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春満ちて  作者: 朝里 樹
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季節外れの桜の下には

拙作『黄泉夜譚』第二九話「散りぬる風のなごりには」の後日譚に位置する話ともなっております。

 あの桜の下には死体が埋まっている。そんな噂が流れ始めたのは一体いつの頃だったのだろう。僕が調べた限りでは、昭和の中ごろにはもうそんな話が囁かれていたのだという。

 死体の話の他にも、あの桜が満開の時にその下を通ると気が狂うだとか、幹を傷付けると赤い血が流れるだとか、不気味な都市伝説が生まれている。

 ただそんな噂話を別にしても、あの桜の木には不思議な特徴があるという。桜の森の中にあって、他の桜が散って緑の葉を付けた後、たったひとつだけ花を咲かせるのだ。そしてその桜の木に纏わる都市伝説が生まれたのには、もうひとつ理由がある。

「そうそう、そのお爺さん、優しそうな人だったけど、変なことを言う人でねぇ」

 その都市伝説の舞台となる森と繋がる小さな町。その駄菓子屋で、僕は店主のお婆さんの話を聞いている。すっかり白くなった紙をひとつにまとめたその老婆は、店の売り物であろう飴玉を口に放り込み、また僕にも進めながら話を続ける。

「私はその頃まだ小さかったけれど、そのお爺さんは毎年この春の終わりごろになるとこの町に来てねぇ。あの桜の前に一日中座ってるんだ。その頃からあの桜は変な桜だって言われて近付くこと人はあんまりいなかったんだけどね。それもさ、そのお爺さんにあの桜について尋ねると、決まってこう答えたからなんだ」

 お婆さんはもったいぶるように一度息を吸ってから、言う。

「あの桜の下にはね、私の好きだった女性ひとの亡骸が埋まっているのですよ、ってね。怖いことを言うよねぇ。まるで人殺しみたいじゃないか」

 お婆さんはわざとらしく身震いして、そんなことを言った。僕は苦笑して、頷く。

「そうですか。あと、それと、その老人が何のお仕事をしていたかお婆さん、知っておられますか?」

「さあねぇ。自分では絵描きだなんて言っていたらしいけど、どこまで信用できるやら」

「絵描き、ですか」

「そうだよ。それにしてもあんたも物好きだねぇ。あの桜に興味があるのかい」

「ええ、少し」

 そう言って僕は頭を掻き、そして右脇に収まった一枚の絵画を抱え直した。

 お婆さんに礼を言い、僕は店の外に出た。もうすぐ夏がやって来るという真昼の日差し。眩しくて、僕は右手で目に当たるそれを遮る。

 お婆さんの言っていたその老人は、この絵を描いた人物に他ならないのだろう。やっとここまで辿り着くことができた。僕は近くの公園のベンチに座り、布で包んでいたその絵を空気に晒す。そこに描かれているのは、満開の桜とその下に佇む一人の女性の姿。

 この絵には心が宿っている。そんなことを言ったら、僕もあのお婆さんの老人に対するような態度で、皆に気味悪がられるだろう。だけど僕はこの絵が生きていることを知っている。

 魂を得た絵画の怪。それは画霊がれいと呼ばれるのだとある人に教えてもらった。そしてこの絵画もまた、そんな画霊のひとつであるらしい。

 この画霊はずっと昔、とある絵描きが自分の愛する女性を描こうとしたものだという、だが病に侵されていたその女性は絵画の完成を待たずに死に、未完成のまま作者の手を離れたこの絵は自身の完成を望み、そして画霊という妖怪になったのだと聞いている。

 そして僕はこの絵に選ばれ、ひとつの絵画として完成させることとなった。それが一年前の春のことだ。

 それで確かに画霊という怪異の想いは満たされたのかもしれない。だが僕自身が知りたかった。この絵を描いた人はどんな人で、そして女性が死した後どうしたのかということを。

 妖の世界においての物語では、絵描きは未完成の絵を持って消えてしまったという。ならばその物語の続きは人間たちの世界に残されているのではないかと、そう思った。

 知り合いの画商や画家に尋ねて回り、また資料を掻き集めて一年以上の間を掛けて探し続けた。そして死の間際、未完成のとある桜の絵を手放したという一人の画家に行き着いたのが去年の冬。それからはその画家の軌跡を辿り、見つけたのがこの町だった。そしてこの町について調べるうちに、ひとつの桜に纏わる伝説を知ったのだ。

