乗り越えて得たもの
(アイリンいるかな?)
図書館に到着し、中を探すがアイリンはいなかった。
(今日は来てないのか……)
もう放課後になって結構経つ。ここに居ないということは既に帰宅したのだろう。残念だが、翌日にするしかないことを悟ったエイジは意気消沈しながら帰ることにした。
◆◆◆
決闘の翌朝、リムロア学院の、一年のとあるクラスで噂好きな女の子が友人に話しかけた。
「ねえ、聞いた? あの野蛮人がマルボーと決闘して勝っちゃったらしいよっ!!」
「マルボーってあの3年の貴族の?」
「そうそう、何か、二人で眠り姫を懸けて闘ったらしいわ」
「マジかよ? その話、俺にも詳しく聞かせてくれないか?」
女生徒たちの会話に興味が湧いたのか男子生徒が一人会話に割り込んできた。
「いいわよッ。でね、どういうわけか野蛮人をアイリン先輩が気に入っちゃたらしいのよ。でも、マルボーはそれが気に入らなかったらしいの。当然よね、自分はフラれたのに、どうして地位もない、魔法すら使えない男がアイリンさんとあんなに仲良くできるのかって、嫉妬する気持ちは理解できなくもないわ。まあ、小さい男よね。それで、マルボーが、野蛮人とアイリン先輩との接触の可否を白黒つける為に決闘を申し込んだのよ! 俺に勝ったら告白してもいいってね」
「うわぁ、何それ、ちっせー男」
「そうね。それで野蛮人……、え~っと名前なんだったけ……」
噂好きの女の子は、うろ覚えの名前を思い出そうと首を捻る。
「エイジ君よ」
「そう!エイジッ!」
少し後方から、新たな女の子登場し、正解を述べ、噂好きの少女がパンっと一度手を叩いて同意する。
「へへーん、私、昨日の決闘直接見に行ったんだ!」
「ホント?! 詳しく聞かせて!!」
エイジの名前を述べた少女が会話に加わり、更に人の輪が大きくなっていく。
「最初は、マルボーって貴族が落ちてる石を〈制御〉で操ってエイジ君に当てようとして、エイジ君がそれを〈自己制御〉で避けるって展開が続いたの。でもエイジ君は、それを華麗にかわして近づいていって、マルボーに拳で攻撃しようとするんだけど、今一歩ってところで、失敗しちゃうのが、二回続いたの。それで三度目、また失敗したかに思えた時に!」
「「時に?」」
「〈自己制御〉をかけたエイジ君は、目にも留まらぬ速さでマルボーの後ろに回り込んで回し蹴りをお見舞いしたのよ。一瞬だったわ。最後の〈自己制御〉は熟練の魔法使いに勝るとも劣らないくらい見事だったわ」
少し興奮気味に話す少女。決闘というのは、決して稀な出来事ではないが、そう頻繁にいつでも見られるというわけでもない。そのため、一人の少女を懸けた白熱する戦いを見た彼女がエキサイトするのも仕方なかった。
「いいなぁ、私も二人の男の子が争う奪い合いの対象になってみたいわっ!」
「確かに、いいよね。でもアイリンさんだから、そういう物語みたいな展開が起こるんだよね」
エイジの戦いを間近で見た少女が黄色い声で叫ぶと、聞き役に徹していた少女も同意の声を上げる。
「ったく女ってヤツは……。で、エイジってヤツはもう告白したのか?」
「さあ、でもアイリン先輩は、ここ最近ずっと学院に来てないって話だからね」
「ちょっと待てよ。確か、アイリン先輩が学院に来てないのは、そのエイジってヤツがマルボー先輩の脅しに屈して、アイリン先輩を拒絶したからだろ? 結局ヘタレなんじゃないか」
「まあね、そこは最初から抗って欲しかったよね。でも、最後には勝ったんだからいいじゃない」
「というか魔法使えないって話だったろ? 嘘だったんじゃないか。〈自己制御〉は制御よりも難易度が高いんだぞ」
「最初は使えなくて、魔法を使えるようになったから、闘うことにしたとか?」
「何言ってるんだよ。一週間やそこらで制御はおろか、自己制御まで使えるようになるわけないだろ」
「はは、だよね。でももし告白が成功したら、美女と野獣のカップルが出来上がるんだね」
「エイジ君は野獣なんかじゃないと思うな。図書館で本を読んでる姿なんか見てたらすごく理知的だわ」
「…………あんた惚れた?」
「そっ、そんなんじゃないわよッ! 私はただ事実を言ってるだけで」
「はいはい」
「だから、違うって!」
「はいはい」
「もう!」
噂好きの少女の一言に、決闘を見物に行った少女は顔を赤らめながら手をブンブン振って否定するも、既にそういう事にされてしまっていた。
そして、いつの間にか、エイジがアイリンを好きだということにまでなっていた。
噂とは、どんどん真実とはかけ離れた方向へ進んでいくものなのである。
◆◆◆
昨日アイリンと会うことが出来なかったエイジだが、本日は図書館ではなく校門前で待つことにした。もしかしたら自分と会うことを避けているのではないかとエイジは考えたからだ。あのような出来事があった手前、お互いに顔を合わせ辛いと思うのは自然な心理だ。放課後に図書館に寄らずとも、校門は確実に通る。
帰宅する学院生たち、特に女子が何やら、キャーキャー騒いでる気がしたが、馬鹿にされているのはいつもの事だ。そんな黄色い声など気にせず、アイリンが通り過ぎるのを見逃さないようにした。実際は馬鹿にされていたのでなく、昨日の決闘でエイジがマルボーに勝利したことは既に学院中に知れ渡っており、エイジに対する評価が少し好意的なものへと変化したのだ。
