第3章―オオカミと幼馴染―
―第3章 オオカミと幼なじみ―
「お兄ちゃん!もっと集中して!ゆっくりと息を吐いて...今!」
「浮かべ!」
「う~ん...また浮かばなかったね、新太君...ちょっと休憩しよっか...」
「ふあぁ...!疲れたぁ...!」
魔法学校に来てから3日が経過した放課後の事だ。まだ涼しい風が頬を撫でる時間帯、俺達は校庭の隅でいつもと同じように魔法の練習をしていた。けれどやっぱり魔法を使えることはなかった。
「そんなに疲れるかな?」
「集中しすぎも疲れるんだよ...」
俺は地面に寝転がってはぁ、と大きくため息をついた。ここまでして何の成長もないと逆にやる気が無くなってくる。けれどヒナもアリスも精いっぱい俺に教えてくれているのだからここでやめるわけにはいかない。
「もしかして...新太君って移動魔法が苦手なのかも」
突然アリスがそんなことを言った。
「苦手って?魔法にも得手不得手があるっていうことか?」
「そうだよ。そつなくどんな魔法を使う人もいれば、特定の魔法だけ凄まじい力で使える人もいる、その逆もあるけどね」
「ふ~ん。じゃあアリスもやっぱり苦手な魔法があるってことか?」
「うん...アリスはね、炎を使う魔法って苦手なんだ...」
入学当時にみせてくれた枯葉の山を燃やした魔法を思い出す。あの威力がでていたのに炎魔法が苦手って...。
「あ、勘違いしないでね。アリスが苦手って思ってるのは炎の強さを調節するのが苦手って意味ね。ライターみたいな小っちゃな炎にしたりするのが苦手なの...」
「確かにあの調節って難しいよね、ボクも苦手なんだぁ...また一緒に練習しようよ、アリスちゃん!」
「やったぁ!ヒナちゃん好きぃ」
そう言ってヒナに頬ずりするアリス。キマシタワー...ってヒナは実際は男の子か...。俺は脳内に浮かんだ煩悩を振り払うように自身の頬を叩いて気を引き締める。
「で、得意魔法を探すって言われてもなぁ...」
「全種類の魔法に挑戦あるのみ!」
「やっぱりそうなるか...」
「じゃあ最初はアリスの得意分野、防御魔法をしてみよっか」
「防御魔法?」
「まぁ見せた方が早いかも...ヒナちゃん」
アリスはヒナと顔を近づけて小声で何か話し合っている。そして話が終わると二人は5mほど離れて向かい合った。
「いいよヒナちゃん!そこからやっちゃって!」
「うん...いくよアリスちゃん!」
ヒナの手には水が入ったペットボトル。口が開いたそれをまるで銃みたいにアリスに構えた。そしてヒナがきゅっとペットボトルの胴体を握る。するとペットボトルの中に入っていた水が小さな塊となって飛び出して真っすぐにアリスに向かって飛んで行った。それは本当に銃弾のようだった。たぶん体に当たれば相当痛いはずだ...。
撃ちだされた水の銃弾はまっすぐにアリスの身体を狙っていた。だけどとうのアリスはというと目を閉じ何か小さく口を動かしていた。このままじゃ当たってしまう!そう思った一瞬後だった。
「防御陣...展開!」
両の手を前に突き出したアリスの目の前に星、いや六芒星の紋章が描かれた円形の大きな光の壁のようなものが出現した。まるでマンガで見るような魔法陣みたいなそれは水の銃弾を受け止めていた。そしてだんだんと勢いを失った銃弾は最後には地面に落ちて黒い染みとなった。
「ふぅ...ヒナちゃんの魔法強いね...ちょっと調整間違ったら貫通してたかも...」
「アリスちゃんもすごいよ!ボクの一番得意な水魔法をあんな薄い魔法陣で止めちゃうなんて!」
こいつら二人の謙遜の中身がよくわからずに頭の中にクエスチョンマークが次々と浮かんだ。
「あ、お兄ちゃん。さっきのアリスちゃんの防御陣はね、ごく小さな力で受け止めるっていう技で、少ししか魔力を使ってないから魔法陣が薄いっていうわけ」
「魔力をもっと消費すれば厚い魔法陣が出来て強力な魔法も受け止められるのか?」
「うん、理論的にはね。けど魔力の消費が大きいとその魔力の分散を防ぐのが難しくなっちゃうの。結果大きな魔法陣はできるけど薄さは少しの魔力を使った時と同じくらいになっちゃう」
「それは普通の人の場合。アリスはおっきな魔方陣でもちゃ~んと分厚い魔法陣を作れるのだ!」
おなじみのアリスの自慢気に胸を逸らすポーズ。もしかしてこいつのくせなのかもしれないな。
「で、ヒナちゃんの水魔法、あんなに小っちゃくて力を凝縮した魔法なんてアリス見たことないかも!」
「ちっちゃなものにいっぱい力を込めるのって難しいでしょ?それと同じ理論だよ、お兄ちゃん」
「なるほど...わかったような、微妙にわからないような...」
「ま、とりあえずやってみようよ。まずはアリスが教えてあげるね!」
「あぁ、よろしく」
「じゃあまずは手を前に突き出して...そうそう。それで掌から力を放つイメージでね...それを目の前に壁にして作ってみる感じ...落ち着いて一つずつの過程を丁寧に...」
