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異世界ジーオンの獣たち  作者: 皆井 燦緒
第一章 異世界ジーオンと都市国家メイラサ
1/65

プロローグ



 大人びた少年が、エイジの全く理解できない言葉を発したと思ったら、突然氷のつららが物凄いスピードで飛んできた。エイジの常識の埒外にある現象に心臓がひっくり返るくらい驚愕するが、持ち前の反射神経で転がって避ける。


 何だっ……こいつら……。エイジは



 現在エイジは絶体絶命の真っ最中である。4人の魔法使いらしき少女と少年たちに襲われているのだ。わけが分からない。一体何だというのだ。こちらが何かしたというわけではない。ただいきなりだった。


 彼らのうち一人は目を見張るほど可憐な少女。腰まである長いブロンドの髪をたずさえ、澄んだブルーの瞳でこちらを見つめていた。しかしその表情は、全く友好的でなく、明確な敵意が感じられる。なじみのないその美しい顔は日本人ではなく白人だった。いや異世界人という方が正しいか。

 そして少女の両隣には、同じく白人のような顔のつくりをした3人の少年たちがエイジを得体の知れない物を見るように敵意を向けている。最初にエイジ目掛けて氷柱を放ってきた、大人びた少年がリーダーのようだ。彼らは魔法使いが身に付けるようなローブと杖を持っていた。一人だけは刀を持っている。


 少女たちがエイジの理解できない言語で何か話していたが、二言三言話すと散開してエイジを取り囲む。


(くそッ、一体何なんだ!)


 そして、彼らの怒涛の攻撃が始まった。四方から氷柱や火の玉がどんどんエイジに向かって飛んでくる。


 クッソオオオオ! 心で悪態をついた。

 四方からの攻撃は脅威だ。しかし逃げ場がないわけではない。直線的な軌道を描きやってくるなら少し自分の位置を移動すれば当たらない。


 エイジの鍛えられた肉体がギリギリそれらをかわしていった。何とか避けきり、一旦攻撃が収まる。これで終わってくれればいいが、そんなわけにはいかないよな、と期待しないで、でもちょっとだけ期待してエイジは、錘が最大まで下がったメトロノームのごとく心臓が脈打っていた。そして、


「@*@§∞▽▲£$ΧΗΦΥ」 


 一人の少年が仲間に何か話した思ったら、彼らの周りには数え切れないほどの氷塊や火球があらわれた。そしてその全てがエイジ目掛けて放たれる。360度逃げ場はない。


「くっそおおおおお、ありえねぇ!俺は蜂の巣か!」





    ◆◆◆


 ミナガワ・エイジは、人よりも本能が獣のそれに近かったのか、本当の意味での弱肉強食とは違った、人間社会に生きているにも関わらず、地球上に生息するありとあらゆる生き物と人間との強さを知りたがり、子供ながらに本能で人間と様々な動物との強弱を感じ取った。

「この生物より人間は強者だ」「この生物より人間は圧倒的に弱者である」と。


 とはいえ幼かった彼は、ヒトと動物との実際の闘いでその強弱を判断したわけではなく、彼の推測でしかなかった。

 そう、ただなんとなくだ。何となく「ヒトはこいつらには勝てない」「ヒトはコイツラよりは強い」そう思った。


 それからしばらく経ち、エイジも少しずつ理解しはじめる。銃器や核兵器を使えば人間は最強だ。無敵だ。他の種族を圧倒する。と。

 肉を引き裂く鋭いツメや、骨をも砕く強靭な顎を持たない人間であるが、他の種族にはない豊富な容量を持つ発達した脳を使って精密な道具を作り、文明を築き、地球上に全ての頂点として君臨するまでに至った。


 しかし、それでは面白くない。究極、核兵器を使えばヒトはどの種族をも滅ぼせる。道具なしの丸裸では人間よりも遥かに機動力があり、鋭い牙を持つ犬にすら勝てないかもしれない。

