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異世界ジーオンの獣たち  作者: 皆井 燦緒
第一章 異世界ジーオンと都市国家メイラサ
7/65

エイジとアーニャとヴァララゴス

 いよいよ初めての仕事を受ける日がやってきた。前回の定期討伐は見学であったし、金を貰ってもいなかったので、正式な仕事は今回が初めてだった。

 エイジは、二本の短剣を腰に下げ、背中にウォーピックを背負ってきている。岩塩の積み込み作業の人員として採用されたが、道中何があるか分からない。備えあれば憂い無しだ。

 今回は中々大掛かりな作戦になりそうだった。何故なら、集合場所は門を出た塁壁の外である。そして、馬車の数が、目視で数えるのが面倒になってくるくらい多かった。作戦に従事する人間と馬車が一同に集まれるスペースが、壁の中には無いのだ。

 軍から派遣された正規兵30名、現在岩塩坑で採掘作業にあたっている人員の交代要員30名、道中の護衛兵20名、そして岩塩を馬車に積み込む人員20名の計100名が今回の作戦に参加する。


 壮観な風景を眺めていると、参加者たちがざわめきはじめた。


(一体なんなんだ?)


 疑問に思って視線を騒ぎの方向へ移してみると、参加者の多くが何かを見つめてひそひそと会話していた。


「あのお嬢さん、とても神秘的な色の髪をしていらっしゃる」

「ああ、すげー上玉だ。この仕事を受けられてラッキーだぜ。あんないい女と一緒に一週間も居られるんだからな、グフフフ」

「悠然と馬に乗る姿がとても凛々しいな……」


 エイジも馬上の人物を人目みようと、視線を向けるとそこには、戦闘服に身を包んだ銀髪ツインテールの美少女が済ました顔で馬を歩かせていた。アーニャだ。


「アーニャ!」


 思いもよらぬ人物が居たことに意表をつかれたエイジは、その人物の名前を叫び駆け寄った。


「おはようございます」


 アーニャはエイジの驚きなど無視して挨拶をする。


「もしかしてアーニャもこの仕事受けたのか?!」

「それ以外にここに居る理由がありますか? それとも私があなたに会いにわざわざ来たとでも思ったのですか、いやらしい」


 いつもの冗談を、冗談に思えないような口調と表情で言うが、少し彼女のことが分かってきたエイジは、冗談を正しく受け止めて流すことにした。


「そっか、じゃあ仕事の間よろしく頼むぜ。 アーニャは護衛兵としての参加になるのか?」

「そうです。丁度学院が始まるまで暇ですし、偶々良さそうな仕事があったから受けただけで、決してあなたがいるからではありません。そこは勘違いしないでくださいね」

「なんだ、それを聞いてガッカリしたよ……俺と一緒に居たいから来てくれたと思ったのに、残念だぜ」


 明らかに冗談と分かるように大げさなリアクションで言ったのだが、アーニャは冷たい視線をエイジに向けて手ひどく罵った。


「本当に気持ち悪い男ですね。生きてて恥ずかしくないのですか?」


(アーニャって結構毒吐くよな。でも、何故か嫌じゃないんだよなぁ。ミスカに何か言われると凄く腹立つのにな。どういう違いなんだろう?)


「なんですか……じっと見て。いやらしい」

「いや、何故かアーニャに罵られるの嫌いじゃないなって思ってさ……なんでだろう」

「へッ、へ、変態! 何をい言い出すんですかッ!!」


 今まで見たことのないくらい狼狽し、顔を真っ赤に染めながらエイジに怒鳴るアーニャ。確かに今のは、特殊な性癖を持つ変態性を暴露するような発言であった。普通の告白をされた経験なら腐るほどあるが、このように変態的な発言でアプローチしてくる男は居なかったため、冷静な対応が取れず、あたふたすることしか出来なかった。


「いや、別にそういう意味じゃあ」

「近寄らないでください。変態ッッ!!」


 凄い剣幕で、顔を赤らめたまま向こうへ行ってしまった。


(あちゃー、嫌われちまったか)


 正直な発言でアーニャを不快にさせてしまったことを反省しながら、仕事が始まるのを待った。





 午前8時を示す鐘が鳴り終えると点呼が始まった。従事する仕事の内容別に集められ、次々と名前が呼ばれていく。

 点呼が終了し仕事内容の再確認の後、いよいよ出発の時がやってきた。行きに二日、岩塩坑で岩塩の積み込みに一日を要し、行きよりも岩塩の重量が増えるため三日を費やして帰る、これが今回の任務の日程だ。


 馬車に詰められ隊列を組んで塩の道を進み始める。今回の任務は日帰りではなく、数日またぐ日程となっているため、馬車には殆ど屋根付きで休むことを考慮した造りになっている。完全に全員を収容することは出来ないため、簡易テントや、露天風呂用の道具なども配備されている。女性も多いため、そういった美しさや清潔を保つ用具は必需品なのだ。


 乗り心地の良くない馬車に揺られながら、どうしてあんなことを口走ってしまったのか理由を考えていた。


(別に変な意味なんか無かったのにな。素直にアーニャに罵られても嫌じゃないって思ったんだ。罵られるのが好きってわけじゃないぜ、多分……)



 アーニャはというと、馬に乗って周囲を警戒ながら、馬車の横を並走していた。アーニャの持ち場は最前列の左翼である。エイジの乗った馬車は後方なので二人の距離はかなり離れていることになる。エイジたちは馬車に缶詰であるが、護衛は機動力のある単騎での行動となる。


(全く……。あの人があんな変態だったとは思いもよりませんでした。罵られて嬉しいだなんて、へ、変態マゾ男じゃないですか! 気持ち悪い。もう会話してはいけませんね。私があの人を非難しても全く効果などなくて、逆にあの人を喜ばせてしまいます)


 エイジにマゾの気があると思ったアーニャは、今まで告白してきた男達の誰よりも強くエイジに嫌悪感を抱いてしまった。普通に愛の告白を受けるだけなら、迷惑ではあるが大して気にはならなかった。しかし、下心など全く感じさせないエイジに好感を持ち始めた矢先に、あのような気持ち悪い発言が飛び出し、失望してしまった。プラス印象からの、降下だけにダメージは大きかった。


(あの人のことを考えるのはもうお終いです。今は任務に集中しないといけません)


