原始生活と出会い
エイジは現在、高い木の枝の上で息を潜めてじっと待っている。
その下では巨大な犬のような獣が獲物をさがしているのであろう、ゆっくりと周囲に眼光を巡らせながらノソノソ歩いていた。
姿形は犬に似ているがデカイ。明らかに犬と呼べるような可愛いものではなかった。狼とも比較にならないほどの大きさだ。虎くらいの大きさはある。
茶色い体毛に覆われており、爪は猫科の獣と違い鋭くはないが、無骨な牙が大きく鋭い。その大きな顎は人の腕など骨ごと容易く噛み切ってしまうだろう。
獣がエイジの真下近くを通りかかったのを見計らい、両手に得物持ったエイジは獣に向かって牙をむいた。
本来ならあの大きな獣と出遭ってしまったら、やり過ごすのが普通だ。普通の人間が適う相手ではない。しかしエイジにとっては獲物でしかなかった。
木の枝から音も無く飛び降りたエイジは、頭から落下し、左手の刃を獣の首に突き刺してやる。
よし、初撃は狙い通り。肉を貫く感触に満足の行く手応えを覚え心でそう思う。エイジは獰猛で信じられない大きさの犬を相手にしているにも関わらず表情一つ変えず落ち着いていた。まるでルーチンワーク。何度も実践し、繰り返し、体に染み付いた感覚。熟練者そのものだった。
メリメリと筋肉を裂きながら侵入していく感覚。それがエイジの腕にも手に取るように分かった。不意打ちは致命傷を与えやすい。獣は、まず一体何事かと驚きその数瞬後にあまりの痛みに手の付けられないくらいに暴れまわる。
背中に着地したエイジは振り落とされないよう深く食い込ませた刃を強く握りバランスを整え、右の刃を横から突き立てた。
もがき暴れる獣に、エイジはナイフを抜いて地面に着地し、距離を取る。あのままではそのうち、絶命するだろう。
そう予測したエイジは暴れまわる獣に止めをさすことはせず、おとなしくなるのを待つことにする。
(――!!?)
咄嗟に転がってよける。
エイジに向かって濃緑の影が迫ったのだ。
目の前には、エイジの攻撃を受けて暴れまわる獣よりさらに一回り大きい恐竜のような怪物がこちらを睨んでいる。トカゲのような頭をしているが、それとは違い二本足で立っており、かなり立体的だ。
(こいつかッ! こんなときに出やがって! 俺の獲物を横取りするつもりか。いやこいつは俺も餌にする気だろうな)
この怪物とは以前何度か戦っているが、勝率は低い。
一撃でも食らえば即死、掠っただけでも大怪我をする。食らったことはないが、障害物をなぎ払う様子を見ていれば、自分の身にあの爪が与える影響がどんなものであるかは想像に難くない。
さらに頭が高い位置にあるため、上からの不意打ちしか有効な攻撃手段はない。ナイフの刀身では、堅そうな皮膚を貫き臓器にダメージを与えることなど不可能に近い。
そうなれば、ナイフが有効で致命傷を与えられる箇所はやはり眼球か首しかないのだ。
撤退しかないか……。いや、いける! エイジはどうしてかそう理解した。それは漠然とした思い込みとは違う。多くの獣と戦い培った経験から、今では自分よりも弱い敵というのを本能で理解するようになったのだ。
エイジは猛スピードで駆け出し、怪物の懐に飛び込んだ。
鋭い鍵爪がエイジの体を捉えたかに見えた瞬間、限界まで身を低くしながら更に進み、そのまま鉈を一閃させ怪物の後ろ足を切断した。
吹き出す血飛沫。怪物の血は赤かった。
片足を失くし耳が痛くなるほどの咆哮を上げる怪物は、そのままバランスを崩して倒れる。
エイジが使った鉈は恐ろしくよく切れる。サバイバルナイフはステンレス製で手入れが簡単だが、鉈のほうは鉄製で小まめに手入れしなければならず、砥石の消耗を避けるため、多用せず、ここぞというときにか使わないのだ。
怪物は未だ、痛みに苦しんでおり、近づくことができないが、片足での移動はできないだろう。数時間で息絶えるはずだ。犬に似た獣のほうは既にピクリとも動かない。
