第1章―つまらない日常にさよならを―
―プロローグ―
―君は魔法を信じますか?―
この質問に「はい」と答える現代人はどれだけいるだろうか?
きっとそれは全体の1割にも満たないごく少数だろう。
誰もが皆科学の申し子で、魔法などそんな夢物語も存在しないと豪語する世界。
そんな世界に、もし魔法が存在したら?
そうなったらこのつまらない現代世界に色がつくはずだ。
皆死んだような灰色の世界に、鮮やかな七色の輝きが広がるはずだ。
だから俺は、その質問に希望を込めて、「はい」と答えよう―
―第1章 つまらない日常にさよならを―
俺は朝が嫌いだ。眠たいからとかそんな単純な理由からではない。世界が騒がしいからだ。朝になれば世界はあわただしく動き出す。通勤で車やバイクを走らせる騒音、子供の送り迎えにいそしむ母親の声、通学途中の子供たちの声。どれもこれもが慌ただしく俺の耳を通り過ぎては消えていく。そんな騒音を毎日聞いていればそれこそ億劫になるというものだ。朝はゆっくりコーヒーでも飲みながら優雅に過ごすのが俺の持論なのだ。はぁ、とため息を一つついて俺はテレビの音量を大きくし外の騒音をなるべく聞こえないようにして、いつものように朝食を作っていた。
テレビの朝の天気予報を適当に垂れ流しながら朝食を作る、それが俺、柚木新太の日課だった。俺はこの春高校2年に進級した17歳だ。しかしなぜ高2の俺がこうやって朝食を作っているのか、その理由は明白だった。両親が海外へ飛びまわって滅多に家に帰らないからだ。どうやら両親はトレジャーハンターを生業としているらしくほとんどを海外で遺跡発掘やら古文書の研究に費やしている。今年の3月に帰ってきたと思ったら4月の半ばには1年間帰らないからよろしくという置手紙をおいて勝手に海外へ飛びまわったのだから迷惑この上ない...。
というわけでこの家での家事は俺の仕事となっていた。
「そろそろ焼けたかな...」
台所に香ばしい匂いが漂ってきたのを合図に俺はコップを二つ用意してジュースを注いでいく。トプトプと液体が透明のグラスを染めていく。俺はさらにお皿を二つ用意してそこにちょうどいい具合に焼きあがったトーストを置いた。
「ふわぁ...むにゅぅ...おはよぉ...」
「おはよ、日向」
そのタイミングを見計らってか、それともトーストの香ばしい香りに釣られてか弟の日向がのっそりと起き上ってきた。普段は大きくてぱっちりとした女の子みたいにきれいな瞳が今は眠たそうにしばしばと瞬かれていた。綺麗な栗色の髪の毛も寝癖でぼさぼさになってまるでライオンみたいで俺は思わず吹き出した。
「ほら、早く顔洗って寝癖なおしてこい。兄ちゃんがその間にご飯用意しておいてやるから」
「うん...分かったぁ...」
と、本当にわかったのかどうかわからない間延びした返事をしてフラフラと危なっかしい足取りで洗面所へ向かっていった。
弟の日向はこの春、俺と同じ学校に進学した。日向ならもっと上のレベルの学校を狙えたはずなのにお兄ちゃんと同じ学校がいいと言っていたのをおぼえている。昔からお兄ちゃんっ子でずっと俺の後についてきていたのだがそれも中学で卒業だと思っていた俺の考えは打ち砕かれてしまった。
「お兄ちゃぁん...ボクごはん食べるぅ...」
顔を洗って少しはしゃっきりしたかと思ったがまだ声は間延びしていた。これもいつもの朝の光景だった。
「ふぅ...お兄ちゃんのごはんおいしかったぁ」
「俺はただ食パン焼いただけなんだけどな」
「お兄ちゃんが焼いてくれたからおいしかったの!」
そう言って日向は可愛らしく微笑んだ。
ここで日向の容姿について少し記しておこう。身長は普通の高校生より小さめだ。男のくせにプニプニっとした体つきに雪のようにきめ細かくて透き通った肌が特徴的だ。大きくてぱっちりとした目、ふんわりとしたマシュマロの様なほっぺが幼い顔立ちをさらに幼く見せていた。その幼い顔立ちに似合う女の子のような可愛らしい声。そして極めつけはぴょこんとアホ毛が飛び出ている栗色の毛を真っ白のシュシュでくくっているポニーテールだ。ちなみに前髪にはチャームポイントである星形のピン止め(昔せびられて買ってやったモノ)がついている。
ここまで記したらきっとわかるだろう、俺の弟日向の容姿はまるで女の子、いや、女の子そのものだと言っても過言じゃないのだ。生まれる性別を間違えたんじゃないかと思うほどである。動作も女の子っぽくて、少し例をあげるとラーメンを食べるときに髪の毛を耳にかけて食べたりとか、座り方もどこか女の子っぽいところがあるとか...。好きなモノはかわいいもの(特に服)を集めることで休日には服を着て出かけることもしばしば...。それにここ最近また女の子っぽさが増したというかなんというか...要するにお尻が大きくなってきているのが分かったのだ。ちなみに言っておくが俺は弟のお尻を常に観察している変態ではないからな。たまたま日向がお尻がおっきくなってきて困るなぁ、と呟いているのを聞いただけだからな。
「お兄ちゃん!何ぼぉっとしてるの?早く用意しないと遅刻だよ?」
「あ!ヤベ...サンキュー日向!」
日向の容姿を観察している間に結構な時間を費やしてしまったようだ。俺は急いで残ったトーストを口に放り込みジュースで流し込んだ。そして俺のキライな慌ただしい様で学校への準備を始めた。
俺達はいつもの通学路を早足で通っていく。散った桜の花びらを踏みながら一歩一歩、歩を進めていく。
「はぁ...桜散っちゃったね...お花見行きそびれちゃった」
隣の学ランを着た日向がはぁとため息交じりにそう言った。どうも日向の学ラン姿はあまり似合うとは言えない。ちっちゃな女の子が無理して男装をしたという感じがにじみ出ていた。
「どうせ来年も咲くんだからさ、また来年いこうぜ」
「お兄ちゃんって風流が無いよね?今年の桜は今年しかないんだよ!」
「なに詩人みたいなこと言ってんだよ...」
今年は雨が多く桜の花びらはすべてそのせいで落ちてしまっていた。そんな桜を惜しむように日向と桜の話をしながら進んでいるとあっという間に学校についた。まだ授業開始まで時間の余裕があった、これなら早足じゃなくてもよかったかな...。
「それじゃあな、日向。ちゃんと授業受けるんだぞ~」
「お兄ちゃんも授業中寝ないように頑張ってね」
「うるせぇ」
そして俺はいつものように教室に行きつまらない授業を受けて家に帰る。それが俺のつまらない日常。色のない、ただ平凡に毎日を浪費するだけの日常だった。
だけど俺の日常は、今日この日を持って終焉を迎えるということは、その時の俺自身は知るはずもなかった...。
最近弟の様子がおかしい。何がおかしいかといえば夕飯を食べてからどこかへ出かけ、日付が変わるころに帰ってくるのだ。日向は塾に通っているわけでもないので夜中に出歩く必要性などないのだ。けれど高校に入ってからほぼ毎日のように夜中に出かけているのである。俺が何処に行くのかと尋ねても濁されてしまうのだから困ったものである。
(もしかして悪い奴にいじめられてるとか...!?はっ!あの容姿だから女の子と間違われて変な男に...!)