小っちゃいのに必死に教えてる感じがお姉さんぶってる感じで微笑ましい。けど今はそんなアリスに夢中になってる時じゃない。俺は頭を切り替えてゆっくりと息を吐いた。そしてアリスの言った通りにイメージを膨らます。
「掌のパワーを...壁に!」
けれどやっぱり何も起こらない。
「う~ん...もしかすると雰囲気が出てないからダメなのかもしれないね。ヒナちゃん」
「はいは~い。えっと...ゴメンね、お兄ちゃん。今からちょっと痛いことするけどこれも全部お兄ちゃんの為なんだからね!」
ヒナは指をピストルのような形にしてそれを俺に向けて撃つ動作をする。所詮フリ、そう油断していた俺の頬を何かが素早くかすめていった。
「え...?」
「魔力を指先に込めてそれを銃弾みたいにして撃ちこんだの、威力は弱いけど当たったらそこそこに痛いから、防いだ方がいいかも...」
訓練がまさかのスパルタ方式に変更される。次々と撃ちこまれるヒナの弾丸を防ぐべく俺はイメージを展開させる。けれど体に危機が起こったとしてもどうしても魔法が使えることができなかった。ただイタズラに俺の身体にじんわりとした痛みが広がっていくだけだった。
「ご、ゴメンねお兄ちゃん...ボク、手加減したんだけど...」
「いや...大丈夫だ。それにヒナが俺のためにしてくれてるっていうのもわかってるし...」
「でも...痛かったよね?うわぁ...ちょっと腫れちゃってる...ふーふー...なでなで...痛いの痛いの飛んでいけー!...どう、かな?ちょっとはマシになった?」
古典的な子供だましのおまじない。だけれどそれで少し痛みが引いたような気がした。多分それはヒナのおかげだ、ヒナの小さな手が一生懸命になでなでしてくれたから...。
「あぁ!もう全然痛くないぞ!ありがとなヒナ、兄ちゃん嬉しいぞ!」
「えへへ...」
感謝の意味も込めて俺はヒナの頭をなでる。嬉しそうにフニャリとした笑顔を向けてきて可愛い。
「むぅ...新太君...」
と、アリスのほうを見ると少し膨れていた。もしかして放っておかれて寂しかったのだろうか。
「アリスもな。ありがとう。一生懸命教えてくれて、俺すっげぇ嬉しい」
「も、もぅ...新太君ってばぁ...子供じゃないんだから頭撫でなくったって...」
そういうアリスだけどどうにもまんざらじゃなさそうな嬉しそうな顔をしていた。この天使みたいなほんわりとした笑顔を見るためなら俺はいつだってなでなでしてあげる所存である。
「それじゃ続きしようか。俺はまだまだできるぜ!...あれ?何か...変な足音、しないか?」
なでなででパワーで回復してやる気満々だった俺だが不思議な足音に集中力を奪われた。今は放課後、こんなグラウンドの隅っこに来る酔狂な奴なんていないだろう。ならば誰が?
ザク...ザク...
俺がそう考えている間にも足音は一歩一歩こちらへとやってきていた。
「お、お兄ちゃん...あれ...」
ヒナが恐ろしいものを見たという風に震えながら俺の後ろを指差した。ヒナの額には一瞬にして冷や汗が浮き出てつつぅと頬を垂れていた。あまりにも異常なヒナの驚きぶりに後ろを向くのが躊躇われる。けれど後ろを向かないと対処できないではないか...。俺は恐る恐る振り向いた。そこにいたのは...
「お、オオカミ...?」
全身を仄暗い灰色の毛でおおわれたオオカミがそこにいた。獣の真っ赤な隻眼の瞳と俺の視線がぶつかった。
「ヤバい...」
全身の筋肉がヤバい、逃げろと体に指令を送る。考えるより前に俺は走っていた。
「あっ!お兄ちゃん!今動くと危ないよ!」
ヒナの忠告があったけど時すでに遅し。俺の身体はもう全速力で駆けだしてしまっていたからだ。
「ヒナ!アリス!俺が遠くまで引き離すからその間に逃げろ!できれば先生たちも呼んできてくれたら助かる...!」
「新太君!そのオオカミは...!」
逃げる俺の背にアリスが何か言っていたが逃げることに必死な俺の耳には入ってこなかった...。
「はぁはぁ...!」
追ってくる巨大なオオカミから俺はひたすら逃げた。学園内になぜオオカミが侵入したかはわからないがそんなことを考えている暇はない。今は逃げて先生たちが動いてくれるまでの時間稼ぎをしなければ。体力には人より自信があるのでこのまま走り続けるのは大丈夫だ。
「うわっ...!先回りされた...くそ...」
ひたすら走っているうちに俺は一つの事に気がついてしまった。
さっきからアイツには俺を襲うチャンスなんていくらでもあったのにそうしてこなかった。むしろ俺をどこかに誘導するかのように動いていたと感じられた。
「ま、まさか...」
けどそう気づいたときにはもう遅かった。体育館の裏、ちょうど体育倉庫がジャマで先に進めない行き止まりのエリア、俺はそこに追い込まれてしまった。
「は、はは...もしかして俺、ここでひっそりと殺されちゃう?」