一歩間違えれば即死。リスキーな行動だったが終わってみれば意外と楽に倒せたと思う。今日の飯は、犬のつもりが、大物が手に入ったものだ。このトカゲの肉はササミみたいで中々美味なのである。
強敵を仕留め、今晩の夕食の材料を手に入れたエイジの表情はとても満足げだった。
エイジがこの土地に突然現れてから既に半年が経過していた。
この世界はどうやら地球ではないらしい。その根拠としてまず、月がひとつではなかった。更にエイジがこの世界に来て半年のうちに何度か、夜が数日明けない日があったのだ。
太陽を廻る惑星とこの星と特殊な位置関係で蝕が起きる頻度がかなり高いのだろう。加えてその時間が長い。
一日の時間は地球とあまり違いがないように思えるが、正確な時間はエイジには分からなかった。
時計もあの老人と出会った森に置いてきたリュックの中だ。
エイジは城の遺跡を離れられずにいた。どういうわけか城には獣が立ち入らなかったので、そこを拠点にしたのだ。
森を探検して、日が暮れるまでには遺跡に戻るということを繰り返して森の全様を把握するのに努めた。
雨風をしのげる場所は遺跡には無かったので、森から木を調達し、簡単な小屋を建てた。
しかしその出来栄えは素人が立てたとは思えぬほど精密であった。
釘などという近代的なものは当然無かったので、凸凹を組み合わせて頑丈に組み立てた。
食料は木の実類のほか、森で狩れる獣の肉を食した。
狩った獣はすぐに血抜きをするが、その血も捨てずに取っておく。この森には塩を入手する方法がないのだ。焼いた肉とは別に、血をそのまま飲むことで足りない栄養を摂取した。
エイジはここにきて初めて、自分の力を試す為ではなく、腹を満たすという目的のために、獣を狩ることになった。何度も何度もそのために狩りをする。何度も何度も死にそうにもなった。
しかし、食料を調達するためにする狩りというものが日常化してしまう頃には、この森に一対一の戦闘において、エイジの敵はいなくなった。複数を相手にすれば死が待っているだろう。しかし一対一なら絶対に負けない。そう言えるくらいにはエイジはこの異世界の森での生活に慣れきっていた。
◆◆◆
「……はぁ。全く、あの爺ときたらホントに面倒な仕事ばかりワタシにやらせるんだから」
ミスカは心底うんざりしていた。
ミスカは今、グル城跡へ向かう森の中を学院の仲間と共に進んでいた。
王立リムロア学院の長である彼女の祖父から、ここ最近森で起きている異変の調査を任されたのだ。
話によれば、ここ最近、この森で食物連鎖の上位を占める魔物の死体がごろごろ発見されているという。
森の強者がことごとく敗れる、つまり更に上位の存在が現れたことになる。
このグル城跡周辺の森の魔物は、見習いの魔法使いにとっては大変危険な存在である。しかし一人前の魔法使いにとってはそれほど脅威ではない。
その程よい強さの魔物は学院側にとっては大変都合の良い訓練相手であり、森は訓練場所になるため、学生の試験に用いられているのだ。
しかし、その森の適正レベルを上回る何かが潜む危険な場所に生徒たちを向かわせるわけにはいかない。
そして、その何かの正体を突き止め森の安全を確保するために彼女らは派遣されたのだ。
王立リムロア学院の生徒会のメンバーは学業成績は勿論のこと他の生徒の中でも圧倒的な強さを持つものが選ばれる。
だからこそ、このような危険な仕事を任されるほど、教員たちにはその腕も信頼されている。
「仕方ないだろ。俺たちは生徒会役員なんだから。それに、生徒たちの身の安全がかかってるんだ。俺たちは彼らの上に立つ者としての責任がある」
レイグムは、不貞腐れるミスカに言い聞かせるようにそう言った。
「レイグムはお爺様の味方ばかりね! 婚約者である私の味方をしなさいよ!!」
「学院長のいうことは正しい。俺は正しい者の味方なんだ。君のことは愛しているが、それとこれとはまた別の話だよ」
「痴話喧嘩はそのくらいにしてくれよ。本人たちはいいかも知れないがな、いちゃついているところを見せ付けられるのはあまりいい気分がしないんだ」