そんなことを学校の友人に話すと過保護だとかブラコンだとか言って笑われてしまった。ブラコンっていうのは日向みたいなお兄ちゃんっ子の事を指すんじゃないのか?まぁとにかくだ、友人に話してもあまりいい解決策もみつからずで、今日も今日とて日向は行き先も告げずにどこかへ出かけてしまったのだ。
(どうせ今日も遅くまで帰ってこないだろうな。お風呂は日向が帰ってきてから沸かせばいいし...テレビでも見るか...)
テレビのお供に台所からポテチを持ってきてテーブルの上に広げた。ジュースも取ろうとして冷蔵庫を開けた時気付いた。
「あ...牛乳無いし...日向のやつ怒るだろうなぁ...」
今日の夕飯にグラタンを作ったのだがその時にすべて使い尽くしてしまったのを忘れていた。お風呂上りの牛乳を何よりも楽しみにしている日向にとって牛乳が無いということは死活問題だ。
俺が怒られるだけならまだしもヘタすれば数日すねて口をきいてくれない可能性も有り得る。そんな事態になっては大変だ。二人暮らしでただでさえ少々寂しげな生活をしているというのに会話がなくなれば空気に耐えきれなくなってしまう。というわけで俺はいそいそとコンビニへと向かった。
もうすぐ5月だというのに夜の道は少々寒かった。気温としてはそんなことはないのだが風がまだ少し冷たい空気を孕んで俺の身体を駆け抜けていく。
(念のため長袖を着てきて正解だったかな)
俺はポケットに手を突っ込み早足に4月の夜を駆け抜けた。
途中ショートカットするために公園に入る。昔よく日向と一緒に遊んだ公園だ。確かその時はもう転校してしまった幼なじみの女の子がいたっけな、と昔の記憶がふと思い返された。
(昔から日向ってどこか女の子っぽくて...弟っていうより妹だったよなぁ...そういえば昔ここで日向と結婚式ごっこしたっけ...もちろんお嫁さん役は日向だったな)
薄い青色の電灯に照らされて怪しく光る滑り台を横目に見てそう思った。滑り台の頂上で二人並んで向かい合い結婚の誓いをして、花道に見立てた斜面を二人でゆっくりと滑り降りたりした。あの時の日向の幸せそうな笑顔が今でも脳裏に焼き付いて離れなかった。
「にゃ~にゃ~」
そんな昔のことをぼぉっと思い出しながら歩いているとどこからか猫の声が聞こえてきた。野良猫か何かがこの遊具に住み着いてるのだろうかなどと考えている間も猫の声はだんだんと近くなってくる。
そして前方の暗闇の中から突然その声の主が飛び出してきた。
「あっ!お前、ミケじゃないかっ!」
ミケというのは俺たちの通学路の途中に捨てられていた猫だ。毎日のように日向はミケにエサを持って行き時間があれば少し戯れているのだ。だけどそんなミケが何でここに?しかも少し慌てているように見える。
「にゃっ!」
ミケは驚くべきジャンプ力で俺の肩に登るとサッと背中に張り付いてしまった。まるでなにかから隠れるようなその姿に俺は疑問を浮かべた。
「うわっ...!あ、危ない...!ど、退いて退いて~!」
と、俺の考えを遮る様に可愛らしい声が前方から飛んできた。俺が声の方向を振り向くと、そこには一閃の光が俺の方向に向かって飛んできているところだった。
「え...?」
まるでアニメか何かで見るビームのような光が俺めがけてやってきている。突然のことに俺は素っ頓狂な声をあげて思考も体も硬直してしまう。
「そこ退いてーーーー!」
女の子のような可愛らしい声の絶叫が聞こえたと同時に、俺の身体はその光に貫かれていた―。
(スマンな日向...どうやら俺は帰れそうに無いらしい...兄ちゃんがいなくてもしっかり生活するんだぞ...それから父さん、母さん...残念ながらあんたらには何の言葉も見つからねぇや...)
「...て...!...しっかりして...!」
「んあ...?」
どこか聞き覚えのある声が俺を呼んでいる。声が聞こえるということは俺はまだ生きているということらしい。
少し重い瞼を俺はゆっくりと開いていく。まだ視界にさっきの眩しい光の跡が残ってぼやけている。それを取り払うように俺は目をぱちぱちとさせる。
「あっ!気がついたんだ...よかったぁ...」
だんだんとはっきりしてきた視界にまず映ったのはピンク色だった。淡いピンク色を全身に纏っている誰かは俺の意識が戻ったのを確認してほっと胸をなでおろしていた。
「大丈夫?身体に痛いところとかない?」
そう訊かれて身体全体に意識を向けるが痛いところなどなかった。どうやらあの光は本当にただの光だったようでその眩しさゆえに俺は倒れてしまったんだなと理解した。ゆっくりと俺は体を起こしてピンクの人物を見た。
(え...?コスプレイヤー...?)
