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異世界ジーオンの獣たち  作者: 皆井 燦緒
第一章 異世界ジーオンと都市国家メイラサ
4/65

「自分の弱さを認めろよッ!」

 エイジは今、学院の敷地内にある巨大な建物の中にいる。そこには、数え切れないほどの蔵書があり、学院の生徒が魔法の知識を増やすために魔法書や魔導書の閲覧に訪れる、リムロア学院が誇る図書館だ。しかし勉学のために熱心に図書館に通う生徒はそれほど多くはない。

魔法書とは、魔法について書かれた本全般のことで、魔導書というのは、魔法を発動するための呪文が記載された魔法書を指す。そこは、学生のみならず、一般人も利用が可能だ。


 ジーオンの識字率は九割を超える。ジーオンに存在する魔法というのは、口伝では難しく、文字にして伝承する必要があったため、印刷技術が発達し図書館が各地に作られたのだ。


 エイジは魔物に関する本を適当に持てるだけ手に取り、館内の机に積み上げて読んでいた。先日の定期討伐では、初めて見る魔物ばかりで対処方法が分からなかった。それを踏まえ、次回参加する場合のために事前に少しでも情報を取り入れておこうと思ったのだ。

 エイジは読み書きができなかったので、辞書で調べながら時間を掛けて読むしかなかったが、それは文字に慣れるには一石二鳥であった。


 そして、魔物の情報を得ながら、先日の定期討伐のことを回顧していた。

 


(隊長の魔法すごかったなぁ……。他の隊員たちの魔法もすごかったけど、隊長がジャージャを討ち取るのに使った魔法は異常だった)


 エイジのいた世界に、魔法は存在しない。例えば地球上で考えられる、個人で扱える最も強力な武器の一つであるロケットランチャーならあの獣を木っ端微塵にできるだろう。しかし、ロケットランチャーは単発だ。複数回発射する場合、替えの弾頭が必要になるし、持ち歩くのも大変だろう。

 他にも機関銃など大型で速射が可能な武器もあるが、やはり重量があり、素早い移動は不可能である。

 つまりいくらロケットランチャーや機関銃があったとしても今回のようにジャージャ5体を相手にしたら間違いなく死が待っているだろう。


 ところが、魔法は己の魔力のみをエネルギーとする攻撃方法で、他に重量のある武器や弾薬を持ち運ぶ必要がないのだ。そう思うと魔法の出鱈目さがエイジには納得いかなかった。別にこの世界の人間が魔法をいくら使おうと構わないが、自分が魔法を使って魔物を狩るのは卑怯な気がしたのだ。

 エイジには今まで積み上げてきたものが沢山ある。体を鍛え、獣の動きを観察し、攻撃方法を探求し続けてきた。魔法使いたちは、エイジが必死になって努力してきたものを嘲笑うかのように敵を蹴散らせるのだ。

 そういう理由からエイジは魔法にあまり良いイメージを抱けなかった。






    ◆◆◆


 アイリンは今日も図書館に来ていた。別に周りの生徒のように熱心に勉強するために来ているのではなく、単なる暇つぶしだったり、静かなので昼寝には丁度いいのだ。そして、このほんのり薄暗い雰囲気もそうだし、何より本が好きだった。適当に取った本でも、自分の知らない感心するような知識が得られることが少なくない。


 そう思って結構頻繁に利用するのだが、ここ最近は様子がおかしかった。図書館らしからぬざわめきがよく聞かれるのだ。

 その喧騒を煩わしいと思ったが、我慢できない程度ではなかったし、自分の部屋というわけでもなく文句など言う権利もないので、何も言わなかった。皆が何について騒いでいるのかも全く興味がなかったのだが、ある生徒たちが話している内容が自然と耳に入ってきた。



「ねえ、ねえ、アレが魔法が使えない異邦人らしいよ。森でずっと生活してたっていう。孤児だったのかな?」

「きゃはは、15歳らしいんだけど、言葉も知らなかったらしいもんね。魔物にでも育てられたのかな」

「森で発見したとき魔物の毛皮着てたらしいわよ。

加工したのじゃなくて、剥いだのそのまま」

「ちょっ、普通に魔物じゃん! おっかしー!」

「ミスカが捕まえたらしい」

「捕まえたって、扱いひっどー」


 酷いとか言いながら、顔は笑いを堪え切れていなかった。というか隠そうとすらしていなかった。



 詳しくは知らないが、最近学園で話題になっている人物がこの図書館にいるらしかった。


(ふーん。その原始人みたいな人がここにいるんだ。)


 アイリンにはそんな話題の人物すら興味を引かれるものではなかったらしく、居眠りをすることにした。



 そしてアイリンが目を覚ましたのは、日がとうに暮れて空に星の光が灯り始めた頃だった。


(う~~ん。もう夜かぁ。そろそろ帰ろっと。)


 伸びをして、帰宅を決めたアイリンは席を立ち、高々と規則正しく並ぶ本棚の間を抜け出口に向かおうとした。


 ふと目に留まったのは、一人の男の子だった。

机に本を積み上げ一生懸命に本を読んでいた。


(こんな時間までご苦労なことね。あんなに本を持ってきて)


 アイリンはすれ違いざまに少年の顔を垣間見た。この辺ではあまり見ない顔立ちをしている。しかし、短めの前髪がホイップクリームのようにふわっと浮いた黒髪で、精悍な表情をしており、中々にいい男であった。


 そして、そのまま図書館を去った。

 アイリンは帰り道、先ほどの少年のことを思い返していた。真剣な眼差しでページを捲る姿が印象的であった。

積み上げられた本と、少年自身が手にしている本の他に もう一冊辞書のようなものも広げられていた。


 あの子が噂の魔法が出来ない少年なのだろうか。

 アイリンはそんなことを考えながら帰路を進んだ。



 そして翌日、翌々日、さらにその次の日も、アイリンが図書館に足を運ぶと少年がいつものように、本を高く積み上げ真剣な表情で本を読んでいた。

 時々、学生たちが少年を見て笑っていたが、少年は意に介することなく読書を続けていた。


(悪口がわからないのかしら。そういえば、ここの言葉が分からないって言ってたっけ。だから語学習得のためにここに通ってるんだわ)


 読書をしたり、少年を観察したり、昼寝したりしながらアイリンは暇をつぶしていた。



 そして、ある日のこと。アイリンはいつものように昼寝をして、気がつけば初めて少年を見かけた日と同じくらいに空には星がいくらか輝いていた。

 

 涎を拭いて立ち上がり出口に向かう。

 期待通り少年はまだ椅子に腰掛け本を読んでいた。

 その日に限って何故声を掛けたのかアイリンも分からないが気づけば声をかけていた。

 少年のことを観察しているうちに興味がわいたのだろうか。言葉が通じるかもわからないというのに。


「こんにちは、いつも遅くまで何の本を読んでいるの?」

「こんばんわ。この世界に住まう魔物について書かれた本を読んでいるんです」

 

 少年は、少し発音がたどたどしかったが、それでも礼儀正しく、しかも正しい時間帯の挨拶を返してくれた。

 十分言葉を理解していることに驚いた。まだここに来てそれほど経っていないはずなのに。


「……グル語が話せるんだ」

 つい心の呟きが声に出てしまった。


「あっ、魔物の本ね! そうなの! ところで、グルの森から来たのってあなたのことよね?」

「ここの言葉は学院長に習ったんです。今はこの本で読み書きの勉強をしているところです。グルの森から来たってのも本当です」


 少年は、呟きにまで丁寧に答えた。随分話しやすい少年だ。こちらの意思を深く読み取ってくれる。アイリンは感心した。


「グルの森で魔物を食べて生活していたってことも本当なの?魔法が使えないっていうのも」

「はい、本当ですよ。ちょっと迷ってしまいまして。この町へ来た理由は留学みたいなものです」


 エイジは、自分が異世界人であることを秘密にしている。まず第一に面倒なのだ。いちいち、地球のことを説明して、気がついたらこの世界にいた。そんなことを信じてくれる者は、よほど信頼関係のあるものしかいないだろう。学院長のタロスにも言わないほうが無難だと忠告を受けている。初対面の相手にそんな話をして、信じてもらえなければ、ホラ吹きだと不信感を抱かれネガティブな印象を与えてしまう。


「ふーん。話に聞いてたのとちょっと違うわ。野蛮人を想像してたから」

「まあ、森にいた頃は間違いなく野蛮人でしたから」

 少年はアイリンの素直な言動にも笑って答えた。


「さて、俺もそろそろ帰ります、じゃあ」


 そういうと少年は本を片付けにいってしまった。アイリンも帰ることにした。


(明日も話せるかな)


 自分たちとは少し感じの違う少年にどんどん興味がわいてくるのが、自分でも分かった。

 アイリンはいつもより高揚しながら帰路についた。



 翌日も、アイリンは授業が終わると図書館へ向かった。足取りもどことなく弾んでいた。


(あの子、いるかしら?)