後方の少年一人の言葉が前のミスカをさらに怒らせて結局城跡につくまで言い合いは収まらなかった。
道中敵に何度か遭遇したが、ミスカを中心に小さな虫を払うように蹴散らした。
「さて、そろそろグル城跡だ。森ではそれらしい魔物は見当たらなかった。城跡についたら、二組に分かれて探索を行う。日が暮れるより少し前に再び遺跡で落ち合う。俺とスージ。ミスカとサーモイでいいだろう」
「おやおやぁ、その組み分けでいいのか? 愛しのミスカちゅわわわんと一緒じゃなくて?」
先ほども二人をからかったサーモイが、さっきよりもからかいの語調を強めていった。
その言葉についにミスカも耐え切れなくなった。
「サーモイッ! あなたいい加減にしなさいよ! いつもいつも私たちに突っかかって。一度痛い目に合わないとわからないみたいねッ!」
そう言い放つと、ミスカのすこし前方にピンポン玉くらいの赤い熱源が現れ、みるみるうちに巨大化し燃え滾る炎の玉が完成した。
「アツッ! ミスカ止めろ!! 俺たちまで巻き込む気か?!」
スージがかなり焦りながらも保護呪文をかけて身を護った。
「ミスカ、落ち着いて。山火事になったら、責任問題だぞ。そういうのはちゃんとした段階を踏まえて正式な決闘として白黒つけるべきだ」
レイグムも焦っていたが、火球が膨らみきる前には、既に強力な保護呪文で体勢を整えていた。
「ちょ、熱い熱い!! 冗談だよ、冗談だって。ちょっとからかっただけじゃないか。それにお前らがラブラブしいのはいつものことじゃんか。幼馴染で、婚約者で、いつもなんだかんだいいながら、一緒にいるんだし!
とにかく、俺が悪かったよ! すみませんでしたあああ!」
ミスカが作り上げた火球は近くにいるだけでも相当な熱の影響を受ける。魔法で保護しても、火球を向けられ一番近くにいるサーモイは汗がびっしょりで少し火傷も負っている。
その様子を見て、ようやくミスカは魔法を収めた。
「ふん、わかればいいのよ。次私を怒らせたら本当に焼くわよ。弱いんだから、最初からおとなしくしてなさい」
「はあ……。助かった」
「ミスカ、いくらなんでもやりすぎだぞ。あんな大魔法当たったら普通に死んでいた」
「脅しに決まってるじゃない。それにあんなの軽く魔力を込めただけよ」
レイグムの説教に何処ふく風でミスカは流した。
もう既に、ミスカに何か言うことはみんな諦めている。
怒らせないようにしようと男たちは決意した。
「ミスカと俺を分けたのは、戦力のバランスを考えてだよ。学年最強のミスカは言うまでもないし、俺も学院では最上位であると自負している。
強い者を固めるより、分けたほうが賢い選択であることはお前も理解できるな?」
「そんなこと言われなくても最初から解ってるよ。ただからかいたかっただけだ」
「それは理解できて、私をからかうとどうなるかは理解できてなかったようね。結局馬鹿ってことでしょ」
サーモイがまた素直に本音を言ってしまったものだから、ミスカの反撃を受けてしまった。
馬鹿と言われたサーモイは、ミスカを睨み付けようとミスカを一瞥するが、それよりも鋭いミスカの睨みに負けて、すぐに視線を逸らした。
「……組み分けは、俺とサーモイ。ミスカとスージでいく……」
色々あったが、グル城跡にたどり着いた一行は、よりいっそう警戒を強め足を踏み入れた。
「なんか、生活感があるな」
スージが誰に言ったわけでもなく呟いた。
エイジが立てた小屋が遠くに見えたのだ
それに干し肉なんかも作られていた。
「人が住んでるのか?こんな場所に?」
サーモイがそれに答える。
「もし人間なら、こんな場所に住む理由は犯罪者などの人目にふれることを望まないような輩だろうな。みんな気をつけろよ。
時に人間は魔物よりよっぽど危険な存在となりうるからな」
◆◆◆
なにかの気配を感じ取ったエイジは廃墟と化した城の壁に隠れた。
(ここには、獣が入ってこないはずだけど、一体どうしたってんだ?)