淡いピンク色のフリフリスカートにこれまたピンク色のパーカージャケットを羽織っていた。ちなみに被っていたパーカー部分には大きなウサギの耳を模した装飾がつけてあった。さながらウサミミ魔法少女といったところか。パーカーの隙間から綺麗な栗色の髪の毛がちらちら見え隠れしている。身長は小さめ、ちょうど弟の日向と同じぐらいかな、それでいて可愛らしい顔も幼い雰囲気がにじみ出ていた。
(それにしても...この顔、見たことあるような...?)
「あ、あの...それじゃ...ボク、これで...」
「待て!」
不自然なまでに慌てて立ち去ろうとするウサミミパーカーっ子の腕を捕まえて俺は言った。
「お前...日向だろ?」
「え...?ち、違うよ...お兄ちゃ...んっ!」
今お兄ちゃんといいかけて慌てて口を閉じやがった...。俺の事をお兄ちゃんなんて呼ぶのは弟の日向以外ありえない。
「ほら、遊んでないで帰るぞ、日向」
「だからボクは日向じゃないよ!ヒナっていうの!」
(ヒナ?コスプレしてるときの名前か?)
日向は強情にも俺と一緒に来ることを拒んでいる。その幼い少女みたいな顔立ちに可愛らしい声、さらさらとした栗色の髪の毛、どれをとっても長年一緒に暮らしてきた日向のモノだ、別人に間違えるわけもない。俺はため息を一つついて日向に質問した。
「趣味は?」
「可愛いモノ集め!」
「好きな食べ物は?」
「お兄ちゃんの作ってくれたパンケーキ!」
「最近の悩みは?」
「お尻が大きくなってきてること...って何言わせるのさ!」
「ほら、日向じゃないか」
「うぅ...」
日向は観念したようにうめいてうつむいてしまった。
「しかし驚いたなぁ...日向が夜中に魔法少女みたいなコスプレをして歩く趣味があるなんて...」
「ち、違うよ...そんなんじゃないの!」
「大丈夫、恥ずかしがるなって。兄ちゃん誰にも言わないから」
「本物の魔法少女だもん...ボク本物の魔法少女だもん!」
そう言って今にも泣きだしてしまいそうな日向。子供が泣くのを我慢する時みたいにプルプルと震えている。昔から日向がこんな泣きそうな顔して言ってることは本当のことだったっけ。でも魔法少女(日向は男だから魔法少年じゃないのか?)についてはあまりにも信じる要素が無かった。だって今の科学に満ち溢れたこの現代に魔法なんてあるわけもないのだから。
「う~ん...魔法少女って言われてもなぁ...そうだ!一つ魔法を見せてくれないか?火がぶわぁって出る奴でも水が塊みたいになって空中に浮くやるでもいいぞ」
「お兄ちゃんは見てるはずだよ、ボクの魔法を...それだけじゃない、ボクの魔法を受けてるはずなんだ...」
「え...?」
魔法を...受けた?もしかしてさっきの光が魔法だっていうのか?そういやあの時危ないって言ってったのはこいつが使った魔法が俺に当たるかもしれなかったからか?
だけど魔法を受けたからって俺の身体には何の変化もなかった。あの光を受けても痛くもかゆくもなかったし、それに俺自身のパワーが上がったとか素早さが上がったという実感もない。
「お兄ちゃんの身体のどこかに変な模様のアザが出来てるはずなんだ、探してみて」
日向に言われて俺は早速自分の身体を探った。右腕の袖をまくった時に、俺はそれを見つけた。六芒星のような形のアザがくっきりと俺の右腕に浮き上がっていた。しかもどこか怪しく光っている。慌てて俺はそのアザを触ってみるが痛くもかゆくもない。それに熱くもないし冷たくもない。本当に肌についたアザのようだった。
「まさか本当に人間にも効果があるなんて...」
どうやらこれを見るまでは日向も疑っているみたいだったがそれが確信に変わったみたいだ。諦めたような、何かを決めたような鋭い顔つきになっていた。
「おい、日向...これは、なんなんだ?」
「これはね、契約の魔法...お兄ちゃんはね、ボクの使い魔になっちゃったんだよ」
「は...?使い魔?何それ?」
「お兄ちゃんってアニメとかよく見るよね?そこに出てくる魔法少女が連れてるペットみたいな動物がいるでしょ?あれが使い魔」
「え...?じゃあ俺ってあの動物と同じレベル!?」
こんなどこにでもいそうな高校生、しかも男子高校生があんな可愛いらしいペットみたいな動物のかわりの魔法少女アニメなんて見たくないな...。
「ごめんね...ほんとはミケを使い魔にしようって思ってたんだけど...逃げられちゃって...」
それで力技に出ようとして俺に誤射してしまったわけか。一つ謎は解けたが...やっぱり弟が魔法少女だっていうことは信じられなかった。こんな現代世界にアニメやラノベみたいな話を信じれる奴なんていない、俺もその一人だ。
「使い魔って意思がある動物なら何でもいいらしいの...それがたとえ人間であっても...」
「とりあえずさ、この公園結構目立つから別の場所で話をしようぜ...」
公園の脇を歩く歩行者の目線がさっきから突き刺さるように俺たちにそそがれていた。さすがに深夜の公園にこんな派手なコスプレみたいな服をした子がいたら誰でも見てしまうだろう。そしてその被害は俺にも突き刺さるだろう。もし知り合いにでも見られれば完全に誤解を招きかねない。
「それじゃいったん学園長の所に行こ?学園長はね、魔法の説明がとっても上手なんだ!お兄ちゃんにもわかるように説明してくれるよ!」
「お、おい...学園長って...?」
俺が戸惑っている間にも日向は公園の茂みの闇の中へ行ってしまった。
「お兄ちゃん!早く早く!」
「あぁもう!分かったよ!」
こうなれば自棄だ。ついていって真相が分かるならば俺に選択肢はなかった。日向の後を追って俺も茂みの中へ入った。
「うわっ!なにこれ!?」
そこには大きな穴があった。もちろんそれは地面に開いた穴、というわけではなかった。中空にぽっかりと開いた穴だ。まるでその空間だけコンパスで丸を描きその型どおりハサミで切り開いたような、そんな雰囲気だった。
「それじゃお兄ちゃん、手を握っててね。じゃないとはぐれちゃうよ?」