みんなの目につく場所で殺せば食事していれば邪魔が入ると考えたのだろうか、目立たないひっそりとした場所でこっそりと俺を食ってまたどこかに逃げて行く、たぶんそうなんだろうな...。もし、もしも俺に魔法が使えていれば状況は変わったのだろうな。
「そうだ...魔法...ピンチの時に使えるようになるのがマンガの掟...!」
マンガだとこういうピンチな時に主人公の能力が覚醒していた。だから俺もこの機に乗じて覚醒する...と思う。俺はさっきのヒナみたいに指をピストルの形に構えた。
「確か魔力を集中させて指先から撃つようなイメージで...」
今までにない程の集中力で俺は魔力のイメージを高めていく。これならできそうな気がする...。
「いっけぇ!」
「待って!」
ピストルを撃った時みたいに指を上に逸らせるのとどこからか女の子の声が聞こえるのはほぼ同時だった。
そして目の前には急に女の子が立ちふさがっていた。目をつぶってビクビクと身体を震わせている女の子、どうやら俺が撃った魔法の弾丸を身体で防ごうとしていたのだろう。だけど残念なことに俺が撃った弾丸は不発弾に終わってしまっていた。
「あ...あれ?痛く...ない?」
「その...失敗、しちゃったみたいだ」
「な、なぁんだ...」
目の前の女の子は力の抜けたようにぺたんとその場に腰を下ろした。
「大丈夫か?」
制服をきっちりと着て丸っぽいメガネを付けた黒髪の優等生っぽい女の子、俺は彼女に手を差し伸べて立たせてあげた。
「ふぅ...ありがと」
彼女は控えめにはにかむとじっと俺の顔を見つめてきた。女の子の視線が俺の視線と絡まりドクンと心臓が高鳴った。
「ねぇ...私の事、覚えてる?」
「え...?」
「だからさ...私の事、覚えてる?」
突然言われた言葉に俺は戸惑ってしまう。俺は必死に記憶を逆再生してこの黒髪メガネっ娘の事を探す。身長は俺より頭半個分ぐらい小さい、おっぱいもお尻もおっきくてグラマーな体格だ。けれどその体系も見た目の優等生っぽさに消されてなりを潜めていた。こんな娘、知り合いにいたっけ...?
「その顔...思い出せないの?ホントに?昔あんなに一緒に遊んだのに...」
「昔遊んだ?」
じゃあ俺の子供の時の知り合いか...。俺はさらに記憶をさかのぼっていく。そして見つけた、この女の子と、昔俺の知り合いだった女の子の共通点が。
「そのポーチ...もしかして、中身は駄菓子か?」
「当たり...思い出した?」
彼女の腰に提げられた黒っぽいポーチに目を向けた。彼女はそのポーチを開けて中を見せてくれる。やっぱり俺の予想通りそこには大量の駄菓子が入っていた。
「あぁ...ゆかり、だよな...久しぶり」
「うん...久しぶり、シン君...」
俺のことをシン君と呼んだ彼女、東ゆかりは俺の幼なじみだ。俺の家の隣に住んでいて俺と同い年の女の子、けれど小学5年生の時に引っ越して以来関係はぱったりと途切れてしまっていた。
あ、ちなみにシン君というのは俺の名前の「新」という漢字からとったからで、漢字を読めるようになった時からずっとそう呼ばれていた。
「ほんとこんなところで会えるなんてな...やっぱり幼なじみの力ってやつか?」
「もぅ...何が幼なじみの力よ。引っ越してから一回も連絡くれなかったくせに」
「それはお前が引っ越し先の住所を間違えて俺に教えたからだ。出した手紙も帰ってきたんだぞ?」
それにゆかりの新しい家の電話番号も聞き忘れていたし。だから連絡を取ろうにも取れなかったのだ。
「ま、いいよ。許してあげる」
「ありがとな...ってお前、そんなキャラだったか?」
「え?」
「昔は泣き虫ゆかりって呼ばれてたのにな。ずっと俺の後ろに隠れてシン君助けてぇって言ってたのに...」
「そ、それは昔の話だよ!私だって変わったんだよ...シン君がこんなに男らしく成長したみたいにさ...」
後半部分が聞き取れなかったのでもう一度聞いてみたが知らないと言われそっぽを向かれてしまった。ぷくぅと頬を膨らませているのは昔から同じ姿で少しほっとした。昔と今では相当に姿が変わっていた幼なじみに戸惑っていたが、やっぱりゆかりはゆかりなんだとホッとさせてくれた。
「...ってそうだ!オオカミ!」
幼なじみとの再会で完全に頭から抜け落ちていた。俺は再びオオカミに視線を向けた。けれどアイツはゆかりの隣でぺたんと腰を下ろして眠たそうにあくびを漏らしていた。
「大丈夫だよ。この子は私の使い魔なんだ。ほら、ウォルフ、挨拶は?」
ゆかりがオオカミの背中をなでたその瞬間だった。オオカミの姿が一瞬にして消えて代わりにそこにいたのは真っ黒な衣装をまとった人間の男だった。俺と同じぐらいの年齢の少年がオオカミの代わりにそこにいたのだ。まるでマジックみたいだ。俺はぱちぱちと目を瞬かせてその奇術のような光景に驚いた。
「俺はウォルフだ。よろしくな」
「あ、シン君すっごくびっくりしてる。驚いた顔、なんだか可愛い」
「お、おい...これ...どういうことだ?え?さっきのオオカミがウォルフじゃなかったのか?」