今までこんなことは無かった。しかし、ありえないことではない。物理的な障壁があるわけではないのだ。侵入しようと思えば簡単にできる。むしろ、今まで入ってこないほうが不自然だったのだ。
エイジはすぐに頭を切り替え、戦闘態勢に移行した。
敵はどうやら複数らしい。なにやら、会話のようなものが聞こえるが、 エイジに意味は理解できず、雑音にしか聞こえなかった。
(言葉を話す獣がいるのか。いや、この感じ、人間かッ!)
答えはひとまず保留だ。姿を確認するまで油断できない。
そう考え、気配を殺し移動した。後方に回り込んで姿を確認しようと考えたのだ。
そして、やはりエイジの予想通りで人間だった。女の子一人と、男三人。全員が地球のコーカソイドの人種そっくりだった。
女の子の容姿は遠目からでも分かるくらい目を見張るほど可憐であった。キッとした表情をしており、髪は腰の少し上くらいの長さで色は少しくすんだブロンドであった。
スタイルは体全体を覆うローブを身にまとっていたので解らなかった。
そして、男子も女子と同じようなローブを着ていた。
これらから判断するに、やはり中世の西欧圏の国っぽさをかもし出しており、月が複数あるとか、夜が異常に長い日があるなどの理由がなければ、異世界よりも、過去にタイムスリップしたと感じるかもしれない。
しかし、一つだけその光景には違和感があった。
四人のうちの三人が杖を構えていたのだ。形状は三者三様だが、明らかに武器としての機能を果たせそうにもなかった。一人の男だけは、日本刀に似た片刃の剣を両手で構えている
エイジは警戒しながらも、彼らに姿を見せた。
「あ、あの……、こんにちは」
全員が振り返り、こちらを凝視している。かなり驚いていた。
日本語で挨拶したが、彼らの聞き慣れない言語を思い出し、相手にこちらの意思が通じなかったことを悟った。
どうすべきか……。相手は武器を持っている。魔法の杖のようなものは大した脅威に感じないが、一人は凶暴な獲物を光らせている。それに見たとこものすごい警戒されていた。
とりあえずは様子見だ。エイジはそう選択し、相手から目を離さず、いつでも動けるように身構える。エイジも武器は持っているが、腰に下げたままである。まだ敵と判断するのは早いだろう。互いの意志の疎通がいかないだけで、敵意はないかもしれない。無闇に武器を抜く必要はない。
そう思っていたところ、一人の男が杖の先をこちらに向けながら叫んだ。
『それ以上近づくな!近づくと攻撃する。
お前は何者だ。ここで何をしている?』
彼が敵意をこちらに向けているのは読み取れたが、それだけだった。
他の三人も彼に何か話していたが、エイジには解らない。
(いや、マジ理解不能だって。なんていってるんだよ……)
「俺は怪しい者じゃないよ。君らに敵対するつもりはないから」
そういって両手を上げて敵意がないことを示す。しかし彼らはエイジの手を上げる動作に、反射のように杖を振った。エイジは知らないが魔法使いは手を振ったり、突き出したりして魔法を行使する。
するとエイジに叫んだ男の杖の先から、氷の塊がどこからともなく現れ、エイジに向かって信じられぬ速さで飛んできた。エイジの常識とはかけ離れた現象を目の当たりにして唖然とするエイジだが、なんとかそれを転がって避ける。
彼は思い切りのよい性格のようだ。人に向かって躊躇なくあのような攻撃をしてのける。
「ちょッ! 今の何だよ! 魔法使いかよッ!! やっべえだろ!」
『レイグム、このサルが異変の原因と解るまで殺しちゃ駄目よ』
『解ってるさ、だから、殺傷能力のある魔法は使ってない。当たっても多少痣が出来るくらいだよ。君がさっき使った魔法と違ってね』