言われるがままに俺は日向の手を握った。小さくも温かな手が不安だった俺の心を少し溶かしてくれた。
「それじゃレッツゴー!」
気の抜けた声とともに日向はその穴に入る。手を繋いだ俺も当然その穴の中へ落ちていく。穴の中はとても真っ暗で周りなんて見えなかった。真っ暗の中でも日向の手だけが感じられる。それだけでなぜか怖くなかった。
次に光を見たとき、俺のつまらない日常はすべて幕を下ろした。
真っ暗のトンネルを抜けた先、あまりの光に俺は目を細めた。細めた瞳をもう一度開くとそこはどこか部屋のようだった。広い空間に大きな机、その机には白い猫が一匹座っている、壁にはぎっしりと本棚が備え付けてある部屋だ。
「あら?お客さんかしら?...ヒナじゃない、そっちの男の人は...言うまでもないわね。あなたの使い魔でしょ?はじめまして、私はエリーよ」
どこからかそんな声が聞こえる。声の主の方向を探るとそこは机があった。椅子の背もたれがこちらを向いているので多分それで隠れてしまっているのだろう。だけどそんな俺の考えは見事に打ち砕かれた。
「あぁ、ごめんなさいね...この姿じゃ失礼でしたね」
ぼふん、と机の上にいた猫から煙が上がりたちまちその姿が白い靄に包まれていく。そして次に靄が晴れたときには、机の上に足を組んで座っている女の姿があった。歳は20代ぐらいだろうか?若い顔立ちだがどこか色気をまとっている大人の女性のような妖艶な表情、艶と張りがある肌、すらりと伸びた黒ストッキングに包まれた足、スーツをまとっていてそのふとももの間からパンツが見えてしまいそうである。
「あら?どうしたの?そんなに驚いた顔しちゃって...」
まさか猫に化けているなんて思いもよらなかった。これも魔法というわけか...。
「学園長先生、急に猫ちゃんから変身しちゃったらそりゃお兄ちゃんビックリしちゃうよ。
だってお兄ちゃんはボクみたいな魔法少女じゃなくて普通の人だよ?」
「あら、そう?ごめんなさいね」
学園長と呼ばれた女性は指に手を当ててねっとりとした視線で俺を舐めるように見ている。そのあまりにも妖艶な瞳に俺は思わずたじろいでしまった。それにこの若さ、学園長っていうと少し年を取った女の人を想像してたのだけど...。
「あら?あなた私のことおばさんとか考えてたでしょ?」
「い、いえ...そんなことは...」
「こう見えても学園長先生って何百年も生きてるんだよ!ビックリだよね!全然そうは見えないもん!」
「フフ...ヒナったら...私は魔法で不死身の身体になってしまってね。今のこの容姿も魔法で若く見せているのよ」
「なぁ...その...さっきから日向のことヒナって言ってるのはどうしてだ...?それにここはどこだ?俺たちさっきまで公園にいたはずなんだけど...」
「あぁ、それ?その話をするにはまず何から話したらいいか...ヒナ、どこまで話してある?」
「ほとんど何も話してないよ...つい10分ぐらい前にお兄ちゃんはボクの使い魔になっちゃったし、それまでお兄ちゃんはボクが魔法少女だってことも知らなかったし...それにボクも魔法少女になりたてであんまり理解できてないんだよね」
えへへと笑った日向を見て学園長ははぁとため息を一つついて机から降りた。そしてカツカツとハイヒールのかかとを鳴らしながらゆっくりと俺の方へ歩き出した。
「そう...まずは魔法の説明からした方がいいかしら...ね?」
「は、はい...」
大人びた笑顔を浮かべた学園長の顔がグイッと近づいてくる。その余りある大人の魅力に一瞬くらっとしてしまう。もしかするとこの人、年下喰い...?いやいや、この人にかかれば全人類全て年下じゃないか...。
「まず魔法というのはそっちの世界でも知ってる通り不思議な力を使うことをいうわ。ただそちらの世界の常識と違うのは魔法が使えるのは女性だけということ。まぁそこにいるヒナは例外中の例外だから気にしないで。で、なぜ女性しか扱えないかまだ詳しいことはわかっていないけれど、どうにも女性特有の恋する気持ちに鍵があるらしいの。男性と女性の恋に対する思いの違い、女性特有のその思いが魔法の原動力らしいわ」
「ちょっと待った...魔法が女の子しか使えないっていうのはいいが、世界って?今のあなたの言い方じゃ俺たちのいた世界のほかにまだ世界がある、みたいな言い方だけど?」
「えぇ、現にここはあなたたちのいた世界とは違う世界よ。そして世界はさまざまな可能性の分岐で無数に生まれてくる...あなたがいた世界みたいに化学が発展して魔法の存在が否定された世界、逆に魔法が発展した世界、面白いところだと人間じゃなくてエルフが支配している世界というのもあるわね。で、その無数の世界から魔法の才能がある少女を集めて育成する学園、それが我がクロノス魔法学校!」
バッと腕をあげて大袈裟にそうアピールする学園長。だけどその話を聞いてもまだあまり信じられない俺はぽかんと口を開けるしかなかった。
「...コホン。で、何の話でだったっけ...そう、ヒナの事ね。さっきも言った通り魔法は女性にしか使えない。だけどヒナは男の子だけど魔法が使える...この事実が公になればどうなる事か...。世界秩序の崩壊をおこしえるかもしれないわ。ですから私達はキミの弟、日向の事を、ヒナ、と女の子として扱うことにしたのよ。日向よりヒナって呼んだ方が女の子らしくなるでしょ?」
なるほど...。要するに今の日向の境遇は女子高に一人男子が紛れ込んだ、というようなものか。で、混乱を避けるためにその容姿を活かして女装をして女の子になりきっちゃおう、と...。
俺はちらりと事の本人である日向を見る。ぽわぁと大きくあくびをしてどうにものんきなモノだった。それも仕方ないか、現実世界ではもう日付が変わったぐらいの時間だ、日向がおねむになってしまうのもわかる。
「で、俺はどうすればいいんですか?このことは他言しないので即さようならっていうのはできないんですかね?」
