選ばなかった恋だから
「まずは四年前、あたしの許嫁が不審死した件から話そうと思う」
ランティス、アラン、リオン、セト、そしてジャスとヒルダ。
サロンに集まった面子の中にセトがいるのに戸惑わなかったわけではない。すぐには思い出せず、ジャスに耳打ちされて、それでようやく港町で出会った青年だと認識できた。あの時の連れの女性はどうしたのだろうと思いながら、軽い挨拶を終えて、さっさと本題に入る。
ヒルダをしきりに意識しているリオンも気にはなったが、正直リア自身も今は余裕がない。ヒルダ本人が無関心を装っているのもあり、仲介しようとは思えなかった。
「・・・サズのことか?」
口を開いたのはランティスだった。予想していた反応に、リアは頷く。
「ええ、ランティス。貴方がサズの友人だとは知らなかったけれど」
嫌味のつもりはなく、素直な感想だった。しかしランティスの表情には陰が落ちる。
「すまない。・・・見殺しにしたも同然だと、罵ってくれて構わない。あいつから、どうも周囲がきな臭いとは知らされていたんだ。だが、平民で、しかも元は殺しで生きていた奴がのこのこと、皇族の娘を許嫁にしたあいつのところへ、行くわけにはと。あいつは身分なんかに拘る奴じゃなかったのに、オレが下らないことを気にしたばかりに」
ランティスが途中で言葉を切った。語尾が震えて聞こえたのは、きっと気のせいではない。
リアは努めて平静な声を意識した。
「謝罪には及ばないわ」
その途端、ランティスは勢いよく立ち上がった。椅子が倒れたことにも気づいていない彼は、叫ぶように言った。
「だが、オレは! あいつが死んだとき、呑気にチュニアールにいたんだ。あの平和な国で、普通に暮らしていた。あいつはオレに色んなものをくれた恩人だったのに、危ない目に遭うかもしれないと知っていて、助けにも行かなかった!」
自責の言葉ばかりだった。自分を呪う声。
懐かしい、と思う。
ジャスが鳥籠を開けてくれるまで、自分も狭い世界で、ずっと同じ怨嗟を叫んでいた。生き残った己が何より許せなかった。
「やめて、ランティス」
強く優しい人間なりたい。
せめて、近くにいる人間の苦しみに、気づけるような誰かになりたいと思った。ランティスとは親しく交流していたのに、今この瞬間まで、彼がリアに対してこれほど負い目を感じているなんて、知りもしなかったから。こんな身近で、自分のために苦しんでいる人がいるのに、気づけずに。
他にも、知らずに通りすぎてしまったことが、きっとたくさんある。母のこともそうだった。いつだって、自分は過ちを犯してから真実を知る。そんな愚かさが心底嫌だと思った。
だから、変わりたい。
「サズは生きているわ」
男性陣の視線が一斉に突き刺さった。ヒルダだけが、静かに横で手を握ってくれる。声なき激励が、優しく心を染めた。
ヒルダとは反対側の隣に腰かけたジャスが、意味ありげな、どこか探るような視線を寄越したのに対し、ランティスはリアの正気を疑っているようだった。驚愕の他に、憐れみと疑念が表情から読み取れる。
「リア、どうしたんだ? 今キミが言ったんじゃないか。サズは四年前に死んだ。そうだろう?」
「それは偽装。サズを殺そうとした連中がいて、でも彼は生き延びていた。そしてどういう経緯か、あたしたちの敵になっている」
「敵?」
絶句したランティスの代わりに口を開いたのはアランだった。
「敵ってどういうことだ? あたしたち、ということは、つまり俺たち“星空の宴”の敵ということか?」
「ええ」
つまり、独立国チュニアールの敵ということ。
今の世界情勢で、当てはまるものなどひとつしかない。
「そのサズという男は現在“黎明の騎士団”に所属し、恐れ多くも昨日、王女殿下の宮殿に忍び込んだ、と」
ジャスが感情を含まぬ声で纏めた。躊躇ったのち、リアは彼を見る。しかし、視線が交わることはなかった。
「ええ。そして、あたしに共に来るよう誘った。拒んだら襲われかけた。その時」
「ちょっと待ってくれ!」
上ずった、悲鳴のような声だった。
皆が振り向いた視線の先では、ランティスが青ざめ、小さな子どもが怯えているような表情で、首を横に振っている。
「リア。どうかしている。あいつが生きていて、何故オレ達の敵になるんだ?」
「わからない。だけど昨日の彼は、ノアリス殿下に躊躇いもなく剣を向けた。それどころか、自分の素性が露見したら戦争が起こせるかもしれないと笑ってさえいたわ」
