第5話 花畑
鈴木と連れの男は、やはりのんびりとした足取りで薫達の視界の中を歩き、街に古くからある飲食店街へ入っていった。
「今日はどうやら鈴木の逢い引きは無しだな。たぶんあの友人と楽しく飲み屋で一杯ってコースだ」
薫は時計を見ながら尾行を切り上げる頃合いを見計らっていた。
なにしろ今日はこの後、春樹の買い物に付き合うというビッグイベントが待っている。
友人と酒を飲んでる中年男を見守ってる場合ではない。
「あいつらがどっかの飲み屋にでも入ったら、本日の調査は終了だ」
「もう、いんですか?」
「残り時間は次回に加算するさ。無駄に1日7時間を守るより、その方が良心的だろ?」
「ええ・・・そうですね」
春樹は微笑んで頷いたが、少しばかり元気が無いように見えた。
「何だ? このままずっと追っかけてみたかったか?」
「いえ、そんなんじゃなくて」
「あ、現場を押さえてみたかった? 行方調査だと、そんな機会ないもんな」
「いえ・・・。仕事の事じゃなくて・・・」
「じゃあ、なんだ。何でもいいから言ってみろ。若いもんが遠慮してちゃダメだ」
薫がそう言って、つい癖で春樹の肩を叩こうとした瞬間、春樹は跳ねるように体を離した。
薫は一瞬自分の手を見、再び春樹を見た。
「あ・・・。そうか。猫アレルギーか」
「ごめんなさい・・・、服の上からなら平気なのに。つい・・・」
「いや、いいよ。仕方ない。・・・俺が迂闊だった」
「ごめんなさい」
二人はなんとも気まずい空気を苦笑いでやり過ごし、再び前に向き直った。・・・が。
「薫さんは、美沙のことが好きなんですか?」
いきなり飛んできたパンチのある質問に、薫は少々狼狽した。
「ん? 俺が美沙ちゃんを? なんでまた」
「すみません。いえ、いいんです。変なこと訊いてごめんなさい」
春樹は前を向いたまま早口でそう言うと、今度はピタリと口をつぐんだ。
その耳がスッと赤くなった。
まだ産毛さえ見える透き通った白い頬も、ほんのり赤く色づいていく。
薫の胸がトンと何かに思いあたり、小さく跳ねた。“なるほど、そういうことか。”
そしてニンマリ笑ってクイと顔を上げた。
「美沙ちゃんは美人だし良い子だし、好きだよ。でもそういうつもりで事務所に顔出してる訳じゃない。あくまで同僚としての、コミュニケーションの一環さ。君の居る鴻上支店は、何となく居心地が良くってね。それだけさ。・・・俺が行くと、迷惑?」
「いえ! そんなこと無いです。・・・それならいいんです」
春樹は言いながら首を小さく何度も横に振った。
更に色白の頬に紅が差す。
表情を誤魔化すようにキュッと結んだ形の良い唇がひどく愛らしく、そして艶やかだった。
“ 大丈夫だぞ春樹。安心しろ。俺はフリーだ! 女なんかいない! ”
薫は腹の底から訳もなくムクムクと湧いて来るエネルギーを感じた。
“落ち着け、中年男。見苦しいぞ”という心の声も、理性の片隅でちゃんと受け止めてはいたが、
頭の中は花畑だった。
この尾行を一段落付けてからの予定がテロップとなって、薫の脳裏をキラキラと流れてゆく。
・・・買い物にゆっくり付き合って、そのあと食事を奢ってやろう。
若い子にはどんな店がいいだろう。
社会人なんだし、酒も少しくらいは良いかもしれない。
春樹は酒は飲めるだろうか。
いや、もし飲めなかったら俺が飲み方を教えてやろう。
大事なことだ。
少しくらい酔っぱらったっていいさ。ちゃんと家まで送ってやる。
さて、どこに行こう。
この間、女友達と行った洒落たバーなんか、どうだろう。
いや待て、あそこのマスターは隠してはいるが、ゲイだった。俺には分かる。
春樹は可愛いから、イヤらしい目で見られてしまうかも知れない。
それだけはダメだ。断じてダメだ。
「薫さん、二人が角を曲がりました!」
小さく鋭くささやいた春樹の声にハッとして前を見ると、二人の姿は視界に無かった。
「すまない。どっちへ行った?」
「その角を左に」
歩を速めて春樹の後に続き、角を曲がったが、二人の姿は忽然と消えていた。
「どこへ消えたんだ?」
薫は内心シマッタと思い、辺りを見渡しながら進んだ。
春樹の手前、尾行に失敗するのはかなり格好悪い。
今角を曲がった建物のガレージの入り口には、一目で「それ系」のホテルと分かる大きな暖簾が垂れており、一応その中も覗きつつ、薫と春樹は小走りに進んだ。
もう彼らは既に次の角を曲がってしまったのかもしれない。
「尾行がバレて、逃げられちゃったんでしょうか」
不安そうに春樹が呟く。
「いや、そんなはずは・・・」
内心そうかも知れないと言う不安を抱きながら、薫は次の曲がり角目指して競歩さながらに歩を速めた。
春樹もそれに続く。
ところがそのホテルの趣味の悪い看板を越えたところでいきなり飛び出てきた人物に、薫は派手にぶつかってしまった。
「わっ」という声が双方からこぼれた後、薫の後から春樹の、息を飲む声が小さく響いた。