第六章 三年越しの再会
「……こんな場所にこんな場所があったとはね」
車と飛行機を乗り継ぎ、あたしが連れて来られたのは名も無き無人島。
いや、無人島というのは少し語弊があるか。
「「「「「お待ちしておりました、お姉様」」」」」
その島には、あたしと同じ顔をした少女達が住んでいる。
何時どうやって連絡を取ったのか、その島にはアインがたくさんいた。十や二十じゃ聞かない。ざっと数えただけでも百は固い。自分と同じ顔がズラッと百人。結構シュールでホラーだ。特化された科学というのは恐ろしいものである。
ズラリと、まるで何処かのお嬢様を出迎えるみたく並ぶアイン達を見ながら、あたしはあたしをここまで連れて来てくれたアインに聞いた。
「この先にアインが『パパ』と呼ぶ人がいるの?」
鬱蒼としている森の中は暗く、奥には何があるのか、奥にアイン達がどのくらいいるのかは把握する事は出来ない。結構深そうな森だ。
「そうですけど、それがどうかしましたか?」
なるほど。それだけ聞ければ十分だ。それにこれだけの配備にここまでの移動手段。それらを鑑みれば、ここにあたしのクローンを作ったマッドサイエンティストがいる可能性はかなり高い。少なくとも手がかりはあるだろう。
「そっか。道案内ありがと」
お礼を言って、あたしは行動を開始した。アインを気絶させ、アイン達によって作られている道標を一気に駆け抜けるために地面を蹴った。もちろんアイン達は黙っていない。即座に得物を抜く。が、相手があたしだからか、その動きに一瞬の躊躇いが全員に見られた。あたしはそれを見逃さず、一人、また一人とアイン達を気絶させていく。骨は折れるけど、まあ出来ない事はない。
それを何十、何百と繰り返し、
「……ここが……入り口みたいね」
そうと思われる場所に到着した。
そこは洞窟。が、中からは確実に人工物と思われる電子音や駆動音が聞こえてくる。ここまで分かり易いと逆に疑ってしまうが、アイン達の道標はここで終わっている。上から見た限りでも、ここ以外にめぼしい場所は見当たらない。
あたしは乱れた息を整えてから先に進んだ。
入り口に近づいた瞬間、蛍光灯の光に一瞬目が眩んだ。
どうやら歓迎はされているらしい。
罠の可能性もあったが、虎穴に入らなければ虎子は得られない。
警戒しつつ、あたしは先に進んだ。あたしが進む度、一歩、また一歩と進む事に洞窟上部に取り付けられた蛍光灯には光が灯り、周囲を明るく照らす。監視カメラがあるから多分あたしの行動はモニターされているだろう。
大体三百メートルほど進んだ時、ようやく風景が変わった。
それは――とても胸糞悪い光景だった。
まず目についたのは、中央にある巨大なコンピューター。何の目的で作られた物かは分からないが、中央の円柱の周りにあるそれは、椅子に座っている誰かの操作を忙しなく実行している。次に目についたのは、淡い黄緑色の液体が注がれている水槽。とてつもなく大きいそれは、部屋の九割九分九厘を閉めている。
胸糞悪いのは、その中身だ。
そこには、あたしがいた。
何人、何十、何百、何千――何処を見てもあたし、あたし、あたし。
「やはり攻勢に転じたか」
椅子に座った誰かが言った。
「だがまあ、奴がセノーラフを切った瞬間、この展開は予想していた」
その声にあたしは愕然とした。
嘘だ。有り得ない。何の冗談だ。何が起こっているの。
その声をあたしは知っている。
だが、はっきりした事がある。何故アイン達はイカレタ造物主を『パパ』と呼び、あたしの事を『お姉様』と呼んだのか。何故イカレタ造物主は自分を『パパ』などと呼ばせ、あたしの事を『お姉様』と呼ぶ様にしたのか。
しかし、だからこそ、あたしは驚いた。
だって、気配がまるで違う。
そいつの気配は、あたしが知らない誰かだった。
だけど、それにも関わらず、そいつはその声で言葉を発した。
「……誰?」
あたしは銃を向け、そいつに問いかけた。
「貴方は……誰?」
声が震えた。落ち着け、あたし。お願いだから、落ち着いて。
