ヒルダとリア
それからリアはレイチェルにも同じく挨拶し、身を清め、新しい服を貸してもらうことにした。しかし、平服はなく、ドレス以外の選択肢がないことには参った。確かに王子の客である以上は昨日のような女官服は無理だろうが、広げられたドレスはどれも一級品で、流石に申し訳ない気持ちが先に立つ。
「朝だし、爽やかな色がいいんじゃない?」
呑気に提案するヒルダは、そのまま風呂の中まで付いてきた。
確かに助けてくれとは言ったが、別に入浴の手助けまではいらない。そう訴えると、今度はレイチェルが参戦してきたのだ。ならば是非とも私が、と押し気味に言われ、それなら年が近く親しみやすい相手の方がましだと思い、渋々ヒルダに頼んだ。浴室も女性らしく淡い色調で揃えられ、観葉植物が目に優しく、柱には蔦と花が巻かれている。
どこにいっても魔法道具を使うのがトロナイル流なのか、帝国のシャワーにあたるものは見当たらない。天井近くに浮かぶ、天使の輪を思わせる金環の下に入ると、柔らかな温水が降ってきた。
大理石の湯槽は、ヒルダと二人で入ってもまだまだ余裕がある。湯の中に浮かぶ花は女の夢なのだろうが、ヒルダが邪魔そうに端へ寄せているのを見たら笑ってしまった。
「あ、笑った」
「だって、ヒルダが面白いから」
てっきり侍女のように手伝うのかと思えば、ヒルダまで裸になって浴室へ現れたのだ。背中を流し合おう、と輝く笑顔で言われ、リアが絶句したのは言うまでもない。出会って二日目で裸の付き合いなど、いくらなんでもハードルが高すぎる。しかしそれを面と向かって主張することもできず、やはり観念して、共に入浴した。チュニアールの面々でもこんな奔放な人はいなかったのに、変わった令嬢だと思う。そして、なんだかんだで順応して受け入れている自分も大概だと気づいて、途方にくれた。
「さて、せっかく綺麗になったんだし、お洒落しないとね! さ、どれにする?」
「えっと・・・」
入浴一つで揉めに揉め、最後は後回しににしていたドレス選びだ。色は群青か水色か、それとも白か淡い紫か。
甘ったるいピンクや派手な赤が候補にないのは自分の顔立ちのせいなのだろうなと察しつつ、リアは白を選んだ。
以前ジャスが誉めてくれた色であり、出会いの色だ。紫は昨日のことを思い出すので、まだ纏いたくはない。そして、トロナイルの貴色である青系統は、流石に少し気後れしたので遠慮したのだが、ヒルダもレイチェルも気にしないでいいのにと、何故か拗ねたように言っていた。
白い生地に金の刺繍とダイヤが散りばめられたドレスを纏い、レイチェルが丁寧に髪を整えてくれたおかげで、なんだか本当に貴族時代に戻ったような気がする。髪飾りは花を象っていて、髪型もその飾りも、右耳のイヤリングを引き立てるよう意識されていた。そこでようやく、ドレスの色もイヤリングと上手く調和するものを選んだのだと理解して、リアは自分の卑屈さを恥じることになる。
「へぇ、可愛いじゃん! ドレスが様になってるよ。っていうか、板についてるって感じだね」
「ええ。本当に、とてもよくお似合いですわ」
ヒルダとレイチェルは楽しそうに、あらゆる角度からリアの姿を確認している。着せかえ人形にでもなった気分だが、へんに遠慮されて腫れ物のように扱われることを思えば、よほど心は穏やかでいられた。
「変じゃない?」
レイチェルによって瞬く間に化粧まで施されたリアは、めかし込みすぎではないかと不安になる。
ヒルダはにっこり笑った。
「本当に似合ってるよ。お洒落は僕ら女の武器で、鎧でもあるんだから。今の君は誰より可憐で、凛々しい戦士だ」
可愛いだとか、綺麗だとか。
そんなありきたりな世辞ではなかったからこそ、胸に響く言葉だった。
不覚にも、ときめく。
「ひ、ヒルダってば。格好いいわ」
「ほえ? なにが?」
ヒルダ本人はけろりとしているし、戦士と例えられて喜ぶ自分も、女として多分どこかずれているとは思う。いや、しかし素面で言い切るヒルダがすごい。
顔を見合わせるうち、次第に笑いが込み上げてくる。驚いたし、嬉しかった。そして心底不思議そうな様子が、面白くて。
「なんだか口説き落とされた気分だわ」
「うっそ。やっばいなぁ。殿下に怒られちゃうかも」
ドレス姿で、二人の少女が笑い合う。
ジャスが信頼しているのも頷ける、不思議な魅力を持つヒルダを、リアは好きだと思った。
そのまま軽食を摂り、本来なら「私室」とされる部屋で、リアはヒルダと向かい合い、何度もくり返し、昨日の話を聞いてもらった。