 アイリンは、すぐに目的の少年を見つけた。

近づいて声をかける。


「ごきげんよう。今日も魔物のことを調べてるの?」

「そうです。ついでに読み書きの練習も一緒に」

「そう、頑張ってねッ」


 

 現在の図書館はそこそこ人が入っており、勉強をしている生徒も多い。少年の邪魔をするわけにもいかないので会話はその程度にして引き上げた。


 アイリンは、適当に本を読みながら、時間が経つのを待ち、空が夕日に染まり、人もまばらになったのを見計らいエイジのもとに再び向かった。


「今日も、遅くまで頑張ってるのね」


 辞書を片手に一生懸命に本を読んでいたエイジが顔を上げて声の主を見上げた。


「まあね、早く文字を覚えたいし、知りたいことが沢山ありますから」

「そうなの。そういえば、そこに持ってきている本は皆魔物に関する本みたいだけれど、どうしてそんなに魔物のことばかり調べてるのかしら?」


 アイリンは積み上げられた本を指してたずねた。


「ああ、実は俺、傭兵を目指しているんです。この間、学院長の伝で定期討伐に参加する機会があったのですが、その時は、何も知らないまま、魔物に突っ込んでいくという馬鹿な真似をしてしまったんですよ。魔法も使えないってのにね。でも、もっと魔物のことを知っていれば、もう少しマシな戦いができたと思うんです。本で得る知識と実際の戦闘は違いますが、次のために少しでも奴等に関する情報を知っていれば、違ってくると思うので」


「へ~、定期討伐に参加したんだ。その話詳しく聞かせてくれないかしらッ!」

 アイリンは目を輝かせながら、エイジに熱願した。


「俺は、基本的に戦闘に参加していないんですが、それでもよければ話しましょう」

「勿論よ!」

「あー、でもこの話はまた今度ですね。もう帰らないと」


 エイジは今晩の夕食を買いに行かなければならない。まだ、メイラサに来てほんの少しだ。自炊はせず、飲食店か、多くの屋台が出店している通りで食事を買って食べていた。


「……そう、残念だわ。じゃあ……明日! 明日、私の授業が終わってから時間作れないかしら?」

「まあ、たまには息抜きも必要かな。いいですよ」

「ほんと、嬉しいわ」

「じゃあ、また明日」


 エイジは、机の本を戻そうと席を立つ。


「待って! あなたの名前をまだ聞いていなかったわ」

「エイジ・ミナガワです。あなたは?」

「アイリン・アルバ・コノートよ。よろしくね」


 自己紹介を済ませた二人は今度こそ別れた。




 翌日、アイリンと合流したエイジは、彼女のお気に入りの喫茶店に案内された。

 なるほど、お気に入りというだけあってかなりセンスが良かった。客の数は少なく、落ち着いた雰囲気の店だった。店内は窓から漏れるやわらかい陽光と魔法で灯した穏やかな照明が、心地よい雰囲気をかもしだしている。


「好きなもの選んでくれてかまわないわよ」

「いや、自分の分は自分で払うから、結構です」

「私が誘ったのだから、そのくらいはさせてくださいな」

「分かりました、お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとう」


 こんなことで意地を張り合っても仕方がないので、エイジは折れることにした。

 文字を少し読めるようになったエイジだが、読めはしてもそのモノ自体知らなければ、注文しようがない。エイジはアイリンが頼んだものと同じものを注文した。


「それじゃあ、早速聞かせて」

「わかりました」

 

 そういって、先日の出来事を話し始める。




「光槍のライアンと一緒に戦えたなんですごいわッ! それにイーファ先輩もご一緒だったのね」

「うん、ノードゥ隊長の魔法はすごかった。なんだか、敵がかわいそうだったよ。イーファ先輩は頼れるお姉さんって感じですごく優しかったなぁ」


 豊満な胸と透き通る声、そして、最後に優しく頭を撫でてくれたことを思い出しながら言った。

 アイリンもイーファも王立リムロア学院の生徒だ、面識があるのだろう。


 ニコニコしながらエイジの話を聞いていたアイリン。丁度運ばれてきた甘い香りのするお茶を二人で啜りながら、エイジは続きを話した。



「まず俺たちは荷馬車に乗って、東を目指したんです……」


 普通では考えられないゾイの群れ、それを倒し帰ろうとしたところで、ジャージャに出遭った流れを説明するエイジ。


「ジャージャに出遭ったの!!」


 驚いて興奮した声を上げるアイリン。


「はい、ノードゥ隊長のおかげでこの通り無事に帰ってこられました」

「どうやって、ジャージャの群れを退けたの? ライアン様が討ち取ったのでしょうけど、そこを詳しく聞きたいわ」


 ライアン・ノードゥは英雄アスロンの教え子として有名だ。誰もがその戦いを知りたがるだろう。アイリンも同じく興味深深だった。


 そしてエイジは、その時の状況を自分の醜態も一緒に詳しく聞かせた。


「ちょっと、エイジ君、大丈夫だったの? そんな無茶して! ほんとに怪我はないの?」

「はい、死の一歩手間でしたが、そこでノードゥ隊長の光槍が、俺に襲いせまるジャージャの体を貫いたんです。生きててホッとしましたね」


 アイリンはいつも眠そうな目蓋をしている。しかし眠そうに見えるだけで普段からそういう目なのだろう。エイジの無茶を聞いたアイリンは、普段よりも大きく目を開いて心配していたが、エイジは笑って答えた。


「でもエイジ君って魔法を使う能力がないの? それとも能力はあるのに、使わないだけ?」

「さあ、分からない。使おうと考えたことありませんから」

「え?あなたって親はいないの?」


 普通、一番最初に魔法を学ぶのは親であろう。一緒に生活していれば、絶対に魔法に触れる機会は数多く巡ってくるはずである。それが、エイジは使おうと思ったことがないとのたまった。つまり、産みの親、もしくは育ての親がいないのではないか、アイリンはそう思ったのだ。

 実際、グルの森で魔物を狩って暮らしていたと言った。


「いや、普通にいるし、元気ですよ。と思います……」


 エイジがジーオンに来てから両親には会っていないので確実に元気だとはいえなかったので、最後は思うとつけ加えた。


「なら、魔法を教わるはずでしょ?それとも、あなたの親は魔法を一切教えてくれなかったの?!」

「いや、魔法自体俺の住む世界には無かったんです。魔法がないのが当たり前の世界でした」

「そんな世界って……」

信じられないという面持ちで目を伏せ思案するアイリン。


「ここから、ずっと遠い国です。まあ、そういう国もあるってことで納得してください。実際、ここに来るまで、俺は魔法の存在を知りませんでしたから」


「信じられないけど……信じるわ。でもそれなら、魔法なしで、グルの森の魔物たちと戦ってたってことよね?

それってすごいじゃないの!」


 先ほどの驚愕した表情とは一転してとびきりの笑顔で賞賛するアイリン。


「まあ、実際何度も死に掛けました。でも死なないためには勝つしかなかったんです」

「あなたが、どうやって生き残ったか、詳しく聞かせて!」


 エイジは森で自分がどうやって生き残ったのかをアイリンに話した。




「へぇ、本当にハードな生活だったんだね」

嬉しそうにエイジの話を聞いてくれたアイリンは話し終わった後も嬉しそうだった。

 その後も色々な話をした二人はすっかり打ち解け、楽しいひとときを過ごした。


 喫茶店に入って数時間が経ち、太陽が綺麗な茜色に染まっていた。


「さて、そろそろ帰りませんか」

「あら、もうそんな時間? まだまだあなたの話を聞きたいのに……。明日も図書館で勉強するの?」

「はい、明日も同じです」

「そう、なら一緒に勉強しない?辞書を見ながらより、私が横について分からないことをその都度聞いたほうが絶対効率いいし、楽しいと思うの……。どうかしら?」


 少し不安げな表情をしながら上目遣いで聞いてくる。


(うっ、なんだよ、その目はッ。反則だろ~。断れないじゃないか)


「……わかりました。色々アドバイスが聞けるかも知れないし、この世界について知らないことも沢山あるから、友達が出来るのは大歓迎です」

「ええ!それでいいわ」


 今までで最高の笑顔を見せたアイリンは手を一度叩くように合わせて言葉を告げた。


(お友達……。ッ~~~~!)


 言葉にならない心情が表情に表れてしまっていた。

 ジーオンに来てあまり感情を出す機会がなかったエイジもいつもより間違いなく口元が緩んでいた。


「お友達なら、敬語はいらないわ。ちゃんとお友達らしい言葉遣いに直して」

「うーん、でも俺結構、言葉遣い汚いですよ?」

「それがあなたのお友達に対する接し方ならそれでいいわ」

「わかったよ。じゃあ遠慮なく汚い言葉遣いをさせてもらうよ。名前はアイリンって呼び捨てでもいいかな?」

「勿論!」

「じゃあ、アイリン、これからよろしくな」

「ええ、エイジ。こちらこそよろしくねッ」


 エイジはジーオンに来て出来た初めての友人と店を出て帰路についた。






 アイリン・アルバ・コノートは学院の三年生でふわふわしてほんのり紅い、こげ茶色のロングヘアーをしており誰もが納得する美少女である。さらに容姿端麗・文武両道でさらに伯爵令嬢と、地位も申し分ない彼女は学院では多くの生徒から羨望の眼差しを集めていた。

 しかし畏怖されることはなく、誰にでも気さくに接し、更に時折見せるだらけた様子(図書館で居眠りしたり、授業中にどうどうと机に突っ伏して眠るかわいらしい姿)に親近感を持たれていた。そのよく眠る姿から周囲の人々から親しみを込めて『眠り姫』と呼ばれている。


