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鳥籠姫と黒い翼の魔法使い  作者: 飛翔生姜
第二章 楽園の扉を開く鍵
19/118

理想郷へ     







 彼――イア・スプランの元にその情報が入ったのは、春先のことだった。

「ラミア!」

「あ。おはよー我が弟よ」

「行方不明ってどういうことだ!!」

「いきなり何それ。誰の話?」

「最近巷で一番有名な公爵令嬢だよ!!」

「へっ? ああ、ルトレイさんだ」

「違うストレイだ。クラス替えで数年口きいてないクラスメートみたいな間違いするな」

 イアは義理の姉――話の流れでそういう事になった赤の他人の娘――ラミアナ・スプランに噛み付く勢いで尋ねた。

「安否は? 他に情報とか来てないのか?」

「うるっさいわねぇ」

 ラミアは気だるそうに、血色の赤毛を掻き揚げた。首筋から薔薇のコロンが甘い香りを漂わせる。

「知らないわよ。政略結婚が嫌で逃げたんじゃない? 駆け落ちの十二や十三、してもおかしくない年頃でしょ」

「人生すべてをかけてもそんだけ駆け落ちする女はいないと思うけどな」

 ぞんざいな対応に苛立ちながらも、自分の持つ情報を整理する。

 現皇帝を伯父に持つ公爵令嬢レリアル・ウルフラーナ・ストレイが、皇太子との婚約披露宴から一週間も経たないうちに姿を消した。巷では駆け落ちではないかと囁かれ、皇太子は拭いがたい泥をぬられた結果になったのだ。同情はしないが、まあ大した赤っ恥である。

 そして――――


『公爵令嬢が消える数日前から、不審な男の目撃情報多数』


(あと、気になるのは……)


 アルポロメ公国との国境にある教会から、巫女姫が誘拐された話だ。普通で考えればもっと騒ぎになる内容だが、皇族に連なる娘の行方不明で有耶無耶になっているようだ。



『神殿の巫女姫が誘拐され、その実行犯は黒髪の少年と白金の髪の少女、赤毛の青年』

(まさかな)

【白金の髪と赤眼の少女】に【赤毛の青年】がやたらと気に掛かる。

 もし、“そう”だとしたら。

 ……一人で路頭に迷っている可能性を考えれば、まだマシなのかもしれない。

 イアはそれきり、まるで祈るように目を閉じた。

 神なんて物心つく頃から信じた例もないが、それでも願わずにはいられなかった。









 アルポロメ公国北部の町。

 その青年は、話を聞き終えるなり、柳眉を潜めた。

「それ、嘘じゃないのか?」

「ほんとっスよぉ。なんでオイラが嘘なんか」

「わかった。もういい」

 情報さえ手に入れば後は用なしだ。

 だから黙って、青年は情報屋の男を気絶させる。

 途端、背後から恋人の女性が声をかけてきた。

「どうだった?」

「微妙。……でも」

「うん。分かってるよ。トロナイルは後回しで行こう。わたしも、その人に会ってみたいし」

「……悪い、ありがとう」

 青年のぎこちない表情に、女性は微笑む。

「わたしはどこまでもあなたのお供するからね、紅夜」


 その運命が交わるのは、まだ先の話。









 独立国チュニアール。

 その日、サーシェス・ユリットは自分の幼馴染とその義弟が【お土産】付で帰還する旨を【星空の宴】首領であり、この国の主でもあるルフィス女王に伝えるべく、彼女の執務室を目指していた。

(神殿の巫女姫に帝国の公爵令嬢って……本当に大物なんだか馬鹿なんだか)

 分かるのは、彼らが見事な【似た者兄弟】であるという事だ。

 そもそもランティスは、神殿の不穏な動きを探ってこいという任務であったはずだ。それが何故【お土産】。ジャスにしてもおかしい。皇太子の婚約披露宴に出席しておいて、その花嫁をかっぱらって来るだろうか、普通は。