 なんとか気持ちを切り替えようと努めた。





 エイジの乗る馬車には三対三で向かい合って六人が乗車していた。エイジを含めて男4人と女二人だ。

40代くらいの髪の毛が薄いおじさんと、髪と髭を汚らしく伸ばした清潔感の欠片もない同じく40前後の男。そして20台後半の男が一人。

 女性のほうはどちらも30歳くらいで一方は妖艶なオーラを醸し出す色っぽい女性だった。


「おう、ねえちゃん! いい女だな」


清潔感の全く感じられない笑い方が下品な男が、色気のある女性に話しかけた。

 女性は無視して、視線をそらした。


「おう連れねえじゃねえか。一発やらせてくれよ、グハハ」


 それでも女性は完全に無視していた。すると、男は視線を女性から外して前方を見たのだが、その男を眺めていたエイジと目が合った。


「なあ、あの銀髪の彼女とはどういう関係なんだ?」


 今度はエイジをターゲットに切り替えて話しかけてきた。エイジとアーニャが話していた場面を見ていたのだろう。


「え? そうですね。友達……かな?」


 エイジにとっては既に友達という認識であるが、アーニャがどう考えているか分からなかったので語調が弱くなってしまった。先ほどの件もある。


「あんないい女と知り合いだなんて羨ましいぜ。後で紹介してくれや? グヘヘ。あの女の中は絶対締まりがいいぜ。断言する。まだ殆ど経験がないだろうからな」


 凄まじく下品な男でエイジは嫌悪感を持った。


(今まで多数の男に言い寄られてきたみたいだから、当然コイツみたいな下衆野郎からもアプローチがあったんだろうな。はは、確かにキツイわ)


 心の中でアーニャに同情したエイジは、モテ過ぎることが良いことばかりではないのだと理解した。


「悪いけど、そんなことしたら俺が彼女に嫌われるよ。知り合いたいなら、自分で何とかしてくれないか」

「なんだと、てめえ! 口の利き方がなってないようだなぁ……」


 下品な男はドスの利いた声で威嚇してきた。


「別にあんたが、彼女に言い寄ることに干渉するつもりはないよ。ただ俺が仲介するのは断るといったんだ。あんたは、誰かに取り成してもらわないと女一人口説けないのか?」

「おい、てめえ。馬車を降りたら覚悟しとけよ。この俺を怒らせたこと後悔させてやるからよ」

「おいおい、仕事中は止めておこうぜ、そういうのは。文句があるなら、帰ってからだ。問題を起こしてクビになるのは嫌だろ?」


 こんなところで騒ぎを起こすわけにはいかないのでエイジは、そういったのだが、男はエイジの自分の威嚇をまるで気にしない態度に我慢ならなかった。異常に沸点が低い男だ。


「うるせぇ!」


 男が馬車の中に居ることも構わず魔法を発動させた。狭い馬車の戦闘は先に攻撃したほうが圧倒的に有利だ。なにせ避けるスペースがないのだ。

 殆ど、ゼロ距離での氷柱魔法がエイジに向かって放たれた。男が掲げた手から尖ったつららが迫り出すように出現し、エイジの体に穴を空けようと迫る。


「きゃあああ」

「止めろおおおおおお!」


 同乗の女性や男性が悲鳴を上げる。他の乗員たちも顔を強張らせていた。


 エイジは、無意識のうちに〈自己制御〉を発動させ、狭いスペースを飛び上がって回避した。しかし着地するスペースなどなく、そのまま男に向かって頭から突っ込んだ。そして男の肩の服を掴み、そのまま空中でぐるっと回転して、馬車の外に投げ飛ばす。


「うああああああああああああああ」


 男は面白いようにすっ飛んで行き、後ろの馬車に激突し、更に弾んで地面に倒れた。


 エイジの乗っていた馬車は後ろから二番目でその後ろには殿のための正規兵が乗る馬車が控えていた。


(やっべぇかも……。正当防衛とは言え、問題を起こしちまったぜ……)


 エイジの乗っていた馬車が停止し、次々と他の馬車も停止していった。そして護衛兵や正規兵が騒ぎに驚き集まってくる。ただし、全員が持ち場を離れるわけにはいかないので、騒ぎに集まったのは、近くの兵たちだけで、先頭にいたアーニャはこの場には来ていない。


「一体何の騒ぎだ!」


 隊長の男が、倒れている男とエイジたちの馬車に向かって怒鳴った。

 厄介な事になったと、頭を抱えたくなりながらも、エイジは馬車から降りて説明しようと男の元へ歩いていった。


「お前がこの騒ぎを起こした当事者か?」

「……そうです」

「全く、何をやっているんだ、こんな時に! 馬車を止めてしまうと大幅に予定が狂って向こうにいる労働者たちにも影響するのだぞ!」

「すいません……」

「騒ぎの原因を説明してみろ!」

「俺の知り合いの女性を紹介してくれとあの男に頼まれたのを断ったら、いきなり攻撃してきたので、馬車の外に投げ飛ばしました」

「そんなことでか?! そんなことでこのような騒ぎを起こすとは、お前たち仕事を舐めているのか? ええ?」


 実に簡潔に纏めた説明だったのだが、話を聞いていた男は呆れ返っていた。


「言葉もないです」


 確かに、自分ならもっとうまく処理できたはずだ。しかし彼女にあのような男が近づくと思うとつい挑発気味に対応してしまったのだ。エイジは、自分の不甲斐無さを深く反省していた。


「お前たちは、クビだ。女などというくだらないことで騒ぎを起こすような者は我が隊に要らん。まだ出発して間もない。歩いて帰れ!」


 クビを宣告され、頭が真っ白になった。そして多大な迷惑を掛けてしまったことへの罪悪感が押し寄せる。


「あの、この人は悪くありません。あの男が勝手に逆上して魔法を放ったんです。彼は文句があるなら仕事が終わってから聴くと言って戦いを避けようともしていました。その台詞の直後いきなり魔法を使ったんですよ! あの狭い馬車で。そんな男に知り合いの女性を紹介できますか?」


 あの下品な男に言い寄られていた女性から助け舟が出された。


「俺も同意だ。少年は全く悪くないよ一方的に絡まれた被害者だ。彼の素行には全く問題があるとは思えない」



 次々と擁護の声が上がり、クビを宣告した正規兵の男も悩み始める。その時だった。気絶していた男が起き上がり、怒声を上げながら再びエイジに襲い掛かった。


「死ねや、らあああああああああああああああ」


 エイジに突っ込んで行き、今度は三本の巨大なつららが、勢い良く迫り出しエイジを襲った。迫り出すように出現する氷柱魔法は、ただ発現させるよりも攻撃力があがる。瞬時に勢いのついたつららは、〈制御〉で勢いをつける必要がなく、近距離でも十分な威力を秘めているのだ。