 そんな彼女に心を奪われる男子学生は少なくないのだが、伯爵令嬢という看板がある手前、アプローチをかけられる者は多くなく、地位か実力を持つ者以外は指をくわえて見ていることしかできなかった。

 それでも地位か実力、もしくはその両方を持つ者がアプローチした例は多数あるのだが、そのどれも結果は同じであった。

 今では彼女にアプローチをかけるものはなく、ひっそりと美しくも愛らしい姿を見守るだけであった。


 ところが、そんな暗黙のルールを破った奴がいる。そんな噂が広まりはじめたのだ。



「ねえ、聞いた?昨日あの眠り姫が野蛮人と楽しく喫茶店デートしていたらしいわよ」

「ホント?! あの眠り姫が?! でも眠り姫って俗事には興味ありませんって感じじゃなかった?」

「確かに噂とかいつも興味なさそうな感じだったけど、どうゆう心境の変化なのかしら」

「というか、それデートで確定なのか?ただ喫茶店で話ししてただけだろ。普通に考えてさぁ」

「でもかなり仲よさそうに見えたって噂だよ」

「でもさぁ、眠り姫って誰にでもすげー近い距離まで入ってくるじゃん」

「たしかにそうだよね、というかデートなわけないじゃん」

「でもあの野蛮人、顔は悪くないんだし、野性的な魅力にクラっと来たのかもよ」

学園はそのような噂で持ちきりだった。




    ◆◆◆


 ミスカが学院へ到着すると何やら校内が騒がしかった。

 そして自分の教室にたどりついて早々、クラスメイト数人に囲まれた。


「ちょっと、皆どうしたのよ!」

「ミスカって眠り姫と親しかったわよね?」

「そうだけど、それがどうかしたの?」

「あの眠り姫がミスカが捕まえた外国人と喫茶店で楽しく談笑する姿が目撃されたのよ!大ニュースよ、大ニュース。その真相をミスカからなら何か聞けないかと思って」

「あのサルとアイリンさんが?!」

「そうよ、とっても良い雰囲気を作ってたらしいわ。まあアイリン先輩が親しみやすいのはいつものことだけどね。ってミスカ!どこいくの?」


 ミスカはいても立ってもいられなかった。ミスカにとってエイジが何をしようが興味はない。しかし、アイリンだけは、別だ。ミスカにとってアイリンは目標でもあり、数少ない本当の尊敬を抱いている姉のような存在なのだ。そんな大切な人にどこの馬の骨とも知らない異邦人が手を出すなんて許せなかった。

 しかも彼は魔法が使えない無能者だ。そんな弱い者と一緒にいれば悪影響を及ぼす可能性だってあるし、周囲から言われも無い中傷を受けるであろうことは想像に難くない。アイリンの評判を下げることは必至だ。

 アイリンがエイジと恋人になったとは思わなかったが、近づくこと自体頭にきてしまった。

 アイリンに真相を問うべく3年の教室へ足を運んだ。



「アイリンさん! あのサルとお茶してたってどういうことなんですか!」

「あら、ミスカ、血相変えてどうしたの?」

「だから、あのサルと!」

「サルじゃないわ、エイジよ」

「エイジとお茶してたって本当なんですか?!」

「ええ、本当よ。それがどうかしたの?」

「どうしてそんな事になったんですか?!」

「別に大した理由じゃないわ、なんとなく彼がグルの森でしていた暮らしに興味があったのよ。それを聞くためにお茶していただけよ」

「でもデートしていたって皆噂しています!」

「あなたは、付き合ってもいない男の子とお茶を飲んでお喋りするだけでデートだと言うの?」

「それは……違いますけど、アイリンさんがすごく楽しそうだったて聞いたから……」

「楽しかったけど、別に恋人じゃないわ、お友達よ、おともだち、ふふッ」


(その顔よ! いつもはそんな顔しない。笑顔は見せても女の顔は見せないわ。自覚していないのかしら。それなら自覚する前になんとかしないといけないわ)


 付き合いが長いミスカは僅かな表情の違いを見抜いてみせた。


「アイリン先輩、あまりあのサルとは関わらないほうがよろしいと思います。彼は私たちと違う文化や考えの異邦人ですよ、アイリン先輩はすごく魅力的だから、あまり一緒にいると襲われないとも限りません」

「エイジはそんな人じゃないわ、短い付き合いだけれど、そのくらいは判ります。彼は誠実で良い人よ」


(くぅ……、あのサルのヤツ、ここまでアイリン先輩の中に入り込んでやがるの~~!)


「でも、万が一ということもあります! 100パーセントなんてありえませんから」

「そのときは私の人を見る目がなかったということよ。私自身の責任よ。心配してくれて嬉しいわ、ありがとう。でもエイジはお友達なの。お友達は信頼するものよ!」


 自信たっぷりに告げられるとこれ以上反論することができなかった。それにアイリンの言うことは最もなのだ。


(まずいわね、これ以上言っても無駄か)


 あまり食い下がるとミスカがエイジを不自然に遠ざけようとしていることがバレてしまう。ここは一旦引いて何か納得のいく説得材料を揃えて出直すことにした。


「確かに、可能性の低い事象に拘っていたら友達なんて作れないですものね、私が間違っていました」

「いいのよ、気にしないで。私のことを心配してくれたのだから」


 そう言ってアイリンは素直になった後輩に優しく微笑む。


「では、そろそろ授業が始まるので教室に戻ります」


 内心は苦痛に歪みながら爽やかな笑顔でその場を離れた。





 学院は放課後になり生徒が帰宅を始める頃、エイジはというと昼前から今まで読み書きの勉強も兼ねて、将来戦うことになりそうな魔物のこと調べていた。そこへ、アイリンが来て隣に腰を下ろし一緒に肩を寄せ合って覗き込む。宛ら恋人のようであったが、エイジは真剣であったし、アイリンは天然であったのだ。

 一般に恋人同士の距離であっても、アイリンはそのようなことはまるで考えず、一つの本を二人で見るには、極力近づいたほうが見やすいし、普段どおりの声量で喋ることが憚られる図書館という場所の性質上、小声で話す場合やはり距離を詰めたほうが会話もしやすいのだ。


 しかし、それを勘違いした者たちが多数いた。前日の喫茶店での二人の仲むつまじく談笑する姿も目撃されて本日、学校ではその噂で持ちきりだったのだ。その噂が冷めやらぬうちに、この光景である。

 誰もが二人の距離がかなり近しい者たちの距離であると信じて疑わなかった。


「やっぱり誰かと一緒に勉強すると段違いに捗るな」


 エイジは今までは一人で調べものをしていた。

 エイジは読み書きが未だに芳しくない状態だ。その状態では本を読むことすら中々進まず、必要なことを調べるのに何時間もかかってしまう。

 しかし、今日は優秀な先生が隣にいるのだ。気を使う必要もなく気軽に質問ができることもあり、どんどん勉強が進んでいった。


「ふふッ、私とお友達になって良かったでしょ?」

「ああ、マジでこれは予想外だったぜ。こんなに違うなんて思わなかった。これはもう友達ってより師匠だな。これからは師匠って呼ぶことにするよ」

 真面目な顔でアイリンを見つめるエイジ。


「ちょ、ちょっとおぉ、お友達でしょ~!」


 焦ったように訂正を求める。アイリンは友達というものに固執しているのだった。


「はは、冗談だよ。師匠って柄じゃないだろ。アイリンは」

「もう~~、からかったのね!」


 餌を口いっぱいに溜め込んだシマリスのように頬を膨らませて怒りを表すアイリンであったが、エイジには笑いのツボだったようだ。

 図書館で大声を上げて笑うわけにもいかず、エイジは必死に笑いを堪えていた。


「何が可笑しいの! 私怒ってるんだよ!」

「ごッごめん、でもッ。クッ、ククク。ほんとカワイイなぁ」


(可愛い?!)


「か、可愛いって……そんな。ってその割りにどうしてそんなに笑ってるの!」

 



 そんな微笑ましい遣り取りの少し離れた場所で、エイジたちを見つめる視線が複数あった。

 その視線の主が仲間たちに嫉妬の声で唸る。


「あのクソガキ、アイリンさんにくっ付き過ぎだろッ」

「なんだってあんなヤツがアイリンさんに気にいられるんだ!」

「黙って見てるんですかッマルボーさん!」

「取り合えずお前たち落ち着け。こんな所で騒いでも何にもならない。取り合えずここを出るぞ。俺に良い考えがある」





    ◆◆◆


 アイリンと図書館で一緒に勉強するようになって数日が経ち、今日も夕暮れ直前まで魔物のことを調べていたエイジとそれに付き合っていたアイリンは笑顔で手を振り合い別れた。

 そして帰路につくエイジに声が掛けられた。


「おい、そこのお前!」


 気がつくとエイジは周りを囲まれており、逃げられないことを悟った。

 全員がフードつきのローブを身に纏い、顔もマスクで覆われており、明らかな敵意のプレッシャーを感じた。数は6人、これだけの相手、決して勝てる勝負ではない。


「俺に何か用ですか?」

「お前のような地位もなく、魔法も使えない男がアイリンさんに近づくことは許されない。アイリンさんは伯爵家のご息女でいらっしゃるのだ。お前のような流れ者は同じ空気を吸うことすら許されない! 今後一切アイリンさまに近づくことを禁ずる」


(おいおい、いきなり何だコイツら。アイリンって俺みたいな異国の男が話したりしたらいけない高貴な身分なわけ?! 伯爵令嬢ってそんなにヤバイのか?!)