 闇色の瞳を物憂げに伏せ、溜息をつくサーシェスだが次の瞬間、勢いよく振り向いた。瞳と同色の髪が揺れる。

 そこには、一人の少年が立っていた。ジャスと同じく青年と称してもおかしくない年齢ながら、所作や言動などからどうしても幼く感じられる、もう一人の幼馴染。


「おはよう、サーシャ」

「私の名前は“サーシェス”です、リオンさん」


 これはもう決まり文句のようなもので、他の組員たちも彼ら二人の間にある微妙な距離感を知っている。

 リオン・ラーヴァ。ランティスも含めた自分達三人は、かつてある組織から共に逃げ出し、そして逃げ延びた数少ない生き残りだった。

 互いに命を救われたことは一度や二度ではなく、同じ女性に師事していた間柄だが、サーシェスとリオンはあまり仲がよくない。というか、サーシェスがリオンを疎ましく思っているというのが周囲の見解だった。

 サーシェスは夜の瞳で淡い茶髪の少年を睨んだ。

「なんの御用ですか?」

「女王陛下に少し確認したいことがあってね、個人的に」

「個人的に?」

 反応してから、しまったとサーシェスは己の迂闊さを呪った。食いついてしまっては、彼の術中から逃げにくくなる。

 しかし、リオンはそんな気がないようだった。寧ろ気鬱げで、余裕がないような表情をしている。

 彼にしては非常に珍しい様子だった。基本的に彼はお気楽な性分で、いつも胡散臭く笑っているのに。

「イーヴァさんから連絡があって、さ」

「え……」

 サーシェスは嫌な胸騒ぎを覚えた。まさか。

「あの人が……起きたのですか?」

 リオンが目を伏せる。それが答えだった。サーシェスは俯く。よりにもよって、ジャスが帰ってくる時に。

【あの人】が昔、何をやったか彼らは正確ではないにしろ察している。当時は彼らも幼かったが、あの頃のジャスを思い出すのは第三者でもつらい。

 恨みはしない、と寂しげに笑った赤眼の王子。俺のせいだから。そう言っていつしか他人との間に見えない壁を築いていった。おそらくは無意識に。

「ジャスは知らないで帰って来るだろうからさ…ルフィスさんに指示を仰ごうかなって。一応あいつ、陛下の庇護対象だし」

「そう、ですね」

 サーシェスは束の間、目を伏せた。運命の鎖で雁字搦めになってしまった孤独な黒翼。

「そういやあの馬鹿兄弟、いつ頃帰って来るの?」

 サーシェスは押し黙った。通信士の任を負う彼女に訊くのは当然のことだが、正直あまり良いことではない気がして口が重くなる。

 リオンも察した。いやしかし、ちょっと待て。間が悪いにも程があるだろあの王子。

「まさか、今日だとか言わないよね?」

「言いません」

 沈んだ声でも、それは立派な否定だった。リオンは安堵の息をつく。そんな少年の前で、サーシェスは自分の顔色が青くなるのを感じつつ、答えた。

「明日です」

 リオンは若葉色の目を見開き、持っていた書類をうっかり落とした。

「マジで?」

「こんな悪趣味な冗談を言うほど曲がった根性はしていません」

 しゃがみ込んで床に広がった書類を拾ってくれる彼女に、リオンは急いで倣った。

「ジャスティスさんも不安ですが、それ以上に心配なのは」

「え?」

「彼がその、どうも女性を連れ帰るようで」

「はぁ!?」

 リオンは思わず大声を上げた。それでは本当に、あの時の繰り返しになってしまう。

「大丈夫なの? それ・・・・今度は人間が相手なんでしょ?」

 あの時は相手が特殊だったから、種族内で上手く処理され、公にもされなかった。が、それが人間の少女となると――。

「急いでルフィスさんの所に行きましょう。新しい仲間を拒む訳にはいきません。けれど危険なことになりかねない。早急に対策を考えないと」

「うん」

【あの人】は、ジャスと自分以上に親密な関係を築いた女を赦さない。あの時は彼女自身不安定だったような気がするが、時間が経った今だからと楽観してはならない。