「え~とね...この子、オオカミ人間なの」
「マジか...けどオオカミ人間って満月の夜じゃないとオオカミ化しないんじゃなかったか?」
「それはお前たちの世界でだろう?生憎俺はいつでもオオカミになれるんだぜ」
ゆかりのかわりにウォルフが低い声でそう答えた。180センチほどある大きな体に長めの前髪に遮られて見え辛いが鋭い赤眼、それに右目についた傷のせいで隻眼になっているなど威圧要素バリバリのこいつに俺は少し後ずさりした。
「大丈夫。ウォルフは怖くないよ?ただちょっと見た目が怖いってだけで中身はいい子だから安心して」
この長身長の男をまるで子供かペットのように見ているゆかりに少し驚きを隠せなかった。
「そうだ!お前、何でこんなことまでして俺をここに連れてきたんだよ!?」
「う~ん...別にここじゃなくてもよかったんだけどさ...でも久しぶりの再会だし二人っきりになれる場所がいいかなって...」
「だからって回りくどいことするなよ...普通に声かけてくれればさ...」
「だって普通に声をかけてもあのヒナって女の子がついてくるんでしょ?私、二人っきりになりたかったのに...」
そう寂しそうにゆかりはつぶやいた。
「この学校に男の子が来たって聞いて、それで調べたらシン君で...でもシン君はそのヒナってこの使い魔だから、声をかけたら主人のヒナって子がついてくるかなって...」
「あ、あぁ...それなんだけどさ...お前、ヒナって見たことある?」
「う、うん...栗色の髪の毛の小っちゃい子だよね」
「顔はよく見たか?」
「うん...可愛かったよ...」
「いや、そういうことじゃなくてだな...どこかで見おぼえ、ないか?」
今度は逆に俺がゆかりの記憶テストだ。ゆかりはうんうんと唸って記憶をさかのぼっているようだ。
「なんだか見たことある気が...あの可愛い感じ...あれ?でも...」
「どうだ?心当たり、あったか?」
「うん...けど、それっておかしいよね?だってヒーちゃん男の子だよね!?」
ゆかりがヒーちゃんといったのはむろん俺の弟、日向の事だ。まぁゆかりが戸惑うのも無理はないか。幼なじみの弟が魔法を使えるようになっていてしかも女装しているというのだから。
「正解だよ。あれは俺の弟の日向だよ。あ、けどこのことは秘密にしてくれよ?ばれると結構厄介なことになるから」
「うん...わかった」
ゆかりはこくりと頷いた。
「ウォルフも、いいな?絶対に言うなよ」
「あぁ、別に誰にも言う気はないさ」
彼もうなずいてくれたので俺はほっと胸をなでおろした。
「そっか...あの子がヒーちゃんだったんだ...昔っから女の子っぽくてかわいいなぁって思ってたら本当に女の子の格好してるんだもん...びっくりだよぉ」
「そりゃ俺もアイツの魔法少女服を初めて見たときは驚いたもんさ」
この後も俺たちは他愛もない会話を続けていく。まるで今までの空白の時間を埋めるように...。
「あ、そうだ。シン君、野球選手になるって夢はどう?叶いそうなの?」
話していく中でそんな話題が出てきた。確かに俺には昔野球選手を目指していた時期もあった。子供のころから父親の影響で野球中継ばかり見ていた俺はいつの間にかあのスタジアムに立って手に汗握る勝負がしてみたいと思っていたのだ。地元の少年野球のチームに入ってエースを務めてた頃もあった。
「あぁ、あれな...確かにそんな時期もあったなぁ...」
「え...?それってもしかして...」
「うん、野球選手、諦めた」
「な、何で!?ずっとなりたいって言ってたじゃない!」
「なんかさ...頑張っても、才能ある奴には勝てないって思ってさ...頑張っても結局無駄、疲れるぐらいなら頑張らないって決めたんだ」
それは中学校に上がってすぐの事だった。その当時は野球の夢を追っていたのでもちろん野球部に入った。少年野球で思い上がったバカな少年は、そこで現実ってやつを知ったのだ。繰り返し繰り返し、毎日毎日ハードな練習を繰り返す。汗水たらして、時には練習の辛さに涙を流したというのに、俺は一向に上達しなかった。
周りのやつと練習量は同じ、けれどどうしてか評価されていくのは周りの奴ばっかりだった。2年になってもなんとか続けていたが、それもすぐに限界が訪れた。
下級生がレギュラーを取り、俺と一緒に入った奴らはみんな活躍して、けれども俺は一人、ただスポットライトの当たらないくらいところで、苦しみに悶えていた。どれだけ努力しただろうか、学校でも家でも考えるのはどうすれば上達するかだった。だけどいくら考えて行動したところで、結果はついてこなかった。
毎日が苦痛で、辛く、憂鬱になり心がすり減っていた。そして知ったのだ、努力という虚しさを、頑張るという無意味さを。虚しさを知った俺はもちろん野球部を、いや、頑張ることを辞めた。
