俳優と研究員
ある秋の日。晴れでないと出来ない撮影だからと、曇りだったその日だけ急に暇になった海藤は、暇つぶしにとまたいつかの公園にやってきていた。別に会えることを期待してはいなかったはずなのだが、公園の中心にある大木の根元にうずくまる少女の姿を認めて知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「よ、また会ったな嬢ちゃん」
声を掛けるが少女は肩をびくりと震わせただけで振り返らない。人違いだろうかと少女の横に並んでしゃがみ顔をのぞき込むと、少女は顔を上げて少し困ったように笑んだ。
「……みっともないとこ、見られたなぁ。泣いてるとこなんて、明にしか見せたこと無かったのに」
強い光を宿していた少女の藍色の瞳は今、涙でくもっていた。少女の手の中の小さな毛皮―――動かない、二匹の子猫の亡骸―――と、少女の目の前のダンボール箱に目をやった海藤は、静かに涙を頬に伝わせる少女の頭に手を載せる。
「……優しいな、嬢ちゃんは」
「違うよ」
即答が返ってきたことにも、否定されたことにも驚いて海藤は絶句した。
「感情が制御できないからだよ。しかも私はこの子達のために泣いてるんじゃないんだ。……助けられなかった自分に対する自己嫌悪と、私じゃない人が拾っていれば、この子達は生きていたかもしれないって、後悔の涙なんだよ、これは」
そんなことを考える年ではないだろう、と叫びたいのをこらえ、海藤はあかねの頭をくしゃりと撫でた。
「それでも、俺は優しいと思うし……辛くないか、そんな風に考えてたら」
「辛い、のかな。……分からなくなったよ、もう。私は最初の自我を持った個体だったからね」
諦めたように笑うあかねの表情に、ぎり、と自分の奥歯が鳴るのを海藤は聞いた。
誰がこの子を労ったことがあっただろう? いつも明るい笑顔で海藤を迎えてくれるこの少女に、誰が優しさをあげただろう?
海藤の考えを見透かしたように、あかねは掌で涙を拭って笑ってみせる。
「お兄さんが考えてるほど、私達の環境は悪くないよ。ちゃんと考えてくれる人も居るし。お兄さんみたいにね」
「……俺は、何も……」
あかねの頭を離れだらりと海藤の横に垂れた手を、あかねは壊れ物を扱うような手付きで取った。
「私達―――特に私を人間扱いしてくれる人は貴重なんだ。お兄さんはその貴重な1人なんだよ。……だから、こんな事で自分を責めないで欲しいな」
たまらず、海藤は膝をついてあかねを抱き締めていた。お兄さん? と驚いたような声と吐息が耳に触れる。
「……優しすぎるよ、嬢ちゃんは」
見ていて痛々しい程に、それは。
「……もっと子供で良いんだ。どうせ大人には嫌でもなんなきゃならないんだし、今は」
「……そう、できたら良かったんだけどね」
苦笑したあかねに肩を押され、海藤はあかねを解放して顔を上げた。しかしあかねの視線は、海藤の上にありながらどこか遠くを見つめている。
「聞いたことない、だろうね。でも一部の人間は知ってる……私も明も、精神年齢を予め決められて創られてるんだ。25歳くらいに」
それは。
「……何も知らない時期が、無かったってことか……?」
あかねは苦笑したまま頷いた。
何も知らないことが一番の幸せだと、誰が言ったのだったかもう覚えていない。だがそれもある意味真理かもしれないと何となく思ったのは覚えている。
人間の誰もが経験するその時期を、始めから奪われていたと、あかねはそう言っているのだろうか。
「……気に入らないなぁ」
不意に聞こえたあかねの声にはっと現実に引き戻される。あかねは半眼でこちらを―――睨んでいた。
「嬢ちゃ……」
「オレに同情なんか必要ない。そんな糞みたいなもの、オレに向けるな。もし向けるのなら、オレは貴方でも容赦なく叩きのめす」
