「この部屋がそれを如実に表してる」
年中酒樽といちゃついてるものぐさ女王。ああ、なるほど、よくわかった。
その時。
「あー、ごめんごめん、お待たせ!!」
呼び出しておいて遅刻したチュニアール女王陛下が、ようやく二人の前に現れたのだ。
扉を開く瞬間、背後に恋人を従えながら、女王は思った。
あのジャスが、自分から仲間に招きたいと言い出した女の子。
どんな子なんだろうか。口に出さないだけで皆が気にしていた。そして感謝もしていた。
固く閉ざされた彼の世界の、唯一の扉。
ようやく、その鍵を見つけたのかもしれない。
ひとりぼっちだった黒い翼の王子様。
光の中に導いてくれる可能性を、少しでも秘めているのなら。
まだ見ぬ相手にこれほど期待するのは、自分の長すぎる人生でも初めてかもしれないと、ルフィスは小さく苦笑した。
「初めまして、レリアル・ウルフラーナさん。私がこのチュニアールを治める女王ルフィシャーズ・ディープゼ・ラフィエメリヤです。よろしくね」
明るい調子で微笑みかけてきたのは、とても綺麗な女性だった。どこか心地よい宵の空を思わせる藍の瞳は、光の加減でサファイアのような輝きがある。緩やかに波打つ栗色の髪は丁寧に巻かれたもので、より女性らしく華やかな印象を受ける。
年の頃は二十代後半に見え、ジャスたちの話から少なくとも四十代後半ぐらいだろうと予想していたリアは唖然とした。帝国にほったらかして来た継母チゼータよりも年下に見える。ランティスよりやや上というほどの若々しい美貌だった。
「リア、落ち着け。あれぞまさしく若作りの典型例だ……痛っ」
ぼぞりと耳打ちしてきたジャスが女王から拳骨を頂戴して悲鳴を上げる。ギョッと身を引くリアに、女王はスターサファイアのような双眸を優しげに細め、ジャスを殴った手を差し出してきた。
握手を求められているのに気付き、リアはようやく我に返った。慌てて手を出し、挨拶する。
「は、初めまして。レリアル・ウルフラーナと申します。この度は……」
「わかってるわ。ずっと会いたかったのよ、リア。ようこそ、私の国へ。ウチの子が強引に話を進めたみたいだし、そもそも誰も迷惑だなんて思っちゃいないんだから、今日からここは貴女の帰る場所で、私たちは家族よ。気兼ねなんかしないでいいの。ああ、そうそう。私のことは遠慮なくルフィスさんって呼んでね? もしくはお姉さんで」
「え、えっと」
怒涛の勢いで話す女王に圧されるリアのやや後ろで、
「姉さんって歳かよ」
ジャスがまた余計な事を言った。
言った瞬間、ジャスが投げ飛ばされたのは言うまでもない。
「緊張して損しただろー?」
「ええ。誰かのおかげで」
ルフィスは夜の歓迎会に出る前に片付けねばならない書類が山ほどあるというので、早々に退出した。また後でゆっくり沢山お喋りしましょうねーと笑顔で見送ってくれた女王は去り際、意味深な言葉を囁いた。
『楽園の扉を開く鍵、ね』
『は?』
『楽園というのは、自分が自分でいられる幸福な日常や世界のこと。でも辿り着くのは難しいのよ。ようやくその扉を見つけても、それはその人が抱える問題や葛藤であったりするの。それを解決しなければ、望む場所へは行けないの』
『?』
『貴女の鍵は、もう見つかった?』
自分が抱える後悔や葛藤を乗り越えるだけの力は、その源となり得るものは、見つけられたのか、と。
(見透かされてるって感じ)
それでも、何故か不思議と不快感がないのだ。心地よくさえ感じられる慈愛の眼差し。
「リア? どした?」
「べ、別に」
ただ、無意識に傍らの少年を連想していたことが腹立たしく、リアは八つ当たりに隣国の王子を蹴っ飛ばした。
しばらく二人で城を案内がてら探索していると、癖のある茶髪の少年――実年齢はジャスと同じく青年と称してもおかしくないように見えたが、幼さが抜けきらない雰囲気からどこか年下のような印象さえ受ける――が声をかけてきた。
「ジャスおかえりー」
「ただいまー……って、リオン。何その荷物」
リオンと呼ばれた少年は辟易したように溜め息をついて答える。
「パシリ。マギーに賭けで負けた」
「あー」
安易に理解できたのか、ジャスは苦笑いをした。
あの筋肉料理長は賭博好きで、若い世代はよく泣かされる。数少ない対抗策といえば――
