7
み〜んみんみんみん……。
うるさい。
それに、蒸し暑い。日陰だというのに。
前の町は、日陰にいればまだしのぎ易かったのに。
自慢の毛並みも、天然サウナの中にあっては邪魔なだけだ。それどころか暑さのやつを手助けしている気配すらある。ああ、ちくしょうめ。
彼はここのところそんなことを考えながら一日を過ごしていた。
つまりは、暇なのだ。
彼は縁側にごろんと横になった。やることがなければ寝るだけだ。
そこへかわいらしい声が聞こえてきた。
「……いいね。楽そうで」
彼は飼い主である女の子に反論を飛ばした。
「うるさいな。別に暇なわけじゃないんだぞ」
水曜日。AM8:00、とあるマンションの二階、ベランダにて。
窓ガラスが悲鳴をあげた。
マンションの住民もみんな悲鳴をあげた。
「お前な!」
珍しく激昂した様子で真次は叫んだ。背筋がぞくぞくしている。
「いいかげんこの起こし方やめてくれよな!」
すこし削れた爪をしげしげと眺めていたミアは、彼を睨み返した。
「アンタがもうちょっとすんなり起きたら、あたしだってこんなこと!」
実際、彼女はがんばっていた。
耳元で大声を出したり全身をくすぐってみたり。
でも、ダメだったのだ。
大声を出しても、彼は起きない。
正確に言うと起き上がりはするのだが意識はまだ夢の中なのだ。
くすぐっても無駄。
むしろ気持ちよくなってしまうらしく、
『ううん…。いやあ、あはは。……ああん』
こんな感じだった。
あまりに寝起きが悪いので、しまいには息を止めてやろうかとさえ思った。
さすがにやめておいたけど。
で、とうとうこの攻撃だ。
本当はイヤなのだ。自分だってこんな音が好きなわけない。
「じゃあ何!?アンタは毎朝顔中血まみれになって目覚めたいわけ!?」
「いや、それはちょっと……」
ミアの鋭い鋭い爪をチラッと横目に見て、真次は首を横に振った。
「でもほら。それだと周りの人たちにもすごい迷惑がかかっちゃうような気が」
「だったらもうちょっと、『起きる努力』ってのをしてよね。ったく」
簡単な仕事だと思っていたが、とんでもない重労働だ。
精神的に。
ため息をつくミアをよそに、真次は大あくびをかましながらキッチンに向かった。
持ってきたものは昨日買ってきたメロンパンとコーヒー牛乳のパック、それにアルミの皿。
ちょろちょろとコーヒー牛乳を皿に注ぎながら尋ねる。
ミアは朝ごはんを食べないそうなので、これだけだ。
「今日もコロネさん探し?」
「うん。まだ見つからない」
「昔いたっていう居酒屋って、なんていうんだ?」
「え〜とね。確か『かんちゃん』だったかな」
「かんちゃん、ねえ……」
もしその飼い主がこちらでも店を出していたなら、どこかで見かけたかもしれないが。
パンをかじりつつ考えるが、思い当たらない。
まあ、住み着いてからまだ二ヶ月ほどしか経っていないのだから仕方ないことなのだが。
「悪いけど、記憶にないなぁ」
ミアは苦笑した。
「別に良いよ。もし見かけたら教えてくれれば、それで」
「ん」
うまそうに白猫はコーヒー牛乳をなめた。
朝って気持ちいい。
およそ彼に似つかわしくないことを真次は考えた。
ミアが出発してから十分もすれば真次も出かける時間になる。
鞄に必要なもの、必要ないものいろいろ詰め込んで、玄関で靴を履こうとしていた時だ。
ピンポ〜ン。
「んー?」
首をかしげながらドアを開ける。
立っていたのはこのマンションの大家のおばさんだった。
「どうしたんですか?」
「朝早くにすみません。苅谷さんってペットとか飼ってます?」
「え」
そういえば入居する時にペット禁止という文字を見かけた気がする。
大家さんはこのマンションとは別のところに住んでいるし、周りの部屋からは公然とニャーだとかワンだとか聞こえてくるからすっかり忘れていたのだ。
怒られるんだろうか。
「あ、いや。その」
「あ、いいんです。別に飼うのがダメとか言うんじゃなくて」
「え?」
「入居するときにはダメって一応、言ってるんですけどね。一度一緒に暮らしたペットを捨てろとは言いにくいですから。かわいそうですし」
いい人だなあ。
青年は感動した。
「最近、このあたり猫が多いみたいで。近所から苦情があったらしいんです。それで保健所に連絡が行ったって」
「え……」
「だから、もし苅谷さんが猫とか飼っているなら、せめて首輪はつけておいてあげてくださいね。脱走して万が一、ということがあるかもしれませんし」
つまり、ミアが野良と間違われたりすれば……。
「はい…。わかりました」
いつになく真剣な表情で答える。
と同時に、またまた感動した。
ほんとにいい人だなあ。
「ありがとうございます!」
「いいえ。ペット、大事にしてあげてね」