それ以来俺は頑張るということをしなくなった。受験もそれなりに勉強せずに入れるところにした。高校での定期テストも適当に赤点すれすれのところを行き来するぐらい適当にこなした。そしてその頑張りのない俺自身は、ついに日々にも頑張りを失いかけていた。世界が、色を失って見えるようになった。もちろんそれはただの例えだ。けれど俺の中の世界は本当に色を無くして、何もかも無価値なモノクロの塊に変わったのだ。
ただ救いだったのがヒナ...日向の存在だけだった。俺のことを頼ってくれる、俺のことをちゃんと見てくれている、なにより俺の心の支えになってくれていた日向、弟がいなければ俺の心はすっかり腐りきってしまっていただろう...。
けれど今の俺の世界はだんだんと色づいてきているのが自覚できた。魔法という存在が、この異世界という夢のような存在が、俺のモノクロの日常を色づけてくれたのだ。だから俺は魔法を習得しなければいけない...。この色のない世界から救ってくれた魔法を...。
「バカ!」
「え...?」
過去の自分を思っていた俺の頭に鋭い叫び声が響いた。あまりにも鋭い声なのでそれが一瞬ゆかりのモノだとは思えなかった。
「なによ...がんばっても無駄って...私、シン君が頑張ってる姿を見て憧れてたのに...そんなの、私がバカみたいだよ...」
ゆかりはうつむいてそんな言葉を発した。彼女の肩はプルプルと震えてぎゅっと拳が握られていた。綺麗な瞳にはいっぱいの涙がたまり少しでも触れたら溢れてしまいそうだ。
「ゆ、ゆかり...?」
「シン君のバカ!もう知らない!」
ゆかりは俺を押しのけてそのまま走っていってしまった。あまりの出来事に思わず呆気にとられ立ち上がることすら忘れてしまう。
「俺...何か悪いこと言ったか...?」
「お前はゆかりがどんな思いで今まで過ごしてきたのか知らない...少しはゆかりの思いを考えてみるんだな」
そう言い残してウォルフも去ってしまい後には俺一人だけがぽつんと取り残されてしまった。夕暮れに近づく柔らかな空気が俺の少し冷たくなった頬をなでた。
「今までの、ゆかりの思い...?」
そんなの分かるわけない、どうすれば他人の思いなんてわかることができるんだよ...。
「ねぇお兄ちゃん...ゆかりお姉ちゃん、泣いてたよ?」
「うわっ!?ヒ、ヒナ...?いたのか...脅かすなよ...」
それから数分の間じっと座ってふてくされていたが、唐突のヒナの声に俺は我に返った。
「ボクさ、あんまり話を聞いてなかったからわからないけどさ...ゆかりお姉ちゃん、どうしてあんなに変わったんだろうね?」
「え...?」
「ほら、思い出してよ、昔のゆかりお姉ちゃんを...あんなに泣き虫で引っ込み思案だったお姉ちゃんがさ、今ははきはきとしててさ明るくなったよね...それって、なんでだと思う?」
「そんなの、俺に分かるわけ...」
「ううん...お兄ちゃんならわかるよ...」
ポン、と頭の上に小さくて、温かな手がのっていた。その手がゆっくりと俺の頭をなでる。すると不思議なことに頭の中に昔の風景がよみがえってきた。騒がしい朝、眩しい昼、オレンジの夕景、静寂の夜、いつも俺と一緒にいた幼なじみの姿が、思い浮かんでは消えていく。
昔は本当に恥ずかしがりやで、泣き虫で、ずっと俺の後ろに隠れていた女の子が、今は明るく独り立ちしている。それはどうしてだろうか...?頭の中で様々な可能性が巡る。だけどどれも正解のようではずれている...。思い出の波の中、俺は彼女の重大な一言を掴んだ。
〈私...シン君みたいに強くなるから...〉
引っ越しの前に言っていたあのセリフを、思い出したのだ。
「あの時の...!」
「どう?分かった?」
「あぁ...たぶん、な...今から答え合わせに行ってくるよ...で、ゆかりはどこ行ったかわかるか?」
「ごめんね、お兄ちゃん...ゆかりお姉ちゃん昔よりずっと足が速くなってて追いつけなかったんだ...本当にごめんね!」
「いや、いいよ。気にするな」
「でもぉ...」
申し訳なさそうにしているヒナに俺は笑顔を向けた。ヒナにも笑顔になってもらえるように、最高の笑顔を、だ。
「俺のことを励ましてくれたのはヒナだぜ?ヒナがいなかったら今頃ゆかりと仲直りの言葉なんて見つかってなかったからな」
「お兄ちゃん...ゆかりお姉ちゃんと、仲直りがんばってね!」
「おう!もちろんさ」
俺は親指をぐっと立ててヒナに突き出した。ヒナもそれに応えるようにグッと親指を突き出した。その顔には最高の笑顔の花が咲いていた。
「...ヒナ、ありがとな...」
去り際、俺は背中越しにヒナにそう言葉を送った。
「くそ...どこだ...!?」
学校中を走り回りゆかりの姿を探すが見つからない。残っている生徒に聞いても知らないと答えるのみだ。ヒントも無しにどうやって探せばいいんだ...。窓からオレンジ色の光が強く差し込みどこかさびしげな雰囲気を醸し出していた。
(ゆかりなら、どこに行くだろうか...?)
過去の記憶を探りゆかりの行きそうな場所を探す。昔ゆかりがよく言っていた場所...