正直これ以上魔法やらなんやらに関わり合いたくない...。こんな電波みたいな話をはい、そうですかって軽く受け入れるだけの柔軟性は生憎持ち合わせていない。
「ん?何を言ってるんだいキミは?今からキミはこの学園で生活するんだぞ?」
「はい!?」
俺は思わずバカみたいな声をあげてしまう。隣で日向がびくんとしたところを見るとどうやら立ったままうとうとしていたみたいだ。きょろきょろと周りを見るさまがまるでウサギがぴょこぴょこと首を振ってるみたいで可愛らしい...じゃなくて!なんで俺が、と反論しようとしたところを学園長は次の言葉を挟んできた。
「キミはもうヒナの使い魔なんだ。使い魔は主人である魔法少女と共に寄り添って生きる存在でね、その運命も、命も、すべて一心同体なんだよ。そして使い魔になったものにはね、魔法が使えるようになるんだ、身体に浮かんだ魔力刻印、そうそう、そのあざだよ、そのおかげでね。キミの身体にもヒナを経由して魔力のパスが行われていると思うから魔法も使えるようになっているはずだ...少し試してみるか?」
「え?俺魔法使えるの?」
「あぁ...ヒナ!この子に簡単な魔法を一つ教えてやって頂戴」
「は~い...」
寝ぼけ眼を擦りながらも日向は俺に教えてくれるようでその小さな体をきゅっと近づけてきた。なんだか甘い匂いがして少しどきりとしてしまう。
「それじゃいちばん簡単な、モノを動かすのにしようか?」
「あぁ」
「まずは動かしたいモノを一つ決めて?う~ん...軽いほうが動かしやすいから...あ、机の上に万年筆があるの見える?あれを動かそっか。それを宙に浮かせるイメージをしてみて?より具体的な方が動かしやすいかも」
机の上の書類の山に埋もれた万年筆、それを宙に浮かべるように...ゆっくりと頭の中で万年筆が浮くイメージを思い浮かべる。昔見た魔法使いの映画で羽ペンがふわふわと浮いていたみたいに軽く、そしてなめらかな動作を描くように...
「イメージできた?それじゃそのイメージをあの万年筆にぶつけるの。浮かべ!って思いながらね。」
「あれ?呪文とか杖っていらないのか?ほら、絵本とかマンガの魔法使いってみんな木でできた細い杖持ってさ、なんか呪文唱えててるよな?」
「お兄ちゃんマンガの読みすぎ!確かに呪文がいる魔法もあるけどそれは大魔法って言ってボクたちみたいな駆け出し魔法少女に使えるわけもないんだ。それに大魔法はあまりにも強大すぎる力を持っているから封印されてるんだよ」
空想と現実世界は違うってか...。いや、明らかに今俺がいるこの現実も空想みたいなんだけどさ...。
「ほらお兄ちゃん頑張って!ボク応援してるから!お兄ちゃんの初めての魔法、ボクに見せて欲しいな?」
上目づかいでそんなことを言われてしまうとどきんと心がはねた。まるで女の子みたいに可愛らしい日向が、ピンク色のウサミミの女の子の服を着てそれで可愛らしく俺に上目づかいを...!鼻血が出そうなのを抑えて俺は万年筆に意識を集中させる。
(可愛い弟のためにも兄ちゃんの魔法、見せてあげないとな...!浮かべ...浮かべ...浮かべ...!)
「浮かべよぉ!」
俺は腕を前に突き出して必死に浮かべようと意識を送る。けれど万年筆はピクリとも、1ミリたりとも動くことはなかった。
「あれ?おかしいなぁ...ほんとにこれが簡単な魔法なのか?」
「うん、そのはずだけど...。ボクもやってみるね...」
日向は少し目をつぶって再びカッと目を開けた。すると万年筆はまるで鳥の羽みたいに軽々と宙に浮いたのだ。
「あれれ?普通に浮いちゃった...もしかしてボクの教え方が下手だったかなぁ?」
「いや、ヒナはちゃんと説明できていた、教師をやっている私が言うぐらいだからな。問題は...ええと...そういえば名前をきいていなかったな」
しまったという風に頭を掻く学園長。俺も今まで自分の知りたいことばかりを並べて名乗ることを忘れていたのを思い出して少し頬を染めた。
「あ、そういえば...俺は新太っていうんです」
「新太君、か。それで新太君、キミが失敗した原因はキミ自身にあると思うんだ。もしかして女の子の格好をしてとってもかわいくなった弟にいいところみせるぞ~とかなんとか不純な理由をもってしてたんじゃないのかい?」
図星をつかれてうっと呻ることしかできなかった。
「ダメダメ、魔法に邪念を入れちゃいけないよ?ちゃんと集中してもう一回ね。それにヒナも、あまり新太君を誘惑するんじゃないぞ?今のキミはとても可愛らしい女の子なんだから。ただでさえ思春期で可愛い娘には目が無い新太君には少し刺激が強すぎるんじゃないのかい?」
「ごめんねお兄ちゃん...ボク、そんなつもりはなかったんだけど...もしかしてボクの応援って邪魔だったかな?邪魔ならもうしないから...」
そう言ってしゅんと落ち込んでしまう日向。その瞳には小さな涙が浮かんでいた。
「ほらそれ!この子...本当に無意識なの?」
学園長が頬をひきつらせながらきゅ~っと日向の頬をつねっていた。びよ~んと日向のふにふにほっぺがお餅みたいに伸びる。
「学園長!そんなにしたら日向のふにふにほっぺが伸びちゃうじゃないですか!伸びてたるんたるんになったら責任取れるんですか!?日向のほっぺは貴重なプニプニっとしたマシュマロほっぺなんですよ!」
「あ、あぁ...すまない...」
俺は思わず学園長に強い口調で怒鳴ってしまっていた。どうにも昔から日向のほっぺに関して俺は怒りっぽいところがあるようだ。何かあれば日向のマシュマロのようなぷにっとしたほっぺをプニプニして癒されていたのがやがてクセになって、今となっては気付けば日向のほっぺをプニプニしている始末である。
「...ってこんなことしてる場合じゃないな...魔法を使ってみせないと...」
俺は頭を振って邪念をできるだけ吐き出すともう一度万年筆に意識を集中させた。さっき日向がしたみたいにふわふわと羽みたいに浮かばせるんだ...。
(浮かべ...浮かべ...浮かべ...!)