 ともかくどちらも机上の空論である。エイジが知りたいものとは違った。

 エイジが知りたいのは真っ向から相対した時の人間個人の強さである。個人で核兵器など扱えない。


 道具を持たない人間個人が多くの生物よりも弱者であることは明白だ。それなら道具を持たせればどうか。

 少年のエイジは考える。

 銃がある限り個人であってもどの種族よりヒトは強者であると、以前のエイジは考えていた。

 音速で放たれる弾丸は肉を穿ち、骨を砕き、どんな生物をも死に至らしめる。純然たる事実だ。銃の効かない生物など存在しない。

実戦を知らぬ少年はそんな短絡的な結論しか出せなかったのだ。

 能力だけを見ても意味がない。


 そしてある事実に気づく。

”当たらなければどうということはない”


 キザな仮面の男が発した有名な言葉であるが、本当にその通りなのだ。

 四足歩行の動物の機動力は人間を軽く凌駕する。動体視力などは、小さな猫であってもヒトはそれに及ばないだろう。

 そして銃器の扱いというのは難しい。誰にでも使えるが、誰もが上手く扱えるわけではない。標的に当てること、ましてや動く的となれば熟練された技量が必要になる。


 エイジは思った。自分が今まで考えてきたことは本当に無意味だと。人類という枠で捉えても意味がないのだ。エイジはその時点から、自分という生物と他の種族とで考えるようになる。

 そうなるともうどんどん風船のように膨らんでいった。

 自分を試してみたいという欲求が。




 エイジは、ヒトの強さ、或いは自分の強さの限界を知りたがったが、決して暴力的な人間ではなかった。極めて道徳的で、人並み以上に倫理感も高かった。ただし、それらが有効なのは、人間社会においてのみだったが。

 身近な研究対象である近所の犬や猫を自分の獲物にする気は更々なかったし、むしろ可愛がった。飼い馴らされた動物と闘っても実際の強さが測れるわけではないと考えたのではなく、無闇に闘うことへの抵抗があったためだ。ヒトに馴れた犬や猫に闘いを嗾けても一方的な虐殺になるだろう。


 そういうことから、消極的な行動しか取れなかったエイジはひたすら観察した。あらゆる動物の動きを、呼吸、狩り、仲間と休む様子、その一挙手一投足を見逃すまいとした。

 そうした獣との真剣な向き合いにより集中力が培われた。


 中学校に上がるころには、自分の能力を試す上で必要となることに懸ける努力を惜しまなかったので、学校の成績は常に上位をキープしていた。

 学校で履修が義務化されている勉学は、全てが自分を高める要素であると見抜いていた。

 生物に関する知識を得られる理科は勿論のこと、数学は獣の加速度を調べる手段となるし、さらに実用的な物理は数学という基礎が必要になる。

 国語は物事を分析・判断するいい訓練になる。状況判断能力というのは獣と対する上で無くてはならないものだ。


 このように勉学にも努力を怠らないエイジであったが、己の肉体を鍛えることにも余念がなかった。

 圧倒的な力の差で人間をねじ伏せる獣といつか闘うことを夢見ていたのだから。


 身体能力も高く勉強も出来た彼は、顔も良かったので、実に良くモテた。周囲の子供たちより精神的に一歩先の段階に到達していた彼だが、恋愛に関しては幼かった。

 なんとなく、流されて何人かの女子と付き合うことになるが、デートはいつも動物園である。いずれの場合もすぐに愛想をつかされた。

 エイジは恋愛というものをまだ、理解しておらず本気の恋愛でなかったのだから当然だろう。

 エイジ自身大して傷つかなかった。

 勿論、えっちなことは死ぬほどしたかったのだが、彼は弁えた人間である。無理やりなどもっての他だし、理性的でもあった。


 本能的でもあり、理性的でもあるというのは、矛盾だと思うかもしれないが、人間とは一面性のみを持った生物ではない。かと言って、裏と表の二面性というわけでもない。凸凹で流動的で決まった性質など持ち合わせていない。