「あの、貴族と平民って友達にすらなれないのですか?それともアイリンが特別なだけですか? この世界のことはまだよく分かってなくて」

「お前は何を聞いていたんだ。お前が無能であることが全てだ。お前は何も持っていない、本当にゴミクズ同然の男がアイリンさんに手を出すなど言語道断。お前が一緒にいるだけでアイリンさんの名に傷がつくのだ。わかったらアイリンさんと会わないと誓え」

「でも、アイリンはそんなこと一言も言ってませんでしたが……」

「いいから、さっさと誓えばいいんだ! できないというなら、体に分からせるしかなくなるぞ!」


 その一言でエイジもようやくこいつらの意図が分かってきた。彼らは単にエイジという存在がアイリンと仲良くすることが、ただそれが気に入らないのだ。おそらく彼らの幼稚な嫉妬であろう。エイジはそう思った。


「アイリンは俺が魔法を使えないことを知っても大して気にはしていませんでしたよ。むしろ、興味すら持っていました。アイリン自身何も言わない以上、そのことで俺とアイリンが仲良くする障害にはならないんじゃないですか?それに決めるのはアイリンであってあなた方ではないはずだ」


 エイジは冷静に正論を突きつけた。


「貴様ぁ。どうやら体に教育してやらないといけないらしいな!ありがたく思えッ!」

「体に教育って何かエロい響きだよな。なあ、そう思わねぇ?」


 エイジが勝手に変な方向に解釈してしまっただけなのだが、それを挑発と捉えた覆面の集団は、一斉に襲い掛かってきた。

 魔法の雨がエイジに降り注ぐ。猛スピードでエイジに襲い掛かる石礫や氷塊を体を捻って避ける。本当に危機一髪で避けられたが、同じ攻撃がもう一度来れば次は避けられないだろう。一度攻撃を喰らえば痛みで動けなくなり集中打を浴びて当たり所が悪ければ死ぬかも知れない。


(さすがに六人はきついな、やば過ぎだ。今のは本当に運良く避けられたが、次は多分無理だろ。どうする、あんなの当たったらマジ死ぬだろ。クソッ、素直に奴等の言うこと聴いとくべきだったか?)


 などと考えていたのだが、突然エイジの体の自由が利かなくなった。


(なんだこれ! う、ごけ、ねえ。これも魔法か?!)


「よし、捕まえたぜ。こいつ思ったとおり魔法耐性ゼロだわ。簡単に手綱取れたぜぇ」

「よし、ゆっくり甚振ってやろう。一人ずつだ」


(拷問かよッ、趣味悪いことしやがる、あああああああああクソッ動け、動けよ、グギギギギ)


 必死にもがくが体の自由は一向に戻る気配がなかった。


「ほら、いくぞ! 氷でも食べて頭冷やしなァ!」


 氷柱が生成されエイジの顔面に狙いを定めた。そして、勢いよいく発射される。エイジはただ目を閉じ歯を食いしばり、体中の筋肉を硬直させた、それくらいしか出来ることがないのだ。


まさに氷柱がエイジを打つ瞬間、氷が粉々に砕け散った。


「そこまでだ。お前たち何やってる!」


 レイグム、サーモイ、スージの生徒会メンバーが颯爽と現れた。

 その瞬間、集中の切れた覆面男による魔法の呪縛が解け、エイジはひざを付いて倒れこんだ。


「助かったのか……」


 現れた救世主たちを見やると、元々ハンサムなレイグムは当然のこと、スージやサーモイまでもがとてつもなくかっこよく見えた。



「生徒会?! クソッ、全員撤退しろ!」


 リーダーらしき男がそういうと全員一目散に逃げ出した。

 生徒会のメンバーは、その実力において学内トップクラスである、六人でも敵わないと判断したのだ。


 レイグムもスージもサーモイも誰も覆面の集団を追おうとはせず、この場に留まった。


「怪我はないな」

「ホントに助かったよ、もう絶対ボコボコにされて終わりだと思った……。ハァハァ、本当に……助かりました……」


 エイジは深く頭を下げた。




(魔法って本当に恐ろしいな……)


 レイグムたちのおかげで怪我もなく収まり、その帰路で先ほどの出来事に恐怖していた。

 いきなり目に見えない力で動きを封じられ手も足も出なかったエイジは改めてその恐ろしさに恐怖していた。

 魔法使いというのは強力な銃器を持った人間のようなものという認識を今までしていたのだが、どうやらその認識は誤りらしい。

 石礫や氷塊を飛ばすだけなら、地球の銃で武装した人間と変わらない

しかし、動きを封じることができる武器など、地球には存在しない。いや現代の科学技術なら可能かも知れないが決して一般的ではないのだ。

 エイジの常識を逸脱した現象に遭遇し、心が折れてしまった。


「これ以上関わらないようにしよう。飛び道具ならまだしも、あんなのどうしようもないじゃないか!クソォ。折角アイリンと仲良くなったけど、俺がここに来たのは人間と戦うためじゃないんだ。アイツ等に逆らってアイリンと会えば今度は絶対ただでは済まない。もう会うべきじゃないな。人間同士で争いたいんじゃないし……クソ、クソ、クソォ……」


 本当はどうしようもなく悔しかった。しかし、諦めを決めたエイジには、言い訳ばかりしか出てこなかった。







「……だから、もう会わないでおこう。友達関係も解消だ。ごめん……」

「そんな、どうして! 友達をやめる必要なんてないじゃない! 他に良い方法があるはずよッ! そんな簡単に友達って辞められるものなの?! あなたのいう友達ってのは言葉だけの薄っぺらい意味だったの!?」


 翌日、エイジを取り囲み暴力でアイリンとの接触を一方的に禁じた覆面集団のことをエイジは包み隠さず話した。そして別離を宣言したのだが、アイリンは到底納得できなかった。

 自分のせいでエイジが危険な目にあったということもだし、エイジもエイジで何の相談もなく勝手に会わないと言い張ったこともだ。そして、あろうことが友達であることまで否定されてしまった。


「だって、しょうがないだろ。あんな連中にまた襲われたら怪我じゃあ済まないよ……」

「なら、私が護るわ! 私があなたに手出しはさせないッ! こう見えても私って強いんだから。学院には私に敵う人なんて限られてるわ」

「止めてくれ。そんなみっともないこと……されるわけにはいかない」


 メイラサ王国は女尊男卑な傾向を持っており、強者である女子が弱者たる男子を護ることはおかしくない。しかし、男が女に護られる惨めさがないわけではないのだ。


「どうして?強いものが、弱い者を護るのは全然おかしいことじゃないわ」


――――ッ! 俺が弱い? 俺は熊を一人で倒したし、ここに来てから、半年も魔物を狩って生き抜いてきたんだぞ! その俺が弱い、そんなわけあるか。


「話しにならないな。とにかくだ、俺はもうあんたとは会わない、今後一切話しかけないでくれ。あんたが余計なことしなけりゃ、俺はやつ等にこれ以上攻撃されることはないんだから」

「待って!」


 呆然とするアイリンを残し、制止も聞かず、早足で出て行ってしまった。






 ミスカが学院に着くと今日もあのサルの噂を聞いた。

何やら、エイジがアイリンを拒絶したらしい。恋人のレイグムたちからエイジが複数の男たちに襲われていたというのは聞いていたので、エイジがその者達に恐れをなして身をひいたのだとすぐに悟った。


(私が何かするまでもなかったわね、勝手に私の望む方向へ上手く事が転がってくれたんだから。フフ、ラッキー。というか色々考えてきたのに全部無駄になったじゃないの! ホント最悪、あのサルのせいで貴重な時間を浪費してしまったわ。問題も解決したことだし、こうなったらレイグム誘って買い物にでも行きましょう。フフ、久しぶりのデートだわ)






 エイジの突然の拒絶にアイリンは深いショックを受けていた。

 アイリンには心から笑い合える友達はあまりいない。彼女に近づく者は皆、彼女の美貌か地位を魅力に思い擦り寄ってくるのだ。そういう理由から男の友達に至っては皆無だった。

 しかし、エイジはそんな男たちとは違い真に笑い合い語らい合える友人になるはずだった。まだ付き合いは短いが本当にそうなると思った。その矢先にこんなことになってしまった。その拒絶された直後の落ち込みようは計り知れない。

 しかし、すぐに気を持ち直した。あんな友人にまた巡り会える保障など何処にもない。絶対に手放したくない。そんな強い思いが湧き上がったのだ。


(もう一度ちゃんと話そう。私のお友達はそう簡単にやめられないわよ)

アイリンは強く心に決めた。




 そして翌日、アイリンはエイジを見つけ説得を試みる。


「エイジ!」

「ア、アイリン!……何か用ですか?俺言いましたよね、一緒にいるところを見られると困るって。頼むから止めてくれ……」

「一方的すぎるわ! 私はそんなの了解していない。ねえ、エイジ、何かいい方法があるはずよ、一緒に考えましょう。もっと友達を頼って!」


 アイリンは揺れる瞳を向けながら、必死にエイジを説得しようとした。


「……いや全部無かったことにしよう。ほんの一週間たらずだ。長年友情を築いてきたならともかく、そんな短い期間の関係ならあってもなくても同じだよ」


――――そんなことない。わかってる



「そんなことない! 例え一週間でも私はあなたと過ごして本当に楽しかった。心の底から笑っていたわ!」

「俺はただ他愛も無い時間を過ごしたくらいにしか感じないよ」


――――嘘だ、ここにきて出来た初めての友達なんだ。これから絶対楽しくなるはずだったって分かってる。でも



「嘘よ、あなただって私と同じ気持ちを共有してたはずだわ、私に見せてくれたあなたの笑顔は本心からだったはず!」

「おいおい、表情で心がわかるのか?超能力者かよ。まあ、この際それが事実でもいいよ。でもな、俺があんたともう友達じゃないってのも事実だ」


――――アイリン、ごめん。俺は魔法が怖いんだ。怖くて堪らない。俺にはない力だ。怖くて俺にこんな嘘までつかせるんだよ。俺だって本当は友達でいたいッ!