『俺が・・・・俺のせいで、死なせたんだ』

 少年の呟く声が脳裏に蘇り心が、にぶく痛んだ。

 そして、ジャスたちの期間は3カ月後に延期された。









 瞬く間に時は過ぎ、3ヶ月後。

「もう夏なんですねっ」

「そうねぇ」

 少女二人はのんびり体を伸ばした。質の悪い馬車の中で、しかしその表情は晴れやかだ。

「でも残念です。私も皆さんのお役に立ちたかったのに」

「いや、龍が空を飛んでたら逆に目立って動きづらいから」

 中に入ってきたジャスが苦笑混じりに言った。その通りだったので、リアも曖昧に笑うしかできない。

 一行は陸路で現在トロナイルを通過し、更に隣のガストロイヤ国も抜け、ここリトレイズ国で船に乗る予定だった。

 リトレイズ共和国。

 海運業で拡大した貿易国家で、国内屈指の港ホリブは世界的にも有名だ。元はガストロイヤの一部だったが独立し、海賊と裏取引しているのが公然の秘密となっている。

(それにしても)

 出逢ったのが冬の終わりだというのに、汽車など公共の交通機関を徹底的に避けた為、目的地につくまでに季節は夏を迎えていた。その間にリアは十八歳、リーシャは十九歳になった、が。

『私、連れ去られてから体が歳をとってないみたいなんです』

 実年齢は親子ほど離れていると語るリーシャに、ランティスは苦笑するだけだった。あまり気にはとめていないらしい。愛があれば歳の差なんて、というところだろうか。

「にしても変だよな。普段なら召還魔法で一発なのに」

 通信士のサーシェスに確認したら、珍しく妙に慌てて

『ソフィアさんが体調を崩していて魔法が使えそうにないのです』

 召還魔法を担当するソフィアが倒れたなら仕方ないか、と四人は気長に旅を続けたが、今になって思えばおかしな話だ。首領ルフィスも召還魔法は使えるはずだし、他にも似たような魔法を使える者は大勢いるのだ。

 これではまるで、何かの時間稼ぎのような気がしてならない。今の時期は人魚祭りが近いので人手は多いほうがいい筈だが。

(人魚祭りか)

【あの人】を思い出して、背筋が冷えた。

 やっぱり、あの夜の悪夢が忘れられない。

「おーい、もうすぐ港町だ。準備して」

 ランティスが外から声をかけてきた。馬車はここで用なしとなるので、安く売り飛ばすらしい。

 窓から顔を出したリアは驚いた。まだ遠く、ずっと下の方だが――。

「海だ」

 生まれて初めて見る、本物の海があった。





 宿にはランティスとリーシャが残り、ジャスとリア(と姿は見えないがクリフ)は町を探索しに出掛けた。おそらく好奇心旺盛なリアの為に彼は付き合ってくれているのだろう。ジャスはそういう人だと、これまでの経験で知っていた。

 リトレイズ国屈指の港町・ホリブ。ここで彼らが乗る船は正規の船ではなく海賊船だ。

 それを聞いた時、リアは何の冗談かと思った。なんで海賊?

「一般の船じゃ結界に阻まれてチュニアールに接近できない。この海域の海賊とは盟約を結んでるから、連中は俺達の本拠地にも許可さえ取れれば入れる。今回はわざわざ送ってくれるらしい」

「海賊って、親切なのね?」

 暗にどういう裏があるのかを探るリアに苦笑し、ジャスは声を潜めた。

「海賊に扮したトロナイルの海兵だよ」

「はい?」

「どっかの馬鹿王が息子の護衛につけたんだ」

「か、海軍を?」

「そう。それでどうせなら効率よく使おうと、ルフィスさんが海賊に仕立て上げた。国境守備兵代わりになるって、それはもう喜んで。トロナイルが勝手につけたもんだから、人件費もかからないし」

 なんだろう。話を聞くたび、まだ見ぬルフィスという女性が分からなくなってくる。一体どんな女王なのか。

「もちろん本物の海賊もいるけど、さっき言った通り。盟約がある。それにウチには“海の一族”って呼ばれる特殊な種族もいて、奴らはこの海域の海賊たちにとって神に等しい存在らしい」

