6
猫は翌日から早速仕事をこなした。
その日は土曜日で授業なんかなかったのだが、そいつはお構いなしだった。
「アンタがちゃんと説明しないからよ!」
おっしゃるとおり。弁解の余地もない。
夜の十一時ごろになると、猫がやってくる。
寝る前にいろいろと話をした。
「そういえば、名前なんていうの?」
「ああ。苅谷真次。お前は?何か名前があるの?」
「当たり前」
そう言って猫は一声鳴く。
にゃ〜。
「え?」
「だからぁ、」
にゃ〜。
「だってば!」
「う〜んと……にゃあ〜?」
「違う!」
にゃ〜。
「にゃあああ」
「ああもう!」
なんらかの猫的発音があるらしいのだが、真次にはわからない。
結局、かろうじて名前っぽく聞こえる、という理由から『ミア』と呼ぶことになった。
「何で母ちゃんとはぐれちゃったんだ?」
テレビで野球の試合結果を眺めながら真次は尋ねた。
「あー、それはね。その」
なぜかミアは口ごもった。
「どうした?」
「その。夏の、ある日にね。あたし達の住んでた町ににすんごい夕立がきたのよ」
「ふんふん」
「それでその、雷とかもめちゃくちゃ鳴ってて」
「ふんふん」
「すぐ近くに『びしゃーん!』って落ちてたりして」
「ふんふん」
「それで、怖くなってすぐそばにあったトラックの荷台に隠れてたら」
「あー」
なんだか先が読めた。
「………気づいたら、長野の山奥に」
「うわぁ……」
思ったよりひどい。
そしてはずかしい思い出だった。
「で、死にそうな思いで帰ってきたら母さんがいなくなってて」
前の話から換算するに、長野から自分の町に帰るのに五年も費やしたことになる。
「かわいそうに」
本当にそう思った。なんだか不幸まみれだ。
「母さんのこと知ってるのはコロネさんだけ。だから聞いてみようと思ったんだけど」
「ころねさん?」
「ああ。母さんの知り合いの人の名前」
「猫?」
「うん。コロネさんは猫」
ややこしいんだよ!
「コロネさん、居酒屋で飼われてたんだけどね。訪ねていったら、なくなってたのよ。店」
「あら〜」
不幸はまだ続くのか。
「で、よくしゃべってたっていうじいさんに聞いたら、コロネさんは飼い主の引っ越しでこの町にいる、って」
「そうだったのか」
真次はちょっと赤らめた目でうなずいた。
なんてかわいそうで、なんてけなげな猫なんだろう。
涙もろいやつだった。
涙もろいやつは鼻水をチーンとかんでから尋ねた。
「それで、コロネさんには会えたのか?」
「ううん」
ミアは首を横に振った。
「ダメ。ぜ〜んぜんダメ。全く」
「そうかぁ。でも、がんばるんだぞ。協力するからな」
「ありがとね」
白猫はウインクする。あまり見られない光景だが、それはとてもかわいらしかった。
そして、猫好きにはたまらない光景だ。
男は思わずミアににじり寄る。顔の筋肉はだらしなくもたれ下がり気味であった。
「な、何?」
迫りくる猫好き。ミアは思わず身構えた。
我慢しきれず真次はミアに飛びかかった!
フギャア!
「さわんじゃねえ!」
毛を逆立てたミアは迫り来る顔面を思い切り引っかいた。
「うぎゃあ!」
真次は飛び退く。床を痛い痛いと転げまわった。と同時に、少しばかり反省した。
そうだった。猫って言っても、こいつは女の子なんだよな。
俺としたことが、何ということを!
「いや、ごめんよ。悪かった」
真次はすなおに謝った。
「わかりゃいいのよ」
ミアが言う。やっぱりどこかふてくされた様子だった。
そんなミアを見て、あることを思いつく。
「ちょっと待ってなよ」
そうとだけ言って、部屋を出て行った。とはいっても、部屋数は二つしかないのだが。
「?」
がさごそと音がする。
真次はすぐに戻ってきた。
両手に牛乳パックとアルミの皿を持って。
「お詫び。ほら、飲めよ」
ちょろちょろと注いでやる。が、ミアは動かなかった。
「……まだ怒ってる?」
「カフェオレがいい」
猫は注文を付けた。真次はきょとんとする。
「へえ、猫なのにカフェオレなんか飲むのか。いいよ。ちょっと待ってて」
台所に向かう背中に声がかかった。
「プリンも食べたい」
「あー、しょうがないな。明日にでも買ってくるよ」
怒った女の子には勝てないもんな。猫だけど。
「アイスも」
「……うん。しょうがないよな」
半ば自分に言い聞かせるような声で言う。
「明日はサンマが食べたい」
「このミルク、脂肪分が少ない。せめて3.8はないと」
「この部屋ちょっとくさいよ。なんとかしてよ」
「ちょっとは片付けたら?」
「…………」
なんてわがままで、なんて面倒な猫なんだろう!