わたしを倒す旅の二十九歩。
人間領での最後の夜。
魔族領との境界はもう目の前。
木も草もなく、岩の転がる砂漠のような荒野の中。
まだ一応人間領だけど、辺りには点々とラダヒーが咲き、魔族領から魔力を含んだ風が流れ込む。
いつもの野営と変わらない様子のみんなと一緒に、わたし達は最後の夜を過ごすんだよ。
わたしが魔族だって知っても、みんなの対応は変わらなくって。
こんなに心がポカポカするの。
「ラヒーちゃん、寝ないの?」
「もうちょっとしてから」
寝床の準備は終わっている。
けど、まだ寝たくないんだ。
「落ち着かないのかい?」
リナの近くにいたフランクがこちらに首を回す。
「まだ眠くないの」
こんなに長い間、人間領を旅をしてきたの。
見たことないもの見て、知らなかったことを沢山教えてもらった。
それを思い出して、それももう終わりなのだと考えてたの。
「アルもあっちで落ち着かない様子だったぞ。多分もうすぐ戻ってくるだろうがな」
タイチョーが武器の手入れをしながら、苦笑いして教えてくれる。
「人間領も終わりだものね。ここまで長かったわ」
「そうだね。俺達の目的地ももうすぐだ」
リナがしみじみと。
フランクは静かに意気込みながら。
それぞれが、色々なことを考えている。
「あ、アル」
「おお、戻ってきたか」
遠くに見えるアルの姿がだんだん大きくなってくるのが見えた。
「アルー」
空を見上げて歩くアルに、わたしは叫びながら駆け寄った。
わたしの声が聞こえたのか、アルはゆっくり視線を落としてこちらを見る。
「なんだ?」
「うん」
なんとなく。
そう、本当に何となく。
「ちょっとアルと話をしようかなって思っただけ」
アルはわたしを一瞥してから、また空を見上げた。
だから、わたしはその横に並びながら、マネして空を眺めてみたの。
「何が見えるの?」
「何も」
「何もないのに、見上げるの?」
「……」
アルは何も答えてくれない。
けど、別にいいかなって思っているわたしがいる。
絶対に答えてほしい、ってわけじゃないから。
「他の奴らにも、言ったな……」
「ん?」
「お前が魔族だと」
「うん」
アルの声は、とっても穏やかだった。
「……あの花は」
アルの方に視線を傾ければ、アルは近くに咲いていたラダヒーを見ていた。
真っ白な、魔族領に咲く花。
「お前と同じ香りがするんだな」
わたしはラダヒー。
魔族領の白い大輪の花。
「……うん」
わたしの相槌のあと、わたし達は何も喋らずに、みんなのところまで戻ったんだ。
別にそれでもいいんじゃないかなって思ったの。
「……綺麗な花だな」
わたし達がリナやフランクがいる場所まで戻った時。
アルは静かにそう呟いた。
小さな声は、わたしだけじゃなくて他のみんなの耳にも届いたのか、びっくりした顔をしてみんなアルを見ていた。
ここの周りにも、ラダヒーは数本咲いていたから、
「ラダヒーっていうんだよ」
わたしは近くにあったラダヒーの一本に近寄ったんだ。
リナはわたしの隣に立って、ラダヒーを覗き込んでいて。
タイチョーとフランクも興味深そうに、こちらを気にしているのが見える。
アルはそこから一歩分離れた場所にいるけど、同じようにわたしの話を聞いてくれていた。
「この花はただの植物。魔族領に咲く、ただのお花」
真っ白の花の、花びらを一枚指でなぞる。
わたしが何の種族の魔族なのか。アルには言っていないし、他のみんなにも伝えてない。
でもきっと、今のアルだけはわたしの種族が分かっている気がした。
「ラヒーちゃん、物知りね」
「アルの言う通り、本当に綺麗な花だよな」
「でしょ」
花びらを一枚、わたしはそのままゆっくりと引っ張り取る。
そしてアルに近寄って、手の中に握らせた。
「白い、白い、真っ白の花なの」
「ああ」
アルはわたしが押し付けた、白い花弁を見つめてる。
「ラダヒーは魔力を吸って咲き誇るんだよ」
魔力がないと、咲くこともできない。
「ラダヒーはただの花だから、動くことはできない。攻撃もしない」
無力な植物。