必死に念じてそのイメージをぶつけてみるが一向に浮かぶ気配はない。俺の奮闘虚しく3分位が経過したころ学園長が口を開いた。
「魔力が上手く生成されてないのかしら...少し体触るわね...」
と、学園長の手が俺の服の内側に入れられる。すべすべとした少しヒヤッとした手が俺の肌をなぞる。素肌を撫でられる経験なんてほとんどないのでびくりと体がこわばってしまう。
「く、くすぐったい...です...んっ...」
「だ~め...もうちょっと我慢して...あ、動かないで...」
「そ、そんな...んぁ...無理...です...こそばゆくて...少し変な気分です...」
あまりにも学園長が色々なところを触るのでくすぐったくて変な声が漏れ出てしまう。しかも学園長の手つきが、なんだかえっちくて...。
「お、お兄ちゃん...ごくっ...なんだか...とってもえっちな声...」
「キミの身体...予想より筋肉質...逞しいわぁ...」
「やっ...そ、そんなところは...らめぇぇぇぇぇ!」
部屋に俺の恥ずかしい叫び声が響き渡った...。
「はい、終わったわよ?」
「よ、ようやく...ですか...」
学園長の触診は約5分にも及ぶもので...。その間に俺は何かを失ってしまったような気がした。
「う~ん...魔力はちゃんと生成されてるわね...まぁ触診だからあまり正確な事はわからないけれど...明日もう一度詳しく検査するわ」
「え!?ま、また...触診...ですか?」
「いいえ、ちゃんとした機材を使って図るわ...触診のほうがよかったかな?あ・ら・た・クン♪」
「い、いえ結構です!」
俺は慌ててお断りする。さすがにあの恥辱にはもう耐えきれないし...。
「今日はもう遅いしいったん帰った方がいいわね」
学園長が机の上に置いてあった時計を指差す。もう深夜1時を回っていた。
「お兄ちゃん!ボクまだお風呂入ってないよ!?このまま帰ってお風呂入ってたら寝るの3時ぐらい!?いやだぁ...ボク今すぐ寝たいよぉ...けどお風呂も入りたいし...学園長先生、お風呂と睡眠一緒にできる魔法ってないの?」
「そんなのありません!...あ、新太くん。ちょっと待って。エミリア!」
パンパン!と学園長が手を叩くと奥の扉から一人の女性が出てきた。これまた若い女性だ。だけどその彼女に俺は違和感を覚えた。何故ってエミリアと呼ばれた女の顔は学園長とそっくりで瓜二つだったからだ。
「はい、何のご用でしょうか、お姉さま?」
鋭い声音でへりくだった態度、お姉さまといったのは姉妹だからだろう、だけどその言葉づかいと口調からして妹というよりは従者のそれだった。
「新太君に生徒手帳を渡してあげて。明日までに一通り目を通してきてね。一応女子高だから少し規則は厳しいわよ?」
エミリアさんは頷くと懐の中から小さな手帳のような物を俺に渡してくれた。真っ黒な表紙にクロノス魔法学校生徒の心得と書かれていた。そして彼女はまた一礼して部屋の隅へたたずんだ。
「それでは明日の朝に向かえの者をよこすわね」
「はい、ありがとうございます学園長先生!さようなら!」
「はい、さようなら」
俺は手を引かれてまた真っ黒な穴の中に引きずり込まれてしまった。後ろを振り向くとニコニコした顔の学園長が手を振っていた。
「あー!お兄ちゃん!牛乳!牛乳無いじゃん!ボクの一日で一番の楽しみがぁ...」
「あ...すまん日向...買いに行く途中であの事件があったからさ、忘れちゃったんだ...許してくれよ...」
お風呂上りのほくほくとした日向の顔色が一瞬にして鬼の形相に変わる。
「お兄ちゃん!今から買ってきて!これは命令!」
「さすがにもう夜だし買いに行くのは...うぁっ!...う、腕が...熱い...!」
突然俺の腕が熱を持ったように疼きだす。それは日向との使い魔の契約のしるしが浮き出ていたところを起点としていた。
「ふっふっふっ...お兄ちゃんは知らないだろうけど使い魔はご主人の命令には逆らえないんだよ?もし逆らおうとしたらね...どうなるかわかるかなぁ?」
あの学園長...何でこんな大事なこと言わなかったんだよ...!きりきりと痛む腕を抑えながらあの人の顔を思い浮かべて顔をしかめた。
「わかったよ...行ってくるから...」
「えへへ、ありがと、お兄ちゃん♪」
小悪魔的な微笑みを浮かべた日向の無邪気な顔が去りゆく俺の背に向けられていた。
―幕間の物語1―
クロノス魔法学校学園長であるエリーは椅子にどっかりと座り考え事をしていた。さっきこの場に訪れた魔法少女見習いとその使い魔の兄弟の事だ。どういう経緯でヒナは彼を使い魔にしたのかは魔法を使って監視していたのでほとんど知っていた。
「はぁ...誤射、ねぇ...」
悪意のない契約という点では過去の自分と重なるなと彼女は少し儚げに微笑んだ。そして部屋の隅にいる自分とほとんど顔が同じの女、エミリアを見た。エリーの双子の妹で使い魔で、不死の呪いを共有することになってしまった悲しい彼女...。エリーも実のところ誤射で妹を使い魔にしてしまっていたのだ。
「それにしても...あの世界、どうして今になって魔法少女が...それも二人も...」
エリーがあの世界と指したのはもちろん日向たちのいる世界だ。あの世界は中世の魔女狩りの時に魔法との接点を完全に断ち切っていた。そしてその時に魔法を使える血統はすべて処刑され、後世にも魔法を使える存在が今まで現れなかったのだ。なのに今になって二人も魔法少女が、それも例外じみた存在として現れたのは何かの偶然にしてはできすぎている気がした。
一人目は男で魔法の使える日向だ。女の子みたいな容姿でとても可愛らしいけれど、だが男だ。そしてもう一人は(そういえばまだ日向には紹介していなかったが)近年稀に見る魔法の才能を持った少女だ。うまく成長すれば私と肩を並べるぐらいに強い力を得られるはずだ。
(そして日向の兄の、新太...あの魔力の含有量は一体...)