「だから、そのうちレイラさんに愚痴言いに行こうかと」
「やってやれ。ザマーミロあのハゲ頭」
孤児院の院長レイラ・ジアルは国内でも「肝っ玉母さん」と有名な女傑で、あのハゲが恐れる女性の一人である。
「で、ジャス。そっちの子が噂の?」
「どんな噂か知りたくもねーけど。そう、コイツだよ。レリアル・ウルフラーナ。リアが愛称」
何でお前が本人みたいに紹介するんだよ呆れながら、リオンはリアに会釈した。
「よろしくねーリア。僕のことはリオンって呼んで」
「あ、うん」
ジャスと親しげな様子にリアは安心したように微笑む。リオンもにこやかに返す。
「なんだかこの馬鹿王子とウチの幼馴染が迷惑かけたみたいで。本当ごめんね?」
幼馴染? 瞬くリアにジャスが答える。
「ランティスの事。もう一人の奴も合わせたこの三人は、ここに来る前からの仲間なんだ」
近年は倦怠期気味だけど。心の中でジャスは意地悪く言い添えた。
食堂に案内され、宴まで雑談して過ごす事にした二人は紅茶を注文した。
「ランティスって“ラジェーテ”出身なの?」
「そう。あの三人は同じ女に師事してて知己なんだと。まぁ、俺も昔のことはよく知らない。断片的なことをちょっと聞いただけ」
ランティスは、ジャスがここに預けられるより前にルフィスが連れてきたらしい。【ラジェーテ】が壊滅して、行き場のなくなった彼を迎え入れ、他の二人であるリオンとサーシェスも探し出した――。
そこまで考え、リアは首を傾げた。
記憶が正しければ、【ラジェーテ】を討ったのは――。
「“星空の宴”だな」
「ちょっと待って。しかも“ラジェーテ”が荒らし回ってた国って確か」
「そーそ。お前の伯父さんが治めてる帝国の横のトロナイルとかゆー国で」
「“とかゆー”じゃないわよ! あんたそこの出身でしかも次期国王じゃないのっ」
リアはいよいよ混乱を極めた。
「え? じゃ、つまり何?」
「つまりここは当時の敵も仲良く暮らす愉快な国だ」
「はぁ」
確かにジャスやランティス達は当時まだ幼い子供だったようだが、それでも捕虜ではなくあくまで彼らを自国の民として扱うルフィスに、リアは感銘を受けた。もしかしたら、子供たちの居場所を奪った罪悪感から来る行動の可能性もあるが、後ろめたさを感じながらも見て見ぬフリをして彼らを切り捨てる選択も、ルフィスには当然あったはずだ。
「だから“チュニアール”なのね」
古き世に滅んだ国の言葉。その意味は【理想郷】。
「気に入ったか?」
ジャスが冗談めかすように、笑みを含んだ声で問うた。
「ええ。とっても」
まだ国の一部分を見たにしか過ぎないが、居心地の良さは実家より格段に上だ。信頼できる人間――ジャスやランティス、リーシャの存在も大きいのだろう。特にリーシャは初めて出来た同性の友人で、今のリアは彼女と過ごせる時間をとても大切にしていた。
「そういえば、ルフィスさん“ラフィ”って仰ったわね。もしかして、正統なエメリヤの血を引いてるの?」
紀元前に栄華を誇った幻の楽園。そして、一夜にして滅んだ謎の国。いつしか架空のものとされたエメリヤ王国と、それを築きあげたシェラフル民族。たとえ実在したとしても、その血は遥か太古に途絶えているだろうとされてきた。
「正解。俺も詳しいことは知らないけど、聞いた話じゃ“聖王女”の末裔らしい」
リアが息をのんだ。
「“聖王女”?」
「本人も名乗ったろ。“ラフィエメリヤ”だ」
その言葉の意味は【エメリヤ王家の娘】。シェラフルの血を引いているだけでも驚きなのに、ましてや王族の血が今日まで続いているとは思ってもみなかった。
すると、ジャスは怪訝な顔をした。
「あんただって相当に毛色のいいお嬢さまなんだろ? そんな萎縮すんなよ。俺からすりゃ女神の末裔のが恐れ多いし」
そういう割に初対面の頃から遠慮がないのは何故だろうか。そもそも彼のいう【女神】であるリアの先祖たる女将軍はその優れた武勇を神の如しと讃えられ、そのように大仰な敬称がつけられただけで、元は人間の娘だったと聞いている。もちろん、実在していたらの話だが。因みに末裔とされるリアは半信半疑であり、自身に異能が無ければ鼻で笑ったことだろう。
「あんただってそうじゃないの」
