眠れる魔女の真実
翌朝、ジャスは陽も上りきらぬうちから身支度を整え、父王の宮殿へ向かった。朝議の前であり、あくまでも私的な用件であるため、謁見という形にはしないようにと父からのお達しだった。
(眠気を通り越して頭が痛い)
口うるさいレイチェルの手前、ベッドに横たわりはしたものの、結局殆ど眠ることは出来なかった。連日の出来事に気分が高ぶっているからで、その時またロージャを置き去りにしたことを思い出したが、疲労の溜まった体を起こす気概はなく、そのまま朝を迎えた。
「なんで父親に会うだけでこんなに飾りが要るんだか」
肩が凝って仕方がないと辟易しながら、ジャスは背後を振り返る。
「俺と来ていいのか?」
「は」
立ち止まり頭を垂れて答えるのは、専属護衛クリフだ。他に供はおらず、リアやヒルダをはじめとした皆には陽翼宮に待機してもらっているし、ヒースはレイチェルとともに少女たちの護衛をしてくれているので、今はクリフとジャスの二人きりだった。
「本当は妃殿下を探しにいきたいんじゃないのか」
からかっているわけではないし、責めたり疑っているわけでもない。ジャスは真剣に、クリフに問う。
「心配なんだろ?」
クリフは長くジャスの側に仕えてくれているが、もともとジャスの母レメリーの一族を主筋とする武家の男だ。母とは幼い頃からの付き合いがあり、何より明かせぬ想いを抱いているのは、ジャスも薄々勘づいている。
王子の最初の騎士。それは確かに名誉ある役割だ。国王から特別の信頼を受けている証でもある。しかし、栄転とはいっても異国の地に派遣され、部外者からは左遷にしか見えなかっただろうし、当時のジャスは立場があまりに曖昧な王子だった。
それでも側で誠を尽くしてくれたのは、おそらく母レメリーへの想いが大きい。
本当は自分などより、よほど母レメリーを案じているはずのクリフを、このまま彼女の夫である国王の前に供として連れていくのは、やはり憚られる。二人きりの今なら、命じることで彼に束の間の自由を渡せるのではないかと、ジャスは考えていた。
「クリフ・ラドール。貴方の長きに亘る忠勤には、心から感謝と敬意を持っている。俺にできるのはこの程度だが、今からでも本当の主のところへ」
行ってくれ、と最後まで言わせずに、クリフがその場で跪いた。
「かの地にて」
「え?」
赦しを乞うているのだとばかり思うジャスだったが、クリフは全く違うことを言い始める。かの地とは、チュニアールのことだろうか。
「私めが王子殿下にお初にお目通りした日のことを、申し上げたくございます」
「・・・手短にな」
「恐れ入ります。では、無礼を承知で申し上げますと、落胆いたしました」
単刀直入な言葉に、それはそうだろうな、と納得する。クリフが派遣された当時の自分といえば、誰より信頼し慕っていたレティアに犯された挙げ句セレナを死なせてしまったと、かなり精神的に参っていた。いつか儚くなってしまうのではないかと、周囲が心配するほどに。
誇りある騎士にとって、祖国の王子である少年の悲惨な姿は、見苦しいなんて言葉で片付けられるものではなかったはずだ。
だからこそ、父は数多の騎士の中からクリフを選んだ。どんなに無様で醜い王子でも、彼は絶対に裏切らない。決して叶わぬ恋を秘めた想い人の息子なのだから。
「ですが、王子殿下は変わられた」
「うん?」
一瞬、クリフの無表情が僅かに弛んだ気がした。つい目を丸くするジャスに、クリフは続ける。
「悲嘆に暮れ、ご自身の不幸に酔うだけの愚者ではなかった。傷に塗れても立ち上がり、他を慈しむことを、誰に教えられるでもなく知っておられた。ずっと見ておりました。そしていつか願ったのです」
そこで、クリフが言葉を切る。かつてない饒舌ぶりに圧倒されていたジャスは我に返った。ゆっくり胸に溢れてくる温かなものは、間違いなく喜びだと知っている。
ようやくクリフが自分の口で、本音を明かしてくれていることが、嬉しい。
これが最初で最後の機会だと、ぼんやり理解しながら、ジャスは微笑んだ。
「言ってくれ」
本当は、同じく身を屈めて、近い目線で話したい。だけど、それはクリフにとって望まぬことだと、今なら分かる。
自分は彼の主だ。友でも息子でもない。
「いつか、この少年が王として立つのを、この目で見たいと」
「うん」
思いの外、その言葉はあっさりとこぼれ落ちた。
「俺は王になるよ」
あんなに嫌だった。嫌だと思っていた。しかし実際は駄々をこねていただけで、全てを吐き出した今、不思議と穏やかな気持ちで、ジャスは笑った。
「報いたいんだ。みんなに」