彼のことを思い出してエリーの顔はまた曇っていた。なぜなら彼の魔力を調べたときに予想もしないほどの魔力を秘めていたからだ。その量は通常の魔法少女の約20倍...いや、きっとそれ以上だ。
「エミリア。ヒナに引き続いて新太の監視もお願い。何か少しでも異常を感じたら報告して」
「かしこまりました、お姉さま」
ペコリとお辞儀をしてエミリアは去っていく。どうやらさっそく監視の命を行うらしい。一人になった部屋でふぅ、とエリーはため息を一つついた。
「あの世界はケイオスの前例もある...注意しておかないと...」
彼女はかつてあの世界に存在していた混沌の名を関した魔法少女の名を忌々しくつぶやき、そしていつものようにデスクワークに取り組み始めた。
「ふわぁ...」
俺は大きな欠伸を漏らしながらゆっくりとベッドから体を起こす。カーテンの隙間から朝の眩しい日差しが入り込み寝起きの瞳を刺激する。昨日あんなことが起こったというのにまた俺のキライな朝がやってきた。いや、実は昨日のあれはすべて俺の夢で本当は魔法なんてものなんてないのかもしれない、と思わせるほどいつも通りの朝だった。けれど...
「あ、おはよう、新太君。ずず...うえぇ...何この豆...香りも味も最悪...これだから安物は...もっといいの使いなさいよ...」
リビングには当たり前の様に昨日出会った学園長先生が食卓椅子に足を組んで鎮座してコーヒーをすすっていた。しかも人様の家のコーヒーを勝手に淹れたにもかかわらず文句言ってるし...。
「あら?どうしたの、そんなにげっそりした顔しちゃって?」
それはあんたのせいだと言いかけたのを必死に飲み込んで俺は無理に笑顔を作る。
「いや、別に俺は大丈夫だ。...けど、どうして学園長がここに...?」
「昨日言ったでしょ?使いをよこすって。初めはエミリアを送ろうかと思ったんだけどね、だけどあの子あんまりコミュニケーション能力ないから。それで私が出てきたってわけ」
「ふわぁ...おはようお兄ちゃん...」
瞼を擦りながらゆっくりとした足取りでリビングに入ってきた日向。学園長をちらりとその瞳がとらえたがあまり気にしていないようだ。いや、頭が覚醒してないからどういうリアクションを取っていいかわかってないのかもしれない。
「ほら、日向。まずは顔洗ってきなさい」
「ん~...」
「学園長先生、すいませんが今からごはんの用意するのでいったん帰ってほしいんですが...あの穴みたいなのっていつでも出せますよね?」
いつものようにキッチンに入りながら学園長にそう尋ねる。けれど学園長は一向に動こうとしない。
「う~ん...ごはん食べながら一緒に話した方が早くない?それにごはんの後だとキミたち遅刻しちゃうでしょ?」
「あ、なるほど...」
効率を考えれば彼女がここにいた方が早いな。けど、もう一人分の食事を用意しなくちゃいけないのか...。まぁ別に1人分ぐらいならいつもよりちょっと量を多くするだけだし問題はないか。
「あれ...?学園長先生だぁ...おはよぉ...」
「おはよう、ヒナ」
まだぽわぽわぁっとしている日向。呆れるぐらいにこいつは朝が弱いな...。
「ほら、日向もしゃきっとして。食器出しておいてくれるか?」
「は~い...」
で、3人分の朝ごはんが完成した。今日はご飯とお味噌汁と卵焼き、シンプルな和食だ。
「わーい!お兄ちゃんの卵焼きだぁ!」
「ヒナってばそんなにはしゃいじゃって...これっておいしいの?」
プニプニと卵焼きをつつきながらそう尋ねる学園長。もしかして卵焼き食べたことないのか?