久しく忘れていた立場を思い出し、暗鬱な気持ちを払拭しようと、敢えて意地悪く言ってやった。
先進国トロナイルの未来を担う王子。現国王に並々ならない程の便宜を図られ、こうして強大な庇護の下に暮らしている。
「あー」
しかし、返ってきたのはいかにも気の無い生返事だった。そういえばそうだったな。あまりにも他人事のように相槌を打つので、リアはつい隣国の未来を憂いた。
(大丈夫かしら、トロナイル王国)
とはいえ、皇族の身で国を抜け出た自分が偉そうな口は叩けないと戒める。そう、彼から気概を感じられずとも、トロナイルの民でもなければ同等の立場でもないリアに、ジャスを非難する権利はないのだ。
自分で身勝手に捨てて、ここまで来た。
不意に、自分を慕ってくれた皇女の笑顔が蘇る。
あの優しさを切り捨てた。挨拶さえもなく。それだけが唯一の心残りだった。
それでも、後悔はしない。
今ここにいるのは、生まれて初めてリア自身で選んだ道だった。
「じゃ、そろそろ行くか」
「どこに?」
「屋上。天文広場なんだけど、実際は殆ど宴に使われてる」
ジャスの案内で、壮麗な宮城の中央、巨大な白亜の塔をリアは目指し歩いた。その屋上で歓迎会が催されるからだ。
「でも、いいの? 新入りなのに手伝いもしないなんて」
「主賓が手伝う方がおかしいだろ」
ジャスはやや呆れた。リアはその高貴な身分に反して腰が低すぎる。宴の準備など、普通の貴族令嬢は下々の務めだと気にも留めまい。
強気に振舞っているが、実際の所は気弱なのかもしれない。それも、彼女の過去を思えば当然の事だった。
実の母に拒絶され、さしたる愛情も受けずに死別した。この生母アルナリアは表向き病死とされているが、当時から服毒死が密かに囁かれていたのは有名な話だ。それこそ、十年以上も経過してからジャスが軽く調べただけであっさり耳に入る程。
問題は、その発信源が公爵家だという事。リアの実家だ。公爵本人は頑として「病死」を貫いたが、屋敷の者達から噂が漏れていた。曰く「奥様は娘に殺された」「あの娘さえ生まれなければ」等が挙げられる。
つまり、最初で最後の覚悟で望んだ出産が公爵家の跡取りにはなれない女児であったことを苦に自殺した、というのだ。遺書があった訳ではないらしいが、それが周囲の見解だった。
その噂が流布し始めたのは、リアが五歳前後の頃。
当時の事をジャスは知らない。彼も国内外を盥回しにされていたのだ。隣国の令嬢など知る由も無い。
大人達は公爵には同情したが、彼の目の届かないところで娘のリアをひどく侮辱したと聞く。そんな情報が十年以上の歳月が経過してもすぐに手元に入ること自体おかしいのだ。
そして、そんな無責任で下世話な連中が、リアを気遣い母の死に纏わる噂を彼女の周辺で控えた可能性は一一。
(かなり低いよなぁ)
自分も両親の愛情は皆無だったが、周囲には優しい人々が沢山いた。ジャスを【預かり者】ではなく実の子のように接してくれる里親的存在のルフィスやウォル、兄役のランティス、鬱陶しいがクリフもいた。友人としてイリヤもいたし、素晴らしい仲間を持ったと胸を張って言える。
それに、【あの二人】も。
片や、自分をここに導いてくれた恩人にして恐怖の対象。
片や、赤眼に臆さない初の友人にして後悔と悲哀の象徴。
前者について、実は気付いたことがある。
(みんな優しすぎる)
揃いも揃って、ジャスを水辺から――海から遠ざけようとしているのだ。極めつけは、イーヴァ自らジャス達を出迎えに来たことだ。海を統べる一族の彼が、直に現れた理由。
導き出される答えは一つ。――【あの人】の封印が解けた。
イーヴァは恐らく、【彼女】を牽制する為だけに足を運んだ。ジャスと――差し当たってはリアを守る為に。
ジャスは思わず耳飾に手をやった。変わらぬ真珠の感触に、安堵と苦さが胸に広がる。
(セレナ)
同じ轍は踏みたくない。リアを連れてきたのは、決して苦しませたり、死なせたかったからではないのだ。
「ジャス?」
「え……」
見ると不安げな鳶色の眼差しが、そこにはあった。
「どうしたの、顔色が悪いわ」
「あー……、ごめん」