ジャス達に簡潔に、事実だけを伝えられるように。
彼らの前で、感情を剥き出しにしてしまわないように。
ヒルダは静かに聴いてくれた。退屈そうなそぶりもなく、常に真剣に相手をしてくれたのだ。
「・・・ありがとう」
「落ち着いてきた?」
「ええ、ヒルダのおかげ」
「ふっふーん。いやぁ、それほどでも」
得意そうな顔で笑うヒルダが、そのままリアにハーブティーを淹れてくれる。
「約束は夕方以降だよね? それまで何する? 刺繍とか編み物とかの手芸で暇潰しする? 生け花もあるよね。普通に読書なら知り合いに良さそうなもの見繕ってもらえるよ。あ、僕こう見えて歌手の端くれだから、楽器の演奏も多少はできるし」
にこにこ笑って提案してくれるヒルダの眉尻が、少し下がる。
「悪いんだけど、まだ外は出歩かせるなって言われてるから、室内で出来ることに限られるんだ」
「あ、そんなことは」
気にしないでほしいと答える。そのまま、おずおずと続けた。
「もうちょっとだけ、ヒルダとお喋りできたら、嬉しいかも」
ここにリーシャやミナ、シンルーもいればもっと楽しかっただろうにと内心惜しみつつ言うと、ヒルダが抱きついてきた。
「かんわいいいいい。何この子! ああ、もう。僕のお嫁さんにくるかい?」
「え!?」
冗談と頭で理解しつつも、同性からそんな発言をされると考えたこともないリアはぎょっとする。ヒルダが更に抱き締めてきた。
「ふふ。でも、せっかく仲良くなれたんだから、どうせなら末永く宜しくね」
「・・・うん!」
新しい友達ができた、と思っていいのだろうか。それとも、ジャスに言われたからそう振る舞っているのか。そう考えるとよく分からないが、彼女を好ましく思う自分の気持ちがあるのだから、これは友情だとすることにした。仮初めだというならば、少しずつ本物にしていこう。今までそうしてきたように。
そしてヒルダと様々なことを話した。内容は必然的にジャスに関することが多くなり、話題には困らない。彼が意外にも、幼少期はとても愛らしい天使のような王子だったと、ヒルダはしきりに惜しんでいた。
「帰省する度にひねくれてさー。寂しかったよ」
「反抗期だったのかしら。それなら、ヒルダに甘えていたんじゃないの?」
「あれは寧ろ拗らせてる感じだったけどなあ」
拗らせる、の意味はよく分からないが、リアは自分の知らない、更に言えばチュニアールの面々も知らないであろう、ジャスの王宮での様子に興味が尽きない。
「王宮では優等生なのね」
「まあね。一番その演技がすごいのは、従弟のシリス様を相手にしてるときかも」
「え、従弟? なんで?」
「もうね、ベタベタに甘やかしてんの。可愛くって仕方ないんだろーね。口調も柔らかくって、これぞ理想のお兄様! って感じになるんだよ」
「子ども好きなのは知ってたけど、やっぱり身内となると尚更に可愛いのね」
自分は弟を可愛いと思ったことが一瞬もないので感覚はよく分からないが、ジャスは基本、子どもに甘いのだ。チュニアールでは砕けた態度のジャスも、そのシリスという少年の前では、なかなか気取った様子らしい。後で少し、からかってやりたいと思った時、控えていたレイチェルがジャスの来訪を教えてくれた。
「え、出ていいの?」
「ああ。この陽翼宮の中なら、好きに出歩いていい。閉じ込めるようなことして悪かったな」
クリフを伴って訪れたジャスは、まず最初に体調や気分はどうかと心配してくれた。ヒルダとレイチェルのおかげで元気になったと笑って見せれば、彼も嬉しそうに頷いてくれた。直後、思い出したように口を開く。
「もう部屋の外を歩いても構わないぞ」
そして冒頭に戻るというわけだ。
「閉じ込められたなんて思ってないわ。それに」
窓の外に広がっていた深海の景色。幻想的な青い世界は、とても美しかった。
「ありがとう。えっと、窓の外の」
抜け作な自分が嫌になる。サズの件ばかりに意識を向け、こういう局面を全く想定していなかった。
思っていた以上に、照れくさい。
「・・・気に入ったか?」
「う、うん!」
勢い込んでうなずく。すると。
「そっか。だったら、嬉しいな」
ジャスは久しぶりに、無邪気な少年の笑みを見せてくれた。こういう可愛い顔も好きだなぁと見とれ、すぐ正気に戻る。なにせ、背後でヒルダが笑いを噛み殺そうとして、結局できずに身を捩っているからだ。
「ふ、二人とも可愛すぎか!」
「あんたは笑いすぎだ。こいつに変な真似してないだろうな?」