ヒルダやコーバッツ男爵夫妻。クラウディアやヴァレンティノア公爵、可愛いシリス。他にもロージャやレイチェル、ヒースだっている。
大切だと言える相手が、この国もこんなに沢山いてくれた。愚かにもそれを忘れ、逃げることばかり考えていたけれど。
「俺は俺だから。王子が俺しかいないからじゃなくて、俺が王子として王位を継ぐことで、みんなの生活を守れるなら、俺は俺として、自らの意思で、王子であることを選択する。国家の象徴を、ただの手段のように扱うのは不敬とは思うけど」
紅夜の言葉が蘇る。そう、自分は自分でしかない。王子というのはジャスの一部で、支配されるものではないと優しい嘘をくれた。
「育ててくれたチュニアールの人たちに、恥をかかせないように。愛国心とか民への慈愛とか、そういうものはやっぱりよくわからないけど、まずは目の前のことから始めたいんだ」
ジャスは本心から笑った。ようやく一歩、進めたと思う。クリフも微笑んでくれたような気がした。
「俺は王になる。お前は俺が握る、最初の剣だ。付いてこい、クリフ・ラドール」
「御意」
それ以上の言葉は、今の二人に必要なかった。
通された部屋はありふれたサロンの一つだった。王族に与えられる宮殿など、どれも造りは似たようなものだ。尤も、この碧明宮は大昔から代々国王が使用していたのだから、後宮があった時代の妾を侍らせる無駄部屋も多いだろう。今は使われていないが、この宮殿の裏には後宮の建物がまだ残っている。便宜上は寝所扱いだが、はっきりいって維持費の無駄だとジャスは呆れていた。即位したら取り壊して財を民に分配したいと思っている。
「来たか」
父は茶を飲みながら言った。思わず立ち尽くす。
こんな砕けた態度を見たのは、この男の息子として生を受けて十八年、いや、もう後数日で十九年になるが、初めてのことだった。なにせ触れ合った記憶などない。いつだって父は遠かった。
「余とて茶ぐらい飲む」
食い入るようなジャスの視線に、父王――ウィリアム・ヴォレッドル・ヴァロリコルゲントは、眉をひそめて言った。相手が王でなくとも無礼な振る舞いだった反省し、ジャスは慌てて拝礼した。背後ではクリフが膝をついた気配がする。
部屋の片隅には父の腹心である騎士が四人いた。そのうち二人は主の背後に控えている。
「王妃の件か」
座れ、と短く命じ、ウィリアムはジャスに椅子への着席を促した。ますます戸惑いながら、ジャスは従う。心のなかは動揺の極みだった。
こんな距離で言葉を交わした記憶などない。いつだって遠くから、目も合わさずに一方的な命令を下してくるのが、ジャスにとっての父だった。
今になって思えば、一度くらい反抗して、睨み付けるくらいはしてやれば良かったかもしれない。父はたった一人の世継ぎの王子を、早々に処分もできない筈だったし、決して短気な暴君でもなかった。嫌われるのを極端に恐れ、すぐに目を伏せていた自分は、王子ではなく臆病なだけの幼子だったのだ。
向き合っていなかったのは自分も同じだ。だからこそ、ここからは違う。変わってみせる。
「それもありますが、まずは我が友ヒルデガルドに対する仕打ちについてお聞かせ願えますか」
母レメリーよりも素性不明の友を案じる発言に、国王は眉を上げた。
「随分と剛胆に聞いてくれる」
「遠慮がちに申し上げても、結局のところ内容は変わりませんので」
心臓がうるさい。口の中に嫌な味が広がる。
本当は今だって、この父が怖い。
「さて、あの娘に対する仕打ちとは。次なる王の側室に召し上げられるのは、女にとって名誉なことだろうに」
不思議がるわけでもなく、嫌味でもなく、ジャスを試すような視線だった。鋭い眼光。厳めしい鷲鼻も相まって、より迫力を増している。
「迎え入れてどうするのです。世間で支持される彼女を王室に加えることで民衆の心を引き寄せようとでも? まさか。そんなことをすれば人心は離れましょう。我々からも、彼女からも」
民に愛される歌姫を取り込む王室にも、その権力に屈したヒルダにも、民は失望するだけだろう。
ふん、とウィリアムは鼻を鳴らした。気だるげに口を開く。
「お前は何が言いたい」
「陛下がそんな事に気づかれぬ筈がございません。ならば他に理由があった」
ジャスは一度、言葉を切る。王は表情を変えず言った。
「続けろ」
唇が震えた気がした。
「彼女ほど私に忠節を尽くす女はいない。彼女には替えの利く偽者の王子を産ませるつもりだったのでは?」
ヒルダなら。そう、考えたくはないが、ヒルダなら。