「うん!お兄ちゃんの卵焼きね、甘くっておいしいんだぁ...」
「甘いのは日向専用だけどな」
昔っから甘いもの大好きな日向はもちろん卵焼きも甘いほうが好きだった。けど俺は甘い卵焼きはどうも好きになれなくて、だから卵焼きをするときは日向のと俺のは別に作っている。
「それで、学園長...何で朝っぱらから来たんだ?使いにしては豪華すぎるし...」
「あぁ、それね。新太君、君は今日からクロノス魔法学校に編入するからだ。それを教えようと思ってね」
「お、おいおい...急に編入って...」
「あぁ、それとヒナ、キミも夜間課程だけじゃなくてちゃんと午前から参加してもらうからな」
「えぇ!?そ、それじゃ学校は!?」
「そ、そうだそうだ!勝手に編入って...俺たちにはこっちの世界でも学校に通わなくちゃいけないんだぞ!」
俺たち兄弟はそろって声をあげる。けど彼女は至って何でもないという風に薄く笑っていた。
「それなら大丈夫よ。学校の関係者には記憶操作の魔法をかけて偽の記憶を植え付けておいたから。柚木兄弟は両親の都合で海外に行ってしまったってね」
記憶操作までできるなんて、魔法って便利だな...。イヤイヤ感心してる場合じゃない。
「ちょっと待って!ね、ねぇ...学園長先生?記憶を操る魔法って...」
「そう、ほんとはタブーなんだけどね。けど魔術師委員会に必要な書類を提出すれば使うこともできるわ」
「ま、待てよ...話がよくわからないんだけど...」
昨日魔法を知ったばかりの人間が魔法世界の常識なんて知るわけがない。
「記憶の魔法っていうのはね、悪用される恐れが一番高い魔法なの。お兄ちゃんだってそれはわかるよね?」
「う~ん...例えば自分に都合の悪い記憶を忘れさせたりとか?」
「うん。それもあるけど...一番怖いのは記憶の全抹消。記憶をすべて失った人間は積み重ねてきた自我も崩壊する...」
「要するに自我を一冊の本に例えて、記憶を本のページと例える。記憶のページがすべて抜き取られた本は一切の意味を無くす、これ分かる?」
少し難しいが全く分からないというわけではない。
「それに素人魔法少女が使えば過って記憶を全て消してしまう可能性もある...とてもリスクが高く恐ろしい魔法なの。だから管理されて使用するにもそれなりの資格と許諾が必要なわけ」
「まぁそれはわかったけど...でもどうして学校を休学してまで編入なんだ?」
「それはこちらの寮に住んでもらうからよ。こちらの世界で魔法少女として生活してもらうためにもこの世界との関係は断ち切っておかないと」
「はぁ!?」
俺は驚きの声をあげる。どうやら日向も初耳のようで同じように驚いた顔をしていた。
「いや、ちょっと待てよ。別にそっちの世界に住まなくてもここから登校すれば...ほら、あの穴みたいなのを作れば...!」
「それがね、あの時空転移魔法なんだけどあれは魔力の残骸が残りやすいの」
「魔力の...残骸?」
「あ、お兄ちゃん、簡単に言うとね、魔力の残りかすみたいなものなの。魔法を使えば必ずその力の残骸が残る。そしてそれは世界に浸透して巡り巡ってまた魔力として身体に戻ってくるの」
「で、それが残るのがどうしてダメなんだ?」
「もともとこの世界には魔力という物がほとんどないの。そんな世界にもし魔力の残骸が残ればどうなるか...それはもともと存在しないものが存在するようになるのだから当然矛盾として世界に影響を与える。小さな矛盾でも積み重なれば大きな異変に変わってしまうのよ」
「どういうことだ?」
「う~ん...これも説明が難しいんだけど...要するに小さなバグが世界に満ちていっていずれそのバグが大きな異変となって現れるってことよ。たとえば天変地異が起こったりね」
「おいおい、それはいくらなんでも大袈裟じゃ...」
「でも本当に天変地異が起こった世界もあるのよ?」
「...マジかよ...」
さっきの学園長の声のトーンからして本当のことらしい。まさか魔法というモノがこれほど恐ろしい事なんてな。俺は少し身震いした。
「ま、一回や二回の転移魔法じゃどうにもならないから心配しないで」
「あ、あぁ...」
「ま、そういうことで、キミたちの受け入れ準備は完璧に済ませてある。後は有無を言わさずキミたちを学校まで連れていくだけだ」
「どうする...日向?」
俺は日向を見た。日向も困ったような顔をして俺を見ていた。が、やがて観念したかのようにはぁ、とため息をついた。
「どうせ嫌って言ってももうどうにもできないんじゃないかな、お兄ちゃん?だって学校の先生たちの記憶も書き換えられちゃってるし...」
「あ、そうか...」
この人はどうやら俺たちの逃げ場を完全に潰していたらしい。こうなると俺も観念するしかないか...。
「わかった...行くよ...」
「キミたちならそう言ってくれると思ってたよ。それじゃあ早くごはんを食べて制服に着替えてきて。あ、新太君は今の学校の制服でいいからね。生憎こちらは女子高なんでね、男子の制服は用意できてないんだよ」
ゴメンね、と舌を出す学園長。その態度にどうにも怒ることが出来ずに俺はご飯をかきこんだ。
「日向...お前...なんだ、その格好は...」
「えへへ...どうかな、お兄ちゃん...似あう、かな?」
白を基調にした布地に黒のアクセントが利いたセーラー服、そして赤色のスカートを身にまとった日向に俺は見惚れてしまっていた。女の子みたいな見た目の日向だけどこうして女物の制服を着ているとどこからどう見ても女の子そのものだった。俺に見せつけるみたいにクルリと回ってみせた日向のさらりとした茶髪のしっぽがふんわりとなびいた。
「むぅ...お兄ちゃん...黙ってないで何か言ってよぉ...」
見惚れていて何も言えなかった俺に日向がぷくぅと頬を膨らませてそう言ってきた。その動作もまた女の子らしさを助長していた。
「あ、あぁ...とってもかわいいと思うぞ」
「そう?えへへ...嬉しいなぁ...お兄ちゃんに可愛いって言われちゃった」
それにしても俺はどうしてしまったんだろうか。女装した日向がとても可愛らしくて愛おしく思えてしまう。それに見ているだけでなんだか心臓がどきどきとしてくる。相手は女装した弟だというのに俺の心臓はまるで可愛らしい女の子にあった時みたいにドクンドクンとイヤに高鳴っていた。
「ほら、キミたち。用意が出来たなら早くしてくれよ?あっちの世界に付いたらまた少し説明が待っているからね」
「は~い...それじゃいこっか、お兄ちゃん!」
「あぁ、そうだな日向...いや、ヒナ!」
俺は差し出されたヒナの手をぎゅっと握った。俺のすべてを変えたこの日の朝は不思議と周りの騒音が聞こえなかった。