そして、人の流れを見ながらアイリンを待つエイジに、その集団の中の数人がこちらへ向かってきて口を開いた。
「ここで何してるの?」
エイジには面識がないが、あちらはエイジのことを知っていた。今朝、エイジのことを話題に上げた噂好きの少女だ。
「3年のアイリン・アルバ・コノートさんを待ってるんですけど、知りませんか?」
話しかけてきた女の子は、エイジの知らない人であったが、都合がいいのでアイリンのことを聞くことにした。隣に二人女の子と一人の男がいたが、一人の女の子の表情は何やら曇っていた。
「やっぱり! あのね、アイリンさんは、ここ二週間ほどずっと学院へ来てないの」
「えっ……。どうしてですか?」
「あんたねぇ! 本気で言ってる?」
本気も本気だった。が、自分のしたことを思い返すと自分が原因ではないかと思えてきた。
「もしかして、俺のせいですか?」
「もしかしなくてもね」
「そうですか……。俺はアイリンをそこまで傷つけてしまっていたんですね。謝らないと……。そうだ! あの、アイリンの家ってどこか分かりますか?」
「大通りを十分くらい歩いたところよ。ここから四階の部分だけ見えるでしょ?」
少し離れたところに他の建物の中で一際高い、頭一つ抜き出た大きな屋敷らしきものが見えた。
「あれですか?」
「そうよ、アレなら迷わないでしょ?」
指をさして確認をとるエイジに少女は頷いた。
「ありがとう、行ってみます!」
「告白頑張ってねッ!」
少女の口から予想外な言葉が発された。そして、隣の少女の顔が更に沈む。
(告白? 謝罪ってのは告白になるのか? いや、確かあの金髪男が告白でもなんでもすればいいって言ってたよな。それを聞いたこの子らが、俺が愛の告白をするって勘違いしたのかな)
「あの、告白ってなんですか?」
「だから、恋人にしてくださいって言うんでしょ?」
(やっぱりか……)
「あの、俺とアイリンはそういう関係じゃありませんから。あくまで友達ですよ。傷つけたことを謝罪する為に自宅に伺いたいと思っているだけで」
その瞬間、今まで顔色の優れなかった少女の顔がぱぁっと明るくなる。
「そうですよね! あのッ! 仲直り、頑張ってくださいね、仲直り!」
「え、あ、はい……」
いきなり眩い笑顔を向けて応援され、エイジは少々驚いた。仲直りを余程頑張ってほしいのだろうか。エイジには分からなかった。
見知らぬ少女たちのお陰で、アイリンの屋敷に辿り着いたエイジは、その大きさに驚嘆していた。
確か、伯爵家のお嬢様だったな、ということを思い出しながら、入り口を探す。
コノート伯爵の邸宅。それは、メイラサの町と同じように高い壁が敷地を覆い囲んでおり、塀と同じくらいの高さの木々が規則正しく並び立ち庭の手入れも行き届いている。本館とは別に使用人の住居である別館が存在し、財力の高さが窺い知れる。
壁を抜けて敷地内に入る大きな門を見つけたエイジは、側にあったベルを鳴らすと、門番が出てきてエイジを怪訝な表情で見て尋ねる。入り口のすぐ側に、使用人の別館が存在し、そこで使用人が来客を屋敷内に招いてよいのか判断するのだ。コノート家は麗しい令嬢のアイリン門番は女性でメイド服を身にまとっていた。
「コノート伯爵邸に何か御用でしょうか?」
「はい、アイリンさんに面会したいのですが」
「まず、お名前を御伺いしてもよろしいですか?」
「エイジ・ミナガワです」
「失礼ですが、ミナガワ様のご職業とお家柄についてお教え願います」
「えっ、仕事は何もしていません。家柄もただの平民です」
なぜそのようなことを聞かれるのか全く理解できなかったエイジ。
「それでは、ミナガワ様。力がおありなんでしょうか?大魔法を習得しておられるとか、使える魔法の数が相当多いとか」
「いえ、使える魔法は一つだけです。どうしてそんなこと聞くんですか? 俺はアイリンに話しがあるんですが」
話にならないわね、という顔で呆れたように溜息をつき、使用人の女性がエイジに告げる。
「申し訳ありませんが、あなたをアイリン様に会わせる訳には参りません。お引取りください。アイリン様との面会は、地位か力のどちらか一方でも持つものに限られますので」
「いや、いつも学院で会ってるじゃないですか。ただ話をするだけでも駄目なんですか?」
「当主のご命令ですので」
毅然とした態度を崩さずに告げる使用人の女性
「なら、アイリンに俺が来てるってことだけでも伝えてもらえませんか?」
「畏まりました。お伝えしておきますが、今日のところはお帰りください」
「あの、今すぐお願いします。会うか会わないかはアイリンが決めることでしょう?」
使用人のやる気のない態度に徐々に語気が強まってきた。会わせる気がないということは、態度を見れば明白だった。すると、無言で使用人の女性が本館の方へ向かっていった。伝えてくれる気になったのだろうか。しかし、無言という態度が気に掛かる。
しばらく待つと、使用人の女性が、整えられた白髪でぴしっとした礼服を着こなした初老の男性を連れて戻ってきた。どうやら執事でありそうだが、その中でも位の高い人間だろう。そして、執事の男性がエイジに声を掛ける。
「アイリン様に御目通りなさりたいとの事ですが、理由をお聞かせ願えますでしょうか」
執事の男性は丁寧な言葉遣いではあったが、えもいわれぬ圧力のようなものを、エイジは感じた。
エイジは、正直に会いたい理由を説明する。
