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正しさの在り処

作者:

私がリオンという村の修道会所属の騎士となったのは、30才に差し掛かったころのことだ。騎士とは言っても、どちらかと言えば傭兵、もしくは何でも屋と言う方がしっくりくる。民の声に耳を傾け、ご近所の争いを仲裁し、溝さらいをする。そして余暇を見つけては剣を振るい、主に祈りを捧げ、帳簿とにらめっこする。時折起きる魔物の侵入に対しては、デリコ騎士長の指揮の下、勇敢に戦う。私は剣を振るうのは性に合っていたようで、主にそちらの方面で活動していた。

 私の毎日は、早朝に依頼版を見るところから始まる。修道会の入口にコルク製のボードが置かれ、そこにちょっとした依頼を貼り付ける。修道士の中で手の空いた者は、依頼を受け、気持ち程度の現金を頂き、徳を積む。善行を行い、その地になじむために高名な宣教師がはじめたとされる活動である。


「……ふむ」


 依頼を見て思案する。幸い、すでに机の上に縛り付けられるような仕事は終わっている。いくらかの依頼を受けることはできそうだった。変わり映えのしない、それでいて大切な依頼の数々に一通り目を通す。数々の依頼の隙間に挟まるようにして、小さな紙が置いてあった。たまたま目に止まったそれを見て、私は目を剥いた。


「……ヒト型の魔物だと」


 魔物というものの定義は実のところ曖昧だ。蛇や蜥蜴のような爬虫類に似た容姿、四足の獣の如き容姿、鳥に似た翼を持つ容姿と姿かたちひとつとっても様々である。しかし、それらに共通するのは人類にとって彼らは害になる敵だという事実である。そして、ヒトの姿に似た魔物というのは殊更に厄介だ。屍を元として生まれた魔物や人骨を媒介にした魔物はその身に宿した疫病を撒き散らす。元がヒトである以上、彼らを媒介にした疫病は私たちにも効果があるのだ。しかし、それならまだましだ。修道士の中には彼らのような疫病持ちに対抗できる聖句に通じた者もいる。防疫は容易い。しかし、仮にヒトの見た目でヒトの知能までも所持している場合は殊に厄介だ。ヒトに似ていても、彼らは魔物だ。それゆえに彼らの膂力は私たちを凌駕する。私は熟慮した上で、その紙を剥がした。


「シスター。この依頼の依頼主、誰です」


 玄関脇の受付に座っているシスターが答えた。


「それでしたら、村の端の家に住んでるエドさんですね」

「分かった、感謝する」


私は教会を後にした。まずは村の端に行かなければ。

 小さな村だ。村の端まで30分も歩けば着く。エドの家は茅葺屋根の木組みであった。家の側には小さめの畑があり、その中で一人の老人が土を耕していた。力強く、鍬で土を梳く。


「エドさんですか」


 声をかけると、老人が振り返った。老人は私を見てから空を見た。


「おや、教会の……確かエストさん」

「ご存知でしたか」


 苦笑する。私は老人の名をシスターに聞くまでは知らなかったというのに、彼は私を知っている。これは村が狭いということなのか、もしくは私の村に対する興味が薄いということなのか、はっきりとはわからなかった。


「まぁ、立ち話もなんでしょう。入りますか」


 老人の先導に従い、家に入る。男所帯という割に、部屋の中は良く整理されていた。部屋の中央には大きめの長机が一つ。机の上にはタータンチェックの布が掛けられ、花瓶が置かれていた。花瓶の中には切り花がいくつか生けられていた。造花かと思ったが、葉や花の瑞々しさからして定期的に取り換えているのかもしれない。それが老人の真面目な性を表しているようであった。部屋の隅には良く手入れされた猟銃が立てかけられており、壁には獣の皮がなめされて掛けられていた。


「それで、わざわざここにいらしたということは、やはりあれですか。依頼のことですか」

「話が早くて助かります」


 聡いお人だ。


「ヒト型の魔物を見たんですか」

「魔物かどうかは定かではありませんな」

 老人ははっきりとそう言った。


「ただ、森の中で人影を見たんですわ。ちょうど、少女くらいの背丈での。……エストさんが知っとるかは知らんが、ここいらの子はあそこの森の奥にはそうそうそう入らん」

「ほう」


 どちらかといえばヒト探しというやつか。どちらにしても私がしなければならないことに変わりはない。もし村の子ではないにせよ、子は守るべきなのだ。血を絶やすことは、働き手を減らすことに等しい。

 そして、この村の南は森となっており、未だ開墾が進んでいない地域となっている。南の森は四足型の魔物が多く、無理な開墾は村にとって利益があるとは言えないからだ。特に魔物は夜に凶暴化する傾向がある。夜に森に近づくのは一流の狩人であっても決して好ましいことではない。


「その少女らしきヒトを見かけたのはいつ頃のことですか?