 中学生になり、エイジの体も少しずつ大人に近づいてきた。身長は平均よりも高く、筋肉の付き方は中学生と思えないくらい見事なものであった。


 準備が整ったことを確信したエイジはついに行動を起こす。

 中二の夏休みのことであった。


 電車に揺られてとある町にやってきた。自宅から一時間ほど乗った場所にある見渡す限り山以外なにもない田舎町だ。

 そして街道から山道に入ってさらに道なき道を進んで数時間経過している。視界に映るのは、幹や枝が曲がりくねった広葉樹林と、腰まで伸び行く手を躊躇してしまうような雑草たち。穏やかに晴れているが、陽光は広葉樹の葉に遮られあまり入って来ず薄暗い。そして真夏だというのに、肌寒い。人工物の欠片もない、自然一色の世界だった。

 そう、人間のテリトリーとは明確に違う、ここは彼らの場所だ。携帯の電波は入らない。


 周囲を警戒しながら拓けた場所を見つけてテントを張り、拠点を構える。

 ここ日本では間違いなく最強に位置づけられる種族が出没する山中に拠点を構えるなど、正気の沙汰ではないが、決意は揺るがなかった。彼は負ける気など無かったからだ。

 絶対に仕留めて生き残る、そう確信していた。



 キャンプを張って二日はどんな獣とも遭遇しなかった。ちなみに一日ごとに拠点を変えている。

 そして三日目の昼下がり、ついにこの時がきた。


 獲物を求めて周囲を散策していた時だった。物音が聞こえた。明らかに動物の気配だとエイジは確信した。

 エイジの心臓は爆発しそうなほどに鼓動していたが、頭は落ち着いていた。

 様子を見ていると体調一五〇センチメートルほどの黒い獣が姿を現した。


  (漸くお出ましか……)


 両眼に移るのは真っ黒い獣。首元の白い三日月の文様がチャームポイントである。いや、ぬいぐるみやテレビのゆるキャラならチャーミングと言えるかもしれないが、現在相対している獣はそんな可愛さとは程遠い。


 ツキノワグマだ。


 指先から伸びる無骨な爪。そして怒りや喜びなどの表情は作れない動物であるが、その顔が人に与えるものは紛れもなく恐怖心であろう。

 何千回とこの獣との戦いの場を繰り返し想像した彼自身も、実際に対峙したらその威圧感に飲まれそうになる。しかし、恐怖よりも敵を殺すという信念のほうが強かった。



「さあ。決着をつけようぜ……」

(お前を殺して、俺の強さを証明する!)


 もう後戻りはできない。覚悟はとうの昔に済ませたが、今一度、最後の覚悟を決めた。


 闘う準備は既にできている。まずライダー用のグローブの上からメリケンサックをはめ、右手には逆手に握った大型のサバイバルナイフを決して落とさないようにガムテープをグルグル巻きにして固定してある。メリケンサックは手を保護するためだ。左手にも同型のサバイバルナイフを順手で握っているが、固定はしていない。いざという時のため自由になるようにしてある。

 そして両腕、両足にプロテクトを装備していた。


 何千回とイメージトレーニングをした。絶対に大丈夫だ。負けるはずが無い。ヤツの持つ爪より長いナイフだ。リーチは問題ない。そう自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。



 お互いの姿を認識し合った。どちらも動かない。

 数秒見つめあう。エイジは相手が動くのをただひたすら待った。時間だけでなく、空間そのものが凍結したようにも感じられたかも知れないくらい一人と一匹は動かなかった。


 そして、ついに熊のほうが動いた。ゆっくりのそのそと近づいてくる。エイジとの距離が一メートル程に迫った時、エイジが電光石火のごとく近づき左手のナイフを水平に動かし攻撃をしかけた。ナイフは熊の顔を掠めたが、熊は無傷で回避した。


 これはただの威嚇だ。人間の膂力では、熊に傷をつけることは可能であっても致命傷を与えることは難しい。

肉を深くまで裂くには、相当な筋力が必要になるし、最適な位置に最適な角度で攻撃する必要がある。彼は自分にその力がないとは思っていないが、失敗した後のリスクが高い。


 エイジの攻撃の後、すぐさま熊の反撃がくる。圧し掛かって、噛み付く気だろう。二本足で立ち上がり覆いかぶさるように迫ってくる。


 人間の膂力で駄目なら、相手の力を利用すればいい。

 熊の顔が近づいてきた。彼には見える、敵の動きがはっきりと手に取るように。


 逆手に持った右手のナイフを自分の目の前に用意したエイジには次の瞬間に起こることが感覚で理解できた。


(――入ったな)