「なるほど」

 いかに凶悪な海の猛者たちも、神様のお仲間に手荒なことはできまい。

(それにしても)

 出会いが二月の終わり、今が六月の始まり。春の間共に過ごしたが、この短い期間でリアは今まで知らなかった多くのものを見聞できた。癪だが、あのとき誘ってくれたジャスには感謝している。

「あ、リア!」

「え?」

 あれこれ考えていたリアは、路地から飛び出てきた女性と思いきりぶつかった。

「いっ………た」

 派手に転んだのは相手の女性だけで、リアはジャスに支えられて少しよろめいただけで済んだ。

「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」

 慌てて顔を覗き込む。リアは絶句した。女性は息を呑むほど美しい顔をしていたのだ。

 しかし更に驚いたのが女性の反応だった。

 リア達に会釈をしかけ、ふと自分の頬に触れ叫んだのだ。

「いぃいいぃやぁああっ!」

「「え!?」」

 突然の悲鳴に目を剥く二人に背を向け、女性は猛然と走り出した。何故かその麗しい顔を隠すように俯いて、手で覆いながら。

 あれではまたすぐ別の誰かに激突するのではないかと頭の隅で思いながら、彼らは呆然と奇妙な美女を見送った。

「あれ?」

 リアの足元に、女性の物と思しき鍵が落ちていた。

「………」

 どうしよう。

 ジャスとリアは途方に暮れて鍵を見つめた。





「で、持ち帰ったと」

「だって他にどうすればいいのよ」

 取りあえず落し物を持ち帰り、ランティスに相談した。呆れ顔にムッとなるリアだが、最善の選択かは我ながら微妙なので食い下がりはしなかった。

「いや、というより」

 ランティスは自分の懐から宿の部屋鍵を取り出し、落し物と並べた。

「ここの宿の鍵じゃないのか?」

 言われて見ると、確かに意匠や掘り込まれている宿の名は同じだった。つまりランティスが呆れたのは、自分の寝床も満足に覚えていないリアとジャスの注意不足だということか。確かに気づかなかったのは間抜けな阿呆こそが為せる業と言わざるを得ない。

(くっ、屈辱)

 旅に出るまで、自分がこれほど抜け作だとは思わなかった。そして、そうやって知らない自分に気づきながら、新しいものを見つけられる喜びと、広がる【世界】に感動を覚えた。

「じゃあ、フロントに預ければいいのね」

「それが無難だな。俺ちょっと行ってくる」

「あ、待って。あたしも行く」

 ジャスの後を慌てて追うリアを見送り、ランティスは苦笑した。

 自由な空を羽ばたくことの喜びを知った鳥は、もう小さな雛には戻れない。決して振り返ることなく、風と共に旅に出て往く。

「ランティスさん?」

「いや」

 怪訝な様子で顔を覗きこんでくるリーシャの髪は、綺麗に肩口で切り揃えられている。少し癖のある淡い金の毛先がくるりと内側に跳ねていた。

「リーシャ」

「はい?」

「今、楽しい?」

 金髪の少女はきょとんとしたが、やがて花のように笑った。

「はい、とっても。私、今すごく幸せです」

「そっか。……そっか、よかった」

 安堵に言葉を繰り返す。

『キミの命を、オレに預けてくれないか?』

 彼女に、選ぶ余地などないと分かっていた。それなのにあざとく、自分の手を取るよう仕向けたと自覚のあるランティスにとって、その笑顔はひどく優しいものだった。

「向こうに着いたら、アイモダ出身者にも会えるから」

「ありがとうございます。……ですが」

 海より淡く空より深い、不思議な色の碧眼に懸念が浮かんだ。ランティスは苦笑する。

「うん。ジャスのこと、だよな」

 ランティスは前もってサーシェスから、ジャスに傷を与えた【あの人】の覚醒を報告されていた。リーシャも細かいことは知らないが、ジャスにとって良くない事態が起こりうると、心のどこかで感じているのだ。

(あのクソ女)

 基本的に紳士なランティスだが、あの妄執女だけは例外だ。

(あの時、殺しておくべきだったか)