「陽が落ちるぎりぎりの時間帯じゃの。儂がちょうど猟を終えて帰ろうとしていた時じゃったから。正確な時間はわからん。すまんな」

「いえ、十分です」


 先ほどの老人の言葉でいくつか分かったことがある。南の森。魔物が跋扈するという森の中に好き好んで入る子はおそらく村の中にはいないだろう。そうだとすれば、村の外の子が迷い込んだか、あるいは。


「助かりました。これで少し絞り込めました」

「おい」


立ち上がって部屋を辞そうとすると、老人が声をかけて来た。


「お前、森の歩き方を分かっているか」

「大丈夫ですよ。これでも私は元傭兵です」


 森での戦いは慣れている。問題は無かった。問題があるとすれば、それは森の魔物の方だろう。


 大まかな森の魔物がいる地点を手持ちの地図に先ほど老人に記して貰った。とはいえ、いつ例の少女と出会うのかはわからない。

 私は教会に取って返すと、長の部屋に向かった。長の部屋は二階の奥。重い樫の扉を開けた向うにある。


「エストさんですか。そちらのソファに掛けてください」

「失礼します」


 扉を開けた先ではまず大きな書棚が目に入る。書棚の中には主の教えに関する書籍と魔物の生態に関する書籍が整然と並んでいた。書棚の間に入るように樫の木のデスクが置かれている。デスクには備え付けの椅子が置かれ、老女がそこに掛けていた。ミネルヴァ=ノーリッジ。この教会の長にあたる人物だ。

 デスクと垂直の向きでソファが置かれている。私は一言断ってからソファに腰かけた。


「それで、どういったご用件でしょう?」

「少しばかり、暇を頂きたく参りました」

「それは何故ですか?」


 老女の緑の瞳が輝いた。


「村はずれのエドさんから伺ったのですが、どうも南の森で少女の姿が見られるようでして、念のため、確認に向かおうかと」


 本当に少女なら保護しなければならない。用件は火急を要するものと言えた。


「なるほど。良いでしょう。エスト、貴方に三日の暇を与えます。その間に依頼主の希望に沿って調査を行いなさい」


 老女は頷き、デスクの下から書類を一枚取り出すと、羽ペンでさらりと署名した。そして渡されたのは休暇に関する書類であった。


「それがあれば休暇を受理したことになります。心置きなく職務を全うしなさい。元々、貴方は荒事のためにここに置いているのですから」

「ありがたく頂戴します」


 私は書類の文面を確認してからそれを脇に抱えた。急がなくてはならない。挨拶もそこそこに、私は部屋を出た。


 南の森という場所には、私は以前何度か立ち入ったことがあった。一人で行けるかとも思ったのだが、エドが人を貸してくれることになった。トゥイという青年だ。狩人見習いでエドの弟子らしい。背が高いが線が細く、余り強そうには見えないが弓の扱いに長じているらしい。


「どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしく」


 トゥイは私を見るなり頭を下げた。この実直さはエドに似たのだろうか。綺麗な礼であった。しかし、私は余り礼儀を重んじる質ではない。相手に無為に頭を下げさせても背中が痒くなるだけである。


「それで、この地点に行けば良いのですね」

「あぁ。先導よろしく頼みます」

「任せてください。見習いですが、精一杯やらせていただきます」


 確かに彼は慣れているのだろう。音もたてずに奥へ奥へと進んでいく。私はついて行くので手一杯となった。


「えーと、ここいらですね」

「ここで、良いのか」


 少しばかりペースが速い。これが若者の体力というやつなのか。それとも私が老いたのか。どちらにせよ、帰ったら鍛錬せねばならないようである。


「……え」

「どうした」

「……あれ、ですか?」


 彼が言葉を濁し、指で指示したのは、確かに少女である。布切れ一枚を身に纏った少女。

あれは魔物なのだろうか。それともヒトなのだろうか。トゥイにも判然としないらしく、彼の左手は依然として矢を掴んでいた。私もまた、警戒を切ってはいなかった。


「とにかく、近づこう」

「了解しました」


 一歩一歩と少女に近づく。少女もまた歩いてはいたが、大人と子どもは歩幅が違う。少し歩けば追いつけた。少女はどこともしれぬところを見上げていた。上を見ても枝葉しか見えない。


