9
金曜日、夕方。
「はい。じゃあ、今日はこれまで。来週はテストだから絶対に休んだりしないようにな」
言語学の教授がそう言って教室を出て行った。そのとたん真次は机に突っ伏した。
乗り切った。
無遅刻、無欠席でこの一週間を乗り切った。
達成感でいっぱいだったが、もう一度気を引き締める。
いや、来週こそが大事なんだ。テストなんだから。
「おい。真次」
一人拳をにぎって気合を入れていた彼に、晃一が声をかけた。
「何してんだ?かえろ〜ぜ」
「あ、うん。おう」
慌てて立ち上がる。二人は教室を出た。
「何か最近、お前顔色悪くないか?」
晃一が聞いてくる。実際、真次の顔色はあまりよくはなかった。
「ああ、毎朝起きるのに苦労してんだな」
「……っていうか、なんだ。起きるまではいいんだけどさ。その、起き方が問題なんだ」
「は?」
「いや、いいんだ。思い出したくないから……その話題、やめよう」
あの音は、それくらいインパクトがある。
近隣住民はいい迷惑だった。
げんなりした友人を横目に、晃一は首をひねった。
どんな起き方してんだ?
気にはなったが、真次があまりにもグロッキーな様子だったから訊かないでおいた。
その程度には気の利くやつだった。
「よし。疲れてんなら、カレーが良いぞ。食いにいこうぜ」
別に栄養に詳しいわけではない。雰囲気だ。
「カレーかぁ」
そういえば最近食べていない。考えたら腹が減ってきた。
真次の脳内でインド人が手招きをしていた。とても魅力的だった。
「いいね。行くか」
「よーし。うまいとこ知ってんだ。任せろ」
「ここだよ。ほら」
真次が連れて来られたのは、大学から歩いて十分ほどのところにあるカレー屋だった。
掘っ立て小屋みたいな外装に、汚い看板。『カレー』という表示がなければそれとは分からないだろう。
人通りのあまりない、閑散とした通り。このカレー屋以外にもいくつか店が立っているが、どれもこれも景気は悪そうだ。
「こんなとこがあったのか」
「だろ?このへん面白い店とかはないから、大学の連中もあんまり来ないんだ。でも、うまいんだぞ?ここのカレーは。隠れた名店ってやつ」
真次と同じでまだ入学して半年も経っていないのに、すごい古株みたいに言う。
「へぇ〜え」
脳裏でインド人が踊りはじめた。テンションが上がってくる。
「では、いざ」
二人は掘っ立て小屋に歩を進めた。
うまい!うまい!
この言葉が店内を埋め尽くした。
極上だった。
「なんてこった」
俺はこんなおいしいものの存在も知らなかったのか。
無愛想な店のおやじに感謝を述べ、二人は店を出た。
代金を払い忘れていたので、おやじに怒鳴られた。
「うまかった」
店を出た真次は述懐した。というか、まだ言ってる。
「だろ?ここらはこういう店が多いんだ」
そう言って晃一は、通り沿いの店たちを指差した。
お好み焼き屋、ラーメン屋、食堂、居酒屋……
居酒屋のところで真次の目が止まった。
『かんちゃん』
「あれって」
「ん?知ってるのか?」
「あ、いや」
晃一が訊いて来るが、真次は首を横に振った。
さすがにあの猫のことを話すのは気が引けた。
頭のイタイ子だと思われたりしたら嫌だからだ。
(それにしても、偶然ってあるんだな)
こんな近くで見つかるとは。
確認してみようかとも思ったが、やめておいた。
お腹はぽんぽんなのだ。酒も飲めない。
居酒屋に入る動機がまるでないのだ。
焦ることもないだろう。
「まあ、帰ってきたら教えてやりゃあいいか」
「え?」
「あ、いや。なんでもないよ」
しかしその夜、白猫は帰ってこなかった。
夜の十二時を回っても。それから一時間経っても。
こんなビッグニュースがあるというのに。
ミアがいつ帰ってきてもいいようにと、その夜は網戸を空けて布団に入った。
これを書いた時、無性にカレーが食べたかったです。
そのせいでこんな文章が出来上がってしまいました。
というか、いつもの感じですね。
楽しんでいただければ(笑)