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大破した自転車を引きずってマンションに帰った真次は、夜の九時になる頃には布団の中にいた。
「こんだけ早く寝りゃ、絶対早く起きられるだろ」
思考が極端な男だった。
明かりを消す。窓から月の光が差し込んでくる。
「むー」
当たり前だが、早すぎて寝付けない。
真次は考え事をすることにした。
ああ、もうじき夏休みなんだっけ。テストもあるなあ。でもその前にまず出席日数を確保しないとテストも受けられんないもんなあ。
金ないなあ。早いとこ新しいバイト見つけないとな。
いくら生活費は出してもらってるっつっても小遣いは自分で稼がなきゃいかんからなあ。
そういえば晃一の奴、最近なんか羽振り良いんだよな。
ああ、確か先月バイトかなりやったって言ってた。給料日か〜。なんかうらやましいよ。
しっかし、昼間はえらい目にあったなあ。
自転車はぶっ壊れるし、体は痛いし。
でもたいした怪我してないもんな。丈夫に生んでくれてありがとう、かあちゃん。
あの猫大丈夫かな?倒れちゃうくらい弱ってたんだ。水やったくらいでいいのかな?
まあ、猫ってのはタフだからな。口ぶりもしっかりしてたし。
口ぶり?
『ああ、助かったわ。あんがとね、兄ちゃん』
「うえええ!?」
ようやく彼は異常性に気がついた。
あの猫、しゃべってたよな!?
俺、猫と会話してたよな!?
彼はしばらくハニワのように口をあけて呆けていた。
が、立ち直ると首を振って自分に言い聞かせた。
何考えてんだか。猫がしゃべるって?ああ、疲れてんだな、俺は。
最近神経張ってたからなあ。なんせもう一日でも休めないし。
よかった。今はまだ九時半だ。朝までたっぷり寝られる。
早く眠って疲れを取ろう。
結論がそこに行き着くと、彼はぎゅうっとまぶたを閉じた。
今日は木曜日。明日を乗り越えればとりあえず休みだ!
そのうち、彼は自らのホームグラウンド、すなわち睡眠に帰っていった。
一度寝ると、真剣だった表情はうそみたいにだらしなく変貌していった。
そして、朝日が昇るか昇らないかという時間帯―――
「起きろ!」
声が聞こえた。ベランダの方から、若い女の人の声。
そういえば、昼間聞いた幻聴もこんな声してたな。
「ねえ、起きてって!」
ああ、やっべえなあ。寝てるのに全然疲れが取れてない。夢にまで出てくるなんて。
「いい加減にしてよ!」
医者に行こう。
「あああ、もう!」
真次は起きなかった。が、彼は夢の中でお医者さんに聴診器を当てられていた。
「怒るよ!」
声はもう怒っていた。
「いやあ、そこは。そこは、勘弁して下しいよぅ………」
寝言だ。夢の中でお医者さんに変なところでも触られたのだろう。
「………」
何かがぷっつり切れる音がした。
そいつは前足を振り上げると、鋭く尖った爪を窓ガラスにあてがって―――
ものすごく不快な超音波攻撃が、そのマンションの住民達の耳に襲い掛かった。
「うわあ!」
さすがの真次も飛び起きた。
背筋にぞくぞく不快感。
ちなみに余談だが、この攻撃に驚いて失禁してしまったものもいた。余談だが。
「な、いったいなにが」
「やっと起きた!」
「は?」
真次は声のした方向を見る。
網戸の向こうに、白い小さな奴がいた。
猫だった。
「ったく。ほんと寝起き悪いね」
あきれた声で白猫がしゃべっていた。
「ああ、なんだ。まだ夢見てんのか」
真次はへらへらと笑った。
「夢?」
猫が聞き返す。
「だって夢だろ?」
「夢ねえ……。そう思うなら、ちょっとここ、開けてよ」
「いいよ」
真次はベッドから降りて網戸を開けた。白猫が入り込んでくる。
「手、出して」
「ほいほい」
言われるままに手を出す。
バリ。
猫の白い前足がすばやく動いた。
「ん?」
前に出した手の甲を見てみる。
引っかき傷。吹き出してくる血。
それでも真次は笑った。
「何されたっていいよ。だってこれ、夢、だし……」
痛い!
「うぎゃああ!」
痛い!痛い!
「ち、血!包帯!絆創膏!オロナイン!」
慌てふためく真次に、猫は言ってやった。
「どう?これでも夢?」
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