強くなりたかった。自分の問題に他人を、――リアを巻き込みたくない。そんな風に悶々と【あの人】のことばかりを考えていると、いつの間にか顔面蒼白になっていたらしい。小柄な彼女が心配そうに覗き込んできた。
「大丈夫なの? 真っ青よ」
「平気だよ」
微笑んだが、リアは納得していない様子だったが。
「リア! ジャスっ」
リアが何かを言うより早く、明るい声が二人を呼んだ。
「リーシャ! ……と、確か」
「ディディ」
因みにランティスはというと、案の定リーシャの傍から引き離され宴の準備に派遣されている。当分ディディがリーシャを独り占めするのが目に見えて、ジャスは思わず同情から苦笑した。
ディディはリアの前まで来ると、恭しく一礼した。
「先ほどはご挨拶もなく失礼しました。私、ディディアンといいます。リーシャ様のご友人のレリアル様ですよね。どうかディディとお呼び下さいませ」
リアは面食らった。こんなお嬢様扱いは久々で、調子が狂ってしまう。
「よろしくね、ディディ。あたしのことはリアって呼んで」
「はい、リア様」
「ええっと」
助けを求めてジャスを振り仰ぐと、彼も苦笑していた。
「ディディ。リアは確かに身分は高いけど、堅いのは好きじゃないんだ。妙な気遣いはやめてやれ」
「でも……」
「リーシャからも言われなかったか?」
ディディの隣で、リーシャも頷いた。尊崇の目が重かったらしい。
「そうですよ、ディディ。出来れば私の事も呼び捨てに――」
「分かりました。リーシャ様の仰せに従い、失礼ながら敬称を省いてお呼びします。お赦し下さい」
リーシャの引きつった笑顔を、この時ジャスとリアは始めて見た。
「リアさんは公爵家の姫君だと伺いましたので、もっと怖い人を想像していたんです。お優しそうな方で安心しました」
屋上へと上がる昇降機の中、ディディがはにかむように言った。
貴族=高飛車という方程式は、庶民の間では広く浸透している。しかもリアは由緒ある公爵家の令嬢で現皇帝の姪にあたり、萎縮するなというのが無理な話だった。
「そんな風に畏まらないで。自分で言うのもなんだけど、あたし自体はただの小娘なんだから」
聞いていたジャスは吹き出した。それなら大国の王子である自分もただの若造で、神仙の土地とされたアイモダ最後の巫女姫であり竜神の血を引くリーシャも、やはりただの小娘になる。
けれども、その物言いは存外気分のいいものだった。見れば、リーシャも小さく微笑している。
リアはいつもそうだった。相手の立場や肩書きも理解した上で、しかし無意識に自分の正面にいる【個人】を捉えている。彼女の参入に難色を示していたラドも、そのことに気付いたのだろう。でなければあの屁理屈屋があんな殊勝な態度はとらない。特にセブンも含めたあの二人は、過去のある一件から貴族階級に並々ならない嫌悪を抱いている。リアの飾らない態度は、生い立ち故の偏見を持つ彼らにも良い変化を齎すかもしれない。
(まーセブンは難しいだろうけど)
単純な分、セブンはラドより融通がきかない。リアの性質を理解した上で、更に彼女を拒絶しそうである。おそらく彼は認めたくないだろう。貴族は悪。それこそが彼の真実だ。
何よりも――――
「何ですか?」
視線を感じたらしく、ディディが振り向いた。ジャスは苦笑する。
「いや、何も」
「? そうですか」
ディディは顔をリアに向け、何事か質問をした。仲良く談笑している彼女は、セブンにとって無視できない存在だ。
(ディディと仲良くなってることに腹立てそうだな)
意中の娘と気に食わない相手が親しくしているところなど、見ていて気分のいいものではない。
まあでも、とジャスは思い直した。
(それが周知の事実になってんのに気付いてないのがどこまでも笑える奴だよな)
心の中でさり気なくひどい事を考えたとき、昇降機が停止した。
【星の塔】と呼ばれるそこは、足元を照らすフッドライト以外は自然の光が頼りだった。四方を囲う大窓。
昇降機は屋上の手前の階で止まった。ここから先は螺旋階段を使って上階を目指すのだ。
大きな天窓。その真下――螺旋階段に覆われるようにして聳えるそれを見て、リアとリーシャは目を丸くした。
「これは……」
「槍? ううん、違う……」
美しい青みを帯びた水晶の像があった。よくよく見れば中心に桜のような樹がある――ように感じた。
(あれ?)