「つまり、俺が原因でアイリンは学院に来なくなってしまったんです。そして、俺のしたことを謝りたい。お願いします、アイリンと話をさせてください」
「申し訳ありませんが、お引取りを。お嬢様をあのような状態にした者を屋敷に入れるわけには参りません。これ以上、騒ぎだてるおつもりなら、容赦は致しませんぞ」
やはりというか、エイジの予想通り、執事の男性が纏うオーラが一層険しいものになった。相当厳しそうな性格のようだ。そういう者が執事に相応しいのだろう。
「だから、俺が来てるってことをアイリンに伝えてもらうだけでいいんです! それでアイリンが会いたくないと言うなら諦めます!」
「あなたのような男はアイリンお嬢様に悪影響を及ぼします。今回のことにしても、あなたの身勝手な行いがアイリンお嬢様を深く傷つけたわけです。今、あなたがお嬢様に会えば、今後さらにお嬢様が傷つくことになる可能性も十分考えられます。お帰り下さい!」
「人間誰だって傷つくことくらいあります! 話をしない事には、俺もアイリンも前に進めないですよ! 傷つくことになっても話すべきです」
俺は間違っていない。そういう気持ちで男に言った。
「どうやら、これ以上話しても無駄なようですな。これ以上何も話すことはございません。では」
今まで門ごしに話していたのだが、女使用人は別館へ、執事の男は背を向けて本館へ戻っていった。
こうなってしまうとどうしようもない、諦めて帰ろうとした丁度その時、見知った女の子がこちらへ歩いてきた。すこし茶色が混じったブロンドの少女、ミスカだ。
「あんた、こんな所で何してるのよ?」
胡散臭そうな顔で、薄いブルーの瞳をこちらに向けてくる。
「いや、アイリンに謝りたくて来たんですけど、会わせて貰えなくて……。ミスカさんは、どうしたんですか?」
「……なんか調子狂うわね、変な感じ」
しかめ面をしながら納得のいかない表情をしていう。
「何がですか?」
「敬語よ、あんたに言われると逆に馬鹿にされてるみたいに聞こえるのよ」
「前にも言いましたが、そんなこと全然なくて、嘘偽りなき敬意のつもりです」
「ハァ……まあいいわ。中に入れてもらえないのか。まあ当然でしょっ。私は、あんたのせいでずっと沈んでるアイリンさんのお見舞いに来たのよ」
「そうなんですか? というかミスカさんはアイリンと仲良いんですか?」
「子供の頃から親しくさせてもらってるわ。私にとっては姉のような存在よ」
王立リムロア学院学院長であるタロスは、幅広い交友関係を持っており、大きな権力も持っているため、コノート家とも深い繋がりがある。そんな祖父のおかげで、年代近いため、ミスカとアイリンはすぐに打ち解け、それ以来ずっと良好な関係を築いてきたのだ。
「そうなんですか。あの、厚かましいお願いですが、俺をアイリンと会えるように、家の人を説得してもらえないでしょうか? お願いします」
まっすぐな瞳でミスカに頼み込むエイジ。
「まぁ、しょうがないか。アイリンさんをこのままにしておくわけにはいかないしね。いいわよ」
「ホントですかッ! ありがとうございます!!」
「別にアンタのためじゃないわ、アイリンさんのためよ」
ミスカはこれまでも何度か、部屋に引きこもっているアイリンの様子を心配して訪ねてきていたのだ。アイリンの、エイジと友達のままでいたいという本心も聴いている。昨日もエイジがアイリンのために決闘し、勝利したことを伝えたかったのだが、生徒会としての仕事があったので、翌日にすることにしたのだ。
(ハァ……。コイツをアイリンさんに近づけたくなかったのは私も同じなのに、結局コイツとアイリンさんを近づけることになっちゃったわね……)
アイリンは内心複雑であったが、ベルを鳴らし、使用人を呼び、事情を伝えた。再び、執事の男が現れ、ミスカは説得を試みるが、執事の男は頑なだった。
「まあ、仕方ないわね。アンタが来てることだけは伝えてあげるから、そこで待ってなさい。モランさんもそれはさせてもらうわよ」
「ミスカ様は、お嬢様の大切なご友人。入場を拒むことなど、どうしてできましょうか。どうぞお入り下さい」
最後までエイジを屋敷に入れることはなかったが、ミスカがエイジの来訪をアイリンに告げることは、執事も阻止できなかった。
使用人に付き添われながら、門をくぐり、広いエントランスを抜け階段を上り、長い廊下を歩いて、アイリンの部屋まで到着したミスカは、コンコンコンと三度ノックをして声を掛ける。
「アイリンさん、ミスカです。入ってもよろしいかしら」
「ミスカ? どうぞ……」
入室を許す声には気力がなかった。
「失礼します。こんにちは、アイリンさん」
部屋に入るとアイリンは、ベッドに潜り込んで、布団を被り、顔だけミスカを向いていた。泣いていたのか、目元を赤く腫らしていた。
「いい加減、元気を出してください」
「だったら、エイジを連れてきて」
「エイジに会いたいなら、学院に出てこられたらいいじゃないですか。エイジも図書館に通っているはずですよ」
「だってエイジは私とは会わないって言うのだもの。また拒絶されたら、もう生きていけないわ」
アイリンはミスカにとって姉のような存在ではあるのだが、世話が焼けることも多く、妹みたいに思うときもあった。言動が偶に子供のようになるのだ。
「実は昨日、決闘があったんです」
「決闘? 興味ないわ。もっと楽しい話をしてちょうだい」