 考えて、頭を振る。そうなれば、下手すれば海賊たちまでも敵に回しかねない。【星空の宴】にも強烈な打撃になるだろう。

 だが、それでも思う。あいつさえいなければ。

 ジャスの不安定な心は確かに幼少期からのものだったが、それは少しずつ克服してゆける筈だった。【星空の宴】の仲間や、チュニアールで暮らす人々の輪の中で、少しずつ。

 セレナという少女とも打ち解け世界も広がり、多くの価値観に触れた彼は間違いなく、トロナイルの王太子として恥ずかしくない若君だった。

 なのに。

『ランティス……っ』

 泣きながら縋ってきた小さな手の冷たさが、忘れられない。




 フロントに鍵を預けた二人が再び部屋へ戻ろうと階段に差し掛かったところで、一人の青年が彼らを呼び止めた。

「すいませーん」

「はい?」

 答えたのはジャスだ。リアはその間に相手をちらりと観察する。生まれてこの方、狭い世界の限られた人間としか触れ合ってこなかった彼女にとっては、すれ違う他人さえ価値がある。

 まだ少年らしさの残る男は、ジャスの実年齢よりやや上の二十歳そこそこと見えた。ジャスは自覚がないその妖艶さから、十代の少年にはあまり見てもらえない。本人は「老け顔」と密かに気にしており、子供の頃には某ナルシストな駄目男から虐められたりもした。目の前の男の歳相応の容姿は、ジャスにとって素直に羨ましい。

「鍵、拾ってくれてありがとう」

「あー」

 あの女性の知人か。

「大した事じゃないから」

「いや本当に。旅の人?」

「ああ、明日から東大陸へ」

 もちろん嘘である。実際は地図に載らない島国だ。

「そうか。海賊には気をつけて」

「……」

 まさかその海賊船に乗るとは口が裂けても言えない。

「そっちも旅の途中? ……えっと」

「セト」

「俺はジャス。このチビはリア」

 チビですって? 睨んでくるリアを余裕の笑みで迎え撃つジャス。そんな様子を見て、セトは尋ねた。

「恋人?」

「せめて血の繋がらない兄妹と言って下さい」

 リアが凄く無理な事を要求した。

「あんたの恋人は、さっき鍵落とした人?」

 意趣返しに訊くジャスに、セトは苦笑する。彼女の恋人は自分ではなくもう一人の方だ。

「いや。おれの恋人は行方不明でね、仲間と一緒に彼女を探す旅の途中なんだ」







 

(あたしは、幸せなのかもしれない)

 セトと名乗る青年と別れた後、ジャスの横を歩きながらリアは思った。

 狂おしいほどに焦がれた相手。リアはもう逢えないと理解してしまっているが、セトの恋人は生死すら不明のまま。手掛かりも確証もなく世界中を捜し巡る彼は、リアの胸にここしばらく忘れていた鈍い痛みを思い出させた。

(あたしは……)

 ちらりと傍らの少年を見上げる。

(あんなに、強くはなれない)

 サズを想いながら、現在の仲間兼友人とはいえ、男の手を取った。箱庭で空への恋歌を捧げ想い続ける日々から逃げ出した。

 そして、迷いはしても後悔はしていない自分がここにいるのだ。

 これは第三の裏切りだ。リアは俯く。

(サズ)