「おい、嬢ちゃん」


 トゥイが先にたどり着き、少女の肩に手をかけた。そのときだ。少女の肩に赤いものが見えた。血だろうか。怪我をしているのか。血はトゥイの右手を貫いた。


「―――ヒッ」


 怯えたのか。少女ははずみで肩を怒らせた。トゥイは呆けたような顔になった。そうして数瞬後に状況を自覚した。


「―――ッ」


 声にならない叫びを上げたトゥイは無事な左手で腰に括り着けたナイフを抜くと、少女を斬りつけた。どう見てもこの少女は普通じゃない。彼の判断は大凡正解であったと言える。私もまた、支援の時を見計らおうと後ろで剣を抜いていた。

 トゥイの刃で少女の首元が薙がれる。ヒト型の魔物は人に似せた反動か人と似た急所を持ち合わせるという欠点を持ち合わせている。頸動脈などの重要な血管が集合する場所は十二分に急所となるはずであった。実際、少女の首元からは赤々とした血が噴き出した。それはトゥイの肌を僅かに濡らし、少女の足元を真っ赤に染めた。


「――あ」


僅かに声を上げ、少女は赤い水たまりの中に倒れ込んだ。それでもトゥイは気を緩めずに少女の上からナイフの切っ先を振り下ろす。狙いは胸。二か所急所を刺されれば、如何に頑丈な魔物であってもただではすまない。

 ただの魔物なら。トゥイのナイフが動いたのとほぼ同時に、トゥイの足元に流れた少女の血が湧き立った。それは蠢き、無数の針の形状を取った。


「――トゥイ!」


 私は制止しようと声を上げた。今更彼に追いつこうとしても間に合わない。無数の針はトゥイに向かって殺到した。トゥイは咄嗟に防ごうと腕を交差したが、間に合わなかった。トゥイの胸を一際大きな赤い針が刺し貫いた。


「―――はっ」


トゥイは息を漏らし、地面へと倒れ込む。反して、少女は立ち上がった。少女の首元には僅かに赤い血がこびり付いていた。しかし、傷跡は残っていない。先ほどまでの状況を逆回しにして形状を元に戻したかのような不自然.。私はトゥイに近づくまでもなく、状況を理解せざるを得なかった。トゥイは助からない。ここから村まではかなり距離がある。今から止血を行ったとしても彼は村まで持たないだろう。


「た、すけてください。リオン、さん」


トゥイの悲鳴が痛ましかった。それに対して私がやれることは一つであった。腰帯に付けた鞘から、一本の剣を抜き放つ。戦場暮らしで愛用していた両刃剣。その輝きはいまだ健在である。


「すまない」


短く、一言だけ。それだけ言って、私は目の前の魔物を注視した。先ほどの動きを見るに、あの少女は血を媒介に攻撃を行う魔物らしい。その上、法外なレベルの再生能力。はっきり言って相性が悪い。私は多少の聖句に通じてはいるものの、聖者としての威徳をその身に宿している訳ではない。清くあるにはこの身には穢れが多い。


「――主よ、我が身を護り給え」


 一節、聖句を唱える。主の恩寵が私の身を僅かに加護し、揺らぐ燐光が私の周囲に顕れた。それは主の威光をこの身に宿し、呪いの類に対する防御とする護法だ。

 私は剣を少女に向けた。少女は肩を強張らせて私を見た。その新緑色の瞳は恐怖で満ちていた。人から魔物に転じた生成りの類だろうか。どちらにせよ、私に出来ることは力による排除しかなかった。私は地を蹴り、少女へと肉薄した。