全く興味が持てなかったアイリンは、どうでもいいとばかりに顔を布団で覆ってしまった。
(はぁ、手の掛かる子だこと……)
そう思うが、今から話す内容に間違いなく目を大きくして食いついてくることを想像してしまうと、楽しくなってくる。意地悪して、焦らしてやろう。そう思うミスカであった。
「その決闘を戦ったのはエイジなんですけどねぇ。聴きたくないなら仕方ありません。別の話に致しましょう」
それを告げたミスカも、ビックリするくらい、勢い良く布団を脱ぎ去りベッドから出たアイリンは、目を見開いてミスカに駆け寄った。その姿は、もうすぐ夕方というのに未だにネグリジェ姿で男性が見れば欲情すること間違いなしな妖艶な色気を放っていた。
「ホントォ?! その話早く聞かせて!」
「あら、アイリンさんは決闘なんか興味がおありではないのでしょう? どうしましょう」
「ちょっとぉ~。ミスカ、お姉さんに意地悪する気~ッ?」
焦って怒りを表すアイリンだが、むしろ逆に可愛くみえた。その可愛らしさに、更にミスカの意地悪な心が刺激される。
「うーん、どうしましょう~」
「ミスカ! あなたいつからそんな意地悪な子になったの~! 私を悲しませるためにワザワザ来たのかしら?」
怒りながらも、今にも泣きそうなアイリンに、ここまでにしておこうと、ミスカはエイジのことを話すことにした。
「フフ、ごめんなさい。ちょっと悪ふざけが過ぎました」
「ちょっとじゃないでしょッ! 私がこんなに落ち込んでいるのに!」
「ほらほら、話を聴きたいんじゃなかったのですか?」
「そうだわ! 早く聴かせてちょうだい!!」
今度は真剣な表情で切願してきた。ほんとにコロコロと表情が変わる人だなと思いながら、エイジが決闘に至った事の成り行きを話し始めた。
「エイジが決闘した理由はですね、あなたの為です」
「え? どうゆうこと!?」
いきなりそんな事を聴かされても意味が分からない。
「エイジが勝てば、アイリンさんに近づいても文句は言わない、その代わり自分が勝てば、エイジがアイリンさんに接触させないという条件で決闘が行われたのです」
「そんな!? それで勝負はどうなったの?!」
「魔法が使えないエイジと、学院での強さは普通程度ですが中々に制御の魔法が得意な子爵家の嫡男マルボー。どちらが勝つかは簡単に予想できますよね」
「やっぱり負けたのね……そんな話をわざわざしに来たの?」
自分で話を完結させ、すっかり落ち込むアイリン。
「勝ったのは、エイジのほうです」
「へ?」
ミスカの言葉があまりに突拍子もない答えが返ってきたので、素っ頓狂な声が出てしまう。
「エイジが勝ったんです。つまり、エイジとアイリンさんは友達でいられるんです」
「ほんとなの?!」
「本当です。認めたくはないけど、アイツ自分の意思を通してアイリンさんの友達でいるために頑張ったんですよ」
「そう……なの。私の為に……」
今度は、ほっとして優しい顔になるアイリンだったが、すぐさま思い出したかのように険しい表情になって言った。
「エイジに怪我はないの?」
「大した怪我はありません、かすり傷程度でしょう」
「良かった。それでどうやってエイジはマルボーを倒したの? 詳しく聴かせて!」
アイリンは、エイジの勇姿を知りたくて、熱願するもその願いは拒否された。
「その話はまた後に致しましょう」
「どうしてなのッ!?」
「外にエイジを待たせています。アイリンさんに謝りたくてここまで来てるんです。アイリンさんも会いたがってることを伝えないと」
「どうしてそれを早く言わないの! 待たせてるんでしょう!!」
ミスカに怒鳴って、一刻も早くエイジに会おうと部屋を飛び出そうとするアイリンだが、ミスカにある事実を告げられ、踏みとどまった。
「その格好で会いに行かれるおつもりですか? それに髪も手入れされていないようですし、目も真っ赤ですよ。あと昨日お風呂には入ったんですか?」
次々に痛いところを指摘され、アイリンは泣きそうな顔で戻ってきた。
「どうしよう~ッ! こんな姿じゃ会えないわぁ~!」
ミスカにすがり付いて涙目になる。
「今日はしっかり休んで明日にしましょう。お互いの気持ちが一致しているなら、明日でも遅くはないでしょう?」
「う~……ん。分かったわ、残念だけどそうするのが一番よね。エイジには一番綺麗な私を見てもらいたいし」
他人がその台詞を聞けば間違いなくアイリンを恋する乙女だと思うだろうが、アイリンにそのような自覚は全く無かった。
(はぁ、確かにアイリンさんは元気になったけど、本当にこれで良かったのかしら……)
アイリンがどんどんエイジの為に、今まで見せたことのない女を晒していく姿を見て、ミスカはとても複雑な心境だった。
「では、私はエイジにアイリンさんも会いたがっていたってことを伝えてきます。しばらく待っていてください」
「ええ、早くエイジに伝えてきてちょうだい」
ミスカは、エイジに先ほどの遣り取りを伝えるため、一旦門まで戻ってきた。
「ミスカさんッ、アイリンに伝えてくれました?」
「ええ、伝えたわ」
無表情でエイジに言った。やはり、あまりエイジとアイリンとの距離が近づきすぎるのは気にくわない。意地悪してやろうと思ったのだ。その表情からエイジは不安感に襲われる。
「あの……それで、アイリンは何て?」
恐る恐る聞いてみるエイジに、アイリンの口から出たのは衝撃の結果だった。
「今は会えないそうよ」