10以上年の離れたそれも少女に圧倒され、海藤はただ息を呑む。
―――だけだと思ったら、大間違いだぜ小娘。
「……った!」
ごつん、と脳天に食らわされた拳骨に、あかねは声を上げた。
「誰が誰を叩きのめすって? ……そりゃ確かに馬鹿な奴も多いけどな、大人だって捨てたもんじゃねぇんだぞ?」
しばらくぱちくりと海藤の言葉を反芻していたあかねだったが、やがて意味が飲み込めたのだろう、ニヤリと笑む。
「……なかなかやるね、お兄さん。私に拳骨した人なんて初めてだよ。説教はたびたびされるけどさ」
「俺や所長にね」
2人の後ろから声が掛かり振り返ると、海藤と同じくらいに見える青年が立っていた。青年は海藤と目が合うとにこりと笑み、言う。
「海藤拓磨さんですね。テレビでも見ますしあかねちゃんからも聞いてます。俺は国立研究所であかねちゃん達の担当をしてる、原田と言います。よろしく」
どうも、と返しながらも怪訝な顔を隠さなかった海藤の横で、あかねがあっ、と声を上げる。
「今日検査だった?」
「……やっぱり忘れてたか。まぁいいや、行ける?」
「あー、ちょっと待って。この子達埋めてあげないと」
慌てて猫の亡骸に向き直ったあかねに倣って海藤も、そして青年―――原田も、猫に黙祷を捧げる。
「……原田さん、でしたか」
あかねが猫を埋めてもう一度黙祷を捧げていたのを目の端に捉えつつ立ち上がりながら問うと、えぇ、と穏やかな返事が返ってくる。
「いつか一度、お話しをしたいのですが……いつがお暇ですか?」
「なら今日の夜なんてどうです? 貴方の都合が良ければで構いませんが」
原田も海藤と話したいと思っていたのだろうか、あっさりと肯定されるどころか逆に誘われて一瞬戸惑った。黙祷を終えたらしいあかねが立ち上がり様に目ざとく気付いて意味ありげに笑う。
「何だか今日は驚いたり泣きそうになったり忙しいね、お兄さん」
「……うるせぇよ、嬢ちゃん泣いてたくせに」
返した自分の台詞のあまりの子供っぽさに笑いがこみ上げたのを慌てて噛み殺し原田に向き直ると、こちらは必死に下を向き口と腹を押さえていた。―――下を向いているが肩が小刻みに震えているせいで隠せていないどころではない。
「……お兄さん、気にしなくて良いよ。原田さんは一回ツボったらなかなか出て来ないから」
「……みたいだな」
「……っはぁ、2人して失礼ですよ、全く。それで、どうしましょうか」
「それよりさ」
割って入ってきたあかねの声に2人の視線が集中すると、あかねはニヤリと笑って公園の入り口に留まっている2台の車を指差した。
「一旦お兄さんも一緒に研究所まで来たら良いよ。あそこに留めてたらまた罰金取られるでしょ」
「……確かに」
あかねの発言も尤もだと原田と顔を見合わせて頷き、それぞれの車へと向かう。あかねは一瞬迷う素振りを見せたが、何故か海藤の車の方へと回り込んできた。
「嬢ちゃん?」
「お邪魔しまーす」
そこで後ろの席なのがあかねらしい、と苦笑しながら、しかし一人なら隣でも構わないのにな、と胸中で呟いたのは、あかねには気付かれなかったらしい。
「迷ったら困るでしょ、お兄さん。原田さんが前を行くだろうけどはぐれたらどうしようもないしさ。だからナビ代わりだよ」
「おい、俺の車ナビゲーション付いてないほど旧式じゃねぇぞ嬢ちゃん。そりゃまぁ……俺の運転荒いからボロくはなってるけどさ」
「じゃあその運転直しなよ」
呆れた声でそう言うあかねの声に、もうさっきまでの諦めの色や暗さは見られない。それに安堵のため息をそっと吐きながら、海藤は原田の運転する車について自分の車を発進させた。
息抜き(?)に書いたものです。その割には暗い……。
本編も頑張ります。