「そんなに震えた手では、その距離からでも当たらないぞ」
止めて。お願いだから止めて。その声であたしに話しかけないで。
「質問に答えて!」
「言わずとも分かっているだろう? この声を忘れたのか?」
「違う! だから聞いてるの! 貴方は誰なの!?」
やっぱり間違いない。聞き間違いなんかじゃ決してなかった。
だから、あたしは尚も問いかけた。
「貴方は――あたしのパパを演じている貴方は誰!?」
そいつのその声は、間違いなくパパのそれだった。聞き間違えるはずがない。三年越しだったとしても、あたしがその声を忘れるはずがない。今でも好きなパパのその声を忘れるはずがない。でもどうして。意味が分からない。何でこんな事になっているの。パパは三年前に死んだはずだ。死体はあがって来なかったけど、それでも死亡は確実と判断されているはずなのに。
「演じている、か……。流石は実子。流石は防人。気配だけで別物だと悟るか」
椅子が回転し、そいつがこちらを向いた。
「……嘘……」
思わず、声に出してしまった。
椅子に座っていたのは、紛れも無い、三年前に死んだはずのパパだった。
「何……これ……、どういう……事……?」
「流石に驚くか。まあ無理も無い。それを狙っていたからな」
「狙っていた……?」
「ああ。何者にも弱点は付き物だ。防人の娘よ。『ブレイブハーツ』を与えられた少女よ。神に選ばれ、愛された者よ。人を守護する盾よ。そんなお前にとってはこの人物――防人一期がそうである様に」
「な、何を……」
「理解出来ないか。無理も無い。では大人しく話を聞く気はあるか? いや有るか。有るが、そのままでは少し不安だな。お前が手に入る以上、裏の物は必要無いが、保険があるに越した事は無いからな」
そう言って、そいつは指を鳴らした。
途端、何処からともなく光で出来た鎖が出現し、あたしを絡め取った。虚と突かれたから反応はしたものの、光の鎖の動きは早く、あたしの四肢はあっという間に捕まり、あたしは鎖に繋がれて虚空に停止した。
「何、これ……」
「有り体に言えば魔法だ。知らないわけではあるまい?」
確かに知らないわけじゃない。霊感だって言い方を変えれば魔法の一種だろうし、そもそもあたしが悪霊やら怨霊やらを退治する時に使っている破邪技能だって言い方が違うだけで魔法の一種なのだろうから。
「さて、何処から話した物か。……そうだな、まずは『防人』からか」
パパの皮を被ったそいつは平然と話し始めた。
「……いきなり何の話?」
「ちょっとした幻想的な話だ。もっとも防人の人間にとっては常識だがな」
そいつは足を組み直し、頼んでもいないのに話し始めた。
「さて、前置きが済んだところで始める。――昔々、全てを作り終えた神様はふと不安になった。人を守護する天使、人に試練を与える悪魔――それら人智を越えた存在が人間に何らかの理由で不満を抱いたら、と。そういった存在は神の子である人間に夢や希望、または悲しみや絶望を与えるために作られたからな。そんな人間はあらゆる可能性を内包しているが、それでも神様は不安に駆られた」
「……それが人の守護者――『防人』の始まり?」
「落ち着くと聡いな」
そいつは何処か嬉しそうに言った。別に喜ばせるために言ったわけじゃない。
「如何にもその通り。と、一つ補足だ。『防人』とは言っているが、別に誰も彼も日本人だったわけではない。そもそも『防人』というのは概念――言い方を変えれば精神に寄生する寄生虫だ。そうだな……勇者や英雄、救世主と言えば分かり易いか。『防人』というのはそういう存在を作るための可能性に過ぎず、それを神様は『防人』と名付けたのだ」
「……で、何が言いたいの?」
「それについては既に答えた。汝は先ほど我が告げた様な存在なのだ。最上の『防人』にして『防人』が辿り着いた一つの完了形。それ故に神はお前を助け、我はお前を欲したのだ。ああ、恨んでくれて構わない。我の事も神の事も存分に恨むと良い。その権利が汝にはある」