 確たる証拠がある訳ではない。だけど僕はその画家こそがこの画霊の最初の主だったのだと確信していた。そして彼は、死した自分の恋人を桜の森に埋めたのではないかと。

 僕は画霊を抱えて、葉桜の森へと足を踏み入れる。その桜はある意味では有名になっていたから、道に迷うことはなかった。

 都市伝説の舞台となったその一本の桜木は、ある年唐突に現れたのだという。それが昭和二十年代だったと推測されるから、画家とその恋人であった妖が死別したのは、それよりも前だったのだろう。そして都市伝説が正しいのならば、彼は彼女の亡骸を桜の下に埋めたか、彼女を埋めた土の上に桜を植えたということになる。

 僕はそんな彼と彼女の物語の続きを確かめるために桜の森を歩いている。そして、僕の視界はひとつの満開の桜花を捉える。

 緑に染まった葉桜の中に、薄紅色に染まったその桜木は確かに屹立していた。散り行く花びらが風に舞っている。その桜の姿形は、僕があの妖の世界で見た桜と瓜二つだった。

 それで分かった。あの都市伝説は本当だったということが。そして、あの絵を描いた画家は、自身の恋人を森に埋めるとともに、あの黄泉国の山桜をこの場所に植えたのだと言うことが。

「やっぱりあの話の続きは、不幸な物語なんかじゃなかったんだね」

 僕は画霊に語り掛ける。彼女は何も言葉を返さない。だけどこの画霊もまた、この場所を良く知っているのかもしれない。

 この桜が咲く季節。それはきっとこの絵を描いた画家にとって、死したものと出会える特別な季節だった。この桜の森の満開の下に、彼は消えた恋人の姿を見続けていた。

「綺麗な桜だ」

 僕はそう独り言を言う。誇らしげに花を咲かせるその山桜は本当にとても美しかった。

 そして思う。この桜は、見て欲しい誰かがいたからこそ、こんな季節外れの春の終わりにこんなにもたくさんの花を咲かせることができるのだろう。

 だから、あの桜の下には死体が埋まっているのだ。死してなお想い人を待ち続けたある妖の亡骸が、その妖を愛し続けたある人間の思い出とともに、きっと。



異形紹介


・桜

 日本を代表する花のひとつであるとともに、この国において多くの伝説や怪談の舞台となった樹木のひとつでもある。

 桜に纏わる伝説として有名なものは杖立伝説があり、西行法師や良覚僧正など高僧、高貴な人物が桜木から作った杖、また杖代わりに使っていた桜の枝を地面に立てたところ、それが根付いて一本の立派な桜の木となった、という内容の伝説となっている。また特殊な時期に花を咲かせる桜の伝説も多く残されている。愛媛県松山市に伝わる「十六日桜」は毎年正月十六日、時には雪の中で花を咲かせたと言われ、三重県鈴鹿市に伝わる「不断桜」は季節を問わず年中花を付けていたという。

 死体を埋めた場所から桜の木が生えたと言う伝説も多く、長野県には何人かの生き埋めにされた武士を供養するため塚を作り桜を植えたところ、その桜を傷付けると血が流れ出たと伝えられ、また福島県では殺した大蛇を池畔に埋めたところ、そこにある桜の木はどこを切っても血が吹き出るため血桜と呼ばれるようになったと伝わる。

 そして桜そのものが怪異として現れる話として多いものが桜の精に関するものだ。長野県には久兵衛という男が、美しい山桜の林に迷い込み、そこで美しい女と出会って再会の約束をしてその場所を後にした。そして再び山桜の林へと出向いた久兵衛は、桜の木の下で花びらに埋れた死体として発見されたと言う。また新潟県は花が咲くのは今年限りと予言した桜の精の話が伝えられ、古今の怪談奇談を集めた石川鴻斎の著作、『夜窓鬼談』においては「花神」という名の話において桜の精に纏わる物語が記された。

 近現代においても桜は怪異譚の舞台とされることが多く、梶井基次郎の『桜の樹の下には』、坂口安吾の『桜の森の満開の下』などが有名である。

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