『というか殺す前提かよ!』
いきなり攻撃を受けたエイジも驚いていたが、彼らの会話にスージも驚いていた。
『それにしても汚いやつね。私たちより相当遅れた文明しかもっていないんじゃない?超原始的だわ。どこから迷い込んできたのよ、全く。それに言葉も通じないし』
『話を聞くのは無理そうだ。捕らえるぞ!学院に戻れば先生方のどなたかにヤツの言を理解できる方がいるだろう。
森の魔物を倒していたのは、こいつかもしれない。警戒してかかれ。散開して四方から攻撃だ。』
リーダーと思しき男がなにやら仲間たちに言うと、エイジに襲い掛かってきた。
こいつら間違いなく魔法使いだ。あの有名な映画に出てくる魔法使いまんまだ。百聞は一見にしかず。これを目の当たりにして現実逃避しないくらいにはエイジはリアリストである。やつら全員飛び道具を持ってると考えて戦うべきだな。でも人間相手に刃物を向けるわけにはいかないよな。つまり逃げるしかないと。
思考している間にも、彼らの攻撃が飛んでくる。男三人から放たれる魔法は氷の礫で、美少女からは氷の礫と同じくらいの火の玉であった。
『なかなか動きが素早いし、動きがかなり柔軟だ。自己制御は使えるようだな。ただ、防御する術はないらしい。一気にいくぞ、手数で逃げられないようにする。今だ!』
レイグムの指示で四人全員から数え切れないほどの氷と火の玉が現れた。360度逃げ場は一切無い。それが一斉にエイジに襲い掛かる! マジかよ……と思った。こんな出鱈目な攻撃、映画か何かでしかありえないぞっ。というかそんなことを考えている余裕はない。エイジは無我夢中で弾幕を回避しようとした。
「くっそおおおおおおおおおお」
エイジは倒れこむくらい身を低くし突進する。前方から飛んでくる氷の礫を両手のナイフで砕きながら、進みつづけた。いくらか攻撃を喰らい苦痛に歪んだが、エイジは打たれ強かった。痛みを堪えながらもなんとか攻撃をしのいでみせた。
『あれをよけただとぉ!?』
サーモイが驚愕の声を上げる。
他の面々も声は上げていなかったが同様に驚いていた。
エイジは陣を突破すべく、スージに突っ込んでいった
その理由として、リーダーと思しき男は論外、美少女の火球は当たれば火傷ですまなそうだったので、氷塊を打ち出す一番弱そうな男の側を抜けようと思ったのだ。実際スージは四人の中では一番弱かった。サーモイと然程実力に違いはないが。
『わたしに任せて!』
そうミスカが名乗りをあげ、彼女の杖から光が迸ったかと思うと一瞬だった。
エイジの体に激しい痛みが押し寄せ呼吸が出来なくなり、走っていた勢いのまま地面を摩擦しながら倒れる。
(息ができねぇ。一体なにが……)
『さっすがミスカッ! 電撃魔法は制御が難しいのに』
スージが感嘆の声を上げている。
『フフンッ。まあね、このくらい造作もないわ。』
『その割には、使ったのが、さっきが初めてだったが。』
『集中力がいるのよ、確かに私には簡単だけど、だからと言って他の魔法と違って無意識にできるわけじゃないの。それに面倒じゃない』
『そうか、とにかくよくやってくれた。縛って連れ帰ろう。おそらくこいつが、例の犯人で間違いないだろう。あの身のこなしなら、ガドルやドーズイを倒せるのに納得がいく。意外に早く目的が達成できて何よりだ。』
『ほんと、こんなことのために私はここまで来たと思うとため息がでるわ』
『なかなかの身のこなしだったが、攻撃魔法は使ってこなかったからな。あれなら攻撃さえ当てればいいだけだ。刃物じゃ俺たちにはダメージ与えられないぜ。』
『あんたはその攻撃すら当たってなかったでしょうが』
得意げに言ったサーモイにミスカが指摘を加えた。
『まだ怒ってんの?そろそろ許してくれよ』