リアは目を凝らした。しかし、桜は残像も残さず消えていた。
(え、何かしら、今の……?)
首を傾げるリアの横で、ジャスが像の正体を明かした。
「エメリヤ時代の魔法剣らしい。今とはだいぶ形が違うからわかりにくいけど」
「へぇ」
呆然と相槌を打ち、不意に桜が脳裏を掠めた。もしやと思い尋ねる。
「ねぇ、エメリヤの国花ってもしかして桜?」
「国樹ではあるからあながち間違いじゃないけど……誰に聞いたんだ? 俺、そこまで説明した?」
「今、あの像の中に……」
「へ? どこ?」
ジャスは階段を登るのを一時やめ、その場で見飽きたほどの像を改めて注視した。目を凝らす。
「悪い、全く見えない」
「そうなの。一瞬で消えて……」
ふと、ジャスはリアを見た。
「もしかして疲れが溜まって変なもん見えるようになったんじゃないのか?」
「え……」
普段なら腹を立てるリアだが、実際に見たのは一瞬で、しかも長旅の疲労も否めない。強気に反論できなかった。
「そうなのかしら」
「俺が子供の頃からあるけど、桜なんか見えたことないし、そんな話も聞いたことない」
「うーん」
唸りながら、これは埒のあかない疑問であると理解し、リアはジャスを促し階段を登り始めた。その途中でいくつか質問をする。
「じゃ、エメリヤの国花は?」
「蘭。特に尊ばれるのは鈴蘭。ルフィスさんのお気に入り」
「そうなの?」
数ある花の中でも鈴蘭は特に好ましいと感じていたリアは、仲間を見つけた気分で顔を輝かせた。鈴蘭はいつ見ても可憐だと思う。幼い頃は誕生花が紫蘭であると知り、鈴蘭でないことに拗ねた事もある。紫蘭も素敵だけれど。
「小さいところが可愛いわよね」
「花が好きなのか?」
ジャスが意外そうに尋ねる。リアはムッとした。
「別に普通よ。ただ見てると和むだけ」
「へー」
それを世間一般では好きというのではないだろうか。軽く呆れた時、屋上の扉に辿り着いた。
「お、到着だな」
ジャスが躊躇いなく、その扉を開いた。
ルフィシャーズ・ディープゼ・ラフィエメリヤ
(年齢不詳/女/茶の巻き髪にスターサファイアの瞳/6月1日生)
誕生花は紫陽花 花言葉【あなたは美しいが冷淡だ】
・通称【ルフィス】
・チュニアール君主にして【星空の宴】総帥。
・おどけた態度で明るく振舞っているが、色々と複雑な事情を抱えている。
・もう一つの誕生花は深紅の薔薇で【あなたの幸福を祈る】だが、自分には勿体ないと感じている。
・かつて一人の男を深く愛しすぎた事から大罪を犯した。
ウォル・ケイド・ヴィータ
(年齢不詳/男/影の薄い剣豪/12月12日生)
誕生花はニワトコ 花言葉【哀れみ】
・ルフィスの恋人兼【星空の宴】の副長。
・陰の薄さが何よりの特徴で、大概の場合は背景として認識される。
・武道に通じた戦士。
・チュニアールにおける第二の実力者であり、【蒼天歌劇団】の代表。
・かつてルフィスに喉を潰され声が掠れている。
マギー・ラトナ
(39歳/男/厨房のハゲ頭/9月3日生)
誕生花はサルビア 花言葉【永遠にあなたのもの】
通称【ハゲ】
・城の料理長。元は鍛冶職人だった。
・レイラに好意を抱いている。
・賭博の達人だが、恋愛の運はなかったようだ。
・名前は出るが台詞はないかもしれない。