 足元には赤々とした水たまりが広がっていた。足に粘つくような鉄の匂いが絡みつく。唇にも足下と同じ粘つくような感触。乱暴に唇にこびりついたものを指で拭うと、指先に赤黒い染みが残った。理性が目を覚ます。痛みが戻ってくる。立ち上がると、目の前には軽鎧を着込んだ偉丈夫が立っていた。半身になって私に向ける体の面積を最小限に。左手には何やら波紋に沿うように文字が刻まれた直剣を構えていた。燃えるような金髪を短く刈り、こちらを射すくめんばかりに見る鳶色の瞳。その在り方は物語に見る勇者のようであった。

彼は直剣を中段に構え、わたしへと突貫する。余りに愚直な前進。しかしてその動きは単純にして洗練され鋭利なもの。彼の目は私の身体のある一点に向けられていた。狙いは首。突撃から流れるように彼は斬撃へと移行する。彼の首元を削ぐような一刀は、私の肌を血で濡らすに留まった。


「―――っ」


思わず声を漏らしながらも、わたしは倒れるように彼の一撃を避け、そのまま無様に地面を転がることで彼から距離を取る。その間にもわたしの機能は彼を迎撃していた。わたしの体内で生み出された血の刃は剣を振り切った彼の身体へと襲い掛かる。大きさこそ大したことはないものの、その切れ味は鋭利なものだ。当たり所によっては十分に致命傷となる。


「――何故、死なぬ」


 彼は独語した。相も変わらず、わたしを睨みつけ、先程と同じように剣を中段に置いている。しかし、惑いが剣先に移ったか、切っ先が僅かに揺らいでいた。わたしの首元を流れていた血は既に止まっていた。わたしは答えなかった。彼が先ほどのことばに答えなかった意趣返しではない。単に、わたしも理解してはいないだけだ。治るものは治る。それだけだ。それが所謂ヒトとは異なる肉体機能だとしても。


「厄介な」


 彼は歯噛みしたように顔を歪めた。そして、彼は何かを呟いた。僅かに距離があるわたしの所までそのことばは届かなかったが、その意味はすぐに分かった。彼へと天より燐光が降りてきて、彼と合一した。それは主のことば。力あるヒトの護法である。聖句。主を信仰するヒトが用いる術理。

 彼は再びわたしと彼を隔てる赤い赤い水たまりへと足を踏み入れる。そして、足を緩めず急加速、一歩遅れて波紋を残す水たまりを残して、彼は私へと駆けてくる。それはわたしとっての死神。私は反射的に後ろに下がろうとして、つんのめった。見やると、足元には男が倒れていた。トゥイという名であったか。体に張り付くような革のジャケットに菫色のズボンを穿いた青年。彼の胸元には致命的な穴が空いており、そこから彼の生命が漏れ出していた。そこからごぼごぼと流れ出した生命は私のものと混じり、地を染めていた。惨いな、と思った。体勢を崩したわたしの頭の上を、男の剣が通り過ぎていく。疾風がかまいたちとなって僅かに肌を焼いた。私はそのまま倒れ込み、地面にべったりと染みついた血に右手を触れる。右手の傷口から血は瞬く間に私の体内へと収納されていく。トゥイと呼ばれた青年の魂の通貨もまた、わたしという奇禍の一部となった。そのまま瞬時に体を起こし、バックステップ。そこで彼はあろうことか鞘を私に投げつけて来た。わたしの体さばきを見て素人だと悟ったのかもしれない。そのまま脱兎の如く踵を返して走っていった。強化された彼の身体はみるみるうちに遠くなっていく。私の身体能力は人のものと大差ない。そしてわたしは彼のように素早く動く術を知らなかった。


 疾く疾く駆ける。背後から死神が忍び寄るよりも速く。それが戦場で生き延びる唯一の方法だ。近年の兵器や魔法と呼ばれる異能の発達は著しいもので、軽鎧程度なら容易く貫いて見せるようなものさえ現れ始めていた。そして、あの魔物が持つ力もそういった類のものだ。幸い、遠距離を薙ぎ払うような攻撃能力は持ち合わせていないようで、走り去る私の背中に追撃が飛ぶことは無かった。それでも私は足を緩めることはせず、森を出るまで自らに聖句を重ね掛けすることで強化しつつ走り抜けた。教会についた頃にはもう日が暮れる時間となっていた。晩鐘が鳴る。荘厳な音色が響く中、私は教会の中に入った。すでに依頼が貼られた掲示板は外されていた。