ジャスとジャスの治世、そしてその子供のためなら、きっと何でもする。してしまえる。身代わりになる子供を産むことさえ、もしかしたら。肝心なところで螺の壊れている彼女は、そんな馬鹿げた役割さえ、主の為ならと背負いかねない。
しかし彼女は頷かなかった。それが何よりの救いだ。
ヒルダは昔ほど盲目ではない。自分で考えた手段でジャスを助けようとしてくれる。それがわかった。
だからといって、欠けがえのない友を道具以下に見られていると知り、目の眩むような怒りはある。ヒルダ本人が一蹴したとしても、中心であるジャスの気は収まらなかった。
「そう怒るな。あの娘の鼻っ柱の強さは剣のそれだ。まったく、いつの間にあのような忠臣を育て上げたのか」
「彼女は友人です」
噛みつく勢いで言う。ウィリアムは信じられないことに、少し笑った。
「あの娘は言っていたぞ。己の玉座はお前の指定席だと」
面白い娘だなと、笑う。
「余は存外あの娘を気に入っている」
「当然です。自慢の友人ですから」
本人には一生かかっても言えそうにないが。
「彼女には、背中を預けたいと思っています」
「ほお。それは? 寄り添えずとも共に生きると?」
なんで色恋の方向に持っていきたがるのだと、ジャスは少し呆れてしまう。ややして、そういえば「恋は人生の至宝」と真顔で語る叔母クラウディアは、目の前の父と同じ腹から生まれたのだったと納得した。
「私は視野の狭い人間です。民への愛着もない。だからこそ、彼女のような歯に衣着せぬ味方に背を預けたい。この赤眼のこともあります。叶うなら、彼女は私を殺せる位置に置いておきたい」
赤い瞳は魔女の児の証。今は魔法で隠していても、人の噂は止められるものではない。迫害されるべきものを王子が持っているのは、認められない。
だが、後ろ暗いものがあるから怯える。ならいっそ公表して、民に是非を問いたいところだ。
それを伝えると、ウィリアムは苦笑した。
「本題は、それか」
「ええ。残念ながら、妃殿下については、あまり関心を持っておりませんので」
「まるで別人だな、昔とは。さて」
ウィリアムが立ち上がった。そのまま愉快げに続ける。
「よろしい。ようやく心を定めたな。ならばお前にも真実をくれてやろう」
「真実、ですか」
ジャスも警戒しながら立ち上がる。
「何のことです。それに、どちらへ?」
「なに、地下に行くだけだ。それとて、ノアリスに知れたら大目玉だが、いつまでも伏せてはおけぬよ」
どういうことだと思いながらウィリアムの後に続く。部屋の隅にいた騎士が壁時計に触れ、暖炉の炎が消えた。
(魔術?)
結界でも張るのかと思ったが、違う。クリフさえ不思議そうな顔をしているのだ。結界に詳しい彼の反応から、何か別の作業だと知れた。
「陛下、なにを?」
「黙って見ておきなさい」
すると王はいまだ熱を放つ暖炉の中に腕を突きだし、指輪で皮膚を裂いた。少量の血が床に落ち、しかし灰を湿らせることなく、奇妙な波紋を描く。
「さあ、ロゼのもとへ」
ウィリアムが放った言葉に、ぞわりと全身が粟立った。
嫌な予感しかしない。しかし、ここで拒否は許されなかった。
狭い暖炉の様子が変わる。
さきほどまで灰が積もっていたはずの床は消え、階段が現れた。
下へ。
「これは」
「いいから来なさい」
ウィリアムが先頭を行き、その次にジャスが続く形になる。クリフはじめ、騎士たちは後ろから付いてきた。
地下に向かっているという階段は恐ろしく長い。しかし、脇には松明が燃えていて、不思議と暗い印象はなかった。これも魔法なのたろうが、もしや父の血に反応しているのだろうか。ならば自分でも同じことができるのかもしれない。
「お前はなぜ自分の目が赤いと思う?」
「・・・申し上げるのも憚られますが、おそらくどこかの時代で、貴族階級に血が混ざっていたのでしょう」
魔女の血。自分と蒼姫を苦しめ、母を狂わせた。
「違うな」
初めて父の声色が変わった。ジャスを馬鹿にしているようであり、罵っているようでもある。どこか恨みがましくも聞こえた。
「では」
「ついたぞ」
見た目より短い階段に驚く。直後に、これが侵入者ならば延々と階段という名の迷路を歩かせる罠だと理解した。
「え」
広がる空間に、唖然とする。
一面の水鏡。見上げる伽藍はこの国の歴史が描かれていた。
そしてその中央にある、棺。
寝台のようにも見える豪奢なそれが棺であると、何故か分かってしまった。
立ち尽くしたのは数秒だ。わざわざ父が自分を連れてきたのだから、要するに誰が眠っているかを見せたいのだろう。死体を拝む趣味はないが、それ以上に頭が痛い。
(俺はここを知っているのか?)