 しかしエイジは、それらを難なくかわし、男に肉薄し、拳を三回打ち込んだ。

 一撃で吹っ飛んで行かないように力を調節して二回腹に打ち込み、最後は顎にお見舞いした。

 アッパーの衝撃で、男の体は少し宙に浮き上がり、ドスンと背中から落下した。男は脳震盪を起こしていたが、何とか意識はあるようだ。芋虫のように微かに動いていた。


 そして、一瞬の出来事に、その場に居た全員が倒れた男とエイジを見ていた。


「隊長この男、最近まで徒刑場にいた元犯罪者です。先日出場したのですが、以前から素行の悪さは大変有名でした。彼は巻き込まれただけででしょう」


 一人の正規兵が沈黙を破り、更にエイジに追い風となる証言を行った。


「なるほど、わかった。お前のクビは取り消そう」

「ありがとうございます」


(よかったあぁぁ、やっぱ普段の素行ってのは重要だな。徒刑囚だと分かった途端、これだもんな。俺も気をつけよう)


 半ば諦めかけていたが、親切にも擁護してくれた人が何人もいて、仕事を辞めされられずに済んだ。同乗していた人たちも、あの下品な男には辟易していたのだ。


「てめえ、絶対殺してやるからなああ! そうだ、あの女! 絶対手に入れてやる。嫌がる女を犯すのは最高に気持ちいいんだぜえええ。はっはっは、楽しみにしてろや」


 かなりタフな男だ。手加減したとはいえエイジの強力なパンチを受けてもまだ意識があった。


 そしてエイジではなく、アーニャに手を出したほうが、エイジに傷を負わせられると思ったのだろう。周りの人間が嫌悪感をむき出しにしてしまうような、卑俗、下劣な台詞を吐き出した。


 その瞬間、周囲の空気が凍りついた。

 エイジから滲み出る、近くに居る者全員を殺してしまいそうな殺気を放って男を見下ろした。


「そんなことしやがったら、バラバラに切り刻んで魔物の餌にしてやるから、その覚悟があるなら勝手にしろ。実行に移そうとした時点でてめえは屍だ」

「ハッ、ハンッ眉唾だ。てめえにそんな覚悟があるわけがねえ!」


 エイジの異質な雰囲気に呑まれ、男は語気が弱まった。


「もういい加減その汚い口を閉じろよ……」


 エイジは、背中に背負っていたはずのウォーピックをいつの間にか手に持っており、そのまま男に近づいていく。

洗練された〈自己制御〉により、認識すらできないスピードで背中から取り外したのだ。男に対する憎しみが、より一層エイジの〈制御〉の性能を高めていた。


「く、来るなああああ。お、おい! 誰か助けろ!! コイツに殺されちまう。人殺しを黙って見てるのかぁ、おいいいい!」


 酷く狼狽するも、先ほどエイジに打たれた腹が痛み上手く動くことができなかった。


「おい、止めろ!」


 エイジの気迫に気圧されていた兵士が我に返り、エイジを寸での所で制止した。兵士に行く手を阻まれながらも、男に視線を突き刺したまま、エイジは言う。


「いいか、お前は人間じゃない。ただの獣だ。獣なら一切躊躇することなく殺せる。目からナイフを突き刺し、脳をかき回して、喉をかき切って殺してやる。楽しみに待ってろ」




 エイジの言葉が嘘ではなく本気だと悟った男は、言葉を発することができなくなり、ただ震えるだけだった。





 エイジに襲い掛かった男は、魔封じの錠を首に掛けられ連行されていった。再び徒刑場に戻ることになるだろう。

 連行されながら男は先ほどのエイジの姿を思い出し、酷い頭痛と吐き気に襲われた。



「うえ、おええッ」


喉の奥から胃の中に在ったものが逆流してくる。


「ぜえ、ぜぇ」


 呼吸を荒くしながら、思う。


――俺が獣だと? んなわけあるか。自分自身を鏡で見てみろよ。アイツのほうが、本物の……獣だ……



 最後に見たあの男の表情が頭からこびり付いて離れない。まさにエイジという獣が持つ殺戮本能の塊であった。





「何かあったのですか?」


 アーニャは様子を見に行って戻ってきた、護衛兵に後方の馬車で起きた出来事を尋ねた。


「ええ、喧嘩があったのよ。男二人が女を紹介するしないで揉めてね」

「そんなことで部隊の進行を阻害したのですか? 全く男という生き物は……呆れて言葉も出ません」


 普段から男に対して良いイメージを持っていないアーニャは、同僚の護衛兵の話を聞いて、男に対する軽蔑の念を再認識した。


「その女ってのが貴方のことなんだけどね」

「ええ!? 私ですか?」


 まさか自分が争いの中心であるなど、全く想定外だった。自分の知らないところで勝手に自分を争いの種にされて怒りが込み上げてきた。


「そうよ、一人は貴方と同い年くらいの男の子だったわ。もう一人が下品なオヤジ」

「ミナガワさんが!?」


(あの男、一体私をどれだけ不快にさせれば気が済むんですか!! 信じられません!)


 騒ぎの当事者がエイジであるなど考えもしなかったアーニャは、事実を知って更にエイジに対する怒りが溢れ出す。気持ち悪いマゾな男だとしても、他人に迷惑を掛けるような男だと思わなかった。国民の生命線だと言える岩塩を輸送する重要な任務についていながら、それを遅らせる、そんな責任感のない行動を起こしたエイジに、取り戻せない程の失望を感じた。


(最低ですね……。どうしようもないくらいの屑)




 エイジたちは少し壊れた馬車に乗り直し、再び進行を始めた。

 一人減った馬車の中は、少し重苦しい雰囲気が流れていた。エイジの狂気に満ちたやり取りを目撃し、彼らも恐怖していたのだ。しかし、エイジがその沈黙を破った。


「皆さん、先ほどは大変ご迷惑をおかけしました。本当にすみません」


 エイジは深く頭を下げて謝罪した。


「あなたは悪くないわ! 聴いたでしょ? あの男は元々犯罪を犯すような奴だったのよ。私だって、あの男に身の毛がよだつような言葉を言われてすごく嫌だった」

「そうだよ、君は悪くない。あのような男にあんな可憐な女の子を紹介など出来るはずがない」

「そうよ! もし紹介なんてしていたとしたら、彼女襲われていたかもしれないのよ。彼女のために本気で怒る姿……ちょっと怖かったけど、カッコよかったわよ! 彼女は幸せ者ね、こんないい男に想われて」