それさえリアに対する脅迫になる。そして彼は、一度リアの為だと判断したなら、国くらい平気で焼いてしまえる男なのだ。
「ランティスはサズが生きていたと知らなかったのね?」
確認に、応える声はなかった。ワインレッドの髪が、うつむいた彼の顔を隠してしまう。しかし、それを含めた一連の態度こそが何よりの答えでもある。
ランティスは何も知らなかったのだ。
「座ろう、ランティス」
立ち尽くす彼を、アランが促す。リアは拳を握った。本当は駆け寄りたい気持ちもあるが、今はまだ駄目だと、自分に言い聞かせる。
ここで少しでも平常心を欠いたなら、たちまち自分は弱くなる。今はまだ、ただの女に戻るわけにはいかない。冷静かつ客観的に、知り得たすべての情報を、チュニアールの民として、“星空の宴”の一員として、彼らに開示するのだ。
ランティスが着席したのを見て、一度深呼吸する。下を向きたくない。泣きたくない。
その時、つん、とヒルダが指でリアの腕を突付いた。小さな悪戯を思わせる仕草に目が点になる。同じ卓を囲むジャスとリオンがそれぞれ反応したのは気配でわかったが、リアの視線はヒルダに奪われていた。
『君は戦士だ』
唇の動きだけでわかった。
うん、と頷く。そうだ、泣ける筈がない。俯いていられないのだ。
こんなに綺麗なドレスを選んでくれたヒルダと、丁寧な化粧をしてくれたレイチェル。二人の優しさを、どうして無駄にできるだろう。涙も猫背も許されない盛装ではないか。
「・・・リア。“その時”の続きは?」
やはり顔を向けず、ジャスが問う。ぼんやりと、もしかしたら彼は察しているのかもしれないと思った。
「セレナさんが、助けてくれたの」
正直に言っても信じてもらえるかは五分だった。ヒルダとセトに至っては人魚などそもそも見たことがないだろうし、セレナの名前も知らないのだ。ランティスとアラン、リオンは逆に、セレナが死んだことを知っているからこそ、リアの発言は受け入れられないのではないかと予想していた。
しかし。
「なんだよ、あいつ薄情だな」
この世の誰よりセレナを知るジャスが、そう言って苦笑した。彼だけは疑わないのだ。この場合はリアの言葉より、セレナという娘を。
セレナならやりかねない。そう瞳が言っていた。
「俺の真珠も光っていた。信じるよ」
ようやく、ジャスと目があった。
彼の中でセレナの存在は、あまりに大きい。そのことを再認識させられた。
「で、ノアリス王女殿下まで参戦したと」
苦笑に渋さを混ぜてジャスが続ける。
「概ね話はわかった。昨日ノアリス王女殿下の宮殿に侵入したのはサズという、公には死んだはずの帝国人。現在はトロナイル王室を狙う“黎明の騎士団”に所属していて、リアを連れていきたがっている。帝国との戦争をけしかけるのも視野に入れたような言動だったと」
「ええ」
リアは内容を吟味し、頷いた。しかし、こうして客観的に聞くと。
「何それ、完璧な犯罪者じゃん」
それまで沈黙していたリオンが、顔をしかめてそう言った。まさに思ったままの評価を元許嫁に下され、リアは言葉に詰まる。立場上ジャスは発言を選んでいるようだし、ランティスに至っては精神的に打撃を受けており、その横のアランが宥めている状態だ。セトは殆ど部外者である為か静観している。やけに大きく響いたリオンの声に、場の空気が凍りついた、まさにその時。
「君って奴は、ほんっとーに空気を悪くするのが上手いねぇ」
呆れ気味に言ったヒルダに、全員の視線が集まった。リオンが何かを言いかけ、しかし言葉が見つからないのか、唇を震わせる。そんなリオンの代わりに、今度はジャスが口を開いた。
「リオンだって、空気が読めないあんたにだけは言われたくないだろ」
「は? 殿下ってば何おかしなことを。僕、じゃない私。私ほど気配り上手はいないよ。いい部下を持って幸せだろ?」
「部下ねぇ」
「え、何その冷たい反応。ひどい、ひどいよ殿下、あんまりだ。こんなに尽くしているのに!」
こんな状況だというのに、漫才にも見える軽口を平然と叩き遭うジャスとヒルダは、間違いなく悪友だった。圧倒されるリアの視界の端で、リオンが立ち上がる。
「サーシャ。君はジャスに仕えているの?」
「私の名前はヒルダでーす」
聞こえません、と言いたげな態度でそっぽを向くヒルダに、リアは慌てた。彼女がリオンと何か関係があるのは察していたが、険悪ならば間に入るべきだと思う。しかし、何かが引っ掛かった。
(サーシャ?)