「そうだ...図書室だ」
俺は急いで図書室へと向かった。階段を上がり長い廊下を抜けた先、この学校の最上階の一番奥の部屋、そこが図書室の入り口だ。大きくて厳格な雰囲気を醸し出している扉に手をかけてそれを開いていく。ぎぎぃ、と大きな音を立てて扉が開く。
図書室に入りまず感じたのは紙の匂いだった。本にしみこんだ独特の匂いが夕暮れの匂いとともに感じることができた。俺は扉を閉めてゆっくりと奥へと進んでいく。
「いた...」
「え...?シン、君...?」
一番隅の本棚の一番奥、そこにぽつんとゆかりが座っていた。膝を抱えて目を伏せて座っていたが、俺が声をかけると彼女はゆっくりとその顔をあげた。彼女の瞳は真っ赤に腫れて頬にも水跡がついていた。
「お前、昔っから変わってないな」
昔からゆかりは何か嫌なことがあるとこうして図書室の一番隅っこに隠れて一人で泣いていたのだ。泣いているゆかりに手を差し伸べるのが俺の役割だ。これは何年たっても、今も変わらない、いや、変えたくない。俺だけができることだ。
「その、さ...ゴメンな...俺、ゆかりの気持ち、あんまりわかってやれなかった...ゆかりはさ、昔の頑張ってる俺を目標にして変わったっていうのに...ゆかりが頑張って変わったのに、俺は...」
「シン君...いいよ...私もちょっと怒りすぎたかもしれない...考え方が変わったってシン君はシン君だよね...」
ゆかりはそうやって寂しそうに笑った。まだどこか納得のいっていないような表情だ。
「ゆかり...俺さ、今すっげぇ魔法のこと頑張ってるんだ。これだけはあきらめたくないって思うんだ...」
「魔法を...?」
「あぁ...俺、何でか魔法が使えなくてさ...頑張って練習してるんだけどまだまだ全然だよ...だけどさ、俺諦めたくないんだよ。魔法からは不思議と逃げたくないんだよ。だから、ゆかりも、俺の魔法を手伝ってくれないかな...?」
「私が...?」
「あぁ...ゆかりがいれば、もっと俺頑張れるかなって...」
言っててなんだか恥ずかしくなってきて俺は思わず彼女から目を逸らした。
「シン君...わかった、私でいいなら、教えてあげる...シン君が頑張ってるの、手伝ってあげる」
そう言ってゆかりは俺のことをぎゅっと抱きしめた。昔と同じ、ゆかりのふんわりとした匂いが俺の鼻孔をくすぐる。
「シン君...私こそ、ゴメンね...バカとか言ったりして...」
ゆかりのその声は涙で濡れていた。
「私ね、引っ越してからちゃんと変わろうって、シン君みたいな子になろうってがんばってさ...でももうあの時のシン君はいないんだって思うと悲しくって...ゴメンね、私の勝手な都合で怒ったりしちゃって...」
「いや、俺こそ無神経だったかもしれない...ゆかりがどんな思いをして過ごしたか、なんてほとんど考えてなくてさ...」
「えへへ...お相子様だね」
そう言ってゆかりは昔みたいに涙交じりに笑ってみせた。夕焼けに照らされたその顔は本当に昔とほとんど同じだった...。
「さぁ!パーティーだ!みんな思いっきり食べて騒いでくれ!」
で、時刻は夜、テーブルの上には鍋の用意が整っている。俺、ヒナ、アリス、ゆかりがそれを囲むように座っている。
「いや...お兄ちゃん、急にどうしたの?」
「そうだよ、こんなのシン君らしくないよ?」
「ゆかりとこうして再開できたんだからパーティーしないとな」
「じゃあアリスって必要ないんじゃ...」
「アリスは俺がこっちに来て初めてできた友達なんだ。親睦会もかねてってことでさ、一緒に楽しもうぜ」
俺はこの4人を集めて鍋パーティーをすることにしたのだが、あまり乗り気じゃないみたいだ...。いや、乗り気じゃない、というより戸惑ってるって言った方がいいのか。ま、それも最初のうちだろう。
「そうだなぁ...鍋ができるまで自己紹介でもするか。アリスとゆかりは初対面だしな」
それじゃあ、といって立ち上がったのはアリスだった。
「鳳アリスです!ヨロシクね」
「あ、うん。私は東ゆかり、気軽にゆかりって呼んでよ...それにしてもシン君ってすごいね、こんな小っちゃい子までお友達にしちゃうなんて...っていうか、アリスちゃんが一番初めにできた友達っていうことは、シン君ってロリコンさんだったの!?」
「俺はロリコンじゃねぇ!」
「アリスは小っちゃくないです!」
俺とアリスが叫んだのはほぼ同じだった。ゆかりはびっくりしてちょっとの間固まってしまった。
「え、え~と...アリスはこう見えて俺と同い年なんだ」
「そうだよ!アリスだってもう立派なレディなんだから!その証拠におっぱいおっきいでしょ!?」
「いや、もうおっぱいネタはいいから...」
もしかしてアリスにとっては身長より胸があった方が大人って思うタイプの人間か?異世界人だから俺たちと常識が違うのか...?とも思ったけどアリスの負け惜しみだなということで自己完結した。
「ゆかりは俺たちの幼なじみなんだよ」
「ふ~ん...え!?じゃあこの学校で一、二を争う実力の魔法少女ってことじゃん!」
突然アリスは驚いた声を上げた。
「そうだったのか!?」
「え!?そ、そうなの!?」
逆に今度は俺とヒナが驚きの声を上げた。あのゆかりが、一、二を争う実力だって...!?