ただの植物。
「あちこちで魔力を吸って咲くけれど、そのまま魔力が尽きてゆっくり枯れていく」
そう、わたし以外は。
「普通のラダヒーはね、魔力を吸うために死体に咲くの」
「……死体?」
誰かが小さく、呟き返した。
「死んだ魔物や魔族に残された魔力を吸って、ラダヒーは美しく咲き誇る」
真っ白で、美しく堂々と、甘い香りを放ちながら。
魔力を根こそぎ吸い尽くして、最終的に養分となった死体は形すらも残らない。
「ラダヒーの根元には、養分となった死体が存在するんだよ」
ラダヒーは死体の上に咲き誇る。
普通のラダヒーは、足元の死体がなければ咲くこともできない。
「きっとこのラダヒーだって、何かの死体の上に咲いていたの」
わたしは花の根元に素早く視線を走らせた。
死体はもう残っていないから、きっとこのラダヒーは吸った魔力を使って咲いているだけのラダヒー。
新しい養分が来てくれなければ、このまま枯れるのを咲きながら待つだけのラダヒー。
きっともうすぐ枯れてしまうのだろう。
「ラダヒーはね、魔力がなくなれば枯れてしまうの……」
ラダヒーの茎を握りこむ。
そして、わたしはその手にゆっくりと力を入れる。
「ラヒーちゃん?!」
「なっ」
「おいおい」
「……」
驚きの声を上げたみんな。
それは、わたしはラダヒーを折ったから。
茎から切り離されたラダヒーは、身の内にある魔力を使って元に戻ろうとするけれど、そもそも残された魔力は多くない。
そのまま魔力を使い尽くして、咲いていることがままならなくなる。
「枯れちゃうの」
そう、枯れる。
変化は劇的で。
真っ白の花は、茎は。
全てが赤く染まる。
白いラダヒーは真っ赤になる。
「一体、何が起こったの?」
「一瞬で花が赤く」
「ラヒー、説明してくれ」
リナとフランクが目を丸くして。
タイチョーが鋭い声で説明を求めた。
「花びらが……」
その後ろで、アルが手に持った花びらを摘まみ上げていた。
アルの持つ花弁も、真っ赤だ。
「ラダヒーは枯れると色が変わるの」
手に持った真っ赤なラダヒーは、そのままの形を維持しながら色だけが変わっていた。
真っ赤な花。
真っ赤なラダヒー。
まるで血に染まってしまったように、赤く、赤く。
「枯れた花は枯れてから数日、長いものだと何十年かかけて、ゆっくり土に返るの」
かつてわたしが咲いていた死体捨て場。
今あそこに行っても、あの頃一緒に咲いていたラダヒーの真っ赤な花弁の破片はもう何もないのだろう。
きっと、新しく咲いた花だけが並んでいるはずだ。
「ねえ、みんな」
わたしは躊躇いながら、でもどうしても確認したくて口を開いた。
「……わたしは、仲間なんだよね?」
「ええ、もちろんよ」
「当たり前だろ」
みんな怪訝そうな表情をしている。
わたしはちょっと俯いた。
「それは何があっても?わたしが嘘ついてても、約束破っても?」
「ええ、絶対によ」
真っ赤な花を握りしめた手に力が入る。
「……わたしのこと、ずっと忘れないでくれる?」
「ああ」
アルの肯定の声が力強く響いた。
わたしはパッと顔を上げて、アルの顔を見つめた。
「ずっと、ずっと?」
「ああ、そうだ」
「わたしがいなくなったら、ちゃんと探して、わたしの所まで来てくれる?」
「何を不安がっているのか知らないが、お前は仲間だからな」
ああ、よかった。
それが聞きたかったの。
「ラヒー。たとえ魔族だろうと、お前のことを信じていると言っただろう」
「アル……」
「俺達を信じろ」
「……うん、信じる!」
みんなのこと信じてる。
きっと今の言葉を信じていいんだって思っている。
「あのね。えっとね。魔族領にはね、色んなものがあるんだよ!」
わたしはみんなに笑いかけた。
「色々な種族の魔物や魔族がいるの」
今日はわたし達の旅の中で、人間領で過ごす最後の夜。
「手に入れた力を体に馴染ませながら戦って」
きっと、わたしがみんなと過ごせる最後の夜。
「目指してね、魔王がいる城を」
わたしの城を。
そして。
魔王である、わたしのことを。