 口々に仲間の擁護の声が上がる。


「そう言ってもらえると良かったです。友達をあんな風に言うんなて我慢できなくなったんです」

「でもあの時は本気だったの?」

「殺すつもりはありませんでした。ただの脅しですよ。でも、もしあいつがアーニャに手を出そうとしたら、躊躇いません。そこは本気です」


 エイジの真剣な目が本気であることを物語っていた。


「そこまで想っているんだね」

「そりゃ友達ですから。あー、でも彼女が俺のことをそう思っているかは、自信ないですが……」

「きっと彼女も友達だと思ってるよ」

「そうだといいんですが」




 車内の雰囲気は徐々に明るさを取り戻していき、エイジが同乗の仲間たちと少しだけ打ち解けた頃には日が暮れ始め野営の準備が始まった。




 野営地での夕食は軍の人間が用意した。流石に経験が豊富らしく、手際良く夕食の準備を整えた。

 配給された食事を一緒に取ろうとアーニャを誘うことにした。話もしたかった。そしてアーニャを見つけ声を掛ける。


「アーニャ、一緒に夕食を食べないか?」

「お断りします。あなたみたいな人間と話すことなどありません。今後一切話しかけないでください」

「まだ怒ってんのかよ、別に変な意味で言ったわけじゃないから」

「話しかけないで下さいと言ったでしょう! もう私に構うのは止めて下さい、迷惑なんです!!」


 全く聞く耳持たずエイジを拒絶するアーニャ。その瞳に滾る並々ならない本気を感じたエイジはただ早足で歩き去るアーニャをただ見送るしかなかった。いつもの罵倒なら全く平気なのに、たった今言われた台詞は、エイジの心に痛みを認識させた。


(なんでこんなことになったんだ……)





「あれ? 例の女の子は見つからなかったの?」


 夕食を誘いに行くと言ったはずのエイジが一人で戻ってきたので、仲間の女性が疑問を口にした。


「どうやら完全に嫌われたみたいで。朝にちょっと彼女に嫌われるようなことを言ってしまったんですが、それが随分彼女を怒らせてしまったみたいで、取り付く島もなかったです……」

「一体何を言ったの?」

「君に罵倒されるの嫌じゃないって言いました。それを彼女は、俺が罵倒されて喜ぶ変態だと思ったらしく、それから口も聞いてもらえなくなりました」


「ちょッ、エイジ君、それはマゾだよ! それは嫌われてもしょうがないなぁ!」


 実に嬉しそうに、薄げの男がエイジを批判した。


「そうでしょうか……」


 こんなうだつの上がらない男にまで言われてエイジは、本気でショックを受けた。


「エイジ君、本気でマゾなの?」

「俺にもよく分かりません」

「いーや、間違いないよ! マゾだね」


 薄げの男は、普段うだつの上がらないくせに、今だけは目を輝かせて断言した。


「もう、マゾでいいです……」


 エイジは黙って夕食を食べることにした。






 夕食が済んだ頃、軍の正規兵たちが、生成した石を組み上げ大きな湯船を造り上げていた。その中に魔法で熱した湯を流し込み、見事な風呂が出来上がる。それをすっぽり覆い隠すテントを張れば、女性たちが安心して浸かる事のできる完璧な風呂の完成である。


 アーニャも、今日一日の疲れを癒すため、風呂に浸かりに来ていた。主に精神的な疲れである。


「やっぱりお風呂は気持ちいいわね。ねえ、そう思うでしょ?」


 アーニャの少し後から入ってきた、妖艶な女性が話しかけてきた。自然と世間話を繰り出せる社交性の高い女性のようだった。


「ええ、そうですね。嫌な気分も少しは紛れます」

「嫌な気分って?」

「男と一緒に仕事をしないといけないことです。能力が低いだけならまだしも、自分の勝手で仕事の妨げになるような行為をする男は最低です!」

「今日馬車を止めた男たちのこと?」

「そうです! 仕事を何だと思っているのでしょう。あの男はッ!」

「“あの男たち”じゃなくて“あの男”ね……。エイジ君一人だけが責められるなんて可哀そう」


 エイジの名前がいきなり飛び出したことに驚いたアーニャは、妖艶な女性の顔をマジマジと見つめた。


「ミナガワさんのこと知ってるんですか?!」

「まあ、同じ馬車に乗ってたしね」

「ミナガワさんは、あのような下らない理由で騒ぎを起こすような人ではないと思っていました。だから余計に腹が立つんです」

「下らないか……。私はそうは思わないなぁ」

「え?」

「確かに女のことで揉めたって聞けば、なんて下らないって思うわ。でも彼はあなたのために怒ったのよ」


――わたしの為?


 全く事情が飲み込めない。


「どういうことですか?」

「エイジ君に貴方のことを紹介してくれと頼んだ男はね、貴方を無理やり犯そうと考えるような男だったのよ。そんな男を貴方に紹介できると思う? 見るからに危険な男だと思ったエイジ君は当然その頼みを拒否したわ。そしたら、あの狭い馬車の中でいきなり魔法をぶっ放してきたの。エイジ君はただの被害者でしかないわ、何も間違った選択をしていない。あの危険な男をあなたに近づかせまいと怖いくらいに怒ってた。確かに馬車の進行を止めてしまったのは彼らだけど、そんなことよりもっと大切な事ってあると思うわ。彼を許してあげて、お願い。結構落ち込んでるみたいだし」


 どうやら自分の為に怒ってくれたようだったが、今一状況が理解できない。もっと詳細な状況を知りたくなった。


「……あの、その話最初から詳しく聞かせてもらえませんか……」

「ええ、私も彼が誤解されたままなのは、あまりいい気持ちじゃないからね」



 そういってその女性はアーニャに事情を説明しはじめた。馬車の中で、視姦するような顔で、自分に卑猥な台詞を投げかけてきたこと。騒ぎを起こすまいと、仕事が終わってから文句を受け付けると嗜めたエイジに一瞬で激昂するような男であったこと。そして、その男が刑期を終えた前科持ちの男だったことなど。出来うる限りエイジを擁護した。


「仕舞いには、あなたを無理やり犯すと言い張ったのよ。それを聞いたエイジ君は、声を荒げるようなことは無かったけど、本気で彼を殺そうとしてた……」

「簡単に人を殺そうとするなんて、やはりミナガワさんも、私を犯すと言った男と同類ですね」

「でもそれは自然な感情よ! 家族や恋人が同じ目に遭うとなればどう? 殺してでも阻止しようとするはずよ!」


 確かに親しい者同士なら、無理やり犯すような男は殺してもおかしくない。


「私とミナガワさんは恋人でも何でもありませんが、ただの知り合い程度の関係です。それともミナガワさんが私のことを好きだとでもいうのですか?」

「……少なくとも大切なんじゃないかしら」


(大切? 相手の男が気に入らないからではなく、私が大切だから争いになったというのですか……)


「まあ、どういう理由であれ騒ぎを起こしたことは事実です。でも……お礼くらいは言うべきでしょうね」

「はぁ、全く素直じゃない性格してるわね……」


 アーニャの強情ぷりに女性はため息をついた。





 夜も更けて就寝時間がやってくるが、ここは安全な塁壁に囲まれた町とは違い、魔物の危険と隣り合わせの外の世界である。軍の人間と護衛兵は、夜通し交代で周囲の警戒に努めなければならない。護衛兵の任についているアーニャも当然参加する。