 あの眩しい金髪と、静かな夜を思わせるアメジストの紫眼が、ひどく懐かしく――そして、遥か遠い過去の存在になりつつあるのを、心の端で感じていた。









 独立国チュニアール城下町。

 ベーカリーカフェ【リコリス】の看板娘ミナは、頬の筋肉が痙攣するのを抑えることができなかった。ここが店でなければ。そして目の前の性悪男がお客様でなかったら。

「ねぇ、何お客にガンつけてんのさ」

「つけとりません。てか何ですのん、この忙しい時期に」

 ミナはやや訛った口調で返した。店先での敬語は完璧にこなすが、この嫌味な陰険野郎にはそんな価値など見当たらない。

「うっわ、ひどいね。お客様は神様でしょ」

「あんたの場合はただの疫病神にしかなりません」

 疎ましげな一瞥に男は肩を竦めた。

「ほんっと、肝が据わったねぇ。まあいいや、待ち合わせ相手も来たし」

「え……え!?」

「ミナ、うるさいよ……あれ?」

 ミナは通りの向こうから歩いてくる女性を見て呟く。

「イリヤ」

「なにさ」

 ようやく名を呼ばれた男は内心で大いに喜んだが、しかし待ち人のことも気になった。

「あれ、サーシェスさんやんな?」

「うん。でも」

 二人の前に現れたのは女王の側近の一人、サーシェス・ユリットその人である。だが、彼らを驚かせたのはそこではなく――

「髪が……」

「えらく思い切ったね」

 昨日も顔を合わせているイリヤは本気で驚いた。つい昨日まで、彼女の美しい黒絹の髪は腰まで長く伸び、後頭部でポニーテールに纏められていたのだ。が。

 今のサーシェスの髪は顎の辺りで切り揃えられていた。これはこれで彼女の細く整った輪郭を際立たせていて魅力的だが、長年の付き合いの中、彼女は髪型を変えることはしなかった。一体どんな心境の変化だろうか。

 サーシェスは小首を傾げた。

「似合いませんか?」

「え? いえ、スゴイ素敵ですよ」

「うん、驚くほど似合ってる」

 そうですか、特に感慨もなく返すサーシェスの髪を見て、不意にミナは気づくことがあった。

「まさか、取引したんですか」

「ええ」

 サーシェスは澄まし顔でさらりと答えた。

「来週にはジャスティスさんたちが戻ります。新人歓迎の祝宴が行われる間くらい、大人しくしていただかないと」

 ミナは恥じ入るように俯いた。【あの人】と同じ血を引く身として、謝罪を口にする。

「ごめんなさい、サーシェスさん」

【あの人】は今やジャス以外に興味がない。そんな相手を説き伏せるためサーシェスは大切に伸ばしていた長い黒髪を差し出したのだ。本来なら同じ一族であるミナがすべきだったのに。

「ごめんなさい」

 様子を見ていたイリヤは内心で舌打ちした。……あの魔女め。さっさとくたばればいいものを。

「謝っていただくことは何もありません。私が勝手にやったのですから、寧ろ出すぎた真似をして申し訳ありませんでした」

「そんなことっ!」

「はいはいはい、そーこーまーでー」

 放置すれば日が暮れるまで謝罪合戦が繰り返されそうだ。イリヤはげんなりする。

「来週って言ったか。迎えの使者は?」

「これから見繕いますが、おそらくディディアンさんはご本人たっての希望もありますので決定でしょう」

「じゃあ、あの三人組か。大丈夫なの? あいつらって……」

 イリヤの言わんとすることを正確に読み取り、ミナも不安になった。

「ジャスが連れてくるのって、確か帝国の大貴族じゃ……」

「そうですが?」

「ディディは故郷の巫女姫に逢えるって喜んでるし、ラドも馬鹿じゃないけど、セブンはどうだか」

 セブン・ボナクという褐色の肌を持つあの少年は、身分の高い相手をひどく嫌う傾向がある。【星空の宴】の中でもやや特殊ではあるが古参の部類に入るジャスのことさえ、「王族出身のいけ好かない男」と嫌っているのだ。それを帝国の姫君の出迎えに向かわせるのは得策ではない気がした。

「ディディアンさんとラディールさんが上手く御してくれます。向こうにはランティスもいます」

 サーシェスの声に絶対の信頼が滲む。その力強さに「なら大丈夫か」とイリヤとミナは納得した。


 









補足




ガストロイヤ連邦

・トロナイルの更に東。35の小国が犇く山岳地帯。

・元は民族国家だったが、近隣諸国の勢いに飲まれ併合の危機を経験した。

・トロナイルの後ろ盾を得て連邦として独立するが、まだまだ発展途上。


リトレイズ共和国

・海運業で拡大した貿易国家。

・国内屈指の港ホリブは世界的にも有名。

・元はガストロイヤの一部だったが独立した。

・海賊と裏取引している。




セティード・オーウェン・ラルス

(23歳/男/剣士/8月14日生)