 そしてナイフが熊の顔に吸い込まれた。正確には熊の左目だ。一瞬遅れて熊の喉元にエイジの左手に持ったナイフが突き刺さった。


「ギュアオオオオオオオオオオオオオオ」


 絶叫し、熊は狂ったようにもがく。

 エイジは最大限の憎しみを込めて肉をかき回すようにしてナイフを動かした。




 数秒の時を経て、熊は動かなくなった。精一杯の力を込めて押し返すと同時にナイフが抜け、ぴしゃッとした音と伴にエイジは返り血を浴びた。


「勝った……。はは、勝ったぞおお! なんてこと無かった。あははははっははあ」


 エイジは、尻から地面にへたり込んだ。緊張が解かれ安堵し、疲れが一気に押し寄せたのだ。エイジの体は夥しいほどの紅い血に覆われていた。熊から浴びた血だけではなかった。


「うわあああ!」


 右腕から流れる鮮血と痛々しいほどに抉られた右腕に気づいたエイジは思わず悲鳴を上げてしまった。


 エイジが熊に最初の一撃を加えた瞬間、熊もエイジの腕を抉っていたのだ。腕に装着していたプロテクトなど殆ど意味がなかった。いやプロテクトがなければ、更に深く傷を負っていたかもしれない。熊とギリギリまで接近していたので、熊の体重がかかっているだけだとエイジは勘違いしていたが、実際はこの通りである。

 そもそも熊を殺すことに夢中で他の思考をする余裕など彼には無かったのだ。


 エイジは先ほどの死闘時とは打って変わって冷静さを欠いていた。


「くそ、痛えッ! 早く止血しないと。包帯包帯」


 包帯はどこにも無かった。テントにあるのだから当然だ。


「そうだ、テントだ!」


 エイジはパニックを起こしながらもテントに戻ってきた。

 そして下手な手当てが済んだ頃には日が傾きかけていた。


「目的は達した。早く山を降りよう。」




 エイジが最後にテントを張ったのは、舗装された道から四、五時間の地点である。下りの場合は二、三時間で安全な場所までたどり着けるであろう距離だ。


 今から降りれば丁度日没に間に合うだろう。エイジはそう思って降り始めた。目的は達したし、何より怪我をしているのだ。日没が迫っているとはいえ他に選択肢は無かった。


 早足で山を下るエイジ。


 ガサ、ガサ。

 果てしなく嫌な予感がする。エイジはそう思った。

 エイジは周囲を警戒しながら森を下っていたが、草木を踏み潰す音を気にしていなかったし、まさか再び熊に遭遇するなど考えもしなかった。

 戦闘の準備などしているはずもない。


 そして嫌な予感の通り熊が現れた。

一度目の邂逅とは違い、今回は冷静ではいられなかった。


 日本の本州に生息するツキノワグマという獣は本来臆病でヒトを襲うことは稀である。臆病というより、慎重といったほうがいいか。ともかく無闇に好戦的ではない。空腹を満たすために獲物を狩ることはあっても、意味もなくヒトを襲うことはないだろう。

 熊は人という種族をよく知らない。よく知らないものに対する警戒心を向けるのは自然なことだ。そして、一度でも攻撃を受けると、怯んで逃げてしまうことも多い。


 今回の場合も、対応を間違わなければ、何事も無く終っていただろう。

しかし、冷静ではいられなかったエイジは対応を誤った。


 あろうことか背を向けて走り出した。背を見せる行為は獣に自らの弱さを証明してしまう行為なのだ。自らの愚行にすぐ気づいたが、既に遅かった。

 一瞬で追いつかれ、背中に圧し掛かられエイジは前のめりに倒れた。


「うわああああああ、やべええええ」


 背中に爪や牙を突き立てられるが、幸いテントなどが入った嵩張る荷物を背負っていたので、皮膚に大きなダメージを受けなかった。

 エイジは必死でもがいた。とにかく抵抗した。腰に挿していたサバイバルナイフを抜き、見えない背中に向けて振り回した。

 エイジは無我夢中だったので分からないが、熊に当たったのだろう、熊がエイジから離れた。エイジはその隙にまた、一目散に走り出した。何も考えず、ただ敵から逃れることだけに徹した。