 松明が至る所に設置され、そこだけは暗闇に精一杯抗おうとするような空間であった。炎を怖がる魔物もいるのだが、逆に光の走性を持った魔物もいる。しかし、松明を灯さなければ、万一魔物の襲撃があった場合、暗闇で動けぬ人間たちは、たちまち混乱し壊滅するだろう。魔物が寄ってくる可能性を考慮しても、明かりがあったほうが、ましなのだ。


 アーニャは馬に乗りながらぼんやりと警戒にあたっていた。遠くを見て、万一の襲来に備える地道な仕事に、どうしても余計なことを考えてしまう。エイジがマゾな男だと分かってショックを受けたが、その後、彼が自分のために下劣な男を近づかせまいと体を張った話を聞いて彼を見直した。


(私はあの人とどう接すればいいの? 変態な男は嫌い。でもミナガワさんは私の為に必死になってくれた。いい印象を持てばいいのか、悪い印象を持てばいいのか全くわかりません。ハァ、本当にあの人は、毎度毎度私の心を揺さぶるのが得意ですね)


 思考していたら、いつの間にか数時間経っていたらしく、交代を告げる兵が来て、すぐさま眠りについた。





 魔物の襲撃はなく無事に夜が明け、朝食を終えると迅速にテントやその他の用具を片付け出発となった。

 エイジは馬車の中、アーニャは外で騎乗して周囲の警戒にあたっているため、お互い顔を合わす機会がなく、その日の日暮れまでに岩塩坑に到着した。


 山脈の入り口に馬車が二台並んで通れるような大きなトンネルが掘られており、そこから先が岩塩を採掘する坑道が奥深くまで続いている。明かりは魔法で発生させた電球のような、小さいが眩い光が水晶を触媒として灯っていた。キラキラと水晶の中を反射してその効果を高めている。


 目的地に到着し、先頭の馬車から順に人々が降り始め、すわり心地の悪さから解放された坑夫たちのざわめきがどんどん大きくなる。エイジも数時間ぶりの地面の安定感に笑顔になってしまった。


「やっと着きましたね~。ケツが痛いです」


 苦笑いになりながら、同乗していた仲間たちに話しかけた。


 私も何度か参加しているが、毎回キツイねとうだつの上がらなそうな、頭の薄い男性も尻を摩りながら、エイジに笑いかける。他の面々も同じような感じだとエイジに答えた。


「ところで、何か様子が変だぞ。軍の方々が険しい表情で、元々ここに滞在していた坑夫や護衛の人と話し合ってるみたいだ。何かあったのだろうか?」


「確かに、そうね。行ってみましょう」


 様子のおかしい雰囲気の軍人たちのもとに沢山の労働者たちが、集まってくる。


「いったいどうしたんですか?」


 先に来て事情を聞いていた労働者に、エイジは状況の説明を求めた。


「ああ。坑道の中で行方不明者が出たらしい。二日前に坑夫が6人いなくなったらしいんだが、それを探しに行った。護衛兵4人も未だ戻らないらしいんだ」


 二日前。数週間採掘に従事した坑夫たちは、間近に迫る仕事の終わりに気分が緩んでいた。あともうひと頑張りすることで家族の待つ家に帰れる。そのはずだった。

 その日は、殆どが早めに作業を切り上げ入り口付近に戻ってきていたのだが、最奥で作業するグループは、キリの良いところまで作業を済ませてから上がろうと言って、それきり戻らなかった。いつまで経っても姿を見せない坑夫たちを不審に思い、捜索に行くことが決定したのだが、もし坑道が崩れて戻れないのであれば、岩盤が不安定な場所に大人数でいくのは危険だと判断した護衛たちは、護衛兵4人で行くことにしたのだ。


 しかし、その兵たちも一向に戻っては来なかった。いくらなんでもおかしい。坑道内は崩れないように補強をしつつ進んでいるのだ。崩れるとしても、最奥くらいのものだ。それを理解している護衛まで巻き込まれることなどありえなかった。

 得体の知れない恐怖を感じた残されたものたちは、翌日になれば、軍の人間が到着すると考え、それまで坑道内には入らず、じっと待つことにしたのだ。

 それがここまでの経緯だ。


 軍の人間は即座に捜索隊を立ち上げ、まだ16歳ながら優秀なアーニャも、その隊に組み入れられることになった。メイラサでは強さがもっとも重要なのだ。歳は関係ない。



「アーニャッ!」


 軍人と護衛兵たちの作戦会議が終わり、坑道に到着してから漸くアーニャとの会話の機会が巡ってきた。会議を邪魔することはできないので、その終了を待っていたエイジは、アーニャが自由になったと確認するや否や、話をしようと駆け寄った。


「もしかして、坑道に入るのか?」

「ええ、もしかしたら、内部が崩れたのではなく、強力な魔物がいるのかも知れません」


 目の前のアーニャは昨日とは打って変わって、エイジに対する軽蔑の色が弱まっており、エイジは少しホッとする。何とか会話はできそうだ。


「……そうか。気をつけてな。というか帰ったらじっくり話し合う必要があると、俺は思う! 上手く説明できないけど、君は誤解してるよ」

「そうはとても思えませんけどね、貴方が変態マゾでなければ何だというのですか?」

「だから上手く言えないんだって、とにかく気をつけて!」

「あなたに言われるまでもありません。私は自分自身を客観的に見ることができるんです。全く力の無い状態でジャージャに突撃するような愚か者ではありません。あなたと違うんです」


 そう捨て台詞を吐いてぷいっと背中を向けていってしまう。しかし去り際に一言だけアーニャが言葉を発した。


「でも、まあ話ぐらいは聞いてあげてもいいです」


 そう言い残しアーニャは行ってしまった。彼女は今から何かが潜んで居るかもしれない坑道内を探検に行かなければならない。長話をする時間など無かったので、黙って見送ることにした。しかし、しばらくしてその判断を後悔することになるとは、まだ知らなかった。


 エイジに背を向けながら歩くアーニャは、心の中で自分自身の強情さに苦悶していた。


(あ~もうッ、どうして私はこんなにも素直じゃないのでしょう! ただ一言、お礼を言えば済む話じゃないですかッ!)