「……神様があたしを助けたというのは、この心臓の事だね?」
「そうだ。それは『ブレイブハーツ』と呼ばれている代物であり、神の宝物の一つだ。英雄ジャンヌ=ダルクの心臓。それを神は極秘裏に回収し、神技にて保管していた。五百年強もの時間が経過した心臓が使い物になるのか、という疑問は当然湧いて来るだろうが、汝が生きている事が何よりの証明だ」
「そんな話を信じろって?」
「信じるかどうかは汝次第だ」
強気に言ったものの、信じるしかないのが悲しいところだ。あたしが助かったのは誰かが仕組んだと思えるくらい奇跡的な絶妙か加減だった。それにあたしに送られた『Brave Heart』とだけ記された提供者からどうしてもと言われたので、と知美が渡してくれたメッセージ。あれはあたしへの激励かと思ったが、あたしの心臓の事を示していたのかもしれない。
「……それで? 貴女はどうしてあたしを求めるの? そもそも誰なの?」
そこでそいつはハッとした様な顔になった。
「名乗っていなかったか。どうも防人一期である事を意識して来たためか、自分の名前を忘れそうになる。果て、これも『防人』の力が成せる所業なのか」
「どうでも良いから早く教えて。この体勢結構疲れるんだから」
「ん? それならそうと早く言え」
そう言って、そいつはまた指を弾いた。すると、鎖が引っ張る力は弱まり、あたしは地面に降りた。捕縛されたままだが、さっきよりずっと楽になった。
「ありがと。……それで?」
「申し遅れた。――我はメタトロン。しがない神の代理人だ」
「んなっ……」
紡がれた名前――名称にあたしは開いた口が塞がらなかった。
あたしは別段何処の宗教にも属していないけど、後で防人の役割だと言う事が分かったがパパから『何、覚えておいて損は無い』と言われ、悪霊や怨霊の事だけではなく、天使や悪魔、妖怪、妖精、聖霊という様な架空の存在と言われている幻想的な存在について色々教わっている。
だから、その名も知っていた。
天使王メタトロン。
ユダヤ教に登場する天使の一人。七十六の異名を持ち、その実力は最も有名だろう天使階級最上位の熾天使が一人のミカエルにも匹敵するとされ、その実力故に神と同一視する声もある天使の統括者。あたしは何処の宗教にも属しておらず、天使の事は宗教抜きにして『天使』という種族として見ている。それ故、あのミカエルよりも上と一説では言われているその名を持つ天使をあたしは『天使の王』と認識している。あたしが勝手に思っているだけだけどね。
だからこそ、知識として知っているからこそ衝撃だった。
そんな奴がパパの体の中にいるのも驚きだし、そもそもそんな大物が一体全体どういう目的であたしのクローンを作り、あたしを求めているのか。
「……天使の統括者とも呼べる貴方がどうしてこんな事を?」
「その認識は個人的には嬉しいが、他では控えた方が良いぞ。……さて、話を続けるか。何、さして難しい話ではない。結論から言おう。我が汝を求める理由は神を殺し、世界を再構成するためだ」
「神を殺し、世界を再構成する……?」
荒唐無稽というのはこういう意味か。確かに荒唐無稽だ。
「……大層な正義感で果てしなく自分勝手だね」
メタトロンがあたしを利用して如何にして世界を再構成するのかは知らないが、それは果てしなく自分勝手な事だ。もしも神様がいて、そうと呼べる誰かがこの世界を作ったのなら、こんな風に不完全にしたのにはきっと神様なりの理由があるはずだ。そうじゃないなら全知全能な存在がこんな事するはずが無い。
それをメタトロンは壊すというのだ。
「……人の命を、人の人生を何だと思ってんのよ!」
「理解されようとは思っていない。言っただろう? 我の我が侭だ、と」
「我が、侭……?」
「ああ、我が侭だ。……理不尽と不平等が横行する世界。幸せを掴む物もいる一方で、理不尽な不幸に見舞われる物もいる。そんな風に世界を創造したのは我らが造物主だ。その理由は単純明快。つまらないからだ。……ああ、確かにそうだろう。そんな世界は無菌状態の部屋と同じだ。争いも無ければ悲しみも無い代わりに、進化も無ければ喜びも無い。そういう世界は確かにつまらないだろうさ」