 またもや背を向けてしまったのだが、今回は追ってこなかった。攻撃を受けた熊もまた逃げ出したのだ。


 木々の間を縫うように駆け抜け、草木を掻き分け、落ち葉や枯れ木を踏み潰しながら走る。足を取られそうになりながらも全力で駆ける。

 走り疲れた頃には自分の位置がどの程度なのか皆目検討もつかないような状況に陥っていた。

 そしてまもなく日没だ。


「ハァ、ハァ。ハァ、ハァ。何とか逃げ切れた……。いや、まだ油断はできない。しかし、俺は救いようの無いくらい馬鹿野郎すぎるぜッ。一匹仕留めたら、もう遭わないだろうとか心の底で思ってた。そんなことあるはずないだろうが! いつどこで遭っても不思議じゃなかった。冷静でいられなかった。未熟すぎるな」


 エイジは最初の熊に受けた腕の傷に気づいてから今になって漸く冷静さを取り戻した。


「ビバークしよう」


 ビバークとは山中での緊急的な野営のことだ。

 現在地も分からない夜間の移動など危険極まりない行動だ。最善はこの場を動かないことである。


 エイジはテントを組み立てて中に篭った。

そして食事をしながら今日の出来事を回顧する。


 初めて獣を殺した。

 目を一突きした時は不思議な感触だった。眼球をつぶし、脳へと進む感触。生生しく右手に残っている。

 そして喉を突き刺した時の肉を引き裂く感触を思い返すと感動すら覚えた。これが殺す行為なのだと。


 そして、数年間胸の中でくすぶり続けていたモヤモヤがスッと晴れた。


――俺は熊より強い


 今回闘った月輪熊は、体長120cmから180cmの世界中の熊種の中では小型に類する種族だ。日本人に一番なじみのある熊だろう。本州には月輪しか生息していないが、北海道にはヒグマと呼ばれる大型で獰猛な熊が生息している。

 エイジは、少なくとも小型の熊よりは強いことを身を持って証明してみせたのだ。初めて熊を倒したことで、勝利の美酒に酔いしれており、自信に満ち溢れていた。

 しかし、二度目の邂逅時には為すすべもなかったことへの情けなさは勝利の余韻と自信を粉々に砕いた。


(次からは同じ過ちを絶対に繰り返さない! 反省も必要だが、くどくどと落ち込むのは無意味だ。この教訓を生かせれば俺はもっと強くなれる)


 切り替えの早さは彼の長所だ。もともとの冷静さは自分自身を客観的に見られることに拠るものが大きい。



 ガサガサッ。突然物音が聞こえた。


(――ッ! さっきのヤツか?!)


 エイジの鼓動が急激に早まる。エイジは物音を立てずに愛用のサバイバルナイフを両手に握った。右は逆手に、左は順手に。


(ドクン、ドクン、ドクン、ドクン)


 エイジは胸の奥から感じるリズムを冷静に聞きながら、微動だにせず、じっと待った。


 足音が近づいてきた。

(うん?足音?)