誕生花はアンモビウム  花言葉【不変の誓い】

通称【セト】

・世界を巡る旅の剣士。

・数年前にはぐれた恋人を捜し続けている。

・リトレイズの出身。国立仕官学校を主席で卒業した。

・キーアとジャックの無意識な相思相愛ぶりに辟易している。

・最近は二人を引っ付けようと密かに奮闘して頑張っているらしい。




キーア・マフロイナ

(21歳/女/透明人間/10月12日生)

誕生花はテッポウユリ  花言葉【純潔】

・誰もが息を呑むほど麗しい美貌の持ち主だが、極度の恥ずかしがり屋でいつも俯いている。

・対人恐怖症の気があり、動揺すると頭が真っ白になるらしい。

・最近では自身に魔法を施して姿を消すのが癖になっている。

・以前は墓守として帝国西部の森で暮らしていた。

・引き篭もり予備軍。



ジャック・ロマノフ

(25歳/男/魔術師/6月3日生)

誕生花はスイカズラ  花言葉【友愛】

・セトの相棒で魔術師。陽気なムードメーカー的存在。

・いつもローブを纏っているので見た目には分からないが、それなりに筋肉質。

・山でクマを狩っている時セトと遭遇し、紆余曲折を経て旅の仲間となった。

・ちなみに彼に対するセトの第一印象は【変人】【莫迦】【胡散臭い奴】。

・一族揃って祖国を追放され、物心つく頃には既に一箇所に留まらない生活を送っていた。

・無精ひげや古びたローブ姿から、実年齢より上に見られやすい。

・最大で38歳と間違えられたことがある。






サーシェス・ユリット

(20歳/女/月下の歌姫/1月26日生)

誕生花はマーガレット  花言葉【心に秘めた愛】

・黒髪黒目を持った東洋系の容姿をした娘。

・ランティスやリオンとは幼馴染で、彼ら同様【ラジェーテ】に所属していた。

・稀少価値の高い魔法【メロディア】を継承している。

・最近“女性しか扱えないとされていた【メロディア】を操る男”の情報を密かに集めている。

・何か思う所があるらしく、曰く「恩師と繋がりのある人物かもしれない」との事。




リオン・ラーヴァ

(19歳/男/茶髪緑眼/10月23日生)

誕生花はレインリリー  花言葉【純白の愛】

・ジャスと親しい少年。サーシェスと何故か「サーシャ」と呼ぶ。

・くせのある茶髪。「もじゃもじゃ」と言われると怒る天パ君。

・小奇麗な容姿の為お洒落に見えるが、本人はコンプレックスらしい。

・サーシェスを好きだと公言して憚らないが、その言動には奇妙な矛盾がある。

・ピアスが多い。



イリヤス・ジルハーツ

(18歳/男/フェニミスト/1月5日生)

誕生花はホワイトスター  花言葉【信じあう心】

通称【イリヤ】

・チュニアール建国以来続く名門ジルハーツ家の直系で長男。

・爽やかな外見に反して中身は黒く、女性の守備範囲は広いが心は狭いという、完璧に見えて問題のありすぎる性格をしている。

・ミナとの関係は見ていてじれったくなる不器用さ。

・好きな相手にはちょっかいを掛けすぎてしまう幼稚な面もあり、密かにジャスの「恋愛音痴王子」の対として「恋愛下手王子」と呼ばれている。



ミーナ・リコリス

(17歳/女/オレンジ髪に夏空の碧眼/9月9日生)

誕生花はスプレーマム  花言葉【逆境も平気】

通称【ミナ】

・パン工房リコリスの看板娘。

・モデルのように伸びやかな肢体と華やかな容姿、それでいて飾らない性格をしているので、常連客の人気も高い。

・黒いバンダナをカチューシャにしているが、元はイリヤのもの。

・彼とは顔を合わせる度に喧嘩しており、曰く「いまさら素直になんてなれるわけがない」らしい。

・言葉に訛りがある(播州弁イメージ)。

・人魚と人間の混血。

・胸が小さいのを気にしている。

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