わたしを倒す旅の二十六歩。
「本当に不穏分子ですネ」
合流したわたし達は、全員そろって教会の扉を開いた。
その瞬間に響いたのは、奇妙な女の声。
「まさか、ここまでやるとは思っていませんでしタ。人間も侮れないものですネ?」
感情を削ぎ落としたような声は、不気味に教会内に反響する。
中は嗅覚の鈍いわたしでも分かるくらいに、むせ返るような血の匂い。
「それは、なんだ……」
フードは被らず素顔を晒したまま、奥で佇む狐の横には血濡れの山。
干からびているようなものから、今なお鮮血を滴らせるものもある。
魔族のわたしからみても、ちょっと異様な光景だった。
「あらあら、勇者さマ?これのことですカ?」
感情が伺えない声のまま、小馬鹿にしたようなセリフを吐いた女は、近くにあった血に塗れた塊を踏み潰す。
「魔力の集まる臓器でス。この祭壇で、この供物を捧げることが、我が悲願の達成に繋がるのでス」
「臓器、だと?」
片眉を吊り上げたアルは今にも狐に攻撃を始めそうだった。
一方で、両手を広げて、天を仰いだ女狐は饒舌に話し出す。
「ある魔物は強靭な胃に、とある魔物は大きな牙に、他の魔族はその心臓ニ。それぞれが魔力を蓄える器官があるのでス。ここにあるのは、その膨大な魔力の塊」
あの気に食わないおじさん達が怖がっていたことの理由が分かったかもしれないの。
捨てられた死体は、きっとそこにある臓器の抜け殻。
「外で捨てられた死体は、その臓器を取り出した後のものってことだね」
「だからそのまま放置されていたのね」
わたしの小声の独り言に、同じようにリナが囁き返した。
「そんなものどうするというんだ」
「教える義理はないですガ。これから死にゆく者への土産に、教えて差し上げましょウ」
銀狐女が、ゆっくりと変色した血に濡れた祭壇の前へと歩を進める。
自然と、するりと移動している姿は、なんだか逆に異様で。
あ、これはまずいんだよ!
わたしは直感したの。
「この魔力を我が物に変えるのですヨ!」
「アル、止めて!!」
わたしの叫び声とほぼ同時に。
軽く光が放たれた祭壇に、アルが助走もなく突っ込んでいく。
アルの剣が祭壇を叩き割りそうになり、狐が顔を歪めてそれを爪で受け止めた。
光はそのままゆっくり霧散していく。
「人間風情ガァァアア!」
「黙れ、魔族」
アルが剣に力を込めて、狐の鼻先に刃を押し付ける。
その時に、アルの右足がブレて、狐が祭壇の向こう側に吹き飛んだ。
「あいつをここに近づけるな」
祭壇を背にして、アルがわたし達に指示を出す。
でも言われなくたって、近づけてなんてやらないの!
こんなに膨大な魔力の元を渡したりなんてしない。
準備してくれたことは感謝するけど、これで狐をパワーアップさせるつもりはないんだよ。
「これだけの贄ならば、どれだけ強化されるか想像もつかんからな」
「もし使われた場合、俺達の負けだ」
「ええ、フランクの言う通りだわ。確実に阻止しないといけないわね」
アルに並ぶように、わたし達は前に出た。
吹き飛ばされた先で、女狐がふらりと立ち上がり、
「確実に殺しまス」
狐が消えた。
「フランク!」
「任せろっ」
フランクの背後に現れた狐の攻撃を、フランクが弾く。
銀狐の目が鋭くフランクを睨みつけている。
「お前ら人間も、アイツも殺ス!邪魔はさせなイ!!」
フランクが狐の足止めをしている隙に、リナが魔法の呪文を唱えて、サポートを行う。
けど、それらは捌かれてしまって、傷付けるまでには至れない。
「アイツとは誰のことなんだい?」
フランクの近くにいるタイチョーが、タイミングを見ながら助太刀を入れるけど、あまりその刃が届かない。
タイチョーから意識を逸らすためか、フランクが狐と剣を交えながら叫んだ。