 同時に声が聞こえた。

 人間の声だ。


「おーい。大丈夫か? こんなところで何をしておる?」


 男性の老人の声だった。エイジは驚いてテントから這い出た。


「あなたは……? あなたこそどうしてここに?」


 老人の服装は明らかに場違いであった。

 大正時代の華族のように、時代遅れのスーツを身に着けていた。しかし妙に似合っている。


「森の様子がいつもと違ったんじゃよ。なにやら森が騒いでおった。わしは森に呼ばれて来たのじゃ。」


(なんだ、このじいさん? 森の妖精かなんかかよ! 森に呼ばれてって)


 森が騒いでいる・森が呼んでいる。言葉としておかしい。抽象的な表現だ。森の意志を感じられるような発言。

 エイジは心の中で突っ込みを入れたが、孤独感の高まるこの状況で、人に出会ったことに安堵していた。


「そう…なんですか……。日が暮れる前に降りようと思ったのですが、途中熊に出遭って必死で逃げてたら、遭難してしまったんです」

「ふむ、そうじゃったか。しかし、何故山に入ったんじゃ?ここには熊が多く出る山で有名じゃ。至る所に熊出没注意の看板を見たじゃろう」


 獣と戦いたい、自分はどれくらい獣とやりあえるのか、限界を知りたい。その願望を人に話したことなど無かった。両親にすら。

 しかし、この老人の全てを見通すような瞳に見つめられていると嘘がつけなかった。


 エイジは自分の願望、森に入った目的を全てを話した。


「なるほど、森が騒いでおった理由がわかったわい。別に熊と人が遭遇して戦闘になることは珍しくない。しかし、森はおぬしを恐れたのじゃ。おぬしは、この日本、ひいてはこの時代には異質すぎる。森もそう判断したんじゃな。それで騒いでおった。しかし、わしはおぬしに出会えてよかったと思っとる。森に感謝じゃ。」


 老人はとても嬉しそうに話した。


「おぬしに相応しい場所をわしは知っとる。そこはあらゆる脅威が蔓延る世界じゃ。今も人間が数多くそやつらの犠牲になっておる。そこで人間は最強ではない。そんな世界に行きたくはないか?」


 試すような表情でエイジを見つめて老人は問うた。


「アフリカのサバンナとか、アマゾンとかのこと? そこに行くことは考えたけど、俺はまだ中学生だよ。金もないし、まだ早いよ。」


 エイジが老人に生い立ちなどを曝け出すうちに、老人とはすっかり打ち解けて、友人と話すような砕けた口調になっていた。


「いや、その世界はどこにおってもその脅威に晒されておるのじゃ、人間の勢力圏は町やその周辺のみで、そこから少し離れればおぬしの求めるものがわんさかおるわい」

「信じられないな、そんな話。地球上にそんな場所はないよ」


 眉をひそめてエイジは言った。


「しかし、もしそんな世界があるのなら、行ってみたいとは思わぬか?この世界とは違い、野生動物を勝手に狩っても誰も文句は言わぬ。むしろ賞賛されるくらいじゃ。おぬしにうってつけじゃろう? どうじゃ、行ってみたくはないか? 全てを投げ出してでも行ってみたいじゃろう?」