「じゃあな」


 エイジはアイリンと決して目を合わせずそのまま背を向けて再び歩きはじめた。まるで、たった今までアイリンと話していた事実などなかったかのように。

 アイリンが目に涙を浮かべていたかどうかエイジは直接確認したわけではないが、背中越しにも泣いているのが分かった。声も出さずに泣いていた。


(……さようなら)






 エイジは図書館を出てあてもなく町をトボトボ歩いていた。本当にこれで良かったのかとか、アイリンとの楽しい会話を回顧してどうしてもアイリンのことを考えてしまう。


(クソッ、俺は終わったことはくよくよ悩まないだろぉ!考えるな、忘れろ!)


 切り替えの早さがエイジの長所であるが、人と人との間に起きた問題に今まで見舞われたことがなかったのだ。

 自分自身の失敗なら同じことを繰り返さぬように決め込むだけでよい。たとえどんな失敗でもすぐに乗り越えられた。

 しかし今回ばかりはそうはいかなかった。どうしても頭に浮かぶ彼女の名前、彼女の笑顔、先ほど見せた泣くのを必死で堪えながら自分を説得する顔。


(どうすりゃいいんだよ)


「あ……」


 一人の少女と目が合った。美しくも気の強そうな少女だ。隣に連れの男がいた。どちらも知り合いだった。


(クソ、遭いたくないのに遭っちまったぜ……とにかく何も言わず通り過ぎよう)


「サルじゃん。こんなところで嫌なモノに遭っちゃた。ムード台無しだわ」

「……」


 無視して歩き続ける。


「そういやあんた、アイリンさんとあんたの関係に嫉妬した連中に襲われたらしいわね。レイグムのおかげで助かったそうだけど、残念だわ、あんたがボコボコにやられるところをみたかったのだけど」


 嫌な笑みを浮かべて挑発するように言い放った。


「それで?言われたとおり大人しくアイリンさんに近づくのを止めたんですってね。そんなこと言われたら冗談じゃないって怒って、絶対従わないのが普通だけど、あんたじゃしょうがないかぁ。なんたって無能だものね、魔法が一切使えない最弱の人間」


 止まることのないアイリンからの非難だったが、ついに足を止めて応答した。


「魔法が使えないからって弱いわけじゃない。俺は森で一番の魔物たちに勝ってきた」

「あんなの倒しても自慢にも何にもなりゃしないわ、魔法使いなら赤子の手を捻るようなもんよ。あんたが必死で死に掛けながら倒してきた魔物も私たちにとっては敵にすらならないわ。まあ、でもあんたみたいな弱い男は黙って諦めるのも仕方ないわよね」

「お、俺が弱いだとぉ?!」

「あら、違う?ならどうして黙って彼等の言うことに従うの?何故抵抗しないの?それはあなたがどうしようもなく救いようのないくらい弱いからよ」

「黙れよテメエエエエエエエエエエエエエエエエエエ」


 腰の短剣を引き抜き閃光のようにミスカにせまるエイジ。

しかし攻撃は届かず、エイジの前で爆発が起こり吹き飛ばされる。そしてそのまま空中で静止した。ミスカが魔法でエイジの体の自由を奪ったのだ。そしてエイジの頭上に人一人をすっぽり覆ってしまうくらい巨大な水の領域がプカプカ浮いておりそれが降下しエイジを飲み込んだ。


「ゴボボボッボオ」


 声ではなくエイジの口からは空気の塊が漏れ出した。

(息ができないッ!)


「おい、ミスカ、いい加減にしろ、死んでしまうぞ」


 数十秒続きようやくエイジは解放される。


「ハァハァ、ハァハァ」

「あんたが弱いってのは魔法が使えないことだけじゃないわ。理不尽な状況を抵抗もせず受け入れていることよ。強いものはそんな理不尽に絶対甘んじたりしない」



 そう言い残して二人は去っていった。

エイジは酸素を欲して荒く胸を上下させていたが、ミスカの言葉はしっかり耳に入ってきた。



 体の落ち着きを取り戻し再び歩き始めたエイジの足取りは重く、先ほどのミスカの最後のセリフが頭の中でリフレインしていた。



(――っ!?)


 こんなときに限ってまた最悪な相手と出会ってしまう。

例の覆面集団の二人がこちらに向かってきている。しかし幸い二人であった。


「おい、話しがある。ついて来い、逃げたら殺すからな」


 街中で戦闘になれば騒ぎになってしまう。だから極力目立たないよう二人でエイジを人気のない場所に誘導するつもりだろう。


(俺は弱くない。魔法をかける前に攻撃を加えれば勝機はある。こいつらを倒して俺が弱くないってことをあいつに証明してやるッ)


 頭の中で廻りつづけるミスカの台詞。どうしても消えない。そんな中覆面男たちが現れ、エイジはそれを、頭をすっきりさせる好機だと考えたのだ。

 完全に冷静さを欠いていた。ミスカの台詞を消し去りたいと考えるあまり、一度負けたことすら忘れていた。



 エイジの前後を挟むようにして歩き続け、さびれた広場に出ると、そこには予想通り同じようにローブを着て顔を隠した男たちが待機していた。


「ようやくッ危ないッ!」


 リーダーらしき男が言葉を紡ぐ前にエイジは行動を開始した。

 後ろにぴったりくっ付いていた男の腹に後ろ回し蹴りをぶち込んだ。悶絶する男、間髪入れずに前の男が振り返ったと同時に渾身の拳を顔面に叩き込んだ。しかし上手くいったのはそこまでだった。

 

 いきなり動けなくなる。


(クッ!つかまった!)


「おいおい、やってくれるじゃねえか、ああ!?」


 男たちは激昂していた。


「しかし、これで手も足もでまい、前回の続きといこうか、なにぃッ?!」

「お、れは弱く、ねええええええええええ、テメエらなんかに負けてたまるかあああアアアア」


 なんとエイジが魔法の呪縛を破ったのだ。再び暴れ牛のように近くにいた男に迫った。


 今回は剣を抜いていた。相手を死に至らしめる覚悟があったわけではない。勝つことしか考えられなかったのだ。

 そしてエイジが鉈を振り上げた瞬間エイジはまたしても体が石のように硬直し動けなくなる。二人でエイジに魔法をかけていたのだ。同じ魔法の重ねがけは更に強力な魔法になるのだ。


「よし今だ、全員アイツに魔法をぶち込めええええええええええッ」



 それから後は酷いものだった。彼等の攻撃がおさまり、後に残ったのは、血だらけの肉の塊であった。







 現在、月が煌々と最も輝く時間帯だ。エイジは攻撃を受けてからずっと動けずにいた。なんとか生きている。


(俺、まだ生きてるな。いつの間にか意識を失ってたみたいだ。体中痛くて動かせないけど、内臓は大丈夫みたいだ)


 状況の確認を始めるエイジ。今のエイジは非常に頭が冷めていた。動かせない体とは裏腹に、頭では様々な思考が駆け巡っていった。


(俺って、本当に弱いな。前回と同じように、魔法の前には手も足も出ないって分かってたはずなのに、同じことやって負けてるんだから救えねえ……。何の策もなく突っ込んでいくとか、ホント馬鹿すぎるぜ、俺ってこんなに頭悪かったっけ。いや、実際やってんだから、頭悪いな。ミスカの言うとおりだぜ。どうしようもないくらい俺は弱い。この世界では、魔法が使えない俺は最弱なんだよな。抗いようのない事実だ。ああ、なんかスッキリしたな。素直になったら、こんなに楽だったんだ。)


(アイリンにはすまないことをした。謝らないとな。ミスカにも)


 自分と向き合いようやく結論を出すことができたエイジはまた眠りに落ちていった。




 覆面集団に連れてこられた場所は本当に人気がなく倒れているエイジに誰も気がつかず、助けは当然来なかった。

 翌日の昼に目を覚まし痛む体を引きずりながら何とか自宅にたどり着いたエイジは、数日家から出ずに療養した。全身痣だらけで、数箇所で骨折もしていた。

 