 渡り廊下を抜け、教会の奥にある教会へと進む。教会の扉を開き、中へと入る。木製の簡素な長椅子が左右に分けて並べられ、その間が通路となっている。その奥には巨大なパイプオルガン。カソック姿の女性がその前に座り、鍵盤を弾くことで甘美で悲壮な音色を響かせる。私は彼女へと歩みより、肩を叩く。体に触れられたことに驚いたのか、彼女は身を震わせ、こちらを振り向いた。


「邪魔しないで~」

「悪い。だが緊急だ。村の危機だ。勘弁してくれ」


エルマ=ステュアート。この教会に務めるシスターの一人だ。残念ながら敬虔な、というお決まりの形容詞をつけることは難しい女性だ。その証拠に、彼女の弾くパイプオルガンの傍らには酒曇が数本転がっていた。そのすべてが空である。そしてそのすべてが一等酒。まったくとんでもない酒豪である。酔っ払いながら弾くオルガンがここまで美しいのだから反吐が出る。


「何よう、エスト。アタシの邪魔をする気ぃ?」


 エルマは手を止め、胡乱気な目でこちらを見る。吐息が酒臭い。


「煩いのはそっちだろうエルマ。こんな早くから教会を台無しにしてくれて。お前の憂さ晴らしの場所ならくれてやるからさっさと話を聞け」


 私はいつもより少しだけ荒い口調でエルマに応じた。


「お前の力を借りたいんだ。勿論、それなりの礼はする」

「それじゃ……、アタシがこの場で酒を呑んでいなかったって口裏合わせて貰って良い~?」

「……構わん」


正直このごくつぶしを即座にノーリッジ女史に突き出したいのは山々であるが、背に腹は代えられない。


「10分で準備しろ。魔物狩りだ」

「おーらい。勿論酒も法術も大盤振る舞いさぁ」


エルマはそう答えて、赤い顔のままふらふらと外へ出ていった。私はその背中を見送ってから、足にぶつかった瓶の処理を始めた。

 エルマの所に最初に向かったのは、普通にノーリッジ女史からの命令を回したのでは彼女は動かないからだ。働かないことに全霊をかけることが彼女の行動原理であることは、私も身に染みて知っていた。

 教会から出た私は再び二階の長の部屋に向かった。扉の前に立ち、一度深呼吸。最小限の身なりを整えてからノックをする。返答が来てから扉を開くと、ミネルヴァ=ノーリッジ女史は朝と変わらず肘掛け椅子に腰を下ろしていた。手元には一冊の本。聖書の研究書かと思ったが、どうやら童話らしい。


「あら、エスト。どうかしたのかしら」

「ノーリッジさん。朝にお話しした魔物の件ですが」

「あぁ、ヒト型の魔物ね。あれから何か進展があったのでしょうか」

「どうやら再生能力と血を媒介にした魔術を扱うようです。トゥイという青年と共に交戦しましたが、トゥイは死亡。私は単独での打倒は不可能と判断し、撤退した次第です」


私がそこまで告げると、ノーリッジは目の色を変えた。


「トゥイ。エドワードの弟子のひとりでしたね。惜しい才能を失くしました」


ノーリッジはそう言って頭を垂れた。しかしそれは僅かの間であり、再び顔を上げたときには毅然とした顔になっていた。


「単独での打倒は不可能と言いましたね。つまり、複数なら打倒は可能と言う判断でよろしいですか」

「はい」


それは私の経験から来る勘であった。あの魔物は傷を負ってから再生するまでにわずかではあるがタイムラグが存在する。血の吸収を行うよりも速く失血させてしまえば打倒は十分可能だろう。もしくは、火で焼いたり、埋めるといったような方策もある。不死身の魔物であっても足止めは十分に可能であろう。

 私の話を聞いて、ノーリッジは黙考し、それから顔を上げた。


「よろしい。騎士隊の運用を許可します。エスト=グランガイツ。件の魔物を討滅なさい」

「了解致しました」


それがノーリッジから私へのオーダーであった。私が体を翻し、扉へと手をかけたところで、背後へと声がかかった。


「トゥイの犠牲は無駄にしないように」

「無論です」


私は騎士だ。民を守るためにある。それはこの村における私の存在理由であった。

 十五分後に、騎士隊は教会前に集まった。騎士隊といっても、元々は私の傭兵仲間であったごろつきどもだ。正直騎士鎧を着込むという柄ではなく、一通り見ると盗賊といった塩梅だろう。戦場に立つというのにせいぜいが薄い革鎧。魔物の用いる魔術に対して用をなす鎧兜は限られるし、それらはひどく高価だ。そして清貧を尊いものとして掲げる教会がそんな高価なものを買えるわけもなく。私たちのような安価な駒が必要となった。それに先ほど呼んだエルマに彼女の友人のシレネッタ。