目を伏せ、残念だけど……、という雰囲気でミスカは言った。
「そんな、ホントですか!? アイリンがそんな……」
「残念ながら事実よ。今は会えないって……」
「俺はアイリンをそこまで傷つけてしまったんだな……」
ミスカから告げられた事実に、呆然と立ちすくむしかできなかった。
「もう少し説得してみるけど、今日は諦めることね」
エイジの落胆振りに思惑通りのミスカは、噴出しそうになるのを必死で舌を噛んで押さえ込む。しかしエイジは突然真顔になってミスカに尋ねた。
「あの、アイリンの部屋ってどこなんですか?」
「あんた、まさか、忍び込む気じゃないでしょうねっ?」
これまでの流れから、エイジがアイリンの部屋の位置情報を得たがる理由など強行的に押し入るか、こっそり忍び込むかしか考えられなかった。
「そんなことしませんよ! 何も悪いことをするつもりはありません。どこなんですか?」
「本当でしょうね?」
訝しげにエイジを見つめてミスカは言った。
「本当です。そんな簡単に犯罪を犯す短絡的な思考はしていませんよ」
「仕方ないわねぇ。三階の正面右奥の部屋よ」
「ありがとう。ちょっと行ってきます」
「ってこら! いきなり自分が言ったこと破るな!」
「だから、君が考えているような事はしませんよ。でもまだ出来ることがあります。心配なら、ついて来ればいい」
エイジがいきなりアイリンの部屋の方へ行こうとしたので焦るミスカだったが、エイジは落ち着いた微笑を携えながらミスカに説明した。何やら考えがあるようだ。
そして壁に沿ってアイリンの部屋を目指して歩き出した。
「ちょっと、待ちなさいよ! 一体何を企んでるのよ!」
無視して歩き続けるエイジに、ミスカも仕方なく後を追う。
(ここが今、俺とアイリンの一番近い距離なんだよな……。確かに近くはあるが、高い壁だ)
近づける限界の距離まで来たエイジだが、エイジの目の前には数メートルありそうな高さの壁が立ちはだかっていた。コノート邸は四階まである立派な建物で、4階部分は一部が突き出ており凸型をしている。壁の高さは二階部分まである。〈自己制御〉を使って身体能力を強化すれば、もしかしたら飛び越えられるかも知れない。しかし、いくら高く飛んでもやがて重力に引かれ落下してしまうだろう。それに壁を飛び越え、敷地内に侵入することは、やらないと決めている。
そして、壁の向こうにはしばらく芝生の庭が広がっており、それが終わり漸くアイリンの過ごす部屋に繋がるのだ。
「本当に何する気なの? まさか手紙でも投げる気?」
「いや、それじゃあ相手に気持ちがしっかり届いたか分からない。目と目を合わせて互いの表情を見ながら伝えることが一番です」
「じゃあ、やっぱりアイリンさんの部屋に行くってことじゃない!」
「違います。見ていて下さい」
そう言うとエイジは、三度深呼吸して、意識を集中させた。すると、徐々にエイジの体が揺れ始める。そしてそのままゆっくり宙に浮き上がり始めた。
「〈空中制御〉?! そんな、まさか!!?」
〈空中制御〉は、〈自己制御〉の更に応用魔法で巧く扱えるようになれば宙を自在に移動することが可能な上級魔法だ。宇宙空間と同じく地面の存在を消し去る魔法。使える者は〈制御〉の魔法の訓練を数年明け暮れた者か、余程才能ある者にしか習得は難しい。
(よし、いい感じだ。とにかく集中しろ)
エイジは、ミスカの驚きの声など全く耳に入らぬほど精神を〈制御〉に集中させていた。
やがて、塀を越える高さにまで到達した。
「アイツ、いつの間にこんな成長してやがったのよ……。お爺様からは確かに、魔法が全く使えないって聞いてた筈なのに。も~う、意味わかんないッ!」
〈空中制御〉はミスカも使うことができる。しかしそれは彼女の直向な努力の結果なのである。それゆえ、才能ある彼女でさえ、数年の時を要して習得した魔法であった。しかし、目の前にいる男は魔法を学び始めてまだ殆ど経っていないはずだ。ミスカは、意味が分からなかった。
空中で静止したエイジは、再びそこで深呼吸を繰り返し、落ち着いたところで大きく息を吸い込んだ。目の前には、カーテンが完全に閉められたアイリンの部屋の窓が見える。
そして、形振り構わず、力の限り、体の芯が震えるほどに、話をしたいと思う人の名を叫んだ。
「アイリイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン」
◆◆◆
ミスカが、エイジに会うために退出し、一人きりになったアイリンは、エイジが自分のために戦ってくれた事実を噛み締め、いてもたっても居られず、意味もなくベッドを転がったり、部屋を行ったり来たりしていた。
「早く明日にならないかしら。こんなことなら、もっと身だしなみを整えておくべきだったわね。エイジが来ると分かっていたら、万全の用意で出迎えたのに。でもミスカ、遅いわね。一体何をしてるのよ。こんな状態の私を放っておくなんて」
ミスカに理不尽な怒りの矛先を向けるアイリンだったが、何かしていないと落ち着かないのだ。どうしてもエイジに関する思考が止まらなかった。
「アイリイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン」
「キャッ、一体何?!」
窓の外から大声で自分の名を呼ぶ声が聞こえ、驚きに体をビクッと震わせてしまう。
(この声!)