先ほどサーモイがミスカをからかったことをまだ根に持っているということをサーモイは指摘した。困った顔でミスカを見つめるサーモイ。
その様子にレイグムもスージも声を上げて笑い、つられてミスカもサーモイも笑った。
◆◆◆
森を抜けた場所に馬が繋がれており、それにエイジは乗せられて半時間ほど走った場所には町があった。
強固で高い城壁が幾重にも町を囲んでおり、その町の守備意識の高さが窺える。町へ入る門をくぐるのに、十数秒もかかった。
町に入り、エイジは大きな建物に連れていかれ、さらに中に入り、階段を昇り奥へと進んでいく。
そしてある部屋の前で歩みが止まった。
『学院長先生、ただいま帰還いたしました。』
『入りなさい』
レイグムがそういうと、入室を許す老人の声が聞こえ全員が入室した。
『ごくろうじゃった。随分早かったのう。まさかその少年が魔物を狩っておった原因なのか?詳しく報告せよ』
学院長である老人は、ある程度察したように言った。
『おそらく、その通りで間違いないかと。俺たちはコイツと実際に戦ってそう確信しています。言葉が通じないので直接言質を取ったわけではないのですが。』
『続けよ』
『はい。我々がグルの遺跡に着くと、そこには明らかに人の住む形跡があったんです。グルの森で取ったと思われる木で作られた小屋があったり、魔物の肉を加工したものがあったりと、森の物を使って生活していたようです。そこにいたのがこの男です。身につけていたのもガドルの毛皮でしたので、我々はこいつが原因であると結論づけました。コイツの戦い方は俊敏で魔物のようでした。森の魔物を倒す実力はあると思います』
『なるほど、言葉が通じぬ……か』
老人はエイジをじっくり観察した。
そして。
「おぬし、日本人か?」
エイジは突然聞こえてきた懐かしい言葉に目を丸くした。
この世界に飛ばされてから聞いたことがなかった言葉が今聞こえる。
「はい! 俺は日本人です!! あなたはどうして日本語ができるんですか? というかこの世界はなんなんですか? 地球じゃないですよね? 魔法とか使ってるし!」
エイジは堪らなくなってまくし立てた。
「まあ、落ち着きなさい。質問には一つ一つ答えていこう。この世界は地球ではない。我々はジーオンと呼んでおる。そしてこの世界には魔法が存在するのじゃ。日本語ができるのは知り合いに日本人がおってな、おそらくお主をここへ送った男がそうじゃろう」
「あのじじぃ……じいさんと知り合いなんですか?」
詳しい説明など一切しないままエイジをジーオンに送った老人のことを思い出し、少し頭に血が上るが、そのまま会話を続けた。
「紳士な身形をした、つかみどころのない男なら、その通りじゃ」
「はい。おそらくそいつです。いや絶対間違いない」
「やはりそうか。全てをわしに話してくれんか?」
ミスカたち四人は、老人が少年と意志の疎通が図れることに驚いていた。そしてその様子を黙って聞いていたが、ミスカは疑問をそのままに出来なかったようだ。
会話に割り込んできた。
『お爺さま、このサルの言葉ができるの?どこの民族なの?』
『わしの古い知り合いにこの少年と同じ国から来た者がおるのじゃよ。言葉はそやつに習ったのじゃ。使う機会はあまりないがな』
『ふーん、そうなの。じゃあ私はもう帰るわ。あとはお爺さまに任せていいのよね?』
祖父の答えは大してミスカの興味を引くものでなかったのか、それだけ聞くともう興味はないとばかりに言い放った。
『そうじゃの。話が長くなりそうじゃから、お主らも下がってよい、ご苦労じゃった』
そうレイグムたちにも告げると、彼等は部屋を出て行った。
「話がそれたな、それではお主の話を聞かせてもらえるか?」