「新太君は知らなくてもまぁ分かるけど、ヒナちゃんは何で知らないの?」
「ボク、この前まで夜間課程で通ってたから...あんまり学校の情報が流れてこなくって...」
「あぁ、なるほど...」
「もぅ...みんな大袈裟だよ?別に私はすごくなんか...」
少し困った顔を浮かべて首を振るゆかりだけどアリスは食いついて離さなかった。
「ねぇねぇ!アリスにも魔法教えて!アリスも立派な魔法少女目指して頑張ってるんだけどあんまりうまくいかなくてさ...けどこの学校で一番うまいかもしれないって子に教えてもらえたら...」
「うん、教えてもいいけど...シン君の後ね」
「ずるい!新太君もうゆかりちゃん予約してるなんて...!」
「え、え~と...なんか成り行きで...」
「ますますずるい!」
「そ、そのぉ...あっ!な、鍋!もうできたんじゃないかな?ヒナ、みんなに器配って、冷めないうちに食べちゃわないとさ」
このまま話が進めば被害をこうむるかもしれないので慌てて話を変えることに。アリスは少し不満そうにしていたがけれど食欲の前には従順だった。鍋のおいしそうなにおいを前にしてお腹が鳴ってしまっていたのだ。
「はは、アリスちゃんってば大きな音...どれだけおなか減ってたの?いっぱい入れてあげるからねぇ」
ヒナはまるでお母さんみたいにアリスの器に具材を入れてあげていた。
「あれ...?そういえば...何か忘れてるような...?」
「どうしたのゆかりお姉ちゃん?何か足りない材料あった?」
「ううん...材料は全部そろってるんだけど...何か忘れてる気が...」
「食べてたら思い出すんじゃない?ゆかりちゃんも一緒に食べようよ!お鍋おいしいよ!」
器いっぱいに入れられた具を思いっきりかき込みながらアリスが言った。
「ほら、アリス...食べながらしゃべると下品だぞ」
「ふぁ~い...」
「言ったそばからするなよ...」
「ま、いいや。私の気のせいかもしれないし。それじゃ...いただきま~す」
「ちょっと待ったー!」
急に部屋の扉が開いたと思うと男が一人入ってきた。
「あ...そうだ!忘れてたのってウォルフの事だ!」
「ひ、ひどいなぁ...俺、このままじゃ飢え死ぬところだったぞ...」
そういえばウォルフもいたっけ...
「悪いな、ウォルフ。おまえの分の器はないんだ」
「いや、器ならある。鍋のいい匂いがしたからな。走って家から持ってきた」
「そ、そうか...」
食い物に向けた執念は深いようで...。結局彼も食卓に付きみんなでワイワイと鍋を囲むことにした。
「ゆかり、この魚、結構小骨がある。俺が骨を抜いてやるから少し待ってろ」
「ウォルフ、いいよ、そこまでやらなくて」
「何言ってるんだ、もしゆかりの喉に小骨が刺さったりしたらいけないだろ?遠慮しなくてもいいんだぞ」
「え、遠慮なんてしてないから...」
ゆかりは嫌がっているがウォルフはそんなのお構いなしだ。そんなウォルフの姿にまるで従者みたいだなと心の中で思ってしまう。
「ほら、小骨が抜けたぞ...はい、口開けて...」
「じ、自分で食べられるから...」
「ゆかりに手間をかけさてたくはないんだがな」
「そんなの手間でも何でもないし...」
「ゆかりちゃん...大変そう...」
アリスが苦笑いを浮かべながらぽつりとそうつぶやいた。確かにこんなのがずっと付きまとっていれば大変だよな...。
「もぅ...!ウォルフ!いい加減にしないと怒るよ!」
「あぁ、いいぞ怒っても。俺はゆかりにならいくら怒られても平気だからな。いや、むしろ怒ってくれ!俺に命令してくれ!命令違反した時のあの痛みが欲しいんだ!」
「へ、変態だ...」
「あぁ...変態だな...」
ヒナと顔を見合わせて聞こえない程度の声でそう言った。まさかウォルフってマゾヒストなのか...?こんなに強面な見た目でマゾというのもおかしな話だが人は見た目によらないということもあるし...。
「はぁ...もう...ホントこの子ってば...」
大きなため息をついたゆかりは諦めたようにウォルフの差し出したお箸を口に入れた。
「なぁゆかり...お前とこいつって、どういう経緯があったんだ?」
「それアリスも気になる!」
「ボクも、ちょっと気になるかも...」
「なに!?俺とゆかりの思いでは二人っきりのモノだ、お前たちに聞かせるわけには...」
「いいよ、聞かせてあげる」
「ゆかり!?な、何で...俺たちの大切な思い出だろ?この思いでは二人だけの秘密で墓まで持って行く約束のはずじゃ...」
「そんな約束してません」
驚きに目を見開くウォルフに呆れたようにつぶやくゆかり。まるで漫才でも見ているふうだ。こういうところはぴったりと息が合っていてまさに主人と使い魔って感じがする。
「あれは私がとある異世界に使い魔を探しに行った時の話だね。何かいないかなぁって森に入ったんだけどさ、そこにいたのは傷ついたオオカミだったの」
「それがウォルフってことか?」
「うん。でもね、その時いたのはウォルフだけじゃなかった。他のオオカミが、確か4匹ほどいてね、そいつらがウォルフを襲ってたんだ」
「ほんとあの時はまいったよ...ちょっとおこぼれにあずかろうとしただけであんなに攻撃してくるなんてさ...」
昔を思い出して彼はやれやれと首をすくめた。