「もしかしてエイジなの?!」
窓に駆け寄り、カーテンを勢い良く開き、窓をバタンと乱暴に突き飛ばすように開いた。
そこには宙で静止するエイジの姿があった。
「エイジ! キャッ」
信じられない光景が目の前にあった。今一番会いたいと思っていた人物がわざわざこんなところから自分に会いに来てくれた。それにとても感激した。しかし、ふと我に返り、自分がネグリジェ姿であることを思い出し、カーテンを閉め部屋に引っ込んだ。
「待ってくれアイリンッ! 君と話しがしたい。そのままでいいから聴いてくれ!」
「というかエイジは、何でそんなところから出てくるのよ!」
アイリンはカーテン越しに叫んだ。
「うわああああああああああ」
エイジの悲鳴と共にドスンという音が聞こえた。興奮のあまり集中力を欠いたエイジが重力に引かれ落下したのだ。その只ならぬ様子に心配になったアイリンは、カーテンを開け窓からエイジに呼びかけた。
「ちょっと、大丈夫なの?! エイジー」
返事がない。アイリンは部屋を飛び出していった。
長い廊下を走り、すれ違う使用人が驚いて声を掛けるも一切振り返らず走る。階段は〈制御〉で素っ飛ばして下る。広々としたエントランスホールに差し掛かり、執事長が玄関扉前に立っているのが見えた。エイジを頑なに拒んだ男だ。
「お待ちください。どうなさいました?」
アイリンには、執事長の男すら目に入っていなかった。扉を開けて全速力で駆けていく。
「お嬢様!」
執事の男が叫ぶ声もすぐに遠くなり、アイリンは必死で駆けて、門をくぐり壁を回り漸くエイジのもとに辿り着いた。ミスカもそこに居た。
「エイジ、大丈夫なの? 怪我はない?!」
眉間に皺を寄せながら必死で問うた。
「大丈夫だよ。大した高さじゃない。それよりもアイリン、本当にごめん! 俺はアイリンを深く傷つけた。許してほしい!」
頭を下げて心から謝罪するエイジ。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「怪我はないよ。ほら、立てる」
そういって立ち、エイジは何でもないという仕草をした。
「というか、今まで寝てたのか? なんで寝巻きなんだ?」
エイジは、何ともいえない魅力をかもし出しているアイリンの艶姿に顔を赤らめた。
それに、ハッとして、またしても逃げ出そうとするアイリンの手をエイジが掴み離さない。
「待ってくれ、まだ話しが残ってる」
エイジに手をつかまれ徐々に力が抜けていき、アイリンは逃走を完全に諦めた。
「わかったわ……。もう逃げないから手を離しても大丈夫よ」
「ありがとう。アイリン、さっきも言ったけど、本当にすまなかった。許して欲しい。そして、君ともう一度友達になりたい」
「いいわ、許してあげる。私、あなたにお友達じゃないって言われて本当に哀しかったのよ」
「ごめん……」
自分のしたことの酷さを理解しているエイジは目を伏せて謝った。
「それから! 私はあなたと友達じゃなくなったなんて思ってなかったから、友達をやり直すことなんで出来ないわ。ただ普通のお友達がするように、普通に喧嘩して、普通に仲直りしただけよ」
にやっとエイジに笑いかけ、エイジの顔も途端に明るくなった。
「ありがとうアイリン、俺たちはずっと友達だ!」
「ええ! 私から逃げるなんて出来ないわよッ」
こうして、二人は仲直りできた、のだが。
「二人とも、少しは周りを気にしてはどうですか?」
傍観していたミスカの一言で、二人は漸く気づく。周りがギャラリーで囲まれていることに。
騒ぎを聞きつけたコノート家に仕える使用人たちが、集まってきていたのだ。あの融通の気かなそうな執事長のモランと更に屋敷の当主であるアイリンの父までもが。
「一体これはどういうことかな?」
一見穏やかに見えるも相当に気迫の篭った表情で状況説明を求める当主。そしてその目は、突き刺すような視線でエイジを睨んでいた。
(なんだか、ちょっとヤバそうな雰囲気……)
その場にいる者の視線を独り占めしながらエイジは、とてつもない居心地の悪さを感じ、行く末を危惧した。
アイリンとミスカの口添えで一応友人ということになり、詳しい事情を聴くために屋敷に招かれ夕食をご馳走になりながら、話をすることになった。二十人は食卓を共にできるであろう長いテーブルに、エイジ、アイリン、ミスカ、そして当主の四人が席に着き食事が始まった。しかし、豪華な食事も殆ど手付かずのまま話が進んだ。
そして、エイジは、アイリンがここ最近ずっと家に閉じこもっていた原因が自分にあることなど全てを正直に話した。間違いなく怒られると思ったが、言い訳など出来るはずもない。
