第3話 天使と共に
「二人で尾行するのは、目立つしリスクが大きいんじゃないんですか?」
15メートル前方を歩く男達に気付かれないように声を低くし、春樹は薫に言った。
「そうでもないさ。スクールで習ったことはどっか頭の隅に置いておけばいい。すべてはケースバイケース。その時々で判断すればいい。それにはまず、場数を踏むことだよ。実践あるのみ」
薫がそう言うと、横を歩く春樹は一瞬顔を上げ、薫の顔を見た。
ほんの少しその目に尊敬の色を感じたのは、気のせいだろうか。
どちらにせよ、傍らにこの少年を従えて歩く事が、ただただ薫には嬉しかった。
「しかし、どこ行くんだろうな、あの二人は。若者じゃあるまいし、一日中グルグルと街なかを練り歩かれたんじゃ堪らんな。おっさんはおっさんらしくパチンコか打ちっぱなしにでも籠もってくれりゃいいものを」
「書店に籠もられてた時だって、怒ってたのに」
春樹はそう言いながら笑った。
「薫さん、あの人を一日中ずっと見張るの?」
「いや、今回の契約は時間制でね。尾行、身辺調査合わせて一日7時間を5日間。期間中に浮気の証拠が出れば成功報酬、出なければあの男はセーフさ。まあ、奥さんは必要経費をウチに払い、シロクロ付けるためにまた別の探偵雇うだろうけどね。まったく・・・気の毒なこったよ」
「奥さんが?」
「あの旦那が」
薫がほんの少し肩をすくめると、春樹は可笑しそうに色の薄い瞳を細めて笑った。
ツヤツヤとした質の良い亜麻色の髪に光が集まって輝いている。
こういうの、何て言ったっけ。そうだ、『天使の輪』だ。
などと、どうでも良いことを思いながら、薫がほんのしばしその光を見つめていると、春樹は突如緊張した声を出した。
「角を曲がります。間を詰めますか?」
スクールで教えられたことは全て身に付けているのだろう。春樹はそう言うと機敏に歩を速めた。
「君はいい探偵になるよ」
「そうですか?」
春樹はそう言って笑ったが、薫には少々複雑でもあった。
探偵の仕事なんて、人間の饐えた愚かな部分を嫌でも覗き見なきゃならない仕事だ。浮気調査など特にそうだ。
こんなに若く純粋な青少年を、変に歪ませることは無いだろうか、と。
ターゲットは角を曲がってすぐのゲームセンターのクレーンゲームに貼り付いていた。
アラフォー男二人が小銭をやり取りして楽しそうに笑っている。
まるで歳を取りすぎた高校生のようだ。
「楽しそうですね」
二人から少し距離を取った所で春樹がつぶやいた。
「ああ、なんか普段の抑圧が感じられて不憫になるよ。なんであんな不憫なやつの尻を追いかけなきゃなんないんだろうな」
「それは思っちゃいけないんですって」
思いがけず横で春樹が言った。
「ん?」
「美沙が言ってました」
春樹は自分の財布から小銭を数枚取り出し、すぐ横にあった大型UFOキャッチャーのコイン投入口に滑り込ませた。
そして前を見つめたまま、ランプのついた手元ボタンに、細くしなやかな指を添える。
「調査や尾行する相手に必要以上に感情移入すると、しんどいし、正確なデータが取れないって。自分を一個の調査マシンと思うこと。そうすればぶれることもないし、心を乱されることもない・・・って」
春樹の動かしたアームが器用にクマのぬいぐるみの頭を捉え、ゆっくりと持ち上げ始めたが、そんなことよりも薫は、少年の形の良い唇がほんの少しほころぶのに目を奪われた。
あの笑みは、何に対してだろうか。
美沙の言葉には微笑むほど甘い要素は無いし、逆に殺伐としてクールだ。
何を思い浮かべての笑顔なのだろうか。
「なあ、春樹・・・・」
そう言い掛けた瞬間、ゴトンと軽い音を立てて景品取り出し口からぬいぐるみが顔を出した。
全長40センチくらいの寝ぼけたクマのキャラクターだ。
「わっ! どうしよう。取れちゃった。・・・取るつもりなかったのに」
明らかに困惑気味にぬいぐるみを抱き上げ、春樹はそのふわふわ柔らかそうな戦利品を薫に見せた。
その表情は何ともあどけなく、幼かった。
「良かったな春樹。うまいもんだ」
「どうしよう・・・返そうか」
「なんでだ? もったいない」
「これ抱いて尾行?」
「問題無い」
「・・・そう?」
春樹は諦めたようにそれを小脇に抱えると、再びさり気なくターゲットの鈴木に視線を流した。
薫はその時なってようやく小さな疑問を頭の隅に感じた。
この少年は買い物の途中だったはずだ。せっかくの休日になんだって俺の尾行に素直に付き合うんだ?
ただ従順なこいつの性格のせいか?
そんなことを思っていると、目の端で隣の二人がふらりと動いた。
「薫さん」
「ああ、行こう」
のんびり顔の黄色いクマを抱いた春樹が小さく頷いて、薫のあとに続いた。