 十分だ。一人の魔物を相手取るには十分な戦力。それらを後ろに従えて、私は森へと進軍した。逢魔ヶ刻に入るのは余り好ましいとは言えなかった。しかし、それ以上に村への被害が出ることを考えると早急に対策を打つ必要があった。私とトゥイが魔物に接触したせいで、あの魔物は近くに人里があることを勘付いただろう。こちらに来られてしまっては元も子もないのだ。

 森に入ってから数分程度たっただろうか。木の根道にすっ転びそうになる酔いどれたエルマに手を貸しながら、私は歩いていた。ここいらは足場も決して良くないし、時間の経過とともに視界も悪くなっていく。出来るだけ早く魔物を見つける必要があった。


「――いたぞ!エスト!餓鬼が俺らから離れていく」


木を飛び渡る斥候役のルツからの連絡。私の目には見えていないが、木の上に彼の目に魔物が捉えられたようだ。望遠鏡を眺める彼に私は叫ぶ。


「距離は!」

「彼我の接触距離3分って所か!どうする!あの魔物、明らかに逃げてるぞ」


どうやら我々は魔物の視力によってとらえられていたらしい。そして知恵を持つ魔物は決して我々と真正面からは相対しない。多勢に無勢だ。私はエルマとシレネッタに合図を送る。


「シレネッタ。任せる」

「了解しました」


シレネッタは答えながらも、腰元から一本の瓶を取り出す。そこには水が入っていた。聖別を行った水。それは魔を払い、光を受け入れるための品だ。


「――主の威光を示さん。主の手の届かぬ者は無く。主の威光は万物を掴む」


エルマの力ある言葉に感応し、聖水が徐々にその嵩を少なくしていく。それは蒸発などではなく、ありえない現象。森の端から光が一瞬顕れて消えていく。それは円弧状に閃き、夕闇の先へと到達する。それは奇跡を具現化する式だ。


「対象が動きを止めた!どうやら逃げられんことを悟ったたしいぜ!」


ルツが叫ぶ。私はその声を受けて全員に指示を飛ばす。


「ルツは哨戒続行!アルはルツに付け!もし何かあれば後方で支援!イスカは4人連れて左方から、エムは同じく4人連れて右方から回り込め!私は前方から残りを連れていく!」


 私は言うや否や全速を持って前方へ駆ける。


「――主よ、我が身を護り給え」


 聖句を唱えつつも、足は緩めずただ前へ。後ろでも同じように自らを強化する仲間がいる。一人ではやれぬが、彼らとなら魔物を殺すことも可能だろう。何よりもそれが心強かった。強化された視力でもって、魔物の姿は私の目にも捉えられた。左右を見やればイスカとエムがじりじりと近寄っている。魔物はといえば、何故この場から離脱できないのか困惑したように移動している。エマのことばによって成った結界は確かに魔物の動きを制限していた。それほど長時間もつものではないが、魔物を逃がさなければ良い。


「――――――!」


 鬨の声を上げる。自らを鼓舞し、魔物へと突っ込む。私の背後から魔物へといくつもの矢が降り注ぐ。魔物へとその内のいくつかが命中し、確かに魔物の動きを一時的に鈍らせる。どうやらその程度で致命には至らぬようで、自力で魔物は矢を抜き取り、血を流していた。

私へと反撃のように魔物から血の茨が放たれる。魔物の腕の血を媒介として放たれたそれを斬り、更に前進する。

 私の大振りの一撃を辛くも避け、魔物は地に転がる。そこに合わせるように左右から矢が放たれる。

「ああああああああ!!」

 少女の形を象った魔物は痛みに呻く。甲高く放たれるそれはひどく耳障りだ。薄く肌ににじみ出る血が棘となり、矢を撃った者たちに反撃するが、彼らはすでに後退していて、届かない。