「もし本当にあるなら願ってもないぜ、人生懸けてでもいく価値はあるかもな」

「ふぉっっふぉっふぉ。そうじゃろ、そうじゃろ」


 笑いながら、どこに持っていたのが、老人が重く大きい古そうな本を取り出した。明らかに洋書で、どこかの大学に保管され研究されるような雰囲気のある本だ。


「まさか、物語の中の話とか言うんじゃないだろうな?」


 老人は何も答えず、ページを捲り、ある場所を開いた。


 見慣れない文字に、やはりエイジには何が書かれているのか全く分からなかった。しかし、西洋の魔女が使いそうないわゆる魔方陣のようなものが書かれていた。


「ここに手を置きなさい」

「はあ、なんだよ?」


 疑問に思いながらも老人の言葉に従い、魔方陣が描かれた本の上に手を置いた。


 そして、老人が何やら言葉を唱え始める。

 エイジには理解できない。

 数十秒ほど長い言葉が紡がれたあと、突然、エイジの体が熱を帯び始め一瞬で消滅した。


 エイジの姿がこの世界から消える直前、老人の顔は狂喜に満ちた笑みを携えてエイジを見つめていた。





    ◆ ◆ ◆

 空気が冷たい。明らかに先ほどいた場所とは違った。

 先ほどは、日も沈み明かりはランタンの光だけという暗闇の中で老人と話していたのだが、ここは晴れた空が青く明るい。


 エイジは、あぐらをかき手の平を下にして前に突き出しており、体勢こそ老人といた森と変わっていなかったが、それ以外は完全に変容していた。

 そして手を載せていたはずの本も消えていた。


「……どこだ、ここ?」


 怪訝な顔のエイジは起き上がって周りを見渡す。どうやら何処かの遺跡みたいだ。ずいぶん古そうな時代の遺物。

 ヨーロッパかどこかにありそうな城みたいだが、苔が建物の壁にびっしりと生え、時代を感じさせる。

 そしてエイジが立っている場所は城の一角で、石畳の地面があり、エイジを中心として何本か柱が円状に並んでおり、広さはテニスコート一面文くらいか。

 城の周りは高い木が生い茂る森だった。


 信じられない。じいさんが言ってたのは過去のことなのか? 大昔なら人間の勢力は現代と違ってかなり限られていた。日本でも狼が生息していたし、欧州でも危険な獣が多かったはずだ。エイジは自分の持つ知識を目いっぱい掘り出して出しそんなことを推測する。


 老人が言うには、人間のテリトリーは限られていて、それ以外の場所には自分の求める脅威がいっぱいいるという。


 クソッ! ほんとうにいきなりすぎだ。何も説明しなかった老人のことを思い出し怒りがこみ上げる。

 もっと色々教えてからにしてほしかった。殆ど何も聞いちゃいない。ここは何時代なんだ。ユーラシア大陸のどの辺りだ!

 というか、あの老人はおかしい。どうやって自分をここへ運んだのだ。魔法のように自分はここにやってきた。ありえないがそう表現するしか今のエイジにはどうすることもできなかった。


 とはいえ、ここが老人のいう世界ならここは危険なのではないか。そう考えたエイジは、ともかく行動をおこすことにした。未だにこの状況に納得がいっていなかったが、じっとしているだけでは何も変わらない。


「常に冷静に。常に情報を求めて行動する」


 自分が常日ごろから信条にしている言葉を力強く唱え気持ちを整えた。


(まずは、状況と荷物の確認だな。ここはどっかの遺跡で人はいない。周りは森でいつ獣が現れるか分からない。俺は右腕に大きな裂傷を負っていて、存分に使えない。マジあのじいさんやってくれたわ。せめて、腕の傷が癒えてからだろ、普通。いや、過ぎたことだ。余計な思考はせずに続きだな)


 そしてエイジは持っている荷物を確認し始めた。


「…………リュック」


 入山のために色々準備していたリュックは……どこにも見当たらない。手ぶらだった。

 あそこには食料とその他諸々サバイバルに必要な道具が詰まっていたのだ。生命線とも呼べるリュックがなかった。


「マジじいさん恨むぜ……」


 老人に対する怒りがさらに沸いてくるが、こらえて今持っている荷物の確認を始めた。


 腰に挿していたサバイバルナイフ二丁と鉈一丁。ポケットに入れていた砥石・方位磁石・催涙スプレー。

 殆ど武器だ。ライターなどのサバイバルキットは全部リュックの中だった。


 戦闘には対応できる最低限の装備があるが、生活に必要なものがないのは致命的だった。水すらないのだ。


 エイジは軽く城を探索したが、ずいぶん荒廃がすすみ、殆ど壁だけになっていた。建坪からするにずいぶん大きく高い城であったのだろうなと想像をめぐらせるも、今となっては真実は分からない。人の気配も当然あるはずもなく、役に立ちそうな物や情報も得られそうになかったので、そこそこにして切り上げた。

 水分の確保が最優先であるが、だからと言って進むべき方向が決まっているわけではない。


 エイジは険しい表情で、深い森のなかへゆっくりと足を踏み入れていった。魔の巣窟へと。


 ここまで読んでくださってありがとうございます。


2012/10/22

結構大幅に構成を変更しました

削除した部分もかなりあります


2012/11/5

構成を少し変えました。

試行錯誤の末、以前より更に少し長くなってしまいました…

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