「君の悲願とは、人間を滅ぼすことなのかい?」
いつでも参戦できるように、体勢を低くして戦況を観察していたアルとわたし。
けど、狐はフランクの言葉を聞いて、声を出して笑い出したの。
「ハハハ、ハハハハハ!自惚れるナ。人間ガ」
そのまま後ろへ飛び退き、狐が肩を震わせる。
「何がおかしい?」
「人間を滅ぼす、だト?その価値すらないというのニ?」
狐がわたし達を笑いながら見据える。
その目はどこまでも蔑み、見下した色をしている。
「弱くて、数が多いだけの種族。滅ぼす意図がなくとも吹けば飛ぶような虫ケラに、興味はないのですヨ」
魔族は、強さが正義なの。
弱い者には価値がないというのは、魔族として正しい考え方。
わたしにも馴染みのあった感覚。
「我が一族の悲願はそんな下らないものではなイ。我々は頂点に立つのダ」
腕を広げて、眼光を光らせて。狐が宣言する。
「憎き魔王を殺して、同胞の仇を討ってやル。それこそが我らの悲願」
ほらね。わたしの予想通りだったでしょ。
コイツの殺したいのは魔王。
倒したいのは、わたし、……なんだよ。
想像通りで、わたしには分かりきっていたことだけど。
他のみんなは、軽く息を飲んだり、驚いているのが雰囲気から伝わってきた。
その中で、アルが一歩だけ前に出た。
目をギョロリと回して、狐がアルを凝視する。
「魔王とは、ウィリアムと言う名の魔の者のことだな」
質問ではなく、確認。
今知っている情報の真偽を確かめるため。
アルはそのつもりだったんだと思う。
でも、そうじゃないんだよ。
ウィリアムは、違うの。
「ウィリアムだト?ハッ、何をふざけたことヲ」
「なんだと?」
「あの男は自分の同族すらも魔王に売り払ってみせた、魔王の犬ダ」
アルの表情がわずかに変化する。
魔王だと思っていたウィリアムが、魔王ではなかったことが衝撃だったみたい。
「魔王の気まぐれで、我が一族はウィリアムに多くを狩りとられタ。残った一族の先鋭は魔王に挑みに行って、帰っては来なかっタ!」
狐の激昂。
負け狐の遠吠えは、とってもよく響く。
「魔王の右腕たるウィリアムも、魔王を殺した後で殺してやル!」
でも。
そんな狐の事情なんて、今のわたし達には全然関係ないことなの。
だから。
「土よ、捕らよ」
わたしは魔法を唱えた。
振り返ったアルに、わたしはしっかりと頷き返した。
きっと、アルはわたしが作ったチャンスを上手に使ってくれるでしょ。
アルは目を細めて、薄く笑ったように見えたんだ。
まるで「上出来だ」って言っているみたいに。
アルが、飛ぶように上段から剣を振り下ろす。
狐は、すんでのところで防御したけど、わたしの魔法から完全に抜け出せなくて苛立ってる。
フランクが、アルの剣の合間から、チョロチョロと追撃を加えている。
狐の正面はアル、それ以外の方向から意識を逸らす役割がフランク。
アルとフランクの剣が重なって、邪魔をしあうことはない。驚くほど二人の息はピッタリだった。
「鬱陶しイ」
狐は防御一辺倒だけど、地面に足を取られて移動が満足にできないから、傷が徐々に増えていく。
「あっ」
拘束していた魔法を振り解かれちゃった。
狐が後ろへ大きく退却する。
「炎よ、焼き尽くせ」
その狐が着地する場所を、まるで予想していたみたいに、リナの魔法が先回りする。
魔法に導かれて発生した炎が強く燃え盛り、狐の姿が呑み込まれる。
でも、その一瞬の間に。
炎の中に隠れたタイチョーをわたしは見逃さなかった。
「お?首を落とす気だったんだがな。儂も腕が訛ったもんだ」
魔法を目隠しにして、タイチョーの大剣が容赦なく狐を切り裂いた。
炎が小さくなった先では、左肘より下が斬り落とされた女狐の姿があった。