 エイジが馬車を止めた理由を、きちんと確認もせず、怒って、エイジに冷たい態度を取ってしまったことへの謝罪と自分の為に怒ってくれたことへの礼を言おうと昨晩の見張りの時に考えていたはずが、どうしても素直になれず、再び冷たい態度を取ってしまった。


(帰ったら、絶対にお礼を言いましょう。それまでに頭を冷やしておかないといけませんね。それに今からは気を引き締めないと。遊びじゃないのですから)




 ものの数分で装備を整え、10人の精鋭たちが坑道の内部へと進んでいった。



 悪い予感ほど良く当たるものだ、捜索隊グループは朝になっても戻ってこなかった。



「皆聞け。この事態は我々では手に負えないと判断し、一度戻って強力な部隊を引き連れ戻ってくることにした。これ以上仲間を失うわけにはいかん。当初の目的通りこのまま岩塩を積み込んで帰投する」


――なん……だと!? アーニャを残して帰る? そんなことできるかよッ! 馬鹿野郎どもが。見捨てていけるかよ!!


 エイジは顔が怒りに歪んで鬼のような形相になるが、すぐさま無表情でそれを覆い隠した。


(――落ち着け。冷静さを欠いた者に待つのは死だけだ)


 エイジの長所は、切り替えの早さ、そして冷静さだ。怒り狂って軍の連中に抗議したところで何も変わらないだろう。それに軍の判断は、一石を投じる隙もないくらい正しいものだった。エイジは黙って〈制御〉で岩塩の積み込みを手伝いながら、時が来るのを待った。


 そして、積み込みが終了し、帰還の準備が整い、いよいよ出発の時が来た。


「皆さん、ちょっと話があるんです」


 エイジは同じ馬車に乗ってきた仲間たちに声を掛けた。


「まあ、聞かなくても分かるけど」

「はい、俺はアーニャを助けに行きます。俺が馬車にいないことを軍の連中には黙っておいてほしいんです。お願いします」


 エイジは仲間たちに頭を下げて嘆願した。


「エイジ君。最初の坑夫たちが消息を絶ってもう四日よ。誰も戻って来ていない。彼女の無残な姿を見ることになるかも知れないけど、それでも行くの?」


「自分の目で見るまで死んだと判断するのは早計です。今も生きてるかも知れないなら、俺はそれに賭けたい」


 決意を言い終えたエイジは仲間たちの反応を待った。


「俺たちの馬車の乗員は確か、4人だったよな?」

「ええ、4人よ。あなたの席はないわ」

「姫様を救い出して英雄になって帰ってこい!」

「危なくなったらすぐ逃げるのよッ。あなたの〈自己制御〉ならそう簡単に敵に捕まることはないでしょうからね」


 仲間たちの暖かい言葉で胸が熱くなる。絶対に信じきる。かつてアーニャに言われた言葉が自然と心に浮かんできた。定期討伐の際、仲間の言葉を無視してジャージャに突っ込んでいったエイジをアーニャは本気で怒った。


『隊の仲間の言葉を信じられなくてどうやって魔物と戦っていくつもりですッ!!』


 そう、仲間は信じるものなのだ。アーニャは、エイジと話をすると約束してくれた。その言葉を信じて行くしかない。


 エイジは出発する仲間たちを見送ることなく、坑道に忍び込んだ。




 ぼんやりとした明かりの中を慎重に歩んでいくエイジ。奥に進めば進むほど、道は狭くなり、分岐も多くなっていく。しかし、目的地まで迷うことはないだろう。何故なら、吐き気を催す嫌な臭いが漂い、行き先を教えてくれる。間違いなく人の死体の腐敗臭だ。エイジは、全身の血が沸くのを感じていた。野生の勘が強敵の存在を告げている。


――血が騒ぐ。魔法使いの手だれたちを一人も逃がさない敵とはどんな化け物だろう。早く見てみたい。戦ってみたい!


 恐怖など一切感じさせない狂気にも似た表情で強者に見える時を心待ちにしていた。獣の本性が表に顕れはじめていた。


 ますます、血の臭いが強くなり、殺戮の現場が近いことを感じ取ったエイジは、ウォーピックを手に構えゆっくり進んでいった。



 茶色のトンネルが、少し奥では黒に変わっている。それは壁の色ではなく、坑道全体を覆いつくすほど巨大な怪物が道を塞いでいた。体長は大きいが、手足はナナフシのように細い。勿論体の割合からすればという意味で、簡単に折れそうなイメージは全く無い。黒い光沢を放ち、筋肉を隠すように硬そうな殻に全身覆われていた。

 エイジは最初見た時、巨大な蜘蛛かと思ったが、良く見ると全然違う。手足が八本あるのは同じなのだが、地に足をつけているのは四本のみで、残りの四本は前に突き出し自由に使える構造になっていた。蜘蛛の武器は口の牙だけだが、この怪物は攻撃に使える手が四本もあるのだ。鋭い爪を持った五本の指が人間の体など簡単に穴を空けてしまうだろう。人間のように器用にものを掴むことも可能なのだ。

 しかし昆虫ではなく、顔はコウモリのような獣の顔をしていた。怪物はエイジのやってきた方向を向いておらず、エイジに背を向けていた。



「……コイツが事件の犯人だな」


 怪物の足元に広がる夥しい血溜まりと、数々の肉片が何よりの証拠だ。この状態で生きている人間など人間ではない。


「クッソオオッ。アーニャァァ……」


 無残に散らばる肉片。この中にアーニャがいるのだろう。


「――テメエは殺す! てめえが殺した人間と同じようにバラバラの肉片にしてやるから、覚悟しろ」


 エイジが発した言葉に気がついたのか、怪物が後ろを振り返った。その時。




「誰かいるのですか!? 早くここから逃げてください! そして、軍の人たちにヴァララゴスが居たと伝えてください!! お願いします!」

「アーニャか!? 無事なのかッッ?!」


 今一番聞きたかった声が怪物を通り越した先から聞こえてきた。


「ミナガワさん!? どうしてここに! いいから早く逃げなさい!! 死にたいのですかッ」


 アーニャの怒鳴り声が聞こえたと同時にヴァララゴズと呼ばれる怪物が蜘蛛のようなとんでもなくすばやい動きで迫ってきた。エイジは〈自己制御〉で交差するようにヴァララゴスの脇を通り越し、反対側へ移動した。



「アーニャ! 無事か?」


 ヴァララゴスに視線を向けたまま、背中越しにアーニャに尋ねる。


「こっちに来てどうするんですかッ、この馬鹿ァ!!」


 アーニャが、エイジに凄い剣幕でまくし立てた。


「もう終わりだ。せっかく助けを期待したのに、こっち側に来るなんて」


 アーニャ以外の声が複数聞こえた。アーニャのほかに数人、先の細い通路にいるようだった。ヴァララゴスの巨体では通れない狭さの通路があった。



 再び猛突進してくるヴァララゴス。エイジは、再び攻撃をかわし、また入り口の側に移動した。


「やった。そのまま、帰って応援をお願いします! さぁ早く!!」


 アーニャの声が聞こえなかったのだろうか。いやそんなはずはない。しかしアーニャの必死の忠告を無視して、エイジはウォーピックを構えた。


「何をしてるんですかァァアァ! 早く逃げなさいと言ってるでしょう! この馬鹿! 変態!! ヴァララゴスは生半可な魔法が効かないのですよ! 殆ど魔法が使えない貴方が、戦って勝てる訳がないのです! 隊長ですら、やられてしまったというのに……」