だが、とメタトロンは区切った。
「神はそれで良いかもしれない。だが、汝ら人間はどうだ? 確かにつまらないと思う者もいるだろう。だが、それは余裕ある者、持っている者だからこそ言える台詞だ。平穏を甘受出来るだけの余裕があるからだ。世界にはそういう者がいる一方で、今この瞬間にも飢えや難病、無関係な争いで苦しみ、悲しみ、命を散らしている者がいる。そういう者は確かにいるのだ」
二の句が告げない、というのはきっとこういう状況を言うのだろう。
メタトロンの考えは横暴だ。如何にメタトロンが天使の王だとしても、幾ら人の力となるために作られた天使という存在だからって、幸せな人から幸せを奪う権利は無いと思う。でも、一理はある。メタトロンの言い分は正論だ。今の世界は理不尽と不平等が横行している。全知全能にして完璧なる神様が創造したというのにも関わらず、いやだからこそ神様は敢えて不完全に世界を創造したのだろう。そうする事により、確かに争いは起き、悲しみは生まれるが、同時に何事に関しても進化する事が出来、達成感という喜びも味わう事が出来る。
それを知っているあたしでも、メタトロンが言う世界は確かに神様がそう言った様につまらないと思う。逃げ出したいくらい、我慢できないくらい、どうしようもないくらい辛い事や悲しい事はある。でも、それだけじゃない。確かにそれは持っているからこその余裕だろうが、人生辛い事や悲しい事ばかりでは無い事を誰もが知っている。どうしようもならなくともそれを『希望』という形で皆知っている。だから無菌状態の部屋みたいな世界なんてきっとつまらない。
でも、メタトロンの言い分には一理ある。
先進国では食物が平然と捨てられ、怪我や病気をしても病院があり、水も確保されている。その一方で発展途上国では先進国がそうしている間にも飢えや難病で苦しみ、満足な治療を受ける事も叶わず、命の源である水もまともな物を確保する事が出来ない。それをどうにか改善しようという動きはあるけど、未だにそれは改善されず、そういう解決すべき問題があるのに自分の事しか考えていない人達は自分の主張を通すために時には武力行使という行為を行い、そんな事やっている場合じゃないのに争いを続ける。
こんな世界を変えるには、多分ゼロに戻し、再構成を行う他無い。
神はそれを行おうとはしない。行えない事情があるのか、単に行わないだけなのかは分からないかはさておき、不満に思っているならば世界はとっくの昔にそういう世界になり、メタトロンもこういう事を行っていないだろう。
だけど、神はそれをしない。
だから、メタトロンは動いたのだろう。
誰よりも天使であり、神から与えられた『人の補助』という役割故に。
「……良くも悪くも貴方も『防人』というわけだね」
「そう言えなくも無いだろうな」
「……でも、どうして今なの?」
聖書や聖典が正しいなら、メタトロンは神と言っても過言では無いはずだ。
それなら、別に今で無くても良かったはずだ。
少なくとも、今である必要性は無いはずだ。
「行動を起こしたのは単にカードが揃ったのが今だっただけだ。汝という常勝の剣。元よりある『防人』を冠するに値する実力と才覚を有しているだけでも十分なのに、汝はかの聖女の心臓を有している。かの聖女の心臓は熾天使ミカエルの加護を今も尚受けており、そしてその上から神の加護も付加されている。それ故に生前は『奇跡』を引き込む程度だったが、今では昇華し、その気になれば『奇跡』と呼べる事象を己が意思で現実とする事が可能。それ故汝は数多いる『防人』の最上であり、『防人』の完了形の一つと言える」
思いの外簡単な理由だった。やる事がやる事だけに慎重になったのだろう。
あたしは質問を続けた。