「してないよ。一緒にお風呂入ったくらい」
「それは充分“変な真似”だろうが!」
「いいじゃない。こうやって仲良くなれたんだし。あ、お姫様。殿下に飽きたらいつでも言ってね、僕は気長だから、いつまでも待てるよ」
からから楽しげに笑うヒルダに、ジャスが顔をひきつらせている。ここまで彼で遊び倒す人間もそうはいない。新鮮な気持ちで目を瞬いていると、ジャスが我に返ったようにリアを見た。
「馬鹿は放っておいて、話を戻す。この部屋はあんたが使っていいし、陽翼宮の中なら好きに動いていい。でも、結界を強化できたのはこの陽翼宮だけなんだ。窮屈かもしれないが、しばらくは我慢してくれ」
リアが暴漢に襲われかけた件を、非常に重く受け止めているらしいジャスの表情は、真剣そのものだった。
申し訳ないと感じる一方で、胸の奥に、ほの暗い悦びが生まれる。
想われていると感じることは、快楽も同然なのだと初めて知った。
「ありがとう。でも、警備の兵はいいの? 変な噂になったら」
「今さら醜聞が増えても気にすることないし」
なにせ赤い眼の魔王などと陰口を叩かれているのだから、と軽く言うジャスを見つめる。
「魔王じゃなくて、天使のような王子さまなのにね」
「・・・・は?」
背後で、再びヒルダが噴き出した。
「ちょっと待ってお姫様、おなか痛い!」
「おいヒルダ。あんた何を」
「いやいや何も言ってないよ。可愛い王子さまの“友達になってほしい”宣言のことを細かくなんて、話したりするわけないじゃないか」
本当に初耳だった。何の話か分からずきょとんとするリアに、ヒルダが一瞬の目配せをする。今夜にでも教えてくれるつもりなのだとわかり、嬉しくなった。
ヒルダとジャス。親しすぎる彼らのそばにいて疎外感がないのは、ヒルダのおかげだった。
「ヒルダ、あんたは」
「はいはーい。話が脱線してるよー?」
「誰のせいだ!」
言いつつ、ジャスは罰が悪そうに咳払いした。そのまま続ける。
「えーと。それで、ここは仮だけど、あんたの部屋だ。女の部屋にぞろぞろ男が行けないからって、ランティスが聞かなくてな。だから、サロンの一つに来てほしいんだ」
「わかったわ」
相変わらず紳士なランティスの気遣いに感服しつつ、そのランティスにも聞かなければならないことがある。自然と背筋に力が入った。
「僕も行っていいかい? お姫様のそばにいたいんだけど」
ヒルダがさらりと言う。心強いが、そこまで甘えてしまっていいのか迷うリアより先に、ジャスは顔をしかめた。
「それは有難いが、そのな。ランティスは、他にも連れがいるんだ。そいつが、どうしてもあんたに会いたいと」
誰のことだろう。驚くリアを尻目に、ヒルダは肩を竦めた。
「リオンだろ? いーよ。僕は“ヒルダ”だからね」
意味ありげに答えると、ヒルダはその場でくるりと回った。彼女は今、黒髪に映える深紅のドレスを纏っている。何故ヒルダの口からリオンの名前が出てくるのか戸惑っていたが、その様子を見て、リアの中で今朝の彼女の言葉が甦った。
お洒落は女の武器。そして鎧だと。
彼女も戦いに赴くような心地なのか。
「さ、お供するよ、お姫様」
「待って」
ヒルダが笑って差し出してくれた手を、逆に握り返す。
「ヒルダ」
「う、うん? やだ、そんなに見つめられるとキスしたくなるよ」
「絶対させないから安心しろ」
ヒルダの戯れ言にジャスが呆れたように反応を示したところで、告げる。
「まず、彼らに全て伝えるわ。その前に、ヒルダに聞いてほしいことがあるの」
「なにを?」
「あたしの名前」
リアはジャスを見た。案の定、苦い顔をしている。
しかし、これから設けられる話し合いの席で、リアの名前が一度も呼ばれないのはあり得ない。もしランティス達が琥珀という偽名を先に知らされていても、完璧に切り替えるのは難しいし、リア自身が嫌になりそうだ。
「あたし、リア。レリアル・ウルフラーナっていうの。遅くなったけど、よろくしね」
まずは一歩、前へ。
少しずつでも進んでみせる。
そうしてサズに追い付き、殴ってでも止めるのだ。
その先にきっと、ジャスがいる。
今こうして目の前にいるのに、壁があるように感じるのは、きっと気のせいではない。
「リア、ね。わかったよ。でも、やっぱりお姫様って呼びたいかな。憧れだし」
「お姫様が?」
意外にも乙女な、と感心した次の瞬間。
「いや、できれば高飛車な女王様とか、守り甲斐のある姫様が理想的なご主人なんだよね」
どこまでもヒルダはヒルダだった。