考えるまでもなく、答えは否。ならば、この胸を覆う泥のような気持ちは何なのか。
一度、棺の前で膝をつき、死者に礼をとる。そのまま静かに近づいた。
「・・・女?」
黒い髪と白い肌。蒼いドレスに銀の薔薇の冠。
その華美な装いに反して、その娘の容姿はさほど目立つものではなかった。整ってはいるはずなのに、何かが決定的に足りていない。そこまで考え、それは彼女が死者であるからだと理解した。
「この娘は・・・」
まさか、と思う。そんな筈は。
「ご明察というべきだな。ロゼッタ・リコルゲントという」
瞼を閉じている娘の目の色は確認しようがない。しかし、膝が震えた。
「魔法で復元されたのだ」
「え?」
「元は悲惨な死に様だったそうだ。それを、初代の王が力を尽くし、永遠に腐らぬ人形にしたのだ」
なぜ。そう問いたいのに、言葉がでない。
「このロゼッタは、魔女なんですね?」
「ああ」
「トロナイル建国の際に、初代の王が討ち弊した悪の化身だと」
「そう伝わっているな」
ウィリアムが淡々と答える。ジャスは吐き出しそうになっていた。
ならば何故この娘は、まるで王の最愛の寵妃のような盛装をして眠っているのか。
「あ、の」
「もう分かっただろう!」
ウィリアムが皮肉げに笑った。
「簡単なことだ。魔女が国を乱したぞ、決して許すな、その同胞らも皆殺しにしろ! そう叫んだ王は、魔女の虜だったのだ。魔女との間に子を作り、それが我が王室の起源となった!」
目眩がした。つまり。
「たった一人の女のために、罪のない民へ矛先をむけたのですか」
「そこが今一番の問題なのか?」
違うだろう。そう父が言って嘲笑う。
「我らリコルゲントの姓を持つ者。代々トロナイルを治めし我らこそが、この国で迫害されている“魔女の児”の真の血統なのだ」
ジャスは絶句した。
いや、予想はできたはずだ。クルスなどは自分を大層、誰かと重ねていた。大昔の誰かと。
ただ、ジャスが考えるのを拒否していた結果だ。
「これが、真実なのですか」
呻くように問えば、ウィリアムは緩く首を振る。
「事実は捻れに捻れた。あれを見よ」
促され、ジャスは伽藍を見上げた。トロナイルの歴史。あれは初代国王の物語だ。
だが、ふいにある箇所で目が止まった。
ちょっと待て。
なんであの姿が、この国のこんな所に描かれている?
「あれは、“最後の将軍”では」
「その通りだ」
蒼い翼と蒼い炎。白金の髪と真紅の瞳。勇ましい女神が伽藍には描かれている。あれはリアではない。そんなことはわかっている。きっと初代にして先代の、帝国建国の祖とされる女帝。
「なぜ隣国の者がこの国に? そんな史実は見たことも聞いたこともありません!」
「言ったであろう。捻れに捻れたと」
ウィリアムが何かを言いかけた瞬間だった。
「ぎゃあああああああ!」
件の“最後の将軍”が描かれている伽藍が、まるで落とし穴のように開き、中から見知った少女が降ってきた。ウィリアムは目を開いて絶句している。さすがに騎士らは冷静で王族たちを守ろうとしたが、ジャスは既にその輪から飛び出していた。
「なにやってるんだ、リア!」
降ってきた彼女を慌てて受け止める。すると、今度は上から「よけてー」と実に呑気な声が聞こえた。思わず【翼】を発動させて後退すると、直後に黒髪の娘が二人、更には金髪の男が降ってくる。
腕の中にいるリア、そして後から来たヒルダ、蒼姫、紅夜を順繰りに見つめ、ジャスは言った。
「・・・なにがどうなってる?」
衝撃の余韻に浸る間もなく訪れた珍客に、ジャスの視線は冷ややかだ。
「待って。これには事情があるの!」
腕の中でリアが叫ぶ。
そして始まったのは、確かに面倒な話だった。
話は少し遡る。