 この町には地球の病院にあたる治癒院と呼ばれる施設が存在する。病院との違いは魔法を使って治療する点だ。

 エイジが魔法の前に手も足も出なかったことを考えると、魔法での治療は常識はずれな治癒力を想像した。

 実際に魔法は術師の力量にもよるが、腕の良い術師なら大怪我でも一日あれば完治させてしまうくらいだ。

 エイジもその存在を知ってはいたが、エイジが学院長から貰っているのは生活に困らない程度だ。

 治癒院で自分の満身創痍の状態にいくら掛かるか分からないのだ。エイジは学院長を頼ることにした。


 生徒には見られたくなかったので、授業中を狙ってこっそり学院長の元を訪れた。



「ずいぶん手酷くやられたようじゃな。相手は人間じゃな?」

「はい、その通りです。魔法で石礫や氷柱をぶつけられました……」


「その怪我は間違いなく魔法によるものじゃ。それと、学院で生徒がしてる噂も耳に入っておる」

「そうですか……ところで治癒院へいこうと思うのですが、俺の怪我を治すにはどのくらいの額がかかるのでしょうか?今の手持ちで足りるかどうか」

「見た目は酷いが、大した怪我ではないの、そのくらいならワシでも治せよう。どれ見せてみ」

「ありがとうございます」


 エイジは痛みに耐えながらも服を脱ぎパンツ一枚の姿となった。


「ふむ、すばらしいな」

「え?」

「いや、実に素晴らしい肉体じゃ。ここまで鍛え抜かれた体はあまり見られぬ」


 話しながら学院長はエイジに手を当て、呪文を唱え始めた。するとどうだろう、みるみるうちに傷がふさがり、痣もなくなっていくではないか。


「す、すごい……」


 奇跡のような光景に思わず感嘆の声を上げていた。


「まあ俺は魔法が使えませんから、肉体を鍛えるしかないんです」

「そのことじゃが、人には多かれ少なかれ誰であっても魔力が宿っておる。異世界人のお主も同様にな」

「ほんとですか?」

「うむ、地球出身であるワシの旧友も魔法を使っておったからのお主も問題ないじゃろう。もう少しじっとしておれ、表面の傷はある程度直せるが、骨は、ワシでは一度で完全に直すことができん。明日と明後日もここにくるがよい。それで治るじゃろう」

「本当にありがとうございます」


 エイジは感謝の気持ちでいっぱいだった。


「でも魔法ってホントすごいものですね。できないことなどなさそうな夢の力だ」


 エイジの全身痣だらけの体を綺麗に健康な状態まで回復させた魔法。これを奇跡の力と言わずなんといえばいいのか。しかし、自身の体を傷つけたのも魔法であれば、それを癒すのも魔法であることにエイジは皮肉を感じていた。


「お主は、魔法のない世界から来た人間じゃ。魔法を見せられたらとてつもなくすごい力だと思うじゃろうな。『魔法は万能ではない。しかし、限りなく万能に近いものである。つまり万能とういことだ』そう言った魔法使いがおった。その者は天才じゃった。今までの我々が考え付かぬような、考え付いたとしても実現するための呪文を組み立てることが到底不可能だと思われた魔法まで作ってしまいおった、偉大な魔法使いの言葉じゃ。じゃが、そのような魔法を使える魔法使いは一握りの天才しか居らぬ。殆どの人間は多少便利な力くらいにしか思っておらぬ。お主の傷を癒した魔法もこの世界の人間にとっては当たり前の能力よ」

「なるほど、魔法はできることの幅が限りなく広いということはわかりました。我々の科学と同じ、無限の可能性を秘めた分野なんですね」

「そういうことじゃ。して、お主はこれからどうするつもりじゃ。魔法を覚えるのか?」

「はい、魔法を覚えようと思います」

「お主を痛めつけた連中に復讐するためか?」

「いいえ、この世界で生きていくためですよ。俺は魔物と戦うのに魔法を使うことに否定的でした。俺はこの肉体のみでやっていこうと考えてたんです。地球ではそんなものないですからね。卑怯な気がしてたんです。そんな嘘みたいな力で勝ってもつまらないって。でも、ここで生活する以上人間と対立することも出てきます。そんなときに自分の意思を通せない者が強い魔物と戦いたいだなんておこがましいんです。ミスカに本当のことを指摘されて、あいつらにボコボコにやられて気がつきました。俺は自分が情けない。俺は本当に弱かった……」


 エイジは拳をぎゅっと握り締めて悔しさを表した。


「自分の弱さに気がづいたか。確かに魔法を使わず魔物を打ち破る、そんな芸当が出来るお主は強いのじゃろう。しかし、それは地球での話しじゃ。ここはジーオン。魔物が支配する世界なのじゃ。人々はそれに対抗するため魔法を使う。お主が負けた魔法を使う男たちよりもずっと強い魔物に対抗するためにな。魔法はこの世界の人々にとっては借り物の力とは違う、紛れもなく人間の力なのじゃ。お主も魔法を覚えるうちに自分自身の力として認められる時がすぐにでもくるじゃろう。自分の弱さを認めることは皆ができることではない。それができたお主はこれからどんどん強くなる」


 さすがに年の功とも言うべきだろう。学院長は穏やかにエイジを諭した。


「強くなりますよ。でも自分なりの強さを追求していきます。俺は魔法だけが力だとは思いませんから」

「ふぉっふぉっふぉ、楽しみじゃな」


 タロスは旧友が送った少年の成長が楽しみだった。この世界とは違う感性の持ち主がどのように成長していくのか気になったのだ。


「どんな魔法を覚えるかじゃが、魔法というのはな、種類にもよるが、自分のものにするのに、かなり長い期間を要するものなのじゃ。幼い頃から魔法に触れてきたものならともかく、お主は苦労するじゃろうな。お主と同年代の子供で二、三十種類の魔法を覚えているのが一般的じゃ。そして、覚えたからと言っても皆が同じように扱えるわけではなく技量によって威力も変わってくる。皆が皆同じ質の魔法を使えるわけではないのじゃ。この辺は以前にも話したが復習のためにもう一度最初からおさらいじゃ」


 エイジがジーオンの言葉を覚えるにあたって学院長とは様々な話しをした。魔法についてもどのようなものか簡単に教えてもらっていたのだ。


「まず、お主は〈魔法耐性〉を上げるのじゃ」


 〈魔法耐性〉とは、その言葉の通り魔法に対する抵抗力のことだ。魔法には氷柱を作り出して投げつける外面的なものと、相手に直接作用させる内面的なものがある。

呪いや、エイジを動けなくさせた魔法などがそうだ。

 内面的な魔法は、相手に認識されないようにするしか回避する術はない。


 そして、魔法使いにはその領域内では相手の魔法の影響を一切受け付けない〈不可侵領域〉というものが存在する。体の中心から放射状に広がる領域で、魔法耐性が高ければ高いほど大きくなる。しかしながら、その領域は完全に固定ではなく、相手の強力な攻撃を受ければ破られてしまうし、自分の体調によっても大きくなったり小さくなったりするのだ。


「〈不可侵領域〉を拡げるには実際に魔法を受けてその感覚を覚えるしかない。ジーオンの人間は当たり前のように魔力を感じることができる。お主にはその感覚が掴めておらなんだから、相手の制御魔法に簡単に縛られる結果となったのじゃ。殆ど居らぬが達人と呼ばれる者たちは魔法が発現される前に魔力の集束を察知することも可能じゃ。そんな化け物じみた事が可能となるには何年、数十年とかかる。魔法というのは非常に習得が難しいもので、まさに努力の積み重ねなわけじゃ」

「なるほど、よくわかりました、それができるようになることは魔法使いと戦う必須条件だったわけだ。俺には彼等と戦う資格すらなかったのか……。今なら、俺のことを無能だって蔑んでた人たちの気がわかる気がします」


 エイジはそういって苦笑する。


「お主はこの世界を知らなすぎたのじゃ。魔法が力の象徴であるこの世界を。とにかく訓練じゃ。いくぞ!」

「はい!」


 こうしてエイジは魔法を学ぶことを受け入れ、魔法に対抗するための特訓が始まった。






 数日の猛特訓の成果もあり、何とか魔法の感覚をつかめるようになってきたエイジ。何度も呪いをかけられ、魔法に囚われる感覚を体に覚えこませたのだ。


「よし、何とか弱い呪いなら、効かないようになってきたな。自分の体だけは〈不可侵領域〉を固守することができるようになったようじゃ。これで一応は最小限の〈魔法耐性〉はついたといえる。後は〈不可侵領域〉を広げる訓練じゃが、これは毎日修練し自分で鍛えなさい。感覚のつかめた今なら自分でも領域の拡大の仕方はなんとなく分かるじゃろう」

「ありがとうございます! 日々の鍛錬を怠らないよう頑張ります」

「うむ。さて、次はいよいよ、魔法を覚えるのじゃが、何か覚えたい魔法はあるかの?」

「いえ、魔法に関してはどんな魔法を覚えるべきなのか全然わかりません」

「まあそうじゃろうな。お主には打って付けの魔法が一つある。それはお主が何度も苦い思いをさせられた〈制御〉の魔法じゃ」


 〈制御〉魔法というのは対象を意のままに操る魔法。

 その対象は自分を含めたありとあらゆる質量を持つ物質である。

 物を移動させることが主な用途であるが、魔力の込め具合によっては投擲に用いたり、自分自身の体にかけることで、高速移動を可能とするのだ。


 自分自身にかける制御を〈自己制御〉といい、〈制御〉の応用魔法である。術式は全く同じであるが、自分自身にかける場合は客観的な視点で自分を見なければならないので難易度は高い。