「はい、お話します。えっとまず何から話せばいいか……」
そしてゆっくり順を追って丁寧に話し始めた。
話が終わるまで何時間たっただろうか。
エイジがこの世界に来るに至った経緯を話し、所々で老人が質問をする流れで話が進み、随分長い時間が経っていた。
「そうか、この世界に来て随分苦労したようじゃのぉ。まあ楽しんでもいたようじゃが。」
にやっと笑ってみせる老人。
エイジは泣きそうになった。見知らぬ世界で一人きり、頼れる者はなく、ただ只管、獣を狩って肉をむさぼる毎日。確かに強敵との死闘は、ずっとエイジが求めていたものだ。しかし、それ以外なにも無かった。ここにきて漸く人に出会い、この老人はエイジの話をゆっくりと、エイジに合わせてじっくり聞いてくれた。久しく感じていなかった当たり前の人の優しさに触れたのだから目頭が熱くなるのは無理もなかった。
「お主は、あの男がこちらに送った男じゃ。わしが責任を持ってこの世界での生活をサポートするぞい。しかし、わしは元の世界に戻る手段を知らぬのじゃ。地球に帰りたいか?」
「別に構いませんよ。この世界はどうやら、俺向きであることは間違いないですからね。帰る方法がないわけじゃないから、適当に探しますよ。帰るのはいつでもいい。それよりこんな面白い世界があったんだ。じっくりみて回りたい」
「ほっほっほ、この世界には地球には居らぬ、魔法を使う人間をも凌駕する魔物がうようよしておるぞ!お主がそういうつもりなら、そやつらと戦ってみればよい。満足することは断言しようぞ」
「はい、ありがとうございます。楽しみです」
「アヤツがお主をここに送ったのには何かしら意味があるはずじゃ。わしはそれを見極めたい。ワクワクするのう。そうと決まれば、お主の住居じゃな。地球と比べれば些か不便じゃろうが、我慢してくれの」
「ここに来てからは、土人生活やってたので全然問題ないですよ。明らかにここの方が、快適そうだ」
爽やかにエイジは答えた。
「そうじゃ忘れておった。お主はここの言葉が出来ぬ。よって早急に覚える必要があるの。言葉が話せぬなら仕事も請けられんからの。毎日ここへ来てワシと特訓じゃ!」
「わかりました。というか仕事というのは?」
「おう、そうじゃ。お主は魔物と戦いたいんじゃろ?地球と違ってこの世界は魔物の脅威に常に晒されておる。それを退治し、脅威を少しでも和らげることは、この世界の住人にとっては大変ありがたいことなのじゃ。そしてそれにはそれなりの対価が支払われるのは至極当然のことじゃ。国が運営する人材募集所があってな、そこでは仕事の無い者のために国が仕事を与える施設なのじゃ。例えば何かしらの鉱石を採掘にいく場合じゃが、採掘する者と、道中護衛する者が必要になってくる。採掘するものは腕っ節は必要ないので民間人を雇い、護衛には国の正規軍に当たらせるか傭兵を雇うのじゃ。他にも、定期的な魔物の討伐も行っておる。おぬしは将来的には傭兵になるのがいいんじゃないかの? 名の知れた傭兵になれば、直接国から強力な魔物の討伐を依頼されることも度々あるぞい。魔物と戦えて金も稼げて一石二鳥じゃろ」
この国は、鉱物資源や塩などの物資は国が全て流通を取り仕切っている。専売制にして、その利益で軍を整備し外敵の脅威から国を護ってきたのだ。統率が取れ役割分担がきちんと決まっていて効率がいいこのシステムなら、民間でやるよりも死傷者が圧倒的に少ない。
「なるほど、そういうことですか。納得です。」
「うむ、では今日は部屋まで案内さすから、じっくり休んで、明日遣いをやるのでな。また明日合おうぞ」
「何から何までありがとうございます。」
そして、エイジの新しい生活の幕が開けた。