 ヴァララゴスの殻は魔法を弾くようにできている。そしてその巨体は、雷魔法であっても、相当な魔力を込めないと効いてくれそうになかった。

 声をかすらせるくらいに怒鳴るが、それでもエイジは何かを思考するように、ヴァララゴスの攻撃を避け続けた。


 アーニャはその様子に驚愕していた。いとも簡単にヴァララゴスの伸びるように四本の腕から繰り出される鋭い攻撃をするりとかわしていく。実に見事な体捌きと〈自己制御〉であった。


(すごい……。あの人がこんなに〈自己制御〉を上手く扱えるなんて……)


 ベテランの魔法使いですら、ここまでの動きはできない。それをいとも簡単にやっているエイジを信じられないと言った様子でアーニャたちは見ていた。


「避けているだけじゃ、意味ないじゃないですか!」


 しかし、漸く当たり前の事実に気がついた。攻撃手段がない。あんな坑夫が使うようなツルハシじゃ何の牽制にもなりはしない。アーニャはエイジの頭の悪さに失望してしまった。


「大抵の生き物は、一目見ただけでどんな性質を持つかすぐに分かるんだよ。魔法が効かないことくらい、分かってる」


 攻撃を避けながら、エイジが漸く口を開いた。


「なら、攻撃魔法の使えないあなたに勝てるわけがないでしょう!! 馬鹿ですかッあなたは!」


「やっと分かったんだ。アーニャに罵られても嫌な気がしない理由」

「こんな時に何をいってるんですかッ、もう! 信じられません」

「俺にとってはそのことの方が重要だ。聞いてくれ」

「うるさい馬鹿ァ!!! いやらしいだけではなく、空気も読めないくらい馬鹿で、マゾなんですか、あなたは?」


 混乱して、子供のような中傷が口から出てくるアーニャ。


「ハハハ」

「何笑ってるッ! 気でも狂ったんですか?!」

「違う。アーニャに罵られても嫌じゃない理由。それは悪意がないからだよ。ミスカさんに言われると本当に頭にくるんだ。でも君は、心配だったり、おせっかいだったり、悪意がないんだよ。だから安心してくれ、俺は罵られて喜ぶような変態じゃない!」

「そんなことどうでもいいから! いい加減言うことを聞いて逃げなさい!!」

「言っただろ、俺は大抵の生き物は見ただけでどういう奴なのか分かるってな。つまり弱点もお見通しだぜ」

「弱点が分かったからどうだと言うのよッ! 攻撃しないとどうにもならないでしょうがああああ」

「アーニャ、アーニャ。敬語はどうした? 距離を保つための敬語なのに、タメ口になってるぞ、もしかして友人に昇格か?」


 こんな時だというのに、エイジは余裕の表情で軽口をたたいた。


「うるさい! お願いだから助けを呼んで・きな・さいッ!」

「いくらなんでも攻撃手段がないのに、勝てるわけないだろ、いいから見てろ。俺の戦い方を教えてやるよッ」


 そういったエイジの動きが急に変わった。まるでゴムボールのように壁を跳ね回り、ヴァララゴスに接触するたびに腕が根元から無くなっていく。ウォーピックで関節の部分を突き刺し、その勢いのままポロっと手足が、落ちていくのだ。まるで弱い接着剤でくっ付けていたかのように脆くみえた。


 全ての四肢、いや八肢を落とされたヴァララゴスは、ギャアギャアと鳴くばかりで、もはや憐れな弱者に成り果てていた。

 そして、止めとばかりにエイジは体を強く捻り、その勢いを利用してクルっと回転する。回転運動は人間が繰り出せる最も強力な攻撃に繋がる。更にエイジの強力な〈自己制御〉の威力は凄まじかった。その勢いを維持したまま、ウォーピックの尖端をヴァララゴスの頭に突き立てた。

 そして言うまでもなくヴァララゴスは絶命した。



「……すごい」


 アーニャはその出鱈目な強さに絶句していた。自分たちが手も足も出なかった怪物を無傷で圧倒した。ヴァララゴスのほうがエイジに手も足も出なかったのだ。

 アーニャと一緒に奥に避難していた護衛兵や坑夫たちも同様であった。


「アーニャ、怪我はないのか?」

「私は大丈夫です。でもこの方たちは重症です」

「助かったわ、ありがとう! あなた最高よ! ヴァララゴスに一人で勝っちゃうんだから」

「早くここを出ましょう。けが人の手当てをしないと」


 しかしアーニャの提案を遮りエイジは告げる。


「皆に悪い知らせがあるんだ」

「なんですか?」

「実は、この鉱山に残っているのは俺たちだけなんだ。他の皆は既に帰った」

「なんですって!」

「今居る者たちでは手に負えない事態だと判断した軍の人たちは岩塩をメイラサまで持ち帰ることが最優先だと考えたんだ。その判断は間違ってなかったと思う。俺はアーニャが心配でこっそり抜け出してきたんだ」

「本当にあなたって人は後先考えないんだから。とにかく、出ましょう」


 呆れ顔のアーニャだったが、先ほどのように怒鳴ることはなかった。生き残れただけでも救われたのだから。


 エイジたちは、坑道を出て、そこで助けを待つことにした。馬がなく、けが人が居る状態で歩いて踏破することなど到底不可能だ。食料は備蓄があったので、飢える心配はなさそうだった。


 助けを待ちながら、エイジは約束どおりアーニャと話をしていた。


「それにしてもあなたって実は強かったんですね。〈自己制御〉の精度が異常でした。魔法を使えば、人間にあんな動きが可能だったなんて思いもよりませんでした」

「俺って最近まで、全く魔法使えなかっただろ? その状態で魔物に勝つには、己の肉体を鍛えるしかなかったんだ。でもそれではやっぱり限界がある。もう少し早く動けたら……とか、もう少し高く飛び跳ねられたらとか、理想の動きを頭では考えるんだけど、肝心の動きがついてこない。でも〈自己制御〉を覚えてからは、世界が一変したよ。理想の動きが簡単に実現できる。むしろ、俺の反応速度が体の動きについていけなくなるほどだ。てな感じで、俺の運動能力が生身の状態でもそこそこ動けたっていうのと、理想の動きをイメージできるから、これだけ〈自己制御〉が馴染んだんだと思う」