「なら、あたしのクローンを作ったのは? あたしが必要だったなら、あたしを攫うなり何なりすれば良かったじゃない。何で人間の命を弄ぶ様な事を? 貴方が天使の役割に則って行動しているなら、本末転倒極まりないよ?」
メタトロンの行動理由が全てを平等にするためならば、命を弄ぶその行為は控えめに見ても本末転倒だ。守るべき命を弄んでどうする。
「保険と万全を期すためだ。汝は我の剣として働いてもらわねばならない。そのためには汝を御さなければならない。そのために防人一期の体、それから防人真実の知識を必要とした」
「必要とした……?」
ちょっと待って。という事は、それってつまり――
「……じゃあ何? 貴方はあたしを手に入れるためにパパとママを殺したの?」
「そう言ったつもりだったが、そう聞こえなかったか?」
メタトロンは平然と言った。平然と自分の罪を認めた。
「このっ!」
動こうとしたが、光の鎖があたしの行動を束縛して動く事は叶わなかった。
「言っただろう? 汝には全てを恨む権利がある、と」
今のあたしには話す事しか許されていないらしい。
なら、存分に訴える事にしよう。
「知らないし、要らないよ、そんな権利! 何で、何でパパとママを! あたしが欲しかったなら初めからあたしだけを何で求めなかったの!?」
「それは既に告げた。我が必要とするのは神を殺せる常勝の剣。剣の切れ味を上げるためには研磨するだろう? 我が汝にしたのはそういう事だ。こうしなければ、汝は今の汝にはなっていない。話を戻すが汝の模倣品を作ったのも同上だ。汝は汝、模倣品は模倣品、本命と保険の両方の剣を我は研磨した。全ては汝を我が剣とするため。そのために我は汝から様々な物を奪い、刺客を放ち、汝が『防人』の最上となるしかない様に仕組んだ。結果はご覧の通り。『防人』の最上となった汝は、決着を付けるべく単身ここに到達し、こうして我の前にいる」
それにな、とメタトロンは語調強めに一度区切った。
「我が行動を起こそうとしたそもそものきっかけは、他の誰でもない、汝自身の願いから発生したのだぞ?」
「えっ……」
あたしがそう言った時、メタトロンは指を弾いて鳴らした。
すると、部屋中央にある黒い円柱の黒い部分が開き、淡い黄緑色の光が少しずつ開いていく隙間から漏れ出してくる。
「そもそも、おかしいと思えば思えたはずだ。何故汝の模倣品は汝の気配を知っていて、汝を一目で『姉』と識別出来たのか。その理由は単純明快だ」
壁が開いていく中、メタトロンは淡々と語る。
「――先ほど我は言ったな。今の世界を甘受出来るのは、余裕ある物だけであり、余裕無き物の中には『こんな世界など壊れてしまえば良い』と思っている者もいるだろう、という事を。ああ、確かに不特定大多数の物がそれに該当するだろう。だが、結局のところそれは人間レベルの問題であり、人間がその気になれば改善は可能だろう。しかし、中にはとある人物の様に人智を越えた者の事情により、何の謂れも無いのに理不尽な運命と強大な力を持たされ、問題解決に取り組む時間すら与えられず、挙句仕方無かったとは言え、自分の意思をないがしろにされた者がいる。……そういう人物に心当たりはあるだろう?」
語りの終わりと共に黒い壁が開かれ、その中身が見えた。
それは、一人分の培養器。SF物で良く見られるアレだ。
その中には少女がいた。黒い髪は黄緑色の液体に漂い、華奢な痩身は多数のコードに繋がれている。多分延命装置か何かだろう。いやきっとそうだ。
それが誰なのか――質すまでも無くあたしはそれが誰なのか分かる。
一人だけいる。メタトロンの条件を満たせる人物がただ一人。
一拍置き、黒髪の少女は瞼をゆっくりと開いた。
その奥にあるのは、真っ黒な双眸。
この場所の大半を占める水槽の中にいる少女達とは違う唯一の違い。
そしてそれは、オリジナルである事の証明。
その人物は、三年前まで原因不明の心臓の欠陥で悩まされていた――、
「――三年振りだね、体だけが本物なあたし」
他の誰でもないあたし自身だった。