「〈制御〉魔法は魔法使いにとって基本中の基本じゃ。誰もがこの魔法から始める。しかし、この魔法は魔法使いにとって一生付き合っていくことになる魔法でな、魔法で作り出した氷柱や火の弾を飛ばすために用いたり、重い荷物を運んだり、自分の体にかけ機動性を高めたり、熟練者になれば空を飛んで移動することも可能じゃ。そのくらい魔法使いにとって身近なものなのじゃ」

「なるほど、確かに俺には打って付けだ。俺は常日頃から機動力を重視してきましたからね、そのために〈制御〉を薦めたんでしょ?」

「そうじゃ、お主のその鍛え上げられた肉体は〈制御〉と大変相性がよい。魔法なしで魔物たちを葬ってきたお主が〈自己制御〉を覚えたら、どうなるか……。ワシはとても楽しみじゃわい。しかし、まずは物を動かすことをマスターせんことには始まらんぞ。〈自己制御〉を巧く扱えるようになるには、1年はかかるじゃろう。まあ地道に頑張るのじゃ」

「1年か。そのくらい掛かるなら焦りようがないですね、自分のペースでやりますよ」

「うむ。ここに〈制御〉について書かれた魔導書がある。魔法とは、その呪文を脳で理解すれば発動できる。始めは呪文を詠唱しなければ、理解はできんじゃろうが、何度も繰り返すことによって脳に回路が生み出され一瞬での発動が可能となるのじゃ。それを無詠唱魔法と言う。あたりまえじゃが〈制御〉は無詠唱で使うのが基本じゃ。いちいち戦闘中に詠唱などしておったら、敵の的じゃからのう」

「確かに俺が戦った魔法使いで詠唱してるヤツは多分いなかったように思います。詠唱の隙は攻撃の絶好の機会ですもんね」

「その通りじゃ、〈制御〉に限らず戦闘において、詠唱はさけたほうが、無難なのじゃ。だから皆、戦闘で使う魔法や日常魔法は無詠唱を習得しておる」

「この魔導書で、とりあえず物を動かすことをマスターするのじゃ。何か分からないことがあれば、ワシに聞きにきなさい」

「はい、ありがとうございます」


 エイジは魔導書片手に自宅へ帰った。



 魔法というものは外国語を覚えるようなものだ。メイラサで話されているグル語とは少し文法が違うのだが、単語はあまり違いがない。現時点では英文を翻訳するような感じの作業をしているが、いずれはそのまま構造を理解できるようにならなければ魔法は発動しない。読み上げるのではなく、脳に理解させるのが、魔法なのだ。

 エイジはひたすら理解に勤めながら魔法の発動を試みた。

 一向に動こうとしないコップを見つめながら、ただ只管呪文を唱え続けた。





 エイジは、覆面の男たちに襲われ大怪我をしてから、極力人と会うことを避けていた。学院へは院長に会うために通ってはいたが、授業中を狙って生徒に会わないようにした。学院には、アイリンを一方的に慕いエイジを襲った覆面男たちもいるだろう。それに今アイリンに会うことはどうしてもできなかった。冷たく突き放し傷つけてしまった自分がどの面下げて会えばいいのかと思うと勇気が出せなかった。

 図書館には通っていたが、生徒がいつ調べ物にくるか分からなかったので、必要な魔法書や魔導書を借りられるだけ借りて自室で読みふけった。そんな生活をしながら二週間あまりの時がすぎた。




「さて、いくか」


(もう俺は大丈夫だ。遅くなったけどアイリンに謝りたい。酷いことをしたんだ、何を言われても文句は言えない。とにかく謝ることが大切なんだ)

 覚悟はできた。許されることならもう一度友達になりたい。

 心を決めたエイジはアイリンに会うため、学院の校門で待つことにした。



 終業の鐘がなり授業を終えた生徒が校門からぞろぞろと出てくる。しばらく出て行く生徒を見ていたが、その中にアイリンはいなかった。


(確かアイリンといつも会うのは図書館だったな。今日も図書館かな)


 そう思ってエイジは図書館へと足を運ぼうとしたのだが。


「おい、貴様。懲りずにまたこんなとこに顔出しやがったのか」


 一人の男の怒気を孕んだ声が聞こえた。声の主に目を向けると短く刈り上げられた金髪の男がこちらを見ていた。

 男は恰幅がよく、いかにも、アメリカのドラマに出てきそうなアメフト部の苛めっ子の風貌をしている。男の台詞の内容から察するに覆面集団のうちの一人だろう。


(予想以上に登場が早いな。でも、先にこっちを解決したほうが、気が楽かもしれない)


「はてさて、あなたは一体どなたでしょうか?初対面のはずですが」

「少し前に貴様をボコボコにしただろう」

「ああ、あの時の方ですか、もう顔を隠すのは止めたんですか?今までは堂々とものも言えない臆病者だったのに、感心しました」


 子供によくできました。と褒めるように手を叩いてみせた。


「貴様馬鹿にしてるのか!」

「よく分かりましたね、褒めてさしあげますよ」

「ふん、口だけは達者なようだな、何の魔法も使えない無能者が、調子に乗りやがって。貴様はどうやら頭にまで欠陥を抱えているらしい。普通に考えれば、そんな口を叩いて無事で済むはずがないと分かりそうなもんだが」

「確かに俺はあんたらに負けた。でも、もうお前たちに屈しないと決めた。俺は自分の意思を貫き通す! また襲いたければ、いつでも来いよ。もうコソコソ隠れるのは止めだ」

「随分度胸あるじゃねぇか、そこまで言うなら明日の三時、この間、お前を痛めつけた広場まで来い。思い出の場所だろ?」


 にやけた表情でエイジを見つめた。


「いいぜ、望むところだ」


 エイジの意思を貫く時がきた。エイジは当初の目的であるアイリンに会わずに自室へ帰ることにした。戦術を練らなくてはいけない。




 翌日広場に到着すると人が大勢いた。あの金髪男たちがギャラリーを呼んだらしい。

 その中に、ミスカ、レイグム、サーモイ、スージの四人もいた。決闘があるという噂を聞いた彼等は、行き過ぎないように見張っていたのだった。 生徒間の小競り合いも彼等が仲裁することになっている。エイジは、学院の生徒ではないが。

 そして、今回は誰一人として覆面を被ってるものはいなかった。



「それでここで何をするつもりなんだ?」


 平静を装いリーダーと思しき金髪男に尋ねた。

 エイジは内心では不安に押しつぶされまいと必死だった。二度も負けている相手にどうしても恐怖が拭い去れない。


「決闘だ。俺が勝てば二度とアイリンさんに近づくことも話しかけることもしないと約束してもらう。お前が勝てばアイリンさんと会話しようが、交際を申し込もうが、好きにすればいい」


 ジーオンでも無闇に魔法を使って人に怪我をさせることは犯罪である。小競り合い程度なら日常茶飯事であるが、金髪男たちは集団でエイジを襲ったのだ。流石にそこまでしたら町の衛兵も放ってはおかない。だから、顔を隠し人気のない場所でエイジを襲ったのだ。しかし決闘であるなら本人同士の了承があれば犯罪にはならない。



「それって、俺には何のメリットもねえじゃん……。まあ、五月蝿いハエを黙らせられると思えばいいか。いいぜ、その決闘受けてやるよ」


 そう、ただの金髪男たちの言いがかりなのである。アイリンがエイジと会うことを嫌がっていたわけでもなく、彼らはアイリンの保護者でも騎士でも何でもない。彼等が一方的に言いがかりをつけて、エイジとアイリンの接触を禁じたにすぎない。その問題を白黒はっきりさせるための決闘なのだ。エイジにしてみれば迷惑この上なかった。


「ルールは、どちらか死ぬか、『参った』というまでだ。早めに降参しないと死んでしまうぞ」


 うすら笑いを浮かべながら、男が言う。


「分かった、いくぞ!」


 いきなり戦闘が始まった。エイジは短剣を抜いておらず素手だ。

 エイジは右から後ろに回り込もうと駆け出した。

 金髪男が杖を振る。しかし何も起こらなかった。


「なにぃ?! 〈制御〉が効かないだとぉ! チッ、〈不可侵領域〉を作りやがったのか」


 それでも男はすぐに気持ちを切り替え石礫を放ってきた。石礫は、消費する魔力量も少なく簡単に作り出せるので攻撃手段としては大変ポピュラーなものだ。その辺に落ちているなら作り出す必要もなく、〈制御〉で投げつけるだけでいい。更に油を精製して炎を纏わせることもでき応用の利く魔法である。

 金髪男が作り出した石礫の数は4つ。〈制御〉の魔法は操る対象の数が多ければ多いほど制御が難しくなる。大して大きくない石の塊とはいえ四つ同時に操るにはかなりの技量が必要になるのだ。

 操られた四つの礫も驚くほど安定していた。

 この男は〈制御〉に関してはなかなかの使い手といえる。


 四方から囲むようにエイジに迫る石の礫。その軌道を予測し体を捻るようにしてかわし、金髪男にせまる。


「なんだとおぉぉ!」


驚愕に目を見開いていた。エイジと金髪との距離は二メートル程。



(よし、もう少しで間合いに入る。目にもの見せてやらああああッ!)