「さすがに4対1っていうのは見てられなかったから私が助けに入ったんだ。魔法を使って驚かせてやったら逃げて行ったんだけど、どうやらその時にウォルフに好かれちゃったらしくてね...」
「あの時のゆかりはとても輝いて見えたな...一瞬で惚れちまったよ...」
遠い目でフッと笑うウォルフ、正直気持ち悪いんですけど...。
「で、私もこの子が可愛く思えて契約しちゃったんだけど...あとから狼男だって気付いてさ、しかもこんな性格だよ?もぅあれから大変で...」
「なるほど...お前も事故ったんだな...」
はぁとため息をつくゆかりにポンと肩を叩く俺。さすがにこんな奴とずっと一緒じゃ精神もまいるよな...。
「悪い子じゃないのはわかってるんだけど...思いっきり過保護だし...」
「過保護って...俺はゆかりのことを思ってやってるんだ。もしゆかりに何かあったら俺が許さない。たとえそれがお前らだったとしてもな」
ギラリと赤い瞳が俺たちを鋭く見据える。その瞳は意思の炎に満ち溢れていた。
「こらウォルフ!ダメでしょ!私のお友達にそんなこと言っちゃ!」
「け、けど...」
「けど、じゃない!もしみんなに酷いことしたら、もう絶交しちゃうからね!」
「そ、そんな~...あ、でも絶交して口をきいてくれないゆかりもなかなか...」
何かよからぬことを想像して二ヘラと笑うこいつは放置するに限るな...。あんまりこいつとは深く関わらないようにしておきたい。
「はぁ...ほんとダメな子...」
呆れたようにそう言ったゆかりだが、その表情はどこか笑っているように思えた...。
―幕間の物語3―
「エミリア、調査のほうはどうかしら?」
学園長室でいつものように椅子の背もたれまでどっかりと座り込みコーヒーをずずっと飲みながらエリーがそう口を開いた。凛々しい顔立ちがそのすぐ後にコーヒーの苦みによりしかめられた。
「柚木新太の事ですか?」
「えぇ...」
「彼が編入してきて一週間が経過しましたが魔法発現の兆候は見られず。東ゆかりにも教えてもらっているようですが依然成果は出ません」
「そう...」
淡々としたエミリアの報告をききながらエリーは困ったように顔を崩した。手元の資料を見ながら彼女はうんうんと唸る。その資料に書かれているのは柚木新太のこと。この前の検査結果が書かれている資料とにらめっこしながらエリーはさらに妹に尋ねる。
「ほんとに魔法は発言していないの?あなたが監視していないところで、とかさ」
「いえ、お姉様。それはありえません...私の監視魔法の制度をご存知でしょう?」
姉は妹の監視魔法の恐ろしさを思い出してまた首をひねった。エミリアの監視魔法は24時間の完全監視を可能とする。しかも監視した情報を映像化しさらにその現状をリピートすることができるというのだから恐ろしい。
「ただ少し気になることが一点...彼の蓄積魔力量が日に日に増加しています。1日の増加量は微量ですがいずれは...」
「なるほどね...魔法で魔力を発散できないから少しずつ溜まっていっているのかしらね」
魔力は体内に蓄積することで毒にもなる。魔法を使うことでたまった魔力を外に出すことはできるのだが、彼にはそもそも魔法が使えないのでそんなことはできない。もしこのまま魔力が体内にたまり続ければ魔力中毒、いわゆる自家中毒のような状態に陥ってしまうだろう。
「そうなる前に対策を考えないとね...」
エリーはまたう~んと唸りコーヒーを口に含んだ。
「それじゃ第5世界の観測結果はどうなのかしら?」
第5世界、それは新太たちがいた世界の事を指す。この世界を第1世界とし、そこから繋がった異世界を順に第2、第3と名前を付けている。異世界、というにはさすがに広すぎるし世界そのものに名前なんて付けられるはずがない。たいていの人間は世界は自分たちが棲んでいるものだけ、異世界なんてありえないと思っているからだ。
「はい...あの世界には今膨大な魔力が流れ込んでいます。魔法の存在しない世界にこれだけの魔力が流れるなどおかしなことです...」
エミリアの深刻そうな声に彼女も動揺を隠し切ることができなかった。もし魔法の存在が否定されている第5世界に魔力が飽和したら、それは世界の崩壊すら招いてしまう大惨事に陥るだろう。魔力の消耗をする魔法少女がいなければ世界に魔力が満ち溢れて暴走を引き起こす。いわゆる新太の身体と同じような状態になってしまうわけだ。
「そっちもどうにか対策を考えないとね...」
「少しこちらにも不可解な点が...魔力が溢れかえっているのは柚木新太の住んでいた地域から半径10キロ圏内だけなのです」
「ある一定のポイントのみの魔力飽和...?ありえない...そんな事象過去にも例がないわ...!」
エリーの声は確実に苛立っているのが分かる。どうしてこうも問題が起こるのか、あの第5世界は。過去にも混沌の魔法少女の出現により大混乱を招いたというのに...。今度は魔力飽和...
「何か嫌な予感がするわ...エミリア、引き続き監視をお願いするわ。もし何か少しでも異変が起こったらすぐに知らせて。自分で対処しようなんて思わないこと、いいわね」
「はい、わかりましたお姉様...それでは...」
そう言ったエミリアは瞬時にして姿を消した。
「ちょっとぐらいお茶でもしていけばいいのに...」
去っていった妹の背にエリーはぽつりと寂しそうにつぶやいた。