「そうだったんですか。言いたい事は分かりますが、やはり異常ですよ」

「それより、俺の誤解解けた?」

「ええ、まあ仕方ないから、認めてあげますよ」

「最初から、君の早とちりだったんだけどな。確かに上手く説明できなかったけどさ」

「……そうですね、私が悪かったです。済みませんでした」

「あれ、急に素直になった」

「べ、別に私は最初から素直です!」

「それはどうかな……でも誤解が解けて本当に良かったよ。このまま嫌われたままだと、モヤモヤするからな」


 しばしの沈黙の後、思うところがあったアーニャはエイジにそれを問うた。


「あの……あなたはどうしてここまで私に親切にしてくれるんですか? 馬車を止めてまで、私の為に喧嘩したり、命を懸けて私をヴァララゴスから救ってくれました」


――もしかして、私のこと、好きなんじゃ……


 エイジの自分に対する行き過ぎた親切をそう考えれば全て辻褄が合う

 アーニャは瞳を揺らしながら、エイジを見て答えを待った。


「人として当然のことだから」

「えっ?」

「友達を助けたいと思うのは、人間として普通の感情だよ。俺はアーニャがあんな男にあんなことや、こんなことをされるなんて絶対嫌だし、勿論死んでほしくもない。友達なら誰だってそうだろ? あっ! 俺たちもう友達だよな? 勝手に友達認定してたけど」


 少し、期待した内容とは違うエイジの答えに、残念な気持ちが心に広がる


(期待? わ、私何を考えているのでしょう。期待などと、そ、それでは、私がミナガワさんを好きみたいじゃないですか! ありえません!!)


 林檎のように顔を紅潮させて、一人で悶えるアーニャを見たエイジは少し不安になった。


「お、おいッ、大丈夫か?」

「大丈夫です! というか、何が大丈夫なんですか! 私は何ともなってません!」

「お、おう……でも何でそんなに怒ってるの?」

「なんでもありませんッ!」

「……わかったよ。それより、友達。俺たち友達でいいのか?」

「勝手にすればいいじゃないですか!」

「いや、どうしろと? 俺じゃなくて、君の問題なんだけど」

「あぁもう! 友達でいいですッ。友達になってあげますよ!」


 自棄になってアーニャは友達であると認めた。


「ああ、ありがとう。じゃあ、これからも宜しく頼むな! 同級生になるんだから」


 そうだ。一週間後には同じ学び舎で過ごすことになるのだ。これからも一緒に居られる。そう思ったら、アーニャは少し怒りが収まってきた。自分でも気がつかないくらいエイジと同じ学院に通うことが嬉しかった。


「ええ、仕方ないですから、仲良くしてあげますよ」

「ったく。すごい上から目線だな。友達なら対等な関係を期待したいぜ」

「男と対等なんてありえません」


 少しだけ、笑顔で言った。どうやら冗談のつもりらしい。今までの無表情な冗談と違い、少し距離の縮まった態度を見せていた。


「うわ、酷い差別……」

「友達になってあげるだけでも感謝してほしいですね」


 傲岸不遜に笑いながらアーニャは言った。

 なんにせよ、アーニャの友達という地位を確立したエイジは、そんな態度を取られても満更ではなかった。





   ◆◆◆

 三日後に軍隊が国の精鋭を引き連れてやってきた。部隊を率いていたのは、光槍のライアンだった。


「お前たち、坑道で行方不明になっていた者たちか?」

「はい」


 ライアンの問いにアーニャが答えた。


「ん、お前は確か、少し前の定期討伐に参加した時に居た者だな。たしかアーニャ・インヴァネスと言ったか?」

「はい、仰るとおりです」

「自力で脱出できたのか? 状況を報告しろ」

「はい、彼のおかげで私たちは救われました」


 アーニャはエイジの方を向いて言った。ライアンも視線をエイジに向ける


「お前ッ、ミナガワか!」

「そうです、お久しぶりです、ノードゥ隊長」

「お前も参加していたのか。とにかく状況を説明しろ」


 アーニャとエイジは、状況を事細かにライアンに説明した。



「ヴァララゴスを一人で討伐してしまうとは、今回は力も備わっていたようだな」

「インヴァネス」


 一言目をエイジに向かって言い、アーニャに向き直って二言目を発した。


「はい」

「ミナガワはかっこよかったか?」

「い、いきなり何をッ!」

「どうなんだ?」

「……カッコ良かったです」


 弱弱しくあったが、ライアンに答えを催促されたアーニャは恥ずかしがりながらも、正直に答えた。


「そうだろう、誰かのために命を張るというのは、力がなければ、ただの傲慢で無謀な愚か者でしかない。しかし、力を持つものならば、とてつもなく格好いいものなのだ」

「ミナガワ、よくやった!」


 うむ。と満足顔でエイジに賛辞を送るライアン。


「はい」


 アーニャにカッコイイと言われ、ライアンには褒められ、珍しくエイジも照れてしまった。




「とにかく、大変だったな。救護班、怪我人の治療をしてやれ、それが終わったらとっとと帰還するぞ」

「「「了解」」」


 部下たちに毅然と命令し、即座の帰還が成された。




 帰途の馬車の中、運良く二人きりだったので、邪魔が入らず、エイジとアーニャは今まであった見えない壁が完全に取り払われたように会話をしていた。エイジは、地球のことは話さなかったが、ジーオンに来た目的を包み隠さず話したし、アーニャと初めて会った時に使えなかった魔法を習得するに至った理由も話した。

 アーニャは今まで言い寄ってきた男を面白おかしく、非難したり、友人のことや、将来の夢など教えてくれた。

 エイジを本当に友人と認めてくれた証だ。


「ミナガワさんだけ、私のことを名前で呼び捨てにするのは不公平です! よって私もエイジと呼び捨てにすることに決めました」


 唐突にそんなことを言い出した。


「ああ、そのほうが良い。これで本当の友達だな」

「ええ、エイジ。宜しくお願いしますね」


 最高の笑顔。最初に会った時には、考えられないような、素敵な笑顔にエイジは思わず、言葉を失ってしまう。


「どうしたのですか?」


 キョトンと愛くるしい姿でエイジを見つめてきた。


「笑うとすごく可愛いんだな……。今までも可愛かったけど、それは外見の可愛さだったんだ。今のは結構効いた……」


 自然と口から出たその言葉にアーニャは、顔を真っ赤にして大声を上げた。


「な、何言ってるんですか! いやらしい!! 今になってナンパですかッ、この変態!」

「可愛いものはしょうがないよ。実際にそう思ったんだから」


 ものすごく直接的な台詞であるのだが、エイジは本心からそう思ってしまったのだ。


「もう知りません!」


 そういってアーニャはそっぽを向いてしまった。その裏側では、赤くなる顔を必死で隠そうと頑張るアーニャの姿があった。

これで第一章は終わりです。お疲れ様でした

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