「……どうして」


 少女が零したのは、確かにヒトのことばに聞こえた。しかし、それに耳を貸してはならない。少女は魔物だ。それを私は再度認識する。強く認識する。そうして剣を再び振り上げる。少女の身体から這い出た血は私にもまた棘を象った一撃を加えんとする。複数に枝分かれした棘を腕甲と剣を用いて強引に防ぎきる。そうして少しだけ後退した。

 それから再度突撃。少女に肉薄し、剣で斬りつける。少女は今度は右に避けるが、そこは少女にとっての死地。矢による壁がすでに構築されており、私は僅かに位置取りを変化させることで巻き添えを回避する。そうして僅かの間を置いて再度肉薄。今度は確かに私の剣は少女の脇腹を捉え、あばらを砕いた。


「ぎぃ、ああ、ああああ!!」


 少女の悲痛な叫び。まるでヒトそのものかと思われるその声は確かに私たちの動きを僅かに鈍らせる。しかし、僅かだ。私たちは平静を取り戻し、少女を魔物と認識する。

 そうした動作を淡々と繰り返しているうちに、少女の動きが徐々に鈍ってくる。再生能力があるといっても、幸いなことに体力は有限らしい。時折ヒトの声に似た呻き声をあげるが、それらを無視して私たちは淡々と行動した。再生能力の持ち主に対して最も効果的なのはいつとも知れぬ再生限界まで再生させ続けることに尽きる。私たちに対して手痛い反撃を加えてく血の棘は私たちにも少なくない消耗を強いていた。しかし、その痛みは私たちに確かな怒りも与えていた。目の前の少女は魔物だと。目の前の少女は確かに自分たちを害する敵だと示唆した。私たちの裡の暗い感情が喚起され、ふつふつとおぞましい泥が湧き出てくる。何度目のことか。少女はついに声も上げなくなっていた。喉が枯れたのだろうか。ヒューヒューと少女の喉から声にならない空気が通る音がする。それでもなお、動こうとする少女に、私の背後から焔弾が放たれた。一般にはありえないとされる金色に煌めく焔は少女を捉え、少女の全身へと乗り移った。


「これで、良かったんだろう」


やはりか。少女の最期を遂げたのはエマであった。エマがどうしようもない酔っ払いでありながら教会に席を置くことを許された理由はこの焔にはあった。浄化の焔を扱うことのできる卓越した才能。それに特化した才能を持つからこそ、エマはシスターたりえるのだ。


「あぁ。助かった、エマ」


後ろからエマが声をかけてくる。いつの間にか、彼女の手には酒瓶が握られていた。


「もしかしたらまだ酒は飲めない年齢かもしれんが、もってけ。末期の酒は美味いらしいぜ」


エマはそれを少女へと投げつけた。コルクを抜いた状態で投げられた硝子瓶は着弾と同時に砕け、その中身を盛大にぶちまける。それによって焔はさらに強く大きくなった。少女の声はもう聞こえない。私には少女の声は届かない。ただ、何かを言っているようだった。焔によって炙り出された少女の顔は泣いていた。慟哭していた。何を想っているのかは私には分からない。脂が空中に散逸する。私たちはそれらに触れぬように速やかに離れた。そうして浄化の焔に焼かれる少女の姿を見ていた。少女は何かに触れたいように手を伸ばした。


「……お、かあ」


 喉を焼かれながらも必死に絞り出したことばが私の耳に届く。それが少女の最期のことばであった。やがて少女の身体は炭化し、動かなくなる。炭化してからすぐに私たちは万に一つも再生できぬように少女の身体を粉々に砕いた。


「――っ」


 気付けば、エムが唇を噛みしめていた。何か思う所があったのかもしれない。浄化の焔で燃やしたとはいえ、万が一にも再生されぬように砕いた炭は聖灰を撒いた袋の中に小分けにして入れ、地面深くに埋めた。その後、誰一人、何一つ話すことなく即座に踵を返し、村へと戻った。