全てを聴き終えた当主は、しばらく無言であったが、漸く口を開く。
「なるほど、大体状況はつかめた。エイジ・ミナガワ。お前が娘にしたことは、取り敢えずは置いておこう。大事なのはこれからのことだ」
当主はじっとエイジを無表情で見つめて言う。さらに続けた。
「お前がこの先もアイリンと友人で居続けたいというのなら、私と決闘しろ。私に勝てば、全てを許し、お前のことを認めてやる」
その言葉にアイリンは声を悲鳴のような声で講義を上げる。
「お父様! どうしてそのようなことを仰るのですか?! 私はもうエイジを許しました」
「これは、このコノート家の問題でもあるのだよ。決闘をしないというのであれば、この男を決して認めぬ」
当主は重い口調できっぱりと断言し、他の意見を寄せ付けなかった。
「わかりました。その決闘受けましょう」
「エイジ! あなたでは無理よ。お父様は私とミスカ二人でもおそらく敵わないわ!」
「退けない戦いは常に存在する。自分より強い相手との戦いを避けられない時ってのはこの先絶対やってくるんだ。こんな所で退く訳にはいかない」
エイジにも信念があるのだ。ミスカに教わった決して折られてはならぬ信念が。今ここで退くことは、先日の決闘の勝利を無にするに等しい行為だ。二度も同じ間違いをしてなるものか。エイジは光の篭った瞳で当主を見つめた。
「うむ、では、庭にて行う。ついて来い」
メイラサの貴族の邸宅には決闘場が存在する。貴族は決闘の立会人を務める役目を負っているからだ。学生同士のいざこざとは違い、正式な決闘ならいくつかの手続きを踏まなければならない。今回は、そのような手続きはしないが、場の空気は本物だった。
正方形の石畳の四隅には、武神の彫刻が彫られた柱が威風堂々立っている。エイジは場の空気に呑まれまいと必死で精神を落ち着かせた。
「手順は省略するが、容赦はしない。こちらの立会人はモランに頼む」
「エイジの立会人は私が務めます」
当主は執事長の男に、立会人を任せ、エイジの方はアイリンが名乗りを上げた。
「では始める。モラン、合図を頼む」
「畏まりました。殺しは即失格、どちらかが試合続行不能となることを以って決着と致します。両者、構え」
執事が、そういうと、両者がそれぞれの武器を引き抜いた。
当主の武器は、普通の長さの直剣であった。しかし、その刀身には、魔方陣がびっしり彫られていた。
剣や杖に魔方陣を彫ることは、繊細で神経を使う作業でかなりの労力を要する。何しろ、描画面積が少ないため、小さく、そして複雑になるのだ。そのため専門の職人が一つ一つ手作業で丹精込めて作り上げる。
当主の剣は、名のある職人の最高傑作とも呼ばれるほどの名剣だった。武器が優秀である、それだけでも戦いは断然有利になる。
一方、エイジの武器はいつもの短剣だ。しかし、左に順手に握る一本のみだ。普段、右の逆手は、基本的に相手に突き立て致命傷を与える必殺を目的としている。相手を殺すつもりで全力で挑まねば、エイジに勝ち目は殆どないだろう。しかし、エイジには、命を懸けた決闘であっても、割り切ることはできなかったのだ。甘いが、エイジに人を殺す覚悟はなかった。
「はじめ!」
その一声で戦いの火蓋が切られたのだが、双方とも動かない。当主は、格下に対する余裕から、まずはエイジの実力を測るつもりだった。エイジはというと、こちらも、見知らぬ相手に作戦もなく突っ込んでいくより相手の出方を待つほうがベターだと考えたからだ。
そのエイジの様子を見た当主が、先に攻撃をしかけてきた。
氷塊を生成し、それを飛ばす魔法使いとしてオーソドックスな攻撃方法だったが、凄まじく速い。そして、最初は一つだったが、避け続けていくにつれ、当主はどんどん、氷塊の数を増やしていく。エイジは最初から全力で〈自己制御〉を掛けて避けるしかなかった。
(ほう、ベルガ家の倅に勝つだけのことはあるな。身体能力がその辺の子供とは到底考えられぬ程にキレがある)
当主は予想以上のエイジの身のこなしに感心していた。
そんな余裕のある当主とは違い、エイジは必死だった。常に掛け続けられる〈自己制御〉にエイジの魔力はどんどん消耗していく。エイジの魔力量はそれほど多くないのだ。このままでは直に魔力が尽きる。そうなる前に決着をつけなければならない。エイジは勝利の為の行動に移った。
まずは、自然な行動の中に細工を仕掛ける。誰にも気づかれてはいけない。エイジは攻撃を避ける流れで柱を楯にした時に、腰の短剣を分からないように落とした。