それは、サーシェスの愛称ではなかったのか。いつも繰り返される、リオンとサーシェスの「私の名前はサーシャではなくサーシェスです」というやり取りを何度も見るうち、リアはそう解釈していたのだ。
これはどういうことだろう。そう首を傾げると、ジャスが再び口を開いた。
「こいつはヒルデガルド・コーバッツ。俺の友人だ」
飄々としているのに、反論を許さぬ何かを含んだ声だった。詮索は受け付けない。そう相手に理解させるには十分なものがある。
「・・・そのヒルデガルドは、どんな女なのさ」
負け惜しみのようにもとれる態度で、リオンがジャスに尋ねた。全員の視線が黒髪の王子に集まる。
そしてジャスは、少し考えて答えた。
「周りの奴がケーキ食ってる中で、平然と豚の丸焼き食ってそうな奴だ」
・・・どんな女だ? そう思ったのはリアだけではない。他の全員が物言いたそうな顔をしている。
「意義あり!」
ヒルダ本人が立ち上がった。
「何だよそれ! ただの空気読めない奴じゃんか!」
「だからだよ。読めないだろ、あんた」
「読めるよ! ばりばり読んじゃうよ! っていうかどんなシチュエーションなのさ! よく思い付いたね、そんな例え!」
「我ながら秀逸な表現だと思う」
「真顔!? うっわ、ムカつく! 悪意の塊みたいなこと言っといて悪気なしだよ! 大体なんで豚肉!? 僕は鶏が好きなんだよ!」
「わかった。じゃあ鶏の丸焼きだな」
「そーゆー問題じゃなあああい!!」
ぎゃーぎゃー子供の喧嘩のように揉め始める二人の姿に、ランティスがようやく落ち着いたらしい。予想外の展開に慌てるリアに代わり、恐る恐る声をかける。
「えーと。それで、ジャス。被害者でもあるノアリス王女殿下は?」
リアは我に返った。
トロナイル王室が、どう動くか。これはリア個人に留まらない、大きな問題だった。
「王女殿下は、昨日のことを公にするつもりはないらしい。昨夜、そのように聞いた。寧ろリアについては、巻き込んでしまったと、謝罪の言葉を預かっている」
「そんな!」
思わず声をあげる。自分で蒔いた種だというのに、王女に詫びさせるなどとんでもなかった。
「リア。それから、ランティスも」
ジャスが真剣な調子で続ける。
「今後そのサズという男が何かをしでかすなら、二人には悪いが、彼には裁きを受けてもらう。ここは俺の国だからこそ、庇うことはできないんだ」
「わかってるわ」
当然のことだと頷き、リアは口を開いた。
「だから、止めたいの」
ランティスとジャスの視線が強くなるのを感じた。
「彼の人生を狂わせたのは、間違いなくあたしの罪。刺し違えてでも止めてみせる。彼を犯罪者にはさせないし、トロナイルに害を及ぼすなんて許さない。チュニアールだって守りたい」
「・・・だけど」
ランティスが何かを言いかけた。気遣いを含む眼差しに、彼の懸念が読み取れる。
そう、襲われかけたのだ。そして、セレナやノアリスがいてくれなければ、今頃は。
敢えて皆が触れなかった話題だ。ランティスは言葉を選んでいるようにも見える。
あたしは大丈夫。そう言おうとした時、腕を掴まれた。
大きな手と強い力。ヒルダではない。
ならば、相手は一人だけだ。
顔を向けると、そこにあったのは再び表情が失せた、綺麗な横顔だった。
「ジャス」
「・・・ちょっと待て。頼む」
考えを改めろ、というのではない。
リアの意思を尊重するために、ジャスは自分の感情を抑えようとしているのだ。今は、そのための時間。
「嫌いになれないのよ」
「分かってる」
視線が交わらない。
言葉は届くのに、心のなんという遠さだろう。
またひとつ、ジャスから離れてしまった。
好きです。その言葉が、どうしたって伝えられない。告げるために選んだ道が、彼の想いを遠ざけていくのだ。
「ジャス」
「後で話そう」
ジャスが手を放し、立ち上がった。そのままサロンを出ていく。ノアリスの所に今の話を伝えにいくのだろうと、ぼんやり理解した。そして。
どう足掻いても、昔の自分たちには戻れないのだと、その背中を見て実感する。きっとそれはジャスもサズも同じだろうと思うと、たまらなく切なかった。