 村に戻った頃には日が落ちていた。私は村はずれのエドの家を訪ねた。エドはまだ眠ってはおらず、快く私を迎え入れてくれた。


「そうですか」


 私は事の顛末を隠すことなくエドに伝えた。そしてエドが呟いたのはその一言であった。エドは残念そうにそう言った。


「トゥイの親族はわししかおりません。手塩にかけて育ててきたのですが……、そうですか。死にましたか」

「申し訳ありません。遺体を連れて帰ることもできなかったことについては、申し開きのしようもありません」

「いえ、わしも狩人ですから、勝てない相手と戦えばそうなる可能性があることは重々承知です。貴方を責めるのは筋違いでしょう」


そう言いつつも、エドは拳を硬く握りしめていた。不器用なお人だ。私を責めれば楽になれるだろうに。


「それで、例のヒト型の魔物はどうなりましたか」

「教会のシスターの手を借りて浄化しました。おそらく、消滅したはずです」

「それは何よりの供養となるでしょう。申し訳ないが、帰っていただいても構いませんかな。見苦しいところは見せたくはありませんので」


 エドの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。私は無言で一礼してから、彼の家を出た。

 エドの家を出た後に、私は教会へと戻った。たまには祈りの一つもしようと思い、チャペルに行くと、エマの姿があった。相も変わらず大酒を飲みながらオルガンを弾いている。いつもとは異なりその手つきは荒々しく、本来柔らかい音であるはずのオルガンの音色はひどく硬質で、刺々しいものとなっていた。


「エマ」


 私が声をかけるとエマは手を止めてこちらを見た。彼女は酒にはめっぽう強いのに、今日は珍しく頬が赤らんでいた。目も血走り、とても素面とは言えない。彼女は無言でとくとくとグラスに酒を注ぐと、私の方へと突き出してくる。私の身体に押し付けるように突き出されたそれを受け取ると。


「飲め」


 一言。私は教会付きという立場ではあるが、飲酒を禁じられている訳ではない。一息に飲み干す。大分強い火酒なのか、喉を僅かに焼かれた。


「なぁ、エスト。あれは本当に魔物なのか」

「明らかに人間とは異なる機能がついていた。魔物じゃなけりゃ、改造人間でもいるってのか」

 私の口調も彼女につられて荒くなる。いつものことであるが、今回ばかりは彼女の雰囲気にのまれていた。

「あれは明らかに人語を喋っていたぞ」

「人語に聞こえるような音色だってあるだろう」

 私たちの言語は実のところ動物によっても模倣可能だ。魔物にだって不可能ではない。

「あれは人間の姿だったぞ」


 なおも彼女は私に言う。


「ヒト型の魔物だっているだろう」


 私は答えた。魔物に定義なんてないのだ。


「あれは私たちに対して積極的に攻撃してはこなかったぞ」


「積極的に攻撃してこなかろうが、私たちの脅威となりえる戦闘力を持っている時点で排斥対象だろう」


 実際あの魔物の血を操る能力は脅威という他は無かった。あの威力では法術に守られた鎧ですら意味を成

さないだろう。


「そうかよ、なら良いんだ。なら」


エマはそこで問答を打ち切ると、おもむろに酒瓶を自らの口に傾け、豪快に喇叭飲みした。


「用は済んだか」

「あぁ、済んだ。どこへなりとも消えちまえ」

「ここに用があってきた人間に対してなんて言いぐさだよ」


苦笑する。しっし、と追い払うようなジェスチャーをするエマを横目に私は天に座すとされる天使の像の前に片膝をつく。そうして指を組み、一心に祈る。

 祈り始めてから少したってから、パイプオルガンの荘厳な音色が響き始める。先ほどの荒々しい演奏とは異なる音。しかし、その音には幾ばくかの哀しみが籠っているように思えてならなかった。

 

夢を見た。少女の夢だ。その姿は昨日見た魔物のもの。嫋やかな乙女の姿を象りながらも禍々しい血の力が憑りついた魔物の姿。それは何事かを呟いていた。その声は私には届かなかった。そして、どこかへと手を伸ばしていた。その手が届く彼方がどこなのかは私のは分からなかった。その動きは何かを求める人間のようであった。不意に脳裏に死した魔物の声が木霊する。お、か、あ。ヒトのことばでは母親を意味する言葉。本当に魔物が私たちに敵対していたのかすら疑わしくなってくる。考えが巡る。しかしそれを問う相手はもういない。堂々巡り。死人に口なし。

 そこまで見た所で目が覚めた。多量の汗が体中から吹き出ていた。どうやら寝汗をかいてしまっていたらしい。とりあえず手近に置いてあるタオルをとり、体を拭く。動悸が激しい。私は余り夢を見ない。しかし今日に限って夢を見たのはやはりあの魔物のせいだろう。少女は確かに傷を私に残していった。私の中の正しさを歪ませていったのだ。


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