 

 後一メートル。ほぼ間合いに入ろうかというとき一瞬エイジの動きが停止した。

 そして最悪のタイミングで魔法が発動される。

 〈発火〉魔法だ。


 相手にダメージを与えるくらいまで氷塊や石礫を加速させるにはある程度の距離が必要なのだ。その点発火魔法なら一瞬で発動でき、ダメージを与えられる。


 しかし炎というものは熱量にもよるが、一瞬くぐるくらいでは大したダメージにはならない。継続させて熱する必要があるのだ。


 何とかバック転して炎から遠ざかるエイジ。

 少し火傷を負ってしまったが、戦闘には支障ない。

(接近したら、あの炎に焼かれるわけだな。それにしても、俺はまだ〈不可侵領域〉を確固なものにできていないのか。未だに〈制御〉の魔法に縛られるとは)


 一瞬ではあったが、炎を喰らう直前、相手の魔法に囚われてしまったのだ。

 



 再び、電光石火で相手の目前にせまるエイジ。金髪男はまた驚愕していたが、同時に魔法で、エイジのいる空間を発火させた。

 しかし、身を伏せて足払いをかける踊るような一連の動作で空気を纏ったエイジに炎は効かず、金髪男はすっ転んだ。

「ぐわああ」

 男が突然の転倒に喘いだ。

 絶好の機会を逃すまいとエイジは拳を振り下ろした。


 が。相手の腹を捉える瞬間、またしてもエイジは静止させられた。

 その隙に氷柱が生成されエイジを背後から襲う。避けられすにエイジの体に衝撃が走った。


「グッ……」


 幸い距離が近かったため、大きなダメージは得なかった。

 そして、またしてもすぐに制御が解かれた。


(クソ、最後の最後でいつも縛られる。というかなんか違和感を感じるぜ)


 制御で縛られるのは二回とも一瞬なのだ。制御をかけて支配下においたなら、そのまま、攻撃を加えればいい。


(俺の体を縛るための〈制御〉と、他の攻撃魔法は同時には使えないのか? アイツにはその技量がないのか?いやもう一つ考えられることがある)


(よし、確かめてやる)

 

 エイジは〈不可侵領域〉の固守につとめた。絶対に相手に縛られまいとする強い意志がその領域を強固なものとするのだ。

 敵の氷柱が飛んでくるのを剣で払い、接近し攻撃を加える。フリをした。

 エイジは眼前の敵を見るのではなく、ギャラリーの中にいる金髪男の仲間らしき男たちの挙動を観察する。魔法で加勢しているものを確認するためだ。

 同時に支配領域を固守することも忘れない。


(やはりな)


 ギャラリーの二人の顔が驚愕に染まった。エイジは自分の身に迫り来る魔力を気力で弾いた。エイジの読みどおり魔法で金髪男を支援していたのだ。ばれないようにローブで杖を隠して内側から魔法を発動させていたのだろう。それもここぞというときに、一瞬という短い時間のみ発動させることで更に発覚しずらくしていたのだ。


(あいつらの表情が全てを物語ってやがる。物証はないが心証では確実だ。元々俺を集団で襲ってくるような奴等だから驚きはしなが、相手の底は知れたな。一気に終わらせる)


 肉薄していた両者であるが、金髪男の目の前にいたエイジが突然姿を消した。金髪男には何が起こったのかまるで理解できなかっただろう。〈自己制御〉魔法をかけたエイジは目にも留まらぬ速さで後ろに回りこみそのまま回り蹴りを放つと、まるで車に衝突されたかのようにぶっ飛んでいった。そのまま微動だにしない。

確認するまでもなく勝敗は決した。


「「「うおおおおおおおおおおおおお」」」

「きゃあああ」

「あいつ勝っちまいやがった」


 予想外の展開にギャラリーが沸いた。


「誰だ? あいつが、全く魔法使えないって言った奴は?あの動きどうみても〈自己制御〉使ってただろ。しかも、最後の動きは熟練された魔法使いの動きだった……学院にあれほどの動きできるやつは殆どいないぞ……」


 ギャラリーの一人が思わず声を上げる。


 エイジは寝食以外の時間、〈制御〉を唱え続け自分のものにしたのだ。このような短期間でエイジが〈制御〉をものに出来た理由、それは制御の魔法がエイジと素晴らしく相性が良かったからだ。他の魔法ではこのように二週間たらずで扱えるようになるなど到底不可能なのである。それにエイジが努力の天才であることも大きな一因であった。


 そしてエイジが魔法を使ったのは最後の一瞬だけだ。それ以外は全て自分の肉体を駆使して攻撃を避けていた。魔力は魔法を使えば減るのは当然。魔法を使わずして避けられるなら、わざわざ使うより、魔力を温存したほうがいいとエイジは考えた。そして、あまりの身のこなしに、ギャラリーは勘違いしたのだ。



「確かに、攻撃魔法は使ってなかったけど、マルボーの攻撃は殆ど当たってなかったよね。〈自己制御〉の使い方もすごかった」


「なんか、かっこいいかも……」

「そうだね……元々顔は悪くないんだし」


 ギャラリーが口々にエイジの戦いに対する感想の声を上げていた。




 エイジは、金髪男をかなり本気で殴った。あの金髪男はしばらく起き上がれないだろう。エイジは金髪男の仲間と思しき男たちに近寄っていった。


「俺の勝ちでいいよな」

「あ、ああ……」

「お前たちの魔法はもう効かねぇぞ。さっき外野のお前等が俺に魔法かけたことは不問にしてやる。もう俺に関わるな、いいな? あそこで伸びてる金髪にも言っとけ」


 凄みのある声で彼等に言う。


「はい……」


 返事をした後で、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。





 危険な状態になったら止めるためにこっそり待機していた生徒会役員たち。ミスカが来ていることに気づいていたエイジは彼女の元まで向かって行き言う。


「ミスカ、いや、ミスカさん、この間はいきなり切りかかって本当に申し訳ありませんでした」


 エイジは深々と頭を下げた。


「何の真似?いきなり礼儀正しくしちゃって」


 ミスカは胡散臭そうなものを見る目をしながらエイジに問う。


「ミスカさん。あのときの俺は自分の弱さを認められずあなたが正しいにも関わらず暴力に訴えることしか出来なかった。でも、それは間違いでした。だから、あなたに謝らせてください。すみませんでした」


 もう一度先ほどよりも深く頭をさげる。


「別にそんなのいいわよ。言葉だけの謝罪なんて余計イライラするだけ。あんたがただ満足したいだけでしょ。それにあんたに切りかかられたことなんて私にとっては虫に纏わりつかれるように些細なことなの。やろうと思えばいつでも潰せるくらいにね」

「確かに俺は許されたい……そうかも知れません。でも本心から、あなたに俺が悪かったと、伝えたいって気持ちも本当なんです……」


 しばらくエイジを無言で見つめていたミスカだが、ようやく溜息とともに言葉を発した。


「ハァ、もういいわ許してあげる。これで満足?」

「有難う御座います。それともう一つ」

「まだ、何かあるの?」

「あなたのお陰で自分の弱さに気づきました。そしてあなたは絶対退いてはいけない時があるってことに気づかせてくれた。本当にありがとうございました」

「別に私は、あんたがあまりにも鼻につくからムカついて言っただけなの。勝手に感謝しないでくれる。気持ち悪い」

「あなたが何の意味もなく罵詈雑言を浴びせたかっただけでも、俺は救われたんです。それは事実です」

「もう、分かったわよ! 話しが終わったなら帰るわ。じゃあね」


 そそくさと行ってしまうミスカだが、振り返って――

「気持ちわるいから敬語は止めなさい。前と同じでいいわよ」

「いえ、これは俺のけじめです。色々と思うところはあるけど、あなたには敬語を使いたいんです」

「勝手にしなさい」


 そう言い放つとミスカはもう興味がないという様子で、彼女を先頭に生徒会役員たちは広場を後にした。去っていく彼女らを見送りながら呟く。


「次はアイリンのところだな……」


 覚悟はとっくに出来ている。もし拒絶されたとしても一言自分の気持ちを伝えることが大切なんだ。なんだか愛の告白みたいだなと、そんなことを思いながらエイジはアイリンの元へ向かう。図書館にいるだろうか。


(そういえば彼女と会うのはいつも図書館だったな)


 エイジは初めて彼女と会ったときのことを思い出す。

図書館で勉強していると遠巻きに陰口を叩かれることはあっても、友好的に近づいてきた者はいなかった。

 しかし、彼女は違った。その頃エイジはジーオンの言葉を覚えたてで、それを使いたくても使う機会がなかったのだが、彼女はエイジに町の人々と話すような調子で話しかけてきてくれた。それがうれしくて、言葉を交わすことが楽しくて、ついつい色んなことを話してしまった気がする。


(最初から彼女には壁がなかったんだよな。異邦人で、魔法も使えない俺にも普通に接してくれた。それなのに、俺は折角出来た縁を自分で断つような馬鹿な真似をして彼女を傷つけて、泣かせて最低だ。早く謝りたい)


 図書館に向かいながら、今まで何度も繰り返した思考が再び頭の中を廻っていた。

誤字脱字、整合性の合わない点などありましたら指摘お願いします。


魔法使いに負けまくりのエイジがようやく魔法を使い始めました。

それと基本的な世界観の説明が終わったので、ほっとしました。


それと、お気に入りに入れてくださった方ありがとうございました。

やはり励みになります

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