そして、落とした短剣と対角線上に移動した。あたかも、攻撃を避けて偶然その場に移動させられたかのように。そして、エイジは左手に持っていた短剣を全力で投げた。
当主はいとも簡単に避けるが、後方にもエイジが〈制御〉で操る短剣が迫る。しかし、当主はそれすら、後ろに目でもあるかのようにスッとかわしてのけた。
(まぁ、そうだよな、ここで終わるはずがねぇ)
「うおおおおおおおおおおおおおッ」
エイジは真っ直ぐ当主に向かって突っ込んでいく。止まることなど一切考慮に入れない捨て身の攻撃だった。避けられたら終わりだ。〈自己制御〉で最大限に加速したエイジは、その勢いを拳に乗せ弾丸のような一撃を放った。
グシャ。嫌な音がして、エイジの拳が潰れた。エイジの拳が当主に当たる直前、当主が魔法で石の楯を作り出し防いだのだ。
「お父様!」「旦那様ぁッ!」
アイリンと執事長のモランが悲鳴をあげ、当主に駆け寄った。
当主は背中に短剣が突き刺さっており、痛みでひざを着いた。
エイジは、左手で投げてかわされた短剣を〈制御〉で支配下に置き、即座にUターンさせて当主の背中を貫いたのだ。短剣をかわしたと思ったら、一瞬でエイジが目の前現れたことに驚愕した当主は、防御する事に意識を取られてしまった。
「まだ、勝負はついておらん。下がれッ……」
苦しそうだが、必死で立ち上がろうとするも力が入らないようだった。
「そこまで! 両者引き分けとする!」
「引き分け? なぜ?! エイジは怪我をしていないわ!」
アイリンはモランの言葉に疑問を投げかけた。
「いえ、どちらも命に別状はないとは言え、大怪我を負っております。エイジ殿の左手をご覧ください」
アイリンは、父が短剣に貫かれたインパクトが大きかったため、エイジの自爆した左手に気づかなかった。
しかしエイジの手は血だらけで骨はボロボロだった。
「――ッ!」
エイジの血だらけの手を見たアイリンは、口を手で押さえて言葉にならない悲鳴をあげた。
「お二人とも、早く治癒術師に見てもらいましょう。そして勝負は引き分け、よろしいですな?」
モランが二人を見て異論は認めないとばかりに同意を求める。
「はい」「ああ……」
そして、全員屋敷内に移動した。
コノート家の権力で一流の治癒術師を屋敷に呼び、エイジと当主の治療が行われた。傷は一瞬にして回復し、現在は再び、夕食をご馳走になった部屋に通され席についている。
「エイジ・ミナガワ。約束だ、君がアイリンの友人であることは許そう」
「ありがとうございます」
「やったわね、エイジッ! でも引き分けなのにどうして?」
「当主さまは、友達で居たければ決闘を受けろと言ったんだ。最初から勝ち負けは関係なかったんだよ。勿論俺の読みが間違っている可能性も十分に考えられたから、当然勝ちには拘ったけどな」
「その通りだ。もし、君がアイリンとの男女としての交際を認めてほしくば、私に勝利する必要があったがね」
「ちょ、ちょっと、何言ってるの? お父様ったら。私とエイジはお友達ですよッ。恋人だなんて何を勘違いなさってるのかしら。ねぇ、エイジ?」
顔を真っ赤にしながら言い訳にも聞こえるようにアイリンは弁解した。
「はい、アイリンは大切な友人です。今日は、あなたの決闘に乗りましたが、友達ってのは決闘の結果に左右などされなくて、心の繋がりによって決まるものだと思います。例え誰も認めなくても本人たちがそう思っていればいいんだよ、アイリン」
最後のセリフだけアイリンの目を確り見て言った。心の繋がりがある限り俺たちは友達なんだという想いを込めて。
そして、アイリンとの問題が解決し、エイジとミスカが帰宅したコノート邸の一室にて、当主と執事の男が話しをしていた。
「旦那様、よろしいのですが、あのような男を放置しても。やろうと思えば、あのような小僧など簡単に勝利できたはずです」
当主は実際、エイジを一撃で戦闘不能にする魔法はいくつも習得していたし、しようと思えば実行することもできた。
「まあ、適当に甚振るつもりではあったが、予想以上にやる男だった。特に一番最後の加速は、消えたように見えた。完全に油断していた私の負けだ。最初から本気でやっていれば勝てたなどと言い訳するほど恥知らずではないよ」
「しかし、アイリン様があの男に友情以外の好意を持たれているのも間違いないはずです」
「確かにそうかもな。あの男には勇気がある。其処にアイリンが惹かれても可笑しくはないだろう。しかし、それだけだ。それだけでは何もできんよ」
そう言った男の視線の先には壁があるだけで、何もない空間を見つめていた。
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