10
真次がくだんの居酒屋『かんちゃん』を発見する少し前。
実は少し離れたところにミアはいたのだ。
「いつも少し、遠出し過ぎてる気がする。今日は近目を攻めてみよう」
なんて感じで、彼女は薄暗い路地をぶらぶらしていた。
狭苦しいが、日の当たらないこの道は涼しくて気持ちいい。
捜索という名目の散歩を楽しみながら、猫は昔のことを思い出していた。
思えば昔からやんちゃだった。
小さい人間のガキを連れ回して途中で置き去りにし、ガキが泣くのを楽しんでいた。
そのたびにひどく怒られたものだった。
泣きながらおもらしまでしたガキんちょもいた。
懐かしいなあ。
ミアは遠い目をした。実に悪質な犯行だった。
「そういえば」
周りを見回す。
風に揺れる木の葉。
ささやかな木漏れ日。
そしてこの、薄暗い細道。
コロネさんやあのひとに初めて会ったのも、こんな感じのところだったな。
コロネさんのぽってりした動きを思い出す。少し笑えた。
「……ん?」
前方に、ぽってりした背中が見えるような気がする。木陰から抜けた陽だまりの中に。
目を凝らしてみる。
茶色と白の、ぽってりした背中。大きな体を左右にゆする歩き方。
あの猫は。
白と茶色は、どんどん前に進んでいってしまう。ミアは追いかけた。
「待って!」
声を上げても、止まってはくれなかった。
白猫は走り出す。しゃらしゃらと首の鈴が鳴った。
裏路地を抜け、交差点に飛び込んだ。
大きなトラックが、迫っていた。
けたたましいブレーキの音。迫りくる巨大な車体。
ミアは動けなかった。
「んん?」
茶色と白が大きな音に振り向いた。
トラックはミアの鼻先で止まった。
運ちゃんはあわててドアを開け、飛び出してきた白猫を確認しようとした。
その眼前を、白猫が逃げるように走り去っていく。
よかった。轢いてなかった。
死ぬかと思った。
心臓がとれたての活魚みたいに暴れまわっている。
「ああああ」
ミアはうつむいて思い切り息を吐き出した。
でも、まだ生きてるよ。よかった。ありがとう神様。
「大丈夫か?」
いきなりかけられた声に、彼女は何とか答えた。
「ああ、うん。なんとか」
顔を上げる。
ミアは目を見開いた。
白と茶色の、ぽってり。
「久しぶりじゃないか。嬢ちゃん」
「コロネさん!」
さっきの裏路地にて。
二匹の猫が語らっていた。
比喩じゃなくて、本当に語らっていた。
「そうかぁ。大変だったな、本当に」
真次と同じ反応でコロネさんは涙を流した。
「まったくだよ」
ミアはまたまたふんぞり返った。
「コロネさんは、元気だった?」
「ああ。毎日のように近所のネズミどもと戦ってる」
コロネさんはかっこつけて言った。
本当は縁側で寝てるだけなのだが。
「へぇ。変わってないね」
「ああ……」
沈黙。
「……?」
快活なコロネさんが黙りこくっている。珍しい。
「コロネさん?」
「……あいつを、探しに来たんだったな」
「うん!」
本題を切り出されたミアは身を乗り出した。
「あいつとうちの達也が結婚……再婚か。したの、知ってたか?」
「そうなの?」
確か達也とは、『かんちゃん』の跡継ぎ息子のことだ。
「三年前の引越しでな。一緒に越してきたんだよ、この町に」
「そうなの!?」
ということは、母さんはこの町に。
「ねえ。母さんは?家にいるの?」
にわかに勢いづいてミアは尋ねた。
「……ついてきなよ」
コロネさんはぽってりと歩き出した。